ページ番号1009474 更新日 令和4年9月26日

米国インフレ削減法成立と石油・天然ガス上流開発産業に対する影響

レポート属性
レポートID 1009474
作成日 2022-09-26 00:00:00 +0900
更新日 2022-09-26 16:47:58 +0900
公開フラグ 1
媒体 石油・天然ガス資源情報
分野 企業
著者 古藤 太平
著者直接入力
年度 2022
Vol
No
ページ数 15
抽出データ
地域1 北米
国1 米国
地域2
国2
地域3
国3
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国8
地域9
国9
地域10
国10
国・地域 北米,米国
2022/09/26 古藤 太平
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概要

  • 2022年8月16日に成立した米国インフレ削減法には財政収支の均衡によりインフレを抑制するともに税制優遇措置によりエネルギー供給を拡大する側面がある。化石燃料の脱炭素化投資に対しても税制優遇措置を適用することによりエネルギー供給面におけるインフレ要因である設備投資不足に対応し、エネルギーセキュリティとエネルギートランジションのバランスを追求するバイデン政権のエネルギー政策として期待される。
  • インフレ削減法成立の過程においてウェストバージニア州選出のマンチン上院議員は再生可能エネルギーだけではエネルギーセキュリティを確保することができないのであれば石油・天然ガス設備投資にも公的支援の枠組みを適用すべきであると主張した。二酸化炭素回収貯留や水素・アンモニアなどのクリーンエネルギー技術を活用する持続可能な化石燃料企業に対してタックス・クレジットを適用することで、脱炭素化に向けた課題解決策として石油・天然ガス上流開発産業の位置付けが確認された。
  • 技術中立・燃料中立を前提として市場メカニズムによりエネルギートランジションとエネルギーセキュリティの均衡点を求める法案の成立は、自力でクリーン水素ハブ構想など大規模な設備投資・資金調達を行うことができるメジャー企業に対するよりも、従来エネルギートランジション対応で後手に回っていた独立系上流開発企業に対する影響の方が顕著である。国営石油会社を持たない米国にとって、独立系上流開発企業はエネルギーセキュリティの担い手としての立場にある。紆余曲折を経ながら成立したインフレ削減法であるがバイデン政権エネルギー政策の転換点になる可能性が注目される。

(各社/機関ホームページ、業界誌報道等)

 

1 はじめに

2022年8月16日にバイデン大統領が署名して成立した「Inflation Reduction Act of 2022」は「インフレ抑制法」と訳されることも多いが、本稿では石油・天然ガス上流開発産業の視点から石油・天然ガス上流開発投資に対する制約要因を削減する側面に着目している。「Inflation Reduction Act of 2022」が財政収支均衡による需要抑制によりインフレの抑制を目指す側面よりも設備投資拡大を後押しする効果に注目し「インフレ削減法」と記すこととする。

新型コロナウィルス感染拡大後の需要回復とロシアによるウクライナ侵攻により上昇した石油・天然ガス価格に対応し、石油・天然ガスを安定的に供給しエネルギーセキュリティを確保するためには上流開発設備に適切な余力を確保することが必要である。しかしながら2050年カーボンニュートラル実現を目指すエネルギートランジションの過程において、金融機関の座礁資産化リスクに対する懸念によって上流開発企業は化石燃料開発よりも再生可能エネルギー、設備投資よりも借入圧縮や株主還元を優先させ、また気候変動問題を重視するバイデン政権も石油・天然ガス輸送パイプライン建設許認可や探鉱鉱区入札などを制限してきた。

インフレ削減法成立に至る過程において、石炭・天然ガス生産を主要産業とするウェストバージニア州選出のマンチン上院議員はクリーンエネルギー技術が使用されるのであれば化石燃料に対しても再生可能エネルギーと同様の公的支援措置が適用されるべきであるという技術中立・燃料中立の立場を粘り強く主張した。米国上流開発産業、とりわけシェールオイル・ガス生産の担い手である中堅・中小の独立系上流開発企業にとっては、化石燃料開発に不可欠な二酸化炭素回収貯留・水素・アンモニア事業の設備投資がタックス・クレジットの適用対象となることでエネルギーセキュリティとエネルギートランジション対応が加速することが期待される。

 

2 インフレ削減法成立に至る経緯 ― エネルギーセキュリティの視点 ―

1) 連邦公益規制政策法とインフレ削減法の成立と上流開発企業の生産・投資動向

インフレ削減法(IRA: Inflation Reduction Act of 2022)は、税制上の優遇措置により設備投資を支援することを意図していること、エネルギーセキュリティとエネルギートランジションへの対応としてエネルギー政策が転換する過程で成立したことから、1978年に成立した連邦公益規制政策法(PURPA: Public Utility Regulatory Policies Act)と対比される。

1970年代の石油危機に対応する中で連邦公益規制政策法は、スタンダード・オイル分割など米国エネルギー政策の自由競争・独占禁止原則を修正し、適格認定設備(QF: Qualifying Facility)を所有する事業者に税制上の優遇措置を適用することで余剰生産設備への投資を促進することを目指した。連邦公益規制政策法はエネルギー危機対応を掲げて誕生したカーター大統領が就任直後の1977年4月に一般教書演説で発表した全国エネルギー計画(NEP: National Energy Plan)を法案化したもので、当初1977年末までの成立を目指したが上下両院の調整に時間を要し、最終的には1978年11月9日に大統領が署名して成立した[1]

今年8月に成立したインフレ削減法は、気候変動問題を重視する立場のバイデン大統領が就任直後の2021年4月に一般教書演説で発表した米国雇用計画(AJP: American Jobs Plan)と社会保障計画(AFP: American Families Plan)を起点とする。ビルドバックベター法案として上下両院で審議され2021年中の成立を目指したが、2021年11月に超党派により合意が得られた部分をインフラ投資・雇用法(IIJA: Infrastructure Investment and Jobs Act)として成立させることはできたものの、その後の調整に時間を要し、最終的にインフレ削減法として2022年8月16日に大統領が署名し成立した経緯にある。

 

エネルギーの多様化や省エネルギーの推進を意図して成立した連邦公益規制政策法であるが、1980年代から90年代には北海、フロンティア地域、旧ソ連諸国からの石油・天然ガス供給が拡大し、またグローバル化した金融市場でもデリバティブ取引やプロジェクト・ファイナンスにより石油・天然ガス開発投資が拡大した。OPECによって余剰生産能力が維持されたことで、2000年代に入るまでエネルギー価格も比較的安定し、米国でも京都議定書の成立などにより気候変動問題に対する関心は高まったものの、欧州のように再生可能エネルギー投資が大きく進んだわけではなかった。

その要因としては米国でシェールガス、シェールオイル開発の技術革新が進んだことが挙げられる。2000年代以降、新興国の需要拡大などによる石油・天然ガス価格の上昇を受けて米国ではシェールガス、シェールオイルの生産が拡大した。石油危機以降も継続してシェール開発の技術革新・コスト削減に取り組んだ独立系上流開発企業は投資決定から回収までの期間が短く(ショートサイクル資産であるため)座礁資産化リスクが少ないシェール資産を獲得したが、エネルギートランジションとESG投資の流れの中、資本市場に資金調達を依存する米国上流開発企業は、新型コロナウィルス感染拡大で一時的に減少した需要が回復する過程でも設備投資を増加し生産を拡大するに至っていない。

原油生産量・価格(WTI)推移、天然ガス生産量・価格(HH)推移
出所 : EIAよりJOGMEC調査部作成

2) バイデン大統領就任とビルドバックベター法案の審議

バイデン大統領は就任直後の2021年3月11日、総額1.9兆ドルのコロナ禍に対する追加経済対策を米国救済計画法(ARPA: American Rescue Plan Act of 2021)として成立させた。

米国救済計画法について
出所:業界誌報道等よりJOGMEC調査部作成

バイデン大統領は米国救済計画法成立に続き2021年4月の一般教書演説で2.3兆ドルの米国雇用計画(AJP: American Jobs Plan)と1.8兆ドルの社会保障計画(AFP: American Families Plan)を発表した。合計4.1兆ドルの追加経済対策はインフラ投資、雇用、社会保障、気候変動対策が含まれたビルドバックベター法案として上下両院における検討が開始された。上院では民主党穏健派で化石燃料を主要な産業とするウェストバージニア州選出のジョー・マンチン上院議員が温室効果ガス排出削減対策としてのクリーンエネルギー技術に対する公的支援の枠組みを化石燃料にも適用することを主張した。気候変動問題への現実的な対応として再生可能エネルギーだけでなく化石燃料開発における脱炭素化投資にもタックス・クレジットを適用する技術中立・燃料中立とすることでチャック・シューマー上院院内総務(ニューヨーク州選出)との合意が成立した。

しかしながら2021年9月に下院の民主党リベラル派が中心となって取りまとめたビルドバックベター法案の支援対象には化石燃料が含まれず、リベラル派が強調する教育支援、労働者保護、移民法改革が含まれた予算の総額10年間で3.5兆ドルとなっていた。

マンチン上院議員は下院が取りまとめた総額3.5兆ドルのビルドバックベター法案に対し所得制限が緩く受給要件に就労活動が入っていないため労働インセンティブが低下することを指摘し、2021年3月の米国救済計画法で対応済みの項目を削除し支出総額は1.75兆ドルまで絞るべきことを主張した。このほか同じく民主党穏健派のカーステン・シネマ上院議員(アリゾナ州選出)は最高税率引き上げや連邦政府による製薬会社との薬価引き下げ交渉の許可等に反対した。

上院では一般法案審議に際しては少数党(共和党)がフィリバスターと呼ばれる議事妨害行為を行うことによって法案を廃案もしくは修正に追い込むことができる院内規則がある[2]。ビルドバックベター法案成立の見通しが立たなくなったことから、バイデン大統領は2021年10月28日、予算規模を3.5兆ドルから1.75兆ドルに縮小し、超党派の支持を得られるプログラムをインフラ投資法案として先行して成立させることを提案、インフラ投資・雇用法(IIJA: Infrastructure Investment and Jobs Act)は2021年11月15日に成立した(下院:賛成228票・反対206票、上院:賛成69票・反対30票)。水素ハブ建設関連の予算80億ドルはインフラ投資・雇用法に含まれることとなった。

インフラ投資・雇用法について
出所:業界誌報道等よりJOGMEC調査部作成

3) インフレ削減法成立への転機

2021年11月19日、下院は10年間の支出総額を2兆ドル規模に縮小したビルドバックベター法案を可決した(賛成220票・反対213票)。しかしながら、下院で承認されたビルドバックベター法案には太陽光・風力・原子力発電設備とクリーンエネルギー消費者やEV車購入者に対す税額控除は含まれていたが、石油・天然ガス企業が行う脱炭素化投資にタックス・クレジットを適用する技術中立・燃料中立の主張は反映されなかった。このため2022年初めの時点ではマンチン議員らの反対により上院における審議・成立の見通しは立っていなかった。

ビルドバックベター法案の成立が見通せない状況が転換したのは2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻であった。気候変動問題への対応としての脱炭素化・エネルギートランジションに加え、エネルギー価格の高騰を受けての上流開発企業による石油・天然ガス生産の拡大に対する期待や石油の戦略備蓄放出・欧州向けのLNG輸出拡大といったエネルギーセキュリティ・ロシア化石燃料依存度低下・経済安全保障の要因が加わった。また石油・天然ガス価格が大幅に上昇したことは石油・天然ガス企業にとってもメタン排出に課される過料を受容する余地を広げることに繋がった。

7月27日、シューマー院内総務とマンチン上院議員はビルドバックベター法案の対象プログラムを大幅に見直し、法案の名称そのものもインフレ削減法案と改めることで合意したことを発表した。このインフレ削減法案では法人税増税、石油・天然ガス企業に対し2024年からメタンガス排出1トン当り900ドルの過料を課すことなどで気候変動問題への対応を含むインフレ削減法として財政調整法案とすることになり、フィリバスターが回避され民主党単独での可決に持ち込まれることとなった。

インフレ削減法は8月16日にバイデン大統領が署名して成立、気候変動対策や公的医療保険の延長など4,330億ドルの歳出と、15%の最低法人税率設定や政府による薬価交渉などメディケア改革実施、最低法人税率・薬価改定による歳入増加7,390億ドルの歳入から成り、今後10年間で3,060億ドル以上の財政赤字削減効果があるとしている。

インフレ削減法について1
出所:業界誌報道等よりJOGMEC調査部作成
インフレ削減法について2
出所:業界誌報道等よりJOGMEC調査部作成

3 インフレ削減法の概要と評価 ― エネルギートランジションの視点 ―

石油・天然ガス上流開発産業の視点からみると、インフレ削減法には財政調整法案としての要件を満たすための歳入増加策措置(財政調整条項)、脱炭素化技術を導入する化石燃料開発に対するタックス・クレジットの適用(エネルギートランジション)、外縁大陸棚鉱区の入札再開や連邦管理鉱区入札リース料改定(エネルギーセキュリティ)の要素が含まれる。

1) 財政調整条項

1 法人最低税率15%導入

石油・天然ガス企業に限った規定ではないが、収入10億ドル以上の大企業(外国企業の子会社の場合には収入1億ドル以上)に法人最低税率15%が適用される。

2 自社株買い課税

石油・天然ガス企業に限った規定ではないが、アリゾナ州選出民主党のカーステン・シネマ上院議員の発案によりインフレの主な要因であるエネルギー価格の上昇により史上空前の利益を記録する上流開発企業に対し、設備投資を拡大して石油・天然ガス増産を促すべく、自社株買いに対する課税(1%)を導入する。

インフレ削減法の概要1
出所:業界誌報道等よりJOGMEC調査部作成

2) エネルギートランジション

1 CCSタックス・クレジット

内国歳入法45Qに基づくCCSタックス・クレジット(税額控除)の適格認定設備(QF: Qualifying Facility)の着工日を2026年1月1日以前から2033年1月1日以前まで延長、最低年間回収量(閾値)を引き下げ、タックス・クレジットの単価を引き上げる。また大気からの直接回収(DAC)設備の閾値を10万トンから1,000トンに引き下げ、現状ではDACを対象としたタックス・クレジットはなかったため通常と同じ控除額(CCS: 50ドル/トン、CCUS: 35ドル/トン)が適用されていたものを、DACを対象としたタックス・クレジットを新らたに設置することにより、基準単価をCCSでは36ドル/トンとし給与等一定条件を充足すればボーナス単価180ドル/トン、CCUSでは基準単価を26ドル/トン、ボーナス単価130ドル/トンとした。

タックス・クレジットの概要1
出所:業界誌報道等よりJOGMEC調査部作成

2 プロダクション・タックス・クレジット(PTC: Production Tax Credit)

クリーン水素の適格認定設備(QF: Qualifying Facility)は着工期限2032年12月31日以前、クリーン水素の控除額は水素生産1キログラムに対する二酸化炭素排出密度0.45キログラム以下の場合の基準単価を0.6ドル/キログラムとし給与等一定条件を充足すればボーナス単価として最大3ドル/キログラム、排出密度が4キログラム以下であれば0.12ドル/キログラムから0.6ドル/キログラムの税額控除が受けられるとした。

タックス・クレジット2
出所:業界誌報道等よりJOGMEC調査部作成

3 インベストメント・タックス・クレジット(ITC: Investment Tax Credit)

クリーン水素の適格認定設備(QF: Qualifying Facility)は着工期限2032年12月31日以前、クリーン水素の投資税額控除は水素生産1キログラムに対する二酸化炭素排出密度0.45キログラム以下の場合の基準控除率を6%とし給与等一定条件を充足すれば最大30%、排出密度が4キログラム以下であれば基準1.2%から6%の税額控除が受けられるとした。

インフレ削減法の概要2
出所:業界誌報道等よりJOGMEC調査部作成

3) エネルギーセキュリティ

連邦管理鉱区リース料を改定し新たに入札する連邦管理鉱区の最低リース料を12.5%から16.67%に引き上げ[3]、メタン排出削減プログラムとして2024年に連邦規制を超えるメタン排出量1トンあたり900ドル(2025年1,200ドル、2026年以降1,500ドルに増額)を課す一方、司法判断により取り消された昨年11月の鉱区入札結果を追認し外縁大陸棚鉱区入札を再開する。

インフレ削減法の概要2
出所:業界誌報道等よりJOGMEC調査部作成

4) インフレ削減法成立の意義

石油・天然ガス上流開発産業の視点からはインフレ削減法がエネルギートランジションに対する現実的な対応として成立し。エネルギーセキュリティ確保のため技術中立・燃料中立の原則が採用されたことが注目される。

インフレ削減法は、気候変動問題への対応として温室効果ガス排出削減目標を最大限かつ最短で達成するためには再生可能エネルギーだけでなく脱炭素化技術を導入した化石燃料開発にもタックス・クレジットを適用すべきというマンチン上院議員の主張が結実して成立した経緯にある。さらに、このようなエネルギートランジション対応に加えて財政調整法案としての要件を満たすための歳入増加策措置や外縁大陸棚鉱区入札の再開、連邦管理鉱区リース料改定などエネルギーセキュリティに関連して探鉱開発投資を後押しする規定も盛り込まれている。

新型コロナウィルス感染拡大によって減少した化石燃料に対する需要が回復する過程において、エネルギートランジションの加速・座礁資産化リスクの顕在化が重なって伸び悩む上流開発投資はロシアによるウクライナ侵攻によってエネルギー価格が急激に上昇しても容易に回復していない。インフレ削減法は、脱炭素というエネルギートランジションと脱ロシアというエネルギーセキュリティの課題への現実的な対応として化石燃料に対してもクリーンエネルギー投資減税を適用することで成立した。

二酸化炭素排出密度によってタックス・インセンティブが増減するメカニズムや技術中立・燃料中立の原則が導入されたことは、再生可能エネルギー以外を排除するのではなく市場原理によってエネルギーセキュリティとエネルギートランジションという二つの制約条件下の現実解を選択するアプローチとして注目される。

 

4 上流開発産業に対する影響

1) クリーン水素ハブ開発プロジェクト

2021年11月に成立したインフラ投資・雇用法(IIJA: Infrastructure Investment and Jobs Act)ではクリーン水素ハブ建設のために80億ドルの予算が計上された。これを受けて2022年6月にエネルギー省から入札公告が発表され、クリーン水素ハブ開発に向けたタイムラインが示された。

クリーン水素ハブ構想1
出所:業界誌報道等よりJOGMEC調査部作成

米国上流開発企業の間にも大手を中心に温室効果ガスの削減を供給全体に拡大する動き(スコープ3)が見られ、中長期的な目標達成の取り組みとしての水素ハブ構想に対する関心が高まっている。シェブロンが2021年10月に、2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロとする目標を設定したほか、エクソンモービル、コノコフィリップス、オクシデンタル・ペトロリウムなどもスコープ1およびスコープ2を合計した二酸化炭素排出をネットゼロとする目標を掲げている。

このような大手企業の脱炭素の取り組みには、メタンガスの排出削減が広く取り入れられているほか、炭素排出の管理・再利用に向けた二酸化炭素回収・利用・貯留(CCUS)や、再生可能エネルギーや水素・アンモニア事業の分野でスタートアップ企業と連携してコーポレートベンチャーを立ち上げるなどの取り組み、バイオ燃料製造など多岐に亘る脱炭素化の取り組みが進展している。

 

各州レベルの取り組みとしてもクリーン水素ハブの検討が始まっており、複数の州が連携するもの多くある。グリーン水素、ブルー水素、グリーン・ブルー併用型の順に主要なクリーン水素ハブ構想を例示した[4]

ブルー水素

1 Great Plains Hydrogen Hub

パートナー: ノースダコタ州、アッパーミッドウェスト各州

(供給サイド) Bakken Energy、Mitsubishi Power、Mandan、Hidatsa、Arikara Nation

(需要サイド) 運輸、肥料製造

概要:ノースダコタ州は2030年カーボンニュートラル目標を掲げクリーンエネルギー基金を設立し水素事業を支援している。シェール革命を主導したバッケン鉱区はCO2地下貯留ポテンシャルも高く、また同州は天然ガス・石炭資源にも恵まれている。

2 Northern Appalachia H2 Hub

パートナー: ウェストバージニア州、オハイオ州、ペンシルベニア州

(供給サイド) Mitsubishi Power、EQT Corp。Equinor、GE Gas Power、Marathon、MPLX、Shell Polymers、US Steel

(需要サイド) 産業、発電

概要:北アパラチア地方各州にまたがる産業基盤の脱炭素化により持続可能なエネルギーおよび生産システムのモデル構築により、雇用を創出し、二酸化炭素排出量の大幅な削減を達成することを目指す。二酸化炭素回収・利用・貯蔵(CCUS)と水素製造利用に焦点を当てる。なおウェストバージニア州にはWest Virginia Hydrogen Hubというマンチン上院議員が作業部会長を務めるハブ構想がある(こちらは将来的にグリーン水素製造を視野に入れている)。

 

グリーン水素

1 California Hydrogen Hub

パートナー: カリフォルニア州、ロスアンゼルス(Department of Water and Power)

(供給サイト) SoCalGas、Mitsubishi Powerほか

(需要サイド) 発電、蓄電、製造業、運輸

概要:カリフォルニア州は2045年カーボンニュートラル達成を目指し、2030年までに15,000トン/日のクリーン水素を生産するという目標を設定している。カリフォルニアクリーン水素ハブ基金を創設し州独自の補助金と太陽光・風力など豊富な再生可能エネルギー資源を活用し包括的な水素経済システムの構築を目指している。

2 Northeast Regional Hydrogen Hub

パートナー: ニューヨーク州、ニュージャージー州、マサチューセッツ州、コネチカット州、メイン州、ロードアイランド州

(供給サイド) 地域電力・ガス公益企業など上場・非上場企業約40社

(需要サイド) 運輸、発電、重工業、海運業

概要:水素生産、消費、技術、機器メーカー、研究所や大学を含む研究開発機関等のステークホルダーが水素バリューチェーンにより多くの州を有機的に結びつける統合型アプローチを目指している。‎

 

グリーン・ブルー併用型

H2 Houston Hub

パートナー: テキサス州

(供給サイド) Shell、Air Liquide、Praxair、KPMG、National Renewable Energy Laboratory、Argonne National Laboratory、BPほか

(需要サイド) 産業、運輸、発電

概要:テキサス州は米国の水素生成・消費の大部分を担っており、現状ではその大部分が天然ガスから製造されている。再生可能エネルギー資源も豊富であり、かつCO2を貯蔵するための地層や域内の水素需要などアドバンテージが多い。油ガス価格の上昇により州内の石油・天然ガス企業には潤沢な設備投資資金があり、100以上の機関・企業が参加するCenter for Houston’s FutureはHouston Energy Transition Initiativeを発表している。

クリーン水素ハブ構想2
出所 : JOGMECウェブサイト「米国の水素動向」等

2) タックス・クレジットによって広がる資金調達の選択肢

クリーン水素のタックス・クレジットに化石燃料が含まれたことは大きな前進であるが、企業毎に期待される恩恵は異なる。メジャー企業や一部の大手独立系企業のように水素・アンモニア・CCSの技術開発に取り組んできた企業にとっては即効性が期待されるが、中堅中小の独立系上流開発企業にとっては法人税負担増などの影響も大きく、インフレ削減法の成立に対する評価にはばらつきがみられる。メタンガス排出規制や連邦管理鉱区リース料の引き上げへの対応をめぐっては上流開発業界の間で評価が異なるだけでなく、メキシコ湾海上油田やパーミアンのようにCCSのポテンシャルの高い地域とバッケンのように連保管理鉱区の占める割合の大きく費用対効果の定まらない地域との間でも同様である。

エネルギートランジションへの対応が遅れていた独立系上流開発企業にとってはタックス・クレジットを活用しエネルギートランジション対応を加速することが期待される。従来は複雑なパートナーシップを組成しなければ最大限にメリットを享受することのできなかった税額控除対象の基準が緩和されたことで控除する十分な収益力のない中堅中小の独立系上流開発企業にとっても資金調達の選択肢が広がっている。

上流開発投資への影響
各社決算資料よりJOGMEC調査部作成

3) インフレ削減法成立が上流開発投資に及ぼす影響

化石燃料開発に対してもクリーン水素など低炭素技術を導入する事業にタックス・クレジットが適用されることは、公的資金投入に止まらず、座礁資産化リスク懸念により滞っていた資本市場からの資金調達を活性化することが期待される。

インフレ削減法の成立により化石燃料開発であってもクリーン水素など低炭素技術を導入する事業に対しても税制優遇措置が適用されることは、単にタックス・エクイティという形で公的資金が投入にされるのに止まらず、座礁資産化リスクにより滞っていた資本市場からの資金調達が再び活性化される効果が期待できる。

控除する十分な利益のない中堅中小にとっても投資家とパートナーシップを組成することで資金調達に活用することができ、独立系上流開発企業のエネルギートランジション対応を加速する効果が期待される。二酸化炭素排出密度によってタックス・インセンティブを増減させるメカニズムが採用されたことで、エネルギートランジションへの対応を測定する尺度の標準化が進めば金融機関や機関投資家にとっても化石燃料事業に対する評価や上流開発企業のバリュエーションの透明性・客観性を高める役割を果たすと考えられる。

化石燃料のクリーンエネルギーへのトランジションにタックス・クレジットが適用されることは、財務規律と設備投資の両立という課題を抱えて対応の遅れが指摘されていた中堅中小独立系企業のエネルギートランジション対応を加速する効果が期待される。

 

5 まとめ

インフレ削減法成立の背景には、再生可能エネルギーだけでエネルギーセキュリティが確保されないのであれば脱炭素化技術を活用する化石燃料も活用すべきという現実的な対応があった。インフレ削減法には、エネルギー需要を抑制するというよりはむしろエネルギーの安定的な供給のために適正な余剰生産設備を確保することでエネルギートランジションの流れによって探鉱開発投資を拡大することができなかった石油・天然ガス上流開発企業の阻害要因を削減する現実解を提供する側面があった。

インフレ削減法により再生可能エネルギーのみならず二酸化炭素回収貯留や水素・アンモニア技術を活用した持続可能な化石燃料開発に対してもタックス・クレジットが適用され、技術中立・燃料中立を前提に市場メカニズムがエネルギーセキュリティとエネルギートランジションの均衡点を選択する。電気自動車や再生可能エネルギーなどへの公的支援が先行し、ともすれば気候変動問題の加害者側に位置付けられていた化石燃料がエネルギーセキュリティを触媒としてエネルギートランジションの解決策の一部として立場を獲得している。

さらにLNG投資などの大規模な設備投資・資金調達のできるメジャー企業と比較してエネルギートランジション対応で後手に回っていた独立系上流開発企業にとっては、インフレ削減法の成立によりクリーン水素ハブ構想やタックス・クレジット活用などの公的支援を活用するという選択肢が増える。国営石油会社のない米国にとって独立系上流開発企業は業界全体としてエネルギーセキュリティを担う位置付けにある。紆余曲折を経て成立したインフレ削減法は設備投資の拡大を模索する米国の上流開発企業と資本市場にとって、エネルギートランジションとエネルギーセキュリティのバランスを模索する上での転換点になる可能性があることから注目される。

 

[1] 草薙真一「米国エネルギー法の研究」第Ⅲ部 エネルギー規制機関の権限配分 第3章 反トラスト法問題(白桃書房、2017年)

[2] フィリバスターを覆して多数党が単独で法案を成立させる方法としては、60名以上の過半数による議決または予算決議(Budget Resolution)に付随する法案として歳出・歳入・債務上限の調整を目的とする財政調整法(Budget Reconciliation Act)とする方法がある。ちなみに大統領が指名する人事(連邦裁判所判事、政府高官)の承認もフィリバスターの適用除外である。

[3] バイデン政権は2022年4月より18.75%を適用しているため実質的には連邦管理鉱区の入札を阻害することはないとされる。通常20~25%とされる私有地のリース料と比較しても低い水準に設定されている。

[4] 疋田文子「米国の水素動向」(石油・天然ガス資源情報 2022年8月)
https://oilgas-info.jogmec.go.jp/info_reports/1009226/1009447.html

 

以上

(この報告は2022年9月26日時点のものです)

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