ページ番号1010071 更新日 令和6年3月18日
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概要
- 現在米国ではクリーンエネルギー・脱炭素に関わる大規模な事業計画が次々に立ち上がっており、この「ブーム」とも呼べる現象に2021年11月に成立したインフラ投資・雇用法(Infrastructure Investment and Jobs Act)、2022年8月に成立したインフレ削減法(Inflation Reduction Act)が大きく関与していることに疑いの余地はないであろう。インフレ、高金利、サプライチェーンの寸断はクリーン事業の逆風となり、クリーン市場の未成熟さといった米国固有の問題点も指摘されるが、多くの事業関係者は一過性の課題とし、米国市場の未来の可能性に期待を寄せる。ただし事業案件の急増による審査の集中・承認手続きの長期化、更には地域社会における新たな技術への懸念・反発(社会的受容性の遅れ)も今後のクリーン市場拡大に向け深刻なボトルネックとなる可能性がある。
- IRAのもう一方の目標、製造業の国内回帰は蓄電池、太陽光パネル等において着々と進むが、中国・東南アジア産の太陽光パネルとの製造コスト差を埋めることは容易ではない。「メイドインUSA」が供給量・コストの面で十分海外製品と対抗でき、脱炭素のモメンタムを更に加速できるのかが注目のポイントとなる。
- 欧州のクリーンエネルギー・脱炭素技術は「政府主導型」であるのに対し、米国のそれは「市場主導型」である。現在それらの技術がEVや再生可能エネルギーに集中する「ローハンギングフルーツ」化が懸念される中、「市場主導型」は更にその傾向を増大させる可能性もある。一方で米国には革新的技術を武器とするスタートアップ企業とそれを支援する官民・金融の土壌や仕組みが整っている。今後米国には今のエネルギートランジションの停滞状況を乗り越え、限界を突破するようなブレークスルー技術や新たな事業モデルの登場を期待したい。
1. バイデン政権のインフラ投資・雇用法およびインフレ削減法(IRA)
現在米国ではクリーンエネルギー・脱炭素に関わる大規模な事業計画が次々に立ち上がっている。2023年12月米国政府は2021年1月のバイデン政権発足以来民間企業における米国のクリーン事業への投資計画が公表ベースで3,600億US$を超えたと発表した。また、米SEIA(Solar Energy Industries Association、太陽エネルギー産業協会)の分析によればインフレ削減法(IRA)成立後1年間で米国の太陽光発電とエネルギー貯蔵に対し1,000億US$を超える投資計画が発表されたとしている。インフラ投資雇用法(The Infrastructure Investment and Jobs Act、IIJA)[1]やインフレ削減法(The Inflation Reduction Act、IRA)[2]がクリーンエネルギー・脱炭素の流れに大きなモメンタム(勢い)を形成したことに疑いの余地はないであろう。またクリーンエネルギー・脱炭素事業の投資先に米国を選んだ海外の経営トップがその理由について問われ、インフレ削減法(IRA)を挙げる例は珍しくない。バイデン政権の下インフラ投資・雇用法は2021年11月に、10年間の支出が3,690億US$とされたインフレ削減法(IRA)は総額3.5兆US$とされるビルドバックベター法案から党内調整等の紆余曲折を経て2022年8月に成立した。成立当初からバイデン政権の目指す2030年までに温室効果ガス排出量を2005年比50~52%削減し、2050年までのカーボンニュートラルを実現するという目標達成の切り札と期待された。
2. 欧州型と米国型、気候変動対応に関わる政府のアプローチの違いおよび共通の課題
欧州(EU)の気候変動対策・脱炭素政策は世界をリードする先進的な政策であるが、EU-ETS(欧州排出量取引制度)[3]を核とした厳格な法規制を中心とするアプローチはしばしば「アメとムチ」の「ムチ」の政策と評される。温暖化ガス排出量を炭素価格(ETS制度や炭素税)によって制御するやり方は、排出源である事業者にとっては事業への負担となり「負のインセンティブ(動機づけ)」と呼ばれる(図1)。
それに対して米国のインフレ削減法(IRA)は供給側に手厚い税額控除の恩恵を与えていることから、事業者の視点からは「アメとムチ」の「アメ」、「正のインセンティブ」と呼ばれる(図1)。インフレ削減法(IRA)の特徴はクリーンエネルギー・脱炭素事業に対する税額控除の適用に有効期限を設けていることである(例、再生可能エネルギーの生産タックスクレジットPTCは、2024年12月31日までの建設開始が条件)。このことでエネルギー価格の低減と共に短期間でのクリーンエネルギー市場の拡大を意図している。一方欧州(EU)も「ムチ」のみに頼って脱炭素政策を推進している訳ではなく、様々な「アメ」も提供している。特に米国がインフレ削減法(IRA)を導入して以来多くの欧州企業が米国のクリーンエネルギー・脱炭素市場に積極的な投資を行っていることに危機感を持った欧州委員会は、対抗手段としてEUグリーンディール産業計画[4]の一環としてEUネットゼロ産業法案(Net-Zero Industry Act、NZIA)[5]を2023年3月に発表した。この法案はEU域内でのクリーンエネルギー・脱炭素技術の生産能力拡大の支援を意図して策定されたが、米国のような明確なインセンティブは含まれておらず、欧州の産業界における評判は芳しくなかった。他にもIPCEI(Important Projects of Common European Interest、欧州共通の利益に基づく重要プロジェクト)[6]やイノベーション基金(Innovation Fund)といった支援制度が存在するが、インフレ削減法(IRA)と比べて規模の面で見劣りするとか、厳しい条件が課せられる、煩雑で時間の掛かる手続きが求められるといった点で、欧州企業による米国市場投資に歯止めをかけるほどの抑止力にはなっていないのが現状である。そのような状況の中2022年9月、欧州委員会von der Leyen委員長は、一般教書演説の中でEUネットゼロ産業法案の一環として欧州水素銀行(EHB)[7]の設立計画を発表、2023年11月欧州委員会は欧州水素銀行の支援で8億€相当の初の試験的水素オークションを開催した。これは生産コストと市場価格との差額補填のための支援制度で、資金はイノベーション基金より調達し、その原資としてEU-ETSの欧州排出枠(EUA)収入を充てる。残りの22億€の入札も2024年に実行する予定であり、生産事業者側への直接的支援の仕組みとして今後の動向が注目される。
クリーンエネルギー生産事業者側への支援に手厚い米国型であるが、その弱点は需要側にクリーンエネルギーを購入するための強いインセンティブが生まれづらいことである。米国には一部の州を除いて欧州のような炭素価格制度(ETS制度や炭素税)がないため、需要側には高価なクリーンエネルギーを調達するメリットがあまり得られない。IRAのEV(電気自動車)購入支援(所得水準により最大7,500US$の税額控除を受けられる)のように需要家側にも政府によるインセンティブの付与を求める声はあるが、IRAが主眼を置くのは供給側である。ただし炭素価格制度の存在する欧州ではクリーンエネルギーの引き合いが活発化かといえば、話はそう簡単ではない。欧州においても需要の拡大が進まない状況は変わらない。クリーンエネルギーの価格が高く、需要側にとって容易に手が出せないためである。
クリーン水素といった新たなエネルギーではそのサプライチェーンも未整備であり、大量・安定供給にはまだ時間が掛かる。更に価格も高いため需要家側も様子見の状況となりオフテーク(長期購入)契約に結びつかない。オフテーク契約が取れないため資金調達も困難となり、FID(最終投資決定)までこぎつけない事業案件が米国でも欧州でも数多く生まれている。
他にも欧州型・米国型のクリーンエネルギー・脱炭素政策や市場にはいくつかの特徴がある。
1点目(図2)は米国における「技術中立(Technology Neutral)」の概念である。脱炭素やクリーンエネルギー技術に優劣をつけず、公平に取り扱うという意味と解釈されるが、米国には炭素強度や温暖化ガス排出量といった基準は存在するが、一般的に原料やエネルギーのタイプにはあまり制約がない。大豆油やトウモロコシといった食料や飼料と競合する原料を使ったバイオ燃料や原子力エネルギーも正当な脱炭素ソリューションとしてIRAの税額控除の対象となっている。一方で欧州(EU)の場合はFit for 55パッケージ(2030年に温暖化ガスを1990年比55%削減するという目標を達成するための政策パッケージ)の一部である再生可能エネルギー指令(Renewable Energy Directive、RED III)[8]により食料や飼料と競合する可食原料の使用や間接的土地利用変化(Indirect Land-Use Change、ILUC、例えば自然林の農地やプランテーションへの転用)に関しての規制がある(例、東南アジア等から輸入されたパーム油をバイオ燃料原料として使用することを2030年までに段階的に廃止)。また原子力についてもフランスを中心とする16か国がnuclear alliance(原子力アライアンス)[9]を結成し、欧州の原子力エネルギー推進と再エネ電源としての立場の保証を求めているのに対し、ドイツを始めとした原子力エネルギーの発展に後ろ向きの国々はその動きに反対の立場を取っている。
2点目(図2)は、これは両者に共通の動きであるが、保護主義・ブロック化の傾向である。欧州(EU)域内産業の競争力低下や炭素リーケージ(域内の炭素強度の高い産業が域外に拠点を移し、結局地球規模として温暖化ガス排出量が減少しないこと)を防ぐ目的からEU(欧州連合)はCBAM(炭素国境調整措置、Carbon Border Adjustment Mechanism)[10]の導入を決定した(2023年4月18日にFit for 55パッケージに関する5つの法律のひとつとしてEU理事会により採択)。CBAMはEUで製造可能である製品において、炭素規制が不十分な国からの輸入品に対し、EU-ETSの炭素価格に連動した炭素賦課金を課す規制措置である。CBAMは2025年末まで報告義務としてのみ適用されるが、2026年以降は、セメント、アルミニウム、肥料、電気エネルギー生産、水素、鉄鋼、および一部の川下製品について実際に適用される。一方米国のIRAでは原材料や製品を自国調達することによって税額控除にボーナスレートが加算されることになっている。例えば再生可能エネルギーによる発電事業では1kWh当たり最大1.5セントのPTC(生産タックスクレジット)が税額控除として付与されるが、資機材を自国調達すると10%までのボーナスレートが適用される。IRAを介した米国内製造業への支援・優遇策、自国市場優先といった動きはEU・欧州各国の目には保護主義政策であると映り、実際に2023年にはIRAの国内調達の制限を緩和するよう度々抗議を行っているし、トップ同士の話し合いも実施された。他方インド、南アフリカ、ブラジル、中国といった新興国の経済は米国・欧州市場に大きく依存しており、米国のIRA、欧州(EU)のCBAMいずれもが自由貿易を妨げる保護主義・ブロック化につながるとして大きく反発する。
3点目(図2)の特徴として米国では市場の独立性を重視し、自由競争を尊重する「市場主導型」の政策が市場の支持を受けやすい。そういった状況の中クリーンエネルギー・脱炭素技術において米国で生まれてきたのが「vertical integration model(垂直統合型モデル)」と呼ばれるビジネスモデルである。クリーン水素や産業セクターからCO2を回収し地下に圧入するといった新たなCCSモデルでは市場やサプライチェーンも確立しておらず、多くのボトルネックが存在するため、サプライチェーン上のどのセグメントにおいても事業を推進することが困難となっている。これらの技術の原料調達・輸送・製造・販売物流を全て統合し、自ら市場やサプライチェーンを構築・管理する動きが生まれている(例、再エネ発電事業→グリーン水素製造→パイプライン輸送→水素ステーションでの水素燃料電池車への燃料補給)。
4つ目(図2)はクリーンエネルギー・脱炭素技術への投資が「Low Hanging Fruits(低い場所になっている果実)」と呼ばれる経済的に良好でマネタイズしやすく、技術的障壁も低い技術に集中していることである。これは米国・欧州だけに限らず全世界的な傾向となっている。クリーンエネルギー・脱炭素技術への投資は年々順調に拡大しているが、その投資の7割はEV(電気自動車)と再生可能エネルギーによって占められており、クリーン水素やCCS(CO2の分離回収・貯留技術)、蓄電システムや送配電網のように収益化が難しく、技術的にもハードルの高い「High Hanging Fruits(高い場所になっている果実)」と呼ばれる技術には投資が十分行き届いていない。例えば電力供給であれば再生可能エネルギーの急激な拡大が先行し、蓄電システムや送配電網の整備が追い付いていないことで様々な弊害が生まれており、EVの市場拡大が進んでも電力供給体制が不十分であればそれがボトルネックとなり、EVの需要にも影響を及ぼすこととなる。
3. 米国の低炭素技術・事業の状況
これまでは欧州の制度や状況との対比によって米国のエネルギートランジションの現状について見てきたが、ここからは米国の状況を各低炭素技術・事業を通して解説していく。
1) 電力
最初は電力についてであるが、米国の電力セクターの全体像を見る前に現在米国の電力セクターが抱える課題について解説していく。
1)a 米国の洋上風力発電事業とその課題
米国では陸上風力発電は早くから事業化され、大きな拡大を見せているが、洋上風力発電は新しい技術で、その分野では先をいく欧州の開発事業者を中心として新たな市場が築かれようとしている。しかし一方で未成熟な市場であるが故の課題「グローイングペイン(成長に伴う痛み)」や米国固有の問題を抱えている。
2023年8月デンマークのØrstedは米国東部における洋上風力発電事業の経済性悪化により23億ドル以上の減損を計上する可能性があることを公表した。その後2023年第3四半期の決算報告においてニュージャージー州沖の合計発電容量2.2GWのOcean Wind 1とOcean Wind 2プロジェクトの中止も発表した(事業撤退に伴う減損が40億US$、契約解約の違約金を含めて55.8億US$)。また同様に米国東部洋上風力発電事業の不調により2023年第4四半期の決算報告でbpは5.4億ドル、Equinorは2億US$の減損を計上、更には2024年1月、bpとEquinorは両者50:50の共同事業である1.26GW Empire Wind 2洋上風力発電プロジェクトにおける電力販売契約であるOffshore Wind Renewable Energy Certificate(OREC)Agreement[11]を解消している。また2024年1月には Ørstedがメリーランド州沖のSkipjack 1とSkipjack 2プロジェクトからの撤退を発表している。
2023年9月にはSunrise Wind洋上風力発電プロジェクトの共同開発事業者であるØrstedおよびEversourceとEmpire Wind 1&2およびBeacon Wind洋上風力発電プロジェクトの共同開発事業者であるEquinorおよびbpは、ニューヨーク州公共サービス委員会(NYPSC)に対し、ニューヨーク州エネルギー研究開発局(NYSERDA)との電力販売価格の変更を求める申し立てを行った。ニューヨーク州公共サービス委員会は10月、消費者に対する多額の電気料金負担と一旦成立した契約金額の変更は容認できないとの立場から、申し立てを却下する判断を下し、このことにより各社の減損計上や事業撤退が決定した。
IRAの追い風も手伝い米国東部の洋上風力発電事業は高い人気を集め、欧州の洋上風力発電の開発事業者を中心とした応募が殺到、1エーカー当たりの落札価格は1,000US$を超え、2022年2月のNew YorkおよびNew Jersey沖の6か所の浅海リースでは43億7,000万US$のセールス記録を打ち立てた。
一方で2023年8月米国で最初となるメキシコ湾の洋上風力発電事業に対するリース販売の結果が発表になったが、米国の洋上風力発電事業の不調振りを示すかのように低調に終わり、テキサス州のGalveston沖の2か所のリース契約は応札がなく、唯一ドイツのRWEがルイジアナ州Lake Charlesの沖合1か所を落札した(図3)[12]。資格審査リストにはShell、TotalEnergies、bp、Equinorといった欧州を代表するエネルギー企業が登録されていたが、入札には加わらなかった。RWEの560万US$の落札価格は1エーカー当たり55US$にしかならず、東部の落札価格とは大きな開きである。2022年12月に太平洋岸では初となるカリフォルニア州沖の洋上風力発電のリース販売の入札結果が公表されたが、より事業コストの掛かる浮体式風力発電事業でありながら7億5,700万US$の値が付いたことからも、いかにメキシコ湾のリース販売が低調であったかが伺える。
米国メキシコ湾の洋上風力発電リース販売が低調であったことにはその地域特有の課題もある。再生可能エネルギーの拡大に力を入れるTotalEnergiesは今回応札に参加しなかったが、その理由として「風況が十分ではないこと、また陸上風力といった他の再生可能エネルギーとの競合が厳しく、電力市場の状況も少なくとも今の時点では不透明さを払しょくできない」ことをあげた。エネルギー調査・コンサルタント企業であるWood Mackenzieは、「シルト(粘性土・細粒土)が卓越した海底面は着底式の基礎を設置する上でより困難であり、低い風速のためより大きな風車を採用しなければならない一方、ハリケーン対策のための追加の準備作業が必要となる」とした。ただし米国メキシコ湾の洋上風力発電リース販売が低調に終わったのは同地域の固有の課題からだけではない。ここ1、2年で洋上風力発電を取り巻く事業環境が大きく変化した。
洋上風力発電事業の低調さは米国だけに限った話ではなく、世界のあちこちでモメンタム(勢い)を失っている。例えば英国は14GWと世界第2位の洋上風力発電の設置容量を誇り、2030年には50GWの設置容量を目標とする世界の洋上風力発電をリードする立場にあるが、2023年に公示されたContract for Difference(CfD)Allocation Round 5(AR5)[13]オークションでは初めて洋上風力発電の落札者がなかった。CfD Allocation RoundオークションはASP(Administrative Strike Price)と呼ばれる再生可能エネルギーの種類ごとに設定された受領可能な最大価格を競う入札プロセス(より低いStrike Priceを提案した事業者が落札)であるが、設定されたASPの価格が低すぎ(2012年reference termsベースでは前回のAR4と比べ4%低い1MWh当たり44£)、現在の事業環境では経済的に事業が成り立たないというのがその理由である。また2024年1月にはスウェーデンのVattenfallが計4.2GWで世界最大の規模となる英国東岸のNorfolk Offshore Wind Zoneに位置するNorfolk Vanguard West、Norfolk Vanguard East、Norfolk Boreas洋上風力発電開発事業を経済性の悪化により売却し、事業から撤退することを表明している[14](後にRWEが買取を発表)。
これら事業の経済性の悪化は新型コロナからの回復局面において生じた世界的インフレ、インフレへの対抗措置として各国中央銀行が実施した金利の引き上げ(米国では連邦準備制度理事会FRBが2023年に4度の利上げを実施、英国債は2022年初めの1%以下から4.5%に上昇)、更にサプライチェーンの分断による影響が大きい。世界的インフレの影響により現在欧州における洋上風力発電事業の開発費用は40%上昇したといわれている。更に米国の場合は市場が成熟していないことから港湾等のインフラ、専用作業船や人材等のリソースの制約があり、開発費用が欧州のケースよりも25%程度増加するとされる(Ørsted)。また原料費が「無料」である再生可能エネルギー事業では資本コストの割合が大きく、洋上風力発電事業においては80%以上とされるため、金利の上昇による資金調達コストの増加は事業の経済性を大きく圧迫する。3%の金利上昇は大型洋上風力発電事業の利益を全て打ち消すだけのインパクトがあるとの分析もある(Ørsted)。更にサプライチェーンの分断が経済性の悪化に追い打ちをかける。サプライチェーンの分断による資機材やサービス調達の遅れは単に工期や事業収入の遅延を招くだけではない。インフレ局面では時間の経過とともに製品やサービス価格の上昇が起きるため、事業の遅れが更なるコストの増加を招くこととなる。
また他のエリアと共通の課題だけでなく、米国固有の問題もある。1920年に成立したジョーンズ法(Jones Act)は米国内の2か所以上の港で荷物を運搬する船舶は米国で建造され、米国船籍を持ち、米国内で採用した船員を雇用しなければならないと定める。この規制が米国における洋上風力発電事業に追加コストと更なる作業の遅れをもたらす。例えば欧州から洋上風力発電用の発電機を米国の洋上風力発電サイトに持ち込む場合、一旦ジョーンズ法の条件を満足させる船舶に乗せ換える必要があるが、現在そのような条件を満たす専用作業船の数は米国領海内において非常に限られるため、多額の傭船料負担や調達のための順番待ちが必要となる。
こういった状況の中IRAによる税額控除は事業への大きな支えであるが、その解釈や条件面で混乱が生じている。IRAの再生可能エネルギー事業開発に適用される投資タックスクレジット(ITC、48E Clean electricity investment credit)は、技術の違いや給与水準・未経験者育成といった評価を基に、開発費用の2%から30%までの税額控除を規定するが、更に追加でいくつかのボーナスレートが適用される。例えば米国内で生産・調達された製品や原料に関しては2%(ベース)から10%(最大)のボーナスが追加される仕組みがある。様々な経済上の逆風にあえぐ開発事業者にとってはこのボーナスレートの適用が頼みの綱であるが、この点もすんなりとは運ばない。例えば発電機やブレードを支え、厳しい海象条件や環境にも耐え得るタワー部分の素材には特殊な性能が求められるが、米国内ではそのような鋼材を提供できる製鉄所がない。ボーナスレートの適用を受けようにも現実問題として、その基準をクリアするような所与の条件が米国内には存在しないということになる。
世界中の洋上風力発電事業を取り巻く厳しい状況は暫く続くと見られているが、改善の兆しも見えてきた。英国の洋上風力発電セクターでは、先のAR5オークションにおける洋上風力発電の落札結果ゼロを受け英国政府も危機感を覚え、2024年のAR6オークションではASP(Administrative Strike Price) を66%アップの£73/MWh(2012年reference terms)に引き上げた。
一般的には米国東部の洋上風力発電事業が厳しい経済状況に追い込まれていると伝えられているが、実際に危機的状況に陥っているのはSunrise Wind(2018年落札)、Empire Wind 1および2(2018、2020年落札)、Beacon Wind(2020年落札)のように2018年から2020年の間に落札され、電力販売契約を締結した事業に集中している。電力販売契約はインフレが顕在化する以前の建設コストの見積をベースに締結されたが、当局の承認手続きの長期化やサプライチェーン分断による資機材納入の遅延も加わったことで建設開始がずれ込み、インフレによる建設費用高騰のため事業の経済性が大きく悪化してしまった。図4を見ると直近の2023年の洋上風力発電ライセンス販売では電力価格の平均は150US$/MWh程度となっており、Ørsted、Equinorおよびbpがニューヨーク州エネルギー研究開発局(NYSERDA)と交渉した金額もその前後の売電価格を予定していた。従ってこの事案は米国洋上風力発電事業が包含する固有の問題もさることながら、「運のめぐり合わせ」の要素もかなり大きいといえる。24年1月TotalEnergiesとそのパートナーであるCorio GenerationはNew Jersey州と20年間の電力供給契約を締結したが(運転開始は2031年を予定)、同事業では事業の収益が確保できるよう電力は初年度131US$/MWhの固定価格で引き取られ、年率3%の増加とIRAによる30%の税額控除が得られる。また契約はFID(最終投資決定)までに建設コストの上昇があった場合、1回限定で差額調整のメカニズムが組み込まれている。よりFID・電力販売契約締結や建設開始が早かった事業は問題なく運転開始にこぎつけているし、逆にTotalEnergiesのように直近の事業はより良好な契約条件で事業を進めることができているため、事業の経済性に問題はない。
不調であったメキシコ湾のリース販売についても関係者や開発事業者が将来の米国洋上風力発電の可能性について期待を込めたコメントを残している。再生可能エネルギーを促進する業界団体であるAmerican Clean Power Associationは「オークションの結果は思わしくなかったが、これがメキシコ湾のエネルギートランジションに向けた重要な1歩であることに変わりはない。洋上風力はこのエリアの誇る既存のインフラ設備、発達した港湾施設、熟練した労働者、クリーンエネルギーに関する革新的市場によって発展することが可能だ」と述べた。参加しなかったエネルギーメジャーに現在のところ計画はないが、将来のメキシコ湾のポテンシャルについては期待を寄せる。Equinorは利益の伴う再エネ事業の成長を促進させるという経営戦略に則り、メキシコ湾や米国全土に亘って再エネポテンシャルを評価している。米国は相変わらず同社の洋上風力ポートフォリオの「核となる市場」との位置づけにある。Shellは「今後ともメキシコ湾のポテンシャルの商業価値について評価を継続し、機を見てビジネス投資につなげたい」と述べ、bpも米国全体の洋上風力発電事業の評価を行っているとした。前出のAmerican Clean Power Associationはメキシコ湾の結果が米国の洋上風力発電事業に対する長期に亘る見通しを代表している訳ではないとし、今後の北東部沖でのオークションは異なる結果となるとの可能性を示唆し、「投資家や事業者の潜在的関心は高く、今回は小さなくぼみに足をとられただけだ」とした。
2023年第3四半期の四半期決算報告会で巨額な減損を公表し25%の株価下落を招いたØrstedであるが、同じ報告会で「米国の洋上風力市場は長期的視点からは相変わらず魅力的であり、我々はステークホルダーと一体となり、全ての見地から直近のプロジェクトの事業改善に向け見直しを行う」とし、事業ポートフォリオの中でも米国の洋上風力発電事業が相変わらず同社にとって高位の位置づけにあることを強調した。2023年11月にはロードアイランド州の704 MW Revolution Wind洋上風力発電事業(図3)のFID(最終投資決定)を実行、24年1月には条件付きながらニューヨーク州の924MW Sunrise Wind洋上風力発電事業(図3)の株式50%をパートナーであるEversourceから取得し(Ørstedが100%)、2024年2月にはニューヨーク州のSouth Folk Wind洋上風力発電事業の発電開始を発表した。また同月の決算報告ではノルウェー、スペイン、ポルトガルの洋上風力発電事業から撤退し、経営リソースを米国を始めとした特定エリアに集中させるとした。22GWの設置済み・計画中の洋上風力発電事業を運営し、世界をリードするØrstedであるが、米国事業での巨額減損計上や株価の大幅な下落、一部の事業撤退は想定外であったであろう。それでも同社はこの状況を「未成熟な市場に見られる典型的な”Growing Pain(成長に伴う痛み)”」と受け止め、IRAによる後押しを受ける米国洋上風力発電市場には底堅い魅力があるとして、大きな期待を寄せている。
紆余曲折を経た東部の洋上風力発電事業であるが、最終的にニューヨーク州エネルギー研究開発局(NYSERDA)は(電力販売価格の変更は認められないものの)Sunrise WindとEmpire Windに対する再入札を決定し、2023年11月30日に第4次洋上風力公募として再入札の公示(ORECRFP23-1)[15]を行い、既に2018年の第1次洋上風力公募(ORECRFP18-1)においてSunrise WindとEmpire Windを落札しているØrsted・Eversource、Equinor・bpのJVにも入札への参加を認めた。2024年2月29日に入札結果が発表となり、結局Sunrise WindはØrsted・EversourceのJV(ただし条件付きながらEversourceはØrstedに全株式を売却)が、Empire WindはEquinorが落札した(2024年1月既にEquinorはbpからEmpire Wind JVの残りの全株式50%を取得)。2019年に制定されたニューヨーク州のClimate Leadership and Community Protection Act(気候リーダーシップと地域保護法、Climate Act)[16]は2030年までにニューヨーク州の電源の70%を再生可能エネルギーとする目標を定め、2035年までに9GWの洋上風力発電設備を立ち上げるとする。NYSERDAとしても契約の変更は認められないものの、期限内の目標達成を優先する限り、再入札による電力価格の上昇は止むを得ない措置との判断があったのだろう。因みに再入札による落札価格の加重平均は150.15US$/MWhであった。
1)b 米国電力の全体像
2022年発電量における電源構成で初めて再生可能エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス発電)が原子力と石炭火力発電を上回った(図5)。米国における再生可能エネルギー、特に太陽光・陸上風力発電はテキサス州、カリフォルニア州を筆頭に急激に拡大している。これもIRAのITC(投資タックスクレジット)・PTC(生産タックスクレジット)による支援の影響が大きい。
また安価な天然ガスに押され石炭火力発電がガス火力発電によって淘汰された結果、米国における電力セクターの炭素強度(単位発電量に対する温暖化ガス排出量の割合)も平均で368g/kWh(2022年)まで低下した。この数字は世界平均や再エネを積極的に展開するドイツといった国と比べても低い値である(図6)。
米国の電力システムの特徴として全国が大きく西部相互接続、東部相互接続、テキサス相互接続(Electric Reliability Council of Texas、ERCOTが運用)[17]の3つの電力系統に分かれている点が挙げられる(図7)。それぞれの系統運営も異なるため、系統を跨る連系線の接続もほとんどなく、例えばテキサス州では毎夏電力の需給バランスを維持するための厳しい綱渡りが続く。また今後再生可能エネルギーが拡大し、(既に顕在化している)電力貯留や送電線容量の問題が深刻化した際、系統による電力管理の分割・独立は、連邦レベルでの電力管理(全体最適化・電力の脱炭素)に重い足枷となる可能性もある。東部および西部相互接続には更にカリフォルニア独立系統運用事業者(CAIS、California Independent System Operator)、南西地域電力プール(SP、Southwest Power Pool)、PJM(PJM Interconnection)、ニューヨーク独立系統運用事業者(NYIS、New York Independent System Operator)といった多くの地域送電事業者が存在する。
図8は電力の炭素強度を州ごとに色分けしたものであるが、全体的に内陸部で炭素強度が高く、沿岸部で炭素強度が低いことが分かる。西部相互接続エリアに区切って見た場合でも西部地区と東部地区では炭素強度に大きな開きがある。西部沿岸部では北部の水力や太陽光発電といった再生可能エネルギーの普及があり、カリフォルニア州では2012年から州独自の排出量取引制度であるCalifornia Cap-and-Trade Program[18]が実施されていることも手伝い電力の低炭素化が進んでいるが、東部内陸部ではまだまだ石炭火力による電力供給が主流となっている。従ってこのように同じ相互接続エリア内においても電力の相互供給の仕組みが十分とはいえない状況がある。
1)c 米国における太陽光発電の拡大
図9は新たに追加された発電設備容量の電源毎のチャートであるが、電源の主流が2000年台のガス火力発電から陸上風力に移行し、現在は太陽光発電が大きく伸びていることが分かる。ポストコロナの世界的インフレやサプライチェーンの分断により洋上風力発電だけでなく陸上風力発電も含め米国内の建設コストは上昇しているが、太陽光発電については中国における太陽光パネルの過剰生産の影響で太陽光パネルの価格が下がり、未だに低落傾向にある(図10)。米SEIA(Solar Energy Industries Association、太陽エネルギー産業協会)[19]は米国における太陽光発電の建設コストが2023年第2四半期において更に低下し、1,080US$/kWであったと報告している。太陽光発電の急激な拡大には太陽光パネルの価格低下による太陽光発電開発コストの低減が大きく寄与している。
EIA(Energy Information Agency、米国エネルギー情報局)は2024年2月に報告したPreliminary Monthly Electric Generator Inventory[20]の中で2024年に36.4GWの新規の太陽光発電開発が計画されており、この設備容量が送電網に接続されれば、これまで過去最大であった2023年の18.4GWのほぼ2倍の太陽光発電設備容量が追加されることになるとした。SEIAはIRAの支援もあり2028年には太陽光発電設備容量が現状の153GWから375GWに大幅に拡大するとした。
一方で世界市場では現在太陽光パネルやその素材生産において中国が圧倒的な存在感を示しているが、米国は中国の太陽光製品輸出に対し過去様々な貿易摩擦を繰り返してきており、少なくとも表向きは中国からの太陽光製品の直接輸入量はわずかとなっている。2012年にはアンチダンピング・補助金の相殺分として中国の太陽光製品に対し追加関税が課され、トランプ政権時代の2018年にはセーフガードの発令、2022年にはウイグル強制労働防止法の適用があった。既に中国からの太陽光パネルに対してはセーフガード措置の発動により40%から275%までの関税が課せられていることから、中国から輸出された太陽光パネルの米国市場でのシェアは極少数に留まる。
2022年2月、カリフォルニア州の太陽光パネル製造業者であるAuxin Solarが商務省に対し東南アジアから入る太陽光パネルは、中国企業が「迂回輸出」を目的に東南アジアから出荷し、米国に輸出している疑いがあるため調査が必要との陳情書を提出した。[21]米国の太陽光パネル市場はベトナム、マレーシア、韓国、タイの4か国が市場の82%を占める(図11)。「迂回輸出」の疑いを持たれた4か国、ベトナム、マレーシア、タイ、カンボジアの米国での市場シェアは2021年で65%に達している。「迂回輸出」と認定されれば最大で250%もの輸入関税の対象となるため、国内の太陽光発電事業者には多大な負担となり、政府の気候変動・脱炭素政策も転換を迫られることとなることから、当時大きな政治・社会問題へと発展した。中国から輸出されている太陽光パネルの数量は極僅かであるため、東南アジア産の製品が「迂回輸出」の対象とされれば、米国は代替手段を持ち得ない。最終的に商務省は2022年6月に2年間の関税免除措置を適用し、その間に調査を実施すると結論付けたが、今年の6月にはその期限が切れる。
2022年にSEIA(Solar Energy Industries AssociationがWood Mackenzieとまとめた米国における太陽光発電事業に関する報告書では今後IRAの成立により現在(2021年)5GW弱の米国内の太陽光パネルの生産量は大幅に拡大し、業界としては2030年に50GWまで生産量を拡大することを目標として掲げるとしていた。当時はかなり背伸びをした目標と受け止められていたが、同団体の直近の報告書によれば太陽光パネルの国内生産量は(公表済みの投資計画から)現状の10.6GWから2026年までに108.5GWまで拡大すると予測している。
サプライチェーンの分断やエネルギー安全保障への関心も手伝い自国内に生産拠点やサプライチェーンを構築する動きが目立っている。そもそもIRAの一方の目的も国内の製造業や技術の発展・振興を意図したものである。太陽光パネルの国内生産推進は中国一極集中のリスクを軽減する上でも重要な施策であるが、米国と中国の生産コストは圧倒的に異なり、太陽光パネルの価格の高騰(迂回輸出とされる東南アジア産の太陽光パネルにも今後高額な追加関税がかかると仮定し)が果たして米国における太陽光発電開発にどのような影響を与えるのかは今後の見極めが必要だろう。
1)d 米国電力システムの今後の課題
米国政府は2035年までにクリーン電源(太陽光・風力、水力、原子力、地熱、バイオマス発電、蓄電システム)の全電力量に占める割合を100%(2022年時点でのクリーン電力発電量合計は40%)にするという目標を掲げる。しかし再生可能エネルギーの急激な拡大により電力運営に様々なひずみが既に生じており、送配電容量の不足で再生可能エネルギー(特に太陽光発電)の接続を一時停止したり、送電網への接続を待つ長蛇の列が生じている(現在総計2000GWもの発電設備が送電網への接続待ちを強いられている状況にあるとされる)。EIA(Energy Information Agency、米国エネルギー情報局)のPreliminary Monthly Electric Generator Inventoryでは2024年に米国で新たに62.8GWの商業規模の新規発電容量が追加されるとする。この追加分は2023年の新規設備容量である40.4GW(2003年以来最大規模)よりも55%多く、再生可能エネルギーを中心とした発電開発事業の継続的な活発さを示している。EIAのAnnual Energy Outlook 2023(AEO2023)[22]によると米国の送電網容量は、増加する電力需要に対応するために2022年から2050年にかけてほぼ2倍になり、新たに建設される設備容量のほとんどは再生可能エネルギーに関連するものであるとした。レファレンスケースでは2022年から2050年にかけて再生可能エネルギー容量が約380%増という大幅な増加が見込まれる。
送配電網の整備の課題は単にコストの問題だけではない。場合によっては異なる州や地方の行政区域を横断し、私有地の利用や近隣住民からの承諾、環境関連の承認も必要となる。一般に再生可能エネルギー開発事業であれば1年から5年程度で発電を開始できるが、送配電網の整備には5年から15年のスパンが必要とされる(図12)。例えば2023年4月ワイオミング州の1,180kmのTransWest高電圧送電線は国土管理局(Bureau of Land Management、BLM)から認可通知を受領したが、これは承認申請から16年後のことである。事業化の容易な「Low Hanging Fruits(低い場所になっている果実)」である再生可能エネルギーは多くの事業者が集中し発電容量も急激に拡大するが、蓄電システム、送配電網と先に進むにつれ事業化のハードルは高くなり(「High Hanging Fruits」)、送配電網の整備には多くの時間も掛かるため、とても再生可能エネルギーの普及速度には対応できない。ウサギと亀では勝負にならず、既に様々な場所で「Low Hanging Fruits」現象によるひずみが生じている。
カリフォルニア州の送電網運営者であるCalifornia Independent System Operator(CAISO)は、カリフォルニア州における風力・太陽光発電の急速な成長に伴い、電力の需給バランス調整のため再生可能エネルギーの出力制御を進めている。送電網運営者は安定した電力システムを維持するために需要と供給のバランスをとる必要があり、CAISOは2022年に風力発電と太陽光発電を240万MWh削減(削減量は対前年比で63%増)した。2023年には9月の時点で230万MWh以上の太陽光発電を中心とした出力を削減している。カリフォルニア州では電力需要が低下し、太陽光出力が比較的高い春の時期に頻繁に出力制御が必要となる。図13はCAISOの電力網で電力の安定性を維持するために補助的に運転するガス火力発電(dispatchable、調整電源)の運転状況を表したチャートであるが、太陽光発電がそれほど普及していなかった2015年では補助電力の稼働に昼夜の差はさほど顕著には見られていないが、2023年では昼夜の差が圧倒的に大きくなっている。この形がアヒルの姿に似ているため「ダック・カーブ」[23]と呼ばれているが、昼間の時間帯では補助電力を止めるだけでなく、再生可能エネルギーの出力も制御せざるを得ない現状を示している。
同様の事案はテキサス州でも発生している。テキサス州の卸売電力市場を管理するElectric Reliability Council of Texas(ERCOT)は2022年、利用可能な発電総量のうち風力は5%、事業規模の太陽光発電は9%を制御したと報告した。EIAは2023年7月「A Case Study of Transmission Limits on Renewables Growth in Texas」[24]でテキサス州の電力市場における風力発電と太陽光発電を合わせた発電能力が2035年までに2倍になり、テキサス州の送電システムをアップグレードしなければ風力・太陽光発電はますます制御・削減されることになるとした。2035年までにERCOTにおける出力制御は風力と太陽光の発電量の拡大とともに利用可能な発電総量の内風力で13%、太陽光発電で19%に達する可能性があると予想した。
再生可能エネルギーの出力制御は世界のあらゆる場所で発生しており、ドイツのTenneTは2023年に北海の洋上風力発電のドイツ南部への電力供給の内9%が発電網の制約により失われ、2018年以来北海からの電力供給の最低レベルとなる19.2TWhにとどまったとした。またドイツのFederal Network Agencyはインフラの制限のためドイツの再エネの3%が無駄になっていると推測した。また日本でも九州では2023年4月から6月の期間太陽光発電の19.2%が出力制御の影響を受けている。
米国政府もこの現状を放置している訳ではなく、むしろ危機感と長期的視野をもって対応に当たっている。米国のエネルギー省(Department of Energy、DOE)は米国の送電網の約70%は建設から25年以上が経過し老朽化が進んでいる一方、悪天候による停電を減らし、需要の拡大に対応するためには2030年までに送電網を60%拡張する必要があるとしている。2021年に成立したインフラ投資雇用法(IIJA)では全米の送配電網の強靭化と信頼性向上を目的に「Building a Better Grid Initiative」として200億US$超の予算が計上された。具体的には系統内外の送電容量の増加、自然災害からの系統回復力の向上、クリーンエネルギーの相互接続待ち時間の短縮を優先する「Grid Resilience Innovative Partnership(GRIP)」に助成金として105億US$、事業リスクの低減と投資への信頼性向上のため提案された送電容量を一定の割合で買い取る制度である「Transmission Facilitation Program(TFP)」に25億US$を拠出すると発表した。GRIP(105億US$)の第1弾として2023年10月、44州、58事業に対し、送配電網整備としては過去最大規模である35億US$の助成金を発表、35GW以上の再生可能エネルギー送電に対応する。また2023年11月にはGRIPの第2弾として29億US$の資金提供公募を発表している。TFP(25億US$)については2023年11月第1弾として、3つの送電線に対する資金提供(容量契約の形で最大13億US$)が発表された。
このように米国政府は送配電網の整備推進に具体的な対応を図っているが、送配電の充足や出力制御対策は待ったなしの状態であり、その一方で送配電網整備に関わる時間と手間の掛かる様々な障壁や煩雑な承認手続きを避けることはできない。しかし蓄電システムが整備されていれば再生可能エネルギーの変動を軽減し、ピーク電力を抑えることができるため、送電網の容量を増やさなくとも電力の安定供給や出力制御への対応が可能となる。そこで今後整備に力を入れていくべき最善の措置は蓄電システムということになる。
米国の蓄電池(出力)は2021年から急増しており(図9)、太陽光発電施設の多いカリフォルニア州(7.3GW)やテキサス州(3.2GW)を中心に全米で16GWの出力を有する。2024年では更に現在の出力に匹敵する15GWの設置が計画されている(EIA)。これは2024年新規の電力設備容量に換算すると全体の23%を占め、非常に大きな割合となっている。2020年稼働開始のカリフォルニア州のGatewayエネルギー貯蔵システム(250MW)以降バッテリー蓄電設備の大規模化も進んでおり、現在はフロリダ州のManateeエネルギー貯蔵システムが409MWで全米最大。欧州系のデベロッパーも含めさらに2025年までに23件を超える大規模バッテリープロジェクト(250MW~650MW)が計画されている。ドイツの電力会社RWEは2023年6月カリフォルニア州Fresno郡の150MW太陽光発電所に大型の蓄電施設(出力137MW、容量548MWh)を設置、CISO(California Independent System Operator)に系統接続する。またフランスの電力・ガス事業者ENGIEはヒューストンを拠点とする蓄電システム企業 Broad Reach Powerの全株式をPEファンドから取得することで合意した。この買収によりENGIEは350MWの運転中の資産を含む1.7GWの運転・開発中の蓄電システム資産を手に入れることとなる。
図14に示すように設置型蓄電池の価格はここ10年で大きく低下している。Teslaが販売する大型蓄電池「Megapack(蓄電容量3MWh、出力1.5MW)」は2023年に容量で14.7GWhを販売し、2022年の販売容量6.5GWhを遥かに超えた。Teslaは、「Megapack」への需要に応えるため、カリフォルニア州Lathropに専用工場を建設、2024年末までに現在の20GWhの年間生産能力を2倍の40GWhにする。また同社は中国上海臨港地区に米国外では初となる「Megapack」メガファクトリーの建設を2023年第2四半期から開始し、2024年第2四半期から世界市場向けに年間約40GWh相当の「Megapack」を製造する。
そもそも蓄電システムは放電している間しか電力を供給しないため、通常の発電事業と比べれば効率が悪い。しかしカリフォルニア州のように急激に太陽光発電が発展しているような場所では(図13 「ダック・カーブ」)、ピーク時とそうではない時間帯の電力価格に途方もない差が生じる。大口需要家は少しでもピーク時の電力負担を和らげるため、ピーク時に蓄電事業者から電力供給を受けるという方策で電力コスト負担の軽減を図り、そこに蓄電事業者にとっての商機が生まれる。そういった市場のニーズと蓄電池の価格低下によって蓄電事業という事業モデルも経済的に成立するようになったのであろう。
送配電網の整備は費用の面だけではなく様々な承認・事業プロセスを必要とし、とても再生可能エネルギー拡大のスピードにはついていけない。一方で蓄電システムは出力制御の問題を緩和するだけでなく、送配電網という限られたリソースを最大限活用するという意味からも重要な役割を果たすことができる。価格低下傾向にある中更に「Megapack」のような大型・大量生産体制が整えば、今後の拡大にも拍車がかかるものと思われる。
2) CCS
2)a 世界の先頭を走る米国のCCS技術とそれを支える政府の支援制度
次の技術としてCCS(Carbon Capture and Storage、CO2の分離・回収・貯留)を取り上げる。
現在世界で稼働中のCCSの回収量は年間5,200万トン(GCI)とされるがその内8割が米国とカナダに集中する(図15)。2013年のUSGS(米地質調査所)の報告書によれば米国のCO2貯留容量は2兆4,000億トンから3兆7,000億トンとされている[25]。欧州委員会の委託により実施された調査によれば欧州全体のCO2貯留容量は5,000億トンとされ、それと比べても圧倒的に大きい。
一方現在までのところCCS事業は老朽油田の多い米国・カナダに集中していたこともあり、事業の大多数はCO2 EORと呼ばれる石油増進回収技術に偏っていた(図16)。これは油田からの石油生産の末期に貯留岩の微細孔隙と呼ばれる狭い隙間に取り残された原油を圧入したCO2を使い回収するという技術で、CO2を地下の圧力でミシブルという状態にし、原油と一体化させ、回収する方法である。米国では古くから地下に溜まる天然のCO2を回収、パイプラインで輸送し、CO2 EORとして利用してきた。ただし現在計画されているCCS事業はCO2 EORとしての利用ではなく、CO2を枯渇油・ガス層や塩水帯水層に圧入し、そのまま恒久的に閉じ込めるという方法が主流となっている(図16)。
米国はその自然環境や産業としての歴史、事業としての実績やノウハウの積み重ねの面だけでなく、政府の支援という側面からも最もCCSの実践に適した環境にあるといえる。インフレ投資・雇用法(IIJA)やインフレ削減法(IRA)導入以前から45Qクレジットと呼ばれるCCS事業の支援制度は他国と比べても際立って異彩を放っていた。初期の45Qクレジットは、2008年10月に制定されたEnergy Improvement and Extension Act of 2008[26]によって導入され、CO2が恒久的に貯留される場合はCO2トンあたり20US$、CO2 EORとして使用される場合はCO2トンあたり10US$の税額控除が提供されるようになっていた(インフレによる調整あり)。それがIRA成立による改定45Qクレジット導入によって、給与水準や未経験者育成プログラムといった条件付きながら、CO2が恒久的に貯留される場合はCO2トンあたり最大85US$、CO2 EORとして使用される場合はCO2トンあたり最大60US$の税額控除が受けられるようになった。更にDAC(Direct Air Capture、大気中に存在するCO2の直接大気回収技術)にはCO2トンあたり最大180US$という破格の税額控除が適用されることとなった。またインフレ投資・雇用法(IIJA)の中でも炭素管理技術・調査・実証試験・事業化に85億US$、Regional Direct Air Capture(DAC)Hubsプログラム[27]としてDAC技術と4件のDACハブに35億US$の予算を配備した。米国のエネルギー省(Department of Energy、DOE)はそのインフラ投資雇用法のCarbon Capture Demonstration Projectsプログラムに対して2023年12月に8億9000万US$の資金拠出を公表している。また別のプログラムであるCarbon Capture Large Scale Pilot Projects プログラム(9億3700万US$、対象となる技術は開発段階はクリアしているが、商業段階には達していないもの)の一環として2024年2月、4件のCCS事業に対し3億400万US$の資金を提供した。4件のCCS事業(ケンタッキー州LouisvilleのCane Run Generating Station、ミシシッピ州VicksburgのVicksburg Containerboard Mill、テキサス州Big SpringのBig Spring Refinery、ワイオミング州GilletteのDry Fork Power Station)におけるCO2回収量は年間計50万トンに及ぶ。ミシシッピ州の事業はパルプ・製紙業における新たな試みであり、テキサス州の事業は燃焼後のCO2回収で革新的技術を用いるものとなっている。インフレ投資・雇用法(IIJA)の中のRegional Direct Air Capture(DAC)Hubsプログラム(最大35億US$)としては2023年8月に2件のDAC事業が選定されており、1件目(補助金6億US$)はBattelle、Climeworks Corporation、Heirloom Technologiesによるルイジアナ州のProject Cypress(年間CO2回収量100万トン)で、もう1件(補助金6億US$)はOccidentalの子会社1PointFive、Carbon Engineering、WorleyによるSouth Texas DAC Hub(年間CO2回収量100万トン)である。これらの事業は米国による初めてのDAC事業に対する補助金の適応ケースとなった。DOEは2050年までにネットゼロを達成するため年間4億から18億トンのCO2を回収・貯留する必要があるとする。IRA効果によって米国のCCS事業は13倍の規模に高まる可能性があるとされている(図17)。
2)b 米国CCS事業が抱える状況
米国には様々な形態を持ったCCS事業が存在するが、排出源や分離・回収方法によって費用に大きなバラツキがある(図18)。大気から直接CO2を回収するDAC技術はCO2トン当たりの費用が600US$から1,000US$、場合によってはそれ以上とまだ技術的にも試行段階で、今後プロセスの最適化や規模の拡大によるコストの圧縮が必要である一方、バイオエタノール生産工程からのCO2分離・回収は石炭火力発電といった化石燃料燃焼による排ガスからのCO2分離・回収と比べて不純物が少なく、前工程の必要性やアミン系吸収液の劣化が少ないこと、またCO2の濃度も高いことから分離・回収コストが低い。現在エタノールのライフサイクルでの脱炭素が求められていることもあり、エタノール生産者によるCCS技術への関心は非常に高い。
現在CCS開発事業者が抱える課題は政府による承認手続きに長い時間を要することである。CCSとしてCO2を地下に圧入するための坑井はClass VI井として特別な許可を受ける必要があるが[28]、IRAに伴う改定45Qクレジットの導入によりその申請が殺到しており、承認待ちの申請件数が170件(2023年12月)まで積み上がった状態となっている。米国の環境保護庁(Environmental Protection Agency、EPA)は2年以内の承認を目指すとするが、ここまでで最終承認を得た事業はエタノール製造者のArcher Daniels Midland(WolfのMt. Simon CCS Hub)しかなく、他にドラフト承認を受けた3件の事業があるだけで、業界内では承認取得まで7年かそれ以上の期間が必要との声もある。承認手続きには高度で専門的な評価が必要であるにもかかわらずあまりにも申請数が多く、それに対してEPAには評価を実行できるだけの十分なリソースがないことがその原因である。一方EPAはEPAに代わって州がClass VI井の許可プロセスを実行できるよう一部の州に対し代理審査の権限であるprimacy(EPA承認の優先権)の付与を開始した。動きは鈍いもののワイオミング州とノースダコタ州が既にprimacy(優先権)を得ており、ルイジアナ州は審査にかなりの時間を費やしたものの2023年12月にClass VI井のprimacyを得ることができた。[29]特に炭素強度の高い産業が集中し、地質環境がCO2の貯留に適したルイジアナ州は申請全体の33%を占める。ノースダコタ州ではprimacyによって8か月でClass VI井の承認が得られたとし、ルイジアナ州へのprimacyの付与は湾岸エリアの脱炭素促進に寄与するものと期待されている。また既にテキサス州、ウエストバージニア州はprimacyへの申請を開始しており、他にもコロラド州、オハイオ州、モンタナ州、アリゾナ州が関心を示している。一方で環境保護団体の中にはEPAが責任を持って全体を統括すべきだとの意見もあり、EPAはルイジアナ州へのprimacy付与決定に際し45,000件のパブリックコメントを参考に精査の結果、「Louisiana州のUnderground Injection Control Programは環境正義の理念に則し、汚染対策システムの設置といった環境危機からの地域住民の保護が徹底している」と判断したとする。primacyの受領には年単位の時間が掛かるとされる。石油・ガス開発の歴史が長く、リソースの充実したLouisiana州のようにどの州でも審査・評価の能力を有した優れた組織や適切な審査プログラムを整備することは容易ではないだろう。
2)c 米国CCSにおける3つのモデル
現在米国内のCCS事業は3つのビジネスモデルに大別される(図18)。1つはメキシコ湾岸エリアを代表格とする炭素強度の高い石油・化学等の産業集積地からCO2を回収し、老朽油・ガス田や塩水帯水層に貯留するというCCSハブと呼ばれるモデル、2つ目は大気中のCO2を直接回収・貯蔵する技術であるDAC(Direct Air Capture)を商業規模に拡大するという事業モデル、最後は同じCCSハブではあるものの中西部に集中するバイオエタノールプラントからCO2を回収し貯留するモデルである。
2)c-1 炭素強度の高い産業集積地からCO2を回収し、貯留するCCS事業モデル
米国ではテキサス州、ルイジアナ州、ミシシッピ州といったメキシコ湾岸の州を中心にCO2を使った老朽陸上油田に対するCO2 EORと呼ばれる石油増進回収技術が1970年代から実施されてきた。またこのエリアには石油精製、化学品製造、LNG(液化天然ガス)輸出プラント等炭素強度の高い施設が集積しており、石油企業が中心となりCO2 EORのレガシーや石油開発の知見を活かして炭素強度の高い事業者からCO2をまとめて回収し、パイプラインで輸送、老朽油・ガス田や塩水帯水層に貯留するという事業モデルに基づく大型のCCSハブ構想・計画が複数立ち上がっている(図19)。
大型事業の例ではChevron(50%、他にパートナーとしてTalos Energy 25%、Carbonvert 25%から権益を取得したEquinorが参加)がオペレーターを務めるBayou Bendプロジェクトがある。Talos Energyと以前のパートナーであったCarbonvertが米国では唯一の海洋CCSリース(Jefferson郡の沖合4万エーカー、Texas General Land Officeによって付与)を獲得したことが事業の発端であるが、更に陸上に10万エーカー(合計14万エーカー)のCCSリースを確保し、10億トンのCO2貯蔵能力を有する。テキサス州のBeaumontとPort Arthurの産業回廊、BaytownやMont Belvieu周辺の東部Houston Ship Channelエリアを含む、産業の集積する「黄金の三角地帯」に隣接し、その地域の製造業から排出されるCO2の回収を事業化する。
2023年にChevron へオペレーターを譲るまでBayou BendプロジェクトのオペレーターであったTalos Energyは、Bayou Bendプロジェクト以外にもメキシコ湾岸エリアでCoastal Bend CCSやHarvest Bend CCSといったCCSハブ事業を積極的に展開する。Coastal Bend CCSはCorpus Christiの港湾管理委員会と港が運営するCCS事業(Coastal Bend Carbon Management Partnership)で、Talos Energyは中流事業者であるHowardと共に2022年に参加した。Howardの運営するJavelina Midstreamシステムにおける既存の60マイルのパイプラインで排出源からCO2を輸送し、1万3,000エーカーのCCS貯留エリアの塩水帯水層に初期段階では年間100から150万トンのCO2を貯留する計画。またHarvest Bend CCSはルイジアナ州のNew OrleansおよびBaton Rougeの工業地帯のCO2排出源を対象とする事業で、最大11万エーカーのCCS貯留エリアを確保し、6億2000万トンのCO2を貯留する計画。またHarvest Bend CCSには英国でクラスター(産業集積地)シークエンシングプロセスのトラック2に選定されたスコットランドのAcorn CCSクラスター事業のオペレーターを務めるStoreggaも参加している。Storeggaについては2024年1月にUAEの国営石油会社ADNOCがStoreggaの株式10.1%を取得したと公表し、ADNOCにとって初めてのカーボンマネージメントプラットフォームに対する国際株式投資として話題になった。他にもTalos Energyは他のパートナーと共にルイジアナ州のRiver Bend CCSやFreeport LNGのCCSプロジェクトも計画している。
ExxonMobilもメキシコ湾岸で産業集積地からCO2を回収しパイプラインで輸送、油・ガス層あるいは塩水帯水層に貯留するという巨大なCCSハブ構想を推進する企業の一つである。ExxonMobilは元々1986年からワイオミング州のShute Creekガス処理プラントにおいてCO2濃度の高いLaBargeガス田からのCO2を分離回収し、CO2 EOR用に販売してきた。世界最大クラス(設計上のCO2年回収量700万トン)である同プラントでは随伴CO2のほぼ半分をCO2 EORに利用、一部を貯留しており、CCS技術の知識や経験についてはこれまでの豊富な蓄積がある。
ExxonMobilは2023年7月にCCSソリューション・CO2 EOR事業に多くの実績を持つDenburyを49億US$で買収した。[30]Denburyはルイジアナ州、アラバマ州、ミシシッピ州、テキサス州、ワイオミング州の10拠点(約20億トンのCO2貯留容量)と約2100kmに及ぶCO2専用パイプラインを所有・運営するが、特にミシシッピ州、ルイジアナ州、テキサス州の湾岸エリアを結ぶ約1,300kmのCO2専用パイプラインは、ExxonMobilの目指す湾岸エリアにおける年間1億トンのCO2回収目標を達成する上で重要なピースとなった(図19)。またExxonMobilは2022年10月、肥料製造の世界トップクラスであるCF Industriesとルイジアナ州のDonaldsonvilleブルーアンモニア事業(2億US$を掛け既存の製造施設にCO2脱水および圧縮装置を建設)から年200万トンのCO2を回収し、Vermilion Parishの用地(12.5万エーカー)でCO2を貯蔵するという、CCSとしては最大規模のサービス契約を締結した。2023年6月には北米最大の製鉄業者の一つNucorのルイジアナ州Conventの製鉄所から年間80万トンのCO2回収でサービス契約を締結しており、自社で計画するテキサス州Baytownにおけるブルー水素・アンモニア事業(現在Technip EnergiesによるFEED(基本設計)実施中)からのCO2回収と併せ、CCS事業の顧客確保も進んでいる。サービス契約締結とDenbury買収による中流資産の獲得、CCSの豊富なノウハウとCO2貯蔵用地の確保によって上下流の垂直統合モデルを構築し、メキシコ湾岸エリアのCCSバリューチェーンにおいて確固たるポジションを築き上げようとしている。
2)c-2 DAC(CO2の直接大気回収技術)
CO2を大気から直接回収するというDAC(Direct Air Capture)技術はClimeworksのアイスランドのOrca DACプラントにおける年間4,000トンのCO2回収事業や現在建設中のHIF Global等によるチリMagallanesのHaru Oni e-フューエル(回収したCO2とグリーン水素から作る合成燃料)実証プラントに併設される年間600トンのCO2回収事業があるが、いずれも実証プラントで、規模も小さい。中には現在建設中のClimeworksによる年間3万6,000トンのCO2を回収するMammoth DACのような商業ベースのケースもあるが、米国には複数のCO2回収年100万トンクラスの巨大プラント建設計画が立ち上がっている。IRAの改定45QによるDACの税額控除(最大でCO2トン当たり180US$)や旺盛なDACによるCDR(Carbon Dioxide Removal、DACや森林による炭素吸収といった炭素除去技術に基づく炭素クレジット)の取引が背景にある。
現在最も先行しているDAC事業はOccidental(Oxy)傘下の1PointFiveがテキサス州Ector郡(パーミアン盆地)で開発を行うSTRATOS事業(図19)で、大気からのCO2回収量年間50万トンを目指す。建設工事は30%が完成し(2023年11月時点)、2025年半ばの運転開始を見込む。2023年11月には世界最大の資産運用会社であるBlackRockが5億5,000万US$でJVパートナーとして事業に加わるということで話題になった。2030年までに回収分相当のDAC CDRクレジットの85%は売却の目途が付いているとされ、Amazon、Airbus、ANA、TD Bank Group、the Houston Astros、the Houston Texansといった顧客と売買契約を締結する。1PointFive JVが推進するSouth Texas DAC Hub(図18)はテキサス州の南部でDAC事業の展開を図る。年間CO2回収量100万トンで、Carbon Engineering、Worleyから技術・エンジニアリングの提供を受ける。
1PointFiveの親会社であるOxyは全米のCO2 EOR事業の中心地であるテキサス州のパーミアン盆地でCO2 EORの知見を50年以上積み重ねており、総延長4万km、140万エーカーの敷地に6,000本の圧入井を有し、CO2 EOR事業を通したCO2の輸送・圧入に確固たるポジションを築いている。同エリアにあるCenturyガス処理プラントでは2010年よりCO2の回収を行っており、2012年の拡張工事ではCO2回収量を年間840万トンまで拡大し(CGIのデータでは2022年の回収量は500万トン)、回収したCO2はCO2 EOR事業に利用している。
Oxyは2022年11月、8月のIRA成立に合わせ2035年までにDAC施設の数を70か所から100か所に拡大すると公表した。同社はこれまで50年に及ぶCO2 EOR事業から得た知見やノウハウを生かし、既存の設備やポジションを最大限活用しながら、DACを始めとしたCCS技術の展開を積極的に図っていく。
前出したClimeworksはBattelle、Heirloomと共にルイジアナ州南西部の湾岸エリアで年間回収量100万トンのDAC事業であるProject Cypressを開始する(図19)。Climeworksは2022年11月、やはり湾岸エリアにおける高CO2排出量の産業からCO2を回収し、貯留するというルイジアナ州Gulf Coast Sequestration(GCS、第3段階までで年間1,000万トンのCO2を貯留)とDACで回収したCO2の貯留に関する覚書を締結している。このProject Cypress事業と前出の1PointFiveのSouth Texas DAC Hub事業が2023年8月、米国のエネルギー省(Department of Energy、DOE)のRegional Direct Air Capture(DAC)Hubsプログラムに初の適応ケースとして選定されたことは前述のとおりである(参照、前出2)a世界の先頭を走る米国のCCS技術とそれを支える政府の支援制度)。
2)c-2a DACとCDRクレジット
DAC事業における特徴はDACによって創生された炭素クレジット、CDRクレジットが非常に高値で取引されていることである。CO2を大気から回収するCDR(Carbon Dioxide Removal、炭素除去)としては森林の炭素吸収、所謂森林の再生や植林といった森林保護(NBS、Nature-based Solutions)から生まれたCDRクレジットが最も流通しているが、そもそも開発計画のないエリアが対象となっているとか、登録後の開発状況が不透明といった信頼性やトレーサビリティ(追跡可能性)の欠如がアカデミアやマスメディアからしばしば指摘されてきた。そのようなネガティブな材料の織り込みにより市場の信頼性が損なわれたことから、炭素クレジットのボランタリー市場(VCM、Voluntary Carbon Markets。対照的に官製市場であるコンプライアンス市場がある)における価格は低迷が続いており、代表的なnature-based avoidance carbon creditsの価格はCO2トン当たり5US$を下回っている(図20)。質の悪い炭素クレジットの流入によるカーボンオフセット(相殺)の低コスト化は(企業が安価な炭素クレジットをボランタリー市場から購入し、温暖化ガス排出量のオフセットとして利用するため)実質的な脱炭素が進まないという問題を引き起こす。VCMI(Voluntary Carbon Markets Integrity Initiative)等がガイドラインを整備し、より厳格なMRV(測定・報告・検証)といった方法論や算定方法の標準化、トレーサビリティの向上を図り、炭素クレジットの質を確保しようとしているが、市場の再構築にはまだ暫くの時間が掛かる見込みである。
そのような状況の中DACによるCDRクレジットは脱炭素に積極的な企業から大きな注目を集める。米国のDAC事業者が取り扱うCDRクレジットは非常に高値で取引されており(図21)、コンプライアンス市場の代表格である欧州排出量取引制度(EU-ETS)の炭素許可証(EUA、EU Allowance)の2023年平均価格であるCO2トン当たり93US$と比べても、遥かに高値で取引されていることがわかる。
CDRクレジットは透明性・トレーサビリティが担保されているとして高価でありながらStripe、Alphabet、Shopify、Meta、McKinsey Sustainability、JPMorgan、Autodesk、H&M(バイヤー企業が立ち上げた仲介事業者Frontierを経由)、Microsoft、Amazon、Boston Consulting Group、TD Securities(直接契約で購入)等様々な業種を代表する大手企業が積極的に購入を進めている。TD Securitiesは4年間で2万7500トンの炭素クレジットを1PointFiveから購入、AmazonはSTRATOSから10年間で25万トンのCDRクレジットを購入し、AmazonのClimate Pledge FundはCarbonCapture Inc.(ワイオミング州でFrontier Carbon SolutionsとDAC事業「Project Bison(CO2回収量年間100万トン)」を建設中)に出資する。2023年12月、Climeworksは、15年間で8万トンの炭素クレジットをBoston Consulting Group(BCG)に売却することで合意したと発表、カリフォルニア州Tracyで石灰石を用いた米国で最初の商業規模DACプラント(年間CO2回収量1,000トン)を立ち上げたHeirloomは、 2023年9月にMicrosoftと複数年に亘って31万5000トンのCDRクレジットのオフテーク契約を締結した。
IRAの税額控除やインフラ投資・雇用法のRegional Direct Air Capture(DAC)Hubsプログラムといった手厚い支援と旺盛なCDRクレジット取引によって米国におけるDAC事業は死角なしのように映るが、他のCCS事業と比べてもCO2回収コストが圧倒的に高く、米国といえどもこのコスト高が普及の妨げになっている。また図21に示されるようにCarbonCaptureの既存のオフテーク価格とオフテーク契約に付帯する2028年買取オプションにおけるCDRクレジット引き取り価格は約2倍の開きがある。CarbonCaptureがワイオミング州で展開するDAC事業「Project Bison」は複数のフェーズを経ながら2030年までにCO2回収量を年間500万トンまでステージアップする事業であることを割り引いても、現在高額で取引されているDACベースのCDRクレジットがおそらく希少性の薄れる将来のCDR市場でも高値を維持できる保証はない。IRAに伴う改定45Qも操業開始から12年間という期限が設けられていることを考えれば、DACのCO2回収コストの低減はDAC事業者にとって明らかに最優先課題となる。DACの回収技術にはまだこれといった最終形はでき上がっていないが、どの事業者・技術開発者も自身の独自技術の枠内でプロセスの最適化、規模の拡大(EOS、規模の経済)によって大幅なコスト削減を目指している(図22)。
2)c-3 中西部コーンベルトにおけるCCSハブ事業
米国のトウモロコシ生産は年間約3億5,000万トンと世界の生産量の30%を占め、断トツの1位であるが、その多くがバイオエタノールに加工されており、そのバイオエタノールの生産量も世界の5割以上を占める。全米のバイオエタノール生産の94%はコーンベルトと呼ばれる中西部に集中している。
バイオエタノールの使途の多くはバイオ燃料としてガソリンに混合されているが、その消費の伸びに陰りが見えてきており、その新たな市場として持続可能な航空燃料(SAF)に注目が集まっている。しかしバイオエタノールの生産には大量の熱を使い、発酵過程の副生成物としてCO2が発生するため、生産プロセスにおける炭素強度が高い。そこで中西部コーンベルトにおいて浮上してきたのがバイオエタノールの生産過程におけるCO2を回収し、輸送・貯留するCCSハブ構想である。
中西部CCSハブ事業については複雑な事情も抱えており、この後の「バイオ・再生可能燃料」の項で詳述することとする。
3) クリーン水素
米エネルギー省(DOE)は2021年6月に気候変動対策における最も困難な課題を克服し、コストを大幅に削減するための革新的技術を支援・促進すべく、エネルギー・アースショット・イニシアチブ(Energy Earthshots Initiative)[31]を公表した。人間を月に送るという1960年代の「ムーンショット計画」になぞらえたネーミングであり、水素ショット、長期蓄電ショット、カーボンネガティブショット、強化地熱開発ショット、浮体式風力発電ショット、産業熱利用ショットを含む。その中で水素ショット(Hydrogen Shot)[32]では10年以内にクリーン水素コストを80%削減し、1キログラム当たり1ドルにすることを目指す「111」というプログラムが採用された。またインフレ削減法では新たにクリーン水素に対する税額控除(新設Sec. 45V credit for production of clean hydrogen)が導入され、水素ライフサイクルにおける炭素強度といった要件を満たせば、最大で3.00US$/kg-H2の税額控除を受けることができる。米エネルギー省(DOE)は2022年に示した国家クリーン水素戦略およびロードマップの原案の中で米国のクリーン水素年間生産目標として2030年までに1,000万トン、40年までに2,000万トン、50年までに5,000万トンといった高い目標を掲げる。
一方でIEAの報告書、「Global Hydrogen Review 2023」[33]によれば世界の公表済みクリーン水素事業計画は合計生産量として2030年までに年間3800万トンが積み上がっており、2022年の世界の水素消費量と比してかなりの生産量が計画されているものの、これまでFID(最終投資決定)に達しているケースは全体の4%にしか過ぎず、現在のクリーン水素の需要も水素消費量全体の0.6%に留まると報告されている。またHydrogen CouncilとMcKinseyの共著「Hydrogen Insights 2023 December Update」[34]は世界の1400件以上の大規模水素事業を分析した結果、2023年10月時点で2030年までのクリーン水素の生産事業(年間4,500万トンのクリーン水素)の内7%以下(年間300万トン強)だけがFID(最終投資決定)を完了していると報告した。米国内だけでも公表済みクリーン水素生産計画が2030年までに年間500万トン分になるとする(FGE)。このことからグリーン水素・アンモニア事業への関心は高いものの、実際の事業化となると(値段が高いことから)オフテーク契約が取れず、ファイナンスも組めないことから投資決定に移行できない現在のクリーン水素技術のジレンマ、High Hanging Fruits(なかなか手の届かない高い場所になる果実)としての実態が浮かび上がる。
2021年に成立したインフラ投資・雇用法の中で米国政府はクリーン水素技術の推進に対して95億US$の予算を定め、クリーン水素製造ハブの設立促進に80億US$を配備した。水素ハブ構想は水素の普及・拡大を図るため水素の産業拠点(水素ハブ)を米国内の6~10か所に整備し、そのために80億US$(70億US$を生産者側、10億ドルをオフテーク資金)の基金を準備するというものである。米DOEは水素ハブによってクリーン水素生産量年間300万トン、全投資額500億US$を目指す。
水素ハブ構想はそのエリアの水素の普及・拡大のみならず、それに伴う地域雇用の促進、地域コミュニティーへの貢献、経済弱者への支援といった意味合いも持つ。
米エネルギー省(DOE)は水素発展の3つの柱として(1)産業セクター、大型輸送車、送電網の脱炭素化に向けた長期蓄電といった分野での利用を促進し、水素利用規模の拡大を図るとともに、同盟国のエネルギー安全保障を支援、(2)水素ショット構想で示しているように新たなイノベーションと規模の拡大、民間投資を喚起し、水素のサプライチェーンを整備することでクリーン水素の生産コストを劇的に低下させる。また重要素材、サプライチェーンの脆弱性についても着目し、効率と耐久性に優れた設計、リサイクルのし易さについても取り組む、(3)地域レベルでの水素ネットワークを重視する。そのエリアにおける大規模な水素の生産と消費のループを完結させること、それによって水素インフラのCritical Mass(水素の爆発的普及のための臨界数量)をクリアし、スケールの拡大を推進。また地域資本、地域参加、サスティナビリティーを推進力とした市場の浮揚の3点を挙げた。水素ハブ構想はまさに(3)地域レベルでの水素ネットワークの構築、という点に重なるものと考えられる。水素はまだそのネットワークもサプライチェーンも存在しない。まず特定の地域内でネットワークやサプライチェーンを構築・発展させ、その中で水素の原料調達・製造・輸送物流・販売・消費までを完結させ、最適化を図る。各エリアの水素ハブを基点として米国全体、更には海外への輸出を通して世界規模での水素ネットワークやサプライチェーンの構築を目指すというところに水素ハブ構想における最終的な狙いがある。一方でもう一つの意図はこの試みによって次世代のエネルギーシステム構築について壮大な実験を行おうとしているのでは、ということである。現時点においてエネルギーのトリレンマ(安定供給(reliability)、低価格(affordability)、持続可能性(sustainability))を解決し、現在のエネルギーシステムに対する要求を全てかなえる代替エネルギーは存在しない。次世代エネルギーについては単に技術や価格の優位性だけではなく、それを社会・経済のエコシステムの中で運用した時に、インフラ・サプライチェーン・需給ネットワークといった既存システムに対する互換性や順応性、総合的なコストも含めた評価が必要となり、そのエコシステム内での評価を抜きに次世代のエネルギーとしての総合価値や優位性は判断できない。米エネルギー省(DOE)は水素ハブ構想の中で最低1か所はグリーン水素、ブルー水素、ピンク水素(原子力発電由来の電気を使用し水を電気分解・分離後得られる水素。イエロー水素やパープル水素と呼ばれることもある)を対象とし、様々な水素の製造方法を含めることを条件としており、また1か所は天然ガスの生産地であることといった縛りを入れている。「技術中立(Technology Neutral)」概念の基本原則に沿い(参照、前述2. 欧州型と米国型、気候変動対応に関わる政府のアプローチの違いおよび共通の課題)、それぞれの地域の特色や固有の特徴・技術を生かしながら同時に、様々な技術や事業モデルを競わせ、次世代のエネルギーとして最適な、最終勝利者を選ぼうとしているとの狙いがあるのではないだろうか。また原料調達、輸送・貯蔵、生産、流通・販売をハブ内で完結させることで垂直統合型の事業モデルを構築し、典型的な水素普及の妨げになっているサプライチェーンの不在や需要の不振といった問題を解決しようとしているのではと考える。
水素ハブプログラムは2022年9月に公募を開始し、79もの候補が選考レースに参加した。水素ハブプログラムに対する関心の高さを伺わせる数字である。続いて2023年1月に一次選考で79の候補から33の候補を絞り込み、2023年10月に7つの提案(図23)が最終的に採用された(助成金計70億US$)。[35]
興味深いのはそれぞれのハブが独自のエネルギー源・原料・手法を用い、地域の特色に基づいた産業やエネルギーシステムの脱炭素を図ろうとしていることである。
例えば東北部のMid-Atlantic Hydrogen Hub(MACH2)では原子力エネルギーや洋上風力発電といった再生可能エネルギーを利用しグリーン水素を生産、(現在使用している天然ガス由来のグレー水素をグリーン水素で置換することで)地域内に展開する製油所・化学品プラントの脱炭素化を図る。テキサス州のGulf Coast Hydrogen Hub(HyVelocity H2Hub)も既に製油所・化学品プラントといった水素の需要家が存在し、水素のクリーン化によっての脱炭素化を図る点は前出のMACH2ハブと類似するが、州内の豊富な再生可能エネルギー(太陽光・陸上風力発電)によるグリーン水素やこれも豊富な天然ガスとCCSを組み合わせたブルー水素、更には既存の1,600kmの水素専用パイプラインや48の水素製造所がこのハブ構想を支える。カリフォルニア州のCalifornia Hydrogen Hub(ARCHES)では炭素強度の高い産業の脱炭素もさることながら、電動化が難しく排出量削減の困難な(hard-to-abate)大型トラックといった大型陸上輸送部門のクリーン水素による脱炭素化を図っていく。北部Heartland Hydrogen Hub(HH2H)の目指すユニークなポイントはクリーン水素を使った厳しい冬の暖房と農業の脱炭素化にある。例えば米国が世界最大の生産国であるトウモロコシ栽培には大量の窒素系肥料が必要であるが、肥料の原料をクリーンアンモニアに代えることで農業の低炭素化を図ることができる。北東部のAppalachian Hydrogen Hub(ARCH2)のエリアは主要な石炭産地であるが、脱炭素の流れにより米国の石炭火力発電所は徐々にその姿を消していることから、斜陽化する石炭産業に代わり水素産業が新たな雇用の受け皿となることを期待して、このハブ構想は設計された。脱炭素には地域内に豊富な天然ガスとCCSを組み合わせたブルー水素を活用する。Pacific Northwest Hydrogen Hub(PNW H2)では域内の豊富な水力発電を使ったグリーン水素を生産する。全米の水力発電量ではワシントン州が第1位、オレゴン州が第2位、モンタナ州が第5位に位置し、PNW H2に登録される3州で全米の47%の水力発電量を賄う。
まさに前述したように未だ最適な解の見つからない水素経済やエコシステムを築く上で、様々な方法論を試し、競わせ、地域で垂直統合モデルを完結させ、未整備な水素インフラ、市場、サプライチェーンといった水素経済システムを地域レベルで一刻も早く完成させる。またクリーン水素の大規模供給体制の構築・社会実装の展開と共に、その中で効率的で効果的なビジネスモデルを確立していく。もし優秀なモデルが生まれれば、それをレプリケーション(複製)として他のエリアにも応用し、それによって水素経済が広がる可能性もある。各地の地質プレイや開発の成功体験を共有し、「模倣と絶え間ない改善」によって大きく成長してきた米国シェール産業がまさにその形である。また仮に地域レベルでは水素経済やエコシステムがうまく機能せず、垂直統合モデルの構築に失敗したとしても、需要(例、メキシコ湾岸や北東部の製油所・化学品プラントが集中する水素需要が高いエリア)と供給の分業体制が確立し、異なるハブ同士のカップリングが生まれるかもしれない。事業計画は数多く立ち上がっているものの、なかなか事業化に結び付かない水素技術拡大への突破口になるのではと期待される。
米国の水素事業に関しては事業推進者にとって1点懸念事項がある。これはIRA共通の課題でもあるが、IRA自体の支援のメカニズムは税額控除であり非常にシンプルで事業者側の評判も良いものの、一部の条件や解釈の面で混乱が生じている(前述1)a 米国の洋上風力発電事業とその課題、IRAの解釈や条件面での混乱)。クリーンエネルギーは一般に資本コストの割合が大きく、IRAの解釈と適用によって(例、ボーナスレートの適用)事業の経済性が大きく影響を受ける。管轄する官庁はIRAの解釈を補完するため度々ガイドラインを公表しているが、事業者はそのガイドラインが明確になってから事業判断を行うといった様子見のケースもあり、それが水素やCCS事業におけるFID(最終投資決定)の遅れにつながっているともいわれている。
水素事業に関するIRAの解釈ではクリーン電源(原子力・再生可能エネルギー)による水の電気分解でクリーン水素を作るケースにおいて、IRAの税額控除の対象として認めるクリーン電源についての定義が不明確であった。2023年12月にエネルギー省(DOE)から示されたガイドラインの草案[36]では、クリーン水素の税額控除の適用条件として新たな再生可能エネルギー発電設備の設置(水素施設の稼働前3年以内に商業運転を開始した発電所)といった既存の電力に「追加」されたクリーン電力のみを対象とするよう規定された。またこのガイドラインでは電力源が水素生産プラントと同じ送電網エリアに存在し、発電と水素生産(電解槽の稼働)が同じ時間帯に運転されることも求めた。事業者側からはこれらの要件がプロジェクトの開発や立地を制限するとの意見が寄せられている。例えば豪州のWoodsideはオクラホマ州においてグリーン水素を生産するH2OKプロジェクトの開発を計画しているが、このガイドラインの設定により、プロジェクトに対する税額控除の適用に困難が生じている。同事業は水素生産のための水電解に州内の既存の風力発電所から電力供給を受け、化石燃料由来の電気についてはグリーン電力証書(REC)の購入で相殺(オフセット)し、対応しようと考えていた。しかしIRAのガイドライン案ではクリーン水素の税額控除の適用条件として、新たな再エネ発電設備の設置といった既存の電力に「追加」されたクリーン電力のみを対象とするよう規定されている。またこのガイドラインでは電力源が水素生産プラントと同じ送電網エリアに存在し、発電と水素生産が同時に実行されることも求めた。エネルギー省(DOE)の付属説明では「これらの3つの条件を満たさない場合電力の脱炭素能力が失われ、税額控除の資格を満足する最大の炭素強度を超える可能性が生じる」としている。ガイドラインの最終版も草案の中身と大幅に変更されることはないとされていることから、H2OKプロジェクトのように事業の実施に影響を受けるプロジェクトが今後増えるのではないかと懸念される。
4) バイオ・再生可能燃料、そしてSAF
4)a 米国におけるバイオ燃料の経緯
米国では一般乗用車燃料としてガソリンに10%のバイオエタノールを混合した「E10」と呼ばれる燃料が広く普及しており(中には季節限定でE15やフレックスフューエル車用のE85も流通)、軽油では5%のバイオディーゼル油を混合した燃料(B5)が一般的に販売されている(B10やB20も限定的ながら販売)。米国におけるバイオ燃料の普及に関して過去には環境汚染対策やガソリンの無鉛化に伴うオクタン価向上、更には70年代のオイルショックを契機とした石油価格の上昇のためといった背景があったが、トウモロコシ(エタノールの原料)や大豆(バイオディーゼル油を生産するための植物油の原料)といった農作物の市況の安定化と農家の安定収入確保という政治的意図もあったと想像される。大きな転機は2005年に成立した包括エネルギー政策法(Energy Policy Act of 2005)の中に設けられた再生可能燃料基準(Renewable Fuel Standard、RFS)[37]であり、ガソリンや軽油といった輸送用燃料に対して毎年米国環境保護庁(EPA)が目標値を発表し、バイオ燃料の混合比率を石油精製・混合・輸送事業者(燃料ブレンダー)に義務付けている。2007年には「RFS2」に改訂し、再生可能燃料量の長期目標値を360億ガロンに引き上げた。図24は米国におけるバイオエタノールの生産量推移であるが、2007年以降に生産量が急激に伸びていることが見てとれる。
燃料ブレンダーはガソリンや軽油にバイオ燃料を混合するが、燃料ブレンダーがEPAによって指定されるバイオ燃料毎(D3セルロース系バイオ燃料、D4バイオマス系ディーゼル、D5先進バイオ燃料、D6再生可能燃料全体)の再生可能燃料量義務(RVO)を満たすときにRINクレジットと呼ばれるクレジットが燃料1ガロン単位で発行される。[38]RINクレジットは市場でも売買され、燃料ブレンダーがRVOを達成できない場合調達したRINクレジットで不足分を充当する。
一方堅調に生産量を伸ばしてきたバイオエタノール生産の伸びはここ10年で鈍化し、最近では下降傾向にある(図24)。2022年は原油価格の高騰と製油所の稼働率の低さからガソリン価格が高騰し、E15ガソリンにより1ガロン当たり60¢の節約効果が得られたとするが、現状では10¢から15¢程度とされる。ただし現在のバイオエタノール生産の停滞は乗用車燃費の大幅な向上とEV・PHV・HVといったゼロエミ車・ハイブリッド車の普及によるガソリン需要の停滞によるところが大きい。Refined Fuels Analytics(RFA)のシナリオではガソリンの北米での需要は2028年までほぼ一定で、その後低下するとしている。しかしそれでもRFAのガソリン需要の予想はIEA(国際エネルギー機関)の予想から比べれば遥かに多い。RFAはガソリン需要は2022年から2028年までで日量5,000バーレル上昇すると予想するが、IEAは同期間で日量100万バーレル低下すると予想している。直近では米国新車販売台数に占める割合が8%弱とやや息切れを示しているEV販売であるが、今後給電インフラ整備や航続性能の向上、価格の低下といった改善が進めば、大きく販路を拡大する可能性もある。
この傾向はEVといった電化による代替手段のない大型陸上輸送車(大型トラック等)と比較すると顕著である。大型トラックの燃料である軽油に混合されるバイオディーゼル油や再生可能ディーゼル油の原料は植物油(特に大豆油)であるが、バイオ・再生可能ディーゼル油の生産量増加に伴い価格が上昇し(図25)、生産量(大豆油)も順調に増えていることが見て取れる(図26)。
バイオエタノール生産に関わる事業者やステークホルダーがガソリン販売の減少によるエタノール市場縮小の懸念を示す中、バイオエタノール事業者が着目したのがSAF(持続可能な航空燃料)である。バイデン政権はSAFの生産規模の拡大、低コスト化、普及を目指し、SAF Grand Challenge[39]を打ち出し、2030年に30億ガロン、2050年に350億ガロンの目標を定めた。またEUではFit for 55パッケージのReFuelEU Aviation[40]が2023年4月に欧州議会・理事会で承認され、域内の空輸セクターに対し2025年から航空燃料に2%のSAF混合(段階的に2050年では70%まで引き上げ)義務が課せられ、2024年には空輸セクターがEU-ETS(欧州排出量取引制度)の対象となる。
4)b エタノール製造とCCSハブ事業
SAFはまた様々な制度によって手厚く、重層的な支援を受ける。ジェット燃料(化石燃料であるケロシン)にSAFをブレンドすることでRINクレジットを発行できる。RINクレジットの市場価格は1ガロン当たり2.15US$(2023年12月時点)である。SAFのIRAによる税額控除ではジェット燃料と比べた温暖化ガス排出量削減割合によって差異があるが、50%以上の削減が達成できれば1ガロン当たり1.25から1.75US$の税額控除を受けられる(CO2 1%削減で1¢の税額控除が加算)。更に一部の州では州独自の税額控除の制度を設けており、イリノイやミネソタ州では1ガロン当たり1.50US$の税額控除を受けることができる。これはバイオエタノールをSAFの原料として利用することでバイオエタノールやトウモロコシの市場価値が大きく上がるということを意味する。こうした流れの中バイオエタノール事業者にはバイオエタノールをSAFの原料として供給するという代替手段への関心が高まった。しかしバイオエタノールのSAFへの転換については1つ大きな課題がある。バイオエタノールの炭素強度が非常に高く(前述2)c-3 中西部コーンベルトにおけるCCSハブ事業)、ライフサイクルで計算した場合、ジェット燃料とほとんど違いがないことである。したがってそのままではIRAによる税額控除は受けられない。
図27に示すようにライフサイクルでの温暖化ガス排出量を計算するとジェット燃料の89 g-CO2e/MJとバイオエタノールの80~100 g-CO2e/MJではほとんど変わりがない。IRAの税額控除に少しでも引っかかるためには44.5 g-CO2e/MJを下回る必要がある。そこで浮上したのがエタノール生産プロセスでCO2を回収し、輸送・貯留するCCSハブのコンセプトである。特にエタノール生産からのCO2回収は石炭火力発電所の排ガスからのCO2回収などと比べて圧倒的に低コストであるという点も事業を進める上で有利な点である(前述2)b 米国CCS事業が抱える状況および図18)。
こうした状況の中、全米のエタノール生産量の94%を占めるとされる中西部のエタノールプラントからCO2を回収し、州境を超えてCO2を輸送・貯蔵するという大規模CCS事業が次々に立ち上がった。これらはCO2幹線ラインを中心として周りのエタノールプラントから広範囲にCO2を回収するというビジネスモデルからmega-hubs and spokesと呼ばれている(図28)。
現在mega-hubs and spokesを代表する大規模CCS事業は、Heartland Greenway CCS、Midwest Carbon Express、Mt. Simon CCS Hubの3件である(図28)。Navigator CO2 VenturesのHeartland Greenway CCSプロジェクトは、中西部のエタノールプラントから年間1,500万トンまでのCO2を回収し、約2,100kmのパイプラインを使い、イリノイ州の地下にCO2を貯留する計画である。Summit Carbon Solutionsが推進するMidwest Carbon Expressプロジェクトは、約3,220kmのCO2パイプラインを使い、中西部の5つの州、30を超えるエタノールプラントから年間1,800万トンのCO2を回収し、ノースダコタ州の地下に貯留する。Wolf Carbon SolutionsによるMt. Simon Hubプロジェクトは年間1,200万トンのCO2をアイオワ州の農業複合企業ADMの所有する2か所のエタノール製造・コジェネレーションプラントから回収し、約420kmのCO2パイプラインを使いイリノイ州まで輸送後貯留する計画である。しかしそれらのプロジェクトはCO2パイプライン敷設に関する地元の思いがけない反対に遭遇し、プロジェクト存続の危機に陥っている。
CO2パイプラインの敷設ルートが横切るあるいはその近隣の土地所有者や農家、地元住民にとってCO2パイプラインの設置はCO2漏洩のリスクを招き、地価の下落や作物の風評被害を招く恐れがあり、とても同意できなというのがその主意であった。またCCSは化石燃料使用を延長させるとするCCSに反発するグリーン活動家がその反対の輪に加わった。土地所有者、農家、地元住民の「市民は廃棄物を利用できず、何の恩恵も得られない。しかしパイプラインが破裂するというリスクを被ることとなる」という主張が彼らの不満を代表する。そのような中Summit Carbon Solutionsは自身のMidwest Carbon ExpressプロジェクトにおけるCO2パイプラインを水、天然ガスのパイプラインや電気の送電線のように公共の福祉に寄与するものと解釈し、Eminent Domain for Land Easements(公共利用のための土地収用権の行使)におけるUse of Eminent Domain to obtain Right-of-Way(土地収用権を使用して通行権を取得すること)が適用されるとして、CO2パイプラインの建設許可を当局に申請した。しかしCO2パイプラインが水、天然ガス、電気、公共交通機関のインフラ同様公共の福祉に寄与するという考え方に地元の理解は得られていない。
これらの地元の反発を受け、サウスダコタ州の規制当局がパイプライン建設の承認を却下し、他の州でも承認手続きに支障が生じたことを受け、Heartland Greenway CCSプロジェクトではNavigator CO2 Venturesが2023年10月、「規制当局と地域政府の承認手続きの不透明さ」から撤退を決定した。Summit Carbon SolutionsのMidwest Carbon Expressプロジェクトも厳しい状況に陥っている。サウスダコタ州では既に最初に提出したパイプライン承認申請は複数の郡から上がった反対意見を受け、規制当局であるPublic Utilities Commission(PUC)により2023年9月に却下されている。Summit Carbon Solutionsは既にパイプラインのルート変更を協議しており、2024年初めにも再度申請書を提出するとしている。またSummit Carbon Solutionsはノースダコタ州の規制当局であるPublic Service Commissionからも既に最初の申請が却下されており、ノースダコタ州でも厳しい状況に直面している。住民の福祉への悪影響が最小限であるとの説明が不十分であったというのが申請却下の理由とされる。更に2024年の半ばまでにはアイオワ州での申請承認が待ち受ける。仮に全ての承認手続きが順調に2025年の初めまでに完了した場合建設作業は即時開始が可能とされ、パイプラインルートの承認がプロジェクトの大きな律速因子となっており、少なくともプロジェクトに2年の遅れが出ているとされる。一方Wolf Carbon SolutionsのMt. Simon Hubプロジェクトではイリノイ州の規制当局であるIllinois Commerce Commissionから一旦提出した承認申請を2023年11月に取り下げている。2024年初めに再度申請を行うとされる。
4)c ATJ事業
前述したようにバイオエタノールのライフサイクルでの温暖化ガス排出量はほとんど化石燃料と変わらないため、そのままではIRAのSAFへの税額控除の適用は受けられない。そのような中米国では独自の脱炭素技術によってバイオエタノールの温暖化ガス排出量を低減し、SAFを製造する動きが生まれている。これらの技術はアルコールからジェット燃料を作ることから総じてATJ(Alcohol to Jet)と呼ばれている。
GevoはNet-Zero 1プロジェクトとしてサウスダコタ州でATJにより年間19.7万トンのクリーン燃料を生産し、その内16.7万トンをSAFにコンバートする(2025年稼働開始予定)。また別途RNG(再生可能天然ガス、バイオメタン)を製造し、ATJの生産過程で熱源として利用する。また同プロジェクトでは2023年8月に米国エネルギー省(DOE)から9.5億US$の融資保証を受領している。Net-Zero 1プロジェクトのユニークな点はATJの製造過程で低炭素エネルギーを最大限利用することでライフサイクルとしての温暖化ガス排出量を削減し、最終的にはカーボンニュートラルあるいはカーボンネガティブ燃料の生産を目指していることである(図29)。
図29で示すようにバイオエタノールを製造し、それからATJによりSAFを生産する場合は95g-CO2e/MJ程度の温暖化ガスがライフサイクルで排出され、石油から作られる通常のジェット燃料(A-1といったケロシン)の89g-CO2e/MJと同等となってしまう。従ってバイオエタノールやその派生品をクリーン燃料とするには、再エネやRNG、クリーン水素を利用することで、製造プロセスで排出されるCO2を削減あるいはオフセット(相殺)するという考え方である。図29に示す「持続可能な農業プログラム」とは輪作、被覆作物、緑肥によって土壌の健康を維持すると共に化学肥料の使用を抑え、CO2を土壌中に固定したり、有機物の分解を抑えることでCO2の発生を抑えるといった低炭素農法を指す。Gevoは契約するトウモロコシ農家に「持続可能な農業プログラム」の採用を促していく。一方エタノール・ATJ生産プロセスのラストピースがCCSであったが、前述したようにHeartland Greenway CCSプロジェクトの撤退によりCCSのオプションは失われた。しかしながらGevoは他の脱炭素技術で十分IRAの条件をクリアできるとして、プロジェクトの成功に自信をのぞかせる。
GevoのNet-Zero 1プロジェクトと異なるアプローチでATJによりSAFの生産を図るのがLanzaJetである。2024年同社は初めての大規模商業プラント(Freedom Pines 燃料プラント)をジョージア州に開設し、年間3万トンの再生可能燃料を生産、その内の90%をSAFに転換する(図30)。LanzaJetの技術のユニークな点は原料としてトウモロコシの代わりに都市ごみや農業・林業残渣から得た植物繊維(セルロース)を使うことである。セルロースを酸で分解し、発酵させ、バイオエタノールを製造する。トウモロコシと異なり食料・飼料とのバッティングが起きないという点が強みであり、欧州のように原料調達の点から厳格な管理が求められる市場向きといえる。
4)d SAFに関する様々な原料・製造プロセス
2022年、世界のSAF生産量が全航空燃料消費量に占める割合は0.1%以下であった(IATA)。一方IATA(International Air Transport Association、国際航空運送協会)は2024年のSAF生産量は2023年の3倍の150万トンまで膨らむと予想する。EUでは2024年から空輸を欧州排出量取引制度(EU-ETS)に組み入れ、2025年からはSAFの航空燃料への混合義務(2%)が開始される。後から振り返った時2024年がSAF元年だったということになるかもしれない。
一方SAFは通常廃食油(UCO)・獣脂を原料としてメチルエステル・水素化処理により生成されたHEFA(Hydrotreated Esters and Fatty Acids)を経て製造されているが、原料が安価であり、既存製油所の改修による混合改質(co-processing)によって生産できることから(特に欧州で一般的)、現在市場に出回っているSAFのほとんどがこの製造プロセスによって製造されている(全体の95%)。しかしながら廃食油(UCO)・獣脂を原料として製造する方法は原料調達の困難さから決してサスティナブルとはいえない。廃食油(UCO)・獣脂の全体量は世界で3,000万トンとも2,000万トンとも言われているが、実際にSAFの原料として流通できる量は遥かに少ないであろう。また現在のところ有効な脱炭素の方策が確立されていない大型陸上輸送部門(大型トラック等)にはその燃料である軽油に「4)a 米国におけるバイオ燃料の経緯」で解説したRFSのような制度があり、米国ではバイオディーゼル油と呼ばれるFAME(Fatty Acid Methyl Ester)や最近増加している再生可能ディーゼル油と呼ばれるHEFA(Hydrotreated Esters and Fatty Acids)が一般的に軽油と混合され、世界的にも軽油へのバイオ燃料の混合が求められる傾向にある。HEFA(あるいはその原料であるUCO・獣脂や植物油)の調達で陸上輸送燃料とSAFとが競合するような状況が生まれることになる(図31)。
現在の米国のSAF生産量は5万トン弱(図32、2022年)にしか過ぎないが、現政権の2030年目標は910万トン、2050年目標は1億600万トンとなっており、多くの航空会社も自主的なSAF混合比率の目標を掲げていることから、今後SAFの急速な市場拡大が予想されている。米国ではHEFA経由のSAFとして大豆油といった植物油を原料として使用する製造経路が考えられるが、HEFAは前述したように大型トラック用燃料である再生可能ディーゼル油としての引き合いが強く、SAFに十分な原料やHEFAが行き渡るかどうかは不透明な部分もある。一方でライフサイクルで50%以上のCO2を削減できれば、ATJ(Alcohol to Jet)も十分有力なSAFの製造経路となり得る。仮に米国で2022年に生産されたエタノールを全てSAF生産に回せば年間3,000万トン近くのSAFが生産可能となり、さすがに2050年の1億トンオーバーは無理でも、2030年の目標であれば計算上はクリアできる(図32)。今後年間数1,000万トンのSAF需要が生まれれば、あらゆるSAF製造の経路を使ってSAFの供給を確保しなくてはならない訳で、今後ガソリンの更なる消費減少に伴いエタノール供給に余裕が生まれることを想定すれば、ATJという製造経路は将来米国にとって非常に有力な選択肢となり得ると想像される(図31)。
欧州(EU)の場合は再生可能エネルギー指令(Renewable Energy Directive、RED III)により食料や飼料と競合する原料の使用や間接的土地利用変化(Indirect Land-Use Change、ILUC、自然林の農地やプランテーションへの転用)に関しての規制がある(前述、2. 欧州型と米国型、気候変動対応に関わる政府のアプローチの違いおよび共通の課題)。また前出の欧州(EU)のReFuelEU Aviation(参照4)a 米国におけるバイオ燃料の経緯)が規制するSAFの混合割合は、2030年からグリーン水素と回収されたCO2からFT法を経てSAFを合成するe-SAFを一定量混合することを定めている(2030年は1.2%、徐々に拡大し2050年では35%)。現時点では米国にSAFへの法規制上の要求はないが、HEFAやトウモロコシを原料としないSAFの製造経路についての事業化も進んでおり、需要側の関心も高い。前述のLanzaJetによるFreedom Pines燃料プラント事業では今後10年間分のSAFの販売契約は全て埋まっているし、航空会社を始めとした多くの企業が積極的に投資を行っている。
前出のLanzaJetの技術では都市ごみや農業・林業残渣からエタノールを製造し、SAFに変換していたが、原料は一緒でもそこから合成ガスを製造し、FT法によってSAFに変換する製造経路を利用するのがFulcrum BioEnergyである(図33)。同社は2022年12月、ネバダ州のSierra BioFuels Plant(17万5,000トンの都市ごみ・廃棄物から3万3,000トンの低炭素輸送用燃料を製造)で世界に先駆けSAFの商業生産を開始しており、インディアナ州のGaryでも同様のプラント建設を進めている。
e-フューエル(回収したCO2とグリーン水素から作る合成燃料)事業をチリ、豪州(タスマニア)で展開するHIF Global(参照2)c-2 DAC)は、年間約200万トンのCO2および約1.8GWの水電解槽(Siemens Energy、Silyzer 300PEM)を使った年間約30万トンのグリーン水素から、約60万トンのe-ガソリン含む合成燃料を2027年から製造する(図33)。2023年4月にはテキサス州環境品質委員会(TCEQ)から大気品質許可を取得している。またSAF Investor London 2024で2023年「Project Investment of the Year - US Award」を獲得したカリフォルニア州を拠点とするInfiniumのProject Roadrunnerは、西テキサス州にある小型のGTL(ガスの液体燃料への転換)設備を改造し、回収したCO2とグリーン水素から年間2万3,000トンの合成燃料を製造し、2/3をSAF、残りを合成ナフサや合成軽油(e-Naphthaおよびe-Diesel)に変換する。2024年のFIDを目指し、運転開始は2026年を予定する。世界中10か所ほどでe-フューエル(合成燃料)製造プラント(総量年産300万トン)の建設を計画している。
LanzaJetやFulcrumの技術では原料が都市ごみや農業・林業残渣といった廃棄物であることからUCO(廃食油)等とは異なり原料供給にはある程度の余裕があるものの、それらの集荷・輸送、分別・破砕の前処理工程といったサプライチェーンや「手間」の部分がボトルネックとなる。両事業とも生産規模は年産3万トン程度で、トウモロコシを原料にエタノールを経てSAFを作るGevoのNet-Zero 1プロジェクト(年産20万トン)には遠く及ばない。また水の電解によるグリーン水素と回収したCO2を原料とするe-SAF(e-フューエル、合成燃料)は一見原料の制限を受けないように見えるが、GevoによればNet-Zero 1並みの燃料生産規模を確保するためには、年間55万トンのCO2と600MWの再エネ電源設備が必要となる。「3) クリーン水素」で解説したように米国のエネルギー省(DOE)によるIRAに適用されるグリーン水素のガイダンス案はその条件として厳しい制約を課す。ガイダンス案がこの内容で確定した場合更にグリーン水素の調達に制約が課される可能性もある。米国政府のSAF Grand Challengeの掲げるSAF供給体制構築に向けた高い目標を達成するためには「量の確保」の問題をクリアにすることが大前提であり、米国特有のトウモロコシを原料としたATJ経路の確立がSAF目標達成に欠かせないピースとなる。
4. エネルギートランジションを取り巻く世界そして米国の現状
いま需要側(エネルギー消費者)にとっての立場は、クリーンエネルギーは依然価格が高く、生産規模も小さいため安定供給にも不安があり、オフテーク契約(長期販売契約)を締結する状況にはないということである。一方供給側(開発事業者)の立場からは、需要が弱く、オフテーク契約(長期販売契約)が締結できないため事業の投資決定も生産規模の拡大もできない。生産規模の拡大ができないためコスト削減が進まないということになる。いま世界を覆うエネルギートランジションの課題は、この「鶏と卵」と称されるジレンマである(図34)。クリーン水素やCCS(CO2の分離回収・貯留技術)事業に関して計画案件は大きく積み上がっているが、FID(最終投資決定)への移行はごく一部に限られるというのはこのためである。これは米国にも共通する点であるが、米国はIRA(インフレ削減法)があるのでさらに供給側の事業意欲は高く、事業案件の拡大は勢いを増している。しかしここに来て案件の急激な積み上がりによる承認手続きの遅れや未成熟市場特有のリソースの不足といったグローイングペインの問題が顕在化してきた(図34)。前述したような関連インフラ整備やCO2圧入・貯留井(クラスVI井)に対する規制当局による承認の遅れ・滞り、あるいは洋上風力発電開発であればリソース不足によるコストの増大・納期の遅れといったような問題である。そこがチョークポイントになって全体の流れをせき止め、事業化の妨げとなっているといった状況が生まれつつある(図34)。需要側の購買意欲(インセンティブ)が低い、というのは欧州のような炭素価格制度(排出量取引制度あるいは炭素税)が米国では導入されていないという点も大きいが、EV購入の補助金といった一部の例外を除けば、IRAは需要側のインセンティブを掻き立てるような仕組みに乏しい点も指摘される。ただし需要側への刺激は新たなインセンティブの仕組みの導入で対応可能であろうが、送電線やCO2パイプラインのように地域の反発が今後新たな阻害要因となるのかどうかについては注意深く見ていく必要があるだろう。
米国は2035年までに電力供給の100%をクリーン電源にする、あるいは2030年までにクリーン水素年産量を年産1,000万トンに引き上げるといったクリーンエネルギー普及に関する高い目標を掲げている。去年11、12月にUAEで開催されたCOP28の合意文書でも再生可能エネルギーの設備容量を2030年までに現状の3倍となる11TWとするといったことが盛り込まれた。再生可能エネルギーといったある程度の経済性が見込め、技術的なハードルも低い「裏山」から、蓄電システム・送電網というように今後超えていかなくてはならない山々は更に高く、険しくそびえ立つ(図35)。次々に現れるより高くそびえる山々をどう克服していくか、これこそがエネルギートランジションに対する米国も含めた世界の大きな課題だといえる。再生可能エネルギーやEV(電気自動車)といった「Low Hanging Fruits(低い場所になっている果実)」ばかりを収穫しても、技術的・経済的にハードルの高いクリーン水素やCCSといった「High Hanging Fruits(高い場所になっている果実)」を取り残せば電化の困難な産業や輸送機関は脱炭素のpathway(道筋)から取り残され、エネルギートランジションはpatchy(まだら模様)に拡大することになる。今多くのスタートアップやアカデミアがその「High Hanging Fruits」へ容易にアクセスするための技術開発を進め、それを資金や技術で支援する国や民間の仕組みや体制も出来上がっている。「High Hanging Fruits」の収穫を容易にするための革新的技術に寄せる期待は大きい。
脱炭素と並ぶIRAの目標には製造業の国内回帰・振興がある。IRA効果から例えば前述したように今後太陽光パネルの米国生産は2026年までに現状の10倍に増大する(SEIA)可能性があるが、米国での製造コストは中国の3倍近くあるとされる(図36、Wood Mackenzie)。またこれも前述したように2022年6月に2年間の特別猶予を与えられた迂回輸出の措置が今年の6月に期限を迎える。東南アジア産太陽光パネルへの追加課税は大きな伸びを示す太陽光発電事業開発の拡大にブレーキとなる可能性も捨てきれない。また興味深いことに現在米国での太陽光パネル製造プラントの建設には隆基緑能科技(ロンジ・グリーンエナジー・テクノロジー)や天合光能(トリナ・ソーラー)といった世界トップクラスの中国の太陽光パネルメーカーが進出しており、大規模な「ギガファクトリー」を建設している(WSJ)。米国の製造業の自国回帰と脱炭素の推進は国の安全保障の観点も含め複雑な構造を作りつつある。
世界的に見てもポストコロナのサプライチェーンの分断やロシアのウクライナ侵攻に伴う国の安全保障への関心の高まりは、これまでのグローバルサプライチェーンの考え方から製造拠点のリショアリング(自国回帰)やフレンドショアリングあるいはニアショアリングといった動きを生んでいる。再生可能エネルギーでも広域のサプライチェーンの分断で大きな影響を受けた洋上風力発電事業はコストの増大と納期の遅れに苦しむが、完璧な垂直統合モデルが完成している中国の太陽光パネルはむしろ国内の過当競争で価格を下げ、太陽光発電事業のコスト低減に大きく貢献し、世界中での太陽光発電の急速な拡大の要因となっている。米国の太陽光パネルの製造コストは中国の3倍だが、欧州でも中国の2倍のコストが必要とされる(図36)。グローバルサプライチェーンの課題や国の安全保障への意識がリショアリングといった動きを生み、価格低減によって拡大してきた再生可能エネルギーの発展にどう影響を与えるのか、先の読めないエネルギートランジションの計算式に更に複雑な変数が加わることになる。
米国でIRAが導入されて以来、EU・欧州各国はIRAが志向する米国内製造業への支援・優遇策、自国市場優先といった方針が保護主義政策であると繰り返し批判してきた(一方で欧州企業はIRA成立以来米国市場に積極的に投資している)。他方IRAや欧州のCBAM(炭素国境調整措置、Carbon Border Adjustment Mechanism)といった動きは第3国にとってブロック化、自由貿易の障壁と映る。特に中国、インド、南アフリカ、ブラジルといった新興国の経済は欧米市場への輸出に大きく依存し、国の発展も掛かっていることから、IRAやCBAMといった動きに神経をとがらせ、大きく反発する。これまでCOP(Conference of the Parties、締約国会議)は南北対立の場となって久しいが、グローバルサウスの代弁者となってきたのが前記の新興国である。多くの気候変動シナリオは世界の協調路線から分断への移行は温暖化対策の遅れを招くと想定するが、前段のグローバルサプライチェーンの問題も含め、今後の脱炭素の進行にどのような影響となって跳ね返ってくるのか、注目される点である。
5. まとめ
2023年12月米政府は2021年1月のバイデン政権発足以来民間企業における米国のクリーン事業への投資予定額が公表ベースで3,600億ドルを超えたと発表した。インフラ投資雇用法やインフレ削減法(IRA)がクリーンエネルギー・脱炭素の流れに大きなモメンタム(勢い)を形成したことに疑いの余地はないだろう。一方2023年の米国の温暖化ガス排出量は経済回復にもかかわらず前年比減少(Rhodium Group)と予想されるが、暖冬および石炭火力発電の大幅な減少が主な要因で、(経済はともかく)IRAの温暖化ガス排出量低減への貢献を評価するのはまだ時期尚早ともいえる。
洋上風力発電が代表するようにインフレ、高金利、サプライチェーンの寸断は事業の逆風となり、熟練作業員やサプライヤーの不足などクリーン市場の未成熟さも指摘されるが、多くの事業関係者はグローイングペイン、一過性の課題とし、米国市場の未来の可能性に期待を寄せる。また事業案件の急増による審査の集中・承認手続きの長期化、更には地域社会における新たな技術への懸念・反発(社会的受容性の遅れ)も今後深刻なボトルネックとなる可能性がある(社会的受容性がうまく進まなければ、新たな事業はカリフォルニア州やテキサス州といった場所に限定されてしまう)。
IRAのもう一方の目標、製造業の国内回帰は蓄電池、太陽光パネル等において着々と進むが、中国・東南アジア産の太陽光パネルとの製造コスト差を埋めることは容易ではない。またIRAのインセンティブによる米製造業の支援を欧州等他の国々はブロック化と非難する。更にIRAの税額控除率を左右する「自国比率」の解釈は事業者に混乱を招き、当局のガイダンスが発出されるまで事業の進行を留め置くケースも生まれている。太陽光パネルについては間近に迫る迂回輸出に対する「関税免除措置失効」の懸念もある。メイドインUSAが供給量・コストの面で十分海外製品と対抗でき、脱炭素のモメンタムを更に加速できるのかが注目のポイントとなる。
欧州のクリーンエネルギー・脱炭素技術は「政府主導型」であるのに対し、米国のそれは「市場主導型」である。現在それらの技術がEVや再生可能エネルギーに集中する「Low Hanging Fruits(低い場所になっている果実)」化が指摘される中、「市場主導型」は更にその傾向を増大させる可能性もある。一方で米国には革新的技術を武器とするスタートアップ企業とそれを支援する官民・企業・金融の土壌や仕組みがある。クリーンエネルギー・脱炭素といった新しい市場では、これまでの流れやシステムが新たな技術の導入により根底からくつがえされるようなことも十分あり得る。今後米国には今のエネルギートランジションの停滞状況を乗り越え、限界を突破するようなブレークスルー技術の登場を期待したい。
2024年は米大統領選挙の年であり、選挙結果によってはIRAの存続を危ぶむ声もある。本稿の主旨はIRAの米国エネルギートランジションへの影響であり、「IRAが無くなる」という仮定を論じるのは主題からそれるが、「仮にIRAに否定的な政権に交代した場合」のいくつかの可能性について最後に取り上げたい。
仮にIRAがそのまま残ろうが、廃止されようが、また別に形を変えて新たな米国のエネルギー政策が立ち上がろうが、現在のモメンタムを逆行させることは簡単ではなく、8年前の風景とは世界も米国も大きく様変わりしている。そもそも論からはインフラ投資・雇用法は法律であり、大統領府の一存で廃止が決まる訳ではないし、米国議会の最近の傾向からも「ねじれ」が生じている可能性もあるので、IRA廃止自体も簡単な話ではない。即対応が可能なのはガイドラインや解釈の変更といった点であろう。
またIRAに代わる法律が施行されても多くの脱炭素技術が既に米国内に根を張り、定着している。再生可能エネルギーでいえばアイオワ州(全米2位)、オクラホマ州(3位)、カンザス州(4位)では風力発電が非常に伸びており、フロリダ州では太陽光発電(3位)が急速に拡大し、テキサス州は太陽光・風力両方で全米の1、2位を争っている州であるが、これらの州は全て前回の大統領選挙で共和党を支持している。また前出の45QによるCCS(CO2分離回収・貯蔵)事業に対する税額控除は2008年から開始されており、前政権下の2020年にも改定が行われている。したがってIRAが仮に廃止されてもIRAの恩恵を受けて作られた市場や産業構造を維持するための受け皿(インセンティブ)が求められ、それがIRAの役割を代替する可能性もある。仮にクリーン技術に影響が及んでも全部が一斉に停止するのではなく、クリーン技術によって濃淡が生まれるということではないだろうか。例えば天然ガスの探鉱や開発活動につながるとして、CCSと組み合わせたブルー水素事業には手厚い税額控除や支援を行うといった形が生まれるかもしれない。
4年後には再び選挙の年が巡ってくる。たとえ化石燃料を扱っている企業でも中長期経営戦略で4年間は短すぎる。石油開発事業ではシェール開発でもない限りライセンス取得から生産までに早くて7年から10年のリードタイムが必要である。どうエネルギー政策が変わろうが、石油・ガス企業といえども世界の動きから切り離された戦略構想は立てられず、慎重な「瀬踏み」が求められる。これは自動車メーカーや電力会社にとっても同じことである。またRE100(企業の事業活動におけるエネルギーの100%を再生可能エネルギーで賄うことを目指すイニシアチブ)への参加企業であるマイクロソフトやアップルあるいはアマゾンといった世界の消費者を相手にしているような企業は、サプライチェーンも巻き込み、政治とは別に今後も積極的に脱炭素を進めて行くだろう。選挙自体においても、世界の情勢や環境、政治に関心が高いと言われている90年代半ば以降に生まれたZ世代と言われる若い世代がどんどん選挙権を得て、政治に参加している。これまで選挙に関心の薄かった若年世代がどのような選挙行動を起こすのかも無視できないポイントとなる。
世界第1位の経済規模を誇り、世界第2位の温暖化ガスを排出する米国は、今後も様々な角度から世界のエネルギートランジションの動向に大きな影響を与え続けることとなる。
[1] Infrastructure Investment and Jobs Act
https://www.congress.gov/bill/117th-congress/house-bill/3684/text(外部リンク)
[2] Inflation Reduction Act of 2022
https://www.congress.gov/bill/117th-congress/house-bill/5376/text(外部リンク)
[3] EU Emissions Trading System(EU ETS)
https://climate.ec.europa.eu/eu-action/eu-emissions-trading-system-eu-ets_en(外部リンク)
[4] The Green Deal Industrial Plan, Putting Europe's net-zero industry in the lead
https://commission.europa.eu/strategy-and-policy/priorities-2019-2024/european-green-deal/green-deal-industrial-plan_en(外部リンク)
[5] Net-Zero Industry Act, Making the EU the home of clean technologies manufacturing and green jobs
https://commission.europa.eu/strategy-and-policy/priorities-2019-2024/european-green-deal/green-deal-industrial-plan/net-zero-industry-act_en(外部リンク)
[6] Important Project of Common European Interest: State of play
https://www.europarl.europa.eu/thinktank/en/document/EPRS_BRI(2022)729402(外部リンク)
[7] The European Hydrogen Backbone(EHB)initiative
https://www.ehb.eu/(外部リンク)
[8] Renewable Energy Directive
https://energy.ec.europa.eu/topics/renewable-energy/renewable-energy-directive-targets-and-rules/renewable-energy-directive_en(外部リンク)
[9] Eleven EU countries launch alliance for nuclear power in Europe
https://www.euractiv.com/section/energy-environment/news/eleven-eu-countries-launch-alliance-for-nuclear-power-in-europe/(外部リンク)
[10] Carbon Boarder Adjustment Mechanism(CBAM)
https://emissions-euets.com/carbon-border-adjustment-mechanism-cbam(外部リンク)
[11] Offshore Wind Renewable Energy Certificate(OREC)Agreement
https://www.nyserda.ny.gov/All-Programs/Offshore-Wind/Focus-Areas/Offshore-Wind-Solicitations(外部リンク)
[12] RWE Secures Wind Area Lease Offshore Louisiana, Texas Sites Attract Zero Bids
https://www.offshorewind.biz/2023/08/29/rwe-secures-wind-area-lease-offshore-louisiana-texas-sites-attract-zero-bids/(外部リンク)
[13] Contracts for Difference(CfD): Allocation Round 5
https://www.gov.uk/government/collections/contracts-for-difference-cfd-allocation-round-5(外部リンク)
[14] Vattenfall to divest Norfolk Offshore Wind Zone to RWE
https://group.vattenfall.com/press-and-media/pressreleases/2023/vattenfall-to-divest-norfolk-offshore-wind-zone-to-rwe(外部リンク)
[15] ORECRFP23-1
https://www.nyserda.ny.gov/All-Programs/Offshore-Wind/Focus-Areas/Offshore-Wind-Solicitations/2023-Solicitation(外部リンク)
[16] Climate Act
https://climate.ny.gov/(外部リンク)
[17] U.S. electric system is made up of interconnections and balancing authorities
https://www.eia.gov/todayinenergy/detail.php?id=27152(外部リンク)
[18] California Air Research Board, Cap-and-Trade Program
https://ww2.arb.ca.gov/our-work/programs/cap-and-trade-program(外部リンク)
[19] Solar Energy Industries Association(SEIA)
https://www.seia.org/(外部リンク)
[20] Preliminary Monthly Electric Generator Inventory - EIA
https://www.eia.gov/electricity/data/eia860m/(外部リンク)
[21] White House alarmed that Commerce probe is “smothering” solar industry
https://www.washingtonpost.com/business/2022/05/07/auxin-solar-projects-frozen/(外部リンク)
[22] ANNUAL ENERGY OUTLOOK 2023 - EIA
https://www.eia.gov/outlooks/aeo/(外部リンク)
[23] As solar capacity grows, duck curves are getting deeper in California - EIA
https://www.eia.gov/todayinenergy/detail.php?id=56880(外部リンク)
[24] As Texas wind and solar capacity increase, energy curtailments are also likely to rise
https://www.eia.gov/todayinenergy/detail.php?id=57100(外部リンク)
[25] How much carbon dioxide can the United States store via geologic sequestration
https://www.usgs.gov/faqs/how-much-carbon-dioxide-can-united-states-store-geologic-sequestration(外部リンク)
[26] Energy Improvement and Extension Act of 2008
https://www.congress.gov/bill/110th-congress/house-bill/6049(外部リンク)
[27] Regional Direct Air Capture(DAC)Hubs Program
https://www.energy.gov/oced/DACHubs(外部リンク)
[28] Class VI - Wells used for Geologic Sequestration of Carbon Dioxide
https://www.epa.gov/uic/class-vi-wells-used-geologic-sequestration-carbon-dioxide(外部リンク)
[29] Louisiana Underground Injection Control Program Class VI Primacy Proposed Rule - EPA
https://www.epa.gov/system/files/documents/2023-04/LA_ClassVI_FactSheet_4-28-23%20%28002%29.pdf(外部リンク)
[30] ExxonMobil announces acquisition of Denbury - ExxonMobil
https://corporate.exxonmobil.com/news/news-releases/2023/0713_exxonmobil-announces-acquisition-of-denbury(外部リンク)
[31] Energy Earthshots Initiative
https://www.energy.gov/policy/energy-earthshots-initiative(外部リンク)
[32] Hydrogen Shot Hydrogen and Fuel Cell Technologies Office
https://www.energy.gov/eere/fuelcells/hydrogen-shot(外部リンク)
[33] Global Hydrogen Review 2023
https://www.iea.org/reports/global-hydrogen-review-2023(外部リンク)
[34] Hydrogen Insights 2023 December Update
https://hydrogencouncil.com/en/hydrogen-insights-2023-december-update/(外部リンク)
[35] Biden-Harris Administration Announces $7 Billion For America’s First Clean Hydrogen Hubs, Driving Clean Manufacturing and Delivering New Economic Opportunities Nationwide
https://www.energy.gov/articles/biden-harris-administration-announces-7-billion-americas-first-clean-hydrogen-hubs-driving(外部リンク)
[36] Treasury Sets Out Proposed Rules for Transformative Clean Hydrogen Incentives
https://www.whitehouse.gov/cleanenergy/clean-energy-updates/2023/12/22/treasury-sets-out-proposed-rules-for-transformative-clean-hydrogen-incentives/(外部リンク)
[37] Renewable Fuel Standard
https://www.epa.gov/renewable-fuel-standard-program/overview-renewable-fuel-standard(外部リンク)
[38] Renewable Identification Numbers(RINs)under the Renewable Fuel Standard Program
https://www.epa.gov/renewable-fuel-standard-program/renewable-identification-numbers-rins-under-renewable-fuel-standard(外部リンク)
[39] SAF Grand Challenge
https://www.energy.gov/eere/bioenergy/sustainable-aviation-fuel-grand-challenge(外部リンク)
以上
(この報告は2024年3月15日時点のものです)