ページ番号1010441 更新日 令和7年3月25日
このウェブサイトに掲載されている情報はエネルギー・金属鉱物資源機構(以下「機構」)が信頼できると判断した各種資料に基づいて作成されていますが、機構は本資料に含まれるデータおよび情報の正確性又は完全性を保証するものではありません。また、本資料は読者への一般的な情報提供を目的としたものであり、何らかの投資等に関する特定のアドバイスの提供を目的としたものではありません。したがって、機構は本資料に依拠して行われた投資等の結果については一切責任を負いません。なお、機構が作成した図表類等を引用・転載する場合は、機構資料である旨を明示してくださいますようお願い申し上げます。機構以外が作成した図表類等を引用・転載する場合は個別にお問い合わせください。
※Copyright (C) Japan Organization for Metals and Energy Security All Rights Reserved.
概要
- PetronasとPetrosの「騒動」とは、マレーシア最大の産ガス州であるサラワク州政府が、州営石油・ガス会社のPetrosに「ガスアグリゲーター」という権限を与えると州法で決定したことに端を発する。州政府はサラワク州のガスサプライチェーンにおいて、国営石油・ガス会社のPetronasに代わるポジションにPetrosを就かせてその権限・関与を拡大させ、州で産出された天然ガスの配分権を含む全面的な事業管理権限を行使できるようにするため、Petronasに対して権限移管に関する合意を求めたものの、LNGターミナルへのガス供給やLNG輸出への影響懸念等から協議が難航・長期化していた。
- サラワク州の目的は、州で生産された天然ガスの供給配分や価格の決定権を手に入れることにより、現状は生産量全体の5~6%に留まる州内の発電・産業向けガス配分割合を引き上げ、州の資源から得られる利益を地元の産業や人々に還元し経済成長を目指すことにあるが、その背景にはサラワク州に与えられた自治権の特徴や、歴史的・経済的な根強い不満が横たわっている。
- マレーシアのLNG生産はサラワク州産ガスへの依存度が非常に高い。LNG輸出はPetronas・連邦政府の収益に大きなウェイトを占めるだけでなく、海外の投資家やLNG顧客との信頼関係維持においても重要である。マレーシアは日本のLNG輸入元第2位であり、サラワク州は日本にとっても重要なガス供給州である。
- Petronasのガス収益の大幅な減少はマレーシアの石油・ガス産業と連邦財政へ連鎖的な悪影響を与えるリスクがあることに加え、海外の投資家やLNG顧客には混乱や不利益を生じさせないということが一大前提でもあったことから、特にLNGの扱いについては慎重にならざるを得ない側面があったと考えられる。他方で、今回の騒動の背景には政治的・法律的な事情も絡んでおり、連邦政府としてはサラワク州の要求や願望に対して一定程度配慮せざるを得ない側面もあった。
- 本件については2025年1月に合意内容の大枠が明らかとなり、さらに2月の連邦議会答弁の場において、アンワル・イブラヒム首相が2025年3月1日付でガスアグリゲーター権限の移管を正式に実施する(ただし、LNGに関しては移管対象外とする)決定を表明したことから、一旦は収束に向かいそうな見通しであったが、引き続き協力範囲の詳細を検討中とのことであり、本稿執筆日現在、未だ正式移管完了に関する公式な発表や共同声明などは確認できていない。ただし、合意形成が根底から大きく覆されるようなことにはならないものと見ている。
1. はじめに
昨年来、“Petronas-Petros dispute”、“Petronas-Petros issue”等といった表現でマレーシアの現地メディアに取り上げられ、しばしばサラワク州界隈を騒がせてきた問題がある。サラワク州というのは、マレーシアで最大面積を有し、国内最大の天然ガス生産量を誇る産ガス州である。端的にいうと、このサラワク州の州営石油・ガス会社であるPetroleum Sarawak Bhd(Petros)が、マレーシアの国営石油・ガス会社であるPetroliam Nasional Bhd(Petronas)に代わる存在として同州で産出された天然ガスの配分権を含む全面的な事業管理権限を行使できるようにするため、州政府がPetronasに合意文書への署名を求めて半ば一方的に迫っていたものの、Petronas側は同社が主要な事業権益を有している同州Bintulu所在の世界最大級のLNGターミナル(MLNG)へのガス供給やLNG輸出への影響懸念などから簡単に首を縦に振るわけにはいかず、両者の協議が難航・長期化し、しまいには連邦政府をも巻き込んだ騒動に発展したというのがその内容である。これはすなわち、サラワク州の天然ガスがそれだけPetronasや連邦政府にとって重要であることを意味する。また、マレーシアは日本のLNG輸入元第2位であり、日本にとっても本件は重要である。

(出所:各種資料よりJOGMEC作成)
この問題は、連邦政府のアンワル・イブラヒム首相が2025年2月17日に連邦議会での答弁の中で、Petrosへの権限移管が3月1日付で正式に実施される(ただし、LNGに関しては移管対象外とする)と表明したことを受け、一旦は収束に向かう様相を呈している。直近の報道によれば、引き続き協力範囲の詳細を検討中とのことであり、本稿執筆日現在、未だ正式移管完了に関する公式な発表や共同声明などは確認できていないが、LNG事業向けの天然ガス供給は引き続きPetronasの所掌であり、既存のLNG契約・輸出には変更は生じないという方針が表明されていることから、現時点ではLNG貿易に直結する著しいリスクが短期的に顕在化する可能性は低いと考えてよさそうである。
本稿では、「なぜサラワク州の天然ガス資源が重要なのか」という観点からその位置づけを概説し、この騒動が注目され、協議が長期化した最大の要因はどこにあるのかについて考察を加えるとともに、サラワク州の要求の根底にある歴史的・経済的な不満や、連邦政府側が一定程度その要求を呑まざるを得ない政治的・法律的な背景を解説し、これまでの報道等から明らかになったこと、依然として不明なことを改めて整理したうえで、今後の見通しやリスクについて検討してみたい。
2. なぜPetronasや日本にとってサラワク州の天然ガス資源は重要なのか
前述のとおり、サラワク州の天然ガス資源はPetronasやマレーシアの連邦政府だけでなく、日本にとっても重要である。マレーシアのLNG生産は同州産ガスへの依存度が非常に高く、LNG輸出にとっても欠かせない。
マレーシアの国土は半島マレーシアと、サラワク州が属するボルネオ島北部の東マレーシアに分かれている(図1参照)。近年の大規模発見の多くがガス田であり、ボルネオ島に集中している一方で、半島マレーシアの石油ガス生産量は過去10年で日量70万バレルから35万バレルに半減しているとされる[1]。半島の沖合で生産されるガスは輸出には回されず、すべて半島の産業用電力需要を支えるために使用されているが、それでも足りないため需要分の30%は輸入で補っている。つまり、輸出用のLNGはボルネオ島沖合のガス田から産出される天然ガスに全面的に依存していることになる。

(出所:Wood Mackenzie)
マレーシアの石油開発の歴史は1911年にShellがサラワク州でミリ油田を発見したことに始まり、サラワク州は同国の石油開発において長い歴史を有している。長年にわたり、ShellやJX(現Eneos Xplora)、Murphy Oil(現在は撤退)などが探鉱開発を実施してきたことに加え、PTTEPやPertamina、Mubadara EnergyなどのIOC、NOCの誘致により、カサワリガス田やラン・レバガス田などの発見や大型プロジェクトの開発が進み、近年ではTotalEnergiesも参入している。技術進展により高濃度の二酸化炭素や硫化水素を含有するガス田開発が可能になったことや、老朽化ガス田のEOR利用や再開発が進んだことも、サラワク州沖のガス田開発が活発化している背景にある。
サラワク州はマレーシアの天然ガス埋蔵量の60%以上と原油埋蔵量の約30%を有するとされている。サラワク州のガス生産量は半島マレーシアとサバ州を合わせた生産量をも上回り、その傾向は今後ますます拡大していく見通しとなっている。また、サラワク1州で海外を含めたPetronasのガス残存可採埋蔵量の1/4近くを占めており、Petronasにとっても重要な開発資産を有している州だといえる。

(出所:Wood Mackenzie)

(出所:Wood Mackenzie)
Petronasが出荷するLNGの90%以上はサラワク州産のガス(サラワク州を経由して出荷される隣接のサバ州産ガスを含む)で、BintuluのMLNGから出荷されており、マレーシアおよびサラワクからのLNG輸出先第1位は日本である。また、日本にとってマレーシアは、2023年においてオーストラリアに次ぐ第2位のLNG輸入元となっている。

(出所:各種資料を基にJOGMEC作成)
(図6)マレーシアからのLNG輸出先(2023年)
(出所:EIA[2])

(出所:GIIGNLに基づきJOGMEC作成)
これらのことから、サラワク州の天然ガス資源がPetronas、ひいてはマレーシア連邦政府にとって重要な収入源であること、また、日本にとってはLNGの重要な供給源であることがわかる。
他方で、前述したようにサラワク州で生産された天然ガスの95%近くは輸出用に割り当てられ、州内の産業・発電・消費者向けの割り当てはわずか5~6%のみに留まる。この点は、半島沖で生産されたガスの全量が半島の産業用電力需要を支えるために使用されている点と大きく異なり、半島側が優遇されているとして、サラワク州の連邦政府に対する不満の1つとなっている。
3. なぜ、この騒動は注目され、協議が長期化したのか
(1) 騒動の発端とサラワク州の狙い
この騒動は、2024年2月1日付で施行されたサラワク州法「2016年ガス配給条例(the Distribution of Gas Ordinance 2016。以下「DGO」という。)」の改正条例に基づき、サラワク州政府がPetrosを同法で定める州で唯一の「ガスアグリゲーター(gas aggregator)」なるものに任命し、州内のガスサプライチェーンにおける権限・関与を拡大させようとしたことに端を発する。
あまり耳慣れない言葉であるが、端的にいうと「上流事業者からガスを購入し、LNG生産向けと州内利用向けの供給配分を決定し、中・下流事業者に再販する」というのが主要な役割の1つであり、当該権限の移管がどのように行われるかが注目を集めている。なお、DGOの規定によれば、「ガスアグリゲーター」の役割には、サラワク州で天然ガスの生産に関わるすべての上流事業者とのガス購入契約と州内外のすべての中・下流事業者とのガス販売契約の締結といったガスの調達・再販に関わる業務のほか、州内の産業や消費者にガスを供給するためのガス供給ネットワークとシステムの開発・運用・保守、再ガス化、ガスの処理、分離、加工、輸送、輸出を含む供給の配分決定、価格設定、パイプラインやガス受入ターミナル等のインフラの維持、開発等、ガスサプライチェーンに関わる一切の活動が含まれ、その所掌は多岐にわたる。このような権限と役割はサラワク州だけでなくマレーシア全国でこれまでPetronasが担っていたとされている。
中でも特に注目されているガスの調達・販売と供給の配分に関わる権限の移管について、各種報道や法律上の定義を踏まえたイメージを図8に示す。
(図8)ガスの調達・供給配分・販売に関わるガスアグリゲーター権限移管のイメージ
(出所:The Edge(引用元:Petronas MBR 2024)[3]他、各種情報を基にJOGMEC作成)
図8の左側に示したように、Petrosは元々、州内の下流事業者や産業・発電・消費者向けのガス供給を担っていたが、これまではPetronasが上流事業者からガスを購入し、中・下流事業者に再販する「ガスアグリゲーター」としての役割を担っており、価格や配分の決定権はPetronasにあったため、州内の産業・発電・消費用に配分されるガスは全生産量のわずか5~6%のみに留まり、残りはすべて輸出用(LNG)に振り向けられていた。

(出所:各種資料を基にJOGMEC作成)
そこで、サラワク州政府はPetronasに代わってPetrosにその権限を担わせ、図8の右側に示したように、上流事業者からガスを購入し中・下流事業者に再販するポジションを獲得することにより、州で生産された天然ガスの価格と配分の決定権をPetrosに与え、州内へのガス配分割合の引き上げを図ろうとしたようである。また、DGOでは、天然ガス事業に関わるすべての事業者が、その活動に必要なライセンスをPetrosから取得するとともに、Petrosとの間で契約を締結することを義務づけていることから、ライセンス収入を得ようというのも狙いの1つであるといえる。
2024年5月、サラワク州の公益事業通信大臣は州議会において、州政府がサラワク州に独自の「ガスアグリゲーター」が必要であると判断しPetrosを任命した理由について、Petronasがこれまでサラワク州で天然ガスを売買するためのライセンスを一度も申請したことがなく、同社の売買活動がDGOに則っていないためと説明した。そのうえで、2024年7月1日までに「ガスアグリゲーター」権限の移管に関する最終合意に署名し、2025年1月1日までの6カ月間を移行期間とすることで両者が合意したと述べた。また、今後のLNG販売活動、特にサラワク州外へのLNG供給について、PetronasはPetrosと新たな契約を締結する必要があると付け加えた。
しかし、PetronasとPetrosの協議は難航し、期限とされた2024年7月1日までに移管に関する最終合意への署名は行われなかった。サラワク州のアバン・ジョハリ州首相は7月28日、PetronasがBintuluのMLNGからの輸出に深刻な影響が生じる懸念があることを理由として最終合意期限の延期を要請したためと説明し、10月1日を新たな期限としたことを発表したが、またしても同日までに合意が成立することはなかった。
こうした中、関係者の発言の一部が切り取られた形で「サラワク州からのLNG供給リスクに対する懸念」や「Petronasによる法的措置の可能性」が報じられ、懸念が高まったこともあった。しかし、サラワク州首相もPetronasも、双方に利益のあるパートナーシップを築くべく、両者が協力関係を強化するための継続的な協議を行っていることを一貫して強調し、不和を否定していた。また、双方とも海外の投資家やLNG顧客には混乱や不利益を生じさせないということを共通の一大前提として最優先してきた印象がある。だからこそ、合意までに時間がかかり、最終的にLNGに係る権限はPetrosの所掌対象から除外されたと推測する。
“Petronas-Petros dispute”とはいっても、実質的にはPetrosの100%株主であるサラワク州政府とPetronasの間の協議というのがその実態である。連邦政府のアンワル首相は当初、サラワク州政府の要求が「連邦政府を介さず、Petronasとの企業レベルで」処理されることを望んでいたとされるが、協議が長期化するにつれ、本件の当事者として全面的に関与せざるを得なくなったようであり、徐々にサラワク州政府と連邦政府の間の協議という形に様相が変化していった。次に、この騒動が注目され、交渉が長期化した最大の要因について考察する。
(2) 騒動が注目され、協議が長期化した最大の要因
騒動が長期化した最大の要因は、Petronasが合意妥結期限の延期を要請する理由にもなったように、MLNGからの輸出に及ぼす影響が懸念されたためであると考える。なぜなら、LNG輸出の減少は海外のLNG顧客に混乱や不利益を生じさせることになるばかりでなく、マレーシアの石油・ガス産業と連邦財政へ連鎖的な影響を与えるリスクがあると考えられるからである。

(出所:Petronas)
前述のとおり、サラワク州はPetrosが天然ガス供給の配分権を握ることで、州内向けの配分割合を増加させることを目指しているわけだが、州内への割当量を増やせば必然的にLNG輸出向けの割当量は減少する。それはすなわち、LNG供給に影響を生じ、日本、中国、韓国の顧客に不利益や混乱を与え信頼低下を招くリスクや、輸出収入が低下するリスクが生じることを意味する。
また、Petronasのガス収益が大幅に減少すれば、当然ながら同社の財政への影響も避けられない。1974年の設立以来、Petronasが国庫に納付した総額は日本円で約51兆円以上に上り、連邦政府への配当はマレーシアの年間歳入の約10%に相当するという。また、Petronasがこれまでにサラワク州の石油ガスインフラと開発に投資してきた額は数十億ドルに上るといわれており、同社の投資力、グローバルプレーヤーとしての価値や実績は、国家にとって極めて重要であるばかりでなく、サラワク州にも大きな利をもたらしてきた。裏を返せば、同社の減収はガスインフラと上流開発投資への減少に繋がり、石油・ガス業界全体にマイナスの影響を与えるだけでなく、国の財政や外交にも大きな影響を与えることになる。
連邦政府からの拠出額減少は、開発投資の減少や税制優遇等の支援策縮小を意味し、外資の継続的な投資や誘致を困難にするリスクがある。それは新規ガス田開発の停滞や既存ガス田の減退加速によるガス生産量の低下を招き、長期的にガス輸出国としての衰退や内需も満たせなくなるリスクにつながる。そのリスクと影響はPetrosやサラワク州にも跳ね返ってくる。
(3) PetrosはPetronasに代わるポジションを担えるのか
そもそも、現時点においてPetrosにPetronasと同等の企業規模、資金力、経験、技術力、専門知識等が備わっているとは考えにくく、Petronasと同等の価値を創出する力が今のPetrosにあるのかという点は疑問視されている。マレーシアの石油ガス資源の探査、開発、採掘、管理監督に関する全面的な権限を付与され、50年超の経験と54,000人以上[4]の従業員を有し、海外事業での実績や共同事業を通じて獲得した名声や、IOCや各国のNOC、LNG需要家との強い信頼関係を通じて国の社会経済の発展に貢献してきたPetronasに対し、Petrosは州内の石油・ガス資源を適切に管理監督することを目的として2017年に設立された若い企業で、従業員数は出向者等を含めても250名足らず[5]と小規模である。Petronasとは企業規模、実績や認知度、経験値の面において差があることは否定できない。Petronas初代会長のテンク・ラザレイ・ハムザ氏がメディアのインタビューに対し「Petrosが10社束になってかかってもPetronasのようにはなれないだろう」と発言したという報道[6]もあり、PetrosがPetronasに代わって全面的に「ガスアグリゲーター」としての役割を全うすることができるのかという点に疑問符が付くことも、本件協議が難航した一因であることは想像に難くない。
(4) 騒動が事業者に与えた混乱とリスク
PetrosはPetronasからの合意獲得に先立ってSarawak Petchem Sdn Bhd(Sarawak Petchem)およびSarawak Energy Berhad(Sarawak Energy)の両社とガス販売契約を締結し、サラワク州唯一のガスアグリゲーターとしての任務を開始したことを7月22日付ニュースリリースで発表しており、アバン・ジョハリ州首相はこの時点で、Petronasとの最終合意が締結できていないことを除いては、Shellなど他企業との協議を含めすべての問題は解決済であるとして、2024年内に上流事業者23社、下流事業者9社と、DGOに準拠するすべての関連契約を締結する予定であると述べていた。
おそらくこのような流れの中で契約締結に至った事案の1つと思われるが、サラワク州のBintuluでGTLプラントを運営するShellの子会社(Shell MDS(Malaysia)Sdn Bhd、以下「SMDS」という。)がPetronasとPetrosそれぞれとの間で締結したガス供給契約が併存しているために二重請求・二重支払いのリスクがあるとして、両社を相手取り提訴したという事例があったことが2025年1月末の報道により明らかとなった。報道によると、Petronasとの契約は2020年7月、Petrosとの契約は2024年の8月に締結されたものだということで、Petrosが事業者に対しガスアグリゲーター権限の移管と契約の承継を前提とした説明を行ったうえで、Petronasとの協議終結に先行して契約を行ったものの、協議が思いのほか難航したために契約の承継が想定通りに運ばず宙ぶらりんとなったまま、現在に至るまで2つの契約が併存してしまっているような状況であると推測される。
裁判所はPetronasとPetrosのどちらが支払の正当な受取人であるかを裁判所が決定するまで、SMDSに対して数百万ドルに上る支払を一時的に停止することを認める仮差し止め命令を言い渡したということであるが、この騒動により事業者の実害が生じたという事実は連邦政府にとっても看過できないことに違いなく、このような混乱の顕在化が、今般アンワル首相から明かされた双方の合意形成を後押しした可能性がある。
4. なぜサラワク州は自州で生産された天然ガスの配分権を必要としているのか
(1) サラワク州に与えられた自治権の特徴と歴史的・経済的不満
前述のとおり、Petrosは企業規模、資金力、経験値などの点では現時点でPetronasには及ばないと考えられることから、PetrosにPetronasと同等のポジションを与えようとするサラワク州の思惑は、いささか無謀であると受け止められている向きもある。マレーシアの元法務大臣であるザイド・イブラヒム氏は「過去50年間にわたるPetronasと連邦政府の貢献を軽視したり忘れたりするべきではない[7]」「サラワク州は石油・ガス事業をすべて自力で遂行できると勘違いしているのかもしれないが、それは無理な話だ[8]」と非難している。
一方で、これまでPetronasが独占的権限を有してきたサラワク州のガスサプライチェーンにおける事業権限と収益化について、サラワク州政府が権限と関与の拡大を求めている背景の1つには、サラワク州に与えられた自治権の特徴と歴史的・経済的不満に端を発する根深い問題があり、「法的権利に基づく正当な要求」であると擁護する法律家もいる。
マレーシア連邦は国家の最高法規である連邦憲法のもと、半島マレーシアに所在する11州、東マレーシアの2州(サバ、サラワク)と3か所の連邦地域(クアラルンプール、ラブアン、プトラジャヤ)から構成されており(図1参照)、州は地方自治体ではなく連邦を構成する準国家として位置づけられている[9]。連邦憲法では連邦と州の立法権限が明確に区分され、各州はそれぞれの元首のもと州憲法を制定している。連邦憲法は、連邦が州憲法を尊重しなければならない旨を規定しており、州による独自性を原則的に認めている(連邦憲法第71条)。富の源泉となる土地や天然資源は州の所管事項として定められ、ライセンスの発行に関する州の立法権と行政権を認めており、州は当該所管事項について法律を制定し執行する権限を有する。ただし、歴史的経緯の違いから統治機構や与えられた権限は州によって異なる[9]。
サバ州とサラワク州は、1963年に半島諸州で構成されていたマラヤ連邦およびシンガポール連邦と合併してマレーシア連邦を結成[10]したのだが、両州が連邦に加わるにあたっての合意条件を規定した「1963年マレーシア協定」(the Malaysia Agreement 1963、以下「MA63」という。)では、両州に対する大幅な自治と「石油ガス資源の主権の保証」という特権的地位が与えられており、半島マレーシアに属する11州よりも広い立法権限と財源が認められている。州の主な歳入は、土地、鉱山、森林からの収入(税収)といった自主財源と、連邦からの補助金である。自主財源として認められているものには、連邦憲法別表第10に規定されている土地、鉱山、森林の利用に対する税(鉱物の採掘、森林の伐採等に対する税を含む)や手数料等のほか、州内で発掘された鉱物に対する輸出税の連邦からの配分等が含まれるが、サバ州とサラワク州には、石油ガス製品の輸出税、州内の事業者に対する売上税等も認められている。言い換えると、これらの特権は、サバ州とサラワク州をマレーシア連邦に帰属させるための、いわば「特典」として与えられたものであるともいえるだろう。MA63は国際条約であるため、連邦政府や裁判所も無視することはできない。そのため、サバ州とサラワク州は他州と比べて相対的に独立性が強く、特に天然資源に対して強い権限を有するとされている[9]。
サラワク州は豊富な天然資源と関連産業からの税収を背景に、州における1人あたりGDPは国内第4位で、最も裕福な州の1つとなっており、近年は連邦からの割当予算も多い。しかし、Petronasを設立した法律である「1974年石油開発法(the Petroleum Development Act 1974、以下「PDA」という。)の制定によって、連邦政府と油ガス田が存在する州政府に対して規定に基づく支払い(PSC上ロイヤルティは10%で、うち連邦政府の取り分が5%、州政府の取り分が5%)を行うことと引き換えに、マレーシアの陸上と沖合すべての石油・ガス資源に係る完全な所有権と独占的権利、権力、自由、特権がPetronasに帰属することとなり、それまで州に帰属していた石油・ガス資源の管理・所有権はPetronasに移管されることとなった。これにより、マレーシアで最大の天然ガス生産量を有するにも関わらず、州で産出される天然ガスを州のために自由に使用することがかなわず、最大限の利益を引き出すことができていないということに、サラワク州は長らく不満を抱えてきたとされており、その根底には、自州の資源を「搾取」されているという受け止め方が少なからず横たわっている。そして、その不満の裏側には、サラワクの経済成長には発電や産業用の天然ガスが必要であるという考えと、ガス配分権を手に入れて、州内で利用可能なガスの割合を引き上げ、州の資源から得られる利益を地元の産業や人々に還元するとともに、高収入の雇用機会を創出したいという願望がある。
そこで、州で生産された天然ガスの配分や価格を自由に決定する権限を手に入れるため、冒頭でも触れたようにDGOという州法に基づきPetrosを「ガスアグリゲーター」に据えようとしているわけだが、サラワク州にとってそれは、MA63で保証されている特権を取り戻し、州の天然資源からのエネルギー収入を「正当に」得るための権利追求の一環であるという見方もあるようだ。サラワク州はこれらの目的、願望の達成に向けて、「サラワクガスロードマップ2030」という10か年計画を2020年に制定し、2030年までに州で産出されたガスの州保有率を現在の5~6%から30%に引き上げ、州内の4つの拠点に再ガス化ターミナルや高効率のコンバインドサイクルガスタービン(CCGT)プラント、グリーンメタノール・グリーンアンモニア・グリーン水素等の生産施設を擁する戦略的なガスハブを構築することを目指している[5]。
(2) サラワク州が依拠するその他の法的根拠
サラワク州政府が権利追及のために依拠している法律はDGOとMA63だけではない。Petrosの権限行使に伴い規定している事業者のライセンス取得義務は、連邦結成前に制定された1958年石油採掘条例(the Sarawak Oil Mining Ordinance 1958、以下「OMO」という。2018年に改正。)という州法にも依拠している。OMOでは、サラワク州のみに石油・ガス生産に関するライセンスの発行権限を付与し、州から付与されたライセンスを持たずに州領土内の陸上・沖合で石油・ガス生産を行うことを規制している。
他方、Petronasは50年の長きにわたりマレーシアの石油・ガス産業の基盤となってきた前述のPDAに依拠して事業を行っており、上流および下流に関連するあらゆる事業またはサービスを開始・継続するためのライセンスを事業者に付与する権限も有している。Petronasは、PDAの制定はOMOの廃止を意味するとして連邦法の優位性をかねてより主張しており、2018年に連邦裁判所に対して「サラワク州における上流活動の規制管理に関する適用法はPDAである」と宣言するよう求めた申し立てを行ったのだが、求められた宣言的救済が管轄権外であることのみを理由として却下されている[11]。このPDAという連邦法は、実は1969年に発生した人種暴動により発令された国家非常事態宣言中に可決された法律である(同宣言は2011年に解除)。連邦憲法第150条第7項では、非常事態宣言下でのすべての制定法は、宣言解除後6か月後に失効すると規定されていることから、サラワク州はPDAが既に失効しているとの解釈に基づき現在のPDAの有効性を疑問視しているとともに、州法は州議会で廃止されない限り有効であり続けるとの見地から、「サラワク州においては、Petronasに対してもOMOが適用される」との主張を展開している。連邦裁判所は、PDAがOMOに優先するとも無効であるとも断定していないが、サラワク州における適用法としてのOMOを承認したわけでもない。このように、これまで明確な法的判断が下されていないことが事態をさらに複雑化させているともいえるだろう。
また、州が領有する範囲についても両者で依拠する法的解釈が分かれている。連邦政府は「2012年領海法(the Territorial Sea Act 2012、以下「TSA」という。)で、資源に対する州の領海を海岸線から3海里までに制限し、3海里を超える大陸棚資源は連邦政府の領有であると規定している。他方、1963年の連邦結成(マレーシアデー)以前に制定された「1954年サラワク州(境界変更)勅令」(the Sarawak(Alteration of Boundaries)Order 1954 by the Queen in Council)では、「サラワク州の境界には領海の下の海底と土壌が含まれる」と規定されており、これはすなわち200海里までの大陸棚をも含むとサラワク州は主張している。「大陸棚」という概念は、1982年に制定された国連海洋法条約(UNCLOS)で正式に定義されたものであり、マレーシアは同条約に1986年に批准したことから、「1954年サラワク州(境界変更)勅令」で定めるところの「領海」を200海里と読むことの妥当性については専門家の間でも否定的な見方があるようだが、連邦憲法でもサラワク州の境界を「マレーシアデー直前の境界」として明示的に保護し、「かかる境界の変更には州議会の同意が必要」と規定されていることから、本来は州の同意なしに境界を変更することは不可であり、TSAがサラワク州に適用されることの是非については賛否両論あるようである。なお、サラワク州議会は2015年にTSA拒否の動議を全会一致で可決させている。
また、「サラワク土地法」(Sarawak Land Code)の定義では、サラワクの土地(領土)は「州境界内にあるあらゆる河川、小川、湖、水路とそれらの底、および海岸と海底を含む」とされており、サラワク州の土地を上流活動のために占拠する者はサラワク土地法に基づく権限を有する必要があると規定されている。サラワク州の要求を「法的権利に基づく正当な要求」であると擁護する人々は、これらの法的根拠を踏まえ、サラワク州で石油・ガスの探鉱・開発を行う場合はOMOに基づいて発行されたライセンス、あるいはサラワク土地法に基づく権限を有する必要があり、Petronasもまたそれらの義務から免除されないとの見解を示している。
ここで注目すべきは、州法のみならず連邦憲法にもサラワク州の立場をサポートするような規定が含まれる点である。だからこそ、連邦政府やPetronasもサラワク州の主張を即座に否定することができない。連邦裁判所が最終的な司法判断を下さない限り、この問題は水面下で平行線を辿り、いつかまた反論が噴出するのではないだろうか。

(出所:各種情報を基にJOGMEC作成)
5. なぜ、連邦政府は強硬な態度に出られないのか
今回の騒動の背景には、連邦政府とサラワク州政府の力関係の変化があるという見方もある。1957年のマラヤ連邦独立以来、連邦政府では一貫して国民戦線(Barisan Nasional:BN)が政権運営を担い隆盛を誇っていたが、マレー系の票の分裂によりその力は徐々に弱体化し、ナジブ政権下の2013年の総選挙の際には、中央BNはサラワクBNに大きく助けられ辛くも政権を維持したといわれている。いわば中央政権に恩を売る形となったサラワクBNに対し、連邦政府側から何らかの見返りがあったという見方も一部にある。その説を裏付けるかのように、総選挙直後の2014年にサラワク州首相に就任した故アデナン・サテム氏は、MA63を根拠に初めてロイヤルティの向上を要求して州の権利を取り戻すための第一歩を踏み出しており、前章で触れたように翌2015年にはTSA拒否の動議が全会一致で可決されるなど、その頃から徐々にサラワク州の資源ナショナリズムが高まっていったようにも見受けられる。
2017年1月、アデナン氏の急死に伴い後任の座に就いたアバン・ジョハリ現首相は、アデナン氏の尽力を引き継ぎ、長年にわたり「侵害」されてきた州の権利を取り戻すことが自分の責務であると述べている。首相就任後の同年7月にPetrosを創設したことを皮切りに、2018年7月にはDGOの施行とOMOの改正を行ってPDAの有効性に異議を唱え、2019年にはPetronasを相手取って石油ガス製品に対して課される州売上税(SST)の支払いを求める民事訴訟を起こした際に、OMOを根拠として州内の石油・ガス上流事業の開発・運営権の主張も行った。その結果、裁判所から州の課税権利を認める判決を勝ち取ったことの功績は大きい。PDAによりサラワク州の石油ガス資産はPetronasに帰属しており、所得税は連邦政府に支払っているため、それ以外の税金を州に支払う必要がないと主張していたPetronasは、判決を不服として控訴したが、最終的には和解に合意して双方とも訴訟を取り下げ、PetronasがSSTを全額支払う形で解決し、2020年12月に締結された商業和解協定により、サラワク州の石油ガス税収は1年で約35倍も増加した。また、州の沖合の石油・ガス開発の管理・監督権はこれまで通りPetronasが担うことが確認されたものの、陸上の石油・ガス資源に関してはサラワク州がE&P活動の規制当局(regulator)となり、沖合の上流事業への参加(投資)も認められることとなった[12]。
対する中央政権は2018年の総選挙でBNが大敗を喫し、マハティール元首相が代表を務めていた希望連盟(Pakatan Harapan:PH)が過半数を制して連邦独立後初の政権交代が行われたが、以降は短命政権でムヒディン氏、イスマイル氏のいずれも2年足らずで交代しており、与野党が離合集散を繰り返す不安定な政情が継続している。どの政党も単独で政権を樹立するのに十分な票を獲得できなかったという同国史上前例のない結果となった2022年11月の総選挙では、最大得票数を獲得したPH連合を率いるアンワル・イブラヒム氏がアブドゥラ国王の任命を受けて新首相に就任したが、PHは単独で過半数議席を獲得しておらず、BNやサラワク政党連合(2018年総選挙でのBN大敗後、BNから離脱したサラワクの旧BN構成政党が結成した政党。略称GPS)の議席に依存して連立政権を形成しており、政権基盤は不安定であるとされる。他方、反半島感情が根底にあるサラワクの内部政治的結束力は強く、GPSはアンワル政権における議会過半数と連立政権維持に不可欠であることから、キングメーカーとしての地位が強化されたといわれる。
このような政治的背景を踏まえると、アンワル首相がサラワク州の主張や要求を無碍に突っぱねることができないのも想像に難くないが、理由はそれだけではないだろう。サラワク州のアバン・ジョハリ首相自身もマレーシアのエネルギー部門の堅調な発展にはPetronasとの強力なパートナーシップの維持が重要であるとの認識を示しており、前述のとおり、Petronasも同首相もこれまで一貫して「双方に利益のあるパートナーシップを築くべく、両者が協力関係を強化するための継続的な協議を行っている」ということを強調してきた。両者の目標は「世界的な競争激化と再生エネルギーへの移行の中でマレーシアの石油・ガス産業の繁栄を強固にすること」という点で共通しており、対立ではなく協力の促進がカギとなることをアンワル首相は誰よりも理解していたはずだ。筆者がこの問題を取り上げるにあたり、「騒動」という表現を用いた理由もそこにある。「騒動」という言い方が適切かどうかはさておき、これは決して「対立」や「確執」ではなく、さりとて「交渉」「協議」ではインパクトに欠け、ことの深刻さが伝わりにくいと考えたためである。他方で、過度な歩み寄り姿勢は連邦政府の威厳を損ない、中央集権的な運営を困難にするリスクをもはらむ。このような状況の中で難しい舵取りを求められているといわれてきたアンワル首相が、この度サラワク州首相と共に導き出した合意点はどのようなものであるのかについて、次章で整理してみたい。
6. 合意報道後の現在地
2025年2月中旬までに各現地メディアが取り上げたアンワル首相の発言から示された大枠の方向性は、以下の6点である。
- PDAが州法(DGO、OMO)に優先することを共通理解とすること
- Petrosをサラワク州で唯一のガスアグリゲーターであると認め、3/1付で正式に権限が移管されること。ただしLNGに関してはPetrosの所掌対象外となること
- PetrosはPDAで定められたPetronasの役割と運営を認めるとともに、国内外問わずPetronasの既存の事業と契約には関与しないこと
- LNG事業向けの天然ガス供給は引き続きPetronasの所掌であり、既存のLNG契約・輸出には変更は生じないということ
- Petronasとその子会社には、サラワク州法で定めるライセンス取得や契約の義務は適用されないということ
- PetronasはPetrosに対して日量1.2Bcfの天然ガスを州内用途向けに取り扱えるようにすることを保証し、今後の需要増加により追加の要望にも応じる用意があること
ただし、詳細・条件・法的影響については引き続き調整中であり、具体的な協力方法は「商業的協定」で詰めていくことになるだろうという見通しが併せて示された。
これらの点をイメージ化すると、Petrosの権限範囲は図12の左に示した当初のものから、右図のように若干拡大され、Petrosが「ガスアグリゲーター」として上流事業者から州内の産業・発電・消費者向けに使用するためのガスを直接購入し、中・下流事業者に再販することが可能となり、Petronasとその子会社以外の事業者については、Petrosとの取引においてライセンスと契約が必要であることが確認された形となると考えられる(ただし、沖合の上流開発については元々Petronasの管轄であるため、上流事業者についてはPetrosが発行するライセンスは必要とならない可能性もある)が、LNGはPetrosの権限対象に含まれない。また、「既存のLNG契約・輸出には変更は生じない」「Petrosは、国内外問わずPetronasの既存の事業と契約には関与しない」という条件は、現在サラワク州産ガスの約95%が割り当てられているLNG向けガス供給や、州内の中・下流事業者とのPetronasの既存契約に影響が生じることを回避する観点から、Petrosに対して供給配分に関する決定権が認められたわけではないということを示唆していると考える。

(出所:The Edge(引用元:Petronas MBR 2024)他、各種情報を基にJOGMEC作成)
ただし、ライセンスと契約の要否については、アンワル首相とサラワク州首相との間で解釈が異なっている記事もあるため、現時点では確かなことはいえない。また、この図には示されていないその他のアグリゲーター業務に関する両者の具体的な権限範囲や分掌については言及されておらず、どのように業務が移管あるいは協業されるのかという点はタイムラインも含めて不明であるが、おそらくそれらについても現在調整中であり、今後交わされることとなる「商業的協定」の中で定められるものと思われる。

(出所:各種情報を基にJOGMEC作成)
また、今回合意形成された枠組みにおいて、サラワク州の当初の要求がどれほど満たされたのかという点についてもイメージ図で見比べてみる。

(出所:The Edge(引用元:Petronas MBR 2024)他、各種情報を基にJOGMEC作成)
図14の左に示したものが元々サラワク州が要求していた権限範囲であるが、合意報道に基づくとその権限範囲は右図のとおり下半分に留まる形になる。「ガスアグリゲーター」という権限は一応認められることとなったものの、州のガス生産量の約95%を占めるLNG向け天然ガスは権限の対象外になるため、図で見る分には半分でも、実際にPetrosが権限を行使できるのはかなり限定的な範囲に留まると考えられる。
「Petrosは国内外を問わずPetronasの既存の事業と契約には関与しない」、「既存のLNG契約・輸出には変更は生じない」という合意条件を踏まえると、Petrosに「ガスアグリゲーター」としての権限の一部が認められたとはいえ、それはPetrosが扱う州内向けの天然ガス供給量が急激に増えることを意味しない。上流事業者とPetronasの間で締結している既存のガス購入契約が引き続き有効であり、生産量が限られている中で、上流事業者とPetrosの間で今すぐ新たなガス購入契約を締結する余地はないと考えられるためである。
それ故に、代替的手段として「日量1.2Bcfの州内用途向けガス使用の保証」という条件が提示されたと考えられ、それはサラワク州にとっては大きな進展かもしれないが、一方で、既存の契約を維持しながら日量1.2Bcfの天然ガスをPetrosに融通する余剰分がPetronasにあるのか、そうでない場合は新たな調達元の当てがあるのか、いつから当該運用が開始されるのかなど、供給に関わる具体的な内容については明らかになっていない。なお、今般のアンワル首相の発言の中では関連性について明言されてはいないが、筆者が調べたところによると、PetronasとPetrosは「サラワクガスロードマップ2030」の実現のために、2030年までにサラワク州が州内用途を目的とした日量1.2Bcfのガスの割り当てと供給を受けられるようにすることに合意したMOUを2021年に締結している。今回提示されたこの条件についてはやや唐突感があったが、1.2Bcfという数字との符合を鑑みると、当該MOUで約束された供給について改めて確認がなされただけという可能性も否定できない。いずれにしても、その実現性が担保されていなければ、絵に描いた餅となってしまうリスクもあり、サラワク州の満足度は今後の状況如何によって左右されるだろう。
また、Petrosを「サラワク州で唯一のガスアグリゲーター」であると認めるとしながらも、実質的にはPetronasもLNGに関するサラワク州のガスアグリゲーターであり、Petrosと並列の立ち位置になる点については、州法で規定するガスアグリゲーターの定義と矛盾が生じているといえる。法的影響については引き続き調整中ということであったため、3月1日付の正式移管に向けて州法の改正に取り組んでいたものの、その手続きに想定以上に時間を要していることから、未だ権限移管の完了について公式発表がなされていないという事情も推測されるが、第2章(2)でも触れたとおり、連邦法と州法のコンフリクトについてはこれまでも係争の元となってきたため、新たな火種とならないように司法判断も交えた整理が必要となるのではないだろうか。
7. 収束の期待と今後のリスク
以上のように、依然として不明点は多く残されている。冒頭に述べたとおり、2月中旬にアンワル首相が発言した「3月1日付での正式な権限移管」は、協力範囲の詳細の検討に時間を要しているとして、本稿執筆日現在まだ実現には至っていない。合意形成された枠組みの一部が撤回されたり変更されたりする可能性はあるが、2月25日にPetronasのCEOが「現在、Petrosとの協力範囲に関する連邦政府とサラワク州政府との協議の詳細を待っている。連邦政府と州政府の利益が確実に守られるように慎重に進めることが大切。双方の間に敵意やコミュニケーション不足はない」と述べたとする報道[13]があったため、合意形成が根底から大きく覆されるようなことにはならないだろう。
大枠の方針に従って協議が進められているとすれば、現時点ではPSCやLNG販売契約の改定、LNG供給の混乱、MLNG株主への影響といったLNG貿易に直結する著しいリスクが短期的に顕在化する可能性は低いとみられる一方で、合意内容の一部が「既存の事業には」「既存の契約には」という条件付きとなっていることから、新規の事業や契約に関するPetrosの関与度合や具体的な整理について、両者の「商業的協定」の内容が明らかになる日が待たれる。
また、サラワク州がCCUSや水素の分野でもプレゼンスを強め、独自の法規制を進める動きがあることについても注視が必要だ。実は、ガスアグリゲーター権限移管完了の報に先立ち、マレーシア経済大臣が3月4日にCCUS法案を連邦議会に提出したという報道があったのだが、サバ州とサラワク州はその適用対象から除外されたことが明らかとなった。サラワク州はマレーシアのCCSポテンシャルの65%以上を占め、90億トンもの貯留容量を有するため、かねてからCCS/CCUSの適地としても注目されている。また、国内外の企業にCCUS施設やバリューチェーン開発への参入機会を提供するために、Sarawak Bid Roundという独自の入札ラウンドを実施していることや、連邦政府に先行して既にCCUSに関する州法を制定済であることでも注目されてきた。そのため、連邦のCCUS法制化に際しては、サラワク州の州法に準拠するような形で調整を図るよう連邦政府に求めているとされていたのだが、今般の報道から察する限り、その「調整」は何らかの理由により頓挫したようである。結論としては、サラワクの領土に貯留される炭素は州の法律に準拠する必要があり、貯留のためにサラワクに輸送される炭素は、連邦の管轄下におかれる越境CO2と同じ範疇になるという基本原則が整理されたとのことである。
ただし、ここで重要なのはCCUSに関しては連邦政府がサラワク州の権利を明確に認めているという点である。私見ではあるが、「ガスアグリゲーター」権限の移管に関しては、LNGをPetrosの所掌対象から除外することや、連邦法の優位性を認めさせることで、ある意味サラワク州に対して大幅な譲歩を求めたのと引き換えに、新しい分野であり、まだ国としての準拠法が定まっていないCCUSに関してはサラワク州の既存の権利と法的枠組みを認めることで、落としどころとしたのかもしれない。膨大な貯留ポテンシャルを有し、CCUSから多大な利益が得られる可能性があることを考えれば、LNGに関する「ガスアグリゲーター」権限からは手を引いたとしてもサラワク州にとっては悪い話ではなく、他方で、当初見込んでいたCCUSの経済的追加貢献を下方修正せざるを得ないとしても、LNGに関する権限をPetronasが維持できることを考えれば連邦政府の痛手も少なく済み、双方にとってある意味Win-Winの解決策に行きついたといえるのかもしれない。
なお、サラワク州は豊富な雨量と水資源(大河)を擁するという地理的条件に恵まれ、国内で最大の水力発電ポテンシャルを有しており、化石燃料を使わずに水素を生成可能であることから、グリーン水素や再生可能エネルギーのハブとしての成長戦略も描いている。サラワク州議会は2024年11月に「ガス」の定義に水素を追加したDGOの改正条例案を全会一致で可決し、無許可で水素の生成、貯蔵、配給等を行った場合に罰則適用を可能としている(本稿執筆日現在、施行は未了)。その規定によれば、サラワク州の規制当局は水素施設の建設と運営、州内および輸出向け水素の輸送管理、発電や産業用途での水素の利用状況を監視し、州政府には水素関連事業に関して税金や手数料を課す権限が与えられるということである。この内容がそのまま施行されれば、今後の連邦政府の水素関連活動に影響を与える可能性があるため、「ガスアグリゲーター」やPetrosの役割がどのように再定義されるのかも含め、DGOの改正の動きについては引き続き注視が必要である。
8. おわりに
サラワク州やPetrosがマレーシアにおける今後のビジネスでキープレーヤーとなってくる可能性が高いことを鑑みると、本件の背景にこのような根深い問題があったことを事実として理解しておくことは、彼らとの関係を築いていくうえでも意味のあることではないだろうか。日本の重要なLNG供給国であるマレーシアの国家エネルギー戦略強化にもつながるよう、サラワク州と連邦政府の双方に利益のある結果、すなわち両者にとっての「Win-Winの解決」による協力モデルが実現することを期待しつつ、今後の動静についても引き続き注視していきたい。
[1] “Peninsular Malaysia’s O&G output drops by 50%,” The Malaysian Reserve, November 18, 2024, https://themalaysianreserve.com/2024/11/18/peninsular-malaysias-oil-and-gas-output-falls-50/
[2] “Country Analysis Brief Malaysia,” The U.S. Energy Information Administration, Last Updated on November 12, 2024, https://www.eia.gov/international/content/analysis/countries_long/Malaysia/malaysia.pdf
[3] Isabelle Francis, “Cover Story: Petros’ landmark gas sale agreements a sign of more to come,” The Edge Malaysia, August 8, 2024, https://theedgemalaysia.com/node/720902
[4] Petronas Integrated Report 2023, https://www.petronas.com/integrated-report-2023/assets/pdf/PETRONAS%20Integrated%20Report%202023.pdf
[5] PETROS SUSTAINABILITY REPORT 2022/2023, https://www.petroleumsarawak.com/news-media/media-centre/publications#previous
[6] Alina Khai, “Sarawak and Malaysia can’t afford escalating O&G disputes,” Free Malaysia Today, November 26, 2024, https://www.msn.com/en-my/news/national/sarawak-and-malaysia-can-t-afford-escalating-o-g-disputes/ar-AA1uKnjr?ocid=BingNewsSerp
[7] Admin-S, “Negotiate with us sans the blackmail, Zaid tells S’wak assemblyman,” MALAYSIA Today, November 17, 2024, https://www.malaysia-today.net/2024/11/17/negotiate-with-us-sans-the-blackmail-zaid-tells-swak-assemblyman/
[8] FMT Reporters, “Sarawak risks foreign control by rejecting Petronas, warns Zaid,” Free Malaysia Today, February 27, 2025, https://www.freemalaysiatoday.com/category/nation/2025/02/27/sarawak-risks-foreign-control-by-rejecting-petronas-warns-zaid/
[9] (一財)自治体国際化協会「マレーシアの地方自治」https://www.clair.org.sg/j/wp-content/uploads/2020/10/jichi-Malaysia.pdf
[10] 後にシンガポールが1965年に分離独立し現在のマレーシア連邦の形となった。
[11] Jeremiah Rais, “The legal deadlock over Sarawak’s oil and gas,” malaysiakini, June 24, 2018, https://www.malaysiakini.com/news/431080
[12] この商業和解協定締結を端緒としてPetrosは2021年1月にPetronas CarigaliからKumanクラスターPSCの権益50%、MLNGの権益20%を取得したのを皮切りに、同年7月にはSarawak Shellがオペレーターを務めるSK437探鉱鉱区の権益を取得するなどし、以降上流事業への積極的な参画を進めている。他方、陸上の石油・ガス資源のポテンシャルについてはまだ十分に調査されていない状況であり、現在開発中の陸上鉱区はSK433鉱区のみ。Petrosは今後5~10年をかけて必要なデータの拡充を行うとしている。
[13] “PETRONAS waiting for details on cooperation with Petros,” The Star, February 25, 2025, https://www.thestar.com.my/business/business-news/2025/02/25/petronas-waiting-for-details-on-cooperation-with-petros
以上
(この報告は2025年3月21日時点のものです)