ページ番号1008858 更新日 令和6年10月21日
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概要
- 9月27日の武力衝突からエスカレートし、1994年の停戦合意以降で最大規模となったアルメニアとアゼルバイジャンによるナゴルノ・カラバフにおける戦闘は、10月9日、ロシアの仲介のもと両国外相が直接会議を行い、10月10日正午からの停戦で合意した。会議の後に発表された3か国首脳名による共同声明によれば、今後の和平協議の取り組みは欧州安全保障機構ミンスク・グループの仲介により実施されることとなる。しかし、停戦後まもなくして戦闘が再開したとの情報もあり、有効性に既に疑問が出ている。
- 今回の衝突では、アルメニアと軍事協力関係のあるロシアが中立を保って仲介役を演じたのに対し、アゼルバイジャンへの全面支持を表立って強調するトルコの存在感が際立っている。トルコは従来の問題解決の枠組みであるミンスク・グループの役割を批判していて、今回の停戦合意からナゴルノ・カラバフ紛争を長期的な解決に導くにはさらなる困難が予想される。
- 10月7日にはBTCパイプラインが攻撃を受けたとされる。アゼルバイジャンからジョージア、トルコに向かうパイプラインはいずれも埋設されているため、ポンプステーション等の地上施設を除けば被害を受ける可能性は低く、また、国際プロジェクトであるパイプラインをアルメニアが標的とすることは考えにくい。但し、アルメニア軍の統制の及ばない勢力が存在する場合は、それら勢力による攻撃の可能性を否定できず、今後も注意が必要になる。
(出所 インタファクス、コメルサント、RBK、BBC等各種報道記事 他)
1. ナゴルノ・カラバフ問題の概要と今夏の衝突の経緯
(1) ナゴルノ・カラバフ問題
ナゴルノ・カラバフ問題は、一般にはソ連時代末期から続くアゼルバイジャンとアルメニアの間の民族・領土紛争であるが、オスマン帝国時代からのトルコとアルメニアの激しい民族対立が強く影響を及ぼしており非常に根深い。
問題の原型は今から100年前のロシア革命、ソ連成立時期に発生した。帝政ロシア時代はトビリシを中心にまとめられていたアルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアが、ロシア革命後1918年にそれぞれ独立国家として成立。その国境画定にあたり、ナゴルノ・カラバフを含めモザイク状に存在したアルメニア人とトルコに近いテュルク系民族アゼリー人の居住エリアの帰属をめぐってアルメニアとアゼルバイジャンの対立が強まった。この領土問題は両国が1920年に赤軍により共産化し、ソ連に組み込まれる過程で、1921年にソ連の決定により、アルメニア人が多く住むナゴルノ・カラバフ(当時は住民の9割以上がアルメニア人だったとされる)をアゼルバイジャン領とし、1923年に自治州を設定することで一旦の決着を見た。
しかしアルメニアはその後もことあるごとにナゴルノ・カラバフのアルメニアへの帰属変更を粘り強く要請し続け、ペレストロイカ期の1987年末頃から再びその動きが活発化した。運動は当初は平和的だったが、1988年に入ると徐々にアルメニア、ナゴルノ・カラバフ内のアゼルバイジャン人に対する排斥運動と化し、それを受けてアゼルバイジャン内でもアルメニア人排除の動きが強まり、やがて各地で暴力的な衝突が起きるようになって、激しい紛争へと発展した。
紛争解決のため周辺国が調停の試みを行うが効果を出せず、ソ連解体期を迎えてアルメニア、アゼルバイジャンがソ連から独立すると、ナゴルノ・カラバフも1991年9月に独立を宣言し、アルメニアの支援を受けながらアゼルバイジャンと対立を続けた。1994年5月にロシアの主導により停戦が実現すると、ナゴルノ・カラバフ(アゼルバイジャン内の自治州とアルメニアの間の土地を含む)は事実上の独立国家(現時点で独立を承認している国はない)の形式を維持し、現在に至っている。停戦後も小規模な武力衝突が単発的に発生する状況が続き、コーカサス地域の不安定要素となっている。
なお、本稿では、特に注記しない限り、アゼルバイジャン領内の自治州、未承認国家いずれも「ナゴルノ・カラバフ」と便宜的に表記する。
年 | 出来事 |
---|---|
ソ連時代末期 | アルメニア人によるナゴルノ・カラバフの編入要望激化。1988年末までに20万人以上のアゼルバイジャン人とイスラム教徒のクルド人がアルメニアの数十の村から追放。アスケラン事件、スムガイト事件、キロヴァバード事件(いずれもアゼルバイジャン人、アルメニア人の民族対立による暴動・虐待・追放事件)が発生。 |
1990年 | 黒い一月事件:民族運動が激化したバクーにソ連軍が介入。 |
1991年 | ジェレズノヴォツク共同宣言:ロシアとカザフスタンの仲介による調停。 ソ連、8月のクーデター、12月の解体。アルメニア、アゼルバイジャンが独立。ナゴルノ・カラバフも「ナゴルノ・カラバフ(レルナイーン・ララバールまたはアルツァフ)共和国」として独立を宣言(現在アルメニアも未承認)。 |
1992年 | テヘラン共同宣言:ラフサンジャーニー・イラン大統領による調停。全欧安全保障協力会議(CSCE、OSCEの前身)の仲介を規定。 |
1994年 | ビシュケク議定書:ロシアの主導による停戦合意。 |
1997年 | CSCEから名称変更した欧州安全保障協力機構 (OSCE)のミンスク・グループで米・仏・露が共同議長となる。 |
2008年 | アゼルバイジャンの国力が原油収入によって増大する中、アリエフ大統領が「必要とされれば、アゼルバイジャンは領土を奪還するため武力行使に出るだろう」と述べたのと同時に、両国境界線での銃撃事件が増加。2008年3月5日、最も重大な停戦違反となった第一次マルダケルト衝突が起こり、最大で16人の兵士が死亡。 |
2010年 | 第二次マルダケルト衝突。 |
2014年 | 6月から8月にかけてアゼルバイジャンによる停戦違反、大統領によるアルメニアに対する戦争示唆で緊張が再び高まる。 |
2016年 | 4日戦争:1994年の停戦以来で最大規模の衝突。アルメニア国防省はアゼルバイジャンが領土を奪うため攻勢を仕掛けたのだと主張。アゼルバイジャンの報告ではアゼルバイジャン軍兵士12人が死亡、Mi-24(ヘリコプター)と戦車が撃破。アルメニア側はアルメニア軍兵士18人が死亡、35人が負傷したと発表。 |
2020年 | 7月及び9月の軍事衝突。 |
(各種情報に基づき作成)
(2) 2020年の軍事衝突と停戦までの経緯
1. 7月の国境付近での衝突
2020年7月12日、ナゴルノ・カラバフから離れたジョージア寄りのアルメニア・アゼルバイジャン国境付近で、両国軍による銃撃戦が発生した。どちらの陣営も相手が先に攻撃を仕掛けたとして非難の応酬を続け、アゼルバイジャンでは本格的な戦争を求めるデモが発生するなど緊迫した情勢となった[1]。アゼルバイジャン・アリエフ大統領は、2006年から16年間にわたり外相を務めてきたマメディヤロフ氏のこれまでの和平構築の成果を疑問視し、16日に同氏を解任。結局戦闘は数日で収束したが、民間人も巻き込み双方に少なくとも20名の死者を出した。この戦闘はナゴルノ・カラバフの境界から北に100キロメートル以上離れたアゼルバイジャン側トヴズ県(アルメニア側タヴシュ地方)で発生し、ナゴルノ・カラバフにおける衝突ではなかったが、両側での被害は2016年以来の規模となり、エスカレートが懸念された。
アゼルバイジャン側のこの地域は、アゼルバイジャン、カスピ海の原油・天然ガスをジョージア、トルコ(さらには南欧)に輸送するBaku–Tbilisi–Ceyhan(BTC)パイプライン、South Caucasus(SCP)パイプラインといった複数のパイプラインが通っており、アゼルバイジャン国営石油会社SOCARは戦闘がカスピ海地域からの西方への資源供給に影響を与えかねないと警告を発していた。ただし、7月の戦闘ではパイプライン周辺への攻撃は起こらなかった。
状況が収まらない中、アゼルバイジャンはトルコと共同軍事演習を実施。7月29日から8月10日にかけてアゼルバイジャン国内で陸軍・空軍による大規模演習を行ったとされる[2]。トルコは7月の国境付近での戦闘勃発直後から、民族的に近いアゼルバイジャンへの連帯を表明し、エルドアン大統領はアルメニアによる停戦違反であるとしてアルメニアを非難していた。
[1] BBC(2020年7月15日)
[2] アナドル通信(2020年8月5日)
2. 9月のナゴルノ・カラバフでの衝突
9月27日朝、ナゴルノ・カラバフの東側境界で武力衝突が発生し、アゼルバイジャン軍、アルメニア軍双方が重火器を使用する大規模な戦闘に発展。同日中に両国は戒厳令を敷き、アルメニアは国民総動員令、アゼルバイジャンも一部の動員と夜間外出禁止令を発令し、ナゴルノ・カラバフ東部を中心に各地で本格的な戦闘が繰り広げられる事態となった。
トルコの関与
今回の衝突では、トルコによるアゼルバイジャン支援の動きが際立っている。武力衝突発生を受けて、国際社会から停戦を求める声が相次ぎ、27日にはフランス、ドイツ、欧州連合が双方に即時停戦を呼びかけ、ロシア・プーチン大統領は電話でアルメニア・パシニャン首相と協議し、戦闘の激化への懸念と戦闘行為停止の必要性を訴える一方、トルコ・エルドアン大統領はアゼルバイジャン・アリエフ大統領と電話会議を行い、トルコはアゼルバイジャンにあらゆる支援を行う用意があると述べ、アゼルバイジャンへの支持を改めて表明した[3]。
また、29日にはアルメニア国防省が、アゼルバイジャンの第2都市ギャンジャの空軍施設から飛び立ったトルコ軍のF16戦闘機によりアルメニア領内でアルメニア軍のSu25戦闘機が撃墜されたと発表し、トルコの軍事介入を指摘した。トルコ、アゼルバイジャンは戦闘へのトルコの関与を全面的に否定していて真相は明らかでないが、トルコ軍機は7月末から8月初めにかけて実施されたアゼルバイジャンでの共同軍事演習の後にアゼルバイジャン領内に残留しているとされ[4]、The New York Timesの記者が10月3日の衛星画像を調査したところ、ギャンジャの空軍基地にF16と見られる戦闘機が2機確認できたと報道されている[5]。この他、アルメニアはナゴルノ・カラバフでの戦闘にトルコ軍のドローンが使用されているとも述べており、さらにトルコがシリアから傭兵を紛争地帯に派遣していると非難している。
シリアからの戦闘員流入については、10月6日にロシアの対外情報庁ナルィシキン長官が、ヌスラ戦線、ハムザ師団、スルタン・ムラド師団、クルド人過激派等のテログループが数千人規模でナゴルノ・カラバフの紛争地帯に集結しているとして、将来のテロリストの温床化に警戒感を示した。またナルィシキン長官は、トルコの明確なアゼルバイジャン支持が今回の衝突においてこれまでと異なる憂慮すべき新しい外的要素だと指摘している[6]。地域外からの戦闘員は、アゼルバイジャン側、アルメニア側双方に加わっていると見られ、事態を複雑化させている。
なお、アルメニアはロシアを中心に旧ソ連6か国(ロシア、アルメニア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ベラルーシ)から構成される集団安全保障条約機構(CSTO)加盟国であり、また今回の武力衝突直前にアルメニアの他、中国、ミャンマー等を加えた国際的共同軍事演習がロシア主導で実施されていた[7]ことから、今回の戦闘に際し、ロシアがアルメニアに支援を行うため軍事介入する可能性も一部で示唆されていた[8]。しかし、プーチン大統領は10月7日に、ロシアはCSTOで課せられた全ての義務を果たすが、それは加盟国アルメニアに対する攻撃があった場合の義務であり、今そのような事態は起こっていないと述べ、大統領府ペスコフ報道官も「ナゴルノ・カラバフに対する義務はない」と明言している[9]。(これは戦闘地域がアルメニア本土に広がればロシアも介入しうることを示しており、アゼルバイジャン・トルコ側に対する牽制でもあると言える。)
[3] インタファクス(2020年9月27日)
[4] RIA(2020年10月9日)
[5] Middle East Eye(2020年10月8日)
[6] コメルサント(2020年9月30日)
[7] タス(2020年9月21日)
[8] ロシア対外情報庁(2020年10月6日)
[9]タス(2020年10月7日)
戦闘地域の拡大

戦闘地域 (出典 BBC 2020年10月7日)
戦闘地域はナゴルノ・カラバフの領域を超えて拡大した。10月4日には、ナゴルノ・カラバフ軍がギャンジャを砲撃し、アゼルバイジャン外務省の発表によると家屋に被害が出て民間人1名が死亡し、4名が負傷した。ギャンジャはナゴルノ・カラバフから約50キロメートル北に位置するアゼルバイジャン第2の都市であり、BTC パイプライン、SCP パイプラインの経由地である。上述の通り空軍基地があるため、ナゴルノ・カラバフ軍は軍事施設を標的としたと発表している。アゼルバイジャン政府は他にも、複数の発電所がありアゼルバイジャンの電力供給の重要拠点であるミンゲチェヴィル(ギャンジャから約50キロメートル東。アゼルバイジャン第4の都市)に対してミサイル攻撃があったと発表しているが、アルメニア側は攻撃を否定している。いずれの攻撃でもインフラへの深刻な被害はなかった。
さらに10月6日夜、アゼルバイジャン検察庁は、アルメニア軍がイェヴラフ付近(ギャンジャから約60キロメートル東、ミンゲチェヴィルの南)でBTCパイプラインに対するミサイル攻撃を行ったと発表。アゼルバイジャン軍による断固たる措置により被害を防いだが、アルメニア側が国際市場へのアゼルバイジャンからの原油・ガス供給に脅威を与えているとしてアルメニアを非難した。発表によると、攻撃には非人道兵器であるクラスター弾が使用され、パイプラインから10m離れた地点に着弾し300以上のクラスター爆弾が散乱したものの、パイプラインに被害はなかったという。
アルメニア政府はアルメニア軍によるパイプラインへの攻撃を否定し、「石油・ガスインフラ施設を攻撃対象と見なすことはないと繰り返し述べている」と述べた。なお、クラスター弾をめぐっては前日10月5日に国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、ナゴルノ・カラバフでの戦闘でアゼルバイジャンによる使用を指摘し、非難していた。アルメニアもアゼルバイジャンもクラスター弾禁止条約には加盟していない。
停戦に向けた動き
ソ連崩壊以降のナゴルノ・カラバフ問題の和平協議は欧州安全保障機構(OSCE)ミンスク・グループが仲介を担ってきた。1994年5月の停戦はロシアの主導によるものだったが、停戦後ミンスク・グループが紛争当事者とシャトル外交を行い、対話を推進してきた。しかし問題の最終的解決に向けた進展は見られず、今回の武力衝突が起こった。
ミンスク・グループの共同議長を務める露・仏・米は9月27日の衝突発生当初から当事者に対して停戦を呼び掛けてきた。27日に米国・トランプ大統領は、「状況を注視し、暴力の停止のための手段を模索する」との声明を出し、フランス・マクロン大統領は10月1日に、アゼルバイジャンに軍事的支援を行っているとしてトルコを非難した。ロシアはプーチン大統領がアルメニア・パシニャン首相に複数回電話で戦闘停止を求めた他、首相、外相がアルメニア、アゼルバイジャンと協議を行った。さらに露・仏・米は10月1日に、3か国首脳共同で即時停戦を呼び掛ける声明を発表し、「アゼルバイジャンとアルメニアの首脳が前提条件無く今すぐに、誠意をもって和解のための交渉を再開することを求める」と呼び掛けた。

ラヴロフ外相、ムナツァカニャン外相
(出典TASS 2020年10月10日)
トルコはこれまでのミンスク・グループの調停努力は、問題解決に向けた具体的な計画が欠如しており、また中立性に欠けていると批判し、今回の衝突では、「アルメニアが占領地から撤退しない限り停戦はない」とする主張を繰り返した。アルメニアとアゼルバイジャンも、互いを非難し合いながら、妥協を許さない姿勢を表明していたが、1日の露・仏・米共同声明の後、アルメニア外務省は、3か国と協力する用意があると述べ、10月6日にはパシニャン首相が「アルメニアとナゴルノ・カラバフには、アゼルバイジャンにもその用意があるのなら、問題解決のために歩み寄る用意がある。」と述べた。また、6日にバクーを訪問したトルコのチャヴシオール外相は、ミンスク・グループへの懐疑的な意見を述べる一方、問題解決のためロシアと連携する用意があると述べた。そして翌7日に、今回の戦闘激化後初めてロシアとアゼルバイジャンの首脳協議が実現した。7日に68歳の誕生日を迎えたプーチン大統領にアリエフ大統領が祝辞を述べるため電話し、その際に紛争について話し合われたとされる。同日、フランスのルドリアン外相が、仏・米・露3か国が8日にジュネーヴで会議を開催すると発表し、アゼルバイジャン外務省はバイラモフ外相がジュネーヴの会議に参加すると発表。一方アルメニア外務省は、ジュネーヴの会議への参加予定はないが、12日にロシアとの外相会談の予定と発表した。その後プーチン大統領は8日に声明を出し、ナゴルノ・カラバフ紛争当事者は軍事活動をやめ、捕虜の交換と兵士の遺体の双方への返還を行うべきと述べた。また9日にロシアのラヴロフ外相の仲介のもと協議の場を設けるため、アゼルバイジャンとアルメニアの外相をモスクワに招くことを発表した。
3か国外相会議と停戦合意

ラヴロフ外相 (出典 ロシア外務省 2020年10月10日)
プーチン大統領の提案に対して、ロシア外務省は9日、アゼルバイジャン・バイラモフ外相とアルメニア・ムナツァカニャン外相それぞれから参加意思を確認したと発表。ロシア・アルメニア・アゼルバイジャン3か国外相会議はモスクワで16時半に始まり、10時間に及ぶ話し合いの末、翌10日未明にラヴロフ外相が1人で会見を開き、3か国首脳名による共同声明を読み上げた。声明は4項目からなり、内容は次の通り。
- 停戦は、国際赤十字の仲介のもと、捕虜、遺体の交換を行うため人道的目的をもって、10日正午から実施。
- 停戦のための具体的な項目は別途合意される。
- 欧州安全保障機構(OSCE)ミンスク・グループ共同議長の仲介のもと、平和的解決の可能な限り早期の実現のため、アルメニア・アゼルバイジャン両国は本質的な交渉を行う。
- 両国は交渉の形式を変更しないことを確認する。
停戦合意後の戦闘
停戦は声明通り10日正午に始まったと見られる。しかしその後1時間も経たずにナゴルノ・カラバフでの戦闘が再開されたとの現地情報[10]や、11日にまたギャンジャに対する攻撃があり、民間人に死傷者が出ているとの報道、ミンゲチェヴィルも攻撃を受けたとする報道がなされており[11]、アゼルバイジャン、アルメニア双方が相手の停戦違反を非難し、混乱した状態が続いている。
[10] BBC(2020年10月11日)
[11] インタファクス(2020年10月11日)
2. 今後の展望
10日の停戦合意後もロシアの仲介活動は継続し、11日、プーチン大統領はイラン・ロウハニ大統領と電話会議で紛争について協議した。イランはアゼルバイジャン、アルメニア両国と国境を接し、ナゴルノ・カラバフ問題からは距離を置いてきたが、今回の衝突でイラン側にも被害が出たこと[12]、トルコがアゼルバイジャン支援のためにシリアなどから戦闘員を派遣しているとの情報があることを受けて、イランも問題の拡大に警戒感を強めていると見られる。また問題解決に協力する姿勢を見せて地域での影響力をアピールする狙いもあると考えられる[13]。さらに、11日にはラヴロフ外相もトルコ・チャヴシオール外相と協議し、10日の3か国共同声明の厳格な実行が不可欠であることに言及し、ロシアが積極的に問題解決のための仲介を行うことが表明された[14]。
アゼルバイジャン・アリエフ大統領はロシアメディアの単独インタビュー[15]の中で、10日の停戦合意を好意的に評価し、停戦の必要性を認めながらも、問題の解決はアルメニアの行動次第であると述べている。また、アルメニア・パシニャン首相との直接対話については、これまでの対話で失望しているとし、一定の条件の下であれば新たな会談の可能性を否定しないが、今はまだその状況にないとした。さらに今回の戦闘でのトルコによるアゼルバイジャンへの軍事支援を改めて否定し、トルコの暗躍という考えが広く流布されているのは、(1)エルドアン政権以降、トルコが独自路線を歩んでいるため西側諸国から圧力を加えること、(2)アゼルバイジャンの兵力を過小評価すること、(3)アゼルバイジャンの国際的存在感を弱めることが目的であるとの見方を示した。その上で、トルコは地域の安定のための役割を担っており、ナゴルノ・カラバフ問題の解決のためにはトルコを含めた新しい形が必要であると述べた。
トルコとアゼルバイジャンは歴史的に親密な関係にあるが、近年はエネルギー分野でも協力が目立つ。2019年時点では、トルコの主なガス調達源の一角に過ぎなかったアゼルバイジャンが、2020年にトルコのガス輸入の4分の1の供給者となり、ロシアを抜いて1位となっている。これはトルコのロシアガス依存からの脱却の試みと、2018年にTANAP(Trans-Anatolian Natural Gas Pipeline。年間16BCM)が稼働開始したことによる。TANAPはアゼルバイジャンからジョージア経由で輸送されたガスを名前の通りアナトリア半島を横断してエーゲ海に繋ぐ総延長1,841キロメートルのガスパイプラインである。TANAPはさらにTAP(Trans Adriatic Pipeline。年間10BCM)に接続して、ギリシャ、アルバニア経由でイタリア南部メレンドゥーニョにアゼルバイジャンからのガスを輸送する。TAPは2020年末に稼働開始予定で、10月12日に完成が発表され、現在運転開始の準備作業が行われている[16]。これらパイプラインによってトルコは、ロシア依存を抑えたい欧州のエネルギー供給において重要な地位を確保しようとしており、ガス供給源であるアゼルバイジャンと切り離せない関係ができている。
ロシアにとっても、この紛争でのトルコの存在感の拡大は無視できない。トルコとは既にシリア、リビアで間接的な対立がある中で、旧ソ連圏で新たな対立を生み出すことには強い警戒があると考えられる。10日の停戦合意までにプーチン大統領はアルメニア・パシニャン首相と4回会議を行った一方で、アゼルバイジャン・アリエフ大統領との会議は1回のみで、アリエフ大統領がプーチン大統領に誕生日祝いの電話を掛けた時のものだったことからも、トルコへの配慮がうかがえる。また一般論としてロシアは、コーカサス3国のうち良好な状態の対アルメニア、対アゼルバイジャン関係を維持して引き続き同地域へのプレゼンスを保ちたいため、ナゴルノ・カラバフ問題の過度のエスカレーションは望まず仲介を進めるものの、問題が解消することによって中立な仲介者という地位を失ってしまうことも望んでいない。
10日の停戦合意の第4項目は「交渉の形式を変更しないことを確認する」となっている。これは、今までどおりミンスク・グループが仲介を継続することを意味する。しかし、トルコは約30年にわたってこの問題の解決に具体的な進展をもたらせなかったミンスク・グループの役割を疑問視しており、アゼルバイジャンも上述のアリエフ大統領発言の通りトルコを含めた新しい仲介が必要と考えていることから、今回の停戦合意から長期的な問題解決を導くにはまだ相当の困難が予想される。トルコの登場によって、仲介を主導するロシアは新しいバランスを取ることを迫られている。
今回の戦闘による死者は少なくとも500人を超え[17]、1994年の停戦合意以降最悪の武力衝突となった。ナゴルノ・カラバフからは人口の半分に当たる7~7.5万人の住民が退去しているとされる[18]。既に停戦が守られていない状況が見られるが、まず求められるのは当事者が戦闘を停止することである。そして合意の通りミンスク・グループの仲介による交渉を再開し、その過程で、今は協議の枠組みに含まれていない第三国を交渉の輪の中に追加する可能性が出てくるかもしれない。
[12] インタファクス(2020年10月1日):イラン国境付近でアゼルバイジャン軍のヘリコプターがナゴルノ・カラバフ軍に撃墜され、イラン側に墜落したとされる。アゼルバイジャン軍は撃墜を否定している。
[13] コメルサント(2020年10月6日)
[14] ロシア外務省(2020年10月11日)
[15] RBK(2020年10月11日)
[16] TAPプレスリリース(2020年10月12日)
[17] インタファクス(2020年10月12日):ナゴルノ・カラバフの死者数の発表。アゼルバイジャンは死者数を公表していない。
[18] AFP(2020年10月7日)
3. パイプラインへの影響、今後の攻撃の可能性
上述の通り、アゼルバイジャンは10月7日にBTC パイプラインが攻撃を受けたとしているものの、今のところ今回の戦闘でパイプラインに被害は出ていない。BTC パイプラインは総延長1,768キロメートルのほとんどが埋設されており、且つ地下での免振対策など防護措置が取られているため、ポンプステーションなど一部の地上施設を除いて被害は発生しにくいと考えられる。同パイプラインは2008年8月の南オセチアをめぐるロシア-ジョージア戦争でも攻撃(クルド労働者党PKKによるものと見られている)を受けたが、深刻な事態には至らなかった。
BTC パイプラインへの攻撃に関して、オペレーターのBPはアゼルバイジャンにおける同社のプロジェクトの人員、操業、施設に対する安全対策を強化するとの声明を発表している。声明では「市民やインフラに対する攻撃に深刻な懸念を表明するとともに、この紛争がアゼルバイジャンの領土不可分性、国際的に認められた国境の枠内で早期に公正に解決されることを望む」とした[19]。
BPはアゼルバイジャンでACG油田、BTC パイプライン、Shakh Denizガス田、SCP パイプライン等主要プロジェクトのオペレーターを務める他、カスピ海アゼルバイジャン領で探鉱活動も行っている。
[19] インタファクス(2020年10月7日)
(原油パイプライン) Baku-Tbilisi-Ceyhan Pipeline (BTC パイプライン) |
(原油パイプライン) Western Route Export Pipeline (Baku-Supsa Pipeline) |
(天然ガスパイプライン) South Caucasus Pipeline (SCP パイプライン) |
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---|---|---|---|
総延長 | 1,768キロメートル | 833キロメートル | 690キロメートル |
稼働開始年 | 2006年 | 1999年 | 2006年 |
輸送容量 | 100万バレル/日 | 15万バレル/日 | 25BCM/年 |
オペレーター | BP | BP | BP |
供給源 | Azeri-Chirag-Gunashli油田 | Azeri-Chirag-Gunashli油田 | Shakh Denizガス田 |
(SCP パイプラインは「南ガス回廊(SGC)」の一部となり、トルコでTANAPに接続し、さらにTAPに続く。)
(各種情報に基づき作成)
アゼルバイジャン政府やSOCARは、戦闘地域がナゴルノ・カラバフを離れパイプライン経由地近くに及ぶことを憂慮し、カスピ海地域の原油・天然ガス輸出にアルメニアが脅威をもたらしていると国際社会にアピールするが、アルメニア政府はアゼルバイジャンの石油・ガスインフラを攻撃の標的にすることはないと述べており、実際にパイプラインへの攻撃がアルメニアにメリットをもたらすことは考えにくい。仮にパイプラインに効果的な攻撃を加えて操業を長期にわたり停止させれば、確かにアゼルバイジャンへのインパクトは大きいし、アゼルバイジャンから資源供給を一切受けていないアルメニアには直接的な影響がないが、パイプライン事業にはアルメニアのかけがえのない後ろ盾であるロシアや隣国イランが参加しており、またBPを始めとする国際資源企業に危害を加えることは国際世論を敵に回すことにつながりかねないため、適切な戦略ではないだろう。但し、もしもその懸念を凌駕するような重大な攻撃(例えばエレバンやメツァモール原発への攻撃)をアルメニアが受けた場合は、パイプラインへの攻撃も現実的な選択肢となりうる。
また、アルメニア軍の統制の及ばない勢力がパイプラインへ攻撃を行う可能性も否定できない。ロシア対外情報庁が警鐘を鳴らしているように、ナゴルノ・カラバフに入り込んでいるとされるテロリスト集団がどのような活動をしているかは詳細が不明であり、紛争地域に居座って制御の効かない勢力となればこの地域の新たな問題に発展する。そのような事態を防ぐためにも、まずは戦闘を停止して問題解決を進めるための秩序を取り戻す必要がある。

以上
(この報告は2020年10月14日時点のものです)