ページ番号1009882 更新日 令和5年9月12日

エネルギートランジションをけん引する欧州 ―世界が脱炭素に向かう中今後もその存在感を保てるか―

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レポートID 1009882
作成日 2023-09-12 00:00:00 +0900
更新日 2023-09-12 13:07:03 +0900
公開フラグ 1
媒体 石油・天然ガス資源情報
分野 CCS水素・アンモニア等
著者 中島 学
著者直接入力
年度 2023
Vol
No
ページ数 42
抽出データ
地域1 欧州
国1
地域2 北米
国2
地域3
国3
地域4
国4
地域5
国5
地域6
国6
地域7
国7
地域8
国8
地域9
国9
地域10
国10
国・地域 欧州北米
2023/09/12 中島 学
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概要

  • エネルギートランジションを突き進む欧州は、EU-ETS(欧州排出権取引制度)を核とする炭素価格制度や様々な法規制、高い温暖化ガス排出量削減目標により気候変動対策において常に世界をリードする。しかしそのような中、ロシアのウクライナ侵攻に端を発したエネルギー危機において欧州はその渦中に引きずり込まれることとなった。現在欧州はエネルギーの脱炭素、価格高騰、(自然エネルギー増加による)安定供給への懸念というまさにエネルギーのトリレンマを抱える当事者となり、エネルギー政策の曲がり角に差しかかっている。
  • 気候変動対策としての厳格な法規制やEU-ETS制度は企業の事業コストを押し上げ、急激なエネルギートランジションの進展は、リソースの不足から事業開発費用の高騰を招く。更に欧州のエネルギー価格の高止まりと世界のインフレ基調と相まって、企業の事業収益を圧迫し、競争力を削ぐ。一方で米国のIRA(インフレ削減法)に後押しされた米国市場におけるクリーンエネルギー事業の進展や中国のEV市場、再エネ開発の急速な拡大、更に中東や北アフリカ諸国はその地理的優位性を武器にクリーンエネルギーの供給地としての地位を築こうとしており、エネルギートランジションにおける勢力図も変化をみせている。脱炭素技術を市場や産業発展の推進力にしようと試みてきた欧州であるが、脱炭素技術の主役の座は徐々に他の地域に取って代わられようとしている。
  • 90年代石油・ガス開発セクターにおいて北海はその先端的技術、基準・ガイドラインの導入、合理的管理手法によって石油・ガス開発における理想的モデルとされ、多くの石油・ガス事業が開発・操業の参考として取り入れた。気候変動対策において先行する欧州もまた多くの面で世界の参考例となっているが、「エネルギー危機下における脱炭素」という誰もが経験したことの無い困難な状況下において、欧州の取る道が唯一の「最適解」とは限らず、欧州は「課題先進地域」としても我々に様々な示唆や教訓を与えてくれている。

 

1. 世界と欧州(EU)の温暖化ガス排出量の推移

EU-ETS(欧州排出権取引制度)を中心とする炭素価格制度や厳格な法規制、高い温暖化ガス排出量削減目標といった気候変動対策で知られる欧州であるが、果たして実際の温暖化ガス排出量削減の状況はどうなっているのであろうか。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻に端を発したエネルギー危機は世界のエネルギーシステムに大きな影響を与えたが、ロシアのエネルギー供給に大きく依存していた欧州は、まさにエネルギー危機の最前線に置かれた。ドイツが原子力エネルギー撤廃方針を覆し原子力発電を継続、あるいは欧州各国が休止中の石炭・ガス火力発電を再開したといったニュースがしきりに報道された。また欧州委員会は2022年5月にREPowerEU計画[1]を公表し、ロシア産化石燃料依存からの脱却を宣言した。

2022年における世界のエネルギー関連温暖化ガス排出量は図1にあるように2021年比で0.9%の増加となった[2]。石油・天然ガス高騰に伴い石炭火力発電の割合が増えたこと、また新型コロナ感染症からの回復局面により人々の移動、特に航空機による移動が活発化したことが増加の主な理由としてあげられている。一方で記録的なEV(電気自動車)販売の伸び、再エネの大幅な拡大、エネルギー価格高騰による省エネや節電といった対策や節約志向、中国のゼロコロナ政策による経済回復の遅れが5.5億t-CO2eの削減要因となり、温暖化ガス排出量の伸びはどうにか0.9%に抑えられたとも解釈できる。

(図1)2022年世界のエネルギー関連温暖化ガス排出量 (単位:億t-CO2e)
(図1)2022年世界のエネルギー関連温暖化ガス排出量
(単位:億t-CO2e)
(出所:IEA CO2 Emissions in 2022に基づきJOGMEC作成)

図2は1990年から2022年までの世界のエネルギー関連GHG排出量のグラフである。2000年代のスーパーサイクルと呼ばれる、特に中国による温暖化ガス排出量が急激に増加した時期を経て、世界の温暖化ガス排出量の伸びは鈍化しているが、2020年の新型コロナ感染症の蔓延といった特殊要因を除いては、排出量の増加が続いている。

(図2)世界のエネルギー関連温暖化ガス排出量(1990~2022年) (単位:10億t-CO2e)
(図2)世界のエネルギー関連温暖化ガス排出量(1990~2022年)
(単位:10億t-CO2e)
(出所:CO2 Emissions in 2022他 IEA資料に基づきJOGMEC作成)

一方2022年における欧州(EU)の温暖化ガス排出量は2021年比で2.5%(7,000万t-CO2e)の減少となった。後ほど「電力」の項で詳しく解説するが、電力セクターにおける原子力・水力発電の不調、石炭・石油火力発電の再稼働や発電増加といった排出量の増加要因を再エネの大幅拡大、産業界の節電・省エネ対応、個人レベルでの節約意識、暖冬といった低減要因が上回ったという形となった。

過去1990年から2022年における欧州(EU)の温暖化ガス排出量の推移をみると、年々排出量が順調に削減されてきていることがわかる(図3)。一方で2030年に温暖化ガス排出量を1990年比55%削減するという政策パッケージ、Fit for 55[3]実現のためにはチャートの傾き(緑破線)が示すように、更にもう一段ギアを上げて域内の脱炭素政策を積極的に進めていく必要がある。

(図3)欧州(EU)温暖化ガス排出量推移 (単位:%)
(図3)欧州(EU)温暖化ガス排出量推移
(単位:%)
(出所:eurostat資料に基づきJOGMEC作成)

2. 地球温暖化対策に関する政府の関与: 欧州型 vs 米国型

欧州の気候変動対策・脱炭素に向けた厳格な法規制を中心とするアプローチはしばしば「アメとムチ」の「ムチ」の政策と評される。EU-ETS(欧州排出権取引制度)を核とした温暖化ガス排出量を罰則によって制御するやり方は、排出源である事業者にとっては「負のインセンティブ(動機づけ)」となり、プッシュファクターと呼ばれる(図4)。

一方米国バイデン政権は2022年8月に「インフレと闘い、国内のエネルギー生産と製造業に投資、30年までの排出量を40%削減」することを目的にIRA(インフレ削減法)[4]を成立させた。この法令は短期間(インセンティブには有効期限がある)でのクリーン技術関連事業の規模拡大に主眼を置き、供給側に大幅な税額控除の恩恵を与えていることから、事業者の視点からは「アメとムチ」の「アメ」、「正のインセンティブ」となり、プルファクターと呼ばれる(図4)。

(図4)地球温暖化対策に関する欧州と米国の政策対応の比較
(図4)地球温暖化対策に関する欧州と米国の政策対応の比較
(出所:JOGMEC作成)

ただしクリーン技術市場の拡大という視点でみた場合IRA(インフレ削減法)の弱点は、需要側に十分な「購入動機」が得られないということである。IRAにも(所得制限付きで)ゼロエミ車の購入に対する税控除といったいくつかの消費者側のメリットが盛り込まれているが、インパクトのある需要を創出し、市場を支えるには十分ではない。需要側にとって(税額控除によるある程度の製品価格低減は見込まれるとはいえ)値段の高いクリーン水素を敢えて購入するための強い動機が見当たらないという状況となっている。他方欧州の場合はEU-ETS(欧州排出権取引制度)や他の炭素価格制度によって温暖化ガス排出=事業経費となることから、(温暖化ガスを排出する)産業セクターにコスト削減のためのクリーン技術への潜在的需要がある。企業によっては、既存の化石燃料やグレー水素(化石燃料を原料とした水素)をクリーン水素で代替することで、例えばオークションによる有償EUA(排出枠)の購入が必要なくなるといったメリットが生まれる。

 

3. 欧州(EU)の温暖化対策とEU-ETS(欧州排出権取引制度)

欧州の温暖化対策に具体的な実効性を持たせているのがEU-ETS(欧州排出権取引制度)である。排出権取引制度自体は企業や施設に対し排出枠の上限(キャップ)を設け、その排出枠(余剰・不足分)を取引するキャップ&トレード制度[5]を基本とするが、EU-ETSではその上限を段階的に引き下げたり、排出枠の無償配分を減らして有償化したりするなど、実効性を上げるための様々な工夫・施策を行っている。EU-ETSは2005年から運用を開始したが、過去の排出量の実績に基づき排出枠の無償配分を行うグランドファザリング(Grandfathering)方式[6]やデータから得た製品ベンチマークに基づく割当手法であるベンチマーク方式[7]を経て、現在のフェーズ4に至っており、制度全体の排出枠を21年から年率2.2%ずつ削減し、30年には05年比で43%の削減を目指すことが2018年に決定された。

(図5)EU-ETS(欧州排出権取引制度)価格推移(2005~2023年) (単位:€)
(図5)EU-ETS(欧州排出権取引制度)価格推移(2005~2023年)
(単位:€)
(出所:Trading Economics資料に基づきJOGMEC作成)

排出権取引制度は一般的には炭素税といった他の炭素価格(Carbon Pricing)と比較して歓迎される傾向にあると考えるが、炭素税と異なり仕組みが複雑で、実際の制度設計・運用には人材・リソース・財源の確保も課題となる。排出枠の売り上げ収入は気候変動対策・脱炭素技術開発の原資となるが、(数年前までのEU-ETSや多くの国々の排出権取引制度のように)価格が低ければ財源確保が困難になるだけでなく、企業が容易く排出権を市場で調達することができるため、温暖化ガス排出量削減が困難な(hard-to-abate)産業の脱炭素化が進まなくなる。また逆に排出枠の価格が高すぎると企業側の負担が大きくなり、企業の競争力を削ぐ原因となることや、炭素リーケージ[8]といって企業が生産拠点を排出対策の進んでいない国・地域に移転し、地球規模として排出量削減が進まないといった問題を生む可能性がある。また排出枠価格の乱高下が激しい場合は、企業にとってそのための予算化や資金調達も困難となる。欧州もEU-ETS制度発足当時はEUA(排出枠)の価格が安定せず、10年以上もの間低価格の時期が続いたが、2019年の市場安定化準備制度(MSR)[9]導入等をきっかけとして、現在は90€前後と排出量削減に対し実効性のある価格水準で推移している(図5)。欧州もEU-ETS制度の安定・定着、価格の高止まりまで15年近い歳月が必要であったことを考えると、排出権取引制度の設計や管理の難しさが想像される。

前述した域内産業の競争力低下や炭素リーケージを防ぐ目的からEU(欧州連合)はCBAM(炭素国境調整措置、Carbon Border Adjustment Mechanism)[10]の導入を決定した(2023年4月18日にFit for 55パッケージに関する5つの法律ひとつとしてEU理事会により採択)。CBAMは、EUで製造可能である製品において、炭素規制が不十分な国からの輸入品に対し、EU-ETSの炭素価格に連動した炭素賦課金を課す措置である。CBAMは2025年末まで報告義務としてのみ適用されるが、2026年以降は、セメント、アルミニウム、肥料、電気エネルギー生産、水素、鉄鋼、および一部の川下製品について実際に適用される。またCBAMはEU-ETS制度と連動しているため、これらの製品では排出割り当ての無償枠が、2026年から2034年までの9年間で段階的に廃止される。

欧州の温暖化対策の根幹を成すEU-ETSであるが、果たしてその実効性はどうであろうか。図6は欧州(EU)における各産業セクター別の温暖化ガス排出量の推移を示したものである。チャートからエネルギー供給(主に電力)、産業部門において大きく温暖化ガス排出量削減が進んでいることが見て取れる。

(図6)EU27のセクター別温暖化ガス排出量の推移 (単位:100万tCO2e)
(図6)EU27のセクター別温暖化ガス排出量の推移
(単位:100万tCO2e)
(出所:StatistaデータをもとにJOGMEC作成)

これらのセクターは、これまでEU-ETSが集中的に削減のターゲットとしてきた。EU-ETSの効果を直接的に裏付けるものではないが、温暖化ガス排出量削減に対してEU-ETSが少なくとも一定の役割を果たしていると認めることができるのではないだろうか。

 

4. ルール先行の欧州型エネルギー政策に対する産業界の不満

2022年8月に米国でIRA(インフレ削減法)が導入されて以来、EU・欧州各国はIRAが志向する米国内製造業への支援・優遇策、自国市場優先といった方針が保護主義政策であると繰り返し批判してきた。

一方で厳格なルールで縛り、EU-ETS(欧州排出権取引制度)といった直接的負担を強いる制度に対する産業側の不満は決して小さくない。特にIRA(インフレ削減法)の成立以降は両者のアプローチの相違から、産業界にIRA型の政策導入を切望する声は多い。ただしEUにおいても技術支援や事業に対する補助金といった公的支援制度がない訳ではない。例えば欧州共通利益に適合する重要プロジェクトを対象とした事業支援としてIPCEI(欧州共通利益に適合する重要プロジェクト、Important Project of Common European Interest)[11]があり、水素関連事業支援にはIPCEI Hy2Use(52億€)、革新技術に対する支援にはIPCEI Hy2Tech(54億€)といった形で技術開発・事業推進の強力な後押しとなる様々な支援制度が存在し、それに加えて各国独自の支援の枠組みもある。そういった中産業セクター側の欧州の支援制度への不満は、制度が複雑で様々な要件を満たす必要があること、また支援が最終的に決定されるまでに多くの時間を要するといった点に向けられる。また競争入札といった選定方式が取られるケースも多く、更に承認手続きに時間がかかる。例えば事業に補助金が付くかどうかが判断できなければ、事業の経済性評価も条件付きとなり、FID(最終投資決定)もEUの最終決定が下されるまで保留しなければならない。IRAにおいても税額控除を決定するファクターとして従業員への賃金・育成制度といった付帯条件が付くが、原則はCO2の削減量・クリーンエネルギーの生産量で税額控除が決定されるため、事業に影響する経済的メリットを算定しやすく、事業の経済性評価や製品価格決定にも織り込みやすい。事業への不透明さや不確実性がない非常にシンプルな設計となっており、この点も欧州企業にとってのEU制度に対する不満の一因となっている。

更にIRAの場合税額控除の条件がCO2の削減量にフォーカスされており、「技術中立」をその基本設計の中心に据えている。特定のクリーン技術に政策的に誘導するのではなく、「価格」や「クリーン度」といった尺度を用いた「市場の競争原理」に技術の「優勝劣敗」を委ねるといった考え方である。その中では原子力発電やCCS技術も温暖化ガス排出量削減の有効な手段として同等に扱われる。他方欧州では技術ごとに光の当たり方が異なる。例えば原子力エネルギーでは、フランスを筆頭とする原子力発電推進の国々とドイツをリーダーとする否定派の国々との間で、「クリーン技術」としての原子力エネルギーの解釈や位置づけが異なり、EUとして長期的な電力政策・戦略を決定する上で大きな足枷となっている。[12]

23年3月、欧州委員会はグリーンディール産業計画(Green Deal Industrial Plan)[13]の一部として位置付けられる欧州ネットゼロ産業法案(EU Net Zero Industry Act、NZIA)[14]を公表した。欧州ネットゼロ産業法案(NZIA)は、EUの気候とエネルギーに関する目標を達成するためのクリーンエネルギーの安全かつ持続可能で競争力のあるサプライチェーン確保のため、主要な技術のEU内製造拡大を目的とする。支援対象となる8つの戦略的ネットゼロ技術(太陽光、陸上・洋上風力、蓄電システム、ヒートポンプ・地熱発電、電解槽・燃料電池、バイオガスあるいはバイオメタン、CCS、送電技術)が設定されているが、その中には原子力エネルギーが含まれていない。先端技術としてのSMR(小型原子炉)と核融合(フュージョン)技術はその他のネットゼロ技術として参照されているが、広域の原子力技術一般は対象となっていない。このようなEUの動きに対して原子力開発を推進する14か国(ベルギー、ブルガリア、クロアチア、チェコ、エストニア、フィンランド、フランス、ハンガリー、オランダ、ポーランド、ルーマニア、スロバキア、スウェーデン、スロベニアの14か国に英国、オブザーバーとしてイタリアが参加)がEU Nuclear Alliance(欧州原子力同盟)[15]を結成し、EUに対し原子力エネルギーを「クリーン技術」として再生可能エネルギーと同等に位置づけ、資金、研究、事業開発の面で同様の取り扱いを行うよう訴えている。このような状況も産業界には欧州における将来のエネルギー政策の不透明感や不安定さとして映る。

EU-ETSといった気候変動に対する「ムチ」の政策によるコスト増だけでなく、エネルギー価格の高騰による欧州企業のコスト負担も大きい(図7)。

そこで域内産業の競争力低下を防ぐために登場したのが前述したCBAM(炭素国境調整措置)であるが、米国のIRA(インフレ削減法)も含め第3国の目にはそのような欧米の動きがどのように映っているのであろうか。

図8はインドの主要な輸出国・地域のチャートであるが、米国・欧州が主要な輸出相手国・地域であることがわかる。一方CBAMでは、2023年10月からEU域内の輸入事業者が製造工程において炭素強度の高い対象製品(鉄鉱石、鉄鋼、セメント、アルミニウム、肥料、電力、水素、アンモニア)をEU域外から輸入する際報告義務が生じ、2026年から2034年まではEU-ETSに基づいて課される炭素排出量価格に相当する賦課金をEUに支払う必要がある(CBAM証書の購入)。鉄鉱石、鉄鋼、セメントはインドにとってEU向けの重要な輸出品となっているため、CBAMの導入はインドの輸出戦略にとって大きな痛手となる。また2023年7月南アフリカの貿易産業競争省は欧州委員会に書簡を送り、その中でCBAMについて「発展途上国に気候変動対策の重荷を転嫁する結果となり、気候変動の野心を追求する代わりに、発展途上国に気候変動目標をあきらめさせるというリスクを招くことになる」と述べた。更に前述したインドは自国の製造業発展、自国生産品の利用を最優先する米国のIRA(インフレ削減法)に関しても批判を口にする。今後大きな経済発展余地が認められるインドにとって輸出の振興・拡大は、国の発展に欠かすことのできない重要な要素であり、欧州のCBAMも米国のIRAも共に自由貿易の妨げとなる保護主義の動きと映る。

(図7)欧州(EU)と米国の電力価格比較(EU27:2022年後半、米国:2022年通年) (単位:€)
(図7)欧州(EU)と米国の電力価格比較(EU27:2022年後半、米国:2022年通年)
(単位:€)
(出所:Eurostat資料に基づきJOGMEC作成)
(図8)インドの主な輸出先 (単位:%)
(図8)インドの主な輸出先
(単位:%)
(出所:インド商工省資料を基にJOGMEC作成)

またCBAMの導入は思いがけないところにも波紋を生む。英国は国民投票の結果を受け、2020年1月、ブレグジット(Brexit)として知られるEU離脱を正式に実行したが、同時にEU-ETS(欧州排出権取引制度)から外れ、独自のUK-ETS(英国排出権取引制度)を立ち上げた。UK-ETSは制度上多くの点でEU-ETSの仕組みを取り入れており、実際の炭素市場の動きもEU-ETS市場と連動してきた。しかし2023年3月、英国政府はエネルギー価格の上昇による産業セクターの負担軽減のため、2024~2027年向けのオークションに5,350万トン分の排出権をかけたためUK-ETSの炭素価格は大きく値を下げ、それがUK-ETSの路線変更のメッセージとして市場にも伝わったことから、UK-ETSとEU-ETSの炭素価格は大きな乖離を見せている[16](2023年8月24日時点の炭素価格、EU-ETS、93US$/t-CO2eに対しUK-ETS、60US$/t-CO2e)。英国は2022年、欧州に対しCBAMの対象製品である鉄鋼を250万t以上輸出している。これまで英国はEU-ETSとUK-ETSの市場リンクによりCBAMの影響を無視できる立場にあったが、炭素価格の乖離により英国からの鉄鋼製品に炭素賦課金が課せられる懸念が生じている。もしこの市場のデカップリングが今後も続くようであれば、英国は炭素価格政策を変更し炭素市場の連動を復活させない限り、CBAMにより欧州への輸出に大きな影響を受けることとなる。

IRAを巡る政治的な様々な動きをしり目に欧州の企業は米国市場への進出を着々と加速化する。米国Clean Power Association(ACP)はその報告書「Clean Energy Investing in America」で、2022年8月に米国のIRA(インフレ削減法)が制定されて以降9か月間に発表された米国のクリーンエネルギー投資額は1,500億US$を超え、2017年から2021年の5年間に実行されたプロジェクトの総投資額を上回った、とした。[17]ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の分析によると、インフレ抑制法が成立してから約1年で、米国のクリーンエネルギー関連プロジェクトに約1100億US$の政府支援が拠出され、国外に拠点を置く企業がこの60%強に相当するプロジェクトに参画しているとする。実際に非常に多くの欧州企業がIRAによるインセンティブ・スキムを梃とし、低炭素・クリーンエネルギー事業を米国市場で計画・展開している(例、フランスTotalEnergiesとベルギーTree Energy Solutions(TES)による米国他太陽光・風力適地で製造したグリーン水素とCO2リサイクルによる大規模e-NG(electric natural gas)生産計画、ノルウェーYaraとドイツBASFによるメキシコ湾における年間100万トン超規模の低炭素アンモニア開発検討、英国RWEによるカリフォルニア州における548MWhの蓄電システム設置事業、今後のクリーンエネルギーの拡大を見込んだドイツSiemensによる製造拠点としての米国戦略の再構築)。

 

5. 欧州の低炭素技術・事業の状況

これまでは制度に焦点を当て欧州のエネルギートランジションについて見てきたが、ここからは欧州の低炭素技術・事業の状況について解説していく。

 

1) 電力

1)a 欧州電力の脱炭素化

最初は電力についてである。図9のチャートで示すように欧州(EU)の発電における炭素強度(1kWhの発電をする際に排出されるCO2重量g-CO2e)は年々減少し、2022年には255g-CO2e/ kWhとなり、1990年のほぼ半分ほどとなっている。石炭火力発電の衰退と再エネの増加がその主な要因である。現在国内で原子力発電・再エネの導入により電力のクリーン化を積極的に推進しているUAEの2030年の電力炭素強度の目標が270g-CO2e/ kWhであることからも、欧州の電力炭素強度の低さが際立つ。

(図9)欧州(EU)の電力炭素強度 (単位:g-CO2e/ kWh)
(図9)欧州(EU)の電力炭素強度
(単位:g-CO2e/ kWh)
(出所:European Environmental AgencyデータをもとにJOGMEC作成)
(図10)各国の電力炭素強度(EU27 2021年、その他2022年実績) (単位:g-CO2e/ kWh)
(図10)各国の電力炭素強度(EU27 2021年、その他2022年実績)
(単位:g-CO2e/ kWh)
(出所: Europian Environmental AgencyデータをもとにJOGMEC作成)

図10は欧州(EU)27か国(2021年実績)と米国・中国・インド(2022年実績)の電力炭素強度を比較したチャートである。補助線(緑の破線)として(1)欧州のクリーン水素基準(3.0kg-CO2e/kgH2)、(2)石炭火力発電とCCSの組み合わせ(CO2を90%回収)、(3)石炭火力発電とCCSの組み合わせ(CO2を80%回収)の3つのケースを参考として加えた。(1)は仮に一般送配電網から得られた電力によって水を電気分解し水素を生成した場合、(理論上)クリーン水素となるための基準をクリアできるかを示したものである。石炭火力発電とCCSの組み合わせのケースを見ると欧州(EU)27か国の内ほぼ半数の国々が石炭火力発電において80%のCO2を回収(削減)したケースと同等か、それ以下の電力炭素強度を達成していることがわかる。EUには一般送配電網の電力を使って作られた水素をクリーン水素として取り扱う場合様々な条件をクリアする必要があり、電力炭素強度が低いだけでそのような電力により作られた水素が即クリーン水素としての条件を満たす訳ではないが、既にデンマーク、ルクセンブルグ、ノルウェー(EU域外)といった国の電力炭素強度は、計算上クリーン水素(3.0kg-CO2e/kgH2)の基準を満たすレベルまでクリーン化が進んでいる。

石炭火力発電が主力電源である中国とインドの2022年における電力炭素強度は532 g-CO2e/ kWhと632 g-CO2e/ kWhであり、非常に高い。中国の自動車市場は欧州と並んで世界で最もEV(電気自動車)販売の活発な市場であるが、その燃料となる電気のクリーン化は十分進んでいない。この意味するところは、中国と欧州で同じ条件でEV車を走らせても、環境に対する負荷は全く異なるということである。せっかくEVの購入台数が増加し、電化が進んでも、肝心の発電の排出量削減が進まなければ、本当の意味での温暖化対策にはつながらない。そういう意味で欧州の低い電力炭素強度は重要なポイントである。

2023年6月、EU加盟国は再生可能エネルギー指令(Renewable Energy Directive、REDIII)[18]の合意に至り、2030年の最終エネルギーに占める再エネ比率の目標を32%から42.5%に引き上げた(元々の提案であった45%は努力目標として残された)。これは過去5年間平均の2倍の速度で再エネを拡大しなくてはいけないということであり(図11)、電力の脱炭素化をこれまで積極的に展開してきた欧州にとっても、非常に高いハードルであろうことは想像に難くない。

 

1)b 2022年欧州(EU)の電力需給バランスと再エネの貢献

欧州の全電源に占める再エネ電源の割合は順調に増加しており、2022年に初めて太陽光・風力の合計がガス火力発電を上回った(図12)。2022年のエネルギー危機以来欧州はエネルギー価格高騰とロシアからの天然ガス供給の減少により石炭による火力発電が復活し、電力危機を乗り切ったといったところが一般的認識ではと考える。一方2022年の欧州(EU)の電力供給内訳を見ていくと、実はエネルギー危機で再稼働した石炭火力の伸びはさほど大きくはなく(図13)、天然ガス不足による電力市場のひっ迫を想定し、急遽かき集めた石炭在庫の2/3は手つかずで終わった。むしろ電力供給側の落ち込みは原子力発電(特にフランスの原子力発電量の減少)と水力発電という想定外のところで起きた。原子力発電、特にフランスの原子力発電は欧州電力市場全体の13%程度を占める重要なベースロード電源である。それが2022年は運転不調や補修が重なり稼働率が落ちたところに記録的な渇水に見舞われ、原子炉の冷却水の取水が滞ったことで原子力の発電量が大きく減少した。図14で示されるようにこれまでフランスは欧州最大の電力の純輸出国として英国、ドイツ、スペイン、スイス、イタリアの電力市場を支えてきた。それが一転2022年には原子力発電の不調により英国、ドイツ、スペインから電力供給を受ける純輸入国に転落してしまった。また渇水の影響でダムの貯水池の水位が下がり、水力発電の発電量も大幅に落ち込んだ。したがって2022年における欧州の電力市場のバランスは原子力と水力の発電量の大幅な落ち込みを再エネの急速な拡大と節電によって補ったという図式になる(図13)。石炭火力による発電量は増えてはいるがそれほど大きいものではなく、前出の図3で示したように2022年の温暖化ガス排出量は2021年比で減少している。

(図11)REDIII目標達成に必要とされるEU27における再エネ設備容量 (単位:原油換算、100万t)
(図11)REDIII目標達成に必要とされるEU27における再エネ設備容量
(単位:原油換算、100万t)
(出所:LEAデータをもとにJOGMEC作成)
(図12)欧州(EU27か国)電力構成の経年変化
(図12)欧州(EU27か国)電力構成の経年変化
(出所:EmberデータをもとにJOGMEC作成)
(図13)2022年欧州(EU27か国)の電力供給増・減バランス
(図13)2022年欧州(EU27か国)の電力供給増・減バランス
(出所:EmberデータをもとにJOGMEC作成)
(図14)欧州の電力需給バランスを大きく左右するフランスの原発
(図14)欧州の電力需給バランスを大きく左右するフランスの原発
(出所:EmberデータをもとにJOGMEC作成)

1)c 欧州(EU)電力政策の課題

2022年はエネルギー価格高騰に伴う節電の影響もあり欧州(EU)の年間電力消費量は落ち込んだが、ここ10数年欧州(EU)全体の消費量は年間2900TWhとほとんど変化していない(図15右側)。一方で今後のEV(電気自動車)販売増、データセンターの拡大、ガスボイラーからヒートポンプへの転換、産業・建物等の電化といった市場や社会構造の変化、温暖化による夏場の空調需要の増加、更にグリーン水素・e-fuel(合成燃料)・PtX(Power-to-X)といったクリーン技術の拡大によって新規の電力需要が大幅に伸びることが予想される(図15)。

一方で電力供給側(図15左側)に目を向けると、前述したFit for 55政策パッケージ・再生可能エネルギー指令(RED III)によりこれまでのペースを上回る速度で火力発電の割合を減らしていく必要がある。特に今後は東欧の石炭火力発電や欧州全体のガス火力発電にもメスを入れなくてはならない。またこれまで欧州の電力を支えてきた水力・原子力発電についても地球温暖化に伴う渇水の影響から2022年のような水位の低下や冷却用水の不足といった状況がより頻出すると懸念されており、更に原子力発電では老朽化と運転期間延長により安定運転の維持が難しくなってきている。SMR(小型原子炉)の開発も進めているが、欧州で新たな場所に原子力発電所を建設することは甚だ困難な状況である。電力需要の増加が予想される中、水力・原子力発電量の漸減、火力発電の減少といった状況にあり、太陽光・風力発電を中心とした再エネに対する期待と負担は今後益々大きくなる。

再エネ電源の拡大により懸念される課題が電力の安定供給の維持である。再エネ電源が台頭するということは、これまで火力発電が受け持っていた電力供給のフレキシビリティや(化石燃料による)エネルギー貯蔵といった電力需給システム全体に対する重要な機能が失われることでもある。ある一定の予備電力を確保することもさることながら、十分な数と容量を持つ蓄電システムの導入や需給調整能力を有したディスパッチャブル(dispatchable)電源の確保といった対応も必要になる。しかしながら再エネ電源の拡大ペースと比べて蓄電システムといった電力安定供給の対応は非常に遅れている。

電力の安定供給という側面だけでなく、再エネによる余剰電力の有効利用のためにも蓄電システムや送配電網の拡充は欠かすことができないが、現状ですら足りている状況にはない。特に今年の5月から7月にかけては活発な太陽光発電と需要の弱さからこの状況が顕著で、欧州の卸電力市場はマイナス価格をつけ、ドイツ、オランダでは何時間もの間マイナス価格が続き、今年前半では前年比2倍の時間を記録した(電力供給過多の際日本のJEPXスポット市場は最低入札価格が「0.01円/kWh」に設定されており辛うじてプラスとなるが、欧州ではマイナス価格となる)。現在の再エネ計画においても増加する発電量に比して蓄電システムの開発は十分計画されていないことから、このままでは今後更に電力の安定供給、再エネ有効利用の問題が顕在化してくる可能性が大きい。この点はEU・国といった政府レベルで蓄電システムや送配電網の計画を長期電力戦略に組み込み、政策・規制といった形で統合的に管理していく他有効な手立てはない。

蓄電システムと同様送配電網の拡充は電力の安定供給、再エネ有効利用の点で効果的な手段である。現在再エネの地理的条件に恵まれたエリアからの大規模送電計画や国内の送配電網の拡充(例、洋上風力発電の電力40GWをオランダ・ドイツに送電するオランダTenneTによる送電事業、北海からドイツ南部間500キロメートルを送電するドイツAmprionによるRhein-Main-Link送電事業、2023~2040年に960億€をかけ、国内送配電網の整備を行うとするフランスEnedisの整備計画)が計画されている。特にこの中で着目すべきは、電力需給の安定性の確保、脱炭素化や市場統合の促進を目的に国同士で送電網の整備計画が進んでいることである(例、オランダと英国を結ぶTenneTとNational Gridによる2GWのLionLink送電事業、フランスとスペインによる400キロメートルの海底ケーブルによる海底送電計画)。2021年は欧州全体で年明けから風況が弱く、風力発電量が大幅に落ち込んだ年となったが、欧州は再エネに関して太陽光に恵まれる南欧と風況に優れた北海・バルト海沿岸というように地域により再エネの地理的条件にコントラストがある。全体で電力網の統合が進めば直接・間接的に電力を融通する補完関係が生まれ、電力の安定供給につながる。2022年におけるフランス原子力発電の低調さを補うことができたのも、国同士の連系線の仕組みが整っていたことによる。

送配電網の拡充は今後欧州が総力を挙げて取り組んでいくべき課題であるが、急激な拡大に対し、既にリソースの不足を懸念する声は多い。例えば欧州内で送電線が製造可能な設備は限られており、その敷設能力も十分とは言えない。エンジニア・作業員の確保や育成、原材料や部品の調達にも課題や限界があり、今後送配電事業が本格化すればコストの上昇、工期の遅れといった問題が顕在化してくる可能性は大きい。既に再エネ開発事業、特に洋上風力発電事業はこの部分が顕著で、サプライチェーンのボトルネックと更に案件数の急拡大による当局の許認可手続きの遅れから開発コストが大きく膨らみ、FID(最終投資決定)ができず、宙に浮いたプロジェクトも出てきている。

再エネ容量の拡大に伴う電力安定供給の懸念に対し、蓄電システムや送配電網の拡充に加え、GTCC(ガスコンバインドサイクル発電方式)にCCS(CO2分離回収・貯蔵)技術を加えたクリーンなディスパッチャブル(dispatchable、出力調整可能)電源といったアプローチも生まれている。

(図15)欧州の将来の電力需給における課題
(図15)欧州の将来の電力需給における課題
(出所: JOGMEC作成)

2) CCS

欧州のCCS事業は枯渇油・ガス田が数多く存在し、これまで地下の解析・評価やモデリングが整備され、地下構造や貯留性状の把握が完了している北海海域に集中している。またその沿岸諸国、デンマーク、英国、ノルウェー(注:英国、ノルウェーはEU27か国に含まれない)では国もCCS事業に対して積極的な支援を行っている。

(図16)Northern Lights CCSプロジェクト
(図16)Northern Lights CCSプロジェクト
(出所: Northern Light 公式HP等をもとにJOGMEC作成)

2)a Northern Lights CCSプロジェクト

国の積極的な支援を受けている代表例がノルウェーのNorthern Lights CCSプロジェクト(図16)である。このプロジェクトは世界で初めてCO2の排出源を固定しないオープンソース型で、国境の垣根を超えたCO2の移動を前提とした事業コンセプトということで注目を集めた。都市ごみを暖房用の熱に変換するプラントFortum Oslo Varmeとセメント製造プラントのNorcem BrevikからCO2を回収し、CO2は北海に面するノルウェー西部のOygardenにあるCO2受け入れ・圧入のための陸上基地に2隻の7,500立方メートル(液体CO2を8,000t収納)専用船により海上輸送され、Oygarden陸上基地からはパイプライン(12-1/4” x 100 km)で圧入井に圧送される。2坑(1坑は予備井)の圧入井は水深300メートルの海底面にサブシー仕上げによって設置され、Oygarden陸上基地から海底ケーブル(Umbilical Cable)によって遠隔制御される。CO2は圧入井を通り、海底面下2,600メートルにある砂岩の塩水帯水層であるJohansen層に圧入、貯留される。少なくとも1億tのCO2貯留能力を有していると推定されている。

2016年、ノルウェー政府はノルウェーにおけるCCSのバリューチェーンを含むフルスケールのCCSソリューションの可能性について実現可能性調査を実施し、CCS事業を更に前進させることを決定した。その後GassnovaとEquinorが政府を代表して概念・基本設計(concept and FEED studies)を引き受け、また事業の準備に向けEquinor、Shell、TotalがNorthern Lights JV(共同事業体)を結成した。2020年の初めに掘削した評価井の結果とノルウェー政府との商業協定の成立を受け、2020年5月、Northern Lights JVはプロジェクト(フェーズ1)のFID(最終投資決定)を行った。また2020年12月にはノルウェー議会においてプロジェクト(CCSバリューチェーン全体)に対する政府の補助金が正式に決定された。またCO2の排出施設からの回収を含むCCSバリューチェーン全体に関わるプロジェクトは「Longship」と命名され、Northern Lights JV(共同事業体)の所掌はCO2の輸送・圧入・貯留管理となった。「Longship」プロジェクト(CO2回収・輸送・圧入・貯留)全体の投資額(Capex)は19.3億US$とされ、10年間の操業費は9億US$と計算されたため、最終的な政府側の負担は19億US$となった。投資額のほぼ全額をノルウェー政府が負担するという破格の待遇であり、ノルウェー政府のCCS技術にかける本気度を窺い知ることができる。

Northern Lights CCSプロジェクトはノルウェー国内の2件のCO2排出施設からのCO2を受け入れるところからスタートしたが、海外からの引き合いも加わり、フェーズ1で目指していた年間150万tのCO2貯留量は確保したものとみられる。新規の内1件はデンマークのAvedoreおよびAsnaesの2か所のバイオマス発電所から排出されたCO2をOrstedの運営するKalundborg CCS基地に一旦集め、ノルウェーのOygarden陸上基地に向け船で輸送する計画(図16)。2026年から年間43万tの予定でCO2を搬出する。もう1件はノルウェーのYara Internationalがオランダで操業するSluiskil肥料・アンモニアプラントから排出されるCO2を2025年から年間最大80万t回収し、船でOygarden陸上基地まで輸送する計画。海外のCO2受け入れの目途がつき、「国境の垣根を超えたCO2の移動」という所期のプロジェクト目標達成に向け前進した。

2022年1月、EUはConnecting Europe Facility(CEF)ファンド[19]からNorthern Lights CCSプロジェクトのフェーズ2における基本設計(FEED)の費用として400万€を拠出することで加盟国の合意を得た。フェーズ2ではCO2の貯留量を年間500万tと大幅に拡大する。CO2貯留の引き合いも旺盛で(例、2022年5月、英国の廃棄物燃料化事業のCoryと2030年から年間150万tのCO2貯留で基本合意、2022年8月、金属精錬のEramet Norwayと2028年から年間26万tのCO2貯留で基本合意)、2024年にフェーズ2に対するFID(最終投資決定)を目指す。

 

2)b 英国におけるCCSプログラム

英国は英領北海に数多くの枯渇油・ガス田を抱え、地質の構造や性状の評価も進み、インフラや人材・専門企業等のリソースも豊富なことから、CCSプログラムの実行条件を高い次元で満たしている。英政府も30年までに年間2,000~3,000万t、35年までに5,000万t(排出量の10%相当)のCO2貯留を目標として掲げており、CCSプログラムを後押ししてきた。2020年11月にはCCSプログラムに対し、英政府による10億£の基金(Carbon Capture and Storage Infrastructure Fund、CIF)[20]の立ち上げを公表した。またCCSプログラムの早期実装、脱炭素の促進を企図し、クラスター(産業集積地)・シークエンシング・プロセス[21]を立ち上げた。英国のクラスター・シークエンシング・プロセスはCCSを梃に、古くから英国製造業の中心を成しているAberdeen、Teesside、Liverpool、Lincolnshireといった伝統的な産業地帯、クラスター(産業集積地)の脱炭素化を促進し、新たに低炭素事業を呼び込むことで脱炭素のみならず、産業の活性化・雇用促進を図る目的で設定された。2021年11月には入札によりトラック1の事業として、東海岸のEast Coastクラスター、西海岸のHyNet North Westクラスターの2件が選出され(図17)、それらの事業はCCS事業の先行例を作り、迅速な社会実装や大規模展開を図るためのモデルケースとして政府の支援を受ける(補助金・優先審査手続き)。その中でEast Coastクラスターは2035年までに2300万tのCO2貯留を目指すNorthern Endurance Partnership、クラスター(産業集積地)における既存産業の脱炭素化・クリーン産業の振興を目的としたNet Zero Teesside(後述)及びZero Carbon Humberからなる。TeessideとHumberにおける温暖化ガス排出量の合計は英国のクラスター(産業集積地)排出量全体の5割を占めるといわれている。

HyNet North Westクラスターは英国北西部における排出量削減の困難な(hard-to-abate)セクターにおける脱炭素化を目指し、EniがLiverpool Bayの枯渇ガス田にCO2を貯蔵する。現在Heinz、Kellogg’s、Encirc、ESB、Essar、Novelis、Tata Chemicals、Pilkington Glassといった企業がクリーン水素の生産を検討しており、2025年から年間450万t、2030年代初めまでに年間1,000万tのCO2貯蔵を目指す。2023年にFID(最終投資決定)、2025年に水素生産・CCS開始を予定している。

政権の混乱から英国のCCSプログラムは一時期政策面で停滞し、不透明さと対応の遅れから産業界の懸念と不満を招いたが、2023年3月に今後20年間でCCSに200億£の投資を行うことが公表され[22]、再び英国のCCSプログラムは活況を取り戻している。2023年5月には英国初のCCSライセンスラウンドの選考が終了し、12社(20エリア)が選出された(図17)[23]。また2023年7月にはクラスター(産業集積地)・シークエンシング・プロセスのトラック2の結果が公表され[24]、これまで有力視されていたHumberのViking CCSクラスターと北東スコットランドのAcorn CCSクラスターがそれぞれ選定されている。今後事業者は基本設計(FEED)に進み、FID(最終投資決定)に向け、政府と経済ライセンスの条件について交渉に入る。Viking CCSクラスターは枯渇ガス田に対し2030年までにCO2の貯蔵を年間1,000万t、2035年までには1500万tにまで拡大することを見込んでおり、独自の評価の結果3億tの貯蔵能力を確認している。Harbour(60%)が操業を担当し、bpが40%のシェアを持つ。Acorn CCSクラスターはフェーズ1でCO2年間30万tの貯留を予定しており、その後年間600万tまで拡大する予定。Storegga(30%)が操業を担当し、Shell(30%)、Harbour(30%)、North Sea Midstream Partners(10%)が事業に参加している。

(図17)英国のトラック1 CCSクラスターとCCSライセンスラウンド
(図17)英国のトラック1 CCSクラスターとCCSライセンスラウンド
(出所:各種データをもとにJOGMEC作成)

2)c その他のCCS事業

規模やポテンシャルの面ではノルウェー・英国が先頭を行くが、デンマーク、オランダ、ベルギーといった国々がそれぞれの事業の特徴や地理的条件を生かし、積極的にCCS事業に取り組んでいる(図18)。それぞれの事業に共通するのは複数の国からCO2を集め、北海に貯留するというビジネスモデルであるということ。多くはEUのIPCEI(欧州共通利益に適合する重要プロジェクト、Important Project of Common European Interest)の対象候補となっている。IPCEIの採用条件は欧州にとって重要なインフラの開発であり、特に域内のエネルギートランジションを推進する案件であるということであり、IPCEIに選ばれれば、補助金、優先審査手続き等のメリットが得られる。

(図18)(ノルウェー・英国を除く)北海沿岸国のCCS事業
(図18)(ノルウェー・英国を除く)北海沿岸国のCCS事業
(出所:各種データをもとにJOGMEC作成)

3) クリーン水素

3)a 欧州のクリーン水素展開に関する特徴

現在欧州では様々な事業規模、段階で多くのクリーン水素事業計画が立ち上がっている。この項では欧州の水素市場における全体的なトレンドと特徴的な事業を取り上げる。

欧州水素事業に見られる特徴は「域内外のトレード、回廊、港・クラスター」といった点にある。欧州域内には天然ガス資源に恵まれたノルウェーや英国によるブルー水素(化石燃料から生成した水素からCCSによりCO2を除去したもの)の生産やグリーン水素(再エネ電力による水の電気分解で得られる水素)の電力源となる再エネ資源に恵まれた国によるグリーン水素生産のポテンシャルがある一方、ドイツを始めとした主要産業の集中する中欧の国々は、自らもクリーン水素を生産するものの消費が圧倒的に大きく、将来クリーン水素を大量に輸入する必要があるといわれている。ドイツは2023年7月に3年ぶりとなる水素戦略の改定を行ったが[25]、それによれば2030年時点での水素需要は現在の約2倍、95~130TWhと推定しており、自国の水電解容量も10GWに拡大するものの、需要量の内50~70%は輸入に頼る必要があるとする。

図19で示すように北欧北海沿岸部や南欧・イベリア半島地域では風況・太陽光に恵まれ、それらの自然条件を生かした再エネのポテンシャルが高く、その再エネ電力を使ったグリーン水素を安価に生産できる。一方で国内需要はそれほど高くないため、水素市場が大きく、需要を国内だけでは賄いきれない中欧の国々に対し、「水素の流れ」が生じる。

2020年、欧州のガス供給システム運営事業者(現在は32組織)によって欧州域内の水素輸送インフラの展開、水素市場の拡大を目指すべくEuropean Hydrogen Backbone(EHB)イニシアティブ[26]が発足した。EHBイニシアティブでは「需給の勾配」によって生じる水素の流れる道筋を「水素回廊」と呼び、5つの「水素回廊」を特定した(図20)。

(図19)2040年各市場の水素需給バランス
(図19)2040年各市場の水素需給バランス
(出所:ehb.euデータをもとにJOGMEC作成)
(図20)EHBの欧州における水素回廊構想
(図20)EHBの欧州における水素回廊構想
(出所:ehb.euデータをもとにJOGMEC作成)
  1. 北アフリカ・南欧(SoutH2)回廊(アルジェリア、チュニジア、イタリア、オーストリア、ドイツ):
    北アフリカと中央ヨーロッパをつなげる3,300キロメートルの天然ガスと水素パイプライン回廊。水素の輸送能力は年間400万t。チュニジアからイタリアの既存のガス輸送幹線を通り、ドイツ南部の工業地帯であるBavariaに至る。輸送の70%は既存のガス用パイプラインを利用。
  2. 南西ヨーロッパ・北アフリカ(Green Energy)水素回廊及びBarMar/H2Medパイプライン:
    北アフリカ、ポルトガル、スペインで生産されたグリーン水素をフランスに輸送し(バルセロナ・マルセイユ間をつなぐ455キロメートルの海底パイプライン、BarMar/H2Medを建設)、その後ドイツにも供給。Iberdrolaはスペインに20MWのグリーン水素プラント(Puertollano)を建設済。
  3. 北海(North-South)水素回廊:
    ノルウェー等北欧で生産されたグリーン・ブルー水素をドイツのWilhelmshaven港にパイプラインで輸送し、ドイツ各地の産業集積地にガスからの転用および新規のパイプライン(400キロメートル)を通じ供給。またオランダ、ベルギー、英国市場への供給も見込む。2028年操業開始予定。
  4. 北欧・バルト海沿岸水素回廊(バルト海沿岸9か国によるBalticSeaH2コンソーシアム):
    BalticSeaH2コンソーシアムによりバルト海沿岸国の脱炭素と低炭素事業開発を目指す。またフィンランド・バルト3国で生産されたグリーン水素をドイツ、ポーランドへ供給。フィンランド南部とエストニアの間に「水素バレー」を建設し、ドイツ北部にパイプラインで水素を輸送する(年間10万t)。2030年操業開始予定。
  5. 東・南東ヨーロッパ水素回廊:
    風力・太陽光発電のポテンシャルの高いルーマニア、ギリシャ、ウクライナで生産されたグリーン水素をドイツ、ポーランド等に供給。

またこれら以外にもデンマークから水素をドイツに輸送するルートが検討されている。2023年3月にはデンマーク・ドイツ政府間で2028年までに水素輸送インフラを構築することに合意している。H2 Energy EuropeはデンマークのEsbjergにおいて水電解容量1GW(グリーン水素年間生産量9万t)という欧州でも最大規模のグリーン水素プラント開発計画を進めており(生産開始予定2027年)、両国間の合意を受け、23年6月に基本設計(FEED)を発注した。現在の水素市場は「鶏と卵(市場の将来の不透明さが大規模投資・大量生産を妨げ、大量生産ができないことで価格が下がらず、需要拡大につながらない。したがって市場が見通せないという無限ループ)」に例えられるが、(前述したIRAについても同様であるが)政府が積極的に方向性を示すことで市場に明確なメッセージを発信し、投資に対する透明性をもたらした好例であろう。ガスの送配事業者であるデンマークのEnerginetとオランダのGasunieが5月に公表した報告書では、デンマークは現在2030年までに洋上風力発電を利用した水電解容量を4~5GWに拡大する目標を掲げているが、2030年までにグリーン水素の生産が年間15TWh、2050年には年間98TWhまで拡大し、その内90%を輸出に回すことが可能となるとした。

European Hydrogen Backbone(EHB)イニシアティブの構想では、2030年までの水素パイプラインの総延長は最大28,000キロメートルにおよび2040年までに約53,000キロメートルを目指すが、その内の60%は既存のガスパイプラインの転用を企図している。また改定されたドイツの水素戦略においても2028年までに国内に1,800キロメートルの水素パイプライン網の整備が必要としているが、ドイツのGas Transport Company Association(FNB)が水素戦略公表直前に発表した水素幹線パイプラインのモデルでは、水素パイプラインの90%は既存のガスパイプラインの転用で賄うとしている。いずれのケースでも将来の水素輸送を既存のガスパイプラインを最大限活用して行う(repurpose)としている点は、ガスパイプライン網が高度に発達している欧州ならではの強みであり、それが故に「域内外の水素トレード」や「水素回廊」といった構想も成立する。

一方でドイツの水素戦略では2030年までの水素の輸送は船舶による海上輸送がその中心を担うと予想する。実際にオランダのRotterdam、Amsterdam、ベルギーのNorth Sea Port、ドイツのWilhelmshavenといった港の港湾組織(Port Authority)が率先して水素市場の拡大、産業展開へ大きな役割を果たしている。

それらの港湾の特徴は元々域内外の交易の結節点というだけでなく、エネルギー輸入や再輸出の拠点であり(例、Rotterdam港は欧州のエネルギー需要の内13%を輸入しており、世界の2大船舶給油地、バンカリング港のひとつ)、エネルギー集約型の産業も集中している。したがってクリーン水素・アンモニアといったクリーン燃料に関しても既存の荷受け・貯蔵・輸送設備やそのハンドリング・管理のノウハウが生かされる半面、地域の炭素強度も高く、港湾エリアの脱炭素は大きな課題となっている。またオランダ、ベルギー、ドイツの産業集積地への玄関口にあたることから、港湾エリアや工業地帯の脱炭素を通して、エネルギートランジションの時代においてもクリーンエネルギー供給の重要拠点となることを目指している。

そのような中それらの港湾組織は以下のような活動を積極的に展開している。

  • 域内外の水素供給先や港湾と事業連携・貿易協定締結
  • アンモニアから水素への変換、水素貯蔵・輸送パイプライン等のインフラ整備
  • 後背地の工業地帯や需要家との水素供給契約の締結
  • 低炭素事業の開発(例、クリーン水素と回収したCO2を組み合わせた合成燃料の製造)
  • 低炭素燃料(アンモニア、メタノール、LNG)による船舶への燃料補給(バンカリング)

水素はこれまで燃料としての用途が非常に限られており、石油精製や化学品製造の原料としても一部の専用パイプラインによる輸送以外は地産地消が主であり、まして海上輸送といった手段は取られてこなかった。現在海上輸送のキャリアとしてアンモニアや有機ハイドライド(MCH)あるいは液体水素(-253℃)や圧縮水素といった方法が試されているが、海上輸送の制約が水素普及のボトルネックのひとつとなっている。また欧州の伝統的な岩塩ドームなどへのガスの地下貯蔵方法も天然ガスの主成分であるメタンの1/8という気体水素の比重から、より多くの貯蔵スペースを要する。したがってエネルギー物流のインフラを有し、ロジスティックにおける豊富な専門性・経験を持つ港湾組織が中心となって水素実装の拡大を目指すという形は、海上輸送や貯蔵といった水素固有の課題を解決していく上でも理想的である。

それらの港湾組織は単なるエネルギーの受け入れ・供給基地としての機能に留まらず、クリーン水素・燃料の生産プラントやCCSの拠点となり、産業クラスター(集積地)との有機的連携を図っている。前述した水素回廊と並び港湾を中心とした水素クラスターへの展開も、欧州におけるクリーン水素に関連する動きの特徴といえる。

 

3)b 欧州のクリーン水素事業

欧州の特徴的な事業として2つの事例を取り上げる。1件は英国のEast CoastクラスターのNet Zero Teesside事業で、もう1件はフランスLhyfeによる浮体式洋上水素製造プラントの実証試験である。

 

i. Net Zero Teesside事業

Net Zero Teesside事業はZero Carbon Humber事業と共に英国のクラスター(産業集積地)・シークエンシング・プロセス トラック1のEast Coastクラスターを構成する(前述の2)b 「英国におけるCCSプログラム」の項を参照)。前述したようにこれらのCCSクラスター事業においてはCCSによる既存産業の脱炭素化だけでなく、CCS技術を核としたクリーン技術事業(クリーン水素生産、低炭素発電、廃棄物の燃料化、低炭素肥料生産、BECCS等)の開発計画も数多く立ち上がっている。それらの中でもbpが主導する(1)NEP(Northern Endurance Partnership)CCS、(2)NZT Power、(3)H2Teesside、(4)HyGreen Teessideの4件のプロジェクトはNet Zero Teessideにおけるフラグシップとして中核的な役割を担っている(図21)。

(図21)Net Zero TeessideおよびZero Carbon Humberプロジェクト
(図21)Net Zero TeessideおよびZero Carbon Humberプロジェクト
(出所:Net Zero Teesside、Zero Carbon Humber HPおよびNorth Sea Transition AuthorityデータをもとにJOGMEC作成)
  1. NEP(Northern Endurance Partnership)CCSプロジェクト

TeessideおよびHumber産業クラスターエリアのCO2を回収・輸送し、サブシーシステムを通じて北海大陸棚のEndurance塩水帯水層に貯留する事業。bp、Eni、Equinor、National Grid、Shell、TotalによりNorthern Endurance Partnershipが結成された。NEP CCSプロジェクトは単に既存産業の脱炭素化を図るだけではなく、新たに立ち上げられる様々なクリーン技術を事業化する上でも重要な役割を担っており、East Coastクラスタープログラムの中心を成している。2024年のFID(最終投資決定)を目指す。

  1. NZT Power(Net Zero Teesside)プロジェクト

860MWの発電容量を持つ世界初の大規模CCS付きコンバインドサイクル・ガスタービン(CCGT)火力発電所。年間200万tのCO2をNZT Powerから回収、電力はTeessideクラスターの企業に提供。再エネの拡大により懸念される電力の安定供給・需給バランスの課題に対し、需給調整能力を有したクリーンなディスパッチャブル(dispatchable)電源としての役割が期待されている。2026年の運転開始を見込む。

  1. H2Teessideプロジェクト

天然ガスを原料とし、CCSによりCO2を年間200万t回収、ブルー水素を生産する。2027年に年間500MW、2030年に年間500MWの生産容量を追加し、年間1GWの水素生産を目指す大規模ブルー水素事業。

  1. HyGreen Teesside

年間80MW規模のグリーン水素を2025年までに生産開始、2030年までには年間500MWの生産を目指す大規模グリーン水素事業。

H2TeessideプロジェクトにはUAEの国営石油会社ADNOCが、HyGreen TeessideプロジェクトにはUAEの再エネ企業Masdarが参加しており、UAE企業の英国事業本格参入ということで話題を呼んだが、ある意味UAEの水素・脱炭素技術への関心の高さを示す事例ともいえる。

英国政府もこれらの事業に積極的な後押しを行っており、Industrial Decarbonization Challengeフェーズ 2(総額1億7,000万£)によりNZT(Net Zero Teesside)Powerプロジェクトを含むNet Zero Teessideが2800万£、NEP(Northern Endurance Partnership)CCSプロジェクトが2400万£の補助金支給対象となった。また2022年10月にHyGreen Teessideプロジェクトは英国政府の立ち上げたHydrogen Business Model(HBM)およびNet Zero Hydrogen Fund(NZHF)[27]におけるHydrogen Allocation Round 1(HAR1)[28]への入札に加わり、現在1次審査を通過し、最終決定を待っている状況にある(最終決定は2023年Q4の予定)。

 

ii. Lhyfeによる浮体式グリーン水素生産プラットフォームの実証試験

フランスの水素技術のスタートアップであるLhyfeは、世界初となる浮体式グリーン水素生産プラットフォームの実証試験に取り組んでいる。2022年9月、フランス西部ナントのSaint-Nazaire港沖に設置されたSEM-REVテストサイト[29]で、Chantiers de l’Atlantique(アトランティーク造船所)と提携し、浮体式グリーン水素生産(1MWの水電解槽により水素生産最大日量400kg)プラットフォームの18か月間にわたる実証試験を開始した。Plug Powerによって提供された水電解装置は、Lhyfeと共同で洋上操業に適応できるよう改造され、Geps Technoが開発した太陽光と波力で自動運転を行うWAVEGEMプラットフォームに据え付けられた(Sealhyfe洋上水素生産プラットフォーム)。電力はやはりSEM-REVテストサイトに2018年から設置され発電を行っている、BW Ideolの2MW浮体式洋上風力発電所(Floatgen)から供給される。

Saint-Nazaire港沖合での厳しい海象条件下での本格的な性能試験に先駆けて、Sealhyfeプラットフォームに対しSaint-Nazaire港のふ頭で9か月に及ぶ動作の確認やデータの収集が行われ(淡水化・冷却装置、安定性、遠隔操作、エネルギー消費、洋上耐久性)、その後同プラットフォームは沖合のテストサイトに曳航され、2023年6月よりグリーン水素の生産を開始した。この後設計上の最大生産容量である1MWまで生産量を徐々に拡大する(図22)。

(図22)フランスSaint-Nazaire港沖のSealhyfe洋上水素生産プラットフォーム性能試験
(図22)フランスSaint-Nazaire港沖のSealhyfe洋上水素生産プラットフォーム性能試験
(出所:Lhyfe HPをもとにJOGMEC作成)
(図23)洋上水素製造所から洋上クリーン燃料製造所へ
(図23)洋上水素製造所から洋上クリーン燃料製造所へ
(出所:JOGMEC作成)

洋上水素生産設備に対する関心は非常に高く、2023年6月、LhyfeはHOPE(Hydrogen Offshore Production for Europe、ベルギー企業9社によって構成されるコンソーシアム)との間でSealhyfeプラットフォームをベースとした10MWの浮体式水素生産プラットフォームを開発し、ベルギーOstend港沖合の北海で運転する契約を締結、本格的な商業生産へ足を踏み出した。水素生産プラットフォーム建設・設置と輸送インフラの整備を完了後、2026年半ばには生産を開始する予定。またこの事業についてはEU Clean Hydrogen Partnership[30]より2,000万€の助成金が支給される。

洋上水素生産技術の確立は今後様々な事業展開や応用への発展を示唆する。これまで洋上風力発電からグリーン水素を生産する場合は費用のかかる海底送電線の敷設が必要であったが、水素の洋上生産によってその費用は大きく削減できる。技術的には様々な克服すべき障害があり、現時点では決して簡単な話ではないだろうが、例えば洋上でのアンモニアの生産やDAC(Direct Air Capture、大気中からのCO2の直接回収)や油ガス田等で回収したCO2を使った合成燃料の製造、洋上での低炭素燃料によるバンカリング(船舶への燃料補給)、石油やLNGをフローター設備から直接回収するように、エクスポート・タンカーで合成燃料を「沖取り」する時代がいつか来るかもしれない、少なくともそのような可能性を示してくれるような技術である(図23)。

ロシア産化石燃料依存からの脱却を目指し2022年5月に欧州委員会が公表したREPowerEU計画では2030年時点での再生可能水素の域内・域外での調達をそれぞれ1,000万tとするとの目標を掲げている。現在のEU域内での水素消費量は年間800万トン程度であるが、その内98%が天然ガス由来のグレー水素であり、目標と現在地との格差は大きい。REPowerEU計画の目標達成にはスピード感を持った大規模事業の立ち上げとクリーン水素市場の確保が欠かせないが、技術開発・事業推進への支援としては前述したようなIPCEI(欧州共通利益に適合する重要プロジェクト、Important Project of Common European Interest)、IPCEI Hy2Use、IPCEI Hy2Techといった後押しがあり、国レベルでも様々な支援制度が用意されている。一方のクリーン水素市場については次項で述べるSAF(持続可能な航空燃料)規制に対する一定量のe-fuel(合成燃料)の使用義務のように、EUが規制によって初期市場を形成する、「官製市場」のような動きも見えてきている。

他方事業者の視点からは、EUの事業支援や市場の創生といった点での満足度に濃淡はあるかもしれないが、その点を割り引いたとしても、欧州にはクリーン水素普及の上でいくつかの有利な条件が兼ね備わっている。域内では地理的条件に恵まれた国々で生産されたクリーン水素を産業集積の進んだ中央欧州で消費するという事業モデルが成立する。また再エネポテンシャルの高い北アフリカとも地理的に近く、過去の天然ガス輸送のノウハウを生かし、海底パイプラインを利用したクリーン水素の域外からの調達も積極的に検討されている。また域内での水素の物流も域内に広く発達した天然ガスの貯蔵・物流のインフラ設備の転用(repurpose)や管理・ハンドリングのノウハウによって対応が可能となる(EHBイニシアティブの構想では、水素パイプラインの60%はガスパイプラインからの転用)。現在建設が進むLNGの受け入れ設備であるFSRUも将来の水素受け入れ設備への転用が許認可の条件となっている。またRotterdam港のように単なるエネルギーの受け入れ・再輸出としての機能だけでなく、その地域や後背地の産業集積地(クラスター)の脱炭素化や水素利用の普及、クリーンエネルギー事業開発の推進、他の域内・域外の港湾都市との連携、といった産業構造自体の脱炭素化や水素バレーの建設を積極的に推し進める、「旗振り役」としての組織が産業セクター内に存在することも大きい。

 

4) SAF(持続可能な航空燃料)

4)a 航空燃料への規制導入

2023年4月、Fit for 55政策パッケージのReFuelEU Aviation[31]が欧州議会・理事会で承認され、いよいよ航空燃料(jet fuel)へのSAF(持続可能な航空燃料)導入が現実的なものとなった(表1)。この決定の意味するところは、SAF混合の義務化により、確実に「期限」と「量」という数値目標が設定され、現在クリーンエネルギー事業を推進する上での障害となっている事業の「不確実性(uncertainty)」がクリアになったことである。事業者にとっては明確なターゲット(市場)が確保されたことで、事業の立ち上げと段階的生産量増加(ramp up)への道筋が鮮明となり、次々とSAFの生産計画が公表されている。これまで臨界状態にあった物質があたかも「規制導入⇒市場形成」という触媒によって直ちに次の状態に変化するように、ある種のSAFブームがもたらされた。

一方国際線航空輸送に関する脱炭素・SAF導入の動きは新しいものではない。ICAO(国際民間航空機関)は2050年に2005年比温暖化ガス排出量半減を目標として決定し、2010年グローバル削減目標として2050年まで年平均2%の燃費効率改善、2020年以降、温室効果ガスの排出を増加させないことを取り決めた。[32]その目標を達成するための具体的方策として、新技術の導入、運航方式の改善、代替燃料の活用に向けた取り組みの3つのアプローチを指定したが、それだけでは具体的削減を達成することは困難なため、その補完的な対策として、市場メカニズムを利用した温室効果ガス削減制度(GMBM:Global Market-Based Measures)を活⽤することを認めた。その具体的運用方法や仕組みを規定したものがカーボンオフセット及び削減スキーム(CORSIA)で、2016年、ICAO(国際民間航空機関)の総会において承認され、2021年にはCORSIAへの適合が国際航空会社および貨物運送事業者に対して義務化されることとなった。2021年よりパイロット運⽤が開始され、航空事業者は定められたルールに沿って割り当てられたオフセット義務量(温暖化ガス排出量を相殺するために必要な排出枠)に見合う排出枠を購⼊する必要がある。実際にはゴールドスタンダード、VerraといったCORSIAが適格排出ユニット(CORSIA Eligible Emissions Units)として認める国際的認証機関によって認定された炭素クレジットを購入して、排出量を相殺(オフセット)することとなる。

(表1)EU域内の空港を離陸する航空機のSAF/e-SAF(合成燃料)混合割合
(表1)EU域内の空港を離陸する航空機のSAF/e-SAF(合成燃料)混合割合
(出所:JOGMEC作成)

ただし航空輸送の脱炭素に関しては、航空燃料(jet fuel)の低炭素燃料への切り替えといった実質的な脱炭素のアプローチよりもCORSIAの枠組みによるカーボンオフセットを利用した間接的な温暖化対策が主流となってしまっている。

図24で示すように現在の航空産業用ボランタリー市場の炭素クレジット価格は非常に低い(1US$/t-CO2e前後)。一般にSAF(持続可能な航空燃料)で1tのCO2を削減するためには、0.3tのSAFが必要といわれているが、仮に通常の航空燃料(jet fuel)の価格を750US$/tとし、SAFの価格を1,900US$/tと仮定すると、SAFにより1tのCO2を削減するためには、燃料の費用として345 US$が追加で必要となる。それに対してボランタリー市場によるカーボンオフセットを利用した枠組みで1tのCO2を削減するには1 US$程度の負担で済んでしまう訳で、既存の業界ガイドラインだけではSAFの市場を大きく拡大することは難しい。

既にフランス、スウェーデン、ノルウェーでは独自に約1%のSAF混合を義務付けてきたが、今後はReFuelEU Aviationの導入によりEU域内の空港を離陸する航空機にSAFの混合が義務付けられ、漸次その割合が拡大していく。また英国も2023年7月、2026年からのUK-ETSにおける無償排出割当の段階的廃止が決定されており、2030年10%、2050年50%のSAFの混合を念頭に、新たな航空燃料規制を2024年に導入すべく、準備を進めている。

(図24)航空産業炭素クレジットのボランタリー市場先物価格 (単位:US$/t-CO2e)
(図24)航空産業炭素クレジットのボランタリー市場先物価格
(単位:US$/t-CO2e)
(出所:carboncredit.comデータをもとにJOGMEC作成)

4)b SAFの需給バランス

世界の航空燃料(jet fuel)に占めるSAFの消費量は0.03%にしか過ぎない(ATAG 2021 Waypoint 2050 second edition)。[33]その中でSAFの混合比に対する突然の規制強化は需給バランスを乱し、SAF価格のさらなる高騰、ひいては航空産業の脱炭素化の遅れにつながらないのかという疑念を生む。

欧州の航空輸送需要の伸びが現状並みと仮定し、ReFuelEU Aviation規制に基づくSAFの需要量の変化を示したものが図25の青い折れ線グラフである。2030年時点で年間400万t強、2050年時点で年間4,000万t程度のSAFが規制に準じて「最低限」必要となる。一方同図中の棒グラフが現在公表されているSAFの製造計画に基づいた供給量(SAFの製造工程ごと)であるが、SAFの需要量が「規制値」に留まる限りは、現状の製造計画でも対応は可能となる。実際に表2に示すように多くのエネルギー関連企業が新規のバイオ燃料・SAFプラントの建設、拡張あるいは既存の製油所からバイオ燃料・SAFプラントへの転換を次々と公表している。一方IATA(International Air Transport Association、国際航空運送協会)は今後航空輸送需要の伸びが大幅に拡大すると見込んでおり、IATAの航空需要予測に基づいたSAFの需要(規制値ベース)を図25にオレンジ色の折れ線グラフで示した。また宅配便等の国際航空輸送を取り扱うDHLは2022年3月、2026年までに航空燃料のSAF混合率を10%に引き上げることを自主的に決定し、NESTE、bpとの間で5年間に60万tのSAF購入契約を締結した。他の航空会社の間でもこのような自主的なSAF導入の動きが活発化しており、今後はSAFの自主導入による市場も大きく拡大していくものと思われる。したがってSAFの需要量は更に大きく伸びることが予想されるが、大手石油・エネルギー企業のバイオ燃料・SAFに対する関心は非常に高く、投資意欲も旺盛である。今後はEV(電気自動車)の普及による石油製品の販売減から既存の製油所のバイオ燃料・SAFプラントへの転換も進むものと思われ、更に米国や中東においても大規模なSAFプラントの建設が計画されていることからも、「生産体制」としてのSAFの供給不足といった側面はあまり懸念する必要はないのではなかろうか。後述するが、むしろ今後のSAF安定供給のカギは原料供給の持続可能性にあるのでは、と思料される。

(図25)ReFuelEU Aviation規制に基づくSAF需要量 (単位:100万t)
(図25)ReFuelEU Aviation規制に基づくSAF需要量
(単位:100万t)
(出所:ATAG Waypoint 2050 データをもとにJOGMEC作成)
(表2)EU域内で活発化する欧州系企業によるバイオ燃料・SAFの生産拡大
(表2)EU域内で活発化する欧州系企業によるバイオ燃料・SAFの生産拡大
(出所:各社HP データをもとにJOGMEC作成)

4)c SAFはサスティナブルか

従来のジェット燃料の国際規格はASTM(American Society for Testing and Materials International)によってASTM D1655(Specification for Aviation Turbine Fuels)として規定されていたが、非石油由来でありながらそのまま既存の航空設備・装備に利用可能なドロップイン燃料としてSAF(持続可能な航空燃料)に対する製造方法、原料及び最大混合比率を規定する国際規格、ASTM D7566[34]が新たに制定された。ASTM D7566は製造方法、原料及び最大混合比率別に7つのAnnexに分類される(現在ATJ-SKAが追加のAnnex 8として承認され、公開手続き中)。

図26に国際規格によって定められるSAFの原料並びに製造方法を示す。現在圧倒的に多いSAFはAnnex 2に規定されるHEFA(Hydroprocessed Esters and Fatty Acids、HVO)と呼ばれるタイプであり、廃食用油・獣脂・植物油にメタノールとアルカリ触媒を加え加熱(メチルエステル化処理)、更に水素化処理を経て製造される。他のSAFの製造工程と比べて低コストで、既存の製油所の改造で対応できることから最も普及しており、現在の大規模SAF生産プラントは全てこの方法を採用する(Eni、bpが使用するHoneywell UOP Ecofining技術やNeste NEXBTL技術等が商業化)。ただし後述するように原料となる廃食用油・獣脂は供給量が限定的であり、植物油も可食油の場合は食料とのバッティングの問題もあることから、安定的な原料調達が今後大きなサプライチェーンのボトルネックとなる可能性がある。

他の代表的製造方法ではサトウキビやトウモロコシ(糖化後)あるいは農業残渣、林業廃棄物、都市ごみ等のセルロースを酸分解した後発酵させ、エタノール等のアルコールを製造、脱水・重合・水素化処理を経てSAFに変換するAtJ(Alcohol to Jet)技術や農業残渣、都市ごみ等をガス化炉で合成ガスに変換し、そこからFT法(Fischer-Tropsch、フィッシャー・トロプシュ法)によってSAFを製造する方法がある。AtJについてはまだHEFAのプラントに比肩するような規模ではないものの、米国のGevoやLanzaJetがイソブタノール、エタノールを原料とした商業プロジェクトを展開しており、LanzaJetは米国外でも複数のSAF製造事業開発の計画を有する。米国では伝統的にトウモロコシを利用したアルコール製造事業が発展しており、農業残渣・林業廃棄物も豊富であることから、今後のAtJの発展に期待がかかる。LanzaJetは米国内で年間10億ガロンのSAF生産量確保を目指す。合成ガス+ FT法のSAF製造に関しては、埋め立て用廃棄物を原料に2022年12月、Fulcrumがネバダ州のSierra BioFuels Plantで世界に先駆けSAFの商業生産を開始しており、インディアナ州のGaryでも同様のプラント建設を進めている。また英国のVelocysは政府の支援を受け、英国東部Imminghamにおいて廃棄物を原料とした合成ガス+ FT法によるSAF生産を2025年頃から開始する。

再エネによる水分解で生産されたグリーン水素とプラントの排ガス中やDAC(Direct Air Capture、大気中からのCO2の直接回収)から得られたCO2を組み合わせ合成ガスを作り、FT法により製造されるSAFをe-SAFと呼ぶ。e-SAFの場合製造に必要なのは自然エネルギー、水と排ガス(DACの場合は大気)のみとなり、原料供給の制約はない。またDACによってCO2を回収する場合は温暖化ガスの収支がマイナスとなるため、ネガティブエミッションと定義される。

前述したように廃食用油・獣脂を原料とするHEFAの1本足打法に頼るSAFの現状はサスティナブルとはいえない。元々欧州では食用に利用できない獣脂は石鹼、化粧品、ペットフード等の重要な原料であった。[35]そのような日用品を生産する事業者は調達の困難な獣脂をあきらめて、代替品として食用油を原料とするほかないとする。結局SAFが間接的に食料市場に影響を与えるというのは、本来のサスティナブルの意図とはかけ離れており、グリーンウオッシングとの非難も免れない。図25の赤の破線(年間2,000万tのライン)は廃食用油・獣脂をHEFAの原料とした場合のSAFの供給限界を表したものである。早いケースでは2030年代半ばにはSAFの供給限界を迎えることになる。

(図26)SAFの原料並びに製造方法
(図26)SAFの原料並びに製造方法
(出所:NEDO TSC Foresightを参考にJOGMEC作成)

このような状況の中Eniはアフリカを中心とした9各国、70万軒の農家と契約を結び、綿の実、ひまし、ハズといった植物から抽出される非可食植物油によるSAF原料の調達を図る。これらの植物は荒れ地での栽培や他の耕作物との輪作が可能であり、食品用農作物との競合の可能性も低い。同社はケニアに搾油・精製所も建設し、2023年に2か所のアグリ・ハブ(agri-hub)から年間3万トンの油回収を予定、2025年までに20%のバイオ燃料の原料をアグリ事業由来とすることを目指す。こうした「垂直統合型」のビジネスモデルはbpやChevronも追随しており、非可食油の利用等でHEFAの供給量は年間8,500万tまで拡大が可能とされる(ATAG 2021 Waypoint 2050)。

原料調達の観点からいえば前述したe-SAFは自然エネルギー、水、排ガス中や大気中から回収されたCO2によって製造可能であることから一見原料供給は無尽蔵のように映るが、実際にはそう簡単ではない。欧州委員会はREPowerEUの2030年の目標として年間1,000万tのRFNBO(Renewable Fuels of Non-Biological Origin、非バイオ由来の再生可能燃料、グリーン水素と合成燃料)の生産目標を掲げるが、それを製造するためには約500TWhの再エネ電力が必要とされている。因みにEU域内での2022年における太陽光・風力発電の発電量合計は624TWhであり、これはその8割がRFNBO生産に充てられて初めて達成できる数字といえる。再生可能エネルギー指令(Renewable Energy Directive、REDIII)の掲げる最終エネルギーに占める再エネ比率を42.5%とするには、これまでを遥かに超えるペースでの再エネ容量の拡大が求められることから、電力のグリーン化とRFNBO生産拡大の両立は非常に困難なテーマである。そのような中ReFuelEU AviationはSAFのみかe-SAFにおいても明確な混合割合を規定しており(表1)、原料となる再エネを巡る争奪はより厳しさを増す。

2023年3月、欧州議会・理事会はFit for 55政策パッケージの一部で海運の脱炭素化を目指すFuelEU Maritime[36]を承認した。EU域内における総登録トン数で5,000t以上の大型船は温暖化ガスを2025年までに2%、2035年までに14.5%、2040年までに31%、2050年までに80%削減する必要がある(表3)。対象はEU域内の港湾や海域において燃料消費を伴う船舶であるが、出港・入港いずれかの港湾が域外である場合は、50%の適用となる。

また2023年7月、国際海事機関(IMO)はMEPC 80[37]においてGHG排出削減目標を「50年頃までに排出ゼロ」と決定、排出量がゼロかゼロに近い燃料の使用割合を、2030年までに最低5%、努力目標として10%を目指すと定めた。

FuelEU Maritime、国際海事機関(IMO)による脱炭素強化の方針は、電化といった脱炭素の手段を持ち得ず、普及に向けて克服すべき経済的・技術的課題を有するアンモニア、メタノール、LNGといった代替燃料や船上CCSといった限られたオプションしか取り得ない海運セクターにとって、即戦力として利用できるバイオ・合成燃料といったドロップイン燃料は、有力なつなぎのオプションになり得る。したがってe-fuel(合成燃料)とその製造に必要とされる再エネは、海運の脱炭素化とも競合する可能性がある。

競合先はそれだけに留まらない。2023年3月、EU閣僚理事会は2035年にゼロエミ車以外の販売を原則禁止する一方、内燃機関車については合成燃料使用に限り販売を容認する決定を下した。したがって陸上交通の分野でも、特に大型輸送車の分野で今後e-fuel(合成燃料)の需要が生まれ、再エネ電力市場に影響を与え、e-SAFと競合する可能性がある。

(表3)FuelEU Maritimeによる温暖化ガス排出削減割合
(表3)FuelEU Maritimeによる温暖化ガス排出削減割合
(出所: JOGMEC作成)

4)d ドロップイン燃料(Drop-in-Fuel)

ドロップイン燃料(Drop-in-Fuel)とはSAFのように現行の装備やインフラと互換性を有し、化石燃料と同等な性能を持った、そのまま代替品として使用できる燃料を指す。クリーン水素は再エネに対する輸送・貯蔵手段として、また化石燃料に代わるクリーン燃料として多くの生産事業計画が公表されているが、ドロップイン燃料としての位置づけは確立されていない。水素を使った水素燃料電池や水素エンジンは一部実用化されているが、水素が航空機や船舶、陸上輸送の主力燃料として一般化するためには様々な技術的・経済的障害をひとつひとつ克服し、インフラやロジスティックの整備を始めとした壮大なサプライチェーンの構築が必要となる。IPCCが第6次評価報告書(AR6)で「2025年までに世界の温暖化ガス排出量をピークアウトしなければパリ協定の1.5℃目標は守れない」と指摘したように、温暖化対策は待ったなしであり、近年顕在化・激甚化する多くの異常気象によって迅速な対応が強く求められている。したがって、社会やエネルギーシステムの大幅な変更を求めるクリーン水素が市場に普及し、脱炭素としての効果を十分発揮するまでの時間が残されているのか、という疑問もある。

現在グリーン水素の生産は1kWh当たりの発電コストが1¢程度(ギガワット級大規模太陽光発電のケース)の中東や北アフリカで製造するのが最も安価とされている。しかし水素の海上輸送はLPG(液化石油ガス)やLNGのような訳にはいかない。-253℃を沸点とする水素は液化の場合最大30~40%が失われ、圧縮水素でも10~30%が失われる(IDTechEx、「Hydrogen Economy 2023-2033: Production, Storage, Distribution & Applications」)。代替輸送方法としては水素キャリアとされるアンモニアや有機ハイドライド(MCH)といった形に変えて海上輸送することがいくつかの実証試験の中で試されているが、これも変換プロセスにエネルギーを要し、別途化学プラントに多額の設備投資が必要となる。また港で受け入れた後も貯蔵・物流インフラの障害がある。欧州の場合は天然ガスインフラ設備の転用(repurpose)によって既存のガスパイプラインや地下貯蔵設備が利用できるが、それでもパイプラインの40%は新設が求められる(European Hydrogen Backbone)。また老朽化したパイプラインや輸送設備の中には水素の輸送に適さないものも相当数あるであろうことは想像に難くない(水素脆化・漏洩)。

図27はドロップイン燃料(Drop-in-Fuel)と水素の脱炭素に向けたパスウェイ(Pathway、進路)を示したものである。水素は港に着いた後も様々な課題を克服する必要がある。現在クリーン水素のオフテイカー(需要家)のほとんどは製油所や化学品プラントといったように既存のグレー水素(化石燃料由来の水素)の需要家であり、クリーン水素をグレー水素の代替品として購入する。同様にクリーンアンモニアの需要も肥料・化学品プラントのようにグレーアンモニアの需要家が中心である。圧倒的市場規模を誇る大型陸上輸送車の燃料といった市場までは中々浸透しきれていない。また直接還元鉄のように水素が製鉄所の高炉で実用化されるためには困難な技術的課題を解決していく必要があり、そのためには10年単位での歳月を要する。更にその先の空輸・海運・建物の冷暖房といった領域まで水素を浸透させるには、インフラの整備や技術のブレークスルーに対する莫大な「時間」と「費用」が必要となる。

(図27)ドロップイン燃料(Drop-in-Fuel)と水素の脱炭素に向けたパスウェイ
(図27)ドロップイン燃料(Drop-in-Fuel)と水素の脱炭素に向けたパスウェイ
(出所:JOGMEC)

一方それと対照的なのがドロップイン燃料である。ドロップイン燃料が製品として出荷された後は既存のインフラや設備、ロジスティック機能がそのまま利用できるし、性状の近い化石燃料との混合も自由で装備や設備の変更も必要ない。ある意味中間事業者や消費者にとっては「ユーザーフレンドリー」なオプションといえ、社会制度やシステムへの影響もほとんどない(例、輸送や貯蔵にも既存の化石燃料に対する法規制が適用可能)。今後はドロップイン燃料の利点をどう上手くエネルギーミックスの中に取り入れていくのか、そういった議論も重要になってくるであろう。

 

5)a欧州の抱える課題と挑戦(図28)

1990年台北海は明らかに石油・ガス開発事業をリードしており、安全・環境規制、作業標準、先端技術、廃鉱作業手順といった点で大きく世界の石油・ガス開発事業に影響を与えた。当時の北海の石油・ガス開発のように気候変動問題・脱炭素に起因するエネルギートランジションにおいて、欧州は他のエリアに先んじて先頭を走っている。しかし欧州が先回りして見ている景色は決して好ましいものばかりではなく、その意味からは欧州こそエネルギートランジションの「課題先進地域」といえるかもしれない。

欧州の目指す気候変動対策・脱炭素に伴う規制の厳格化や規制対象範囲の拡大(EU-ETSの強化)は、エネルギー危機への対応とあわせ、欧州産業界の体力を奪う。また、エネルギー価格の高騰や炭素コストの増大は欧州企業にとって欧州市場への関心を低下させ(例、IRAに沸く米国市場への投資)、エネルギー集約度の高い事業が欧州から移転し、結局地球規模での脱炭素が進まないという炭素リーケージの懸念を生む。EUはそのような問題に国境炭素税としてCBAM(炭素国境調整措置)を導入し対抗しようとするが、インドや南アフリカといったグローバルサウスの目には自由貿易を阻む保護主義・ブロック化への動きとして映る。また保護主義・ブロック化の動きは既に顕在化しているサプライチェーンの停滞やそれに伴う人件費・資機材価格の高騰をさらに押し上げる懸念を伴う。2023年7月、スウェーデンのVattenfallは英国のNorfolk Boreasにおける欧州最大規模となる1.4GWの洋上風力発電事業の一時中止を決定した。その理由としてサプライチェーンのボトルネックとそれに伴うインフレ影響のため投資費用が40%上昇し、事業の経済性が確保できないとした。欧州の洋上風力発電事業は現在この問題に直面し、解消までには5~10年の期間が必要とする(RWE)。更に再エネ事業の加熱により規制当局の承認手続きも遅れ気味となり、プロジェクトデリバリーの遅延がさらなる事業コストの上昇を招くという悪循環を生んでいる。

Fit for 55政策パッケージに連なる一連の法規制はEU加盟国にさらなる厳しい挑戦を強いる(例、2030年の最終エネルギーに占める再エネ比率の目標を32%から42.5%に引き上げ)。前述の「1)c 欧州(EU)電力政策の課題」で触れたように欧州の電力需要は今後大きな拡大が予想される中、頼みのベースロードである原子力・水力発電設備は渇水や設備の老朽化によって今後発電効率の低下が懸念される。ただし原子力・水力発電所の新設は甚だ困難であり、仮に事業化できても10年単位の時間が地元調整、環境評価、許認可、開発準備、建設等にかかってしまう。多くの原子力発電保有国はこれまでの方針を転換し、国のガイドラインを見直して運転期間の延長を図ろうとしている。そのような状況の中化石燃料ベースの火力発電の停止、拡大する電力需要を一手に引き受けると期待されるのが太陽光・風力発電であるが、前述したコストの上昇以外にも様々な困難を抱える。

欧州の洋上風力発電は風況の優れた北海やバルト海沿岸部に集中するが、必ずしもそれらの場所が主要消費地と重なる訳ではない。例えばドイツでは北海の洋上風力発電所によって得られた電力を人口の集中する南部に送るため大規模な送配電網が必要となる(前述「1)c 欧州(EU)電力政策の課題」)。この送配電網の拡充はドイツに限らず、オランダ、英国、フランス等あらゆる国々で喫緊の課題となっている。前述したように送配電網や蓄電システムの不足が、再エネ電力の「マイナス価格」を生じさせる要因ともなる。また送電線の製造事業者が限られる欧州において本格的な送電線の取り合いが始まる前に、早めに送電線調達の契約を締結しようとする動きも観察される。化石燃料ベースの火力発電所が廃止され、自然エネルギーである太陽光・風力発電が電力ミックスの中心となることで電力の安定供給に関しても注意を払う必要がある。そのために蓄電システムの強化は必須であるが、太陽光・風力発電事業の拡大と比べて蓄電システムの設置が追い付いていない状況を懸念する声は多い。そのような場合欧州でありそうなケースは再エネ事業者に蓄電システムの設置を義務付けるような動きであるが、再エネ事業者がコスト上昇と闘っている中、追加の事業負荷は再エネの普及に一気にブレーキをかけてしまうことになりかねない。蓄電システム設置にインセンティブをつけるような積極的な対応を示さない限り、太陽光・風力発電事業の拡大と歩調を合わせた蓄電システムの普及は難しい。2023年6月のフランス政府によるEDF(原子力エネルギー・送配電網)の国営化やドイツ政府によるTenneTの所有するドイツ国内の送電網の買い取りといった動きは、より複雑化する電力システムのかじ取りを国の電力政策・戦略と整合させ、長期的視点から最適な電力運営メカニズムを構築するための方策ともいえる。

太陽光・風力発電やクリーンエネルギー設備の増加とそれに連なる送配電網・蓄電システムの拡大はそのサプライチェーンにおける原料調達にも大きく影響を与える。蓄電池向けのコバルト、ニッケル、リチウム、マンガン、黒鉛、電解槽向けのニッケル、風力発電向けの鉄、レアアース、送電線向けの銅等の鉱物資源にはまだ供給量不足の懸念はないが、国際価格が大幅に上昇している。また再エネ事業の人材確保も困難な状況になりつつある。

(図28)欧州(EU)の抱える課題と挑戦
(図28)欧州(EU)の抱える課題と挑戦
(出所:JOGMEC)

5)b欧州の課題への対応

エネルギートランジションの「課題先進地域」である欧州が経験している多くの課題は、他の国々もいずれは避けて通れない道といえるかもしれない。このような課題に対峙する上での欧州の強みは共通の最大利益確保を目指した協力関係であろう。電力政策については原子力推進派と懐疑派との間で大きな見解の隔たりがあり、中々域内での共通政策の糸口は見いだせない状況ではあるが(EU power market reform)[38]、脱炭素やクリーンエネルギーの目標も含め着地点を確保できるのはEUとしての強みであろう。水素回廊や国を跨いだ送配電網の拡大のように、域内に北欧や南欧のような地理的環境に恵まれた自然エネルギーの「持てる国」と大きな市場を有する中欧の「持たない国」が共存し、お互いが補完関係にあるという点も欧州の特徴だ。協力関係でいえば、脱炭素化の困難な産業(hard-to-abateセクター)における温暖化ガス排出量削減を目指すために北海の枯渇油・ガス田や帯水層を利用し、分離・回収したCO2を船舶やパイプラインで運び、貯留するといったCCS事業がその典型である。ノルウェーのNorthern Lightsプロジェクト、デンマークのGreensand CCSプロジェクト、オランダのAramis CCSプロジェクトなどは元々オープンソース型で国境の垣根を超えたCO2の移動を想定したコンセプトを基に設計されたプロジェクトであり、今後は多くの英国CCS事業もその事業モデルを採用していくであろう。再エネやクリーンエネルギーに(英国・ノルウェーといったEU域外の)CCSの選択肢が追加されることで、より欧州全体の脱炭素化が加速できる。またCCSはGTCC(ガスコンバインドサイクル発電方式)といった火力発電と組み合わせることでクリーンなディスパッチャブル(dispatchable)電力をつくることができ、1GW近い発電容量で時間の制限なく、不安定な再エネ電力補完のための安定的な大規模電力を供給できる。蓄電池の場合米国EIAの「大規模」の定義は出力1MW以上ということになっているが、出力100MWの大型蓄電システムでも1回の放電サイクル(4時間)で400MWhの出力しか取り出せない。また数100MWh規模の蓄電システムには大型投資が必要となり、寿命も10年程度と短いが、ディスパッチャブル電源であれば(CCSの条件付きではあるものの)既存の火力発電所のコンバートも可能である。

2023年6月、欧州議会は使用済みバッテリー・重要鉱物の回収と将来の再利用割合を義務付ける法案を承認した。この法律が成立すればコバルト、リチウム、ニッケル、鉛といった金属の回収・再利用が進むことになる。回収・再利用における課題はそれらの重要鉱物の使用量が少なく、回収にコストがかかることであるが、今後は循環型経済の構築に加え、希少金属資源を使わない技術の開発や新たなサプライチェーンの構築も求められる。

また急激な脱炭素、化石燃料からの撤退の動きによって欧州は産業・社会構造の大幅な転換も求められる。ドイツ政府はRWEの早期の石炭火力発電廃止と引き換えに43.5億€の補償を付与し、RWEはその資金を原資に国の内外で大規模再エネ事業を展開している。ポーランドやチェコ共和国では未だに産業構造自体がかなりの部分石炭に依存している(ポーランドの電力ミックスに占める石炭火力の割合は70%以上)。ポーランド政府も最近国営のユーティリティ企業に対し、国内の脱炭素計画を促進するため45億US$で炭鉱と石炭火力発電所の買い取りを申し出た。そういった動きの中、電力の脱炭素化によって化石燃料のサプライチェーン全体が影響を受け、職を失った人々の受け皿、セーフティーネットやリスキリングのための育成プログラムが必要となる。豪州のヴィクトリア州Gippsland沖に2.2GWの巨大洋上風力発電事業を展開するStar of the Southプロジェクトでは2023年6月、その報告書の中で「電力の中心が石炭から洋上風力発電へ移行する中、両者には多くの点で仕事内容に共通点があり、火力発電事業で働く70%の労働者は既に洋上風力発電で働くためのコアスキルを有している。したがって少しの訓練で適応でき、洋上風力発電事業への転職が可能だ」とした。欧州委員会は米国のIRAに対抗して「欧州グリーンディール産業計画(EU Green Deal Industrial Plan)[39]」を2023年初旬に発表し、その中で承認手続きの簡素化、資金調達のスピードアップ、頑健なサプライチェーンの構築に加え「雇用・スキルの拡大」を重要な4本の柱として掲げた。再エネの急激な拡大に伴い専門スキルを有する人材の不足が課題となっている。化石燃料産業からクリーンエネルギー産業への人材の移動がスムーズに進めば、課題解決につながる可能性がある。

一方でEUの目指す域内のサプライチェーンの構築は成功するのだろうか。現在の欧州クリーン事業の抱える最大の悩みはサプライチェーンの脆弱性とそれに伴う事業コストの増大である。一方域内に新たに原料ソースや製造業を立ち上げても、物流効率の手助けにはなるかもしれないが、コスト削減に直結するとは限らない。域内にサプライチェーンを移しても、生産コストの低いところから高いところに生産拠点を移動するだけでは、製品価格の低減には役立たないからである。また十分な供給量を確保できなければそこにサプライチェーンのボトルネックが生じ、かえってプロジェクトデリバリーの遅延を招く。IRA(インフレ削減法)により自前主義を追求する米国も人件費や生産コストで同じ問題を抱えるが、低いエネルギー価格とIRAの税額控除や連邦政府の潤沢な補助金政策によって製品価格を抑える効果が期待される。IRAの導入以来海外からの投資が大きく増えているのがその証左といえる。サプライチェーンの問題は一朝一夕には解決できない問題といわれ、今後何年にも亘って欧州のクリーンエネルギー事業に暗い影を落とすことも考えられる。そうなれば様々な脱炭素目標を達成できないばかりか、クリーンエネルギー産業自体も衰退してしまう。このまま時間による解決を期待するのか、抜本的なポジティブインセンティブの導入によって事業への直接的なテコ入れを図るのか、EUのかじ取りが大きく問われるところである。

 

6. まとめ

  • 数多くの法規制や低炭素技術の支援制度、EU-ETSといった炭素価格の仕組みを通じ着々と域内の脱炭素化を進める欧州は、世界が低炭素社会に向かう上での先行例となっている。一方で今後の脱炭素技術の主役は中国、米国、インドといった温暖化ガス排出量の多い(市場の大きい)国々や中東・北アフリカ・豪州・チリといった自然条件に恵まれ、再エネ発電費用の低いエリアに移っていく。

左:(図29)世界の温暖化ガス排出量割合 右:(図30)各国の再エネ容量(既存・新規)

  • パリ協定の目標達成にはエネルギーの脱炭素化は欠かせないが、どのクリーン技術にも石油・天然ガスのような万能さはなく、特定技術への偏りは、重要鉱物といった資源の争奪や価格上昇、専門人材の不足といった問題を引き起こす。また水素のような新たなエネルギーは物流や貯蔵、利用においてもインフラや設備・装備の新設・改修を必要とし、そのための技術のブレークスルーや莫大な「時間と投資」が求められる。一方でドロップイン燃料であれば既存のインフラや装備がそのまま利用でき、待ったなしの気候変動対策に「時間」という優位性をもたらす。少なくとも現時点ではオールマイティな燃料の確立や普及が困難な状況の中、航空機燃料のSAFのように異なる技術が互いの過不足を補い合い、それぞれのエネルギーが適材適所として利用される、エネルギーミックスといった形でのアプローチを取らざるを得ないのではないだろうか。この課題をどう整理・解決していくのか、その点でも欧州の先行例は我々に様々な示唆を与えてくれる。
  • 気候変動・エネルギーシナリオの多くは国家間の分断や国際協力の衰退が世界の脱炭素化を大きく後退させると分析する。世界で再エネに投資が集中する中アフリカへの投資はその内0.6%に留まる(21年実績、世界銀行)。今年のCOP28においてもグローバルサウスへの脱炭素支援、「誰も置き去りにしない」は主要なテーマとなる。一方で今観察される世界の分断・保護主義・ブロック化は国際協力体制の障害となり、今にも増してサプライチェーンや資金の流れが滞ることで、脱炭素の動きにブレーキがかかる可能性もある。欧州域内の「クリーン化」に留まらず、これまで異なる意見や立場をまとめ、同じ方向に集約・統合して来た欧州の知恵と経験が、世界の温暖化対策に求められているといえる。

 

 

[1] REPowerEU: Joint European action for more affordable, secure and sustainable energy, European Commission, March 8, 2022.
https://commission.europa.eu/strategy-and-policy/priorities-2019-2024/european-green-deal/repowereu-affordable-secure-and-sustainable-energy-europe_en(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[2] IEA : CO2 Emissions in 2022
https://www.iea.org/reports/co2-emissions-in-2022(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[4] Inflation Reduction Act of 2022
https://www.congress.gov/bill/117th-congress/house-bill/5376/text(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[6] ‘Grandfathering’ HARMONISATION OF ALLOCATION METHODOLOGIES
https://climate.ec.europa.eu/system/files/2016-11/harmonisation_en_0.pdf(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[7] ‘Benchmark’ HARMONISATION OF ALLOCATION METHODOLOGIES
https://climate.ec.europa.eu/system/files/2016-11/harmonisation_en_0.pdf(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[10] Carbon Boarder Adjustment Mechanism (CBAM)
https://emissions-euets.com/carbon-border-adjustment-mechanism-cbam(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[11] Important Project of Common European Interest: State of play
https://www.europarl.europa.eu/thinktank/en/document/EPRS_BRI(2022)729402(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[12] Reforming the EU electricity market
https://www.europarl.europa.eu/thinktank/en/document/EPRS_BRI(2023)739374(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[13] The Green Deal Industrial Plan, Putting Europe's net-zero industry in the lead
https://commission.europa.eu/strategy-and-policy/priorities-2019-2024/european-green-deal/green-deal-industrial-plan_en(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[14] Net-Zero Industry Act, Making the EU the home of clean technologies manufacturing and green jobs
https://commission.europa.eu/strategy-and-policy/priorities-2019-2024/european-green-deal/green-deal-industrial-plan/net-zero-industry-act_en(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[15] Eleven EU countries launch alliance for nuclear power in Europe
https://www.euractiv.com/section/energy-environment/news/eleven-eu-countries-launch-alliance-for-nuclear-power-in-europe/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[16] United Kingdom Emission Trading System (UK-ETS) carbon pricing
https://www.statista.com/statistics/1322275/carbon-prices-united-kingdom-emission-trading-scheme/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[17] Clean Energy Investing in America
https://cleanpower.org/investing-in-america/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[20] Design of the Carbon Capture and Storage (CCS) Infrastructure Fund
https://www.gov.uk/government/publications/design-of-the-carbon-capture-and-storage-ccs-infrastructure-fund(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[21] Cluster sequencing for carbon capture, usage and storage (CCUS) deployment: Phase-1
https://www.gov.uk/government/publications/cluster-sequencing-for-carbon-capture-usage-and-storage-ccus-deployment-phase-1-expressions-of-interest(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[22] Shapps sets out plans to drive multi billion pound investment in energy revolution
https://www.gov.uk/government/news/shapps-sets-out-plans-to-drive-multi-billion-pound-investment-in-energy-revolution(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[23] Britain awards 20 offshore carbon storage licenses
https://www.reuters.com/world/uk/britain-awards-20-offshore-carbon-storage-licences-12-firms-2023-05-18/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[25] Statement on Germany’s updated National Hydrogen Strategy
https://www.wasserstoffrat.de/fileadmin/wasserstoffrat/media/Dokumente/EN/2023/2023-07-24_NWR-Statement_Updated_NWS.pdf(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[26] The European Hydrogen Backbone (EHB) initiative
https://www.ehb.eu/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[27] Hydrogen Business Model and Net Zero Hydrogen Fund: Electrolytic Allocation Round 2022 (closed to applications)
https://www.gov.uk/government/publications/hydrogen-business-model-and-net-zero-hydrogen-fund-electrolytic-allocation-round-2022(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[28] Hydrogen Production Business Model / Net Zero Hydrogen Fund: projects invited to negotiations
https://www.gov.uk/government/publications/hydrogen-production-business-model-net-zero-hydrogen-fund-shortlisted-projects(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[29] SEM-REV : Centrale Nantes offshore test site operated by the OPEN-C Foundation
https://sem-rev.ec-nantes.fr/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[30] EU Clean Hydrogen Partnership
https://www.clean-hydrogen.europa.eu/about-us_en(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[32] CORSIA(国際⺠間航空のためのカーボン・オフセットおよび削減スキーム)について(IGES)
https://www.iges.or.jp/sites/default/files/inline-files/0604_%E7%82%AD%E7%B4%A0%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF_CORSIA%EF%BC%88%E9%85%8D%E5%B8%83%E7%94%A8%EF%BC%89.pdf(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[33] ATAG (Air Transport Action Group)Waypoint 2050
https://aviationbenefits.org/media/167417/w2050_v2021_27sept_full.pdf(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[34] ASTM D7566-21 Standard Specification for Aviation Turbine Fuel Containing Synthesized Hydrocarbons
https://www.astm.org/d7566-21.html(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[36] FuelEU maritime initiative: Council adopts new law to decarbonize the maritime sector
https://www.consilium.europa.eu/en/press/press-releases/2023/07/25/fueleu-maritime-initiative-council-adopts-new-law-to-decarbonise-the-maritime-sector/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[37] Revised GHG reduction strategy for global shipping adopted (IMO)
https://www.imo.org/en/MediaCentre/PressBriefings/pages/Revised-GHG-reduction-strategy-for-global-shipping-adopted-.aspx(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[38] Improving the design of the EU electricity market
https://www.europarl.europa.eu/thinktank/en/document/EPRS_BRI(2023)745694(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

 

以上

(この報告は2023年9月12日時点のものです)

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