ページ番号1005980 更新日 平成30年2月16日

イラク 2001 年―その政治、外交政策、経済、石油

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レポートID 1005980
作成日 2002-01-30 01:00:00 +0900
更新日 2018-02-16 10:50:18 +0900
公開フラグ 1
媒体 石油・天然ガスレビュー
分野 探鉱開発
著者
著者直接入力 Dr. Philip ROBINS
年度 2002
Vol 35
No 1
ページ数
抽出データ イラク2001年―その政治、外交政策、経済、石油Dr.フィリップ・ロビンズ(オックスフォード大学)本稿は英国の中東問題研究者の第一人者であるオックスフォード大学のDR.ロビンズに公団ロンドン事務所から「イラクの現状と今後」につき数回に亘る協議の上依頼したものである*。対テロ戦争開始の中でイラクへの対応,同国の動向が注目される中,本稿はその動向分析及び今後のイラクの方向の把握に参考になると思われる。1.はじめに本稿では,イラクが,現在,直面している問題及び同国の今後の見通しを考察してみる。まず第一章では,国内の政治情勢に焦点を当て,現政権がどの様な特徴を持ち,政治権力が実際にどの様に遂行されているかを分析し,更にはサダム・フセイン大統領の個人的側面及び指導者としての側面を追求した上で,同大統領の政治的寿命及び今後のシナリオを幾つか考察する。第二章では,イラクの外交政策を,地域内諸国との関係及び世界主要諸国との今後の関係に分けて考察する。特に同国の対外関係において石油が果す役割がポイントとなる。そして,最後に米国・イラク関係の今後の発展を予測する。第三章では,マクロの視点から経済環境を分析し,イラクの政治経済を背景に据えて,第一・第二章で取り上げた国内政治,対外関係,石油政策等の要素を総合的に考察する。2.要旨イラクは,政治的に中世の王国に匹敵し,現政権の行方は大統領官邸内で下される決断に左右される。*本稿は,米国ニューヨークでのテロ事件(2001年9月11日)が発生する以前(2001年7?8月)に執筆されたものです。イラク現政権の政治・経済は,犯罪組織のそれに類似している。違法な手段で手にした収入を支持者に与える報酬の源泉とし,個人的忠誠を確固としたものにしようとしている。フセイン大統領は,中東諸国の水準で見ても異例な指導者であり,超人的な自信,不屈の精神,神経の持ち主である。イラク経済は,戦争,経済制裁,政府の無策により根底から弱体化しており,1970年代には発展の可能性があることを証明したにも拘らず,当時の水準迄回復するには今後数十年かかると思われる。石油分野に関する戦略的主要事項の判断は,全て政治的意図及び現政権維持の目的に基づいて下されている。第一章:イラク国内政治1.フセイン大統領と国内政治イラクの現政権は,1968年7月にバース(Ba’th)党政権に取って代わって以来,33年間近く続いている。人口の約半数が18歳未満であることから,大多数の国民は現政権以外の支配を経験していない。従って,現代イラクの政治・文化及び政治的関係を理解する上で,現政権の特徴及び現政権の歴史を踏まえることが重要となる。今日のイラク政治を構成している主要素を考察する前に,過去33年間の間に起こった重要な事象2つを説明しておく。― 7 ―石油/天然ガス レビュー’02・1@ほぼ33年間を通して,サダム・フセイン(Saddam Hussain)大統領の性格がイラク政治に大きな影響を与えて来た。1968年のクーデタを起こしたのは軍部であり,バクール(Ahmad Hasan al-Bakr)将軍が革命後の大統領となったが,国家保安部隊の統率力を強めることにより政権を統合したのは,バクールの血族である,当時,若年のフセイン氏であった。同氏はその後1976年に事実上の支配者となり,1979年には名実共に同国の指導者となった。つまり,バクールをレーニンとすれば,フセイン氏はスターリンであったと言える。②1968年の政権交代以来,イラクは絶え間ない混迷状態にある。1968年以降の10年間は,強力な政治機関がないまま,クーデタ世代の指導者らが無秩序な方法で上下関係を確立しようとし政権内の勢力争いが続いた。この様な局面が落着いた後も,政治不安は消えなかった。フセインが同国の指導者として台頭するや否や,イラクはイランとの8年戦争(1980?1988年)に突入し,膨大な支出と人命を費やすことになった。更に,イラクとの戦争が終結したかと思うと,今度はイラクはクウェートに侵入,米空軍による激しい空爆に会い,国際社会による11年間の制裁を受けることになった。9年間の戦争,11年間の制裁,革命に続く10年間の内乱を経験した国が物理的にも心理的にも大きな痛手を負わずにはいられない。つまり,イラクの負った傷は非常に深く,その傷跡は今後何十年も消えないと思われる。フセイン大統領の政治生命が長く続いており,しかも,同大統領がイラクの政治体制を完全支配して来たため,ある意味ではイラクの動向を観察することは容易である。イラクで,今後,何が起こるかを知りたければ,フセイン大統領だけを注視していればよい。これは,イラクの政治形態を見れば明白である。国家元首から党事務総長,軍司令官迄,主要な地位は全てフセイン大統領が占めている。従って,イラクの政治は「ワンマン」体制(中東で言われる「ワンブレット」政治体制)であるとの印象を受けるが,この印象は,フセイン大統領がしばしば気まぐれの様に政府要人を据え替えることにより更に強まる。フセイン大統領は政府要人を突然解任した後,再び復職させたりもしている。これは,同大統領だけが彼らに政治権力を与えることが出来ることを衆知させるための一つの手段である。フセイン大統領がイラクの絶対的指導者であることに議論の余地はなく,30年余りの間に一国を私物化してしまったが,同大統領にそれだけ力があると見なすのは間違いである。公共の場,事務所・ビル内に同大統領の巨大な肖像画やポスターが飾られているのも,同大統領の完全支配力を反映しているよりは,そうであるとのイメージを人々の心に焼付ける心理的効果を狙っている。実際,フセイン大統領が強力に見えるのは,情報部及び保安部(威圧的エリート集団で,人口に占める割合は,同家族を含めて僅か2?3%)と共に栄光ある軍隊が支配する保安国家の統括者の地位にいるからでしかない。従って,フセイン大統領が国内で強力な肖像を維持するためにはその様な組織内の上中層者達の忠誠を確保せねばならない。これらの者達はフセイン大統領の属するアル・ブ・ナスル(al-bu-Nasr)族,同大統領の出身地テイクリート(Tikrit),イラク北西にあるスンニー派アラブ族出身の者が圧倒的に多いことから*,現実として,フセイン大統領は,政権のこれら中核部分に属する個人や派閥間の調停者となってしまっている。その意味では,フセイン大統領は中世の君主に類似しており,一つ間違えば,重大な支持者間の争い,或いは政府要人・部族らの離反を招くことになり,そのため将来,大統領の座が危うくなる恐れがある。*イラクの人口(2,100万人)は,主にアラブ多数派シーア派(総人口の約60%,1,260万人),アラブ少数派スンニー派(総人口の約18%,370万人。不均等な程大きな勢力を持つ),スンニー派クルド族(総人口の約20%,420万人)の3つから成っている。2.現状維持は可能かイラクの現状維持に対する主なリスクとし石油/天然ガス レビュー’02・1― 8 ―ト,①亡命者組織,②国民からの自発的挑戦,③国家機関,④政権中枢数部の4つの要素が考えられる。リスクは其々異なる種類のものである。以下に各リスク毎に考察して見た。(1)亡命者組織の脅威政治的亡命者組織からのリスクが最も認識し易いことは確かである。これは,イラクの政権交代をもたらす可能性があるというより,亡命者組織が認識し易い特徴を持っているためである。イラク国外に在住する亡命者らは,イラク国内にいるよりも遥かに自由に組織化し,声明発表を行うことが出来る。しかし,欧米及び地域内での存在感が高い割には,実際にはこれらの亡命者は纏まりがなく,過去10年間,イラク政治に殆ど影響を与えていない。歴史的に見てイラク政権が極めて弱体化していた1990年代も,亡命中の反政府勢力が効果的な活動を行うに至らなかった理由は幾つもある。例えば,①宗派や民族毎に組織を形成する傾向があるために内部分裂していること,②相反する思惑を持った様々な第三者がそれら分裂したグループを支援することによって分裂が更に深まっていること,③数十年以上祖国を離れている亡命者が多いことから,イラク国内に有効な接触者を持たないこと等である。知名度の高いイラク亡命組織① イラク国民議会(INC:Iraqi NationalCongress)ロンドンを拠点とした上部団体で,リーダー格で最も知名度の高いのは元銀行家のチャラビ氏(Dr Ahmad Chalabi)である。現在,米国議会がイラク現政権打倒を目的とした活動を行っている組織に対して配分する資金の大半は同団体が受取っている。INCには,クルド族の二大分派であるKDP及びPUK,中庸シーア派聖職者の他,多くの非宗教的人々が属している。INCの大きな弱点は,スンニー派亡命者の賛同を得ることが出来ずにいることと,1994年以来,クルド族内部に摩擦があることである。②イラク国家の調和(INA:Iraqi NationalAccord)政権の座を追われたバース(Ba’th)党員及び比較的最近亡命したイラク人が形成した組織であり,1990年代末期に米国政府の支援を受けていた。イラクの政治体制の仕組みを最も理解している点で有利であるが,其れ故にイラク現政権側から動きを見抜かれ,操作され易い。③イラク・イスラム教徒革命最高評議会(Supreme Council for the islamic Revolutionin Iraq)イラク南部の著名な聖職者一家から出たハキム(Muhammed Bakr al-Hakim)氏を指導者とし,イランに本拠地を置くシーア派グループである。米国の支援には懐疑的である一方,イラン政府の政治的圧力を受け易い。1970年代にイランに亡命したシーア派イラク人50万人の中には同グループを支持する者が多く,3万人から成るアル・バクール(al-Bakr)戦闘部隊に参加している者も多いが,そのシーア派亡命者でさえ,他の多くのイラク亡命者同様,同グループはイランとの関係が強過ぎるとの不満を持っている。(2)国民からの自発的挑戦イラク軍がクウェートから追放されると,1991年初春にイラク南部で同国政権に対する国民の反乱が起こった。同反乱は,最終的に国内全18地方中17地方迄広がった。その進行過程及び結末を見れば,現時点でそれが起こったとしても成功しないしないことは明白である。1991年の国民による反乱が失敗に終ったのは,反乱が勃発するや否や,それがスンニー派の圧倒的支配に対するシーア派及びクルド族の反乱との取られ方をされてしまったからである。そのため,フセイン大統領が湾岸戦争で惨めな負け方をしたにも拘らず,スンニー派中核勢力は大統領支援に回った。しかも,反乱者は政府賛同者と見られる者に対して暴力で報復したため,益々,種族間の対立との感が強まることとなった。暴動に参加したイラク国民は,米国が支持を表明していたにも拘らず,実際には何もしてくれなかったことに消沈,それと共に反乱は立ち消えとなった。イラク国内の反政府活動家らは,当時の米国政府の無関心さを思い出すと今でも憤りを感じる様である。― 9 ―石油/天然ガス レビュー’02・1サ在,国民の自発的反乱が起こる可能性が低いと判断される理由は二つある。経済制裁を乗り越えようとする国民が遭遇している苦しみである。肉体的に脆弱し,生存することに必死になっている国民には暴力による反乱を起こす気力も時間もない。1996年以降は,国連との食糧・石油交換協定により,又,イラク政権が違法手段で入手・蓄積している資金により,一般国民も政府支持者も苦境から脱している。生活が改善に向かっており,政府が経済制裁解除及びイラクの国際社会復帰(何れも可能性が高まって来ている)の努力をしているとの見方がある限り,国民が反乱を起こすことはないであろう。だからと言って,国民の過半数が現政権を支持しているとか,将来的に国民の反乱が起こらないと言い切ることは出来ない。イラク国民は苦い思いをしており,怒りと焦燥を感じている。アルクット(Al Kut)やナシリヤ(Nasiriya)等の南部の街では政治とは全く疎遠な生活をしており,特にシーア派が圧倒的なサダム・シテイ(Saddam City)郊外等では貧困と不満が蔓延している。これらの街の住民がいつ迄もおとなしくしているとの保証はない。しかし,もし,今後,国民の反乱が起るとしたら,それが政権不調和の引金となるのではなく,政権不調和の結果として起こる可能性の方が大きい。国民の不満が真の原因となってイラク政治の構図が変わることは考え難い。(3)国家機関からの挑戦人民主義的な力に期待出来ないと感じた米国は,過去10年間に亘ってイラク軍部・国防関係機関の上層人物に期待を掛けて来た。米国の考え方は理論的には納得出来る。国家機関上層部の人物なら,威圧的な国家機関の中でも武装した,組織立った機関を管理する力があるため,大統領打倒のための有効手段を持っている。軍部・国防関係組織の上層部には野心家が多いであろう。1941年以来,イラクでは軍部が政治の中核的機関となっているが,フセイン大統領は一度も兵役経験がなく,このため,同大統領は軍部に対して常に疑惑を抱いて来た。現実には,フセイン大統領は,軍部に対して持っている自らの弱点を補う種々の対策を取って来た。例えば,軍司令官が軍部内でも国内全般でも個人的支持者を得ないようにし,国防・情報機関を数多く増設して,相互の行動を探り,報告させている。又,これらの機関の高官を定期的に総入替をしたり,共和国特別警護隊の忠実性を確保するために軍部を再編したり,大統領自身の行動を秘密に保っている。軍部・国防機関が政治的挑戦をして来る恐れがあることを認識した上でこれらを制圧するのにかなりの時間と労力を費やしていることを考えると,フセイン大統領が軍司令官に反乱を起こさせる様な過ちを犯すことはまずないであろう。そうは言っても,誰でも過ちは犯すものである。1958年の革命も,武装した軍の一部隊が首都近くに配置変えを許可された時に起こっている。現政権に対する国家機関からの脅威があるとしたら,以下の組織を注視。①共和国特別警護隊(SRG:SpecialRepublican Guard)○1990年代に共和国特別警護隊(SRG)の忠誠心が崩れると,同警護隊のエリート中のエリートによる新しい隊が形成された。SRGの忠誠心を保つために,現政権はSRGに最新の武器を支給すると共に,物質的利益を与えて来た。これに加えて,SRGの上層部にはイラクでも最も忠誠心の強い者達が配置されておりSRGの忠誠は絶対的になっている。つまり,SRGから背信分子が出た場合は,現政権にとり極めて大きな打撃となる。②情報・国防機関・組織これらの機関が圧倒的にフセイン大統領の親近者や家族により構成されていることを見ても,現政権にとりその重要性が窺われる。例えば,フセイン大統領の一族であるイブラヒム(Barzan Ibrahim)氏は,1980年代に総合情報局(General Intelligence Department)の最高責任者を務めていた。又,同大統領の息子であるクサイ・フセイン(Qusai Hussain)氏は,現在,特別防衛隊(Special Security Forces)を始めとした国防機関の大半を統括している③国家の英雄石油/天然ガス レビュー ’02・1―10―tセイン大統領は,イラク軍部の英雄的人物を公に褒め称えることは可能な限り避けて来たが,非常時には軍司令官を信頼せねばならないため,いつもないがしろにする訳にはいかない。イラン・イラク戦争で功績を挙げた将官であるラシド(Maher Abdul Rashid)氏や,1991年の暴動を収めたアハマド(Sultan HashimAhmad)氏(現国防相)等は国内で良く知られた人物であり,広く尊敬されている。これらの人物が,政権内でフセイン大統領に異議のある分子を纏める人物として,或いは,フセイン家の継承が不可能になった場合に信頼出来る代替候補者として重要になってくる。(4)政権内部者皮肉なことに,フセイン大統領及び政権の安定に最大の脅威となり得るのは,政権中枢部を占める人物と思われる。特にイラク政府に対して国内外から殆ど圧力がかかっていない時だからこそそれが言える。その可能性を推測するには,断続的に起こって来た事象を見ればよい。(例―1)フセイン大統領は1980年代に第二夫人を娶ることを決定し,サジダ(Sajida)第一夫人と急速に疎遠になっていった。恐らく,これが第一夫人の兄弟,次いでカイララ(AdnanKhairallah)国防相の死*の原因になっていたと推察される。又,同相の長男ウダイ(Uday)氏が,第二夫人と強い関連のあったフセイン大統領の側近を殺害したことも本件と関係があったと思われる。(例―2)イブラヒム(Barzan Ibrahim)氏の娘とウダイ(Uday)氏の婚約に関して,イブラヒム氏とウダイ氏が仲違いし,その後,実家に戻った妻をウダイが虐待したことが問題となった。(例―3)フセイン大統領の義理の息子2人の内,重要なのはアルマジッド(Hussain Kamil al-Majid)氏で,彼が密輸問題に纏わってウダイ氏と仲違*Adnan Khairallah国防相はヘリコプター墜落事故で死亡したが,事故原因は不明。フセイン大統領の指示で暗殺されたとの疑い有。いした後,1995年8月にヨルダンに逃亡した。アルマジッド氏はヨルダン国内で反政府分子の指導者になろうとしたが,翌1996年2月,イラクに帰国,その際,同氏の不忠の行為に対して憤慨した実兄弟,実父らとの間で銃撃戦となり,一族は全滅した。(例―4)1996年12月にウダイ暗殺事件が起こり,ウダイ氏が負傷した。政権内部の者からウダイ氏の動向に関する情報を得た者の仕業であるのは明白である。対外政策の決定や国内情勢の安定維持と共に,政権内部者による策略,要望,野心等を管理することは,フセイン大統領にとり重要なことである。その場合,同大統領は以下の3つの問題に注力してきた。①フセイン大統領にとり中核的親族グループであるアルブ・ナシル(Al-bu Nasr)の要求をうまく処理する。②異なるスンニー派親族グループの要求をうまく処理する。これらのグループは在住地や出身地毎に分れていることが多い。例えば,テクリテイス(Tikritis)とスママラ(Sammara)間の摩擦は過去30年間にも亘って現政権の政治の根底に流れている。③バース(Ba’th)党員からスンニー派アラブ種族,シーア派種族迄,様々な利権の異なるグループの期待感をうまく管理する。フセイン大統領は,以上の様な極めて複雑な課題を比較的巧みに対処して来た。同大統領の様に舞台裏工作に長けた人物であれば,それも当然である。しかし,過去を振返えると,フセイン大統領にも盲点がある。その好例は,長男ウダイ氏に寛大な扱いをし長男の気まぐれや短気さを黙認して来たことである(フセイン大統領自身が愛情のない家庭で育ったために,息子らの我侭を許す傾向有)。フセイン大統領が,死期が近づくことを強く認識し,血族による政権継承に焦りを感じて来るにつれ,この様な問題が政権中枢部の衝突を引起こす可能性が高くなる。―11―石油/天然ガス レビュー ’02・1R.今後のシナリオ次に,イラク政治の今後の見通しを考える。フセイン大統領がイラク政治を圧倒的に支配して来たことを認識した上で,同大統領の指導者としての才能及びフセイン大統領の今後の見通しに絞って3つのシナリオを提示する。(1)シナリオ1:フセイン大統領が権力を保持過去20年以上に亘って欧米ではフセイン大統領の最後が頻繁に予測されて来た。実際,イラン・イラク戦争中の1982年以降,屈辱的なクウェート撤退後の1991年,フセイン大統領の義理の息子2人が妻(大統領の娘)同伴でイラクから逃亡した後の1995年等は特にフセイン大統領が権力を維持することは不可能になったかの様に思われた。しかし,その度に,危機を乗り越え,かえって大統領の回復力及び不屈の性格に対する名声は益々高まっていった。従って,どの様なシナリオを考える場合でも,同大統領の指導者としての継続性を分析することから始めるべきである。フセイン大統領は現在62歳である。僅かに太り過ぎではあるが,長年に亘ってほぼ健康な状態を維持して来た。最近,重病に冒されているとの噂も何度となく聞かれ,2000年夏には癌を患っているとの話が飛び交うに至ったが,何れの噂にも根拠はない。実際,公の場での様子を見ても,又,実務量からしても,同大統領が重病を患っているとは思われない。次男を後継者にするために鍛えているという事実を根拠に,フセイン大統領の時代は終焉に近づいているとの見方もある。しかし,その確固とした証拠はない。年齢的に考え,又,比較的健康で,事実上は暗殺の可能性もないことから,フセイン大統領が更に10年間以上,イラクの指導者として君臨する可能性は十分にある。当面,フセイン大統領がイラク政治を支配し続けるとすれば,引続き,近隣諸国及び欧米諸国との間に問題が絶えないことになる。これは,フセイン大統領がイデオロギーに執着した政治家だからではなく,それどころか,同大統領は頑固な現実主義者であり,国内での自らの地位を保持・強化し,海外に対する影響力を増大させるにはどうすればよいかだけに気を取られている。従って,もし必要とあれば,フセイン大統領は米国,イスラエルを含め,誰とでも友好を回復するであろう。バース党に関しては,1970年代以降変化はない。つまり,イデオロギーを装っているが,哲学的な考えに基づいて国の政策をすることよりも,フセイン大統領の行為を事後的に正当化することに必死になっている。従って,これ迄の「敵」との関係を改善する場合,イラク国内よりも海外諸国との間にある障害の方が大きい。米国は,過去10年以上に亘って直接フセイン大統領個人に対する敵意のある宣伝を継続して来たことを考えると,イラクとの友好回復の政策は保有していないであろう。一方,イスラエル及びサウジアラビアには,1991年のイラクによるスカッド・ミサイル攻撃の記憶が未だに残っている。他のイラク近隣諸国の中には,特にイランは,引続きフセイン大統領を一国の指導者として受入れるには余りに気まぐれ,且つ,信頼出来ない人物と見なしている国もある。改心の動機がない限り,フセイン大統領は今後も好ましくない行為を重ねて行くと思われる。イスラエル占領地のパレスチナ住民による新抗議運動を利用して更に広範囲のアラブ人民を味方にしようとしたり,原油供給を不安定にすることによりOPECの計画を撹乱させたり,或いはクウェート・サウジ国境に軍隊を配置したりするであろう。そして,米国政府はフセイン大統領がイラクの指導者である限り,同国を「無頼者」の国と見なし続けるであろう。(2)シナリオ2:秩序ある政権移行遅かれ早かれ,フセイン大統領はイラクの政治界から姿を消すことになる。その際,フセイン大統領は,出来れば血族の人物を後継者とし,秩序ある政権移行を確保しようとするであろう。過去3?4年の間に,フセイン大統領が次男クサイ(Qusai)氏の政権継承を望んでいることが益々明らかになって来た。長男は余りに不安定な性格であるとの見方が広がっており,石油/天然ガス レビュー ’02・1―12―煤C暗殺未遂により肉体的に不適切になったためである。クサイ氏の継承が確実になって来たことは以下の3つのことからも判る。①重要な国防・情報機関に関するクサイ氏の統括範囲が益々広がっている。同氏はフセイン大統領の身辺警護の直接責任者でもある。②党内でも国家評議会内でもクサイ氏が占める公的地位の数が増えている。父親に次ぐ地位を与えられている。③クサイ氏がフセイン大統領の後継者に決定し,それが一族評議会により承認された(非公式な評議会ではあるが,血族関係を重んじるアラブ社会では極めて影響力が有る)との噂がイラク政府内より流れている。これらの噂をイラク政府が全く否定していないことを考えると,イラク政府が故意に流している可能性が有る。クサイ氏の政権継承に関してイラク及びその周辺諸国,何よりもイラク政府内の意見を事前に調停しておけば,それだけ容易に受入れられるであろう。フセイン大統領とクサイ氏は,1999年にヨルダン及びバーレーンで,又,2000年6月にはバース党が支配するシリアでも血族による政権継承が首尾よく実現したことに自らの期待を膨らませたはずである。シリアではアル・アサド(Hafez al-Asad)大統領の死去後,同大統領の息子の一人バシャール(Bashar)氏が政権を継承した。確かに,シリアの例を見ると,イラクでも血族による政権継承が可能であるかに思われるが,両国の状況には違いがあることも忘れてはならない。第一に,故ハフェズ(Hafez)大統領の統治力はフセイン大統領のそれより遥かに確実で競合者も少なかった。第二に,シリアの権力階層の方がより安定しており,透明感がある。つまり,バシャール氏の継承は60人程度の実力者の承認を得るだけで現実した。第三に,イラクの政治・経済はシリアの場合より遥かに悪化している。これらの理由*2000年末時点でイラクの原油確認埋蔵量は保守的に見積もっても1.125億bblとされていたが,実際には,2,500億bblに及ぶと見られる。1990年の経済制裁開始前の同国原油生産能力は380万B/Dであった。イラクは生産能力を現在の280万B/D(短期間では300万B/D可能)から600万B/Dに増大させることを目指している。を考えると,クサイ氏の政権継承を確実視することは出来ない。クサイ氏が父親と同程度横暴で気紛れな人物であることにほぼ疑いの余地はない。イラクで政治機関を統括し,実権を維持するにはそれも必要であろう。しかし,狭い視野で政治を司れば,そのことがイラクの経済・政治改革の障害となったり,イラクにとり変動する国際秩序を受入れることが困難となる恐れがある。世界に対するクサイ氏の見方が父親と似通っている可能性が高く,米国との友好回復という点では,フセイン大統領の血統を次ぐ同氏が政権に着いた場合,見通しは殆ど改善しないであろう。クサイ氏がイラク大統領となった後も米国がイラクに対して慎重な姿勢を続ける公算が大きいが,今日のイランの様に,イラクを受け入れようとする国々が多く出てこよう。①イラクが生産コストの低い巨大な原油埋蔵量*を保持していること,②膨大な規模での国家再建を必要としていること,③政権交代により国内秩序が保たれる見通しであること等に魅力を感じ,多くの国や企業が我先にイラクとの取引を始めようとするであろう。国連による経済制裁も終焉に近づいた模様であることから,クサイ氏は大統領として国の自由化や民主化等の路線を敷く努力はせずとも,国の経済復興を期待することが出来よう。(3)シナリオ3:政治体制の崩壊クサイ氏への秩序ある政権継承の見通しが高まっているとしても,イラク政治体制の不透明さがその障害要因となろう。①同国の政治体制が制度化されていないこと,②フセイン大統領に反感を持つ者の恨みが蓄積されていること,③クサイ氏よりも年長で経験があり,大統領候補として適切であると自認している現体制内の人達がクサイ氏に個人的敵意を抱いていること等を考えると,円滑な政権交代は期待出来ないと思われる。究極的には,フセイン大統領の「最後」が来るタイミングとその時の状況による。当然,政権交代の時期が先になる程,フセイン大統領には継承者を準備する余裕が出来る。但し,フセイン大統領が長く患ったり,身―13―石油/天然ガス レビュー ’02・1フに支障が生じた場合は,既に指名されている後継者候補に対して政権内から挑戦者が出易くなることや,フセイン大統領の病死を待たずして暗殺を試みる者が出ることも考えられる。フセイン大統領が予定している後継者に挑戦するという不穏な動きがあれば,政権内にはそれを抹消しようと本能的に結集する者が多いと思われるため,その様な試みを制圧することは可能であろう。しかし,その場合,迅速且つ断固とした態度で臨まない限り,思惑の異なる者達,派閥,親族グループらが再び地の利を占めようと策動を始めるから,不満が蔓延する恐れが生じる。この様な状況では,政権を団結させる外部からの脅威的要因でもなければ,政権の中心部が崩壊するのは容易である。政権中枢部が内部分裂すれば,主要人物らが政治的・威圧的力量のある人物らを自らの味方にしようと必死になり内部紛争は急速に拡大して行く。状況がそこ迄悪化した場合は,イラクは短期間の流血的内乱或いは中央集権国家の崩壊の何れかの道を辿ることになる。①内乱政権内の紛争が長期化すれば,1991年春の様に,短期的であっても流血を伴う内乱に発展する可能性が出てくる。その場合,軍部も国家機関も直ちに巻き込まれて行くであろう。しかし,1991年当時は,政治の現状維持のためにスンニー派アラブ人及び共和国特別警護隊(SRG)がフセイン大統領の傘下に集結したが,本シナリオではその様な強力且つ圧倒的指導者がいないことになる。従って,内乱が1991年の時よりも長引き,見通しが立たない状態になる可能性がある。そうは言っても,フセイン大統領の様な存在となる人物が共和国特別警護隊(SRG)或いは信望の厚い元軍人等から出現する可能性がないとは言い切れない。その様な人物は,国の政治を支配して来た政治家らと「特権維持」と言う共通した欲望を持つスンニー派アラブ人になることにまず間違いはない。彼らが成功するか否かは,軍部の精鋭部隊を味方につけることが出来るか否かによる。軍の階級,威信,過去の栄光の心理的効果により,野心ある他の指導者達は彼らを支持しておけば,後になって名誉や政治的機会を失うことはないと考える。そうなれば,バース党及びフセイン大統領と関連の深い政治的派閥(含大統領親族)はほぼ確実に終焉を迎えることになる。国の指導者となったスンニー派アラブ人は,例えフセイン大統領の様な中央集権国家の独裁者になったとしても,フセイン大統領時代の残骸を撤去してくれるであろう。同シナリオが現実化することは,イラクの将来に非常に危険なことではあるが,少なくとも米国がイラク政府と改めて関係改善を求める姿勢を強める機会を与える可能性はある。②国家の崩壊1991年の反乱でフセイン大統領がスンニー派中核勢力を味方に回すことが出来たのは,さもないと「イラクがレバノンの様になる」との警告を出したからでもある。「レバノンの様になる」という意味をイラク国民は十分理解していた。1991年当時は,民族や宗教の違いが原因でイラクが分断されるリスクが極めて高かった。もし,ここで再び内乱が起これば同様な状況となり得る。政権中枢部での紛争が激化し,独裁的指導者がいないままの状態が長引けば,それだけ中央集権国家としてのイラクが崩壊する可能性も高まる。国家の分断は底辺層から起こる可能性が最も高い。国の内乱に直面した地方の種族・宗教的指導者達が地方レベルで秩序・安全を確保しようと試みるであろう。クルド族が圧倒的な北東部等の地域では,その様な指導者達や組織は1991年以降存在しており,地方内でも海外でも良く知られている。又,政治的紛争と共に宗教的権力争いも起こるであろう。国内の地域により内乱が沈静化するのにどの位かかるか,又,自治権を獲得する地域がどの程度出て来るか予測が難しい。そうなると,再びイラクを中央集権国家として復興させるにはどうすべきかという問題が生じる。近隣諸国でもシリアはイラク北西部のスンニー派アラブ人,イランはイラク南部の一部のシーア派に対して物質的・精神的援助を供与することにより,イラク再興の試みを阻むことになろう。その他に,イスラエル,サウジアラ石油/天然ガス レビュー ’02・1―14―rア,トルコ,そして米国が其々の意見を主張するであろう。力関係により,1975?1990年のレバノン内乱の際の様に,これらの支持国間で激しい戦闘が始まる恐れがある。イラク国内紛争も又それにより長期化し,多くの犠牲者が出ることになろう。最悪でも,イラクが多くの自治地区から成る,弱い非中央集権国家となることを願うばかりとなろう。(4)潜在性と現実との更なる乖離以上の様なシナリオが現実化することは,イラクやイラクの経済再建を支援することになる国々にとっても,又,炭化水素開発にとっても好ましいことではない。同シナリオが現実となれば,イラクは益々あらゆる面で支援を受けることが必要になるが,企業にしても国にしても,見通しが不透明なイラクに投資する意欲は失ってしまうであろう。国連による経済制裁下で許可されたとしても,石油上流分野を含め,イラクが海外直接投資を誘致する際にも障害が生じよう。海外企業は紛争の再発を恐れ,社員を派遣することもインフラ投資を行うことも控えるであろう。つまり,過去20年間もイラクの経済的潜在性と実績との間には非常に大きな乖離があったが,同シナリオが現実化すればそれがとてつもなく大きく広がる可能性がある。第二章:対外政策1.国連の経済制裁:イラクの対外政策に障害(1)国際社会復帰が最大の目標1990年8月,国連はクウェート侵略を実行したイラクに対して経済制裁を課すことにより同国を経済的にも政治的にも国際社会から疎外した。その後,間もなくクウェート占領は終了し*細菌,化学,核兵器の他,戦場外の距離迄ミサイル発射を可能とするミサイル発射システムが含まれる。1998年末迄は,国連関連機関はイラクには核兵器は存在しないと見なし,ミサイル蓄積量を大幅に減少させたが,細菌兵器に関する大きな懸念を表明,世界的不安をもたらした。化学兵器は比較的容易に作ることが出来るため,イラクが化学戦を開始出来る程の量を取得することは難しくない。たが,以後10年間,イラクは国際社会復帰を望みつつ,厳しい状況の中にあり続けた。イラク政権はこの国際社会復帰を国の最大の目標とし,それに近づきつつあるが,それも時間をかけた小さな進展の積み重ねに留まっている。フセイン大統領は,米国による同大統領打倒の試みに屈せず,又,その一方では厳格な経済制裁体制を維持して来たと自負するかもしれないが,それ以外に同大統領が過去10年間に達成したことは殆どない。(2)主要目標は制裁解除1990年代を通して,フセイン大統領の対外政策の主要目標は,「イラクの主権に関しては出来る限り妥協することなく,イラクに対する制裁の完全且つ公式的な解除を実現すること」であった。このことは,以下の主要対外政策事項を見ても明白である。①イラク政府は,制裁の部分的解除については,解除されない部分の制裁が継続されるのであれば,受入れる意向はないとして来た。食糧・石油交換協定(SCR986)に関しては,フセイン大統領は妥協を余儀なくされた。フセイン大統領が妥協を渋ったことにより1990年代を通して,イラクは約1,200億$相当の原油輸出収入を失った。②フセイン大統領が主権を保持する上で大きな問題となったのは,国連が1991年にイラクに課した武器査察である。イラク当局は国連の言う「大量破壊能力のある武器」*の査察を必死に拒否し,最終的に,1998年12月に国連査察団全員を国外に追放した。フセイン大統領自身,イラクが再び中東地域の主要国として復興するにはその様な武器が必要と見なしていることに疑いの余地はない。③イラクは,同国南北に指定された「飛行禁止区域」の合法性を認めていない。同区域内に侵入した航空機に挑戦したり,防空レーダー及び陸上防空システムを使ってそれを追尾したりすることは国の主権であるとしている。これを敵対的行為と解釈した米・英軍機が陸上防空システムに対する象徴的な攻撃を何回か行っている。―15―石油/天然ガス レビュー ’02・1ョ全且つ公式的な制裁解除を必死に目指しているとはいえ,イラクはこれ迄に殆ど成果を上げていない。成果と失敗の例を幾つか挙げる。(3)成功例①イラクは経済制裁により国民が人道的受難を受けているとし,米国に対する宣伝戦に勝利。その結果,米国政府は制裁が徐々に緩和されていくことを黙認せざるを得なくなっている。②イラクの原油輸出収入に上限を課そうという試みは全て断念されている。1990年代に原油価格の変動が激しくなった局面で不可能となった。結果として,イラクが国連管理下で使うことの出来る資金が増大している。③国連制裁委員会は,制裁体制の下にイラクがこれ迄にない大量の資材や製品の輸入を許可している。唯一,通信機器等の「二重目的」を果す恐れのある製品のみが完全制約を受けている。④イラクは,国連管理下にある原油収入を最高6億$迄使って,エネルギー分野に必要な部品その他必需品・サービスの輸入を再三要望,国連はやむなく認めている。⑤米国からの倫理的圧力にも拘らず,イラクに大使館を再び開設する国が増えている。NATO加盟国であるトルコでさえ2001年初頭にイラクとの公式関係を復活している。⑥イラクが国連管理外で輸出している原油(シリア経由)や石油製品(トルコ,湾岸諸国経由)の量が増加している。(4)失敗例①イラクが原油輸出から得る合法的収入は国連のエスクロ勘定(第三者管理口座)に一旦入るが,これに関してイラク政府が直接管理権を持たないとの国連経済制裁の核心部分は今でも守られている。しかも,米国は同部分の解除に関して拒否権を持っている。②イラクの収入からかなりの金額が差し引かれる。クウェート侵入により第三者国及びその企業,国民が蒙った損失に対する賠償金*(現在,国連管理下でイラク総収入の25%を占め,2070年迄有効),国連管理下でイラク北部のクルド族地域の救援・救済のための資金(同約12%),イラク関連の国連総運営費及び管理費の支払等である。③石油その他の分野に従事する海外企業は対イラク投資を行ったり,将来の投資の契約を締結することを禁じられている。④対イラク経済体制が解除されない限り,イラクとの国交を完全に復帰させることを躊躇う国はまだかなりある。⑤フセイン大統領は,イラクよりも欧米志向が強い近隣諸国に悪影響を与える力を持っているが,それを抑制出来たという意味で米国の対イラク制裁政策は成功している。2.対外関係及び優先国(1)過去10年間のイラク対外政策過去10年間のイラク対外政策の中心は,「経済制裁解除の目標達成を支援してくれる友好国を見付けると共に,それを妨げる非友好国を寄せ付けない様にすること」であった。発展途上諸国の多く,特に中国は,米国主導の対イラク制裁体制に対して本能的に違和感を感じてはいるが,それに反対して米国政府と対決しようとする国は殆どない。米国と摩擦のあるロシア*でさえ,少なくとも2001年に入る迄は,イラクの問題で米国政府との関係を危険に晒すことは避けたいと思っている。しかも,中東諸国にしてもその近隣諸国にしても,フセイン大統領に共感する国は少ない。セルビアのミロセビッチ(Slobodan Milosevic)大統領が打倒されたことは,政治的に親密な関係にあった人物を失った意味で,又,反米戦略を追求するリスクが高まった意味でフセイン大統領に大きな打撃となった。*イラクに対する賠償要求額は総額3,200億$。その内,個人からの要求額は僅か200億$。イラク政権交代の暁にはこれらの要求の殆どが取り消される公算が大きい。*ロシア政府が「スマート制裁」導入に真っ先に反対したことを考えると,状況は現在も不透明なままである。(2)イラクの対外政策の対応イラクは以下の3つの方法で既述の対外方針を達成しようとして来た。石油/天然ガス レビュー ’02・1―16―@一般に,イラクは既存の財政力を利用することにより,又,制裁解除後の優先扱いを約束することにより友好国との絆を強めようとして来た。前者の方法では,原油輸出契約の締結では圧倒的にロシア/ウクライナ系石油会社を優先して来た。又,主要産物から国連制裁委員会が禁止していない資機材迄,イラクに供給する契約を結ぶ相手国として,仏,中国,トルコ,シリア等の国々を選考している。この方法により,イラク貿易は過去10年間で完全に政治化してしまった。この様な戦略の成果は限定的である。ヨルダンではイラクに賛同する強力な経済圧力団体が再び活動を開始しているし,シリアでも同様な圧力団体が生まれつつある。又,世界主要国の中でも,仏及びロシアはイラク政権と密接な関係を保って来た。しかし,上述の戦略の効果が限定的でイラク政府は焦燥感を強めている。このため,絶望的なものであっても経済制裁解除への別の方策を模索し2000年夏には,イラクと原油輸入契約を締結している会社に対して,国連管理下のイラクエスクロ勘定に50C/Bの課徴金の支払を要求するに至った*。同要求を拒否したり,或いはイラクのその他の要求を受け入れなかったために,それ迄比較的良好であったイラクとの関係が悪化した国もあった。仏がその例である。②原油輸出政策を使ってOPEC,非OPEC加盟諸国,国際社会一般に対して影響力を与えている。イラク政府は,あらゆる目的,特に石油市場でのイラクの位置強化のために,定期的に原油輸出停止を仄めかすことをして来た。イラク政府は原油輸出停止で脅すことにより,政治的目的,特に経済制裁体制の様々な側面に関する目的を達成しようとすることが多い。その好例として,2001年6月,7月にイラクが国連の新しい「スマート制裁」決議案に反対して原油輸出を停止したことは記憶に新しい。同決議案の採択を阻止するとの目的が達成されると,少なくとも現在のところは原油輸出は再開された。ここで指摘しておきたいのは,1996年に食糧・原油交換協定が施行されて以来,現在程イラクが国連管理下での原油輸出を長期に亘って停止出来る状態にあったことがないと言うことである。1999年以降,又,原油価格の回復以降,イラクは国連のエスクロ勘定に使用目的の指定されていない資金をかなり蓄積して来た。これは国連の事務処理の遅れと政策がもたらした結果である。同資金は現在100億$を超えると推測される。つまり,現在,イラク政府は原油の輸出停止をこれ迄の様に1ヶ月以内に留めずとも,どこ迄国内状況を犠牲にするかにより国連管理下での食糧,医療,その他の必要資材の輸入を継続しながら12ヶ月間迄原油輸出停止を続けることが出来る*。この様に財政余力があるため,イラク政府は石油市況での原油価格の上昇を更に助長させることが出来る。③中東諸国の政府或いは直接国民にアピールする対外政策を利用することである。パレスチナ抗議運動に関して支援声明を発表したり,援助金を送ったり,又,自国のイスラム教徒の苦境に注目を集めることにより同情心を高める意思表示的な形を取ることが頻繁である。中東の大半の国々は,欧米諸国に同調的なアラブ首長国連邦(UAE)やサウジアラビアでさえも,現在ではイラク国民に対する本能的な同情心を抱いており,その責任が米国にあると確信している。イスラエル内に在住していようがヨルダンで難民となっていようが,パレスチナ人の間でフセイン大統領の人気が弱まらないのも驚くに足らない。しかし,やはり,この3つ目の戦略がもたらす効果も限定的である。ヨルダンは小国であり,その影響力も小さい。一方,パレスチナ人は自らの紛争に心を奪われている。*同要求はその後40C/Bに,次いで原油供給先により25C/B或いは30C/Bに引き下げられた。*最高12ヶ月間の原油輸出停止が可能の場合,国連管理体制下での年間の輸入額が約80億(1999年)?120億$(2000年)との数値に基づいて予測。(3)地域内各国もイラクに疑義この様な地域内対外政策は,上述の様にそれ程大きな成果をもたらさないだけではない。イ―17―石油/天然ガス レビュー ’02・1宴Nが地域内諸国間の関係を正常化しようと努力する過程において生じうる成果を限定的にしている。イラク政府がパレスチナ人に味方し,イスラエル及び米国を非難する闘争的な発言をして来たため,地域内諸国の政府は引続きフセイン大統領に対して疑惑を持っている。焦燥の挙句,イラク政府はサウジアラビア,クウェート,エジプト,トルコ各政府に対する非難を繰返しているが,それも地域内でイラクの主張が通らない原因となっている。又,多くの二国間問題(イランとの間でシャッタルアラブ河内にある国境問題が未解決であるために,お互いが相手国の反対勢力を支持していたり,既存の捕虜に関する紛争が続いていること等)があるためイランとの友好関係復活も遅れており,地域内で「無頼者」の国々が連合することに歯止めをかけている。(4)イラクの復帰願望と米国の封じ込め政策の狭間要するに,地域内諸国としてはイラクの政策に余りに多くの矛盾があり過ぎることに大きな不安を感じている。クウェートとイスラエルは,イラクが再び侵略的作意を持つのではないか(前者の場合は領土侵入,後者の場合は非従来型兵器の使用)と恐れている。サウジアラビアとシリアは1990?1991年に米国主導の「和平」を支持したことに対するイラクの復讐を警戒しているし,ヨルダンとレバノンは,地域内紛争に巻き込まれることを常に懸念している。このため,対イラク経済制裁の解除,イラクとの国交正常化,イラク封じ込め解除を望んではいない。しかし,その一方,各国々は,又,フセイン大統領を封じ込めておきたいがために突然思いもかけない対策を取ることを繰返して来た米国との関係を強めていると見なされることに不安感を増大させている。これ迄にも米国政府はイラクに対して幾度となく強い態度を表明し(例えば,1998年2月,11月,12月),その度に地域内諸国の支援を求めたが,しばらくすると米国政府は興味を失い,地域内諸国はイラク政府の非難を受けることになり,その復讐の脅威に晒されて来た。この様に「イラクの国際社会復帰」と「米国によるイラク政府封じ込め」のいずれを支持すべきかと言う,いずれも望ましくない選択肢を突付けられて来た地域内諸国は,何も積極的な態度を示さないのが無難との考え方を強めている。3.米国とイラク:今後の見通し(1)ブッシュ政権の対イラク政策ブッシュ大統領就任から半年程経った現在,米国の対イラク政策は混乱状態にある。①様々な政府機関,個人の異なる見解を纏めるための対イラク政策見直し作業は一貫性のある結論をもたらしていない。②現行の対イラク経済制裁よりも対象範囲を狭めた,より持続可能な新しい制裁体制(「スマート制裁」)の導入により制裁体制を安定化しようという試みに対して国連安全保障理事会の十分な支持を得ることが出来なかった。③米国政府は国家ミサイル防衛政策を正当化する目的で,米国が「無頼者」と見なしている中東諸国の脅威を例に挙げ,再び武装戦によりイラクに政権交代をもたらそうとしている。米国に友好的な中東諸国(除イスラエル)はこれに脅威を感じている。(2)疑惑と反感の中である程度の軍事的手段による意思表示の行使以上の3つのポイントに加え次のことを挙げておきたい。米国のエリート層を始めとした国民一般のイラクに対する反感は1990年代初期に頂点に達したが,現在でもそれは弱まっていない。ブッシュ元大統領の息子が大統領に就任したことによりイラク・米国間には未解決の問題があるという意識が蘇ったため,両国の友好関係回復の可能性は非常に低くなった。ブッシュ政権の対イラク政策は,クリントン前大統領のそれと類似してくる可能性が高い。つまり,「疑惑と反感のムードの中で時として非難の声やある程度の軍事的手段による意思表示が行われる」というものである。実際,フォード大統領の時代(1970年代中期)から歴代の米国大統石油/天然ガス レビュー ’02・1―18―フが,湾岸諸国との戦争を経験して来たのであり,ブッシュ現大統領がそうならないとの確固とした根拠はない。(3)イラク政権打倒を真剣に検討ブッシュ大統領がクリントン前大統領と大きく違うのはブッシュ大統領は,積極的にイラク政権打倒を目指すという「巻返しの政策」を真剣に検討している可能性がある。特に,「スマート制裁」導入に失敗し,国防省内のタカ派勢力が台頭して来た現在,その可能性が高い。しかし,ブッシュ大統領がもし行動に出たとしても,成果を挙げるのは極めて困難であろう。ブッシュ大統領が短期的にイスラエルの機嫌を取ることは出来ても,最終的には失敗する公算が大きい。欧州諸国の支持を期待することは出来ないし(英国はやむを得ず支持するかもしれないが),中国,ロシア,それに発展途上諸国の大半は米国に対して反感を抱くであろう。一方,米国に友好的な中東諸国は,地域内の緊張状態が高まることに戦慄を感じるであろう。中東諸国の支持もなく,国際社会一般の支援もなく,又,イラク政権に反対する纏まりのある亡命者組織もない状態では,ブッシュ大統領の「巻返し」策が成功するはずはない。(4)現状下では国際石油会社のイラク参入は現実とならず米国政府が対イラク政策に今後4年間も焦燥感を持ち続けたとしたら,フセイン大統領も政権の座にある限り同様に苛立ちと焦りに駆られた状態となろう。「スマート制裁」を導入するとの米国政府の試みに対してイラクがこれに反撃して阻止した様に,時にはイラクが言い分を通すことも出来るであろう。又,原油の密輸出の継続により,フセイン大統領は,政権維持には欠かせない50万人もの支持者や家族に報酬を*世界第一位はサウジアラビアで,埋蔵量は2,636億BBLと推測されている。国連による制裁体制下にあるイラクの石油分野の潜在性を正確に知ることは困難であるが,埋蔵量は世界第二のアラブ首長国連邦(UAE),クウェート,イランのそれを上回っている。(参考:BP統計では2000年末の残存確認埋蔵量は①サウジ:2,617億BBL,②イラク:1,125億BBL,③UAE:978億BBL,④クウエート:965億BBL,⑤イラン:897億BBL)与えることが出来る。しかし,米国が同意しなければ国連による制裁を完全に免れるのは困難である。この様な状況にある限り,通常なら原油価格が堅調であるのは,国連管理下での収入も密輸出による収入も増加するため,イラクにとっても有利のはずであるが,実際には不利な状態になってしまう可能性がある。何故なら,原油価格が暴落して切実な人道的根拠が発生しない限り,イラク産原油の必要性から国際石油会社によるイラクの石油開発が現実とならないからである。第三章:マクロ経済環境1.戦争と制裁の経済に対する影響(1)崩壊状態の経済構造イラク経済は極めて弱体化している。1970年代の原油価格高騰以来,国の収入が大幅に増加したために炭化水素資源への依存から抜け出せず,1980年代の戦争,1990年代の農業依存・密輸経済への傾倒の結果,恒久的に負債を抱えた状態に喘いでいる。同国の300万人にものぼる知識人は政治的理由からではなく,金銭的理由から国外に脱出し,国内に残してきた家族に仕送りをしている。その結果,イラクは機能的な中産階級を殆ど失ってしまった。又,真のリスクを冒すことなく体制に依存することにより私欲を満たす悪しき資本主義者は蔓延っていても,企業家階級は存在しない。農業,石油,密輸以外に経済活動が殆どないため,「正常な」経済分野の多くが崩壊してしまった。失業率も非常に高く,犯罪も蔓延している。自国通貨であるディーナールは事実上価値を失っている。主要産物は手に入るが,価格が激しく変動する。消費財はあっても大半の庶民には手が届かない程高価である。(2)潜在力と現実の乖離これは,イラクの持つ潜在性とは対照的な現実である。イラクは世界第二の原油埋蔵量*を持つだけでなく,他の中東諸国や途上諸国と比べて有利な状況にある。第一に,水に恵まれて―19―石油/天然ガス レビュー ’02・1\1 主要経済指標 1999年 300 22.25 2.52 143 10 1,3482000年 464 22.81 2.57 225 15 2,0342001年 365 23.38 2.10 139 16 1,5612002年 ? 23.96 ? ? ? ? 1989年 210 21.71 2.11 78 5 967人口(百万人) 原油生産量(百万B/D) 承認済輸出(億$) 非承認輸出(億$) 人口1人当所得($) *:推定値(可能な限り) DP(億$) Gいるため,飲用水に困らないだけでなく,農業面の潜在性も高い。又,歴史的にイラクの教育制度の水準が高く,労働者の水準は他のアラブ諸国に勝る。1991年の湾岸戦争により破損した道路,橋,発電設備が迅速に修復されたのも同国技術力の水準が高かったからである。しかし,侵塩により農業が衰退したため食糧供給は輸入に依存,飲料水媒介の病気が蔓延,若者一世代が教育機会を逃してしまったこと等から,現在ではこれらの分野が脆弱化し切ってしまった。僅か数人の政治的指導者の下にどれだけ国民の生活が荒廃してしまったかが伺われる。(3)最悪の状況は脱出か?○現在でも状況が極めて悪いことは確かであるが,イラク国民一人一人の視点では最悪の状態は過ぎたと思われる。国民が生きて行くのに必要なだけの食糧や医療品を輸入出来ない時代は終わった。最大限の原油輸出,政治的意図により輸出を停止することはあるが,により得た外貨収入は約150億$にも達する。国民一人当GDP*も,1996年には400$に迄低下したが,1,500$近辺に迄上昇している。国内総生産は350億$程度と見られる。原油輸出増により通貨*GDP:イラクのGDPを見積もることは極めて難しい。従って,数値よりもその傾向に焦点をあてることが重要である。これは原油からの収入とそれがどの様に出されるかに大きく影響される。ここに示した1999年の数値はEIU等の他の推測値より高水準であるが,これは,イラク経済の予測には国外で就業するイラク人からの未登録口座振替分を十分計算に入れていなかったり,同国経済崩壊により台頭したグレイ・エコノミーの大きな寄与度を勘案していないことが多いためである。**人口:1997年のイラク公式国勢調査(2,118万人)を基にした。ディーナールも1995年以前に比べて遥かに安定推移している。(4)放置状態の対応,解決策しかし,5年程前と比べて一般庶民の生活が改善したからと言って,必ずしも国として峠を越えたのではない。債務が膨張の一途にあり(現在,約1,550億$,GDP対比425%),長年の戦争や放置によりインフラが破壊され,問題の規模が実際にどれ位あるのか,誰にも予測がつかない。問題評価の試みは殆どなされておらず,到底,解決策を練る迄至っていない。国連による制裁が解除される迄はそのいずれに関しても,戦略的対処を期待することは出来きない。この様に考えると初めてイラク復興の前途にどれだけ大きな障害があるかが明白となる。2.債務増加の問題(1)膨張する債務イラクは過去20年間に亘って債務増加問題に悩まされて来た。海外債務は,商業債務(主に短期債務),湾岸各国との二国間債務(イラン・イラク戦争で1980年代に発生。総債務の40%超を占める。特定の返済期限なしと見られる。),湾岸諸国以外の国々との二国間債務(短期,長期債務。利子未払分も短期債務と見なされている)の3種類から成る。現在よりも原油生産量が多く,債務は非常に少なかった1980年代末期に債務返済に窮し(1988年の海外債務は総額750億$),海外債務不履行の瀬戸際迄行った。1990年8月に国連による経済制裁を課されて以来,イラクはこれらの海外債務返済義務を石油/天然ガス レビュー ’02・1―20―\2 イラクの海外債務 1999年 1,400億$ 800億$ 466% 979% 6,292$ 2000年 1,470億$ 840億$ 317% 653% 6,444$ 2001年* 1,550億$ 880億$ 425% 1,115% 6,630$ 2002年* 1,630億$ 930億$ ? ? 6,978$ 繰延べを要する債務* GDP対比総合債務割合 承認済輸出に対する 総合債務比率 人口1人当債務 合残高 総推定値(可能な限り) *総債務残高から湾岸各国との二国間債務(クウェート、サウジアラビアが大半)を差引いたもの 果たしていない。従って,同国債務の膨張は,債務の追加によるものではなく,未支払利子の累積による。(2)対外債務合計1,550億$(2001年)現時点での債務残高の内,商業債務の大部分は既に債権者毎に帳消しにされたと見られる。一方,湾岸各国との二国間債務は,イラク政府は正当な債務ではなく,イラン革命からアラブ世界を防衛するために必要な資金であったと見なしているため,返済される見込みは殆どない。残り650億$は,その殆どが対イラク経済制裁が解除された時点で同国との通商を望んでいる国々により繰延べ或いは帳消しされ,その上,新規融資も提供されよう。イラクの二国間債務の最大の貸手はロシアと仏,更にユーゴスラビア,日本等がそれに次ぐと見られる。イラクが国家再建に真剣に着手するためには,債務の繰延も帳消しも仕方がないと思われるが,巨額の債務を整理し,交渉・繰延迄行うには,かなりの時間が必要であろう。1980年代末期を振返っても,イラクの交渉者はかなり手強い相手であった。イラク政府は多角的交渉の過程を混乱させることに長けていた。その様にして時間をかけて押切ったものの,それ結果,その後の経済改革が進展したわけでもなく,又,投資に関する協力的関係が産まれたわけでもなかった。3.インフラに関する問題(1)発電能力の低下イラクがインフラ再建に本腰を入れ始めた時点で,その責任者は大きな財政的障害に直面するであろう。発電設備等はイランと米国からの集中爆撃を受けた。イラクの技術者がたゆみない努力と効率の良さで配電網修理に当ったものの,その過程で発電所の資機材を代用したため,1990年の時点で9,000MW(当時,同国の野心的な開発計画を成就するにはかなり低過ぎる水準と見なされていた)であったイラクの発電能力は,その10年後には3,600MW迄低下してしまった。発電能力の大幅な低減はその他の分野に悪影響を及ぼした。例えば,電力供給が不安定になったために,病院の冷蔵設備が作動せず,医薬品が使用不可となった。(2)医療,民間航空,教育面でもインフラ悪化それ以外の重要分野も同様或いは更に悪い状態にある。給水・下水分野も戦争による破損,部品不足,機能維持に必要な電力不足等の問題を抱えて来た。同国の衛生水準が急速に低下したのは同分野の不備が原因で,更に多数の医師が国外に逃亡したことにより問題が悪化した。他に,輸送・通信設備では新規に購入した資機材が,軍事目的で同設備を使用する恐れがあることから,国連による制裁の主要対象となっている。その結果,イラクの通信分野は少なくとも10年は時代遅れとなっている。同国にはインターネット・サービスの施設はない。1991年にイラクは一連の民間航空機を失った。これは,イランの空港に避難を求めて降立ったところを没収され,返還を拒否されたことによる。教育施設に関しても,過去10年間,海外からの投資が枯渇している。結果として,教育設備が不足,過去には中東諸国の羨望の的であった大学の図―21―石油/天然ガス レビュー ’02・1綜{設も1980年代末期から新規の書籍購入が途絶えている。4.石油と再建への道(1)魅力的な上流分野の潜在性最大手の国際石油会社にとって,イラクはサウジアラビアに次いで上流分野に大きな可能性を秘めた国である。埋蔵量の規模と生産コストの低さという点ではイラクはカスピ海やイラン(現在,同国の資源開発に関して競争が激化している)よりも遥かに魅力的存在である。石油上流分野を外資に開放することは,過去に,通常は急進派のバース党でさえ主権問題として反対することがあったにも拘らず,1980年代以降,イラクは「その用意がある」との意思表示をして来た。その時,対イラク投資の意欲を持つ国際石油会社が先を争って同国に進出しようとするであろう。仏及びロシアの石油会社はそれ迄の友好関係を理由に有利な条件を要求するであろう。一方,米国石油会社は,米国政府がイラクに対してより前向きな政策を取るよう働きかけることが出来るとして優先権を主張するであろう。英国その他の石油会社は,米国石油会社の様な政治的影響力の点で競合しようとはせず,経験と能力の点で他に勝ると主張するであろう。そうなれば,イラク政府は,誰がその時点で政権の座にいようとも,今後二世代に亘る国の対外・経済政策を立案する非常に重大な決断を下さねばならなくなる。少なくとも,イラクの指導者がこれ迄とは違った方法で欧米諸国を受入れねばならなくなるのは確かである。恐らく,イラクは北朝鮮方式を採用するしかないであろう。(2)当面,解除の見込みのない制裁(4)イラクが今後取ると思われる石油政策従って,過去11年間,イラクの石油を狙う者達はしびれを切らしてきた。現在迄の,国連による対イラク制裁体制下ではイラクの上流分野に対する直接海外投資は禁じられている。メジャーは対イラク制裁が解除される日は近いと期待し続けて来たが,希望的観測のままとなっている。一方,仏,ロシアを筆頭とした国際石油会社がイラク進出の日に備えて体制を整える動きが目立ち,中には書面による約束を交わした会社もあるというが,,どの様な努力をしても,結局,制裁が解除されない限りは殆ど価値のないことである。国連による対イラク制裁が徐々に緩和されてはいても,その中核部分が未だに継続されている理由は,①「フセイン大統領が政権を維持する」,②「イラクが大量殺戮武器の査察に協力することを拒んでいる」,③「米国政府のフセイン大統領に対する反感が消えていない」との3要素が同時に存在するからである。そのいずれも消滅する見通しがないことを考えると,対イラク制裁が近く解除される根拠は何もない。(3)進出を希望する石油会社しかし,最終的に何時かは制裁は解除される。誰が政権を握っているかに拘らず,又,政権内にどの様なイデオロギーの対立があろうが,現在のイラク状況を考えると,以下の様な政策を採用する公算が大きい。①今後数年間で原油・ガスの生産能力を倍以上に増大するという目的を達成するためには,イラクは原油・ガス上流分野開発に外資の参加を求めざるを得ない。自助努力で達成するだけの財政能力はない。海外債務水準を考えると,単に投資資金を借入れることも出来ない。海外からの投資が不可欠なのであるから,1980年代末期の時よりも積極的な姿勢が大切となる。対等なビジネス相手としてでなければ,メジャーを引きつけることは出来ない。②イラクは,一般的な政治面,経済面の目的達成のための戦略として,世界主要数ヶ国の複数の石油会社との関係確立を望むであろう。イラクには油・ガス田や探鉱鉱区が非常に数多くあるから,交渉にかなりの時間を費やすことにはなるかもしれないが問題はなかろう。イラクが選択する可能性が最も高いのは米国石油会社であろう。その理由は,米国が世界の圧倒的超大国であり,国際金融機関に対する大きな影響力を持っていることであ石油/天然ガス レビュー ’02・1―22―驕Bイラクは,又,米国の反感を買ったらどの様になるかを一番良く知っているからでもある。次に,貸付や債務の点でイラクに寛大な態度を取ると見込まれる仏石油会社である。1970年代?1980年代にイラクと仏の通商・対外関係が極めて良好であったことも勘案されよう。その他に,英国の「BP」等もイラク政府との提携が期待出来よう。但し,見通しは米・仏石油会社の場合程鮮明ではない。③イラクは切実に国の復興を願っており,それには巨額の資金が必要である(保守的に見ても500億$?1,000億$と推測)。このため,イラク政府は,海外企業の援助を受けて生産能力を増大させることにより,短期的にも長期的にも炭化水素からの収入を最大化することを願っている。勿論,イラクは名目上はOPEC加盟国であり続けるであろうが,OPECが生産方針を変更した場合,特に原油価格が軟調局面でOPECが減産を決定した場合に,イラクがそれに従うことは考え難い。サウジアラビアを始めとした近隣諸国は,OPECの中でイラクを特別扱いし続けるべきとするであろう。何故なら,北部湾岸諸国の安定を保つには,フセイン大統領が国の経済立て直しを押し進めるのを見守ることが最良の策であることを十分認識しているからである。従って,イラクとOPECの関係は現状維持となろう。④継続的且つ組織的方法でイラクが国の再建を始められる前に,商業債務及び非湾岸諸国との二国間債務を繰延する必要がある。これは,ロンドン/パリ・クラブを介して多角的ベースで行われるべきであろう。債務の規模,量化に関する論議,ローンの種類により異なる条件等を考えると,かなり複雑且つ困難な作業となろう。しかし,将来貸付を求めることになった場合に,イラクが以前と違って,責任を持って債務返済に当る姿勢を貸手に示すことが出来るためには,債務繰延は不可欠である。⑤債務を繰延し,米国石油会社に原油・ガス分野を開放し,大手石油会社からの借入や参加を誘致する必要があるため,イラクは対外関係を根本的に変更する必要がある。イラク政府は金融分野の透明性の問題で国際水準を採用することを迫られよう。又,バース党時代の特徴となっていた外国に対する嫌悪や憎しみを捨て去らねばならない。つまり,イラクは欧米諸国のビジネス相手国として産まれ変わらねばならない。だからといって,イラクの政治体制が完全に民主化されるべきであると言っているのではない。勿論,人権問題等ではこれ迄より大幅な改善が見られることが望ましいが。イラク改革は国内統治よりもまず,対外関係の改善から始まると思われる。Dr.PhilipROBINS1958年4月生,43歳。・エクセター(Exeter)大学政治学部(BA)卒・オックスフォード大学(Oxford)大学政治学修士過程(MA)修了・エクセター大学政治学博士過程(DR)修了。・BBC(放送),ザ・ガーデアン(新聞)の中東特派員として長く中東に滞在。その後,1987年,英国の代表的な国際問題・外交政策の研究機関である王立国際問題研究所(通House)に入所,中東部長。称:Chatham・1991年(湾岸戦争時),英国下院外交委員会の顧問として英国議会のために「湾岸諸国の将来」に関する調査を担当,又,2000年にも同外交委員会のために「英国の対イラク外交政策」報告書を作成。・現在,オックスフォード大学セント・アントニーズカレッジのフェロー。同大学で過去6年間,現代中東の政治学,国際関係論を講義・現アフガン攻撃に関しても政府各委員会のアドバイザーとして活躍中。英国における現代中東問題の専門家の一人。訳責:石油公団ロンドン事務所長 岩間 敏―23―石油/天然ガス レビュー ’02・1
地域1 中東
国1 イラク
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国・地域 中東,イラク
2002/01/30 [ 2002年01月号 ] Dr. Philip ROBINS
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