ページ番号1010474 更新日 令和7年4月22日

エネルギートランジションへの逆風の中、今後欧州はどこに向かうのか

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レポートID 1010474
作成日 2025-04-22 00:00:00 +0900
更新日 2025-04-22 09:13:39 +0900
公開フラグ 1
媒体 石油・天然ガス資源情報
分野 CCS水素・アンモニア等
著者 中島 学
著者直接入力
年度 2025
Vol
No
ページ数 46
抽出データ
地域1 欧州
国1
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地域8
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地域9
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地域10
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国・地域 欧州
2025/04/22 中島 学
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概要

  • 2024年に欧州の全電力量に占める再生可能エネルギーの割合は48%に達し、世界の他の地域が低減に苦労する中、欧州の電力セクターの炭素強度は、1990年から半分以下に低下した。欧州のETS(排出量取引制度)や脱炭素に関わる諸規制は機能し、欧州のエネルギートランジションは一定の成果を示している。
  • 一方で世界ではエネルギートランジションの勢いに陰りが見えてくる中、欧州でも脱炭素・クリーンテック事業のペースに減速感が現れており、事業計画の実行段階への移行よりも、事業の延期、中断、撤退が目立つようになってきている。また再生可能エネルギーの急増により「変動電源」による電力供給の不安定さや電力価格の乱高下の問題も顕在化している。さらにインフラの不足・老朽化、未成熟な市場やサプライチェーンも脱炭素・クリーンテック技術普及の足を引っ張る。
  • 社会の関心や優先順位も気候変動問題よりも喫緊のエネルギー価格や安定供給の側に移り、サプライチェーンの中国への一極集中は経済安全保障の懸念を想起させている(2022年の欧州におけるエネルギー危機は、ロシア産ガスへの過度の依存がもたらした)。エネルギー・経済安全保障は政治の重要な争点ともなっている。
  • このような状況の中EUは「脱炭素政策を維持した上で欧州産業の市場競争力の向上を目指す」とし、「EU競争力コンパス」や「EUクリーン産業ディール」といった新たな指針・計画を打ち出し、併せて規制の簡素化・承認手続きの迅速化、「技術中立」の推進、理念や規制重視からよりpragmatic(現実的)なアプローチへの転換といった方向に舵を切り始めた。エネルギートランジションへの逆風の中、新たな道を模索する欧州の現状を本稿では取り上げる。

 

1. 欧州のエネルギートランジションが抱える課題

既存のエネルギーシステムからよりクリーンで、持続可能なエネルギーシステムへの移行を目指すエネルギートランジションが、ここ最近そのペースが鈍ってきたと言われている。その傾向はエネルギートランジションにおいて世界をけん引する欧州でも例外ではなく、新たなクリーン・脱炭素事業の立ち上げよりも、事業の延期、中断、撤退の記事が目立つ状況となっている。英国のエネルギーサプライチェーン関連団体であるEnergy Industries Council(EIC)が2月に発表した報告書”Net Zero Jeopardy Report II”[1]によれば、エネルギー業界のネットゼロ目標達成に対する信頼が大幅に低下しており、調査対象のエネルギー業界の幹部のうち、2050年までにネットゼロを達成できると信じる者は16%に過ぎず、前年の45%から大幅に減少したとする。欧州全体でもエネルギートランジションに対するモメンタム(勢い)が数年前と比べて相対的に低下している印象を受ける。

図1に示すように、欧州におけるエネルギートランジションに対するモメンタム低下の理由は、欧州固有の特徴と現在世界全体に共通する課題の両方にある。産業界が指摘する欧州固有の課題は、厳格で複雑、かつ重層的な法規制であり、それに伴う官僚的で時間を要する許認可手続きであるとされる。それに太陽光・風力発電といった再生可能エネルギー発電事業の急激な拡大が、当局の事務手続きのボトルネック化に拍車をかける。2025年1月、英国のNational Energy System Operator(NESO)は、国の送配電網システムへの接続に対する1,700件、700GW(設備発電容量)相当もの申請を受領し、申請中の設備発電容量が2030年どころか2050年の英国のエネルギーシステムの需要量を超えたことから、新規の手続き申請の受領を中断した。英国では現在115GWの送配電網接続済みの発電設備があり、それに加え100GWが2030年までに必要となると予想されている。

図1 エネルギートランジションに関わる欧州の課題
図1 エネルギートランジションに関わる欧州の課題
(出所: JOGMEC作成)

さらに英国の場合は政権が短期間で交代し、政権が代わるたびにエネルギーに対する方針が抜本的に変更されるという点も産業界や市場に混乱をもたらしている。

また法規制による徹底的な管理に対し、米国のIRA(インフレ削減法)のような事業を直接支援するインセンティブが十分備わっていないことも事業者の不満の種となり、投資が米国市場に向かう傾向を助長している。これは決して欧州にはインセンティブがない、という訳ではなく、EUではIPCEI(欧州共通利益に適合する重要プロジェクト)基金[2]といった数多くの事業支援の枠組みがある。またEU-ETS(欧州排出量取引制度)によるEUA(EU Allowance、排出枠)のオークション収入は、その多くが脱炭素・クリーンテック技術開発・事業支援の原資となる(EU-ETSは2023年にオークション収入として436億€を調達)。しかし、支援制度の適用は公募と競争入札で決定されることが多く、様々な条件をクリアする必要があるため、(米国のIRAと異なり)利用者が大きく制限され、承認までに時間が掛かる。「使い勝手が悪い」という点が産業サイドからの不満の理由である。

欧州の煩雑な規制、時間の掛かる許認可手続きについては手続きの重複を避け、一本化・簡素化・デジタル化を推進することで一定の解決を図ることができる。例えば(再生可能エネルギー開発増大による)送配電網への接続申請の急増とそれに伴う許認可の大幅な遅れについては、「実現性・優先度」の低い事業をスクリーニングし、高い事業への手続きを優先するメカニズムを導入することで解決を図ることが可能となる。後述する「EU競争力コンパスおよびEUクリーン産業ディール」はまさに「産業側からの目線」で、硬直化した規制・手続きの仕組みを如何に効率・簡素化するかについて焦点を当てた中身となっている。

欧州のエネルギートランジションにおけるペースの鈍化は欧州が抱える固有の事案だけでなく、現在世界が抱える共通の課題にも起因する(図1)。クリーンテック・脱炭素事業の場合、インフレによる資機材・人件費の高騰は直接事業の経済性を毀損する。また金利の上昇も事業に負の影響を与える。クリーンテック・脱炭素事業は一般に資本コストの割合が大きく、欧州が得意とする洋上風力発電事業においては80%以上とされるため、金利の上昇による資金調達コストの増加は事業の経済性を大きく損なう。洋上風力発電で世界をリードするØrstedは、3%の金利上昇は大型洋上風力発電事業の利益を全て打ち消すだけのインパクトがあると分析している。また洋上風力発電には2万点もの部品が使われ、そのサプライヤーは世界中に分布するため、サプライチェーンの分断といった供給面での脆弱性も事業のスケジュールに大きな影響を及ぼす。さらに再生可能エネルギーが増えることで、港湾や設置用設備、ロジスティック、熟練作業員といったスキル面においてもボトルネックが生じている。不透明で厳しい事業環境に対しては、政府が明確な指針を示し、積極的なインセンティブや支援制度の導入を推進することが求められる。

さらに欧州の場合は、エネルギー・経済安全保障がエネルギートランジション・脱炭素政策に複雑に絡み、大きな影響を及ぼしている。図1で示しているように、2022年のロシアによるウクライナ侵攻に端を発したエネルギー危機を境に、欧州のエネルギー価格は米中とその差を大きく開いた。そもそも欧州にはドイツのようにロシアの低価格天然ガスを燃料とした鉄鋼・化学・窯業といったエネルギー集約型産業が多く、それらの産業は天然ガスを熱源として使用するため、電化のオプションが取りづらい。脱炭素の点からも、経済的な面からも厳しい状況に置かれており、欧州産業が市場競争力を失う一因ともなっている。エネルギーのトリレンマ(エネルギー価格、安定供給、脱炭素)においてエネルギーの価格や安定供給(エネルギー安全保障)といった面へのウエイトが高まり、脱炭素よりも優先度が増していると言えるのではないだろうか。

また経済安全保障面でも中国への依存が進み(欧州の太陽電池の98%、リチウムイオン電池の75%は中国からの輸入)、クリーンテック・脱炭素市場が拡大する欧州は、中国にとって最大のお得意先となっている。本来欧州は域内でクリーンテック・脱炭素事業を推進し、それらの市場が拡大することで域内の関連製造業の成長を企図していたはずだった。しかし、中国は国内の規模の圧倒的に大きな市場と強い競争力を梃子に、欧州市場に輸出攻勢をかけており、域内のクリーンテック製造業者は厳しい経営を余儀なくされている。また新型コロナウイルス感染症後のサプライチェーンの分断のように、単独のサプライヤーへの過度な依存は、事業の上での大きなリスクとなる。サプライの一極集中は前述の「ロシア産ガスへの過度な依存」のようなエネルギー安全保障面での懸念を生んだ。まさに同様の文脈で、クリーンテック原料・製品の中国依存は安全保障上のリスクとなっている。このような状況の中、前述した「脱炭素政策を維持した上で欧州産業の市場競争力の向上を目指す」という「EU競争力コンパス」や「EUクリーン産業ディール」(3.(1)にて詳述)が解決に向けた糸口になるのでは、として期待が寄せられている。

 

2. 各セクターのエネルギートランジションの進捗状況と課題について

ここから各産業・技術セクターごとのエネルギートランジションの進捗状況と課題について取り上げていく。前項で示したポイントは欧州域内のエネルギートランジション全体に共通する事案であるが、各セクターにその進捗状況や課題は異なる。最初は脱炭素において欠かすことのできない「電化」に直結し、欧州で現在最も脱炭素化が進んでいる電力について解説する。

 

1) 電力

1)a 欧州電力に関する課題

欧州電力セクターが抱える課題はいくつかあるが、その中で最近目立った課題を2点紹介する。

1点目は変動電源である再生可能エネルギーの増加による電力の安定供給への懸念である。ドイツでは2024年11月4日から7日にかけて低く厚い雲と無風を伴う高気圧が数日間にわたり停滞する「Dunkelflaute(暗い低迷)」と呼ばれる異常気象が発生し、翌月の12月、そして2025年2月にも同様の現象が起きた。太陽の光が厚い雲でさえぎられることから太陽光発電がほとんど機能せず、風が吹かないことで風力発電も極わずかの発電量に留まった(図2a)。ドイツは再生可能エネルギーの普及が進み、電源構成に占める再生可能エネルギーの割合は、年平均で55%に達する。したがって「Dunkelflaute」のように自然エネルギーが得られない場合、他の手段で電力需給のバランスを取らなくてはならない(需給のバランスが崩れると停電や設備の故障につながる)。ドイツは石炭・ガス火力発電を最大限活用し、さらに海外からの電力輸入でかろうじて難局を乗り切った。

図2a 2024年11月4日から7日のドイツの電力構成と翌日電力価格
図2a 2024年11月4日から7日のドイツの電力構成と翌日電力価格
(単位: 左縦軸 GW、右縦軸 €/MWh)
(出所: Bloomberg、ElexonデータをもとにJOGMEC作成)

また2024年12月の「Dunkelflaute」では、2024年12月11日の14時から15時のドイツの電力価格が一時過去18年間で最高の1,000€/MWhを記録している。これは1日で電力価格が10倍もの値を付けたことを意味する。

同様の事象は同時期英国でも発生している。2024年1月10日の「Dunkelflaute」では英国の再生可能エネルギーの発電容量は太陽光発電で2.5GW、風力で3.2GWまで低下した(図2b)。発電能力はそれぞれ16GWと30GWである。

「Dunkelflaute」現象とは逆に太陽光が十分で、強風の気象条件の下電力需要が低迷している場合は電力供給が過剰となり、電力バランスを取るために再生可能エネルギーの送電を止める「出力制御」の対応が求められる。図3に見られるように2024年、風力発電による英国の「出力制御」の合計は前年比約2倍の8.34 TWh に達し、約4億£の損失が生じた。再生可能エネルギーの拡大に伴い「出力制御」の割合は年々増加し、ドイツや他の国々でも深刻な問題となっている。特に洋上風力発電のように適地が限られており、送配電設備が十分整備されていないエリアでは、「出力制御」の問題が避けられない。2024年7月時点でのドイツの洋上風力発電設備容量は9GW で、2030年までに30GWの目標を掲げるが、洋上風力発電施設は北部の沖合の北海に集中する一方、電力需要の中心はドイツ南部である。2023年、ドイツ南部への電力供給の内9%が送配電網の制約により失われ、北海からの電力供給は2018年以来の最低レベルとなる19.2TWhにとどまった(TenneT)。ドイツのFederal Network Agencyはインフラの制限のためドイツの再生可能エネルギーの3%が無駄になっていると試算した。また気象条件が太陽光・風力発電に適している場合は、一斉に再生可能エネルギー起源の電力供給量が増えるため、卸電力市場での販売価格が低迷あるいはマイナスとなり、利益を確保することが難しいという問題もある。Eurelectricによれば2024年において卸電力価格がEU全体で1,480回マイナス価格を付けたとする。

図2b 2025年1月10日の英国の再生可能エネルギー発電容量の割合
図2b 2025年1月10日の英国の再生可能エネルギー発電容量の割合
(出所: CentricaデータをもとにJOGMEC作成)
図3 風力発電による出力制御の推移
図3 風力発電による出力制御の推移
(単位: 左縦軸 TWh、右縦軸 100万£)
(出所: FGEデータをもとにJOGMEC作成)

電力セクターに関する課題の2点目は、洋上風力発電開発事業への逆風である。欧州の洋上風力発電は北海を中心に世界をリードする存在であるが、世界的に洋上風力発電開発は厳しい事業環境に晒されており、この点は欧州でも例外ではない。いくつかの洋上風力発電開発事業が延期や中断を強いられ、洋上風力発電開発のトップ企業であるØrstedやEquinorも事業投資規模の縮小を決定している(図4)。Vattenfallは2024年9月、スウェーデンにおける洋上風力発電事業の投資条件では実現が見込めないとして、スウェーデンにおいて最も進んだ洋上風力発電プロジェクトとされるKriegers Flak洋上風力発電事業の凍結を発表している。また洋上風力発電に関し世界をリードする英国は、2023年のAR5のCfD入札(Contracts for Difference Allocation Round 5 、差額決済のための第5次割り当て入札)で政府が設定する上限価格(Administrative Strike Price、ASP)が低すぎ(インフレや金利の引き上げによるコストを反映しておらず)、落札者ゼロという結果になった(ただし2024年のAR6では上限価格を引き上げ、5.4GWの洋上風力発電が契約された)。2023年時点では、英国で稼働中の洋上風力発電設備は14GWあり、その内12GWはCfD(Contracts for Difference、差額決済契約)のスキームを利用している。また一方で2024年4月に開催されたデンマークのエネルギー庁(DEA)による3GWのオークションは、CfDといった政府助成の仕組みもなく、入札参加者ゼロという結果に終わった。

図4 欧州の洋上風力発電開発事業の後退
図4 欧州の洋上風力発電開発事業の後退
(出所: JOGMEC作成)

これら洋上風力発電事業の経済性の悪化は、新型コロナウイルス感染症からの回復局面において生じた世界的インフレ、インフレへの対抗措置として各国中央銀行が実施した金利の引き上げ、さらにサプライチェーンの分断による影響が大きい。前述したように部品点数の多い風力発電設備は、サプライチェーン途絶の影響を大きく受け、金利引き上げによる資金調達コストの上昇は、事業の経済性を大きく損なう。これらの影響により欧州における洋上風力発電事業のLCOE(均等化発電原価)は、50%上昇したといわれている(Ørstedの「Offshore wind at a crossroads」参照)。

新型コロナウイルス感染症後の世界的インフレ、金利の引き上げ、サプライチェーンの分断は、同様に太陽光・陸上風力発電の開発コストにも上昇圧力となったが、それらの事業では一時の開発コスト上昇から徐々に元の状態への回復が見られるのに対し、洋上風力発電では開発コストの高止まりが続いている(図5)。

図5 新型コロナ感染症後の洋上・陸上風力および太陽光発電開発事業における投資費用の推移
図5 新型コロナ感染症後の洋上・陸上風力および太陽光発電開発事業における投資費用の推移
(単位: 2021年の値を100とした時の比較)
(出所: Energy IntelligenceデータをもとにJOGMEC作成)

 

1)b 欧州電力の概要

2023年のEU27か国における電源構成は、再生可能エネルギー45%(2024年の再生可能エネルギー起源の電力割合は48%)、化石燃料32.5%(ガス火力14.7%、石炭火力12.7%)、原子力20%となっており、発電設備容量だけでなく発電量としても、再生可能エネルギー電力が化石燃料による火力発電の値を大きく引き離している。図6に示されるように、その結果EU27か国の電力炭素強度の平均は2023年に244g-CO2/kWhとなり、世界平均である481g-CO2/kWhの半分ほどにまで低下している。この20年余りで世界の電力炭素強度は顕著には減少していないが、欧州では2005年のEU-ETS(欧州排出量取引制度)開始以来目立って電力炭素強度が低下していることから、特に電力セクターの脱炭素をターゲットとしてきたEU-ETSが、脱炭素に効果的な制度であったことが示唆される。

図6 世界およびEU27か国の平均電力炭素強度の推移(2000年~2023年)
図6 世界およびEU27か国の平均電力炭素強度の推移(2000年~2023年)
(単位: g-CO2/kWh)
(出所: Europian Environmental Agency、EmberデータをもとにJOGMEC作成)

再生可能エネルギーによる電力供給が化石燃料による火力発電の電力量を大きく上回る欧州であるが、これまでの再生可能エネルギーの伸びが風力発電によってけん引されてきた一方、現在の再生可能エネルギー発展の原動力は太陽光発電となっている。これまでの太陽光発電は、年間日照時間が長く、日射量も多いイタリアやスペインといった南欧が中心であった(図7)。しかし、現在は日射量の低い英国、ドイツ、オランダといった国々にも広く拡大している。例えばオランダでは、近年全発電量に対する太陽光発電のシェアが著しく上昇しており、2023年には全体の17%に達している。ドイツでも太陽光発電設備容量は2024年に新たに17GW追加され、2025年初めには100GWに達した(BSW)。発電設備容量としては石炭・ガス火力発電の合計と肩を並べるほどの規模に拡大しており(図8左図)、2030年までに215GWを目指す。また英国でも太陽光発電設備容量が現在の15GWから2030年までに47GWに増加すると予想されており(NESO)、ピーク時には全電力量の11%を賄っている(図8右図)。これは中国から輸入される太陽電池の大幅な価格低下の影響が大きいが、欧州全体の日照時間が増え、欧州自体も太陽光発電により適した環境となっていることも影響している。2022年のドイツは年間2024時間の「晴れ」を記録し、2018年の2015時間というこれまでの記録を塗り替えた。これまで1800時間を超えた年は1991年以来計7回あったが、そのうち6回は2000年以降となっている。過去30年間で明るさが増し、太陽光の照射は10%から20%増加した。

図7 欧州主要国の日照時間と総電力量に占める太陽光発電量の割合の推移
図7 欧州主要国の日照時間と総電力量に占める太陽光発電量の割合の推移
(単位: %)
(出所: emberclimate.erg他)
図8 ドイツの電源別の発電設備容量(左図)および英国の太陽光・風力発電ピーク時の電源構成
図8 ドイツの電源別の発電設備容量(左図)および英国の太陽光・風力発電ピーク時の電源構成
(単位: %)
(出所: LambertデータをもとにJOGMEC作成)

太陽光・風力発電は気象条件によって電力供給量が大きく変化する変動電源である。条件が整えば過剰発電によって「出力制御」の問題を生み、条件が合わなければ電力供給が不足し、他の電源によって補う必要がある。例えばドイツの場合陸上風力発電の年平均の稼働率は21%に達するが、夜間は発電できない太陽光発電では、年平均7%にしかならない。太陽光発電設備が増加することによって益々電力の変動性が増し、安定供給リスクが高まる。

図9の左図は電力供給における理想的な各電源のバランス・役割を示している。原子力、石炭・ガス火力といったベースロード電源は需給の変動影響を受けないベースとなる需要を支える。一方太陽光・風力発電といった変動電源の不安定さを支えるにはCCGT(combined cycle gas turbine、ガスタービン・コンバインドサイクル発電)といった高効率なガス火力発電が欠かせない。CCGT火力発電は再生可能エネルギー発電が夜間や気象条件によって十分な機能を果たせない際、あるいは電力需要が急激に高まった場合にタイムリーに稼働し、電力の安定供給を助ける。すなわち調整電源(dispatchable generation)としての役割を担う。

図9 変動電源の増加により重要性を増す調整電源とフランスの輸出電力
図9 変動電源の増加により重要性を増す調整電源とフランスの輸出電力
(出所: JOGMEC作成)

太陽光・風力発電が拡大し、前述したような「Dunkelflaute(暗い低迷)」といった異常気象が発生した場合、ベースロード電源や調整電源(dispatchable generation)があることで電力の安定供給を確保できる。しかし、ドイツの場合原子力発電を2023年に完全に停止しており、石炭火力発電についても2030年代の廃止に向けて作業を行っている。現状では再生可能エネルギーからの電力供給が不足したとき、フランス等からの電力輸入に大幅に頼らざるを得ない状況となっている(図2a参照)。また英国では最後の石炭火力発電所であったRatcliffe-on-Soar発電所が2024年に閉鎖され、現時点での石炭火力による運転中の発電設備はない。原子力発電の設備はあるが十分とは言えず、2025年1月22日の「Dunkelflaute」の際は、フランス、ノルウェー、ベルギー、デンマークからの電力輸入に頼らざるを得ず、輸入電力が国内の電力供給量の10%以上を占めた。

欧州の電力市場の強みは、国を跨いだ送配電網が発達しており、実際に国同士の電力のやり取りが電力システムや構想の中に組み入れられていることである。そしてその中止にあるのがフランスの原子力戦略である(図9右図)。フランスの原子力発電による発電量は2024年に362TWhとなり、その内電力純輸出量は85TWhから90TWhとされる。通常原子力発電による発電量の内1/4ほどが輸出に回されており、重要な収入源ともなっている。国営のEDFが各国の電力会社と締結するARENHメカニズム[3]によって、年間100TWhまでの電力を42€/MWhで販売する(現在2025年に失効するARENHメカニズムの改定が進む)。欧州のベースロード電源として、時には調整電源として益々存在感を増すフランスの原子力電源であるが、必ずしもその供給体制は盤石とは言えない。欧州がエネルギー危機に見舞われた2022年には干ばつによる冷却水の不足や老朽化の進む原子力発電設備の不具合により原子力発電所の稼働率が落ち、純輸入国に転落(17TWhの純輸入)、ドイツ等からの電力の輸入を余儀なくされたといったことが起きている。

ドイツも原子力・石炭火力発電の廃止、変動電源である太陽光・風力発電の急拡大によって、CCGTガス火力といった調整電源(dispatchable generation)拡充の必要性を痛感している。Scholz政権は2030年までに10GWの水素転換可能なガス火力発電所の建設を提案し、2025年2月の総選挙前に15GWまで引き上げた。一方で現在ドイツは28-29GWの石炭・褐炭火力発電所を有しており、それらの廃止を前提とするのであれば、20GWから25GWの新規の発電設備容量が必要だとされる(Uniper)。CDU/CSUおよびSPDの次期連立政権は、20GWの新規ガス火力発電所の建設について合意している(2025年4月時点)。

 

1)c 欧州電力市場に向けた今後の対応

EUの電力全体に占める太陽光・風力発電量の割合は、2023年の45%から30年には67%に拡大するとされる。変動型電源である再生可能エネルギーの増加は、電力の需給バランスの上で、更なる不安定さをもたらすこととなる。また2023年のEU27か国の年間発電量は2710TWhであったが、この発電量は十数年間大きくは変わっておらず、電力のクリーン化は進んだものの、電力の需給体制はこれまで一定であったことを示している。しかしながらデータセンター・AIの拡大で、EU27か国の年間電力需要は60%増加すると予想される(欧州委員会)。これまで電力の需給体制に長い間変化がなく、システム全体が安定している中での需要の急激な拡大は、電力市場や需給体制に混乱を招く可能性もある。また低廉なロシア産ガスからの離脱に伴う欧州のエネルギー価格の高騰は家計や産業界を直撃し、欧州のエネルギー集約型産業の競争力を削ぐ要因の一つともなっている。

このようにこれまで長い間市場の目立った成長もなく、安定していた欧州の電力市場は、電力価格、安定供給、脱炭素という「トリレンマ」を抱え、老朽化する電力インフラと電化やデータセンター・AIの拡大による電力消費の急増という課題に直面している(世界最大手の事業用不動産サービス会社であるCBREは2025年に欧州域内で前年比43%増の1GWのデータセンターが追加され、過去最高を記録すると予想する)。そのような中、欧州の電力市場が注目すべきポイントに関し、(1)Flexibility(フレキシビリティ、柔軟性)、(2)Storage(蓄電システム)、(3)電力インフラの3つの視点で解説を試みたい。

最初のポイント①Flexibility(フレキシビリティ、柔軟性)であるが、これには供給側と需要側の側面がある(図10)。変動電源である太陽光・風力発電の発電量が増加することによって電力の安定供給が脅かされ、さらなる再生可能エネルギーの拡大によって今後もその傾向に拍車が掛かる。電力の供給面からは、CCGT(combined cycle gas turbine/ガスタービン・コンバインドサイクル発電)といったガス火力発電による調整電源(dispatchable generation)の整備が求められる。CCGTは炭素強度の比較的低い、高効率な火力発電という特徴だけでなく、再生可能エネルギーの発電量低下に応じて、タイムリーに「オン・オフ」を切り替えることが可能である。ただし調整電源という性格上常時電力を供給している訳ではなく、通常の電力販売という形だけでの事業運営ではビジネスモデルが成立しない。その一方で、13GWで170億€(ドイツ政府の試算)といった巨額の投資が求められる。そのため後述するような政府の投資に対する支援や容量メカニズムといった方法で、投資家や事業者にとってより魅力的な事業環境を整える工夫も必要となるであろう。

高効率のCCGTといってもガスの燃焼には温暖化ガス排出が伴う。CCS(Carbon Capture and Storage、CO2の分離・回収・貯留)付CCGTやクリーン水素、バイオメタン・eメタンとの混焼・専焼といったオプションが脱炭素の手段として有効となる。CCS付CCGTの例では後述の「CCS」の項で取り上げているように、英国のEast CoastクラスターのNet Zero Teesside Power(NZT Power)が先行する。一方、クリーン水素の場合15%程度の混焼はともかく、高濃度での混焼や専焼については技術的に不確かな部分も多い(既存のガスインフラの水素インフラへの転用や水素専焼タービンなど)。ドイツでは新規のガス火力発電設備は将来の水素転換を前提としているが、果たして水素転換がうまくいくのかどうかは、経済性やロジスティック上の側面だけでなく技術面においても、実現可能性を検証していく必要があるだろう。

フレキシブルな電力調整は供給側だけではなく需要側にも大きく求められる。欧州でも温暖化によって気温が上昇し、夏季も「ヒートウェーブ(熱波)」により冬季同様電力需要のピークが生じ、需給がタイトとなる。したがって需要側においても「デマンドレスポンス」のような柔軟なメカニズムを導入することは、電力ひっ迫を緩和する上で効果がある。また、その普及のために、「デマンドレスポンス」に対する協力者にはインセンティブを付与するなどの仕組み(直接報酬、電気料金の割引、ポイント・クレジットの付与等)も必要となる。

図10 電力システムにおけるフレキシビリティの改善と電力貯留容量の増加
図10 電力システムにおけるフレキシビリティの改善と電力貯留容量の増加
(右図単位: 左軸$/kWh、右軸GW)
(出所: IEAデータをもとにJOGMEC作成)

「1)a 欧州電力に関する課題」で言及したように、「出力制御」の問題は再生可能エネルギーの拡大によって年々深刻さを増している。究極の解決法は電力インフラの整備・拡充であるが、建設のためには膨大な出費が求められ、許認可手続きにも多くの時間を要する。そのような中、現在急速に発展しているのが静置型(グリッドタイプ)リチウムイオン電池を使った②Storage(蓄電システム)である(図10右図参照)。

これまで大型のリチウムイオン電池の価格は高く、揚水発電、溶融塩蓄熱発電あるいは慣性力、位置のエネルギー、圧縮空気を使ったものなど様々な蓄電技術が開発されているが、いずれも大規模なものはコストも掛かり、普及には至っていない。しかし、EV(電気自動車)の生産が増え、それに伴う大量生産によってリチウムイオン電池の価格も著しく下がった(図10右図)。特に静置型畜電池の場合EV用と異なり重量の制約を受けないことから、商品のターゲットを容量増大、価格の引き下げに特化できる。CATL(寧徳時代新能源科技/Contemporary Amperex Technology)やBYD(比亜迪股份有限公司/Build Your Dream)といった中国系企業は中国内に超巨大なギガファクトリーを建設し、低廉でコバルト、ニッケル、マンガンといった希少金属を使用しないリン酸鉄リチウムイオン電池(lithium iron phosphate/LFP)を大量に生産する。現在この安価な蓄電池を使った蓄電システムが世界規模で急激に増加しており、欧州も例外ではない(図10右図)。また「Dunkelflaute(暗い低迷)」のような異常気象が発生すれば1日の電力価格が最低と最高価格の間で10倍の開きが生まれるといったように、再生可能エネルギーの拡大によって電力需給の変動が生まれやすくなっている。電力が低いときに充電し、高いときに放電するといった蓄電システムの利用方法では、たとえ稼働率は低くともビジネスケースとしての設計が可能で、特に再生可能エネルギーの開発と組み合わせることで「出力制御」の問題を軽減でき、プロジェクト全体としての価値向上が図れる。ただし現時点ではリチウムイオン電池ベースの蓄電システムも出力・蓄電能力・放電時間等に制約があり、産業セクターの大規模な電化や電力のクリーン化といった脱炭素のpathway(経路)を考えた場合には、電力インフラの整備が欠かせないピースとなる。

最後の重要なピース、③電力インフラであるが、欧州の電力政策を推進する上で最も高いハードルと言える。欧州の年間電力消費量は過去20年ほどほとんど変化しておらず(図11)、EU27か国では2,900TWhから2,700TWhの範囲で安定している。これは新たな電力インフラの追加や入れ替えが限られ、多くの電力インフラが長い間継続して使用されてきたことを意味し、電力インフラの老朽化も指摘される(欧州員会によれば、域内の送配電網の40%は40年以上使用されているとされる)。

図11 EU27か国の電力消費量の推移(2010年から2022年)
図11 EU27か国の電力消費量の推移(2010年から2022年)
(単位: 1,000TWh)
(出所: EmberデータをもとにJOGMEC作成)

一方で欧州委員会は2023年11月に再生可能エネルギーの拡大に対応した域内の送配電網に対する整備計画を発表し、電力インフラの整備に2030年までに5,840億€もの費用が必要になると示した(図12)。また、データセンター・AIの拡大で域内の年間電力需要は2030年までに60%増加すると予想する。これは単純に送電線の延長や変電所の増設をすれば対応が可能というレベルの話ではなく、スマートグリッド等のデジタル化も含め、既存の送配電システムを根本的に入れ替えるほどの大転換が求められていることを意味する。前述したように長期にわたり電力消費量が一定で、大きな構造的変化がなかった欧州の電力セクターは今、大きな試練に直面している。

図12 欧州における電力インフラの整備および域内相互接続の強化
図12 欧州における電力インフラの整備および域内相互接続の強化
(出所: JOGMEC作成)

「1.欧州のエネルギートランジションが抱える課題」で触れたように、英国のNESO(National Energy System Operator)では国の送配電網システムへの1,700件もの接続申請が殺到し、新規の手続き業務がパンクしてしまった。その大きな理由は「ファントムあるいはゾンビ」と呼ばれる実現性の低い再生可能エネルギー開発事業が許認可申請に殺到したためとされるが、許認可手続きの官僚主義や非効率性、複雑さとも無関係ではないであろう。これまで限られた新規手続き申請しかなかったところに一気に申請数が増えたことで、当局側も十分なリソースの確保や作業の効率性向上といった対応準備ができていない。許認可が電力インフラ整備における最大のボトルネックになっている現状を踏まえ、許認可手続きにおいてもプロセスの簡素化、デジタル化といった効率性の向上が強く求められる(後述「EUクリーン産業ディール」参照)。

また、電力インフラや電力の価格低減・最適化は、欧州域内の電力構造全体で考えていく必要がある。 前述したように欧州の電力供給の過不足は、欧州の国境を越えた送配電網の整備を基盤とした国同士の電力のやり取りで一定程度吸収することが可能であり、これが欧州の強みでもある。国ごとに電力価格が異なり(フィンランド、ノルウェーといった北欧や原子力がメインのフランスでは電力価格が安い半面、イタリアやドイツは高い)、その電力価格の高低差が電力の流れを生む。しかし、電力規制、環境衛生調査、許認可手続きは各国で別々であることから、各国独自の電力政策が取られている。送配電網といった電力インフラ整備は国をまたがることも多く、デジタル化など全体最適化の観点から設計する方が効率は良い。EUクリーン産業ディールではEUのエネルギー価格の低減、安定供給、ひいては欧州産業力強化のため、電力の「単一の規制、単一の管理運営、単一の市場」を提唱する。

電力インフラ整備の課題の一つは、送配電網の整備や変電所の建設に膨大な費用が掛かるにもかかわらず、電力インフラを建設する送配電事業者の収入はインフラの使用料に限定されるため、資金回収までに数十年という単位の時間が掛かることにある。さらに建設費用や資金調達コストの増加につながる金利の上昇、(何年もの間本格的な電力インフラの拡張・更新がされなかったことによる)リソースや供給網の制約等も、送配電事業者の投資意欲を削ぐ。

そのような状況の中、電力インフラの整備は公共性も高く、送配電網事業者による負担だけでなく、EUや国レベルでの直接補助や債務保証、融資、といった政府の支援が求められる。この点EUのIPCEI(Important Projects of Common European Interest/欧州共通利益に適合する重要プロジェクト)やCEF(Connecting Europe Facility/EUのエネルギー、交通、通信ネットワークの3分野におけるインフラプロジェクトを支援する政策パッケージ)[4]は一定程度の支援機能を果たしている。また電力インフラは資本集約型の事業であり、低コストの資金調達が生命線である。したがって「容量メカニズム」を利用し、将来の電力量の一部を顧客に保証することで、予め収入を確保する手段も有効である。例えば、「1)b. 欧州電力の概要」で述べたフランスの原子力発電の一部(最大100TWhまで)を販売するというARENHメカニズムもこのコンセプトを利用する。現在計画中の6基の新規原子炉建設に対する費用が1,000億€を超えるとされるフランスの原子力発電設備も、「容量メカニズム」によってリスクのヘッジ(電力消費者へのリスクの転嫁)を行っている。また、英国もCapacity Market(容量市場)を導入し、インフラ事業者に対するリスク低減の仕組みを導入している。

「1.欧州のエネルギートランジションが抱える課題」で触れた、送配電網システムへの接続申請が殺到し、新規の手続き業務がパンクしてしまった件に関し、英国の電力システムの管理者であるNESOは、Planning and Infrastructure法案を策定し、実現性の高い再生可能エネルギー開発事業の許認可手続きを優先するような仕組みを導入することを目指しており。法案は今後議会の審議を経て法制化される予定となっている。

 

2) CCS

2024年2月に公表された欧州委員会によるEU Industrial Carbon Management Strategy[5]の中では、2050年ネットゼロを達成するために、CCS(CO2分離回収・貯蔵技術)により2040年に2億8,000万トン、2050年には4億5,000万トンのCO2削減目標が示された。また欧州の調査・コンサルティング企業であるAmbrosettiは、欧州の脱炭素化が困難な産業セクター(製鉄、セメント、化学、窯業といったエネルギー集約型産業で、技術的・経済的にも脱炭素化が困難な産業分野)からの温暖化ガス排出量6,370万トンの内、52%は電化、エネルギー消費効率の改善、クリーン水素やバイオエネルギーの使用、原料転換によって削減が可能であるが、残り48%の3,080万トンはCCSによる削減が必要との報告書をまとめている(図13)。以前はCCSが「化石燃料の使用を助長している」として懐疑的な見方もあったが、欧州委員会も明確に2040年、2050年のCCS目標を定めたことで、今や2050年ネットゼロを達成するための欠かせないピースとして、EUレベルでもCCSが認識されている。

図13 脱炭素化が困難な産業に対するCCSの役割
図13 脱炭素化が困難な産業に対するCCSの役割
(出所: AmbrosettiデータをもとにJOGMEC作成)

世界的に見れば北米におけるCCS事業が先行しているが、欧州にもいくつかの先行事例がある。以下それらの先行事例を国ごとに取り上げていくこととする。

 

2)a 英国におけるCCSプログラム

英国は英領北海に数多くの枯渇油・ガス田を抱え、地質の構造や性状の評価も進み、インフラや人材・専門企業等のリソースも豊富なことから、CCSプログラムの実行条件を高い次元で満たしている。2020年11月にはCCSプログラムに対し、英政府による10億£の基金(Carbon Capture and Storage Infrastructure Fund/CIF)の立ち上げを公表した。また2023年10月、CCUS Investor Roadmap において、20年間で200億£のCCSへの投資を行い、2030年までに4か所のCCUS低炭素産業クラスターを活用、2035年までに産業起源のCCSから900万トンのCO2を回収・貯留するとした。The CCUS Visionでは、英国のCCUS目標は2030年までに年間2,000万から3,000万トン、2035年で年間5,000万トン、2050年までに9,000万から1億7,000万トンとなっている。英国のクラスター(産業集積地)・シークエンシング・プロセスはCCSプログラムの早期実装、脱炭素の促進を企図し、CCSを梃に、古くから英国製造業の中心を成しているAberdeen、Teesside、Liverpool、Lincolnshireといった伝統的な産業地帯、クラスター(産業集積地)の脱炭素化を支援し、新たに低炭素事業を呼び込むことで脱炭素のみならず、産業の活性化・雇用促進を図る目的で設定された。2021年11月には入札によりトラック1の事業として、東海岸のEast Coastクラスター、西海岸のHyNet North West クラスターの2件が選出され(図14)、それらの事業はCCS事業の先行例となり、迅速な社会実装や大規模展開を図るためのモデルケースとして、政府の支援を受ける(事業助成制度・優先審査手続き)。更に2023年7月には北東スコットランドのAcorn CCSクラスターとHumberのViking CCSクラスターが、HyNetとEast Coast CCSクラスターに続き英国政府のCCS クラスター・シークエンシング・プロセスにおいてトラック2 CCSクラスターとして承認されている。また、その他にも2022年6月、英国のNorth Sea Transition Authority (NSTA)はCCSに関する初めてのライセンスラウンドを実施し、その結果として14企業に21のライセンスを付与している。

トラック1 CCSクラスター事業の一つ、東海岸のEast Coastクラスター(図14)は、CO2の輸送・貯留事業を目的とするNorthern Endurance Partnership、クラスター(産業集積地)における既存産業の脱炭素化・クリーン産業の振興を目的としたNet Zero Teesside(後述)およびZero Carbon Humberからなる。TeessideとHumberにおける温暖化ガス排出量の合計は英国のクラスター(産業集積地)排出量全体の5割を占めるといわれている。

図14 英国CCS先行事例、トラック1 CCSプロジェクト
図14 英国CCS先行事例、トラック1 CCSプロジェクト
(出所: 各種データをもとにJOGMEC作成)

East Coastクラスターの中心を成すNorthern Endurance Partnership(NEP)プロジェクトは、CO2の回収ネットワーク、陸上コンプレッサーステーション、145kmの海底パイプライン、Endurance塩水帯水層にCO2を圧入するためのサブシー圧入・モニタリング坑井設備からなる。初期段階ではNet Zero Teesside Power(NZT Power)およびH2Teesside/Teesside Hydrogen CO2 Captureから排出される年間400万トンのCO2を、2035年までには産業クラスター全体から排出される年平均最大で2,300万トンのCO2を輸送・貯留する。bp(45%)がオペレーターを務め、Equinorが45%、TotalEnergiesが10%を所有する。NEPプロジェクトのように産業クラスターから回収したCO2を輸送、地下貯留する事業はCO2 T&S(CO2 Transport & Storage)事業と呼ばれ、その事業を統括する事業体は、T&SCo(Transport & Storage Company)と称される。一方でNZT PowerはCCGT(combined cycle gas turbine/ガスタービン・コンバインドサイクル発電)火力発電所で、CCSを追加することで、ガス火力発電でありながら低炭素電源化を可能としている。発電設備容量は860MWで、年間200万トンのCO2がNEPに送られ、貯蔵される。bp(75%)がオペレーターを務め、Equinorが25%を所有する。NEPおよびNZT Powerプロジェクトともに2024年12月に英国政府と契約(後述)を締結し、FIDも取得している。「1). 電力」の項で触れたように変動電源である再生可能エネルギーの拡大によって英国でも電力の安定供給・価格変動の抑制のために調整電源(dispatchable generation)の整備が急務となっている。NZT Powerプロジェクトの英国政府との契約が優先されたのも、そういった背景とは無縁ではない。両プロジェクトとも2025年半ばからの着工を予定しており、2028年の運転開始を目指す。

もう一方のトラック1 CCSクラスター事業であるHyNet North West クラスターは英国北西部における排出量削減の困難な(hard-to-abate)セクターにおける脱炭素化を目指し、イタリアのEniがLiverpool Bayの枯渇ガス田にCO2を貯蔵する。初期ステージでは年間450万トン、2030年代初めまでに年間1,000万トンのCO2貯蔵を目指す。以前の計画では2023年にFID(最終投資決定)、2025年にCCS運転開始を予定していたが、まだ英国政府との契約締結の公式発表はない(2025年4月半ば時点)。Eniの2024年決算報告(2025年2月末)によれば、Eniは2025年前半には英国のHynet CCSプロジェクトのFIDを行うとしている。

英国政府はトラック1 CCSクラスター事業を積極的に支援しているが、CCS事業の公共性を鑑み、市場のメカニズムに委ねるのではなく、政府との契約という形で事業全体をコントロールしている。Emitter(産業側の温暖化ガス排出者)と呼ばれる産業側の温暖化ガス排出者(例えば前出のCCGT発電事業のNZT Power)にはCfD(Contracts for Difference、差額決済契約)が適用され、建設・操業費等をもとに事業ごとに設定された上限額(Strike Price、行使価格)と基準価格(Reference Price)であるUK-ETS(英国排出量取引制度)における炭素価格との差額分が補填される。また産業クラスターから回収したCO2を輸送、地下貯留する事業であるCO2 T&S(例えば前出のTeessideのNorthern Endurance Partnership)においては、その事業を統括するT&SCoと英国政府、そしてEmitterとの間でRABモデル(規制資産ベースモデル)に基づいた契約を締結する。これにより事業の収益を確保するためT&SCoは自身が負担する建設・操業費等をカバーしつつ、最低限の利益を確保できる一定の「使用料」をEmitterから徴収し、EmitterもCO2を輸送、地下貯留するための費用負担を「妥当なレベル」に留めながら、T&SCoの市場独占による価格コントロールといった可能性を予め防ぐことが可能となる。

 

2)b Northern Lights CCSプロジェクト

北海のCCS事業のフラッグシップとも呼ぶべき代表例がノルウェーのNorthern Lights CCSプロジェクト(図15)である。このプロジェクトは世界で初めてCCS事業に採用されたCO2の排出源を固定しないオープンソース型で、国境の垣根を超えたCO2の移動を前提とした事業コンセプトということで注目を集めた。フェーズ1では、廃棄物燃料化事業のFortum Oslo Varmeやセメント製造プラントのNorcem Brevik等からCO2を回収し、CO2は北海に面するノルウェー西部のOygardenにあるCO2受け入れ・圧入のための陸上基地に2隻の7,500m3(液体CO2を8,000トン収納)専用船により海上輸送される。Oygarden陸上基地からはパイプライン(12-1/4” x 100 km)で圧入井に圧送される。2坑(1坑は予備井)の圧入井は水深300mの海底面にサブシー仕上げによって設置され、Oygarden陸上基地から海底ケーブル(Umbilical Cable)によって遠隔制御される。CO2は圧入井を通り、海底面下2,600mにある砂岩の塩水帯水層であるJohansen層に圧入、貯留される。少なくとも1億トンのCO2貯留能力を有していると推定されている。

2016年、ノルウェー政府はノルウェーにおけるCCSのバリューチェーンを含むフルスケールのCCSソリューションの可能性について実現可能性調査を実施し、CCS事業を更に前進させることを決定した。その後GassnovaとEquinorが政府を代表して概念・基本設計(Concept and FEED studies)を引き受け、また事業の準備に向けEquinor、Shell、TotalがNorthern Lights JV(共同事業体)を結成した。2020年の初めに掘削した評価井の結果とノルウェー政府との商業協定の成立を受け、2020年5月、Northern Lights JVはプロジェクト(フェーズ1)のFID(最終投資決定)を行った。2025年内の運転開始を目指し、着々と準備が進む。

図15 ノルウェーのNorthern Lights CCSプロジェクト フェーズ1
図15 ノルウェーのNorthern Lights CCSプロジェクト フェーズ1
(出所: Northern Lights他公式HP等をもとにJOGMEC作成)

さらにこの事業の特徴として手厚い政府の支援という点が挙げられる。2020年12月、ノルウェー議会においてプロジェクト(CCSバリューチェーン全体)に対する政府の補助金が正式に決定された。またCO2の排出施設からの回収を含むCCSバリューチェーン全体に関わるプロジェクトは「Longship」と命名され、Northern Lights JV(共同事業体)の所掌はCO2の輸送・圧入・貯留管理となった。「Longship」プロジェクト(CO2回収・輸送・圧入・貯留)全体の投資額(Capex)は19.3億US$とされ、試算の結果10年間の操業費は9億US$となったため、最終的な政府側の負担は19億US$と定められた。投資額のほぼ全額をノルウェー政府が負担するという破格の待遇であり、ノルウェー政府のCCS技術にかける本気度を窺い知ることができる。また、2024年、EUのConnecting Europe Facility (CEF、EUのインフラプロジェクトを支援する政策パッケージ)からNorthern Lights CCSプロジェクトのフェーズ2における基本設計(FEED)の費用として1億3,100万€の拠出を受けている。

2025年3月、Northern Lights JVは、Northern Lights CCS開発事業のフェーズ2のFIDを決定した。フェーズ2ではフェーズ1における年間150万トンのCO2輸送・地下貯留量を少なくとも年間500万トンまで引き上げる。CO2貯留の引き合いも活発で、ノルウェー国内だけでなく、英国、デンマーク、オランダ、スウェーデンといった国外の事業者とも、CO2の引き取りについての契約を締結しており、まさに国境の枠を超えたCO2の移動という「オープンソース型の事業コンセプト」を体現している(表1)。フェーズ2開発には既存の陸上・海洋施設に加え、追加の陸上貯蔵タンク、新たな船着き場、追加の圧入井が必要となる。全体を統括するtechnical service provider(TSP)にはEquinorが引き続き留まり、開発・建設・操業事業に対しJVを代表する。フェーズ2は28年後半の完成を目指す。

表1 ノルウェーのNorthern Lights CCSプロジェクト CO2引き取り契約相手先
表1 ノルウェーのNorthern Lights CCSプロジェクト CO2引き取り契約相手先
(出所: 各社HP資料を参考にJOGMEC作成)

欧州におけるCCS技術の最大の課題は、CCS技術を単独で、経済的に事業として成立させるための有効なビジネスケースを構築することが難しいことである。英国の場合、T&SCo(CO2を輸送、地下貯留する事業であるCO2 T&Sを統括する事業者)に対してはRAB(Regulated Asset Base/規制資産ベース)モデルにより投資コストを補完した上で、一定程度の利益を保証している。EmitterにはCfD(Contracts for Difference/差額決済契約)が適用され、上限額(Strike Price、行使価格)と炭素価格との差額分が補填される。RABモデル、CfDメカニズムいずれのケースでも、英国政府による多額の資金が提供される(一方、RABおよびCfDは事業の実績に伴い助成を行うので、前もって支払われる補助金制度のように事業が未成立に終わり、資金の回収もできない、といった懸念はない)。現在英国のUK-ETS(英国排出量取引制度)における炭素価格は39.06£/トンで、一般に欧州でのCCSコストとされる130-150€/トンには遠く及ばない。政府から独立してビジネスモデルを成立させることは不可能だ。

Northern Lights CCSプロジェクトに関してもフェーズ1では建設費用に相当する額がノルウェー政府から助成され、フェーズ2でもEUのConnecting Europe Facility (CEF)ファンド から事業の一部に補助金が支払われる。直近1年でのEU-ETS(欧州排出量取引制度)の炭素価格は1トン当たり70€前後に留まることから(ノルウェーのETS制度の炭素価格はEU-ETS価格と連動している)、ビジネスケースの成立が困難な状況は英国と変わらない。もし欧州のCCSプロジェクトを民間の力だけで立ち上げようとするならば、市場の炭素価格を大幅に引き上げる必要がある。

 

2)c 欧州におけるその他のCCSプロジェクト

北海の海底には、最大780億トンのCO2を貯留することが可能とされ(英国CCUS Vision)、数多くの枯渇油・ガス層や地下帯水層といったCO2地下貯留に適した構造が存在する。そういった北海の地下構造を利用したCCS事業・コンセプトが英国、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ポーランドで次々と立ち上がっている。英国、ノルウェーが中心ではあるが、デンマーク、オランダといった他の国々においても、既にFID(最終投資決定)を完了し、運転開始に向けた準備を着々と整えている事業がある(図16)。

図16 英国・ノルウェー以外の欧州のCCSプロジェクト
図16 英国・ノルウェー以外の欧州のCCSプロジェクト
(出所: 各種データをもとにJOGMEC作成)

それらの中で積極的に国境を越えたCCS事業の展開を図っているのがデンマークである。デンマークCCSのフラグシップであるGreensand Future CCSは既にCO2圧入のパイロット試験に成功し、2023年12月にFID(最終投資決定)を実施、2025年から2026年に掛けて第1フェーズの運転開始を目指す。また2025年1月、Danish Energy Agency(DEA/デンマークエネルギー庁)はJammerbugt、Lisa、Inezの3フィールドを対象に4回目となるCCSライセンスラウンドを公開したが、既に6件のCCSライセンスを付与している。また40億ドルのCCS基金を設立し、16の事業者が応札したと発表している(2025年4月)。デンマークは国内にエネルギー集約型の産業が少なく、電力市場の規模も限られる。DEAが2024年4月に開催した洋上風力発電の公募では入札参加者がゼロという結果に終わった(前出「1)a. 欧州電力に関する課題」参照)。この「入札者ゼロ」という結果は必ずしも洋上風力発電事業が抱えるコスト増といった要因だけでなはない。例えばドイツにおける洋上風力発電開発に関する入札ではそれなりの実績を残している。現在の洋上風力発電の厳しい事業環境では資金調達が難しくなっているが、調達条件を満たすには長期の電力契約という安定収入の確保が求められる。自国内での電力市場の規模が限られるデンマークでは、大口のPPA(Power Purchase Agreement/電力購入契約)を締結することが難しい。一方でCCS事業は最初から国境を越えたCO2の移動、デンマーク国内での貯蔵を想定している。デンマークは「CO2の貯留」サイドを強化、保証することにより自身をCCSバリューチェーンの中に取り込み、CCSのエコシステム構築を図ろうとしている。

CO2貯留に適した地質構造、E&P事業で培った知見やデータの蓄積、多くのE&P関連企業や港湾といったインフラ設備・ロジスティック体制が整備されていることなど多くの点で北海周辺は、CO2輸送・貯留の事業環境として優れていることから、欧州のCCS事業開発は北海周辺に集中している。そのような中イタリアのEniとエネルギーインフラ企業であるSnamは Ravenna枯渇ガス田を利用し、Ravenna CCSプロジェクト開発を推進している(図16下段左側)。Ravennaガス田はイタリアの沖合アドリア海に位置しており、北海のCCS拠点とはアクセスの困難な、地中海周辺・南欧における産業セクターのCCSによる脱炭素オプションとして期待されている。フェーズ1ではイタリアCasalborsettiのEniのガス処理プラントから回収された年2万5,000トンのCO2を圧入し、年10万トンの貯留を目指す。CO2はパイプラインでRavennaガス田群の一部、Porto Corsini Mare Ovestガス田に輸送され、地下3,000mの貯留槽に圧入・貯蔵される。フェーズ2では2030年までに年400万トンのCO2を貯蔵(内200万トンは3か所の火力発電所と水素製造設備から回収する予定)、最大年1,600万トンのCO2貯蔵を目指す。2024年9月にCO2の圧入を開始しており、CO2貯蔵能力は最大で5億トンと試算されている。

 

3) クリーン水素

一般的なエネルギートランジションの将来予測においては、再生可能エネルギーや電化と同様にクリーン水素が脱炭素に一定の役割を果たし、特にエネルギー集約型で「脱炭素化が困難(hard-to-abate)」とされる産業セクターの「熱源」や、電化が困難とされる大型車両の「脱炭素ソリューション」としてその貢献が期待されている。しかし、現実は再生可能エネルギーの急速な発展に比べて、水素市場の顕著な成長は観察されていない。これは世界共通の傾向であり、欧州に限った話ではない。

(図17に示されるように)クリーン水素に対する事業計画は大きく積み上がっているが、実際にFID(最終投資決定)に進む案件は数%にしか過ぎない。クリーン水素はグレー水素(化石燃料を原料とした水素)に比べて値段が高く、買い手がなかなかつかない。それでも単に値段が高いだけであれば一定量のオフテイーク契約(長期購入契約)は取れそうだが、多くの将来シナリオでは今後クリーン水素の価格が徐々に低下すると予想する。したがって水素の需要家は今高い値段で購入するよりも、将来値段が落ちた時点で購入すれば良い、という発想になる。クリーン水素のように未成熟な市場では、金融セクターにとってのcreditability(信用力)は「オフテイーク契約(長期購入契約)が付いていること」であり、オフテイーク契約の有無がプロジェクトファイナンス等の資金調達の可否を左右する。現状ではオフテイーク契約が取れず、資金調達がうまくいかないことから、FID(最終投資決定)に進むことが困難となっている。したがってクリーン水素市場は、生産に移行できる案件が少なく、生産量も限られるため、コスト削減をもたらす大量生産につながらず、クリーン水素の価格が下がらない(だからオフテイーク契約に結びつかない)という負のスパイラル(鶏と卵のジレンマ)に陥っている。

図17 水素市場拡大に対する負のスパイラル
図17 水素市場拡大に対する負のスパイラル
(出所: JOGMEC作成)

欧州のクリーン水素の中心は再生可能水素と呼ばれるグリーン水素(再生可能エネルギーを使った水の電気分解により生成された水素)である。図18に示すようにEUの水素生産量は年間720万トンであるが(2023年実績)、その内99.7%はグレー水素であり、グリーン水素の割合は0.3%にしか過ぎない。さらに水素の用途を見ても原油の脱硫や化学品の原料(アンモニア、肥料、火薬等)がほとんどで、水素に期待される産業用や大型車両の燃料としての用途は極わずかにすぎない。

また、2030年までに生産開始が計画されているグリーン水素生産事業(公表済み)の合計は年産635万トンとEUのグレー水素を含む年間水素生産量に迫る勢いで積み上がっている一方、これまでにFID や建設に進んだ案件は4%にしか過ぎず、開発後期段階の事業を加えても年産65万トン相当でしかない(ACER Hydrogen MMR 2024)。これでは2030年における欧州の再生可能水素生産目標(RE Power EUによる域内1,000万トン、域外1,000万トン)に全く及ばないばかりか、2024年目標の6GW(グリーン水素年産60万トンに相当)をかろうじて満たすに過ぎない(図18)。

そのような状況の中、興味深いのはグリーン水素の用途である。グリーン水素の生産量は2万3,000トン(2023年)に過ぎないが、その内石油精製・化学品の原料としての使用は全体の半分ほどで、残りは産業用の熱源、陸運燃料、天然ガスとの混焼といった、まさにエネルギートランジションの水素の使途として期待されている「クリーン燃料」として利用されている。

図18 欧州の域内水素生産量、使用用途、生産目標
図18 欧州の域内水素生産量、使用用途、生産目標
(単位: 左図%、右図万トン)
(出所: ACER資料をもとにJOGMEC作成)

「鶏と卵のジレンマ」に直面するグリーン水素セクターであるが、市場拡大に向け徐々にではあるが投資環境の整備に向けた動きが見えている。図19に示されるように産業や市場形成の初期段階で効果が期待されるのが、助成金や公的ローンといった「(1)公的支援制度」とされる。グリーン水素に対する高い目標(RE Power EU)もあり、EUや欧州各国のグリーン水素への公的支援は充実している。また、最近の動きとしてグリーン水素を生成する水電解槽施設を製油所やバイオリファイナリー、化学プラントといった消費施設の敷地内・近傍に設置し、精製・石化プロセスの脱炭素化を目的に直接グリーン水素を供給し、これまでのグレー水素からグリーン水素への転換を図る動きが生まれている(「(2)オンサイト型消費」)。この手法であれば、原料調達を既存のグレー水素の代わりにグリーン水素に切り替えるだけなので、消費側での設備や製品製造プロセスの変更は一切いらないし、「オンサイト」施設からの水素供給により、大規模な水素インフラの整備も必要ない。いわゆる「Low Hanging Fruits(低い場所になっている果実)」とされるグリーン水素の用途である。これに対して本来のクリーン水素に対する期待は脱炭素化が困難な産業セクター(製鉄、セメント、化学、窯業といったエネルギー集約型産業)や電化の難しい大型トラックといったモビリティーセクターにおける「クリーン燃料」としての使用である。これらの分野への水素利用の拡大があって初めて、RE Power EUの「域内・域外合わせて年間2,000万トン」という調達目標に近づくことができる。しかし、その達成のためには新たなサプライチェーンの構築、輸送・消費側の設備の入れ替えや新設といったプロセスの変更、水素インフラの整備に膨大な時間と投資が求められる。例えば、一部ではグリーン水素の大型車両(大型トラック、バス等)への供給が始まっているが、この場合製造したグリーン水素を極低温で液化し(-253℃)、専用のタンクローリーで水素ステーションに運び、消費者に補給するという手法が取られている。したがって適用には路線バスのように運行ルートが固定されているような場合以外は困難であり、経済的にも収益性が見込めないため、実証試験段階か、公共性の高いケースに限られている。グリーン水素の「クリーン燃料」としての幅広い社会実装は、水素サプライチェーンの構築や水素設備・インフラの整備なくして成立しない。しかし一方で、グリーン水素市場の大規模な拡大、そして大量生産による価格の低下というように「鶏と卵」の負の連鎖から正のスパイラルに逆回転させるには、エネルギー集約型産業やモビリティーといった「ボリュームゾーン」をターゲットとする他ない。「(2)オンサイト型消費」と比べて遥かに高いハードルを有する産業やモビリティー分野へのグリーン水素の浸透は、経済的にも、技術的にも、社会的にも非常に困難な要件が求められる、「High Hanging Fruits(高い場所になっている果実)」となっている。以降欧州における「(1)公的支援制度、(2)オンサイト型消費、(3)水素インフラ・サプライチェーンの整備」について見ていくこととする。

図19 グリーン水素市場拡大に向けた対応とその経路
図19 グリーン水素市場拡大に向けた対応とその経路
(出所: JOGMEC作成)

3)a 欧州の公的支援制度

欧州にはEUレベルあるいは各国の支援スキームの中で多くのグリーン水素に対する助成制度がある。これらの機能は一般にローンチカスタマー(launch customer/一定の規模の発注を確保し、立ち上げの後ろ盾となる顧客)と呼ばれ、クリーン水素のように市場が初期段階で脆弱な場合、公共部門が契約当事者となり積極的に製品を買い取ったり(公共調達)、補助金やローンによって支援を行うことで、市場の立ち上げを図る。

EUとその加盟国によるグリーン水素やeフューエルといった水素の派生品に対する技術・事業面での支援は、革新的技術の発展支援についてはEU Innovation Fund(EUイノベーション基金)[6]が、事業やインフラ整備に関してはIPCEI(Important Project of Common European Interest、欧州共通利益に適合する重要プロジェクト)が代表的な支援制度となる。全体の支援規模も決して小さくはないが、米国のIRA(インフレ削減法)のような「技術中立」で、炭素強度の低減の程度によって税額控除の割合が決定されるといったシンプルな仕組みではない。制度・手続きが複雑で採用条件も厳しく、オークションで決定されるため審査に時間が掛かり、予見性がないことから事業に組み込むこと(例、資金調達計画)が難しい。そのため産業界からの不満も少なくない(後段「欧州が抱える課題とその対応」にて詳述)。IPCEIに関する水素関連技術・事業ではこれまで、Hy2Tech(水素技術)、Hy2Use (水素インフラ+燃料電池)、Hy2Infra (水電解槽+水素パイプライン)、Hy2Move (モビリティー)といった公募が行われている。

EU Innovation Fund(EUイノベーション基金)はEU-ETS(欧州排出量取引制度)における炭素オフセット収入(炭素クレジットの販売)を原資に脱炭素技術の支援を行っている基金であるが、その中で水素の事業拡大について中心的役割を担っているのが欧州水素銀行(European Hydrogen Bank、EHB)である。水素銀行は2022年9月、欧州委員会von der Leyen委員長の一般教書演説の中で将来の水素市場の確立に30億€を投資する新たな支援の仕組みとして発表された。

欧州水素銀行の第1回オークション(パイロットオークション)は8億€の予算規模で2023年11月に公募が開始され、2024年2月に締め切られた。当初第2回以降のオークションの開催判断は、第1回オークションの結果次第(それ故第1回オークションはパイロットオークションと名付けられた)とされていたが、第1回オークションへの応募が活発で競争も激しかったため、第2回以降のオークションも決定された。第2回オークションは2024年12月に公募が開始され、2025年2月に募集が締め切られた。さらに、欧州委員会では2025年第3四半期にも第3回オークションを開催予定としている。

欧州水素銀行の支援スコープは至ってシンプルで、欧州水素銀行は事業者が生産するグリーン水素に対し、1kg当たり最大4.5€(実際の値はオークションによって決定)を上限として助成をする。一方、落札者は希望する補助金(入札額)が少ない方から決定されるため、競争が激しければより低い入札額での応募も増え、限られた予算枠でより多くの水素生産量を確保できる。応募者数が多く、競争が激しければ激しいほど単位当たりの補助金が抑えられ、(欧州水素銀行の立場からは)オークションは成功と評価される。

第1回オークションには欧州17か国から132件の事業が応札し、1次審査によって、その内119件が最終審査に進んだ。入札額による最終審査の結果、7件の事業が選考されたが、内1件はオフテイーク(長期販売)契約が確保できないなどを理由に辞退し、結果として欧州水素銀行は6件の事業者と契約に至った(図20)。成約した6件の助成額は加重平均で水素1kg当たり0.46€であり(総額6億9,500万€)、水素生産量としては10年間で150万トンに達する。仮に落札者の希望する補助金の額が全て上限の水素1kg当たり4.5€であったとすれば、8億€の予算規模で確保できる水素の量はたったの17万8,000トンにしか過ぎず、(欧州水素銀行側にとっては)第1回オークションが大きな成功を収めたという判断となった。

図20 第1回オークション結果
図20 第1回オークション結果
(出所: 各社HP資料等を参考にJOGMEC作成)

欧州水素銀行による第2回オークションは様々なセクターに跨る10億€と海運の水素燃料に対する2億€という前回以上の予算規模で開催された。さらに上限額も前回の結果を受けて、水素1kg当たり4€と多少低めに設定された。応募数は61件と大幅に案件の数を落としたものの、前回の応札者の入札額(補助金希望額)平均が水素1kg当たり1.36€であったのに対し、第2回では平均0.67€となっており、これは事業者が前回の落札価格を参考にしながら、より落札の可能性を意識して低額の入札価格で応札したものと思われる。基金枠の拡大にもかかわらず応募者や国の数が減少した理由として、多くの事業者に低価格で落札しても事業支援には大きく役立たないとの判断があったと想像される。結果発表は2025年5月末、補助金契約は2025年11月までを予定している。

第1回欧州水素銀行オークションの特徴は図20で示すように、落札した事業が全てフィンランド、ノルウェーといった北欧とスペイン、ポルトガルといったイベリア半島の2か所に偏っていることである。後述する「水素回廊」とも関わるが、欧州水素銀行オークションの結果からも、欧州内に北欧やイベリア半島といったグリーン水素の生産コストの低いエリアとそれ以外のエリアとの間で価格競争力に差が生まれ、北欧やイベリア半島からデマンドセンターに向けた水素の流れが生まれる、といった域内トレードのベーストレンドができつつあることがこの件からも見て取れる。グリーン水素生産コストの7割は再生可能エネルギーによる電力費用が占める。北欧の低廉な水力発電や豊富な風力発電のポテンシャル、スペイン、ポルトガルにおける恵まれた太陽光や風況といった自然条件は低廉で安定的な再生可能エネルギー供給を約束する。

図21は第1回欧州水素銀行オークションに応札した事業における水素生産のLCOH(Levelized cost of hydrogen/均等化水素原価)とオフテイーク(長期販売)契約における販売価格を示している。グリーン水素生産ための費用、LCOHは北欧やイベリア半島といった低コストのエリアやコストの高いエリアなど多岐にわたるため、1kg当たり5.3€から13.5€と大きな開きがある。

図21 第1回欧州水素銀行オークションに応札した事業におけるLCOH並びに水素販売価格
図21 第1回欧州水素銀行オークションに応札した事業におけるLCOH並びに水素販売価格
(単位: €/kg水素)
(出所: ACER資料をもとにJOGMEC作成)

もし仮に欧州水素銀行による補助が上限の1kg当たり4.5€であり、その全てをLCOH削減に直接充てたとした場合、生産コストは1kg当たり0.8€から9.0€の範囲となり、競争力のあるエリアでの事業は、欧州のグレー水素の価格帯(1kg当たり2€前後)とも十分競争ができるレベルとなる。しかし、前述のように落札者の補助金は平均で水素1kg当たり0.46€であり、LCOH削減(グリーン水素価格の低減や開発事業者の支援)には十分とはいえない(図21左から3番目の棒グラフ)。

一方、第1回欧州水素銀行オークションに応札した事業のオフテイーク(長期販売)契約における販売価格を見ると、販売先が「産業セクター」の場合、グリーン水素の1kg当たりの平均販売価格は5.7€で、「モビリティーセクター」の場合は8.3€となっている。したがって北欧やイベリア半島における競争力のあるプロジェクトであれば(LCOHが6€以下)、オフテイーク契約の条件次第で水素1kg当たり0.46€といったわずかな補助額でも、一定の事業化の支援にはなる。しかし、欧州で水素事業を手掛ける多くのケースにとって、(グレー水素との価格差を埋めるには)十分な支援とはいえない。

また第1回欧州水素銀行オークションは成功との評価ではあるが、仮にこの後の水素オークションが全て1kg当たり0.46€というわずかな補助金で落札され、30億€の予算を全て使い切ったとしても、それにより確保できるグリーン水素の量は年間65万トンにしか過ぎない。2030年のグリーン水素(再生可能水素)域内生産目標である1,000万トンには遠く及ばない。政府の側の巨額の支援にもかかわらず、水素によるインパクトのある脱炭素を達成するためには、大規模な民間投資なくしては目標の達成は不可能である。

後述する「EUクリーン産業ディール」にもつながっていく話ではあるが、第2回欧州水素銀行オークションでは中国製水電解槽設備の割合に対し、電解容量当たり25%という制限を設けた。これは欧州が目指すクリーンテック市場が中国に侵食されている証左でもあるが、第1回欧州水素銀行オークションでは中国製水電解槽設備の割合が容量ベースで5割を超えたという結果を受けてのものである。1kg当たり0.46€という補助金の額から考えれば、敢えて欧州水素銀行の補助金をあてにするよりも、欧州製電解槽の半額程度(EnerScen)とされる中国製の水電解槽を選ぶ動きが増えてくる可能性もある。

欧州水素銀行といった欧州レベルでの助成制度だけでなく、クリーン水素には欧州各国も独自の支援制度を準備している。欧州水素銀行の支援制度では加盟国が追加支援のメカニズムとして欧州水素銀行オークションの選から漏れた事業に対し、独自の支援を行うことが認められている(Auctions-as-a-Service/AaaS)。スペイン、リトアニア、オーストリアはAaaS スキームを利用し、第2回欧州水素銀行のオークションにおいて自身の国のグリーン水素事業に対し、7億€以上を拠出する。またドイツもAaaS スキームを使い、3億5,000万€を助成する。

欧州水素銀行の枠組み以外でもデンマークのPower to X、オランダのSDE++(持続可能エネルギー生産補助金)、英国のElectrolytic Hydrogen Production Allocation Round One(HAR1、電解水素生産第1次割り当て入札)[7]等があり、デンマークのPower to Xは固定額による補助金制度、SDE++とHAR1はCfD(Contracts for Difference/差額決済契約)のメカニズムを採用する。英国のHAR1のCfDでは、(グリーン水素が参考価格よりも高価である場合)予め定められた上限額(Strike Price/行使価格)とグリーン水素との差額が事業者に支払われる。HAR1で選考された11件の対象事業の内これまでにH2 EnergyとTrafiguraによる14.2MW West Walesプロジェクト、Scottish PowerとStoreggaによる10.6MW Cromarty Hydrogenプロジェクト、Scottish Powerによる7.1MW Whitelee Green Hydrogenプロジェクトの3件が契約締結に至っている(2025年1月)。また、HAR1に続き2025年までに750MWのグリーン水素の契約を成約するとした第2次ラウンドのHAR2も2024年4月に入札を締め切った。2025年4月7日に一次審査が完了し、27の事業が次の審査ステージに進んでいる。英国は2030年までに最大10GWの低炭素水素製造能力を目指しており、2025年までに、運転中または建設中の電解水素製造能力を最大1GWにすることを目標として掲げる。

域内の水素調達だけでなく、域外の水素調達を目指す制度としては、ドイツのH2Global[8]が挙げられる。2024年2月、ドイツ連邦政府は、ドイツに輸入されるグリーン水素とその派生品の入札への資金提供として、同国の水素輸入機構で2021年に設立されたH2Global財団に35.3億€を割り当て、同財団は子会社のHINT.COに対し同資金の交付を行った。H2Globalの下でHINT.COは、グリーン水素とその派生品に対する販売先の選定(オークション)と購入・販売契約の仲介者として機能する。2024年7月、HINT.COは国際オークションの結果、2027年から2033年の間にエジプトで生産されるグリーンアンモニアをオランダのOCIとアブダビのADNOCがUAEに設立した化学品会社Fertiglobeから購入すると発表した。Fertiglobeは2027年から最大で約1万9,500トンのグリーンアンモニアを供給し、2033年までの累計では最大約39万7,000トンの供給量となる。H2Globalは2024年に「意思表明」を行ったカナダ・豪州産グリーン水素の入札に関し、5億8,800万€の資金を準備する予定であると発表している。

 

3)b オンサイト水素事業

先に触れたように、最近の特徴として製油所や化学プラントといったグレー水素を原料として利用してきた産業が、グリーン水素に入れ替える動きが徐々に浸透してきている。本来グリーン水素が目指すべき場所は、脱炭素化が困難な産業セクターや電化の難しいモビリティー分野における「クリーン燃料」としての使用であるが、そのためにはサプライチェーンの構築や設備・インフラの更新と整備に膨大な時間と費用が掛かる。しかし、製油所や化学プラントにおいて原料として使用されるグレー水素からグリーン水素への転換であれば、設備の追加や更新は必要ない。また、グリーン水素の製造プラントを製油所や化学プラントの敷地内に設置すれば、水素インフラや輸送コストも最小限に抑えることができ、追加コストはグレー水素とグリーン水素との価格差(または製造コスト)だけとなる(図22)。

図22 オンサイト型水素事業
図22 オンサイト型水素事業
(出所: JOGMEC作成)

欧州では炭素強度の大きな製油所、化学品プラントあるいはバイオリファイナリーの脱炭素化に向け電化と共にグレー水素のグリーン水素への置換が徐々に進んでおり、特に水電解槽を製油所、化学品プラントの敷地内や近傍に設置して、直接製油所、化学品プラントにグリーン水素を供給する「オンサイト型水素事業」が立ち上がってきている。

デンマークの水素生産事業者Everfuelは2025年2月、欧州最大クラス(20MWの電解槽で年間3,000トン)のグリーン水素を生産するHySynergy I プロジェクトの操業と隣接するCrossbridge EnergyのFredericia製油所(デンマークの石油製品の40%を供給)へのグリーン水素供給を開始した(計画では2022年の生産開始予定)。次期HySynergy IIでは300MWの電解槽導入を見込む。HySynergy IはEverfuelが51%、世界最大の水素ファンドマネージャーであるHy24が49%を所有し、Everfuelには日本企業も出資する。同事業に対してはDanish Energy Agencyから650万€、EUのConnecting Europe Facility (CEF、EUのインフラプロジェクトを支援する政策パッケージ)からデンマーク政府との共同で380万€の支援を受けている。

ポルトガルのGalpはポルトガルにある同社のSines製油所向けにグリーン水素を年1万5,000トン生産、現在グリーン水素生産プラントを建設中で、2026年の運転開始を目指す。bpはドイツのLingen製油所向けにグリーン水素を年1万1,000トン生産、FIDを完了し、運転開始は2027年の予定。Shell もオランダのShell Energy and Chemicals Park Rotterdam向けにグリーン水素を年2万トン生産、既にFIDを完了し、2027年運転開始を目指し、準備を進める。また、ドイツのBASFはドイツ国内のLudwigshafenプラントにおける54MWグリーン水素プラント(年8,000トンのグリーン水素を生産)の検収運転を終了し、生産されるグリーン水素の全量を同社の化学製品生産に使用されるグレー水素と入れ替える。BASF のLudwigshafenプラントは年間25万トンのグレー水素を使用している。

「オンサイト型水素事業」を中心とした欧州における製油所および化学品プラントでのグレー水素からグリーン水素への転換の動きの中で、特に目立った活動を展開しているのがTotalEnergiesである。同社はフランスのAir Liquideと共同でフランスのZeeland製油所内に250MWの水電解槽を設置し、年間3万トンのグリーン水素を製油所に供給する(図23a)。またフランスのLa MedeバイオリファイナリーではENGIEと共にMasshyliaプロジェクトを推進する(図23b)。これは20MWの水電解槽を設置、年間1万トンのグリーン水素を生産・供給し、La MedeバイオリファイナリーおよびFos-Berre工業地帯と付属する港湾の脱炭素化を行うという事業である。さらにLa MedeバイオリファイナリーではMasshyliaプロジェクトと並行してAir Liquideとバイオリファイナリーの副生成物であるバイオガスを水蒸気メタン改質により再生可能水素(年産2.5万トン)に変換するプロジェクトも進める。これらの低炭素水素はLa Medeバイオリファイナリーで製造されるSAF(持続可能な航空燃料)や再生可能ディーゼルの水素化処理の原料として利用される。

TotalEnergiesは欧州域内に6か所の製油所(北フランスのNormandy、西フランスのDonges、東フランスのFeyzin、ベルギーのAntwerp、オランダのZeeland、東ドイツのLeuna)、2か所のバイオリファイナリー(南フランスLa Medeと現在製油所から低炭素燃料生産施設への転換が進むパリ近郊のGrandpuits)を展開する。これらの施設では脱硫や水素化処理プロセスにグレー水素を使っているが、同社は2030年までにグレー水素をグリーン水素に転換する方針を掲げており、このことによりリファイナリーの温暖化ガス排出量を年間500万トン削減することを目指している。上述した「オンサイト型水素事業」はまさにこの目標に沿った動きといえる。2023年9月、この「グリーン水素化」方針に従いTotalEnergiesは、年間50万トンのグリーン水素供給に関わる入札の募集を開始した。前述した欧州水素銀行による第1回パイロットオークションの結果成約したグリーン水素供給量の合計が年15万トンである。多くの水素生産事業がオフテイーク(長期販売)契約確保に苦しむ中、年間50万トンというまとまった需要は、大きな話題をさらった。この件に関するオフテイーク契約として目立った動きでは、2024年6月、Air ProductsがTotalEnergiesと2030年から15年間、年間7万トンのグリーン水素を欧州で供給する契約を締結している。Air Productsは世界最大のサウジアラビアのNEOMグリーン水素事業(2.2GWの水電解容量で日量600トンのグリーン水素、年間120万トンのグリーンアンモニアを生産)のアンカーカスタマーであり、同事業にとっても初の大型契約となった。

図23a TotalEnergiesのグリーン水素による自社製油所の脱炭素化
図23a TotalEnergiesのグリーン水素による自社製油所の脱炭素化
(出所: TotalEnergies HP資料等を参考にJOGMEC作成)
図23b グリーン水素を利用したTotalEnergiesの低炭素複合事業
図23b グリーン水素を利用したTotalEnergiesの低炭素複合事業
(出所: TotalEnergies HP資料等を参考にJOGMEC作成)

 

3)c 水素インフラ・サプライチェーンの整備

現在のクリーン水素事業が抱える高価格や限られた市場規模といった課題を解決するためには、エネルギー集約型産業やモビリティーといった「ボリュームゾーン」に市場を拡大することが有効であるが、そのためには水素サプライチェーンの構築や水素設備・インフラの整備が不可欠であり、その点が経済的にも、技術的にも、社会的にも困難な高い壁となっている。一方、水素サプライチェーンの構築やインフラ整備に関しても、徐々にではあるが前進の兆しは見えてきている。そういった状況の中この項では欧州域内の横断的な動きとして「水素回廊」構想について、そして国レベルでの具体的動きとしてオランダとドイツの例を取り上げることとする。

 

1. 欧州水素回廊

2020年、欧州のガス供給システム運営事業者によって欧州域内の水素輸送インフラの展開、水素市場の拡大を目指すべくEuropean Hydrogen Backbone(EHB)イニシアティブ[9]が発足した。「3)a 欧州の公的支援制度」で触れたように欧州域内には北欧・イベリア半島あるいは域外の北アフリカのように再生可能エネルギーの発電コストが安く、グリーン水素生産に高い競争力を持つエリアが存在する一方、ドイツのように需要が集中するエリアもある。そこでEHBイニシアティブでは「需給の勾配」によって生じる水素の流れる道筋を「水素回廊」と呼び、5つの「水素回廊」を特定した(図24)。

図24 EHBによる欧州における水素回廊構想
図24 EHBによる欧州における水素回廊構想
(出所: ehb.euデータをもとにJOGMEC作成)

5つの「水素回廊」におけるそれぞれの構想・特徴は以下となる。

  1. 北アフリカ・南欧(SoutH2)回廊(アルジェリア、チュニジア、イタリア、オーストリア、ドイツ) :
    北アフリカと中央ヨーロッパをつなげる3,300kmの天然ガスと水素パイプライン回廊。水素の輸送能力は年間400万トン。チュニジアからイタリアの既存のガス輸送幹線を通り、ドイツ南部の工業地帯であるBavariaに至る。輸送の70%は既存のガス用パイプラインを利用。
  2. 南西ヨーロッパ・北アフリカ(Green Energy)水素回廊およびBarMar/H2Medパイプライン:
    北アフリカ、ポルトガル、スペインで生産されたグリーン水素をフランスに輸送し(バルセロナ・マルセイユ間をつなぐ455kmの海底パイプライン、BarMar/H2Medを建設)、その後ドイツにも供給。Iberdrolaはスペインに20MWのグリーン水素プラント(Puertollano)を建設済。
  3. 北海(North-South)水素回廊:
    ノルウェー等北欧で生産されたグリーン・ブルー水素をドイツのWilhelmshaven港にパイプラインで輸送し、ドイツ各地の産業集積地にガスからの転用および新規のパイプライン(400km)を通じ供給。またオランダ、ベルギー、英国市場への供給も見込む。2028年操業開始予定。
  4. 北欧・バルト海沿岸水素回廊(バルト海沿岸9か国によるBalticSeaH2コンソーシアム):
    BalticSeaH2コンソーシアムによりバルト海沿岸国の脱炭素と低炭素事業開発を目指す。またフィンランド・バルト3国で生産されたグリーン水素をドイツ、ポーランドへ供給。フィンランド南部とエストニアの間に「水素バレー」を建設し、ドイツ北部にパイプラインで水素を輸送する(年間10万トン)。2030年操業開始予定。
  5. 東・南東ヨーロッパ水素回廊:
    風力・太陽光発電のポテンシャルの高いルーマニア、ギリシャ、ウクライナで生産されたグリーン水素をドイツ、ポーランド等に供給。

 

EHBの欧州水素回廊全体はEU・加盟各国において正式に承認されたものではなく、構想の域を出ないが、中にはAの北アフリカ・南欧(SoutH2)回廊やBの南西ヨーロッパ・北アフリカ(Green Energy)水素回廊のH2Medパイプラインのように事業として動き始めているケースもある(Barcelona、Marseille間の海底パイプラインBarMar の敷設を含む)。SoutH2回廊事業では2025年1月に当事国であるイタリア、ドイツ、オーストリア、アルジェリア、チュニジアの5カ国がSoutH2回廊プロジェクトの継続に関する共同宣言に署名した。またスペインのCepsaとアルジェリアのSonatrachは共同で、SoutH2パイプラインを利用して水素を製造することを計画している。スペインのEnagásはH2Medプロジェクトを通じて水素インフラ開発に注力しているエネルギーインフラ企業の一社であり、フランスのGRTgazおよびTeréga、ポルトガルREN、ドイツのOGEと共に事業実現の可能性を探る。またSoutH2回廊やH2Medパイプラインは欧州委員会が定めるIPCEI(Important Project of Common European Interest、欧州共通利益に適合する重要プロジェクト)にもリストアップされている。

 

2. オランダとドイツのパイプライン事業

欧州水素回廊は国や大陸を跨る事業で、今後事業化には社会的、技術的、経済的に乗り越えなくてはならない多くの壁が存在するため、実現には暫くの時間が必要とされるが、国内のプロジェクトでは水素インフラの整備が先行して開始されているケースもある。その代表例がオランダとドイツのケースである(図25)。

オランダ政府は全長1,200kmの水素幹線ネットワークを構築し、国内外の工業地帯を水素ネットワークでつなぐという計画を策定し、2022年オランダのユーティリティー企業Gasunieの子会社Hynetwork Servicesに水素ネットワークの開発を委託、2023年6月には、初期段階として1億€強の投資を決定した。水素幹線パイプラインの85%はガスパイプラインからの転用で対応する予定としたが(新しいインフラを構築するよりも75%安価)、水素ネットワーク全体には約15億€の費用が必要と試算された。2023年11月、HynetworkはRotterdam港で最初の水素パイプライン区間の建設に着工した。Hynetworkは2026年までのロッテルダムにおける最初のセクションの稼働、2030年までのオランダ北海沿岸の産業クラスターにおける水素輸送インフラ整備を目指す。また2031年から2033年にかけてLimburg州の産業クラスターにネットワークが展開され、デルタライン回廊を含むクラスター間の接続が行われるとしていた。そのような中2025年2月、オランダ政府は水素ネットワークの建設コストが15億€から38億€と150%以上も増加する予定だと発表した。費用増加の理由を再利用できるガス導管が少なくなったこと、建設費の高騰、新たな環境規制によるものであるとした。市場の発展のペースも遅く、2030年までに4 GWの電解槽能力とされていたが、 1.2GWから1.5 GWの規模に留まると市場予想を下方修正した。このことは2031年の運用開始時に初期使用者の利用料金が大幅に上がることを意味する。Hynetworkはこの点に対し、追加の政府補助、戦略的な料金規制、初期利用者の負担軽減のためにドイツモデルの導入(長期のスパンで利用者から均等に料金を徴収)を提言した。また費用負担を分散化するために、水素ネットワーク利用者を増やすことが重要だとした。

水素インフラとしてパイプラインネットワーク同様重要なのが水素の貯蔵施設である。グリーン水素の生産は変動電源である再生可能エネルギーによる電力に依拠するため、顧客への水素の安定供給を維持するためには、水素を一時的に保管する施設が必要となる。水素ネットワークで扱うような大量の水素では液化といった手段は取りえないため、地下岩塩層の空洞といった既存の地下ガス貯蔵施設を水素用にコンバートする方法が現実的な解となる。

図25 欧州の水素幹線ネットワークと地下貯蔵施設
図25 欧州の水素幹線ネットワークと地下貯蔵施設
(出所: ACERならびに各事業HP資料を参考にJOGMEC作成)

オランダの水素ネットワークにおいても北部のZuidwendingガス貯蔵施設を水素貯蔵施設に転用する予定となっている。現在欧州ではドイツEtzelのH2CAST、フランスEtrezのHYPSTER プロジェクトなど既存のガス貯蔵施設を水素貯蔵施設に転用する実証試験が行われており、環境・安全・技術面での検証が完了し次第、商業ベースでの水素貯蔵施設に転用する計画となっている。

また、事業がFID(最終投資決定)に向けた最終段階にある例としてドイツ、フランス、ルクセンブルクに跨る水素ネットワークMosaHYcプロジェクトがある。これはフランスとドイツを結ぶ既存のガスパイプライン(全長70km)の水素輸送への転用と30kmの新規水素パイプライン建設を含む総工費1億1,700万€の事業で、水素の通ガス容量年5万トン、操業開始は2027年を見込む。フランスのユーティリティー企業Engieの子会社GRTgazとドイツのCreos Deutschlandがそれぞれ自国側の水素インフラを手掛ける。2024年Engieと子会社のGRTgazは着工に向けたFIDの決定を下したが、ドイツのCreos Deutschlandはまだ申請中のIPCEI(Important Project of Common European Interest、欧州共通利益に適合する重要プロジェクト)の承認が下りていないことを理由に、FIDを保留している。

一方、2023年ごろ議論が活発であった北欧からドイツにクリーン水素を輸出するという構想は、現在トーンダウンしている。2024年9月、EquinorとRWEは、ブルー水素輸出のための世界初となるノルウェー、ドイツ間の海底水素パイプラインの敷設事業に関し、「高コストと長期販売契約や市場が存在しないこと」を理由に中止を発表した。また、Energinetは2024年10月、グリーン水素の輸出を想定したデンマークとドイツ間の水素パイプラインが、現在置かれた状況と関連する計画や承認手続きに時間が掛かることから、2031年に先送りされると発表した。従来の事業実施の計画は2028年で、3年の遅れとなる。

将来の水素のデマンドセンターとして水素需要の増加が期待されるドイツであるが、2023年に最後の原子力発電所が運転を停止し、発電量の33%(2022年)を占める中核電源である石炭火力発電も2030年代での廃止を目指しており、エネルギー集約型産業や大型モビリティーの脱炭素化と併せ、水素を重要なエネルギー転換のソリューションと捉えている。ドイツは2023年7月に3年ぶりとなる水素の製造、輸送インフラ、市場計画のガイドラインを定める水素戦略の改定を行ったが、それによれば2030年時点での水素需要は現在の55TWh(年間110万トンに相当)の約2倍、95~130TWhと推定している。

ドイツの広域ガス輸送会社協会であるFNB Gasは、2023年11月に工費198億€、全長9,721kmに及ぶ水素コアネットワーク(Hydrogen Core Network、HCN)計画[10]の概要を示した。58%を既存のガスパイプラインからの転用とし、2032年までに年間279TWhの水素利用を想定している。その後2024年4月のEnergy Industry Actの変更とドイツ連邦議会の承認、2024年6月の欧州委員会の承認を経て、2024年7月、水素輸送事業者(transmission system operators、TSOs)およびFNB Gas等関連事業者が、ネットワーク管理機関であるドイツ連邦ネットワーク庁(BNetzA)に事業の申請書を提出した。BNetzAは2024年10月、総延長を9,040kmに短縮し(投資額も189億€に縮小)、56%を既存の天然ガスパイプラインの転用とし、2032年の全区間操業開始を条件に、ドイツ全土をカバーする水素コアネットワークの構築を承認した。水素コアネットワークの建設や運営、資金調達はBNetzAによって選定された水素輸送事業者(TSOs)によって行われる。

ドイツの水素コアネットワーク9,040kmの内、バルト海沿岸のLubmin を起点とする400km部分を含む最初の525km区間は、2025年中の完成を目指す。525kmのネットワークの内507km分はガスパイプラインの再利用となる。ドイツ政府はこの開発に240億€を割り当て、ドイツの国営開発銀行であるKfWが資金を提供する。水素コアネットワーク事業に先駆け2025年3月、ドイツのGascadeは、400kmのガスパイプラインの最初の区間に水素を圧入し、「Flow – making hydrogen happen」事業を開始している。また、2025年4月、東部のBad Lauchstadt Energy Park(30MWの水電解装置を建設中)とTotalEnergiesのLeuna製油所を結ぶ既存の25kmガスパイプラインの水素パイプラインへの転換が完了し、グレー水素による導通試験が開始されている(「3)b オンサイト水素事業、TotalEnergiesによる製油所のグリーン水素への転換」参照)。2025年末までには年間2,700トンのグリーン水素の供給を開始する予定となっている。

ただし、実際にどの程度の規模での水素輸送に使われるかは未確定だ。また使用されても初期の水素の供給量は限定的であるため、2025年におけるこのパイプライン網を利用した水素の流通量や利用者数は限られる。初期利用者が限られ、建設費を急いで回収しようとすれば、初期利用料金の設定が大きくなり、ネットワークの利用も進まない。したがってネットワークの利用料金を許容可能なレベルに保ち、初期の利用を活性化させるため、KfWはいわゆる償却アカウントを通じて水素輸送事業者(TSOs)に保証し、2055年までの費用返済を予定している。その時までに償却アカウントが均衡していない場合、ドイツ政府が費用の76%を負担し、残りの24%は水素輸送事業者(TSOs)が負担することになる。Energy Industry Actの変更によりTSOsには税前6.7%の投資リターンが得られるような仕組みが政府により保証されており、また1社が破産した場合、他の事業者を保護するような条項が盛り込まれる。BNetzAは2025年3月、水素コアネットワーク使用につき€25/kWhの固定価格を設定した。 3年ごとのインフレ影響を勘案し、2055年まで全ての水素ネットワーク使用者に適用される。BnetzAのKlaus Müller社長は「我々の提案によって適正な価格で水素コアネットワークが利用できると確信する。同時に民間セクターから水素ネットワーク建設・運営に関する資金を確保している」と述べた。

2024年5月、ドイツの製鉄会社SalzgitterはUniperと2028年からの年間2万トンのグリーン水素供給のための初期契約に合意した。Uniperはドイツ北岸のWilhelmshavenにおいて2025年からのフェーズ1で年産1万2,000トン、2028年開始のフェーズ2で年産7万2,000トン、フェーズ3で1GWのグリーン水素生産を計画する。Salzgitterの製鉄所はWilhelmshavenから280km離れたLower Saxonyにあり、まさに水素コアネットワークの完成が契約成立の条件となる。また2025年3月、RWEとTotalEnergiesは、年間3万トンのグリーン水素をTotalEnergiesの製油所に供給する長期契約(2030年から15年間)を締結した(前出、「Bad Lauchstadt Energy ParkとTotalEnergiesのLeuna製油所間の水素パイプライン」参照)。RWEは、ドイツのLingenにある300MWの電解槽でグリーン水素を生産し、600kmの水素コアネットワークを通じてTotalEnergiesのLeuna製油所に供給する。このように水素コアネットワークの整備を前提とした事業計画も立ち上がってきている。

他方、水素コアネットワークといった水素インフラの本格的活用はまだ先のことである。そのような状況の中、ドイツの先を読んだ水素インフラの整備は、水素の大規模ハブを目指すというドイツの強い意志の表れといえる。

一方でこれらのグリーン水素の利用は、製油所・化学プラントのグレー水素やエネルギー集約型産業の天然ガスとの置換といった産業セクターの脱炭素を目的としたものである。しかし、もう一方のボリュームゾーンであるモビリティーへの応用は、公的機関における車両等への使用といった限られた利用方法に留まる。2022年頃は電化の困難なトラックやバスといった大型車両をターゲットに、水素燃料・水素燃料電池車に関するスタートアップの立ち上げや投資も活発であったが、現在その動きは大きく停滞している。2025年3月、水素トラック開発・商業化をリードする立場であった米国のNikola Motorsは36億ドルの負債を抱え、破産手続きの一環として、Arizona施設の855名の従業員の解雇を発表している。RenaultとPlug Powerの水素自動車のJVであるHyviaは買い手がつかないことを確認した後、フランスの裁判所に破産手続きの申請を行った。ドイツの水素トラックQuantronは2024年10月に倒産、米国のHyson、フランスの水素バスメーカーSafra、英国の水素トラックメーカーHVSも倒産の危機に瀕している。水素燃料電池車はEVトラックの弱点である航続距離で優位性があるが、複雑な製造工程、高いコスト、インフラが整備されていないことが欧米メーカーの共通の課題となっている。一時期の市場の熱気も冷め、資金調達にも苦労する。数年前に想定したよりも水素市場の発展が大幅に遅れていることを代表するような事例ともいえる。

 

4) バイオ・再生可能燃料(SAF)

現在欧州のバイオ・再生可能燃料市場が直面する2つの大きな変化は、バイオディーゼル供給量の増加による市況の低迷と2025年1月から施行されたEUのReFuelEU Aviation[11](英国ではUK SAF Mandate)による航空燃料(石油ベースのジェット燃料)へのSAF(持続可能な航空燃料)の混合義務化である。以降その2点について詳しく検証していくこととする。

 

4)a バイオディーゼル市況の低迷

世界のバイオ・再生可能燃料取引の中心は欧州・米国市場であるが、いずれの市場でもバイオ燃料・再生可能燃料の供給量が増えているため、現在市場は供給過多の状態にある。

欧州にはまだディーゼル車が多いが、ディーゼル車の燃料である軽油に混合するバイオ燃料にはバイオディーゼルと再生可能ディーゼルの2種類がある。バイオディーゼルは軽油に対する混合量が国ごとに指定されており、混合量に制限のある非ドロップイン燃料であるが、再生可能ディーゼルは混合量に制限のないドロップイン燃料である(軽油と同様に使用可能)。バイオディーゼル、再生可能ディーゼルいずれも原料は植物油・廃食油(UCO)・獣脂等で共通するが、製造までのプロセスが大きく異なる。バイオディーゼルは植物油等のバイオ油脂をメチルエステル等でエステル化後、グリセリンを除去して製造されることから簡易な設備で対応が可能なのに対し、再生可能ディーゼルは水素化・脱酸素化処理が必要なことから、製油所並みの高度で複雑な技術と設備が求められる。バイオディーゼルはFAME(Fatty Acid Methyl Ester、脂肪酸メチルエステル)とも呼ばれ、再生可能ディーゼルもHVO(Hydrotreated Vegetable Oil、水素化植物油)と呼称される。一方、HVOはSAF(持続可能な航空燃料)製造にも使用されるが、SAF 製造工程においてはHEFA(Hydroprocessed Esters and Fatty Acids)と呼ばれることが一般的である。欧州では再生可能ディーゼル・HVOを専門に製造するプラントもあるが、既存の石油精製所を改造し、全ての原料(化石燃料とバイオマス)を初めの段階から混合し処理する、co-processing(混合改質または共処理)と呼ばれる方法によってバイオ燃料混合製品を製造するリファイナリーが主流となっている。既存の石油精製所の設備やインフラを最大限利用できることから、低コストおよび最短期間で既存施設を改修し、混合燃料を生産できるというメリットがある(例えば後述するSAFでは規制によって混合比が決まっている)。

2025年1月からEUによるSAFの混合規制も開始され、再生可能ディーゼルの需要も増加しているが、欧州のバイオ燃料市場は需要が供給量を十分吸収できておらず、バイオ燃料生産事業者の精製マージンは低迷し、業績は振るわない。2022年のエネルギー危機が去り、欧州は元々バイオ燃料の需給が緩む地合いにあった。経済の不振に伴う燃料市場全体の減速に加え、直近のリファイナリーのバイオ燃料生産増強による供給増が加わり、市場は供給過多の状況となっていた。また規制の緩和も市況に大きな影響を与えた。スウェーデンは元々2010年比で軽油に対する30.5%、ガソリンに対する7.8%の温暖化ガス排出量削減という欧州最高水準の規制を定めていたが、エネルギー価格の高騰からどちらも24年に6%へと引き下げた。(ドロップイン燃料ではない)バイオディーゼルの場合軽油との混合比はB7(7%)に制限されるため、軽油で従来の規制値をクリアするためには、残りを(ドロップイン燃料である)再生可能ディーゼルで補う必要がある。したがって規制緩和の影響はバイオディーゼルだけでなく、再生可能ディーゼルにも及ぶ。スウェーデンの混合比の低下によって需要が減少し(スウェーデンの2024年の消費量は半分に低下)、供給過剰となったことから、2024年におけるバイオ・再生可能ディーゼルの欧州全体でのマージンは大きく縮小した(スウェーデンはその後2025年7月より10%に引き上げると発表)。

そのような状況の中、欧州のバイオ燃料の市場低迷を決定づけたのは豊富な廃食油(UCO)を原料とした中国産バイオディーゼルの輸入急増である(図26)。中国からのバイオディーゼルの輸出量はここ1、2年で大幅に増え、2023年には再生可能ディーゼルとの合計で210万トンに達し、その内の200万トンが欧州に輸出されたとする(EBBの統計では180万トン)。中国はバイオ・再生可能ディーゼルの原料として用いられる廃食油(UCO)の生産量が世界一であり(900万トン、米農務省)、これまでは廃食油(UCO)の輸出が主であった。しかし、中国からのバイオディーゼルの輸出急増によりドイツを始めとした欧州のバイオディーゼル生産者は市場価格の下落で大きな痛手を被っている。2023年にバイオディーゼルの価格が暴落し、EU最大の市場であるドイツでは、過去1年間で価格がほぼ50%下落し、事業者はこの2年間赤字経営を余儀なくされている(図27)。2024年8月、ドイツの大手バイオ燃料企業Landwärmeは、業績悪化のため倒産手続きに入った。さらにバイオ・再生可能ディーゼル用原料に加工される油脂作物(菜種)を栽培する農家も販売価格の低下に苦しむ。また、欧州で行き場を失ったバイオディーゼルは少しでも高値を求め、米国市場に流れ込んだ。米国の2017年9月から2022年10月までのバイオディーゼル輸入量は日量1万2,000バーレルに過ぎなかったが、2023年にかけて2倍の日量3万3,000バーレルとなった。最大の輸出国はドイツで、他にも欧州各国から輸入が急増している。

図26 中国産バイオディーゼルの欧州市場への流入と欧州の対応
図26 中国産バイオディーゼルの欧州市場への流入と欧州の対応
(出所: EIA他各種情報をもとにJOGMEC作成)
図27 バイオディーゼル生産事業者による事業縮小・遅延・再編・撤退
図27 バイオディーゼル生産事業者による事業縮小・遅延・再編・撤退
(出所: 各種情報をもとにJOGMEC作成)

米国の再生可能ディーゼルの需要は活発であるが、大型の再生可能ディーゼル生産プラントが立ち上がり、市場への供給量が増加する状況にあった。そうした中欧州産バイオディーゼルの輸入が急激に膨らみ、需給は更に緩む結果となった。米国では市況の低迷からバイオディーゼル生産プラントの運転を一時停止したり、再生可能ディーゼルの生産から石油精製に切り替える動きもある。中国産バイオディーゼルの欧州への流入が欧州生産事業者を圧迫し、行き場を失った欧州からのバイオディーゼルが米国市場に流れ込み、さらに米国のバイオ燃料市況に影響を与えるという玉突き現象が生まれている。

このような状況の中欧州のバイオディーゼル生産者団体European Biodiesel Board(EBB)は中国から流入するバイオ・再生可能ディーゼルのアンチダンピング違反の可能性について欧州委員会に訴え、欧州委員会は2023年からアンチダンピング調査を開始、その結果を受けて2024年7月、12.8% から36.4%(中国の生産事業者ごとに異なる)の暫定アンチダンピング関税を提案した。最終的に欧州委員会は調査を継続し、2025年2月、10.0%から35.6%のアンチダンピング関税が、中国から輸入されたバイオ・再生可能ディーゼルに対し課せられることが正式に決定した。

一方、この決定では中国から輸入されるSAF(持続可能な航空燃料)はアンチダンピング関税の適用除外となった。業界内では今後中国産SAFの輸入増加の懸念を抱く声も上がっている。また中国から輸入される廃食油(UCO)やバイオ・再生可能ディーゼルには許可されていない植物油(食料との競合あるいは間接的土地利用変化リスクといった問題を招く可能性)が一部含まれる、あるいは原料として混入しているとの懸念が指摘されており(Transport & Environment等)、アンチダンピング関税だけでは全ての問題解決とはならず、認証手続きの見直し・強化を訴える声もある。またもう1点の懸念材料として欧州はバイオ・再生可能ディーゼルやSAF(持続可能な航空燃料)の生産に多くの中国産廃食油(UCO)を利用しているが(中国は年間160万トンのUCOを輸出に回しており、その内100万トン近くが欧州に輸出されている)、今後欧州のアンチダンピング関税の導入により中国側が対抗措置として廃食油(UCO)の輸出を制限する可能性も否定できない。

 

4)b SAF(持続可能な航空燃料)

EUはFit for 55(「2030 年までに温暖化ガス排出量を少なくとも55%削減する」という目標達成に向けた一連の政策パッケージ)の一部として航空セクターの脱炭素を促進するため、SAFの航空燃料への混合割合を定めたReFuelEU Aviationを導入した。2023年4月、欧州議会・理事会で承認を受け、欧州の空港を離陸する航空機に対し2025年1月から表2に示されるようなSAFの航空燃料への混合を義務化している。またサブターゲットとして2030年からはe-SAF(グリーン水素とCCUで回収したCO2をもとに製造された合成燃料、総称してPtLとも呼ばれる)の混合割合も規定されている。英国でもこれと並行してやはり2025年1月よりUK SAF Mandate が施行を開始している(表2)。この規制のユニークな点は原料供給に制限のあるHEFAベースのSAF(廃食油や獣脂といった廃棄物を原料として利用するため、原料調達が困難となる可能性がある)の使用上限をサブターゲットとして設けていることである。

2022年、国連の国際民間航空機関(ICAO)は2050年までに国際航空の炭素排出量をゼロにするという長期的な世界目標を設定し、これに対し加盟する184カ国が賛同した。ICAOは国際航空分野のGHG排出量削減のためにカーボンオフセット(炭素相殺)・削減制度(CORSIA)[12] を2021年から2023年までに試験運営しており、2024年からは126カ国の航空会社が自発的に参加している。同プログラムは2027年から義務化され、世界中のすべての航空会社に適用されることになっている。CORSIAプログラムの義務化を控え、各国でもSAF混合比率の規制・目標の導入が始まっている(例、各国のSAF混合比率: インド、2027年1%、2030年5%、2037年10%、シンガポール、2026年1%、2030年3%から5%、韓国、2027年1%、UAE、2031年1%、マレーシア、2026/2027年1%、インドネシア、2027年1%、タイ、2026年1%、ブラジル、2027年空輸の温暖化ガス排出量1%削減他)。また航空会社、空港、物流企業では2030年にSAF混合比率を10%とする自主規制の動きも生まれており、こういった空輸の利用者や関連事業者による自主的な動きは年々活発化している。

表2 ReFuelEU AviationおよびUK SAF Mandateによる年ごとのSAF混合割合
表2 ReFuelEU AviationおよびUK SAF Mandateによる年ごとのSAF混合割合

電化の困難な航空機の場合、今のところ唯一の有効な脱炭素の手段はSAFとされており、将来の市場の拡大期待から事業者の関心は高い。混合義務規制の導入や陸運向けのバイオ・再生可能燃料市場の低迷から、多くの事業計画が立ち上がっているSAFではあるが、想定通りには市場が拡大していない。IATA (国際航空運送協会)の報告では2023年のSAFの消費量は約50万トンで、2024年は2025年の欧州における規制導入に向けSAFの需要が大幅に伸び、年150万となると予想していた。まさにSAF元年の到来である。しかし、実際の消費量は100万トンに留まった。SAF製造の業界トップであるNesteの業績も冴えない。Neste は年間373万トンの再生可能燃料を生産し、その内41万トンがSAFとなっている。市況の悪化により2023年1トン当たり813US$であった再生可能燃料の販売マージンは、2024年には1トン当たり242US$に落ち込んでいる(図28右側のグラフ)。一方で同社の石油製品のマージンは同期間で1バーレル当たり16.7US$から15.1US$に低下しただけなので、再生可能燃料に特化した市況の動きであることがいえる。この再生可能燃料全体の市況の悪化に引きずられ、SAFの収益も冴えない。利益の2/3が再生可能燃料関連であるNesteは、再生可能燃料の市況がそのまま事業収益に直結するため、2024年第2四半期の調整後利益(EBITDA)は2億4,000万€に留まり、前年同期の7億8,400万€から大きく低下した。このことにより同社は、組織の統合・簡素化、ポストやコストの削減(年約5,000万€相当)による収益の改善が急務となっている。

2025年4月、TotalEnergiesはGrandpuits製油所のバイオリファイナリーへの転換(前出「3)b オンサイト水素事業」項参照)を2025年央から2026年に先延ばしすると発表した。他にも再生可能燃料・SAFの市況の悪化を受け、事業延期・中断・撤退が相次いでいる(図28右下)。SAF混合義務を規定するReFuelEU AviationとUK SAF Mandateが導入され、2025年の欧州におけるSAFの需要は80万トンから100万トンを超える可能性があると予想される反面、2025年はEniのLivornoリファイナリー、GalpのSinesリファイナリー、MoeveのLa Rabidaリファイナリーによって欧州市場には新たな生産能力が追加され、欧州全体のSAF生産能力は需要をはるかに超える(FGE他)と見られている(実際の生産量は他の再生可能燃料とのバランスで決定)。

図28 SAF混合義務規制導入後も不透明なSAF市場
図28 SAF混合義務規制導入後も不透明なSAF市場
出所: Neste投資家向け資料等を参考にJOGMEC作成

欧州では既存の石油精製所を改造し、低コストおよび短期間で施設の立ち上げが可能なco-processing(混合改質または共処理)が主流であることも、欧州で再生可能燃料・SAF生産が急速に拡大する一因となっている。ReFuelEU AviationおよびUK SAF Mandate では2029年まで2%のSAF混合割合が継続されるため(2030年からはそれぞれ6%と10%、表2参照)、自主的なSAFの導入が進まない限り、今後数年間は「規制市場」によるSAFの急激な増加は見込めない。再生可能燃料・SAF生産において事業延期・中断・撤退が相次ぐ背景にはそのような事情もある。

SAF市場の低迷の要因は需要側にもある。2025年3月に欧州航空安全機関(EASA)が発表した2024年のSAFの1トン当たりの平均価格は、SAF供給の100%近くを占めるバイオマスベース(HEFA)のSAFが2,085€、合成燃料(e-SAF)が7,695€、それに対してケロシン(ジェット燃料)と呼ばれる従来の石油ベースの航空燃料は734€であり、SAFの価格はまだ相当高い。それに比べ航空会社の運航マージンは5%以下と言われ、一般的に経営は厳しい。「サーチャージ」によって燃料費の値上がりを航空運賃に反映させる方法もあるが、格安航空会社(LCC)の市場参入といった過酷な市場競争もあり、現在の価格レベルでは、なかなか規制の枠を超えたSAFの導入には踏み切れない。

このような状況の中にあり、法規制でSAFの混合義務を課すのは現在欧州域内に限られる。そのためSAFの生産で先行するアジア、中東、アメリカ大陸のSAF生産施設は、一斉に欧州市場を目指すというような状況が生まれている。例えばSAF生産では世界最大と言われるNesteが操業するシンガポールリファイナリーは、最大で年間100万トンのSAFが生産可能とされるが、生産したSAFのほとんどは欧州に輸出されている。米国はバイデン政権の掲げたSAF Grand Challengeやインフレ削減法の45Z(税額控除のインセンティブ)によってSAF需要の大幅な伸び(2030年時点でSAF Grand Challenge目標達成のためのSAF必要量は年間900万トン)が期待され、大型の(SAF生産が可能な)再生可能燃料プラントが立ち上がっているが、トランプ政権の誕生によりSAF Grand Challengeの継続も、SAF市場の拡大も不透明感が増している。また現在中国のSAFの生産は年間20万トン程度とされるが(全てが輸出向け)、今後は輸出を前提としたSAFの生産が増える可能性がある。2024年3月にはTotalEnergiesと中国のSinopecがSinopecのリファイナリーにおいて年産23万トンのSAF生産事業を共同で開発することで合意した。EVやLNGトラックの急拡大で石油燃料製品の販売が振るわない中国の石油精製部門が、co-processing(共処理)のような安価で簡易な方法で、SAFを混合するジェット燃料の生産を増やす可能性もある(中国のバイオ・再生可能ディーゼルに対するダンピング関税にSAFは対象外)。世界で唯一SAFの混合規制導入が進む欧州市場を目掛け、米国、中国あるいは世界中から生産の先行するSAFが殺到し、既に「レッドオーシャン(競争が激しい既存市場)」化しつつある欧州において、SAFの市場競争がさらに激化する可能性も捨てきれない。

SAFの普及が進まない根本的原因は、石油ベースのジェット燃料とSAFとの価格差にある。したがって消費者側(航空会社等)からSAF購入の補助金やインセンティブの提供を求める声は強い。このような状況の中2025年2月、欧州委員会はSAFの使用を加速するためのEU-ETS(欧州排出量取引制度)による支援システムに関する規則を採択した。SAF混合義務導入に伴い、EU-ETSにおいても空輸の温暖化ガス排出量に対する規制が強化される。これまで航空会社に提供されてきた無償での排出枠(EU Allowance、EUA)が徐々に削減され、2026年には完全に撤廃される(排出された温暖化ガスは100%オークションによる対応となる)。この支援システムの中では2024年1月1日から2,000万EUA(排出枠)が準備され、航空会社は2024年に実際に購入したSAF(再生可能エネルギー由来の燃料や先進的なバイオ燃料)を申告し、SAFの公開市場価格か実際の支払価格をもとに定められた各自の割当てに応じ、EUA(排出枠)を受け取ることができる。

英国政府も2025年2月、SAF産業を支援するための収益確保メカニズム「SAF Revenue Support Mechanism[13]」に関する法案の公開協議を開始した。このメカニズムは、SAF生産者に安定した収益を保証し、投資を促進することを目的とし、化石燃料を供給する航空燃料供給業者に賦課金を課し、それを原資としてSAF生産者の投資を支援する。政府は、2025年末までに、収益確保メカニズムに必要なすべての支援法案を導入することを目指している。

3. 欧州が抱える課題とその対応

「1) 電力」の項で紹介したように、欧州の電力セクターにおける炭素強度は、欧州以外の地域が電力の脱炭素化で苦労する中(世界平均は481g-CO2/kWh)、1990年の501g-CO2/kWhから2023年には244g-CO2/kWhへと大きく縮小し、2024年には欧州の全電力量に占める再生可能エネルギーの割合は48%に達している。一見、欧州の脱炭素戦略は勝利を収めたように映るが、「脱炭素政策を維持した上で市場競争力の向上を目指す」という本来の目標からは大きく逸れてきた。欧州は脱炭素をキーワードに、それに付随するEV、太陽電池、リチウムイオン電池、風力発電機、水電解槽といった技術で先頭を走り、それらの技術をレバレッジに産業構造の転換を図るはずが、いつの間にかそれらの技術を輸入に頼る状況になってしまっている。欧州の太陽電池の98%、リチウムイオン電池の75%は中国からの輸入であり、EHB(欧州水素銀行)の第1回オークションでも事業者の5割は、中国製の水電解槽で応札した。サプライチェーンにおいても中国への一極集中が進み、経済安全保障の観点からも、好ましい状況にはない。他のどのエリアよりもクリーンテック・脱炭素市場が拡大する欧州は、中国への依存がますます増加し、中国にとって欧州市場は最大のお得意先となっているという皮肉な結果を生んでいる。さらに2022年のロシアのウクライナ侵攻に端を発したエネルギー危機とその後の欧州エネルギー価格の高騰は、欧州経済に暗い影を落とし、エネルギー政策に関する産業界の不満も高まっている。

このような状況の中域内産業の競争力低下や炭素リーケージ(企業が生産拠点を排出対策の進んでいない国・地域に移転し、地球規模として排出量削減が進まないという問題)を防ぐ目的からEUはCBAM(炭素国境調整措置、Carbon Border Adjustment Mechanism)[14] の導入を決定した(2023年4月18日にFit for 55パッケージに関する5つの法律ひとつとしてEU理事会により採択)。CBAMは、EUで製造可能である製品において、炭素規制が不十分な国からの輸入品に対し、EU-ETSの炭素価格に連動した炭素賦課金を課す措置である。CBAMは2025年末まで報告義務としてのみ適用されるが、2026年以降は、セメント、アルミニウム、肥料、電気エネルギー生産、水素、鉄鋼、および一部の川下製品について実際に適用される。またCBAMはEU-ETS制度と連動しているため、これらの製品では排出割り当ての無償枠が、2026年から2034年までの9年間で段階的に廃止される。

CBAMはある意味欧州産業を守る防御の「盾」である。しかし、欧州製品に競争力がなければ域外の市場獲得どころか、失った域内の市場を取り戻すこともできない。攻めのための「矛」の政策も必要だ。2025年1月29日、欧州委員会はEUがエネルギーコストの低下や当局の許認可手続き負担の軽減、米中とのイノベーションギャップの縮小、安全保障の向上と域外依存の低減を目指し、脱炭素と競争力の推進を図るという指針、「EU競争力コンパス(EU Competitiveness Compass)」[15]を発表した。これは欧州委員会がMario Draghi前イタリア首相・欧州中央銀行総裁やEnrico Letta前イタリア首相宛に対し2023年に依頼した欧州の競争力に対する報告書、いわゆる「ドラギレポート」や「レッタレポート(Single Market)」に基づくものであり、欧州委員会のvon der Leyen委員長も2024年7月の再選の際、欧州の脱炭素路線を継続しながら産業の競争力回復を支援し、事務手続きの簡素化や許認可の加速化を実現させ、防衛力増強のための更なる投資を強調していた。また欧州委員会は2025年2月、エネルギー集約型産業とクリーンテック技術を対象とし、「EU競争力コンパス」の指針を具体的に実行するための計画「EUクリーン産業ディール(EU Clean Industrial Deal)[16]」とそれを補完するための「手頃なエネルギーのための行動計画(Affordable Energy Action Plan)[17]」を発表した(図29)。これらの計画では、燃料・原材料の共同調達、循環経済・エネルギーシステムの高効率化、柔軟な需給体制と統合型電力市場、域外パートナーシップといった施策を推進していく。また同日CSRD(企業の持続可能性報告指令)、CSDDD(企業の持続可能性デューデリジェンス指令)、CBAM等に対する実施時期の延期、適用除外基準の設定といった企業の報告負担を軽減し、簡素化するオムニバス法案も発表された。これらの計画では2030年までにクリーンテック製品主要部品の域内自給率を40%、循環型素材使用率を24%、経済全体の電化率を32%(現在21.3%)、年間100GWの再生可能エネルギーを導入し、年間1,300億€(2040年では2,600億€)のエネルギーコストの節約といった目標も定められた。

図29 「EUクリーン産業ディール」および「手頃なエネルギーのための行動計画」
図29 「EUクリーン産業ディール」および「手頃なエネルギーのための行動計画」

4. まとめ

一部の国を除いて世界的にエネルギートランジションのペースは減速しており、欧州においてもエネルギートランジションに一時の勢いは見られない。その背景には欧州固有の特徴、そして世界共通の課題が浮かび上がる(図30)。欧州の場合、厳格で硬直的な規制、事業インセンティブの不足、官僚主義による承認手続きの遅れが投資意欲を削ぎ、IRA(インフレ削減法)やIIJA(インフラ投資雇用法)が導入され、より魅力的なインセンティブが備わった米国市場へ投資資金が流出する。また、新型コロナウイルス感染症後の世界的共通課題である人件費・資機材費用の高騰、金利の上昇、サプライチェーンの分断が脱炭素・クリーンテック事業を直撃する。特に脱炭素・クリーンテック事業は資本集約型であり、これらの影響を受けやすい。こういった影響に加え、インフラの未整備、未成熟な技術や市場といった個別のクリーン技術(再生可能エネルギー、CCS、水素、バイオ燃料等)が抱える課題がある。さらに欧州固有の課題として、ロシア産ガス供給の大幅な減少に伴うエネルギー価格の高騰と安定供給の問題(エネルギー安全保障)とクリーンテック製品のサプライチェーンが中国一国に集中するという経済安全保障の問題というダブルの安全保障上の懸念が挙げられる。現在の秤の針はエネルギー価格や安定供給といったエネルギー安全保障の側に傾き、数年前のような「脱炭素」をより重視する地合いにはない、ということだろう。

図30 エネルギートランジションに関わる欧州の抱える課題とその対応
図30 エネルギートランジションに関わる欧州の抱える課題とその対応

このような状況の中原点に立ち返り、「脱炭素政策を維持した上で欧州産業の市場競争力の向上を目指す」という「EU競争力コンパス」や「EUクリーン産業ディール」が欧州委員会から打ち出された。併せて規制の簡素化・承認手続きの迅速化、「技術中立」の推進、理念や規制重視からよりpragmatic(現実的)なアプローチへの転換といったメッセージが発せられ、EUもこれまで産業界が強く求めてきた現実を重視した方向に舵を切ったことが認められる。さらに欧州水素銀行(EHB)や各国の助成制度による水素事業への補助、IPCEI(欧州共通利益に適合する重要プロジェクト)やCEF(EUのインフラプロジェクトを支援する政策パッケージ)による生産事業や関連インフラへの資金提供、SAFの価格差支援、特に英国で盛んなRAB(規制資産ベース)モデルやCfD(差額決済契約)メカニズムによる政府の支援、欧州域内の事業者の脱炭素コスト負担と同等の負担を海外の事業者にも求めるCBAM(炭素国境調整措置)による欧州産業の保護といった欧州産業の支援や保護政策も整備されてきている。これらの施策が域内にイノベーションを起こし、強固なサプライチェーンを築く助けとなり、脱炭素やクリーンテックに基づく競争力ある産業を発展させるという欧州の狙いがある。おそらくこれらの施策が欧州の産業力強化にプラスの影響をもたらすことは間違いないだろうが、欧州が域内にサプライチェーンを構築し、欧州の産業セクターが中国からの輸入品に代わり脱炭素・クリーンテック事業に部品や製品を供給するようになるということは、決して簡単な話ではない。欧州製のリチウムイオン電池と中国のリン酸鉄リチウムイオン電池とでは製造コストに2倍以上の差がある。仮に中国産のリチウムイオン電池がCBAMの対象となったとしても、とても対抗できない価格差である。少なくとも現実には新たな施策や支援制度の導入だけではとても埋めきれない競争力の差がある。

エネルギー問題に限らず現在欧州は米国との貿易摩擦や独自の防衛力強化といったこれまで経験してこなかったようなタフな難問に取り組まなければならない。財源の問題もあるし、ポピュリズム政党の台頭により、政権の安定運営にも懸念が生じている。またエネルギートランジションよりも優先度の高い事案も今後増えてくるであろう。どうもう一度エネルギートランジションを上昇軌道に乗せ、産業に輝きを取り戻すことができるのか、欧州の挑戦は続く。

 

[2] Important Project of Common European Interest: State of play
https://www.europarl.europa.eu/thinktank/en/document/EPRS_BRI(2022)729402(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[7] Electrolytic Hydrogen Production Allocation Round One
https://www.gov.uk/government/collections/hydrogen-allocation-rounds(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[8] H2Global
https://www.h2-global.org/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[9] European Hydrogen Backbone(EHB)イニシアティブ
https://www.ehb.eu/(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[10] 水素コアネットワーク(Hydrogen Core Network)計画
https://www.bundesnetzagentur.de/EN/Areas/Energy/HydrogenCoreNetwork/start.html(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[12] CORSIA(国際⺠間航空のためのカーボン・オフセットおよび削減スキーム)について(IGES)
https://www.iges.or.jp/sites/default/files/inline-files/0604_%E7%82%AD%E7%B4%A0%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF_CORSIA%EF%BC%88%E9%85%8D%E5%B8%83%E7%94%A8%EF%BC%89.pdf(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[14] Carbon Boarder Adjustment Mechanism (CBAM)
https://emissions-euets.com/carbon-border-adjustment-mechanism-cbam(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[15] EU競争力コンパス(EU Competitiveness Compass)
https://commission.europa.eu/topics/eu-competitiveness/competitiveness-compass_en(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[16] EUクリーン産業ディール(EU Clean Industrial Deal)
https://commission.europa.eu/topics/eu-competitiveness/clean-industrial-deal_en(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

[17] 手頃なエネルギーのための行動計画(Affordable Energy Action Plan)
https://energy.ec.europa.eu/strategy/affordable-energy_en(外部リンク)新しいウィンドウで開きます

 

以上

(この報告は2025年4月21日時点のものです)

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