ページ番号1009453 更新日 令和6年10月21日
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(注) 2023年2月6日追記:表5及びその関連部分を差替え
概要
- 2000年代後半に大規模ガス田が発見されて以来、東地中海ガス田から欧州へのガス輸出は常に議論の的となってきた。現在、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を機に、「脱ロシア」ガス供給源としての東地中海への注目はこれまでになく高まっている。本稿では、東地中海ガス田の欧州向けガス輸出について、その可能性と課題を検討するものである。
- 東地中海では、イスラエル、エジプト、キプロスの沖合において大規模ガス田が開発されている。
- イスラエルでは、現在生産中のタマルガス田、リヴァイアサンガス田を中心に、今後数年間の欧州へのガス輸出の主力を担っていくと考えられる。
- エジプトには、東地中海最大規模のゾールガス田が存在するも、国内ガス需要の増大と国内ガス生産量の減少によって、持続的な輸出余力には疑問が残る。
- キプロスでは、現在生産中のガス田は存在しないが、アフロディーテガス田等の数兆立方フィート規模のガス田が複数発見されており、開発時期は未定ながら現在でもメジャー各社が活発に探鉱活動を実施していることから、既生産ガス田が存在するイスラエルに比べると不確実性は残るものの、今後数年間にわたって多くのメジャー企業が関与する有望な探鉱対象地域であり続ける可能性が高い。
- 「今」、東地中海ガス田から欧州へのガス輸出量を増加させるために、エジプトの既存LNG輸出基地からの輸出拡大が追求されている。エジプトから欧州へのLNG輸出が市場メカニズムを通じて増加傾向にある他、EU・イスラエル・エジプト間のMOUを背景に、ENIとシェブロンがLNG輸出量増加を目指す上下流双方の取り組みを着実に推進している。
- 「将来的に」、東地中海ガス田から欧州への持続的なガス輸出を実現するために、イスラエルのリヴァイアサンガス田フェーズ1B拡張事業、キプロスのアフロディーテガス田の統合開発事業に関して(1)エジプトの既存LNG輸出基地、(2)キプロス沖FLNG、(3)東地中海パイプライン、(4)トルコ経由パイプラインという4つの潜在的輸出ルートが検討されている。現在オペレーターのシェブロンは(1)、(2)を優先オプションとして検討しており、2023年上半期には開発方針を決定する予定であり、コストや事業者・政府のギャップが選択の焦点となるだろう。
- 現在の東地中海ガス田開発には、イスラエル初となるメジャー企業シェブロンの参入、欧州でのガス需要の高まり、イスラエルとアラブ諸国・トルコとの関係改善等、東地中海に存在する政治的なハードルを下げるような好材料が複数存在している。これらの材料を東地中海の関係国・関係企業が上手く活用し、欧州へのガス輸出をさらに持続的に増加させることができるか、今後も注視していく必要がある。
1. はじめに
2022年2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が生じて以降、欧州諸国はロシア産エネルギー依存からの脱却を急速に進めようとしている。欧州諸国はロシアに代わるガス供給源として、既にLNG大国の地位を確立しているカタールや米国に加え、北アフリカやノルウェーといった欧州にとって地理的に近い産ガス国・地域にも着目している。その中でも今後十分な輸出能力を持つと期待されているのが、東地中海に位置するイスラエル・エジプト・キプロスの沖合ガス田である。
東地中海ガス田が「脱ロシア」ガス供給源として注目されたのは今回が初めてではない。2009年のイスラエル・タマル(Tamar)ガス田の発見を初めとして、東地中海において次々と大規模ガス田が発見された時点から、欧州へのガス輸出の可能性は常に意識されてきた。東地中海でのガス田発見は、2014年のロシアによるクリミア併合によって欧州のロシア産エネルギー依存が問題視された時期と重なり、「東地中海パイプライン(East Med Pipeline)」[1]や浮体式天然ガス液化設備(FLNG)等を通じた東地中海から欧州へのガス供給に関する議論が活発に行われた。しかし東地中海から欧州への輸出は多くの課題が存在する。それぞれの輸出ルートは、商業的・技術的な課題に加え、東地中海沿岸の複雑な海洋境界紛争を背景とした政治的な困難にも直面してきた。
2020年10月のシェブロンの東地中海ガス田への参入や2021年以降の欧州におけるガス需要の高まりによって、東地中海ガス開発への期待はこれまでになく高まっている。東地中海ガス田から欧州へのガス輸出は遂に実現するのか。実現するとすれば、どのような輸出ルートが活用されるのか。本稿では、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻で注目が集まる東地中海ガス田の欧州向けガス輸出について、その可能性と課題を検討するものである。
本稿では以下のとおり検討を進める。第一に、検討の前提として、東地中海で2000年代後半から発見されたイスラエル・エジプト・キプロス沖合ガス田の現在の開発動向を概観する。第二に、欧州へのガス輸出ルートを現在と将来とに区分し、それぞれの可能性と課題を検討する。東地中海で現在検討されている輸出ルートは必ずしも欧州に向けて即座にガスを輸出することを目的としておらず、あくまで数年以上先のガス供給を見据えた計画となっている。そのため、それぞれの輸出ルートの時間軸を認識し、区分して議論することが重要である。
2. 東地中海ガス田とは?
まず、東地中海でこれまでに発見された主要ガス田の開発動向を整理する。東地中海では主に2010年代に、イスラエルのリヴァイアサン(Levithan)ガス田、キプロスのアフロディーテ(Aphrodite)ガス田、エジプトのゾール(Zohr)ガス田等、埋蔵量が10Tcf(兆立方フィート)を超えるガス田が次々と発見された(図1)。その後近年に至るまで、東地中海でのさらなる大規模ガス田の発見を目指し、メジャー企業を中心とする探鉱活動が活発に行われている。
(出所:川田(2020)[2])
(1) イスラエルの主要ガス田開発動向
イスラエルは東地中海におけるガス発見によって、ガス輸入国からガス輸出国へと転換した。ともに可採埋蔵量が10Tcfを超えるタマルガス田とリヴァイアサンガス田は、洋上プラットフォームを通じてイスラエルのガス需要を十分に満たすガスを国内市場に提供している。それに留まらず、両ガス田はこれまでエジプトからのパイプラインガスの輸入に用いられてきた東地中海パイプライン(EMG)等を通じて、イスラエルからエジプトとヨルダンへのガス輸出を可能にした。特にリヴァイアサンガス田では、当初オペレーターを務めた米国独立系開発企業ノーブル・エナジー(Noble Energy)を2020年10月に買収したメジャー企業のシェブロンによって、生産能力を日量12Bcf(10億立方フィート)から日量21Bcfまで増強するための追加開発(フェーズ1B)が計画されており、イスラエルのガス輸出量をさらに増加させることが期待されている。
ガス田 | 可採埋蔵量 (天然ガス) |
ガス生産能力 | 事業者 | 発見/生産年 |
---|---|---|---|---|
タマル | 10.5 Tcf | 1.1 Bcfd | Chevron (25%)、Isramco Negev 2 (28.75%)、Mubadala Petroleum (22%)、Tamar Petroleum (16.75%)、他2社 | 2009/2013 |
リヴァイアサン | 22.7 Tcf | 1.2 Bcfd | NewMed Energy (45.34%)、Chevron (39.66%)、Ratio Energy (15%) | 2010/2019 |
カリシュ | 1.4 Tcf(2P) | - | Energean (100%) | 2013/2022(予定) |
カリシュ・ノース | 1.1 Tcf(2P) | - | Energean (100%) | 2019/2023(予定) |
タニン | 0.9 Tcf(2P) | - | Energean (100%) | 2011/未定 |
(出所:各社公表資料からJOGMEC作成)
この他、英国の独立系開発企業エナジーン(Energean)が操業するカリシュ(Karish)ガス田、カリシュ・ノース(Karish North)ガス田の開発動向も注目に値する。これらのガス田には2022年6月にFPSO(浮体式石油・ガス生産貯蔵積出設備)が到着し、主に国内市場への供給を目指して開発が進められている。さらにエナジーンは2022年5月にイスラエル沖Block 12鉱区のアテナ(Athena)試掘井において0.28Tcfのガスを発見しており、今後さらに大規模なガスの胚胎が期待されるオリンパス(Olympus)地域での探鉱活動も進めていく方針である[3]。
以上のように、イスラエルにはタマルガス田とリヴァイアサンガス田といった生産中の大規模ガス田の他、まさに現在探鉱・開発活動が活発なカリシュガス田等も存在しており、今後の欧州へのガス輸出の中核を担うことが可能である。
(2) エジプトの主要ガス田開発動向
イタリアのENIによって2015年8月に発見されたゾールガス田は、エジプトのガス輸出国としての地位を復活させる役割を果たした。エジプトでは人口増加に伴い国内エネルギー需要が急増する一方、主要ガス田の生産量が軒並み急速に減少していった。2012年頃からエジプト全体のガス生産量が減少に転じた結果、2005年から稼働していたイドク(Iduk)のELNG基地(年720万トン)及びダミエッタ(Damietta)のSEGAS LNG基地(年500万トン)も操業停止に追い込まれた。しかし、2015年8月にENIが東地中海においてゾールガス田を発見し、発見から2年というスピードで生産開始に至った。ゾールガス田は2021年2月には日量3.2Bcfの生産量を記録し、上述したLNG輸出基地の操業再開を可能とした。
ガス田 | 可採埋蔵量 (天然ガス) |
ガス生産能力 | 事業者 | 発見/生産年 |
---|---|---|---|---|
ゾール | 30 Tcf | 3.2 Bcfd | ENI(50%)、Rosneft(30%)、BP(10%)、Mubadala Petroleum(10%) | 2015/2017 |
(出所:各社公表資料からJOGMEC作成)
ゾールガス田の発見にも拘わらず、エジプトのガス生産の見通しは明るくない。その理由は第一に、ゾールガス田にもこれまでの主要ガス田と同様に生産量減少の兆しが表れていることにある。2021年2月に日量3.2Bcfを記録した後、早くも同年3月にはガス田の掘削過剰によるウォーターカット[4]の上昇が指摘され始めた。当初ENIは一時的な問題であると主張したものの、2021年第4四半期には日量2.66Bcfの生産量に留まり、最大生産量を持続できないことが明らかになった[5]。第二に、エジプトにおけるゾールガス田以外の新規ガス田の開発が停滞していることも問題だろう。BPが操業する西ナイルデルタ地域のレイブン(Raven)ガス田は、当初予定していた2019年末から大きく遅れて2021年4月に生産を開始したが、生産設備に関連する問題が発生し、生産不調が続いている。また、西ナイルデルタ地域における多くの油ガス田で急速に生産量が減少していったことを考えると、レイブンガス田の供給持続性も期待できないという声も存在する[6]。
このように、エジプトはゾールガス田の発見によって天然ガス純輸入国に転じる危機から救われたものの、増加し続けるエジプト国内のガス需要に加え、各油ガス田におけるウォーターカットの上昇や停電の頻発等が、供給能力の維持に関する懸念材料として存在している。
(3) キプロスの主要ガス田開発動向
2011年12月のノーブル・エナジーによるアフロディーテガス田の発見は、キプロスでのメジャー企業による探鉱ブームの嚆矢となった。2018年2月にはENIとTotalEnergiesによって「ゾールガス田と似た構造」を持つカリプソ(Calypso)ガス田が、2019年2月にはエクソンモービルによって前者と同程度の規模を持つグラウコス(Glaucus)ガス田が発見された。さらに、2022年8月22日にもENIとTotalEnergiesが、カリプソガス田と同じBlock 6に位置するクロノス1(Cronos-1)試掘井において、2.5Tcfのガス貯留層を発見したことを発表した[7]。
ガス田 | 可採埋蔵量 (天然ガス) |
ガス生産能力 (2021年) |
事業者 | 発見/生産年 |
---|---|---|---|---|
アフロディーテ | 4.6 Tcf | - | Chevron(35%)、NewMed Energy(30%)、Shell(35%) | 2011/未定 |
カリプソ | 6-8 Tcf | - | ENI(50%)、TotalEnergies(50%) | 2018/未定 |
グラウコス | 5-8 Tcf | - | ExxonMobil(60%)、Qamar Energy(40%) | 2019/未定 |
(出所:各社公表資料からJOGMEC作成)
キプロスで最も開発が進展しているアフロディーテガス田に関して、シェブロンとそのパートナー企業から生産開始時期に関する公式発表はなされていない。他方、キプロスのラコトゥリピス(Lakkotrypis)エネルギー相の2019年の発言によると、同ガス田は2024~2025年に生産を開始する見込みである[8]。それ以外のガス田では貯留層の追加評価が予定されており、生産開始は2025年以降になると考えられる。つまり、キプロスの主要ガス田から欧州への輸出は早くとも2~3年後であり、欧州でのガス不足を解消する即効薬にはならないだろう。しかし、アフロディーテガス田のオペレーターであるシェブロンは、同ガス田の開発とイスラエルのリヴァイアサンガス田拡張事業(フェーズ1B)を統合開発することを検討しており、キプロスの主要ガス田は欧州への短期的なガス供給源とならなくとも、欧州への輸出を中長期的に補強する要因となる可能性がある。また、有望な探鉱結果が見られることから、少なくとも今後数年間にわたって多くのメジャー企業が関与する有望な探鉱対象地域であり続けるだろう。
3. どのように欧州に輸出するか?
2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を機に、欧州の「脱ロシア」ガス供給源としての東地中海の重要性はこれまでになく高まり、それに伴い東地中海から欧州へのガス輸出に関する議論も加速している。欧州委員会は2022年3月8日にロシア産化石燃料への依存を解消することを目指す『RePowerEU』の概要を発表したが、ここではEUのロシア産ガス輸入への依存を1年間で3分の2減少させるというエネルギー分野での「脱ロシア」方針が定められた[9]。そのうち、エネルギー供給源の多様化の一環として、EUがエジプトやイスラエルといった東地中海のガス生産国との間でガス供給に関する政治的合意を締結することを定めた。その後6月15日には、イスラエル沖合ガス田から生産されたガスをエジプトのLNG輸出基地で液化し、欧州へ供給するという輸出ルートを想定した三者間MOUを締結するに至った[10]。
現在の東地中海では、欧州諸国に「今」ガス輸出を増加させる動きと、「将来」ガス輸出を増加させるための計画が並行して進んでいる。前者がエジプトの既存LNG輸出基地を通じた欧州へのガス輸出の拡大であり、後者がイスラエル・リヴァイアサンガス田フェーズ1B拡張事業とアフロディーテガス田の統合開発事業の検討である。前者はまさに今、ENI やシェブロンによってエジプトからのLNG輸出を増産するための体制が整備されているが、後者は今から数年後以降のEUへのガス輸出を目指して推進されているものである。
本章では、東地中海ガス田から生産されたガスが「今」どのように欧州へ供給されようとしているか、また「将来」どのように供給されることが想定されるかについて検討する。
3.1. 「今」どのように輸出するか:エジプトからのLNG輸出拡大
まず、欧州へ即座にガス供給するために推進されている輸出手段を見ていく。現時点の東地中海で利用可能な域外への輸出オプションは、エジプトに存在する既存LNG輸出基地2基のみである。エジプトにはシェル等が東地中海に面するイドク(Idku)で操業する年産720万トンのELNG基地、ENI等がイドクよりもイスラエル寄りに位置するダミエッタ(Damietta)で操業する年産500万トンのSEGAS LNG基地という二つのLNG輸出基地が、ともに2005年から操業を開始している(表4)。
容量 | 操業開始年 | 備考 | |
---|---|---|---|
アラブ・ガス・パイプライン | 年10 bcm | 2004 | エジプトからヨルダン・シリア経由でレバノンへ接続するガスパイプライン。 |
EMGパイプライン | 年7 bcm | 2004 | エジプトとイスラエルを接続するガスパイプライン。 |
ELNG基地 | 年720 万トン | 2005 | Shell(38%)、Petronas(38%)、EGAS(12%)、EGPC(12%) |
SEGAS基地 | 年500 万トン | 2005 | ENI(50%)、EGAS(40%)、EGPC(10%) |
(出所:各社公表資料等からJOGMEC作成)
2020年以降のエジプトのLNG輸出は、ゾールガス田からのガス生産とイスラエルからのガス輸入によって支えられている。2010年頃からエジプトは国内でのガス消費量の増加、ガス生産量の減少によるガス不足に直面し、2012年11月にエジプト政府が原料ガスを国内市場に転用したことによって、SEGAS LNG基地の操業が停止された。LNG輸出基地を有効活用できない状況におかれたエジプト政府及びガス事業関係者は、隣国イスラエルで発見された大規模ガス田からの輸入を追求した。2018年2月にエジプトのガストレーディング会社ドルフィナス(Dolphinus Holdings)とノーブル・エナジーらは、イスラエルのタマルガス田とリヴァイアサンガス田から10年間で合計64Bcm(10億立方メートル)のガスをエジプトに供給することに合意した[11]。さらに幸運にも、2015年に発見されたエジプト・ゾールガス田が2017年には生産を開始したことが、エジプトにおけるガス供給量の増加を後押しした。結果として、2018年後半のゾールガス田の生産量増加、2020年7月のEMGパイプライン(表4)を通じたイスラエルからのガス輸入開始をきっかけに、エジプトのLNG輸出量はコロナ禍によってガス需要が減少した2020年第1四半期から第3四半期を除き、段階的に増加していくこととなった(図2)。
GIIGNLによると、エジプトから2021年に輸出されたLNGは、主に中国(119万トン、エジプトのLNG輸出全体の18%)、インド(104万トン、同16%)、トルコ(93万トン、全体の14%)に向けて輸出されている[12]。地域別に見ると、アジア太平洋地域への輸出量が441万トンで全体の67%と7割近くを占めているのに対して、欧州への輸出量は88万トンで全体の28%と、これまでエジプトから欧州へのLNG輸出はそれほど多くはなかった。しかし2021年後半からは、欧州の需要増加、ガス価格高騰により、中国やインド等のアジア諸国に向けた輸出が減少し、スペイン、フランス等の欧州諸国へ多くのエジプト産LNGが流れることとなった。これは政府・企業によるイニシアティブの成果というよりむしろ、LNG市場での需給メカニズムによって生じた欧州への輸出量増加と言うことができる。
他方、エジプトからのLNG輸出量増加を目指した企業による取り組みも進んでいる。2022年4月13日、SEGAS LNG基地の操業会社であるENIとエジプト国営EGASがエジプトでの短期的なガス生産量の増加、欧州へのLNG輸出量の増加等に関する枠組み協定に合意した[13]。この合意では、ゾールガス田を初めとして、ENIが操業するエジプト国内ガス田からのガス生産を拡大し、欧州へのLNG輸出量を拡大することを目的としている。また6月20日には、東地中海主要ガス田のオペレーターであるシェブロンとEGASが、東地中海ガス田からエジプトへのガスの輸送・液化・輸出に関するMOUを締結している[14]。シェブロンが操業するイスラエル沖合ガス田からエジプトへのガス輸出量を制限しているのは、イスラエルとエジプトを接続するEMGパイプラインのイスラエル国内におけるボトルネック(パイプライン輸送能力の不足)であり、現在の輸出量は4Bcmに限定されている。シェブロンは自社操業ガス田からエジプトへの輸出量を増やすべく、イスラエル国内のボトルネックを補強する新たな海底パイプラインの建設を進め[15]、2022年3月にはエジプトからヨルダン・シリアにガスを輸出するために用いられてきたアラブ・ガス・パイプラインの逆送によるエジプトへの輸出を開始した[16]。シェブロンらが操業するタマルガス田とリヴァイアサンガス田は、ガスの引取先が限定されていることを理由にフル生産を実施していない。シェブロンの取り組みによってパイプライン容量が増強された場合、二つのイスラエル沖合ガス田は輸出量を増加させることが可能となる。
以上のとおり、『RePowerEU』やEU・イスラエル・エジプト間MOUで追求されたエジプト・イスラエルから欧州へのLNG輸出量の増加は、エジプトで生産されたLNGが市場力学によって欧州に振り向けられたことに加えて、ENIやシェブロンがエジプトのLNG輸出を増強するための上下流双方での取り組みを推進することで、着実に実現されつつあると言えるだろう。
3.2. 「将来」どのように輸出するか:リヴァイアサンガス田・アフロディーテガス田の開発計画
続いて、東地中海から欧州へ中長期的にガスを供給するために検討されている輸出手段を整理する。2020年10月にシェブロンが東地中海に参入してから、イスラエル・リヴァイアサンガス田のフェーズ1B拡張事業、キプロス・アフロディーテガス田の開発事業の輸出ルートに関する議論が進んでいる。前節にて論じたEU・イスラエル・エジプト間MOU等の一連の政府・企業間枠組みは、短期的なLNG輸出量の増加に留まらず、これらの開発事業を通じた中長期的な供給確保をも追求するための合意であると推測される。関係国政府間ではエジプトの既存LNG輸出基地を活用した輸出ルートを前提とされているが、シェブロン及びそのパートナー各社は現在、FLNGやパイプライン等も含めて検討しており、2023年上半期を目途に開発方針を決定すると公表している。
表5、図4には、これから議論する4つの潜在的輸出ルートのコスト、利点・欠点を整理している。リヴァイアサンガス田のパートナー企業であるニューメッド・エナジー(NewMed Energy)の2021年報告書では、エジプトの既存LNG輸出基地の活用とイスラエル沖FLNGのみが選択肢として挙げられている。ここでは、現在もEUによって支持されている東地中海パイプライン、2022年のイスラエル・トルコ間関係の改善によって、シェブロンらが再度検討しているとされるトルコ経由パイプラインを含めた4つの輸出ルートを検討する。
輸出ルート | 建設費用 | 利点 | 欠点 |
---|---|---|---|
(1)エジプトの既存LNG輸出基地 | 20億ドル | 〇 コストが低い 〇 関係国政府等からの支援 (EU、イスラエル、エジプト) |
▲ 将来的なエジプト国内のガス不足 |
(2)イスラエル沖FLNG | 30億ドル (船舶建造費のみ) |
〇 輸出先を柔軟に選定可能 〇 治安リスクが低い |
▲ 事故に対して脆弱 |
(3)東地中海パイプライン | 60~70億ドル | 〇 関係国政府等からの支援 (EU、イスラエル、キプロス等) |
▲ 技術的・商業的な困難さ ▲ 将来的な欧州のガス需要 |
(4)トルコ経由パイプライン | 約15億ドル | 〇 コストが低い 〇 安定した需要 |
▲ 関係国間の不和 |
(出所:各種報道から JOGMEC作成)
(出所:MEES(2014)[17]にJOGMEC追記)
(1) エジプトの既存LNG輸出基地
シェブロンとパートナー各社は、二つの東地中海ガス田から海底パイプラインを敷設し、直接エジプトのELNG基地若しくはSEGAS LNG基地に接続する輸出ルートが最も有望と考えている。LNG輸出基地が既に存在することから、必要な追加設備はリヴァイアサンガス田からELNG基地までのパイプラインと、そこに接続するアフロディーテガス田からのパイプラインのみとなる。そのため、長距離パイプラインやFLNGの新設と比較して、建設期間を短縮し、設備投資額を大きく抑制できる選択肢であると評価されている[18]。さらに前節で述べたとおり、EU・イスラエル・エジプト間での枠組み合意が存在すること、実際に2020年からエジプトへのイスラエル産ガスの輸出が行われていることから、関係国との間で輸出ルートの構築に関する利害対立・政治的衝突が生じる可能性が低くなっていることも、このルートの重要な利点であろう。
他方で、今後課題となり得るのはエジプト国内でのガス不足である。これまで述べたとおり、2005年の操業開始からLNG輸出基地に原料ガスを供給してきた国内ガス田、2015年に発見された大規模なゾールガス田では、ウォーターカットの増加等による生産量の減少が深刻な問題となっている。
エジプト政府はガス不足に直面した場合、往々にしてLNG輸出基地の操業停止と原料ガスの国内市場への転用という手段に訴える。この政策は2012年11月から8年もの間継続したSEGAS LNG基地操業停止の直接的な原因になった。また、2021年9月にエジプト国内でのガス生産が不調となった際、結果的に事実とは異なったものの、二つのLNG輸出基地が再度操業を停止するという噂が生じたことも、シェブロンの不安を増大させるだろう[19]。グローバルなLNG価格の高騰から利益を得たいシェブロンやLNG輸出基地の事業者にとって、突然の操業停止は大きなリスクになり得る。実際のシェブロンとEGASとの交渉においても、エジプト政府がリヴァイアサンガス田から供給したガスを国内市場に転用した場合の補償金が大きな論点になっていると報じられている[20]。近い将来、前章で述べたとおりにゾールガス田の生産減退が急激に進むことがあれば、エジプト国内のガス不足がこの輸出ルートの大きな阻害要因となる可能性が存在する。
(2) イスラエル沖FLNG
シェブロンらが有望と考えるもう一つの輸出ルートが、イスラエル沖合に浮体式LNG輸出基地(FLNG)を設置する方法である。東地中海でのFLNG活用は、イスラエル沖合への係留やキプロス南部ヴァシリコス沖への係留等、複数のパターンが検討されてきたが、現在シェブロンが想定しているのはリヴァイアサンガス田の洋上プラットフォーム付近へのFLNG係留である。2019年にリヴァイアサンガス田のパートナーであるデレク・ドリリング(Delek Drilling、現ニューメッド・エナジー)がゴーラーLNG(Golar LNG)、エクスマール(Exmar)に基本設計(FEED)を委託し[21]、後者の作業は現在も継続して実施されている。
FLNGの活用は、ガス田を操業する企業にとって最も柔軟性のある輸出ルートである。この輸出ルートは第一に、売り先が固定されるパイプラインや政府がその操業可否に関与するエジプトの既存LNG輸出基地と異なり、LNGの売り先をシェブロンらが柔軟に決めることができる。また第二に、FLNGはイスラエル沖合に設置されるため、パイプラインと異なり産ガス国・パイプライン通過国間の利害関係や新たな折衝から相対的に自由であることが指摘できる。これらの点から、FLNGは最も自由度が高く、柔軟性のある輸出ルートと言うことができる。
また、イスラエルの安全保障環境を考えた際、FLNGは陸上のLNG輸出基地やパイプラインと比べて治安リスクが少ないことも重要だろう。イスラエル陸上にLNG輸出基地を設置することで、テロ組織の主要な攻撃対象となり得ることはかねてより指摘されてきた[22]。FLNGの利点として、設備が洋上に設置されることによって、そのような攻撃を受けるリスクが減少することがある。イラン等の敵対国家やハマースやヒズブッラーといったイスラーム主義組織が周辺に存在するイスラエルにおいては特に、事業における治安リスクの低減は必要と考えられる。
ただしこの輸出ルートには、事故対応における脆弱性が存在する。浮体式のFLNGに関する技術は確立されているものの、パイプラインで需要地やLNG輸出基地に接続する輸出ルートに比べて安定していない。具体的には、陸上に設置するLNG輸出基地と異なり、火災等の事故が生じたときに設備の稼働をすべて停止させ、事故対応の要員を陸上から派遣しなければならない。事故対応に手間を要し、損害が大きくなる可能性が高いことが懸念される。現時点で存在するFLNG事業は計画中のものを含め10数件のみであり、その中で既に稼働しているのは豪州のプレリュード(Prelude)FLNG事業、カメルーンFLNG事業、ペトロナスFLNG1及び2事業の僅か4件である[23]。これらの事業において未だ大きな事故は確認されていないが、今後事故が生じたときの対応や損害の大きさは注視されるべきだろう。
(3) 東地中海パイプライン
東地中海パイプライン(East Med Pipeline)とは、東地中海沖合ガス田から生産されたガスを、イスラエル沖合からキプロスを経由してギリシャのクレタ島まで年間最大11~20bcmの規模で供給することを目的とした、約2,000キロメートルにも及ぶ長距離パイプライン構想を指す。このパイプラインはギリシャ・イタリア間のポセイドン・パイプライン等を通じて、東地中海から欧州市場にパイプラインガスを供給することが期待されている。同パイプラインに関する商業的・技術的な実現可能性に関する調査は2022年内に完了する予定であり、パイプラインの建設は2027年に完了する予定である。
このパイプラインは2010年代を通じて、東地中海から欧州へのガス輸出ルートに関する議論の中心を占めてきた。タマルガス田が発見されてすぐ、2010年にイスラエルのネタニヤフ首相がイスラエルからキプロスを経由してギリシャに至る、東地中海パイプラインの原型をギリシャ首相に提案し[24]、その後三カ国間の共同タスクフォースで他の輸出ルートと共に協議されてきた。その結果、2020年1月にイスラエル・キプロス・ギリシャ間で東地中海パイプラインの建設に関する合意が成立した[25]。また、EUは2015年5月に東地中海パイプライン事業をインフラ分野の案件リストである「共通利益プロジェクト(PCI)」に指定し、同事業は許認可の迅速化や欧州連結基金(Connecting Europe Facility)からの公的資金援助といった恩恵を受けることが可能となった。加えて、2019年3月のイスラエル・キプロス・ギリシャの三か国首脳会談に出席した米国のポンペオ国務長官は、「資源を最大限に活用するための投資を呼び込める」と語り、東地中海パイプラインへの支持を表明した[26]。このように東地中海パイプラインは、通過国のみならず、EUや米国といった域外諸国からも強い支持を集めてきたのである。
しかしビジネスとして見たとき、東地中海パイプラインは数多くの難題を抱えている。深海3,000キロメートル地点を通過する必要のある東地中海パイプラインについて取り上げる報道は、早くからその商業的・技術的な実現性に関する疑問を呈してきた。EUのエネルギー安全保障を専門とするターフィク・プロンテラ氏らは、東地中海パイプラインの商業的な問題点として事業コストと欧州のガス需要を挙げている[27]。大規模な建設費用はこの事業の最も大きなハードルであり、PCI指定による公的資金援助は2014年から2020年の間で149事業に対して約47億ドルという規模であり[28]、事業の実現性に大きく貢献するものではない。また、プロンテラ氏らは欧州のガス需要が中長期的に不確実である点を厳しく指摘するが、これは脱炭素の潮流が強まった現在において特に重要である。欧州における脱炭素動向によっては、2027年の建設完了時点で東地中海パイプラインが殆ど座礁資産となってしまう可能性は低くないだろう。
明確な技術的・商業的課題にも拘わらずこのパイプライン計画が支持された背景には、このプロジェクトが本質的には政治的色彩の強い事業だったことが挙げられる。イスラエル・キプロス・ギリシャによるパイプライン計画は、三か国と敵対関係にあったトルコを東地中海ガス開発から除外することが意図されていたことが、多くの論考で指摘されている[29]。2019年に設立された東地中海ガスフォーラムにトルコが参加していなかったことも、この「トルコ外し」を裏付けている。また、欧米諸国からの強い支持も、2014年に生じたロシアのクリミア併合以降のEUでの「脱ロシア」の機運や米トルコ関係の不和を背景とした、同事業への政治的な協力姿勢を示すものだったと考えられる。今年に入って米国バイデン新政権は、経済的に実現可能性の低い東地中海パイプラインをこれ以上支持しないという主張を繰り返している[30]。EUは未だ同パイプラインをPCIに含めているものの、実際の建設時期が近づくにつれて、可能性の低い東地中海パイプラインへの支持が瓦解し始めていると言えるだろう。
(4) トルコ経由パイプライン
最後に、ここ数か月でのイスラエルとトルコの接近を受けて再浮上してきたのが、トルコを経由した数百キロメートルのパイプラインを通じた輸出である。トルコにはロシアから欧州に至るトルコ・ストリームやアゼルバイジャンから南イタリアにガスを供給するトランスアナトリア・パイプライン(TANAP)等が敷設されており、中央アジア・欧州の「エネルギー・ハブ」としての役割を果たしている。既に欧州向けパイプラインが複数敷設されていることから、建設費用は他の選択肢と同等以下に抑えることができる。また、トルコ国内の豊富なガス需要は増加し続けており、欧州における不透明なガス需要見通しの影響は小さいと考えられる。さらに言えば、今後、欧州を中心とした脱炭素化の潮流により需要(収益)が大きく変動し得るLNGに対し、トルコ経由のパイプラインは長期販売契約によってガス田操業各社に対して安定した収益をもたらすことができる点で優れている。
収益の安定性とは反対に、トルコを経由するパイプラインは上述したいずれの輸出ルートよりも政治的に不安定である。第一に、始点・終点となるトルコとイスラエルの関係が不安定であることが挙げられる。両国関係は2022年3月のイスラエル・ヘルツォーク大統領のアンカラ訪問を機に大幅に改善し、特にエネルギー分野の協力に関する協議を活発に実施している。しかしこのようなイスラエル・トルコ間の一時的な関係改善は過去にも例がある。2010年のガザにおけるトルコ人活動家の殺害事件を機に両国関係が決定的に悪化した後、2013年、2016年と周期的に関係を改善し、その都度エネルギー分野の協力に関して協議を進めてきたが、その後関係の悪化によって両国間の協力は途切れてきた。今後もまた関係が悪化する可能性が存在することから、パイプライン建設が途中で頓挫するリスクが存在すると言えるだろう。
また、トルコ経由のパイプラインはキプロス若しくはレバノン・シリアのいずれかの排他的経済水域を通過することとなるが、この時トルコとイスラエルそれぞれの隣国との関係が問題となる。トルコは前述したとおり、キプロスと東地中海において深い対立関係にある。他方でイスラエルはレバノンとシリアとの間に国交を持たず、両国はイスラエルにとって地域有数の敵対国家である。いずれもこの地域で長期間にわたって固定化されてきた対立関係であることから、トルコを経由するパイプラインは政治的側面から実現が極めて難しい事業であると言えよう。
輸出ルート | 建設費用 | 利点 | 欠点 |
---|---|---|---|
(1)エジプトの既存LNG輸出基地 | 20億ドル | 〇 コストが低い 〇 関係国政府等からの支援 (EU、イスラエル、エジプト) |
▲ 将来的なエジプト国内のガス不足 |
(2)イスラエル沖FLNG | 30億ドル (船舶建造費のみ) |
〇 輸出先を柔軟に選定可能 〇 治安リスクが低い |
▲ 事故に対して脆弱 |
(3)東地中海パイプライン | 60~70億ドル | 〇 関係国政府等からの支援 (EU、イスラエル、キプロス等) |
▲ 技術的・商業的な困難さ ▲ 将来的な欧州のガス需要 |
(4)トルコ経由パイプライン | 約15億ドル | 〇 コストが低い 〇 安定した需要 |
▲ 関係国間の不和 |
(出所:各種報道から JOGMEC作成)
最後に、改めてそれぞれの潜在的輸出ルートを比較し、今後欧州へのガス輸出が実現するかどうかを検討する。(3)東地中海パイプラインと(4)トルコ経由パイプラインは、それぞれEUとトルコが売り込んでいるものの、一方は政治的な支援以外の経済的・技術的合理性を備えておらず、他方は政治的な支援が決定的に欠落している。このいずれの事業も実現するためのハードルは極めて高いと評価できる。
他方、(1)エジプトの既存LNG輸出基地と(2)イスラエル沖FLNGは利点が多く、現段階では欠点が顕在化していないため、いずれも魅力的な選択肢である。表5を見ると、EU・イスラエル・エジプト間のMOUによって注目されている(1)エジプトの既存LNG輸出基地のみならず、(2)イスラエル沖FLNGも前者にはない多くの利点を有していることが分かるだろう。
今後の輸出ルートの選択においては、以下の二つの点が要点となるだろう。第一に事業コストについて、(2)イスラエル沖FLNGの建設費用はあくまで船舶建造費に限られている点に留意すべきである。その他、桟橋や附帯設備等に追加的な設備投資が必要となることが見込まれるため、事業者が利点に対してどの程度コストを許容できるかが、(2)イスラエル沖FLNGの選択可否に関わってくるだろう。
第二に、事業者と政府の認識のギャップが挙げられる。事業者であるシェブロンにとっては、イスラエルの他にエジプトの意向を強く受ける(1)エジプトの既存LNG輸出基地より、関係国がイスラエルのみであり政府の意向に左右されにくい(2)イスラエル沖FLNGの方が、事業運営における利便性が高いと考えられる。他方、イスラエル政府はむしろ(1)エジプトの既存LNG輸出基地の活用等によって、自国以外の関係国が自国産ガスの活用に関与することを求めている。イスラエル・エジプト関係を専門とするダス氏は、イスラエル産ガスのエジプトへの輸出やエジプトのLNG輸出基地の活用が、イスラエル・エジプト間の経済協力関係の促進にとって重要な役割を果たすことを指摘している[31]。また、イスラエルが多国間枠組みである東地中海ガスフォーラムに積極的に参加していることからも、自国のガスを周辺諸国との関係強化に活用したい意向が窺える。少ない関係国を志向するシェブロンと関係国を増やしたいイスラエル政府とのギャップを交渉によってどのように解決するかが、今後のリヴァイアサンガス田・アフロディーテガス田の開発方針にとって焦点となることが考えられる。
4. おわりに
東地中海にはガス開発への期待と政治的対立への懸念が併存している。
イスラエル・エジプト・キプロス沖合では大規模なガス田が次々と発見されており、特に東地中海からのLNG輸出の主力を担っているイスラエルのタマルガス田、リヴァイアサンガス田とエジプトのゾールガス田、そして今後東地中海におけるガス生産の中核を担いうるキプロス沖合ガス田は、多くのメジャー企業の注目を集めている。さらに、2022年2月以降の欧州によるエネルギーにおける「脱ロシア」方針に対しても、エジプトの既存LNG輸出基地からの供給増加によって即座に対応できる構えを見せている。
他方、中長期的な欧州への輸出に関わるリヴァイアサンガス田、アフロディーテガス田の開発計画においては、多くの輸出ルートで関係国間の政治的な対立が影を落としていることが分かるだろう。本稿では取り扱わなかったものの、東地中海にはトルコによる探査活動の妨害やイスラエルとレバノンとの海洋境界紛争等、東地中海ガス田開発全体を頓挫させてしまうようなリスクも存在している。
現在東地中海ガス田開発には数々の追い風が吹いている。イスラエルで初めてのメジャー企業であるシェブロンの参入、欧州でのガス不足による東地中海への注目、イスラエルとアラブ諸国・トルコとの関係改善等、政治的なハードルを越えるための好材料はいくつも存在している。これらの材料を東地中海の関係国・企業が上手く活用し、欧州へのガス輸出をさらに持続的に増加させることができるか、今後も注視していく必要がある。
[1] エジプト・イスラエル間で2004年から稼働している「EMGパイプライン」も「東地中海パイプライン」と呼称されていたが、別途イスラエルからキプロス経由でギリシャに向かう「東地中海パイプライン」として検討されている。本稿では前者を「EMGパイプライン」、後者を「東地中海パイプライン」と記載する。
[2] 川田眞子「イスラエル・キプロス・エジプトを中心とする東地中海の天然ガス事情―Leviathan ガス田生産開始―」『JOGMEC石油・天然ガス資源情報』2020年4月 https://oilgas-info.jogmec.go.jp/info_reports/1008604/1008736.html.
[3] “Athena Gas Discovery,” Energean plc., May 9, 2022,
https://www.energean.com/media/5192/athena-gas-discovery.pdf(外部リンク).
[4] 坑井から生産される液体に含まれる水分の比率を指す。
[5] Peter Stevenson, “Egypt: Record 2021 Gas Output but Outlook Uncertain,” MEES, March 6, 2022,
https://www.mees.com/2022/3/4/oil-gas/egypt-record-2021-gas-output-but-outlook-uncertain/6e5bfd00-9bc9-11ec-82df-a34fdd21e872(外部リンク).
[6] James Cockayne, “BP’s Raven: Delayed Start Hikes Egypt Gas to New Highs,” MEES, April 30, 2017,
https://www.mees.com/2021/4/30/oil-gas/bps-raven-delayed-start-hikes-egypt-gas-to-new-highs/f97373f0-a9ad-11eb-aa2f-4bfaf6386f63(外部リンク).
[7] “Eni Makes a Significant Gas Discovery Offshore Cyprus,” ENI, August 22, 2022,
https://www.eni.com/en-IT/media/press-release/2022/08/eni-makes-significant-gas-discovery-offshore-cyprus.html(外部リンク).
[8] Devika Krishna Kumar, “Cyprus Expects First Natgas Output from Aphrodite Field by 2025,” Reuters, May 4, 2019,
https://www.reuters.com/article/us-cyprus-energy-idUSKCN1S91Z6(外部リンク).
[9] “REPowerEU: Joint European action for more affordable, secure and sustainable energy”, European Commission, March 8, 2022,
https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/IP_22_1511(外部リンク).
[10] “EU Egypt Israel Memorandum of Understanding,” European Commission, June 17, 2022,
https://energy.ec.europa.eu/eu-egypt-israel-memorandum-understanding_en(外部リンク).
[11] Shoshanna Solomon, “Delek, Noble sign accords for $15b in sales of Israeli natural gas to Egypt,” The Times of Israel, February 19, 2018,
https://www.timesofisrael.com/delek-noble-sign-accords-for-15b-in-sales-of-israeli-natural-gas-to-egypt/(外部リンク).
[12] “GIIGNL 2021 Annual Report,” GIIGNL, May 5, 2022, https://giignl.org/giignl-ec-issues-declaration-2/(外部リンク).
[13] “Eni and EGAS Agree to Increase Egypt’s Gas Production and Supply,” ENI, April 13, 2022,
https://www.eni.com/en-IT/media/press-release/2022/04/eni-and-egas-agree-increase-egypt-s-gas-production-and-supply.html(外部リンク).
[14] “Egypt, Chevron Sign MoU over East Mediterranean Natural Gas Transfer,” Ahram Online, June 20, 2022,
https://english.ahram.org.eg/News/468283.aspx(外部リンク).
[15] Yaacov Benmeleh, “Chevron to Invest in Pipelines to Send Israeli Gas to Egypt,” Bloomberg, January 19, 2021,
https://www.bloomberg.com/news/articles/2021-01-19/chevron-to-invest-in-pipelines-to-export-israeli-gas-to-egypt.(外部リンク)
[16] Hana Levi Julian, “Israeli Natural Gas to Flow to Egypt via Jordan,” Jewishpress.com, February 16, 2022,
https://www.jewishpress.com/news/israel/israeli-natural-gas-to-flow-to-egypt-via-jordan/2022/02/16/(外部リンク).
[17] “Israel-Cyprus-EU Gas Pipeline: Talk Hots Up, Action Unlikely,” MEES, December 12, 2014,
https://www.mees.com/2014/12/12/transportation/israel-cyprus-eu-gas-pipeline-talk-hots-up-action-unlikely/e4bc91c0-4932-11e7-b378-61e27c51776c(外部リンク).
[18] Peter Stevenson, “Cyprus’ Aphrodite Enters Make or Break Period,” MEES, July 29, 2022, https://www.mees.com/2022/7/29/oil-gas/cyprus-aphrodite-enters-make-or-break-period/2892e710-0f30-11ed-9857-954b00368b78(外部リンク).
[19] Tom Pepper, “Doubt Rise over Egyptian LNG Exports,” International Oil Daily, September 17, 2021,
https://www.energyintel.com/0000017b-f553-d84f-af7b-ffdfdd900000.(外部リンク)
[20] Peter Stevenson, “Chevron Closing in on East Med Expansion Decisions,” MEES, June 24, 2022,
https://www.mees.com/2022/6/24/oil-gas/chevron-closing-in-on-east-med-expansion-decisions/50b88e80-f3b6-11ec-a9a0-61538a976792.(外部リンク)
[21] “Golar, Exmar Running for Leviathan FLNG Job,” Offshore Energy, July 31, 2019,
https://www.offshore-energy.biz/golar-exmar-running-for-leviathan-flng-job/(外部リンク).
[22] Ioannis N. Grigoriadis, “Energy Discoveries in the Eastern Mediterranean: Conflict or Cooperation?” Middle East Policy 21, no.3 (Fall 2014): 126
[23] JOGMEC「天然ガス・LNGデータハブ2022」、https://oilgas-info.jogmec.go.jp/nglng/datahub/dh2022/index.html.
[24] Avi Bar-Eli, “Netanyahu Offers Natural Gas to Greece,” Haaretz, August 29, 2010,
https://www.haaretz.com/2010-08-29/ty-article/netanyahu-offers-natural-gas-to-greece/0000017f-f752-ddde-abff-ff778fd30000?v=1661390317041.(外部リンク)
[25] Paul Tugwell, “Leaders from Israel, Cyprus, Greece Sign EastMed Gas Pipe Deal,” Bloomberg, January 2, 2020,
https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-01-02/leaders-from-israel-to-greece-set-to-sign-eastmed-gas-pipe-deal(外部リンク).
[26] Gabriel Mitchell, “Pompeo and Circumstances Won’t Make EastMed Pipeline a Reality,” The Jerusalem Post, March 25, 2019,
https://www.jpost.com/Opinion/Pompeo-and-circumstance-wont-make-EastMed-pipeline-a-reality-584501(外部リンク).
[27] Andrea Prontera and Mariusz Ruzsel, "Energy Security in the Eastern Mediterranean," Middle East Policy 24, no. 3 (Fall 2017): 147.
[28] European Commission, European Climate, Infrastructure and Environment Executive Agency, Connecting Europe Facility: energy: supported actions 2014-2020: update May 2021, Publications Office of the European Union, 2021, https://data.europa.eu/doi/10.2840/869030(外部リンク).
[29] 例えば、Meliha Benli Altunışık, “Turkey’s Eastern Mediterranean Quagmire,” Middle East Institute, February 18, 2020,
https://www.mei.edu/publications/turkeys-eastern-mediterranean-quagmire(外部リンク).
[30] Lahav Harkov, “US Informs Israel It No Longer Supports EastMed Pipeline to Europe,” The Jerusalem Post, January 18, 2022,
https://www.jpost.com/international/article-693866(外部リンク);
Paul Tugwell and Georgios Georgiou, “U.S. Says EastMed Pipeline to Europe ‘Not Economically Viable’,” Bloomberg, April 7, 2022,
https://www.bloomberg.com/news/articles/2022-04-07/u-s-says-eastmed-pipeline-to-europe-not-economically-viable(外部リンク).
[31] Hirak Jyoti Das, “Israel’s Gas Diplomacy with Egypt,” Contemporary Review of the Middle East 7, no. 2 (Summer 2020).
以上
(この報告は2022年9月2日時点のものです)