ページ番号1010058 更新日 令和6年2月28日
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概要
技術開発の成果を守るための特許、他人の迷惑になってなんぼの特許、そして何より読むのも書くのもひたすら面倒な特許。今回は、e-fuelのキーとなる「フィッシャー・トロプシュ反応」に関する特許解析を例に、特許から「読まずに情報を引き出す」ことを考えます。
1. 特許と特許情報
特許の公報とは「この技術、マネするな」という権利が書かれた文書です。
非常に読みにくい文章で書かれているのですが、書誌的事項として、出願人・発明者・特許分類・出願日などの情報も、厳格に様式化されたフォーマットで記載されています。
図1は、今回の解析事例から抜き出した、「油、疎水性シリカエアロゲル粒子及び融点が60℃超であるワックスを含む液体化粧用組成物」というタイトルの公報の書誌的事項です。
これを見れば、「ロレアル」という会社の「ナタリー・ジュリアン」さんの発明で、2012年6月21日にフランスで出した特許の日本バージョンで、特許分類から「化粧品に関連する」特許であることがわかります。
本稿では、特許の書誌的事項を集計することで何がわかるのか紹介します。
2. フィッシャー・トロプシュ反応
今回のお題は「フィッシャー・トロプシュ反応」です。
化学系がバックグラウンドの読者には何とかに説法ですが、この反応は、水素と一酸化炭素から、炭化水素を合成する反応です(触媒が必要)。
出発物質の水素と一酸化炭素を、石炭から得れば「石炭液化」、天然ガスから得れば「GTL」、そして、バイオマスや再生可能エネルギーで生成した水素と二酸化炭素が原料ならば「e-fuel」です。
得られる炭化水素は、n = 1のメタンから数十のパラフィンワックスまで多様な分子量の炭化水素化合物の混合物です。
因みに、日本は太平洋戦争中、この反応を利用して液体燃料の生産を試みましたが、戦局に影響するほどの生産量を得ることはできませんでした(参考文献 [1])。
こんな枯れた技術、今更特許を調べてどうするんだ、とも思いますが、もう少しお付き合いください。
3. 検索・解析の流れ
集計により特許解析には、数百から数千件の特許が必要です。
今回は下記(1)~(3)の条件を満たす特許をデータベースで検索し、721件の特許で母集合を作りました。(調査1)
- 対象は1993年4月1日から2023年12月31日公開の日本特許
- 特許請求の範囲に「フィッシャ(ー)」と「トロプシュ」の両方の文字列を含む
- 特許分類で「化学」(IPCのCセクション)を除く、ただし「有機化合物」(C07)・「高分子化合物」(C08)、「接着剤・コーティング剤等」(C09)は除外対象の例外とする
なお、化学系特許を除外した理由は、「反応装置」などのプラント系特許(これは、沢山あることが予想される)を除外するためです。
最初は、このようなざっくりした条件の検索結果で解析を行い、その後、ポイントを絞って、新たな検索・解析を行います。
4. 出願人の集計
検索の結果、721件の特許が出てきたのですが、この中から5件以上の特許がある出願人を集計してみました(表1)。なお、集計に際しては、簡単な名寄せを行っています。
上から見ていくと、BPやエクソンモービル、シェブロン、シェルなど、おなじみの会社が並んでいます。サソールは南アフリカが基盤の企業ですが、かつて経済制裁を受けていたという同国の歴史を見れば、これも納得の結果でしょう。
一方、キヤノン・リコー・ゼロックス・京セラやロレアル・コーセー・資生堂など、当業界では見慣れないメンバーも名を連ねています。
この顔ぶれを見て、「やっぱりな・・・」とか「おや?」とかを感じられれば、解析は8割方は成功です。
5. 特許分類による集計
次は、特許分類の集計です。
特許には検索を容易にするため、特許分類が付与されており、特許分類を見ることで、その特許がどのような分野の出願か、当たりをつけることが出来ます。
今回は最も基本的な分類である国際特許分類(IPC)の集計を行いました。集計対象は、最初に付与されている分類(調査屋の業界では筆頭分類と言います)です。(注釈[1])
ここでは、IPCのメイングループ(中分類と思って下さい)を集計対象とし、参考としてサブセクション(メイングループの上位分類)とメイングループのIPC解説および、IPC解説の表現を普通の日本語に意訳した備考を表2にまとめました。
見ていきますと、触媒や有機化合物に関する出願については予想通りとして、目につくのはトナーに関する特許(G03G9/00)の多さです。次いで、化粧品(A61K7/00・A61K8/00)、さらには接着剤(C09J)、コーティング(C09D)や、高分子組成物(C08L:ゴムやプラスチックの組成)に関する特許もまとまった数が見られます。
なお、特許分類の各コードが何を意味するのか具体的に知りたい場合は、参考文献 [2] が便利です。
6. 解析結果
出願人と特許分類の集計を見比べれば、キヤノンはコピー機のトナー、ロレアルやコーセーは化粧品関係で、「フィッシャー・トロプシュ」と書いてある特許を出願していることが推測できます。
種明かしですが、コピー機のトナー・化粧品・接着剤・熱転写印刷用インク、こういったものにはワックスが使用されています。解析対象の特許は、特許請求の範囲に「前記ワックスは、フィッシャー・トロプシュワックスであることを特徴とするファンデーション組成物」のような表現が含まれているはずです。
出発物質の水素・一酸化炭素の生成(合成ガスシフト反応)からフィッシャー・トロプシュ反応、そのあとのプロセスまで、硫黄化合物は禁物です。原料段階で、徹底的に除去する必要があり、得られるワックスも脱硫黄という点でクリーンであると期待できます。
デリケートなお肌に、硫黄を含み異臭のあるメルカプタンなんてとんでもない、このようなストーリーになるのでしょうか。
因みにですが、Microsoft Bingのチャットに「パラフィンワックスの用途を教えて」と質問したら、以下の回答が返ってきました。
……
パラフィンワックスの代表的な用途としては、ろうそく用と紙製品加工用が挙げられます。…中略… その他の用途は、化粧品用、医薬用、電気用、ゴム用、接着剤用、滑剤用、酸化パラフィン用、塩素化パラフィン用、マッチ用、インク用、文具用、農林用、彫塑鋳造美術工芸用、紡績用、皮革用、つや出し用、中性子減速用、セラミック成型用など多岐にわたります
……
表3:「パラフィンワックスの用途」に対するMicrosoft Bingチャットの回答
(出所:Microsoft Bingチャットのデータより抜粋)
7. 追加調査-1:化粧品
フィッシャー・トロプシュ反応の生成物である、ワックスの用途がヒットしたようですから、化粧品について追加の検索・解析を行いました。
まず、化粧品ですが、資生堂・コーセー・ロレアル3社が、過去10年間の化粧品で「ワックス」が請求項に含まれる特許を検索したところ、ロレアルで200件、資生堂・コーセーでそれぞれ60件ほどの特許がヒットしました。グラフ1は、各年毎の公開件数推移です。
ここからは、国内2社はコンスタントに出願し続けていることが分かります。従って、化粧品におけるワックスの需要は、それなりにあると思って良さそうです。
気になるのはロレアルの件数が下がっている点です。ロレアルは外国企業ですから、本国(フランス)や米国の出願も減っているのか、単に日本だけ減っているのか確認が必要です。場合によっては、ワックスに関する否定的な業界情報がないのか、特許以外の情報も調べるべきかもしれません。
8. 追加調査-2:コピー機のトナー
もう一つの事例として、コピー機のトナー関連でキヤノンの特許を見てみます。
グラフ2は、キヤノンのトナーに関する特許10年分・約1500件と、そのうち「ワックス」と書いてある特許の公開件数です。
これを見れば、年間150件のトナー関係特許が公開となっており、そのうちの30件は請求項中に「ワックス」の記載があることがわかります。
2023年の公開件数が少ないですが、全体としてみれば、ほぼコンスタントに特許は公開されています。
実際にやってもいない事業の特許を出し続けることはあり得ませんから、トナー用のワックスも安定した需要があると言えそうです。
ここでは、発明者の数も集計してみました(表4)。
キヤノンの過去10年のトナー関連特許には、576人の発明者が記されていますが、表には、解析対象の中で50件以上の特許に名前が載っている59人を載せました。
発明者リスト中の全ての発明者がワックスを記載している特許を出していますから、ここからもコピー機のトナーにはワックスが必要と考えて良さそうです。
9. データの解釈と留意点
ここまでに述べた内容で、トナーについて少し考えてみます。
まず、「フィッシャー・トロプシュ」の検索結果です。
例えば、トナー特許141件と書きましたが、これを額面通りに受け取って良いかは、少し考える必要があります。
コピー機業界の各社は、特許の量産体制を整えており、ひな型にそう書いてあっただけかもしれません(注釈[2])。
電気・機械系の業界は、特許の軍拡競争を繰り広げており(注釈[3])、これは、油・ガス業界との文化の違いとも言えます。
「キヤノンのトナー特許」の発明者リストも注意が必要です。
このリストに載っている人は、「トナー開発のキーマン」というのが素直な解釈でしょう。ただ、世の中には「発明マニア」という種族もいますし、よくある冗談で「キーマン(達)の上司」という可能性もあり得ます。
そうは云っても、これらの人達は、トナーの開発でワックスを日常的に触っている人、少なくともその周辺に居る人であり、何がポイントとなるのか知っているはずです。
気にしだしたらキリが無いのですが、キヤノンのトナー開発については、以下3点は事実です。
- キヤノンはトナー関連で10年間に1500件の特許を出願してきた
- 1500件の特許は576人の発明者が携わっている
- 上記576人の発明者には、その分野で50件以上の発明している人が59人含まれる
つまり、トナーの開発では、上記(1)の費用(注釈[4])が発生しており、(3)レベルの人を含む(2)の人件費を、過去10年間負担しています。
このことを考えれば、キヤノンのトナー開発に相応の経営資源を投入しているのは確実ですし、他の出願人についても恐らくそうなのでしょう。
そう考えると、キヤノンのようなプリンタメーカーも、フィッシャー・トロプシュワックスのPRをする際にコンタクトにすべき相手という評価ができます(いくらで買ってくれるかは、未知数ですが)。
10. まとめ
最初の「フィッシャー・トロプシュ」の出願人リストをみて「やっぱりな」と感じた方は、ワックスの用途を既にご存じだったはずです。
一方、バックグラウンドが、地質や化学工学の読者の方の中は、「何だ、こりゃ?」と感じた方も居られことでしょう。
フィッシャー・トロプシュ反応で得られる生成物の用途ですが、ボリュームゾーンは言うまでもなく、軽油、灯油、ジェット燃料などの液体燃料、そしてナフサなどの石油化学製品原料でしょう。その一方で、ここまでで見てきたような用途があれば、この反応を使ったプラントの事業の採算性向上に寄与するかもしれません。
ニーズが多ければ、「転んでもただは起きない」開発にもつながります。
以上、特許を使って、製品の用途や開発のキーマン、さらには企業の研究開発の規模の見当をつける、このような、少し変わった特許情報の使い方をご紹介しました。
ただ、特許の解析で「目からウロコ」のような知見が得られることは、そうそうあるものではありません。特許解析は、もっと地味な活動です。
- 特許情報とマーケット情報を突き合わせて、違和感を見い出す自問自答ツール
- 自分の主張を裏付ける「数字」を得る手段
大事なことは、技術開発系のテーマを始める前に、仮説を立てた上で、よく考えることであり、その手段として特許情報も選択肢というところでしょうか。
なお、本稿で述べたのは、開発テーマの探索段階での議論です。
事業化した際に障害となる特許を洗い出す「侵害防止調査」については、全く別の泥臭く、かつ、しんどい作業が必要となりますので、念のため。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
参考文献
[1] 戦争と石油(6)総力戦分析の封印と壊滅した国内石油産業-表8 :石油・天然ガスレビュー 2011.5 Vol.45 No.3-
[2] 特許・実用新案分類照会(PMGS)|J-PlatPat [JPP] (inpit.go.jp)
注釈
[1] 日本の特許では、一つの出願に複数の国際特許分類が付与されているのが普通です。
[2] 特許を出す際に前に出した特許を下敷きにする、或いは大量に出す場合ひな型を用意する、こういうことは広く行われています。今回の解析対象となった特許について、コピー機業界の出願人が用意していたひな型に「フィッシャー・トロプシュ」と書いてあった可能性はあります。
[3] 例えば、キヤノンの年間特許出願件数は5千件です。ちなみに、この数は、油ガス業界の大手サービスカンパニーの過去の全出願件数に匹敵します。
[4] 日本の国内出願でも、特許事務所を使えば、数十万円の費用が発生します。出願書類を社内で作れば外に出る費用は減りますが、その分の人員を用意しなければなりません。従って、民間企業が実施するつもりもない特許を出し続けることはあり得ません。もっとも「出願したけどうまくいかなかった」「試作したけどイマイチだった」というのは、日常茶飯事ですので、事業化の見込みの無くなった特許を不要と判断することも出願と同じように重要です。
以上
(この報告は2024年2月28日時点のものです)