ページ番号1009800 更新日 令和5年6月6日

原油輸出停止で隘路に陥るイラク・クルディスタン地域の石油・ガス部門:イラク石油・ガス産業集権化への機運?

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レポートID 1009800
作成日 2023-06-06 00:00:00 +0900
更新日 2023-06-06 09:52:03 +0900
公開フラグ 1
媒体 石油・天然ガス資源情報
分野 市場基礎情報
著者 豊田 耕平
著者直接入力
年度 2023
Vol
No
ページ数 10
抽出データ
地域1 中東
国1 イラク
地域2
国2
地域3
国3
地域4
国4
地域5
国5
地域6
国6
地域7
国7
地域8
国8
地域9
国9
地域10
国10
国・地域 中東,イラク
2023/06/06 豊田 耕平
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概要

  • 本稿では、2023年3月からのイラク・クルディスタン地域からトルコへの原油輸出の停止について、前提となるイラク石油・ガス産業の分裂状況を概観したうえで、背景、短期的な帰結、及び長期的な影響を分析する。
  • 2023年3月25日、イラク・クルディスタン地域からトルコのジェイハン港に至るパイプラインを通じた日量40~50万バレルの原油輸出が停止した。この背景には、2022年2月15日にイラク連邦最高裁判所がクルディスタン地域の石油・ガス部門に対して「違憲」であるとの判決を下し、その後法的圧力を強めてきたことがある。
  • 2000年代以降、クルディスタン地域の石油・ガス産業は連邦政府から自立した発展を遂げてきた。クルディスタン地域は魅力的な契約形態によって開発・生産主体となる外国企業を引き付け、トルコとの良好な関係によってパイプラインを通じた輸出ルートを確立してきた。
  • 2022年2月の「違憲」判決から、イラク連邦政府はクルディスタン地域の石油・ガス産業に対して法的な圧力を強め、同地域独自の石油・ガス産業を支えてきた外国企業やトルコに向けて様々な措置が講じられてきた。結果として、クルディスタン地域では2023年3月からトルコへのパイプライン原油輸出停止、及び外国企業による原油生産の停止に至った。
  • 輸出停止の帰結として、2023年5月11日、連邦政府とクルディスタン地域政府(KRG)は同地域の石油・ガス産業をめぐる合意に至った。この合意では、KRGが自地域の原油の販売権を連邦政府管轄下に置くことが定められ、これまで連邦政府から独立して運営されてきたクルディスタン地域の石油・ガス産業の自立性が後退することとなる。
  • 他方、イラク全体の石油・ガス産業を俯瞰すれば、今回の合意は連邦政府にとって安定的かつ集権的な石油・ガス産業を確立するための第一歩となることが分かる。連邦政府が販売するキルクーク原油に比べて大幅にディスカウントされてきたクルド原油がキルクーク原油と同様の価格で販売されるようになり、またイラク全体の新たな石油・ガス法の議論も進もうとしている。
  • 輸出再開に向け、イラク国内での合意はなされたものの、イラク・トルコ間においても、国際仲裁裁判の結果やそれに連なる両国間の複雑な問題群についての合意が必要となりうる。5月末にトルコ大統領選挙が決着したことで、これらの問題に関する協議が進展することが期待される。

 

1. はじめに

2023年3月25日以降、イラク・クルディスタン地域からトルコのジェイハン(Ceyhan)港に至るパイプラインを通じた日量40~50万バレルの原油輸出が2か月以上にわたって停止している(2023年6月2日現在)。この輸出停止は、2014年に始まったイラク連邦政府とトルコの国営パイプライン運営会社ボタシュ(BOTAŞ)とのイラク・トルコ間パイプラインの利用に関する国際仲裁裁判が、今年3月にようやく決着したことによって生じた[1]。しかし、今回の輸出停止の1年以上前から、連邦政府はクルディスタン地域からの原油輸出に対する締め付けを徐々に強めていた。2022年2月15日にイラク連邦最高裁判所がクルディスタン地域の石油・ガス部門の法的根拠が「違憲」であるとの判決を下してから、クルディスタン地域の石油・ガス部門は連邦政府からの法的圧力に苦しんできたのである。

なぜ連邦政府とクルディスタン地域は石油・ガス部門をめぐって対立しているのか。2022年2月以降の連邦政府からの圧力や輸出停止は、クルディスタン地域にどのような影響を及ぼしているのか。本稿では、イラク戦争後から続くイラクの石油・ガス産業の分裂を簡潔に整理したうえで、今回の輸出停止に至るまでの連邦政府とクルディスタン地域政府(KRG)との石油・ガス開発をめぐる争いの背景と影響を分析し、KRGの石油・ガス産業の将来を展望することを試みる。

 

2. クルディスタン地域独自の石油・ガス産業の確立

本章では、連邦政府とKRGとの対立の前提となっている、イラク戦争後の同国石油・ガス産業の分裂について簡潔に整理する。2003年にイラク戦争が終結して以来、KRGは連邦政府とは別に、クルディスタン地域において独自の石油・ガス産業を発展させてきたが、吉岡(2013)は発展にあたって国際石油企業(IOC)とトルコの存在が重要な役割を果たしたと指摘する[2]。KRGはこれまで国際石油企業(IOC)による投資を誘致し、トルコへの輸出ルートを開拓することで、地域自治に必要な資金を確保しようとしてきた。これに対して、イラク連邦政府は軍事手段によってKRGの油ガス田支配を完全に覆すことはできず、KRG独自の石油・ガス産業を既成事実として認めざるをえない状況にある。

以下では、KRG独自の石油・ガス産業の確立とイラクにおける石油・ガス産業の分裂の要因となった、KRGとIOCの開発契約の締結、KRGからトルコへの輸出ルートの開拓の経緯を整理する。

 

(1) KRGとIOCとの探鉱・開発契約

連邦政府とKRGとの石油・ガス産業をめぐる対立は、2003年のイラク戦争直後に始まった石油・ガス法の策定交渉まで遡る。戦後の石油・ガス産業の再構築にあたって、イラク全土の石油・ガス産業を集権的に管理することを求める連邦政府と、地域内の石油・ガス産業を可能な限り分権的に管理することを求めるKRGは真っ向から対立した。2007年2月に閣議承認されたイラク全土の石油・ガス産業に関する石油法案は、クルディスタン地域の石油・ガス産業についてできるだけ連邦政府の干渉を排除し主導権を握りたいクルド系政党と、最終的な決定権は連邦政府に属するべきとするアラブ政党との間で折り合いがつかず[3]、その後現在に至るまで成立していない。フセイン政権下で経済的な苦境に陥ってきたKRGは2007年8月、収入源となる域内の石油・ガス開発を早急に進めるべく、イラク全体の石油法案の交渉妥結を待たずしてKRG独自の石油・ガス法を成立させた。

KRGは独自の石油法を制定したのち、IOCとの探鉱・開発契約を次々と締結していく。ここで重要な点は、連邦政府がIOCと締結する技術サービス契約に比べて、KRGがIOCに提示した契約はIOCにとって遥かに経済的な利益が大きかったということである。KRGがIOCと締結した生産物分与契約(PSC)では、IOCは生産物から探鉱・開発・操業コストを優先的に回収し、残りの生産物をKRGと分け合うことができる。他方、連邦政府がIOCと締結した技術サービス契約(TSC)では、IOCは生産物ではなくフィーのみを受け取るため、事業コストの削減や原油価格上昇による利益を得ることができない[4]。KRGとの契約をイラクにおけるビジネスチャンスと見なしたIOCがKRG保有鉱区に相次いで参画したことで、2008年から2012年ごろにかけてKRGにおける原油生産量は急増した(図1)。

KRGの魅力的な契約形態は、今もなおIOCがクルディスタン地域で操業を続ける大きな理由となっている。2010年代には、フセイン政権下で十分に探鉱が進んでいなかったクルディスタン地域のポテンシャルに期待したメジャーズが次々と参画した[5]。これら石油メジャーは十分な成果が上げられず、2021年に立て続けに撤退しているものの、独立系企業は依然としてクルディスタン地域での操業に高い関心を有している。KRGの油ガス田は現在、ノルウェーのDNO、英国のジェネル・エナジー(Genel Energy)及びガルフ・キーストーン(Gulf Keystone Petroleum)、米国のHKN等によって操業されている。これらIOCは2007年以降、KRGでの原油生産量を着実に増加させ、現在は日量40~50万バレル程度の原油を生産している。

(図1)クルディスタン地域の原油生産量(2016年はデータなし)
(図1)クルディスタン地域の原油生産量(2016年はデータなし)
(出所:KRG天然資源省、デロイトからJOGMEC作成)

以上のとおり、KRGは独自の石油法やIOCとの契約をもとに、連邦政府から独立したクルディスタン地域の石油・ガス産業を確立してきた。クルディスタン地域独自の石油・ガス産業は独立や自治の拡大を目指すKRGにとって重要な資金源となってきたが、裏を返せば、KRGの石油・ガス産業は集権的な統治を望む連邦政府にとって極めて厄介な存在となっている。

 

(2) KRG・トルコ間輸出ルートの確立

IOCとの契約に加えてKRGの石油・ガス産業を資金源として成り立たせてきたのは、KRGとトルコとのエネルギー事業における強固な関係である。海に面していないクルディスタン地域にとって、地域の需要を超えて生産される原油の潜在的な輸出先は、境界を接するイラク連邦政府、シリア、イラン、トルコに限られる。この中でトルコは、KRGからの原油輸入がイランやロシアへのエネルギー依存を緩和すること、KRGとの良好な関係が1980年代から対立を続けるクルディスタン労働党(PKK)との対立に役立つ可能性があることから、積極的にKRGとのエネルギー関係の強化を図ってきた[6]。2002年には現在もクルディスタン地域で操業する英国のジェネル・エナジーの前身であるトルコのジェネル・エナジー(Genel Enerji)がKRGとIOC初となる開発契約を締結し、その後KRGは2009年にクルディスタン地域のタクタク(Taq Taq)油田、タウケ(Tawke)油田から連邦政府が管理するイラク・トルコ間パイプラインを通じてトルコへの原油輸出を開始した[7]。パイプライン輸出の取り組みが一度頓挫してからも、2012年ごろにはトルコのメルスィン(Mersin)港等にトラックを用いて原油を供給してきたと言われている[8]

KRGとトルコが早期から築いてきたエネルギー関係は、2014年に独自のパイプラインでの原油輸出が確立されることでさらに強化される。2013年12月には既存の連邦政府が管理するイラク・トルコ間パイプラインにクルディスタン地域からのパイプラインを接続し(図2)、2014年5月にはクルディスタン地域からトルコのジェイハン港に向けた原油輸出が開始された。2014年下旬にはアバディ新政権下で連邦政府とKRGとの対話が進み、同年末にはKRGが連邦政府に日量55万バレル(クルディスタン地域内から日量25万バレル、KRGが支配するキルクーク(Kirkuk)油田から日量30万バレル)の原油を引き渡す一方、連邦政府はKRGに国家予算の17%を配分するといった内容を含む包括的な合意が締結された[9]

(図2)クルディスタン地域の原油ガスインフラ
(図2)クルディスタン地域の原油ガスインフラ
(出所:各種情報からJOGMEC作成)

パイプライン輸出をめぐるKRG、トルコ、イラク連邦政府の三者間関係は2014年から2017年にかけて、イラク北部に位置する大規模なキルクーク油田をめぐって複雑な様相を呈する。奇しくもパイプライン輸出が開始された直後の2014年7月、IS侵攻に伴うイラク北部の混乱に乗じて、KRG支配下の軍事組織ペシュメルガがイラク連邦政府の管轄下であったキルクーク油田(アヴァナ・ドーム)[10]と近郊のバーイ・ハッサン(Bai Hassan)油田を制圧した。このとき、同油田の支配を取り戻せない連邦政府はKRGのキルクーク油田操業を黙認するほかなかった。しかしこの状況は、2017年9月にKRGが独立を問う住民投票で9割以上の賛成票を獲得し勝利宣言を出した直後、イラク連邦政府がキルクーク油田(アヴァナ・ドーム)とバーイ・ハッサン油田を奪回したことで一変する。連邦政府は大規模油田の支配を回復したものの、2014年のIS侵攻によって連邦政府の支配下にあるイラク・トルコ間パイプラインは破壊されており、輸出ルートが確保できない状況に陥った。その結果として、2018年11月に連邦政府とKRGは、KRG管轄下のパイプラインを用いて、キルクーク油田で生産された原油をクルディスタン地域の原油とともにトルコに輸出することに合意した[11]

以上のとおり、イラクからトルコへの原油輸出は、2014年のKRGによるキルクーク油田制圧、2017年の連邦政府による同油田奪回を経て、連邦政府によるキルクーク原油日量10万バレル前後、KRGによるクルド原油(KBT)日量40万バレル前後の合計日量40~50万バレル程度の原油を、KRG管轄下のパイプラインを用いてトルコへ輸出する形へと落ち着いたのである。

 

3. KRG石油・ガス産業を揺るがす法的圧力・パイプライン輸出停止

本章では、前章で述べた連邦政府とKRGとの対立を前提に、現在生じているイラク・トルコ間の長期的な輸出停止の背景とその影響について分析する。今回の輸出停止への道は、2022年2月のイラク連邦最高裁判所によるKRGの石油・ガス部門を違憲とする判決から始まる。連邦政府はKRG及びクルディスタン地域で操業するIOCがこの判決を意に介さないことから、KRG独自の石油・ガス産業に対して様々な手段で法的圧力をかけ始め、2023年3月25日からイラク・トルコ間の原油輸出停止に至ることとなった。この輸出停止はKRG独自の石油・ガス産業の自立性を窮地に陥らせている。

以下では、今回の輸出停止及びその背景となった連邦政府による圧力強化の経緯、及びイラクの石油・ガス産業への影響を分析する。

 

(1) KRGへの法的圧力から輸出停止へ

今回の輸出停止は2022年2月の連邦最高裁判所によるKRGの石油・ガス部門への違憲判決に始まる、KRG石油・ガス部門の二つの柱であるIOCとトルコに対する連邦政府による法的圧力の一環として生じたものと評価することができる。2月15日、イラク連邦最高裁判所は2012年に連邦石油省がKRG天然資源省を提訴した法的紛争について、KRG天然資源省に対して一連の判決を下した。2月18日付のMEESによると、その内容は以下のとおりである[12]

  1. KRGが2007年に定めた石油・ガス法の根拠は違憲であり、これを無効とする。
  2. KRG天然資源省が石油を採掘したクルディスタン地域及びその他の地域に位置する油田から全ての原油生産量を連邦政府に引き渡すよう求める。
  3. KRG及びその天然資源省が外部の当事者と締結した石油契約の破棄を確認する権利を連邦石油省に与える。
  4. 連邦石油省及び最高会計検査院は、KRG天然資源省が締結した石油・ガスの輸出・販売契約をすべて見直し、KRGが負う財政義務を決定することを許可する。

判決がこのタイミングで下されたのは、クルド系政党に圧力を加えることで組閣に協力させること、KRGが独自に進めていたトルコ向けガス輸出計画への牽制等のためであると指摘されている。これらに加えて、2021年後半にトタルエナジーズ(TotalEnergies)とエクソンモービル(ExxonMobil)が相次いでクルディスタン地域からの撤退を決定したのち、残った企業の多くが同地域の他に主要な権益を持たない中小企業であることから、連邦政府がKRGやクルディスタン地域のIOCに圧力をかける契機と見た可能性があるだろう。

KRG及びクルディスタン地域で操業するIOCは当初、この判決に対して強気の姿勢で対抗した。KRGのバルザニ首相は最高裁の判決に対して「完全に政治的な決定」であり、「憲法に反するもの」だと非難した[13]。さらに6月には、クルディスタン地域の司法評議会がKRGの石油・ガス法は引き続き有効であるとする、連邦最高裁判所の判決と対立する判決を下している。また英国のジェネル・エナジーは判決について、クルディスタン地域で操業することのリスクプロファイルに納得し、今後の見通しについて楽観視していると述べた[14]。判決を意に介さないKRGに対し、イラク連邦政府はこの判決の履行という形をとってKRGの石油・ガス部門の二つの柱、つまり開発・生産主体であるIOCと唯一の輸出先であるトルコに対して法的圧力を強めていくこととなる。

第一に、連邦政府はクルディスタン地域の油ガス田において実際に開発・生産を進めてきたIOCに対して判決の履行を試みた。2022年5月19日、イラク石油省はバグダッドの商業裁判所に対し、クルディスタン地域で操業するノルウェーDNO、ジェネル・エナジー、ロンドンLME上場のガルフ・キーストーンら7社のIOCを提訴した[15]。その後21日には、石油省はクルディスタン地域に新たな石油会社を設立し、同地域で操業するIOCと新たなサービス契約を締結することを目指すと発表した[16]。これらの動きはつまり、IOCに対してKRGとの既存の「違法な」契約を打ち切り、石油省とのサービス契約を新たに締結するよう求めるものだと考えられる。実際に、国営バスラ石油会社からIOCに対しては、KRGと契約を締結している企業は3か月以内に契約を解除しなければ、連邦政府のブラックリストに載ることになると警告する書簡が送付されていたという[17]

この第一の措置が進展する中、イラク石油省は7月に米国の大手油田サービス会社であるシュルンベルジェ、ハリバートン、ベーカーヒューズがクルディスタン地域での新規事業に応募しないことを発表した[18]。そのうちベーカーヒューズは、「現地の法律や規制にしたがってイラクのエネルギー需要のサポートを続けることを望む」という声明を発表した。これら三社はいずれも連邦政府での石油・ガス事業にも関与しているため、連邦政府管轄下の事業を優先し、クルディスタン地域での事業展開を断念したことになる。しかし、前述したとおり、メジャーズのほとんどが撤退した今、クルディスタン地域で油ガス田を操業するIOCはほとんどが同地域をコアエリアとする企業である。そのため、開発・生産主体であるIOCはいずれも撤退せず、通常どおりの原油生産を継続した。

第二に、連邦政府はクルディスタン地域唯一の輸出先であるトルコへの影響力の行使を試みた。まず8月23日、イラク国営石油販売会社(SOMO)はクルディスタン地域で生産された原油の買い手と売り手に対して法的措置をとると脅迫した[19]。これは、輸出ルートとなっているトルコに対して直接圧力を加える方法ではなく、パイプラインの終点であるジェイハン港を起点とする原油売買を実施している企業を抑止することを狙った試みであると言える。2023年1月に大手商社トラフィグラ(Trafigura)がKRGとの長年の石油取引を終了することを発表したが、他のトレーダーはKRGとの間に原油現物で返済される予定である貸付債権が多く残っていると言われており、KRGとの取引を継続することを選んだ。

一連の法的圧力が限定的な効果しか及ぼさないことを受け、連邦政府は2023年3月23日、イラク・トルコ間パイプラインをめぐる国際仲裁裁判が決着したことを機に、トルコに対して直接的に働きかけた。仲裁裁判の裁定において、トルコ政府は2014~2018年にクルディスタン地域から連邦政府管轄下のイラク・トルコ間パイプラインを用いた原油輸出を許可したことに対し、賠償金約15億ドルの支払いを請求された。この裁定を受け、トルコ国営ボタシュはジェイハン港からの積み出しを停止し、次いでイラク・トルコ間パイプラインを閉鎖するに至った。輸出停止が短期的に解決しなかったことで、クルディスタン地域で通常どおり操業していたIOCも、保有する貯蔵タンクの容量が満杯に近付くにつれ、3月末から4月上旬にかけて次々と生産停止を余儀なくされた[20]

以上のとおり、連邦政府からKRGへの法的圧力は2022年2月の連邦最高裁判決に始まり、KRGの石油・ガス部門の二つの柱であるIOCとトルコに対してそれぞれ段階的に加えられた。結果として、2023年3月の国際仲裁裁判の判決を受けてイラク・トルコ間パイプラインが長期間の輸出停止を強いられることで、KRGの石油・ガス部門の二つの柱はいずれも機能不全に陥ることとなった。

 

(2) 輸出停止による連邦政府とKRGの妥協

連邦政府とKRGとの石油・ガス部門をめぐる角逐は、4月4日に両者の暫定合意が、5月11日に最終合意が成立したことで当面の決着を見た。トルコからのパイプライン輸出の再開に向けては、連邦政府の輸出再開に関する要請に対するトルコ政府の応答を待つのみとなっている。では、イラク連邦政府とKRGとの石油・ガス部門をめぐる妥協は、どのような内容に落ち着いたのだろうか。4月4日の両者間の暫定合意は、MEESによると以下4つの条項が含まれる[21]

  1. ジェイハン港からの原油輸出の販売権限をSOMOに完全に委ねる。
  2. KRGの原油輸出を監視するための共同委員会(連邦石油省2名、KRG天然資源省2名で構成)を設立する。
  3. KRGと4つの国際企業との新たな契約条件の交渉に対し、石油省の専門家が支援する。
  4. 石油収入はKRGが管理し、連邦最高会計検査院が監視可能な銀行口座に振り込まれる。

このうち、特に1)の販売権限は連邦政府とKRGとの主要な争点であり続けてきたが、今回の合意でKRGが妥協を強いられた形となる。これによって、KRGの石油収入は事実上連邦政府から支払われることとなり、KRGの石油・ガス部門の自立性は大きく損なわれる。クルディスタン地域の油ガス田を操業するIOCとの契約の行方は現時点で明らかにされていないが、もし新たに契約を締結しなおす場合、外国企業が利益を得ることへの抵抗感が強い連邦政府の影響下で[22]、これまでの生産物分与契約から金銭的なインセンティブが少ない技術サービス契約に変更される可能性がある。それが実現した場合、KRGの石油・ガス部門を支える一つの柱が大きく揺らぐこととなり、ますますKRGの石油・ガス部門の弱体化が進むことになる。

しかし、イラクの石油・ガス産業全体を俯瞰したとき、今回の合意には二つの大きなメリットが存在する。一つは、クルディスタン地域から輸出される原油の価格が上昇することである。クルディスタン地域から輸出される原油は連邦政府が輸出するキルクーク原油と比べリスクが高いと見なされ、大幅な値引きが常態化していた。今回の合意でSOMOが販売責任を負うことでこのリスクが解消され、キルクーク原油相当の価格で販売されるようになると想定されている。これまで、キルクーク原油はブレント原油に対して6ドル、クルド原油は18ドルのディスカウントが存在したと言われており[23]、クルド原油の価格上昇によってKRGの石油収入自体は大幅に増加することが見込まれる。またもう一つは、2007年以来成立してこなかったイラク全土の石油・ガス法に関する議論につながりうることである。これによって常に不安定だったKRGの石油・ガス部門の地位が法的に定められる可能性がある。今回の法的紛争は、イラクの石油・ガス産業全体にとっては、より集権的・安定的で利益の大きい体制へと変化する機会にもなりうる。

以上のとおり、KRGは輸出停止を梃子に、連邦政府との石油・ガス部門をめぐる対立で妥協を強いられることとなった。この妥協は、クルディスタン地域の石油・ガス部門の自立性を損ない、KRGの目標である独立や自治の拡大は大きく遠ざかる可能性がある。他方、イラク全体の石油・ガス産業を見た場合、より安定的で利益の大きい産業体制を確立するという機会にもなっている。今後のイラク全体の石油・ガス産業にとっては、石油・ガス法を制定することで安定性を確保しつつ、外国企業のさらなる投資を誘致できる魅力的な契約形態を整備することが大きな課題となるだろう。

 

4. おわりに

イラクの石油・ガス産業は戦後から一貫して連邦政府とKRGとに分断されてきた。KRGは地域自治の最大の柱として、開発・生産主体であるIOCと輸出先のトルコを確保しつつ、独自の石油・ガス産業を確立してきた。しかし、今回の連邦政府からの法的圧力とパイプライン輸出の停止によって、その基盤が大きく揺らぎつつある。IOCとトルコという二つの柱を封じられたKRGの石油・ガス部門は、今までにない窮地に陥っている。

裏を返せば、イラク全体にとっては今回の輸出停止が集権的・安定的な石油・ガス産業を確立する大きな一歩となる。今後、統一的な石油・ガス法の制定と、IOCを引き付けられる金銭的インセンティブを有する契約形態の整備が課題になるだろう。

最後に、今回の輸出停止の見通しについて簡単に述べておきたい。イラク国内の対立は一定程度落ち着きを見せているものの、イラク連邦政府とトルコとの国際仲裁裁判は落としどころを見出せていない。トルコ側は、5月に大統領選挙が控えていたという事情に加えて、イラク側が今回の判決以上の補償を求めないことを期待している可能性がある[24]。というのも、今回の判決はKRG・トルコ間の2014~2018年のパイプライン利用を対象としたものであり、2019年以降のパイプライン利用に関する国際仲裁裁判は現在も裁定待ちの状況なのである。この他にも、逆にイラク連邦政府が、今回の輸出停止を水資源配分、クルディスタン地域に存在するトルコ軍基地の撤去等、トルコとの複雑な問題に対する交渉を絡めることを意図しているとの指摘もある[25]。トルコ大統領選挙は5月末に終了したものの、これらの二国間問題が処理されるまで、輸出再開を待つ必要があるだろう。

 

 

[1] Ahmed Rasheed and Rowena Edwards, “Iraq halts northern crude exports after winning arbitration case against Turkey,” Reuters, March 25, 2023, https://www.reuters.com/business/energy/iraq-halts-northern-crude-exports-after-winning-arbitration-case-against-turkey-2023-03-25/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[2] 吉岡明子「二元化するイラクの石油産業―クルディスタン地域の石油と国外アクターの役割―」『国際政治』第174号、2013年。

[3] 吉岡明子「第4章 揺らぐイラクの石油の支配」吉岡明子・山尾大編『「イスラーム国」の脅威とイラク』岩波書店、2014年、153頁。

[4] 兼清賢介監修『石油・天然ガス開発のしくみ:技術・鉱区契約・価格とビジネスモデル』化学工業日報社、2013年、51-53頁。

[5] 2011年から2012年にかけて、エクソンモービル、トタル(現トタルエナジーズ)、シェブロンがクルディスタン地域の探鉱開発事業に参画。

[6] Till F. Paasche and Howri Mansurbeg, “Kurdistan Regional Government – Turkish Energy Relations: A Complex Partnership,” Eurasian Geography and Economics 55, no. 2 (August 2014): 111-132.

[7] “Iraqi Kurdistan Begins First-time Oil Exports,” Al Arabiya, June 1, 2009, https://english.alarabiya.net/articles/2009%2F06%2F01%2F74513(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[8] 増野伊登「石油大国イラクの行く末は?―国家分裂の危機に直面するOPEC第2の産油国―」『JOGMEC石油・天然ガスレビュー』2014年9月。 https://oilgas-info.jogmec.go.jp/review_reports/1006521/1006545.html

[9] 増野伊登「イラクの原油生産動向と今後の見通し」『JOGMEC石油・天然ガス資源情報』2015年3月。 https://oilgas-info.jogmec.go.jp/info_reports/1004522/1004547.html

[10] キルクーク油田はアヴァナ・ドーム、ババ・ドーム、フルマラ・ドームの三つの構造に分かれている。このうち、フルマラ・ドームはイラク戦争以降KRGが支配し、アヴァナ・ドーム及びババ・ドームは連邦政府の管轄下に置かれてきた。

[11] Eklavya Gupte and Brian Scheid, “Iraq Restarts Kirkuk Crude Exports through Turkey Pipeline,” Platts Oilgram News, November 16, 2018.

[12] Yesar Al-Maleki, “Iraq’s Supreme Court Rules against KRG Oil Independence,” MEES, February 18, 2022. https://www.mees.com/2022/2/18/geopolitical-risk/iraqs-supreme-court-rules-against-krg-oil-independence/2f5a97e0-90b9-11ec-ba79-61a180ef3c49(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[13] Dilan Sirwan, “Federal Court Decision against Kurdish Oil, Gas 'Political': Masoud Barzani,” Rudaw, February 15, 2022, https://www.rudaw.net/english/kurdistan/150220223(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[14] Simon Martelli, “Genel Takes Kurdistan Write-Off,” International Oil Daily, March 17, 2022, https://www.energyintel.com/0000017f-948b-dea0-a7ff-94db2b1b0000.(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[15] Yesar Al-Maleki, “KRG Oil Sector In The Crosshairs As Baghdad Steps Up Legal Attacks,” MEES, June 10, 2022, https://www.mees.com/2022/6/10/oil-gas/krg-oil-sector-in-the-crosshairs-as-baghdad-steps-up-legal-attacks/922c63c0-e8b0-11ec-aec4-fb4a287d70fa(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[16] Rowena Edwards, “Iraq aims to establish new oil company in Kurdistan region,” Reuters, May 21, 2022, https://www.reuters.com/business/energy/iraqs-oil-ministry-aims-establish-new-oil-company-kurdistan-region-2022-05-21/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[17] Simon Martelli, “KRG Hits Back at Iraq Over 'Intimidation' of IOCs,” International Oil Daily, June 14, 2022, https://www.energyintel.com/00000181-61a1-dc60-afe3-e9f3089d0000(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[18] Rowena Edwards and Moataz Mohamed, “U.S. Oilfield Services Trio to Exit Kurdistan Region, Iraqi Ministry Says,” Reuters, July 5, 2022, https://www.reuters.com/business/energy/schlumberger-baker-hughes-halliburton-will-not-apply-new-kurdistan-projects-2022-07-04/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[19] Simon Martelli, “Baghdad Issues Threat Over Sales of Kurdish Oil,” International Oil Daily, August 25, 2022, https://www.energyintel.com/00000182-d649-d165-afcb-f65fc8560000(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[20] Adam Lucente, “International oil firms stop operations as Iraqi-Kurdish oil dispute continues,” Al Monitor, March 29, 2023, https://www.al-monitor.com/originals/2023/03/international-oil-firms-stop-operations-iraqi-kurdish-oil-dispute-continues(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[21] Yesar Al-Maleki, “Baghdad & KRG Sign Landmark ‘Temporary Deal’ To Resume Exports,” MEES, April 7, 2023, https://www.mees.com/2023/4/7/geopolitical-risk/baghdad-krg-sign-landmark-temporary-deal-to-resume-exports/4e02c700-d545-11ed-8a9f-f1fdaf7a4d4c(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[22] 豊田耕平「戦後イラクの随伴ガス回収事業:資源大国イラクは天然ガス不足から脱却できるのか」『JOGMEC石油・天然ガス資源情報』2022年10月。 https://oilgas-info.jogmec.go.jp/info_reports/1009226/1009516.html

[23] Yesar Al-Maleki, “Iraq-Turkey Crude Exports Set to Resume?” MEES, May 12, 2023, https://www.mees.com/2023/5/12/news-in-brief/iraq-turkey-crude-exports-set-to-resume/5e8c94f0-f0d1-11ed-8c32-ed5009cd60bc(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[24] Rowena Edwards, Can Sezer and Ahmed Rasheed, “Iraq's Northern Oil Exports Stuck on Turkey Negotiations,” Reuters, April 14, 2023, https://www.reuters.com/business/energy/iraqs-northern-oil-exports-stuck-turkey-negotiations-2023-04-14/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます.

[25] 吉岡明子「イラク:トルコ経由の北部石油輸出が再開せず」『中東動向分析』2023年4月。

 

以上

(この報告は2023年6月2日時点のものです)

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