ページ番号1009293 更新日 令和6年10月21日
このウェブサイトに掲載されている情報はエネルギー・金属鉱物資源機構(以下「機構」)が信頼できると判断した各種資料に基づいて作成されていますが、機構は本資料に含まれるデータおよび情報の正確性又は完全性を保証するものではありません。また、本資料は読者への一般的な情報提供を目的としたものであり、何らかの投資等に関する特定のアドバイスの提供を目的としたものではありません。したがって、機構は本資料に依拠して行われた投資等の結果については一切責任を負いません。なお、機構が作成した図表類等を引用・転載する場合は、機構資料である旨を明示してくださいますようお願い申し上げます。機構以外が作成した図表類等を引用・転載する場合は個別にお問い合わせください。
※Copyright (C) Japan Organization for Metals and Energy Security All Rights Reserved.
注:下記ページビューでも全文をお読みいただけますが、図表の解像度が低い箇所がありましたら、上記PDF版をダウンロードの上、内容をご確認いただければ幸いです。
概要
前回レポートの検証
- 筆者は2月18日に発表したレポート[1]にて、主として以下の4つの理由から、ロシアによるウクライナ侵攻の蓋然性は低いと判断した。
- ロシアが求める「法的拘束力を持つ合意」を巡る過去2カ月間の欧米(特に米国及びフランス)諸国との交渉において、ロシアによる欧米との対話継続路線の展開から見て、ロシアの外交的解決に向けた意欲がうかがえたこと。
- ウクライナ侵攻によってもたらされるかもしれないメリットをはるかに凌駕する、制裁発動によるロシア側の相当規模の不利益・ダメージが予想されたこと。
- ロシアにとって2014年のクリミア併合と比較して、東部親露派地域の戦略的価値が低いのではないかと考えられたこと。
- ウクライナ東部地域の紛争状態が継続されれば、同国はNATO加盟要件を満たさずNATO加盟は実現できないこと。
- しかし、2月24日にロシアのウクライナ侵攻開始が報じられるに至り、改めてその判断を顧みるに、軍事的要素については評価する立場にはないが、他の多くの識者の方々と同様、主に以下2点において、ロシア側の視点や認識に係る分析が結果的に十分でなかったと考えられる。
- 上記対欧米外交で想定していたプーチン大統領の「成果」と、欧米の想定していた「落としどころ」が食い違っていたこと。具体的には、プーチン大統領の本旨が、ウクライナのNATO加盟阻止ではなく、ウクライナをロシアの完全な支配下に置くことにあったこと。即ち、過去20年余りに亘って、ロシアが問題視してきたNATOの東方拡大を阻止するための措置として、プーチン大統領はウクライナをベラルーシと同様に対NATO前線基地・緩衝地帯としてロシアの影響下に置くことに最大の重きを置いていた形跡があること。
- ウクライナ侵攻によって発動される制裁や、国際社会からの孤立によって生じるかもしれない不利益を受けることに対して、ロシアは対処可能と考えていたと推測されること。ロシアは、1月には米国で制裁法案(DUSA等)が提示されたのにも拘わらず、それからひと月半経っても欧米ではロシアを牽制するに十分な具体的な制裁内容に合意できなかった様子等から、仮に侵攻したとしても欧米はまとまりきらず、2014年のクリミア併合の時のような小出しの制裁に留まると想定していた節がある。
[1] 2月18日発表の拙稿「ロシアによるウクライナ侵攻という通説の裏にあるロシアの真の意図は何か」
https://oilgas-info.jogmec.go.jp/info_reports/1009226/1009276.html
その後の対露制裁を含む展開
- 2月22日から発動された欧米制裁は、たった2週間の間で、6つの大きな波となって、ロシア政府、金融セクター及び企業を蹂躙することになった(現在、G7首脳が3月11日に合意した7つ目の波が現れつつある。また、バイデン大統領訪欧時にも新たな経済制裁を発表)。対ドル・ルーブル減価は、最安値を更新した2014年制裁時は10カ月余り掛けて2分の1に下がったのに対し、今回は、本来はルーブル価値を守るはずの現下の高油ガス価情勢にもかかわらず、同様の減価効果がたった2週間で顕在化している。また、2014年制裁時と異なり、時価総額で各社数百億ドルという評価を与えられていたロシア主要企業も軒並み株価を暴落させ、取引停止に追い込まれている。
- 2月26日、欧州委員会、フランス、ドイツ、イタリア、英国、カナダ及び米国が共同声明という形で、遂に国際銀行間通信協会が提供する電子送金システム(SWIFT)からの特定ロシア銀行の排除を発表。侵攻からたった3日で主要国が瞬く間に合意に至り、その後、日本、ノルウェー、韓国、スイスも加わった。さらに、ロシア財務省、ロシア中銀及び国民福祉基金を対象に、それら外貨建て準備金を各国が凍結する制裁を発動。
- 英国(3月1日)及びカナダ(同2日)がロシア船籍、ロシア人が保有する船舶の自国港湾利用の禁止措置を発動している。レピュテーション・リスクに過剰に反応することでその範囲が拡大し、ロシア産物品を運ぶこと自体がリスク視され、所有者・管理者問わず、ロシア産の原油・石油製品・LNGの実質的な禁輸措置に発展していく可能性がある。
- 3月8日までにカナダ(石油)、米国(石油・LNG・石炭)及び英国(石油)が禁輸措置を発表。EUによるロシア産化石燃料依存低減の共同コミュニケも出された。加・米・英は産油国でもあるという特徴で共通しているが、ロシア産エネルギー商品はいつ禁輸となり、差し押さえられてもおかしくないという認識が市場に拡大し、買い控える動きが広がる可能性がある。既に、足元でロシアの原油輸出フローが少なくとも3分の1、日量約250万バレル減少したという報道も出てきている。また、NOVATEKのヤマルLNGプロジェクトからのタンカーが英国、フランスに寄港できていないという情報もある。
- なお、沈着冷静で高い分析力とエネルギー業界への造詣も深いノヴァク副首相が、稼働中のNord Streamによるガス供給停止を示唆する発言を行った(3月8日)。もしも既存契約に伴うガス供給を本当に止めれば、エネルギー供給者としてロシアが長年築いてきた信用を失墜しかねないタブー発言であり、その真意とともに今後のリパーカッションが注目される。
- 一方、米英による禁輸政策とその拡大、EUによるロシア産エネルギー依存の低減等を背景に、ロシアの志向が大需要国である中国に向かう可能性はある。現に欧州向け天然ガスと同じ供給源である西シベリアから新たなパイプライン「シベリアの力2」(年間輸送容量50BCM)が、トランジット国となるモンゴルとの間で実現可能性調査が進められている。2014年5月当時、クリミア併合から2カ月余りで、中露は年間38BCMを30年間供給する「4,000億ドルに上る史上最大の長期ガス売買契約」に合意したことを想起したい。その際、ロシアは価格交渉で中国に譲歩を余儀なくされたが、今後の双方の遣り取りが注目される。
1. はじめに:前回レポートの検証
筆者は2月18日に発表したレポートにて、
- ロシアが求める「法的拘束力を持つ合意」を巡る過去2カ月間の欧米(特に米国及びフランス)諸国との交渉において、ロシアによる欧米との対話継続路線の展開から見て、ロシアの外交的解決に向けた意欲がうかがえたこと。
- ウクライナ侵攻によってもたらされるかもしれないメリットをはるかに凌駕する、制裁発動によるロシア側の相当規模の不利益・ダメージが予想されたこと
- ロシアにとって2014年のクリミア併合と比較して、東部親露派地域の戦略的価値が低いのではないかと考えられたこと。
- ウクライナ東部地域の紛争状態が継続されれば、同国はNATO加盟要件を満たさずNATO加盟は実現できないこと。
という4つの理由から、ロシアによるウクライナ侵攻の蓋然性は低いという結論を導き出した。また、ロシアがウクライナへ侵攻し、戦火が開かれた場合も想定し、ウクライナを経由する原油及び天然ガスパイプラインへの影響について分析を行った。
しかし、2月24日にロシアのウクライナの侵攻開始が報道されるに至り、改めてその判断を顧みるに、上記4つの点をロシアがウクライナに侵攻することはないと判断する理由としていた筆者の分析において、軍事的要素については評価する立場にはないが、他の多くの識者の方々と同様、主に次の2点に関して、ロシア側の視点や認識に係る分析が結果的に十分でなかったと考えられる。
- 上記対欧米外交で想定していたプーチン大統領の「成果」と、欧米の想定していた「落しどころ」が食い違っていたこと。具体的には、プーチン大統領の本旨が、ウクライナのNATO加盟阻止のではなく、ウクライナをロシアの完全な支配下に置くことにあったこと。即ち、過去20年余りに亘って、ロシアが問題視してきたNATOの東方拡大を阻止するための措置として、プーチン大統領はウクライナをベラルーシと同様に対NATO前線基地・緩衝地帯としてロシアの影響下に置くことに最大の重きを置いていた形跡があること。
- ウクライナ侵攻によって発動される制裁や、国際社会からの孤立によって生じるかもしれない不利益を受けることに対して、ロシアは対処可能と考えていたと推測されること。ロシアは、1月には米国で制裁法案(DUSA等)が提示されたのにも拘わらず、それからひと月半経っても欧米ではロシアを牽制するに十分な具体的な制裁内容に合意できなかった様子などから、仮に侵攻したとしても欧米はまとまりきらず、2014年のクリミア併合の時のような小出しの制裁に留まると想定していた節がある。
本稿では、ロシアにとって侵攻をしない方が合理的という前回レポートの結論に不足していた上記の2つの点を検証しながら、ロシアがウクライナ侵攻という決断に至った背景を分析する。また、ウクライナ侵攻に対して、2月の段階でも制裁法すらまとまっていなかった欧米諸国は、迅速に反応し、SWIFT排除や国別の石油禁輸措置という「返り血を浴びる」ことを覚悟した制裁発動で協調行動を執っている。制裁発動の経緯、これまでの状況とエネルギー分野を中心とする影響、今後想定される動きについてまとめる。
2. プーチン大統領が求める「成果」と欧米が想定するロシアへの「落しどころ」の乖離
(1) ロシア最大野党・共産党が独立承認決議案を提出
最初の兆候は、1月19日、名目上の最大野党であるロシア共産党が、ウクライナ東部親露派が支配する地域を「独立国家」として認めるよう、プーチン大統領に求める決議案を下院に提出したことだった。当時はこの動きを1月21日にジュネーブで開かれた米露外相会談を前にロシアの一体感を示し、外交交渉で一歩も譲らない姿勢を改めて強調したという動きと捉えられていた[2]。しかし、これは2月21日のプーチン大統領による独立承認と、その後、ロシアが平和維持を目的とするウクライナ侵攻を制度的に国内で正当化するために必要な最初の手続きだったということになる。与党統一ロシアやプーチン大統領支持基盤ではなく、野党・共産党から提案されたということも法案自体の重要性に対する認識を希釈するものだったが、今思えば、後述の国家安全保障会議においての基調でもあった政府高官全員が一致して、東部独立承認を支持するという体制を、野党・共産党に提案させることで、議会でも、与党つまりプーチン大統領の発案ではなく、全政党が団結・支持し、プーチン大統領に上げるという形を採ろうとした結果であった。
ロシア下院はその後、2月15日に親露派地域を独立国家として承認するようプーチン大統領に求める決議を採択した。同日、ドイツのショルツ首相との首脳会談後の共同会見では、プーチン大統領は下院の決議を承認するのかとの問いに「議員は世論を反映し、我が国の国民の大多数はこの地域の住民に同情している」と述べただけで、独立の承認を求める世論の存在を強調したものの、独立を承認するかどうかについては明言を避けていた。
(2) プーチン大統領と欧米の思惑の食い違い
プーチン大統領が親露派地域の独立を承認する2月21日には、夕方から矢継ぎ早にロシアが同地域を独立させることを正当化するための公開ステージが用意周到に準備されていた。プーチン大統領は18:30から国家安全保障会議を開催し、21:00独仏首脳と電話会談を実施。22:35に国民向けにテレビ演説を行い、22:45には既に呼び寄せていた親露派代表者2名と共に大統領令・条約署名式を開催している。
国家安全保障会議ではラヴロフ外相、コザーク大統領府補佐官(ウクライナ問題担当)、ヴォロージン下院議長、ショイグ国防相等全ての政府要人が集まり、ドンバス・親露派地域情勢について、議長であるプーチン大統領がひとりひとりから意見を聞いた上で、最終的に同地域の独立を承認するのか判断するという形を採っている。
全ての議事録はロシアの正当性を示すべく、大統領府サイトで公開され[3]、ベースとなっている基調は「ウクライナ政府のミンスク合意Ⅱを実現しない無責任さの糾弾、ウクライナ軍によって攻撃を受ける東部に住むロシア系住民の悲惨さの強調」による民族自決を盾としたロシアによる独立承認と支援の正当化、その場合の影響を国民に対しても知らしめ、「だから私・大統領は独立承認を決断せざるを得ない」というトーンとなっている。
この会議の中で注目されるのは、報道ではナルィシュキン対外情報庁長官が大統領との問答に行き詰ったという点も指摘されているが、それよりもラヴロフ外相の説明に対するプーチン大統領の次の応答である。
プーチン大統領発言:「米国の同僚は明日すぐにウクライナをNATOに入れることはないし、ある種のモラトリアム(ウクライナを加盟させない期間)は可能と保証した。しかし、米国は今すぐにはできないと思っているだけだ。私の回答は、そのアイデアはロシアへの譲歩ではないし、ただ(いつかは加盟させる)米国の計画を実行しようとしているだけだ。(中略)我々が求めているのはモラトリアムではない」
この発言は二つの意味で重要である。まず、1月26日の米国政府からロシアに対して書面での回答が送られ、その中では前回レポートの通り、「米国はロシアと双方の安全保障の懸念について提起する書面形式を含む、取組みや協定について検討する用意がある」ということが明言されていたが、それだけに留まらず、米露外相会談では米国は恐らく口頭、非公式にウクライナをNATOに入れない期間=モラトリアムを提案していたことを公にしている点である。
そして、もうひとつの重要な点は「我々が求めているのはモラトリアムではない」という発言である。このことは欧米(特にNATOの中心たる米国)が「譲歩」し、ウクライナをNATOにしばらくの間加盟させないポジションをロシアに見せれば、ロシア軍は軍隊を引くという交渉の前提となってきたと考えられる欧米側の認識・落しどころを否定し、ロシアの要求はもっと高いところにあることを示している。
12月17日に露外務省が示した「アメリカ合衆国とロシア連邦との間の安全保障に関する条約」案の内容[4]は、欧米が受け入れる余地のないものであったし、他方、12月から1月26日の書面回答まで、1カ月半に亘って設けられた多くの高官協議と21日の外相協議の内容は、プーチン大統領を全く満足させるものではなかった。プーチン大統領にとっては、1月26日の書面回答から2月に入ったどこかのタイミングで、既に欧米との交渉を見限っていた可能性を示す発言であると解釈される。
表1 米国による書面回答(1月26日)からロシアによる書面回答、ウクライナ侵攻までの外交動向
しかし、表1の通り、2月の外交動向は4日の北京冬季オリンピック開催と、その期間は「Olympic Truce(休戦)」として、国連も7日前の1月28日からパラリンピック閉幕の7日後の3月20日まで世界のあらゆる紛争の休戦を呼び掛けていた。ロシアは12月の同決議の共同提案国であり、2014年のソチ冬季五輪でのクリミア併合という前科があるとしても(パラリンピック閉幕後の休戦期間で併合)、中国に対する配慮から侵攻はないのではないかという、やや楽観した雰囲気があったことは否定できないだろう。また、7日にはフランス・マクロン大統領がモスクワを訪問し、欧州とロシアの新たな安全保障措置について話し合い、15日にはドイツ・ショルツ首相もモスクワへ飛び、平等な安全保障もたらすための交渉開始を提案している。同日には国防省はウクライナ国境近くから演習を終えて撤収を始めたとする軍部隊の映像を公開してもいたのである。
さらに、2月17日、露外務省は1月26日の米国からの書面回答に対する返信内容を公開し、21日の独立承認まであと4日というこの時点でも、ウクライナへの軍事侵攻計画を改めて否定していた[5]。他方で、NATO不拡大要求では強硬姿勢を崩さず、米国が応じない場合は「軍事技術的措置」を取ると譲歩を迫っている。ロシアはこの中で、軍備管理の問題や偶発的衝突回避などのリスク軽減策に関する米国の回答内容の一部については「留意する」と前向きな態度を示したが、ロシアの要求に対して、米国は「総体として検討すべき」と主張。旧ソ連諸国へのNATO不拡大やNATO拡大前の1997年時点まで軍備配備を戻すこと等、ロシアの主要要求に対して「建設的回答がない」と指摘し、「安全保障におけるロシアの根本的利益」を考慮するよう訴えている。米国が経済制裁の可能性を警告しながら撤収を求めていることを「最後通告的な要求で(米露の交渉の)合意達成の見通しを損なっている」と批判もしている。その上で、緊張緩和のために、米国がウクライナに供与した武器の撤収や同国で活動する軍事教官の退去を逆に要求し、ウクライナのNATO加盟がロシアとの「直接の武力紛争」を招くとも警告していた。この時点で、ロシア政府内でウクライナへの侵攻につき、どこまでの共通認識を持っていたかどうか、不明である。米国に対し書簡を返信し、米露外交チャネルを活用する姿勢を示していたことは、結果的に世界に誤った印象を与えることになった。
[2] FNN(2022年1月20日)
[3] クレムリンHP:http://kremlin.ru/events/president/news/67825(外部リンク) 注:侵攻後、繋がりにくい状況が続いている。
[4] 露外務省:https://mid.ru/ru/foreign_policy/rso/nato/1790818/?lang=en(外部リンク)
https://mid.ru/ru/foreign_policy/rso/nato/1790803/?lang=en&clear_cache=Y(外部リンク)
3. プーチン大統領のウクライナ侵攻演説に見るNATO東方拡大問題への最終回答
2月24日モスクワ時間早朝6:00(日本時間正午)、プーチン大統領が突如国民に対してテレビ演説を行い、ウクライナへの「特殊軍事作戦」、つまり侵攻を開始することを宣言した[6]。21日に発令された親露派地域独立に関する大統領令と締結された条約には、『両地域にいる「ロシア人」を保護することを目的とした平和維持軍の派遣』が盛り込まれており、条約には軍基地の設置も含まれていることが既に指摘されていた。テレビ演説でのプーチン大統領の服装は21日と同じものであり、少なくとも21日の時点でウクライナ侵攻は確定し、ビデオメッセージを録画していたと考えられている。
テレビ演説での発言では次の点が重要な要点として挙げることができる。プーチン大統領がウクライナ侵攻の先に目指すゴールを考える上でも重要と言える。
- ドンバス地域(親露派地域)は助けを求めてロシアに目を向けた。私は特殊軍事作戦を行うことを決定した。その目標はキエフ政権によって8年間虐げられ、大量虐殺に晒された人々を保護することであり、そのためにウクライナの非軍事化(демилитаризации)と非ナチ化(денацификации)を目指す。
- ロシアの計画にはウクライナの領土の占領は含まれていない。
- キエフ政権に流血の責任。
ウクライナへの侵攻に際しては、世界から糾弾されることは充分に想定された。それでも侵攻を決断した背景には、侵攻せずに得られるモノを棄損しても構わない、多少有利に交渉が進んでいた欧米関係を破壊しようとも、また経済的不利益を被ろうとも、プーチン大統領にロシアとして守りたいものがあることをうかがわせる。それは、過去20年余りに亘って、ロシアが問題視してきたNATOの東方拡大を阻止する措置として、NATOとの対立を決定的なものとし、ウクライナをベラルーシと同様に対NATO前線基地・緩衝地帯としてロシアの影響下に完全に置くことであると想定される。ウクライナ侵攻から約1カ月、内外の専門家からは、上記ウクライナの非軍事化はウクライナをロシアの影響下に完全に置くためのプロセスを示し、非ナチ化はロシアの侵攻を正当化し、かつロシア国民を内政的に納得させる口実であるという見方を示す向きが趨勢である。
[6] クレムリンHP:http://kremlin.ru/events/president/news(外部リンク)
4. ウクライナ侵攻によって発動される対露制裁へのロシアの覚悟
ウクライナ侵攻によって、プーチン大統領は一定規模の制裁が欧米から課されることを想定しつつも、たとえ制裁発動されようとウクライナをロシアの影響下に置くということを重視するとの重要判断があったものと解される。そこには、「制裁が発動されても構わない」又は「発動して対処は可能」という判断がクレムリンに働いた可能性もある。それは次のようなロシア側の要因と、欧米側の要因がそれぞれ影響していたと考えられるからである。
まず、ロシア側には、2014年クリミア併合によって発動された欧米制裁に対して8年間に亘って何とか対応できてきたとの評価(過信)を挙げることができる。そして、欧米側では、ロシアによるウクライナ侵攻の可能性が指摘され、1月には米国で制裁法案(DUSA等)が提示されたのにも関わらず、それからひと月半もロシアを牽制するに足る具体的な制裁案を形成することが出来ていなかった。これを受けて、ロシアは「ウクライナに侵攻しても、欧米はまとまりきらず、2014年のクリミア併合時のような小出しの制裁になるだろう」と想定していた節がある。
(1) 2014年からの欧米制裁の無効化成功への自信(過信)
2014年3月にロシアはクリミアを併合し、最初の欧米制裁が発動して、丸8年が経とうとしている。当初個人や団体・企業を対象とした制裁は同年7月に発生したウクライナ上空でのマレーシア航空機撃墜事故を受けて、石油・軍事・金融セクターを対象とする分野別制裁に拡大した。石油産業については、「将来的石油生産ポテンシャルのある」分野、すなわち大水深(152メートル以深)、北極海、そしてシェール層開発に必要な資機材について、7月から実質的禁輸措置が実施された。減退する可能性の高いロシアの原油生産に対してロシアが期待を寄せているのが現在の主力生産地域と分布が重なるバジェノフ層におけるシェール層開発や大きな資源ポテンシャルを有する北極海であり、欧米制裁は外資の技術なくしては開発が進まないエリアを狙うことを目的としたものである。また、将来的な「石油(oil)」生産ポテンシャルをターゲットとし、天然ガスを対象外とした背景には、実際の原油・天然ガスの禁輸措置を行う場合にはその受益者となる欧州諸国が損害を蒙るとの判断があり、これに対する配慮があったと考えられている。同年9月には、さらに踏み込んだ制裁として資機材の禁輸を役務(サービス)にまで拡大した[7]。その後、全会一致が原則の欧州は、効果が不明瞭で、欧州企業にも影響のある新たな種類の制裁を課すことを躊躇い、既存制裁の延長を繰り返してきた。他方、米国はオバマ政権下の2014年12月にウクライナ自由支援法(大統領は署名するが発動はせず)、トランプ政権下で新たな制裁法CAATSA(2017年8月)や2019年12月には国防授権法に相乗りする形でNord Stream 2等をターゲットとする新たな制裁を発動してきた。
しかし、この8年の間、足元の生産量ではロシアは、コロナ・パンデミック前の2019年に原油及び天然ガスともソ連時代を含めても過去最高値を記録していた。制裁の対象となった北極海開発でも2014年9月の制裁発動直後に確認されたRosneft及びExxonMobilによるカラ海でのパビェダ(勝利)鉱床の発見後、継続的にカラ海にてRosneft及びGazpromによる試掘・評価井の掘削が行われており、大規模炭化水素の賦存が確認されている。さらにもうひとつの制裁対象分野であるシェール層開発については、米国のシェール革命に倣い、ロシアでも2012年前後に複数の外資とシェールオイル開発技術導入に同意していた。これらは制裁発動によってサスペンドとなったと見られていたが、LUKOILやGazprom Neft等ロシア企業が独自に開発を行っており、その成果も出てきている。例えばGazprom Neftはシェールオイル開発の生産コストについて、2017年はバレル当たり68.5ドルだったものが、2019年には29.2ドルへ圧縮することに成功し、2021年に19.4ドルとなると発表している[8]。また、シェールオイル開発技術における輸入代替比率は遂に95%以上に達したとしている[9]。
このように、制裁環境は逆にロシア自らの産業能力向上を促し、2014年に53%だった石油ガス産業の対外依存度を2021年には13ポイント下げるという効果も生んだ(図2)。決定的だったのはNord Stream 2である。2019年12月に完成する予定だったNord Stream 2は米国制裁によって外資が撤退し、1年間弱のサスペンドに追い込まれたが、オペレータであるGazpromは独自で海洋パイプラインを敷設するというロシアにとって新たな分野に乗り出すべく、着々と準備を進めた。結果、2020年12月から敷設を再開し、2021年9月に完成に至っている。Nord Stream 2完成は、米国の制裁を無効化することに名実ともに成功し、外資依存分野をロシア主導で克服した象徴的な事例となった。制裁発動から8年、Nord Stream 2完成に至って、欧米制裁は結果的にロシアを強靭化し、ロシア自身にも耐性ができ、制裁にも対応できるだろうという自信(過信)がロシアに生まれていたと考えてもおかしくはない。
なお、海外からロシアへの直接投資額について見てみると(図3)、欧米制裁発動前後の比較では、2014年より前には年平均550億ドル規模だったものが、2014年以降は同200億ドルと半分以下に減少している。ロシアの市場と経済活動ポテンシャルしての価値が半減したことは確かだが、一方で、欧米制裁によって競争者がロシアから撤退したことを好機と捉えた欧米諸国や企業がいたことも事実であり、制裁後、直接投資を増加させている国もあった。
しかし、今回の制裁は2014年のクリミア併合時の制裁とはレベルが異なっている。具体的な内容は5.で詳述するが、2014年とは比較にならない大規模な制裁がたった2週間余りの間で発動された。欧米企業の完全撤退や既存案件を維持しつつ一時撤退・工場停止というニュースが続いているが、今回の侵攻と制裁によって、ロシアの信用は大きく揺らぎ、カントリーリスクは一朝一夕では払拭できないレベルまで高まっている。今後外国の新規投資は極めて減少し、投資残高も大幅に低下することはほぼ確実と見込まれる。
図3 ロシアの直接外国投資総額(左)と主要国の対露直接投資(右)の推移(2014年前後の比較/単位:百万ドル)
出典:ロシア中央銀行統計[10]よりJOGMECと
[7] 拙稿「米国による対露制裁:これまで観測された注目すべき8つの事象」(2020年2月26日)
https://oilgas-info.jogmec.go.jp/info_reports/1008604/1008706.htmlも参照されたい。
[8] Tass・IOD(2020年3月16日)
[9] Vedomosti(2021年2月18日)
[10] ロシア中央銀行統計:http://www.cbr.ru/eng/statistics/macro_itm/svs/(外部リンク)
(2) 欧米による今次制裁取り纏めの遅れとそれに対するロシアの軽視
2021年12月以降、ウクライナ侵攻の懸念が高まる中、欧米では事態が生じた場合に具体的にどのような制裁を発動するべきかにつき議論は行われていた。米国では1月12日に制裁法案(DUSA)[11]が出され、米国政府が差し迫ったウクライナ侵攻を訴えるも、上下両院で議論が続き、ウクライナ侵攻の24日時点でも合意に至らない状況が続いていた。この背景には「彼我への影響に鑑みれば、プーチン大統領はメリットより不利益の多いウクライナ侵攻という判断は行わないだろう」という認識が、欧米政府内でも多かったためと考えられる。また、ウクライナ侵攻という第二次世界大戦以降、欧州が経験したことのない域内での大規模な戦争という事象が顕在化しない時点では、欧米ではロシアに厳しくすればするほど、返り血を浴びる量も増えるという懸念もあって、具体的な制裁メニューについての真剣な議論が進まなかった可能性もある。ロシアはそのような欧米の状況を見て、ウクライナへ侵攻しても欧米は一枚岩で厳しい制裁を発動できないのではないか、2014年のクリミア併合の時と同じような小出しの制裁に留まるのではないかと、欧米制裁を軽視した可能性がある。
しかし、ロシアの目論見は外れ、ロシアによるウクライナ侵攻によって岐路に立たされた欧米制裁は、数日の間に足並みを揃え、波状的にロシア経済に深刻な影響を与える制裁の発動へと至ることになる。
[11] 2月18日発表の拙稿「ロシアによるウクライナ侵攻という通説の裏にあるロシアの真の意図は何か」に詳細。
5. ロシアの予想に反して急速な結束に成功した欧米制裁とその発動
図4にロシアによる親露派地域の独立承認(2月21日)とウクライナ侵攻(2月24日)を受けて発動された各国の制裁をまとめる。執筆時点での詳細内容は末尾に各国・時系列毎にまとめているので併せて参考にされたい。
2月22日から発動された制裁は、たった2週間の間で、6つの大きな波(注:図4では第七波も記載しているが、執筆時点では主要国の制裁措置が一部未発動のため破線で示している)となって、ロシアの金融セクターを中心に蹂躙することになった。これら制裁のマグニチュードがいかに大きいかは、2014年のクリミア併合時と今次ウクライナ侵攻における制裁発動時のルーブル為替の変動を見ると明らかだ。上げ幅では双方とも二倍のルーブル安となっているが(図5)、2014年は10カ月で市況が徐々に変化し、最終的に年末の米国の新制裁法であるウクライナ自由支援法のオバマ大統領署名を受けて大きく下落したのに対し、今次ウクライナ侵攻では2週間に満たない間で二倍のルーブル安となっている。また、対ドル・ルーブル減価も77ル―ブルから最大で145ルーブルと史上最安値を更新した。2014年時点も最安値を更新したが、当時が36ルーブルから68ル―ブル、つまりその差の32ルーブルが10カ月余り掛けて現れた見掛け上の欧米制裁による経済圧力効果ということになる。今回は高油ガス価情勢にもかかわらず、2014年の2倍以上の68ルーブル(77ルーブルから145ルーブル)という制裁効果がたった2週間の間で顕在化したことになる。
これら制裁の結果、ロシア政府だけでなく、時価総額で各社数百億ドルという評価を与えられていたロシア主要企業も軒並み株価を暴落させた。ロシアがウクライナ侵攻を始める直前の2月23日と3月2日の終値ではGazpromは91%、Rosneftは89%も下落している。これを受けて、モスクワ証券取引所では2月25日を最後に株式取引が停止され、ロンドン証券取引所も3月3日に上場するロシア関連企業27社の株式(預託証券)の取引を停止することを決定している[12]。
図4で示した6つの波の中で、ロシアに大きな制裁効果を与えた制裁の「波」とその特徴を抽出してみたい。なお、プーチン大統領を含む個人制裁の拡大も今回の制裁群の特徴となっているが、個人制裁そのものは2014年から継続しており、実効性よりも懲罰的・象徴的な意味合いしかないことから、本稿では詳細を扱わない。詳細は巻末を参照されたい。
[12] ロイター・日経(2022年3月4日)
(1) 第二波:欧米が大規模経済制裁パッケージを発動
欧米そして英国が、ロシアに最大かつ永続的な苦痛を与えるべくこれまでで最も厳しい制裁を課すと銘打った制裁である。特に別名「ロンドングラード」と呼ばれ、ロシア富裕層・オリガルヒの多くが資産を有する英国は、他の欧米諸国と比べても一段と厳しい制裁を課し続けているが、その最初に出されたものが第二波であり、英国内の全てのロシア銀行資産を凍結するという、ジョンソン首相の言葉を借りれば、「歴史上最大の金融制裁」である。
他の欧米は全銀行を対象とはしていないが、米国はリテールも含む大手金融機関であるVTBやロシア国内でも影響力の大きい銀行を、米国にとって国家安全保障への脅威となり得る対象として指定し、最も厳しい制裁であるSDN[13]対象にした。SDN対象に大企業や大手金融機関を加えることは、その対象との取引を全世界的に禁止することになり、大きな混乱が生じる。例えば、2018年4月にオリガルヒ・デリパスカが保有する会社で世界のアルミ生産の6%を占めるRusalが突如SDNに指定された際には、同社が生産するアルミ取引が国際市場でキャンセルされる事態となり、価格が高騰し、市場に混乱をもたらした。米国政府はその後6カ月間の取引猶予期間を発表するが、後手に回り、批判にも晒され、最終的に同年12月に同社SDN解除に至ったこともある。今回は、欧米もそのような市場への影響という「返り血」を織り込んでの制裁発動となった。実際、指定されたVTB等を経由する貿易決済ができなくなる他、プロジェクトファイナンスを組成する銀行にも名を連ねる主要銀行がSDN指定されたことで、複数のプロジェクトで問題が発生することも予想される。また、国内最大手のSberbankにはコルレス口座・ペイアブルスルー口座凍結によるドル取引システムからの排除という新たなCAPTA制裁[14]が発動された。Sberbankがドル取引から排除されることで、どのような効果が望めるのか、実験的な意味合いもあると考えられる(バックフィル(他通貨へのシフト)がどのように進むのか見極めるべく、Sberbankを抽出か)。
他方、Sberbankを含む5行を対象としたSSI制裁[15]は、2014年から既に存在し、これまでも90日→60日・30日→今回の14日と償還期間を短縮することで「厳格化」を打ち出してきた方法だが、効果が限定的であることも判明している。新たにヤマルLNGプロジェクトの出荷に必要な砕氷LNG船を運行するSovcomflotやロシア鉄道、Alrosa(ダイアモンド)、Gazpromが加わったが、SSIである以上、大きな制裁効果は見込めないだろう。また、ハイテク分野の輸出管理規制は今回大きな影響をもたらすべく検討されてきたメニューだが、中国その他からの輸入代替の動向が注目される。
欧州は金融機関に対する制裁では米英より一段遅れている。これは意思決定に加盟国の全会一致が必要なことに起因するもので、次項・第三波のSWIFT排除でも時間を要している。今回の経済制裁パッケージでは、米英に先駆けて、エネルギー分野での制裁「ロシアの石油精製産業への製品の輸出管理規制」を打ち出している。これにはその後、日米も追従した。しかし、石油製品自体の禁輸(米国のみ3月8日に発動)ではなく、製油所で使用される製品・技術のロシア向けの禁輸に止まっている。
[13] SDN:Specially Designated Nationals (and Blocked Persons)
[14] CAPTA:Correspondent Account of Payable-Through Account Sanctions
[15] SSI:Sectoral Sanctions Identifications
(2) 第三波:SWIFT排除とロシア中銀に対する市場介入能力削減を目指す
2月26日、欧州委員会、フランス、ドイツ、イタリア、英国、カナダ及び米国が共同声明という形で、遂に国際銀行間通信協会が提供する電子送金システム(SWIFT)からの特定ロシア銀行の排除を発表した。報道では「金融の核爆弾」とも比喩されるこの制裁は、イランに対しても実施され、同国の経済締め付けで大きな効果があったことが立証されている手段でもある。侵攻前にもSWIFT排除が制裁メニュー候補となっているという情報が出ていたが、この発動はロシア産エネルギーに代表される輸入品に対する欧米側の支払い手段を閉ざすことになり、結果、ロシア産エネルギーフローを自ら止めることになることから後ろ向きの国も多かった。共同声明から対象ロシア銀行の特定発表(3月2日)まで時差があることも、調整に時間がかかったことを物語っている。しかし、侵攻からたった3日で主要国が瞬く間に合意に至ったことは、ロシアも想定していなかったのではないか。その後、SWIFT排除の制裁には日本、ノルウェー、韓国、スイスも加わり、さらに強化されている。
SWIFTからの排除によって、対象ロシア銀行が国際送金システムから孤立し、ロシアに対する支払いもできなくなる事態が発生する。欧州石油ガス需要家がロシアに対する支払いができなくなり、ロシアは「契約に従って」石油ガスを止める状況も生まれることになることにも留意が必要である。対象となるロシアの金融機関は、(1)Bank Otkritie、(2)Novikombank、(3)Promsvyazbank、(4)バンク・ラシーヤ、(5)Sovcombank、(6)対外経済銀行(VEB)、(7)VTBの7行と指定され、2022年3月12日以降とこれら金融機関との取引停止猶予期間が10日間設定された。ロシアの資産高大手10行の内、制裁対象となったのは3行(Bank Otkritie、VTB、Sovcombank)のみであり、Gazprombank、Alfa Bank等の有力銀行は制裁から外れている。したがって、これらの制裁から外れている銀行経由での海外送金は現時点では可能となっている。これは、制裁の効果を見定めるとともに将来的な制裁第二弾の余地を残したものと考えられる。
SWIFTに対する制裁については、規模は全く異なるが、ロシアがそのような事態に対抗するべく2014年から開発し、運用の始まっているロシア版SWIFTであるSPESや中国人民元の支払いに運用されている中国版SWIFTであるCIPSの存在が(図7)、SWIFT制裁を無効化してしまうバックフィルとなる懸念が示されてきた。しかし、今回各国の制裁原文では、SWIFT(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication)という名称は用いられず、「特殊金融メッセージングサービス(specialized financial messaging services)の提供を禁止する」となっている。つまり、バックフィルとなることが噂されるロシア版SWIFT(SPES)や中国版SWIFT(CIPS)も同様のサービスを提供するものとして包含するとも読める内容となっている。
たった2週間余りの間でルーブルの価値は暴落し、98年のアジア通貨危機によるデノミ・デフォルトを想起させるような事態に陥ったロシアは、石油ガス収入からの積み上げによって、6,430億ドル(約70兆円/2月時点)という過去最高の残高を誇る外貨準備高を放出し、ルーブルを買うことでその価値を維持する方策を執るのが定石である。しかし、第三波の制裁では、SWIFT制裁のみならず、ロシア財務省・ロシア中銀及び国民福祉基金を対象に、それら外貨建て準備金の活用を阻止する措置(米ドル:16.4%、ユーロ:32.3%、人民元:13.1、英ポンド:6.5%、日本円:5.7%等各国がそれぞれの中央銀行に保管するロシア政府口座の凍結)が追加で打ち出された。3月13日、シルアノフ財務大臣はロシアの外貨準備高の内、約3,000億ドル相当が現在使うことができない状況にあることを明らかにしている。ロシア政府は現在制裁に加わっていない中国の人民元について、欧米が中国に圧力を掛けているのかを注視しており、今後露中協力を拡大させていく方針も示した[16]。
世界第5位の規模を誇る虎の子の外貨準備高を押さえられたことは、ロシアにとっては深刻な痛手である。2014年の欧米制裁に対する過信から各国がそこまでの制裁を課すとは考えていなかった可能性がある。
[16] Bloomberg(2022年3月14日)
(3) 第五波:英国及びカナダがロシア船籍、ロシア人が保有する船舶の自国港湾利用の禁止措置を発動(実質的な原油・石油製品・LNG禁輸へ派生するもの)
これは2月27日にEUが主導した空域封鎖から派生する措置であるが、空域と違う点は、大規模物流に影響を及ぼす制裁となることである。この時点まで、エネルギー分野には前述の通り、石油精製分野への製品・技術禁輸しか制裁が発動されていないはずだったものが、この英・カナダの制裁発動によって、ロシア船籍・ロシア人が保有する原油・石油製品・LNGを輸送するタンカーの入港もできなくなった。さらにその範囲はレピュテーション・リスクを過剰に懸念する者により拡大し、ロシア産物品を運ぶこと自体がリスク視され、所有者・管理者問わず、ロシア産原油・石油製品・LNGの実質的な禁輸措置に発展していく可能性がある。
(4) 第六波:カナダ、米国及び英国による原油禁輸/欧州によるロシア産化石燃料依存低減の共同コミュニケ発表
上記第五波(英国及びカナダ)に続き、カナダ(2月28日)、米国・英国(3月8日)が禁輸措置を遂に発表した。欧州委員会でも検討が始まったが、エネルギー禁輸制裁は加盟国のエネルギーミックスの多様性による調整の難しさもあり、最終的に共同コミュニケとして、「ロシア産化石燃料の依存低減を目指す」という、加盟国に対する欧州委員会からのガイドラインという形に留まっている。
国・地域 | 内容 | ロシア依存度 | 方法 |
---|---|---|---|
カナダ | 原油(crude oil)(注)当初原油だった。 | 原油・石油製品:0% | 自国生産 |
米国 | 原油、石油、石油燃料、油及びそれらの蒸留製品、LNG、石炭及び石炭製品 | 原油:3.3% 石油製品:20.1% LNG:0% |
代替供給源模索。 (ベネズエラ制裁解除か) |
英国 | 石油(oil/石油製品を含む) | 石油:8% | 代替供給源模索。 |
EU | ロシア産化石燃料への依存からの脱却(共同コミュニケ) | 原油:28.2% 天然ガス:32.9% |
代替供給源・燃料ミックスを模索。 |
出典:公開情報よりJOGMEC取り纏め
表2の通り、第六波の禁輸制裁はまず各国で対象内容が異なること、そして、カナダ、米国、英国とも産油ガス国であるという特徴がある。欧州も域内に生産油ガス田を持っているが、既に減退中であり、その事情の違いも各国の制裁内容の相違に表れていると言えるだろう。
第六波の動きによって、ロシア産エネルギーはいつ禁輸となり、差し押さえられてもおかしくないという認識が市場に拡大し、買い控える動きが広がる可能性がある。既に、足元でロシアの原油輸出フローが少なくとも3分の1、日量約250万バレル減少したという報道も出てきている。ロシアは通常、日量470万バレルの原油と同280万バレルの石油製品を輸出している。原油輸出の内、主要パイプラインによって輸送された日量180万バレルはこれまでのところ影響を受けていないが、海上輸送原油(主にバルト海、黒海、ロシア極東のコジミノ港を経由して出荷される原油)は、買い手を見つけるのに苦労している模様だ。トレーダーは制裁に違反しないよう、またロシアのウクライナ侵攻が広く非難されているという背景もあり、自らの信用失墜を恐れてロシア産石油の取扱いを避けている[17]。また、NOVATEKのヤマルLNGプロジェクトからのタンカーが英国、フランスに寄港できていないというニュースもある[18]。影響は石油天然ガスに留まらない。まだ禁輸制裁の対象となっていない金属鉱物でもロシア産シェアの大きいニッケル(世界供給の9.5%)やアルミ(世界供給の5.8%)、パラジウム(同43.8%)[19]においても供給不安やロシア産品の敬遠から市場価格が高騰している。これは3月7日、金取引の国際標準と広く見なされているロンドン貴金属市場協会(LBMA)が、ロシアの金精錬業者全てを公認リストから外すことを発表[20]したことも影響を与えていると考えられる。
注目されるのは最も広範な制裁対象としてほぼ全ての炭化水素を対象とした米国である。確かに米国はシェール革命による原油・天然ガスの増産によって、ロシア・サウジアラビアに並ぶ大生産国に成長している。しかし、世界最大の需要国であると共に最も成熟した石油ガス需給市場を持ち、豊富な埋蔵量を背景に原油・ガスの純輸出国に変貌したことに加え、生産・輸送コストを含めた安価な原油・石油製品を輸入することで、米国内の巨大市場での利益確保も行っている企業も多い。
図10の通り、シェール革命によって米国の原油・石油製品の輸入量は減少してきたが、特に石油製品輸入は増加傾向にある。そして、その中で大きな変化をもたらしたのが2019年のベネズエラ制裁による原油・石油製品の禁輸である。結果、同様の性質を持つロシア産石油製品であるマズート(C重油に近い性状の石油製品)が米国の精製企業から注目されるようになり、過去3年ではベネズエラの減少と反比例する形で、マズートを中心とするロシア産石油製品の米国への輸入量が増加してきた。2021年5月にはそれまで米国への最大の輸出国だったカナダを抜き、瞬間風速ではロシアが第一位の供給者にもなった。ロシアに対して当時から制裁攻勢をかけてきた米国が、その背後でロシア産原油・石油製品の依存度を上げてきたというのは皮肉だが、今回の決定によって、米国はロシア産原油・石油製品調達ができなくなった。これを受けた動きも既に出てきている。米政府高官が5日にベネズエラを訪問し、マドゥロ大統領、ロドリゲス副大統領と会談を行った模様である。制裁発動同日の3月8日にはバイデン政権がベネズエラへの経済制裁の一環で停止している同国産原油の輸入再開を協議したとされている[21]。
また、第六波制裁による市場の動揺を収めながら、欧米制裁に同調する国を増やし、制裁効果を上げるには、ロシア産原油に代わる供給余力を持つ国への増産の働き掛けに実効性があることは疑いない。その増産能力があるのはサウジアラビアに代表される中東諸国である。一度は破綻し、WTI油価のマイナスショックを経て2020年4月に復活したOPECプラス協調減産は今年末まで継続中である。生産は徐々に増加しているが、もしも中東産油国がその枠組みを超えて増産するならば、OPECプラスによる協調減産体制が崩壊することも意味する。しかし、今のところ、2020年4月以降、協調減産体制の維持に努めてきたサウジアラビアやUAEといった産油国が、ロシアと決別して、OPECプラスの連携を取り除いてまで増産を行う、と見込む専門家は少ないが、注視が必要である。
[17] IOD(2022年3月2日)
[18] コメルサント(2022年3月3日)https://www.kommersant.ru/doc/5239547(外部リンク)
[19] 日経(2022年3月8日)
[20] ロンドン貴金属市場協会HP:https://www.lbma.org.uk/articles/good-delivery-list-update-gold-silver-russian-refiners-suspended(外部リンク)
[21] 日経(2022年3月8日)
(5) スイス及びシンガポール、バハマの制裁参加
今回の制裁発動では、これまで対露制裁発動では慎重的姿勢を貫いてきたスイスやシンガポールが積極的に関与することを表明していることも特徴であり、大きな影響力も持つものである。また、最新の情報ではロシア企業が多く登記するバハマでも資産凍結が始まっている。
永世中立国であるスイスは、ソ連時代から共産党高級官僚の資産回避先として噂されてきた。そのスイスがEUの制裁パッケージを自国でも適用し、発動した意味は大きい。個人はもとよりロシア企業(特にスイスの石油トレーダー等)に拡大するのであれば、ロシアにとっては大きな痛手となる可能性がある。3月17日、スイス銀行家協会(SBA)は、スイスの銀行に眠るロシア顧客の簿外資産が総額1,500億~2,000億スイスフラン(約2,130億ドル)に上ると発表した。スイスは過去に守秘義務を理由にし、多くの開示要請に非協力的だったことで知られ、SBAによる今回の公開も異例なことと受け止められている[22]。
また、近年、シンガポールはロシア企業が好むJV登記地やタックス・ヘイブン(租税回避地)として注目されてきた。そのシンガポールでも対露制裁が始まることは、企業活動、そして海運を中心にアジアにおいても一定の影響力を及ぼすことになる。今後その具体的な制裁メニューに注目が集まる。
さらに、3月12日には、世界的な租税回避地として有名なバハマにおいても、同国金融サービス規制当局グループが、バハマの金融機関に対して、ロシア及びベラルーシの制裁対象者および事業体との取引を禁止する指令を発令し、18日には同国中央銀行が、2022年2月28日時点で、ロシア関連金融資産総額を公開(約4.2億ドルの現預金と25億ドル相当の信託資産)、凍結したことを明らかにしている[23]。
[22] ロイター(2020年3月18日)
[23] 時事(2022年3月20日)/バハマ中央銀行HP:
https://www.centralbankbahamas.com/news/press-releases/press-release-russian-exposure?N=C(外部リンク)
6. 供給者信用を失墜しかねないノヴァク副首相のタブー発言
3月8日、エネルギー大臣からエネルギー担当副首相へ昇格し、OPECプラス協調減産を中心にロシア政府のエネルギー分野のスポークスマンであるノヴァク副首相が驚くべき発言を行った。これは、5.(4)の米英によるロシア産石油の禁輸措置を受けての発言である。曰く「ロシア産原油を拒否すれば、世界市場は壊滅的な打撃を受ける。予測もできないほどの原油高に見舞われる。欧州がロシアから輸入する原油の代替輸入源を探すには1年以上かかる。ロシアからのエネルギー供給を拒否するならすればよい。ロシアには代替輸出先がある。ロシアにはNord Streamを通した天然ガス供給の停止を決定する権利がある。EUに報復するかはロシア次第だ。現時点ではこうした決定は行っていないが、欧州の政治家のロシアに対する発言や非難はロシアをその方向に後押しするものだ」と警告した[24]。
沈着冷静で高い分析力とエネルギー業界への造詣も深い同氏の、今回の発言は当然ながら米英の石油禁輸措置という今後の余波(石油禁輸に追従する国の他、前述の通り企業がレピュテーション・リスクに過剰に反応し、ロシア産石油を敬遠し、最終的にOPECプラス等、他の産油国の増産によって、ロシアの市場シェアが失われていく事態)というロシアにとっての未曽有の事態に対して、極めて感情的に出たものが外信によって配信されたものと思われるが、その中で注目すべきは、「ロシアが経済原理・契約で守られたガス供給を政治的な理由で止めることができる」と公言したことである。
もし政治的な理由でエネルギーフローを止めることを公言する産油ガス国があった場合、買い手はいつ止められるか分からないそのような国からエネルギーを買う契約をするだろうか。答えはもちろん否である。そして、そのエネルギーにロシア以外の供給ソース・代替エネルギーが存在している場合には尚更である。
これまでロシアは、ソ連時代から欧州に対しても世界に対しても安定的・信頼のおける供給者として、政治的理由でその原油、石油製品、天然ガスを停止したことはなかった。それは外貨獲得のため、財政の要を守るためであり、冷戦時代においてもその流れが止まることはなかった。2018年6月、ソ連時代西側陣営で初めてソ連産天然ガス輸入を開始したオーストリアのOMVは、半世紀を迎えたロシアからの天然ガス供給を称え、「過去50年間、我々はロシアから信頼できるガス供給を受けており、産業及び家庭に高品質の天然ガスを中断することなく提供することができている。これはGazpromとのパートナーシップを長期的に拡大する優れた基盤となっている」と持ち上げている[25]。
今回のノヴァク副首相の発言は、ウクライナ侵攻がもたらそうとしている欧州軍事安全保障の瓦解と再編だけでなく、エネルギー分野においても、半世紀以上の信頼のある安定供給者であったロシアが長年築いてきた信用を失墜しかねないタブー発言であり、その真意とともに今後のリパーカッションが注目される。早期にノヴァク副首相が発言修正又は撤回することが望ましいが、それほど今回の制裁によるショックが大きかったということも示すものでもある。
[24] ロイター(2022年3月8日)
[25] OMV社HP:https://www.omv.com/en/news/50-years-of-reliable-supplies-of-Russian-gas-to-Austria(外部リンク)
7. 「中露蜜月」再び:「シベリアの力2」への早期合意か
2014年5月、クリミア併合から2カ月余り、今回と比較すればある意味軽微であった欧米制裁によって、ロシアが国際的に孤立する中で、中露は東シベリアのチャヤンダ及びコヴィクタ・ガス田から新たなパイプライン「シベリアの力」を通して、中国へ年間38BCMを30年間供給する「4000億ドルに上る史上最大の長期ガス売買契約」に合意した[26]のをご記憶の方もいるだろう。
正にデジャ・ヴュである。米英による禁輸政策とその拡大、EUによるロシア産エネルギー依存の低減等を背景に、ロシアの志向が大需要国である中国に向かう可能性がある。既に欧州向け天然ガスと同じ供給源である西シベリアからの新たなパイプライン「シベリアの力2」(年間輸送容量50BCM)について、経由・トランジット国となるモンゴルとの間で実現可能性調査が進められている。
[26] 拙稿「12月2日、中露天然ガス供給パイプライン「シベリアの力」が稼働を開始」(2019年12月3日)
https://oilgas-info.jogmec.go.jp/info_reports/1007679/1007948.html
「「シベリアの力」対中天然ガスパイプライン稼働から1年。価格、稼働実績、アムールGPPの進捗、新たに検討されている「シベリアの力-2」構想の現況を振り返る」(2021年2月16日)
https://oilgas-info.jogmec.go.jp/info_reports/1008924/1008958.htmlも参照されたい。
2021年11月、モンゴルのサインブヤン・アマルサイハン副首相は、「シベリアの力2」のモンゴル区間(960.5キロメートル)の建設が2024年に開始されるとコメントしている[27]が、ロシアとモンゴルでは調査が進んでいる一方で、買い手であり、資金負担する側の中国からの情報発露はほぼ皆無という状態が続いていた。11月29日には第3回中露エネルギービジネスフォーラムが開催され、中国共産党中央政治局常務委員の韓正国務院副総理が開幕式に出席。ロシアはベロウソフ副首相、ノヴァク副首相、セーチンRosneft社長が訪中しているが、「シベリアの力2」パイプライン当事者のミレルGazprom社長は参加していない。15件の成果文書に署名しているが、そこにも対中ガス供給に関するものは含まれていなかった[28]。2月4日、北京冬季オリンピック開会式に出席するべく訪中したプーチン大統領と習近平国家主席は4日に昼食会を開き、天然ガスや金融インフラに関する協力深化について協議する予定と発表があった。モンゴル経由で中国に新たなガスパイプラインを建設する内容が議題として検討されているとされていたが[29]、そこでも特段大きな動きはなかった。その代わり、GazpromとCNPCはサハリンを供給ソースとして想定し、既にウラジオストクまで敷設されているSKVパイプラインから中国へ新たな支線を建設し、年間10BCMの天然ガスを25年間に亘って供給する契約に合意している。この計画は2017年12月に既に基本合意書が締結されていたもので、その後、動きが見られていなかった。北京訪問団にもミレル社長は同行しておらず、今回締結した契約では価格、供給時期等詳細についてどの程度取り決められているのかは不明である。
2014年5月の合意では、孤立するロシアは中国に対してガスの販売価格で相当な譲歩を行ったことが推察されている。図12の通り、稼働から過去2年の実績を見ても、「シベリアの力」を経由して中国に輸出されているロシア産パイプラインガスは他のソースの中で最も安い価格帯にあることが分かる。
[27] Interfax(2021年11月11日)
[28] 中国石油(2021年11月30日)
[29] ロイター(2022年2月2日)
今回のウクライナ侵攻による欧米制裁によって、深刻な痛手を負うロシアは、ロシア離れを加速する欧州諸国の市場を代替するべく、中国への歩み寄りを強めることは確かである。しかし、そこには次の4つの問題を孕むことになる。
(1) 中露蜜月とは裏腹に価格・契約条件で中国に譲歩せざるを得ないロシア。
(2) 欧州というドル箱市場(年間170~200BCM)をそっくり代替する市場に中国はなり得ない。
(3) 世界で最も高価な天然ガスパイプラインと言われている「シベリアの力」(680億ドル)をはるかに凌駕する可能性のある「シベリアの力2」の巨額建設コストをいかに捻出するか。
(4) 「シベリアの力」よりもロシア国内の輸送距離が長く、モンゴル経由によってトランジット料が上乗せになる「シベリアの力2」の価格と、「シベリアの力」既存契約価格、そしてロシア産LNG価格との整合性をどう図るか。
いずれにせよ、今後のロシアによる中国への摺り寄りと中国の対応に注目が集まる。
参考 ロシアによる親露派地域の独立承認(2月21日)とウクライナ侵攻(2月24日)を受けて発動された各国の制裁及び欧米メジャー等の対応
2022年3月25日時点
今次発動された各国の制裁・時系列
以上
(この報告は2022年3月29日時点のものです)