ページ番号1006004 更新日 平成30年2月16日

中東に対するアフガン危機の影響

レポート属性
レポートID 1006004
作成日 2002-05-30 01:00:00 +0900
更新日 2018-02-16 10:50:18 +0900
公開フラグ 1
媒体 石油・天然ガスレビュー
分野 探鉱開発
著者
著者直接入力 Dr. Philip ROBINS
年度 2002
Vol 35
No 3
ページ数
抽出データ 中東に対するアフガン危機の影響Dr.PhilipROBINS(オックスフォード大学)アフガニスタンでの戦火も一応表面的には収まり,世界の目は同国の復興に向けられているが,今回は「中東に対するアフガン危機の影響」を掲載する。本稿はロンドン事務所が2001年12月の時点で当地の国際・現代中東問題の専門家の一人であるオックスホード大学セント・アントニーズカレッジのDr.Philip Robinsに特別原稿を依頼したものである。同博士のレポートとしては本誌では2002年1月号で「イラク2001年:政治,外交政策,経済」を掲載済でその現状整理,分析,見通し等に各方面から好評を得ている。米国の今後の中東政策の方向が注目される中,同博士のレポートを参考に願いたい。(本稿の内容時点は2002年1月上旬)1.はじめにアフガニスタンでの戦況も終結し,同国に新たな文民政権が確立されたところで,アフガン危機による影響の波及度を考察する時期が来たと思われる。インドとパキスタンの間の緊張が再熱している他,現在ではその危険がかなり後退しているが,南アジアで戦争が勃発する可能性も残っているため,当然のことながら,国際社会の注目はパキスタンとその近隣諸国に注がれたままとなっている。しかし,直近の危機感は確かに納得がいくものではあるが,オサマ・ビンラデイン,アルカイダのテロ組織及びビンラデインが吹聴しているイスラム教の飽くことを知らない暴力行為の影響を最も受けることになるのは中東と思われる。(1)中東が受ける継続的な影響例えば,2001年9月11日の米国同時テロにより中東は以下の5つの重大且つ継続的な影響を受けることになる。① 米国の次の焦点は中東米国がこれ迄に対応して来た様に,反テロ活動の対象がビンラディン及びタリバン政権から更に拡大されることになれば,米国の次の焦点が中東となることはほぼ確実である。米国務省がテロリストの支援国として挙げるリストはこれ迄圧倒的に中東の国々が占めてきが,9月11日の米国同時テロの際,航空機4機乗っ取りにはアラブ人,特にサウジアラビア人が大きな関連を持っていたことを考えると,この事実に注目せずにはいられない。② イスラム世界の中心である中東世界のイスラム教徒の過半数は中東諸国の国民ではないが,イスラム世界の中核が中東にあることに疑いの余地はない。イスラム教徒にとっての聖地であるメッカ,メディナ,エルサレムがあるのは中東である。イスラム教国であるサウジアラビア,イラン,非宗教主義のトルコはイデオロギー的にイスラム世界の指導役を担っていると主張している。また,中東は世界で最も多くのイスラム国が集まっている地域である。③ 鮮明になってきたブッシュ政権の中東政策米国ブッシュ政権は成立当初の数ヶ月間,明確な中東政策を打ち出せずにいたことが関係者を混乱させていたが,9月11日の米国同時テロ発生とその後の経緯により同政権の中東政策が鮮明になって来た。④ 中東諸国への波及中東と中央アジアの間には密接な関係があるため,アフガニスタンでの米軍事行為の影響及び結末が中東全体に波及するのは必至である。更に,中東地域内でも各国が相互に反応し合うことになる。その結果,アフガン危機の結末が石油/天然ガス レビュー ’02・5―64―サの隣国であるイランに直接的な影響を与えることが考えられる。イランの運命が変化すれば,それは湾岸諸国,イラク,イスラエルに直接影響を与える。そして,これらの国々が態度を変更すればその影響は更にドミノ式に波及して行くであろう。⑤ 中東各国は対応できる体制にない中東地域全体としても,また,域内各国としてもその様な事態に対応出来るだけの十分な体制が整っていない。9月11日の米国同時テロを境にして生じた緊張,摩擦,責め合いが,既に情勢が不安定となっている地域の問題を悪化させることになる。財政の構造問題を抱えて改革の見通しが不透明になっている国もある。アラブ・イスラエル和平プロセスは挫折して紛争が絶えないままである。政権交代の最中にある国では,当然ながら新政権は経験が浅く足元がおぼつかない。(2)主要国,利益,原油価格への影響本稿は,2001年9月11日に発生した米国同時テロの影響及びそれに次いで起こったアフガン攻撃が中東に与える影響を考察してみたい。特に湾岸諸国を焦点に置き,3つのタイプの問題を考慮する。その1は,イラン,イラク,サウジアラビア等の主要国に対する影響である。これらの国々が直面する問題の特異性を考えると,必然的にこの部分が本稿の大半を占めることになる。その2は,中東各国の異なる利益,更には米国の影響を受ける可能性のある地域の利益に大きな影響を与えるものとして,湾岸諸国に対するアフガン危機の影響を考察する。その3は,同地域に関連した要因が原油価格に与える影響を考慮する。2.アフガン危機とイラク(1)イラクの反応2001年9月11日の米国同時テロに対するイラクの公式な反応から,イラクの外交政策の優先事項が何であるか,米国に対してどの様な見方をしているか,同国がどの様な駆け引きを選択するかをかなり推測出来る。イラクは主に以下の3段階に亘って反応した。① 第1段階―米国は自業自得イラク政権は「米国は自業自得」と見なした様で,「これ迄の中東での米軍の存在,中東に対する米国政権の二重基準や圧制的態度が反感を生み,ビンラディン氏の様な超過激な行為に出る者が出て来た。」との見方を仄めかした。イラク政権は実際に2001年9月11日の米国同時テロに賛同することはしなかったが,無条件に非難することを拒否したのは中東地域でも世界でも同国だけであったため,米国政府はイラクが間接的に同テロ行為を支持していると見なした。このイラクの曖昧とも言える反応が誤って受け取られても当然であり,米国政府内の反イラク派が反テロ戦争の対象にイラクをも含めることを主張することにもなった。② 第2段階―立場を修正イラク政府は,その後,急速にこの様に孤立した状態に晒らされていることに不安を感じる様になり,特に米国が外交政策を見直してテロ問題に焦点を当て始めたのを見て立場を修正しようとした。イラク政府は,また,イスラム世界からも9月11日の米国同時テロに対する非難の声があることを認識した様である。フセイン・イラク大統領は態度を和らげ,慎重な発言をするようになり,米国に対して「慎重な」対応を要請した。フセイン大統領がこの様な温和な表現を使用したことは意外であっただけではなく,それ迄に考えられないことであった。通常,フセイン大統領が公式声明を出す時は,その口調も身振りも挑戦的でしばしば狂気じみていることもある。更に,フセイン大統領の態度が変わったことを示す事象として,同大統領が一般米国市民との間で交わした電子メールがある。同電子メールの中でフセイン大統領は9月11日の米国同時テロの犠牲者に対する悔みの意を表している。同電子メールの趣意は,イラクが紛争の相手としているのは「米国民」ではなく,「米国政府」であるというものであった。③ 第3段階―脅威に対してアラブ諸国の反対意見を集結米国において反イラク運動が広まって来ると,フセイン大統領は「米国によるイラク攻撃―65―石油/天然ガス レビュー ’02・5齦禔C9月11日の米国同時テロに対する米国の反応は以下の3段階から成る。① 第1段階―証拠の収集同テロに関するイラク政府の関わりを示す証拠を出来る限り収集しようとした。現在迄,その結果は決定的ではない。イラク政権が同テロの計画・実行過程において関わりを持っていたことの証拠は全く見つかっていない。英国政府がこれ迄反テロの軍事行為をイラクに拡大することを拒否しているのもそのためである。しかし,一方では,イラク政府がビンラデインともテロ組織アルカイダとも関わりがあることを示す証拠は見つかっている。これは,アンカラの元イラク大使の行動及びプラハのイラク大使館の諜報員から発覚した。米国同時テロとの直接的な関連の証拠がないにも拘らず,米国の反イラク派がイラク政府に対する中傷を続けたのも,この「間接的証拠」があったからである。② 第2段階―イラク問題の棚上アフガニスタンでの反テロ戦争を追求するため,イラク問題は棚上げとした。この姿勢は2001年11月に開かれた国連で顕著に現われた。所謂「人道的石油」の生産の最終段階に関する問題が国連安全保障理事会で議案として提案された際に,米国政府は2001年初夏に提案した「スマート制裁」政策(既存の制裁体制をスリム化すると同時により厳格に適用)の可決を主張しなかった。③ 第3段階―2002月5月の国連安全保障理事国は反テロ戦争を他の国に拡大する権利を保持し,適宜にそれを行使する態度である。つまり,ブッシュ米国大統領は,イラクに対する方針をまだ決定していないのであり,事実上,あらゆる可能性を残したままにしているということになる。米国は,また,イラクの大量殺戮武器査察問題を将来的に再び対イラク戦争の原因となり得る主要政策事項として指摘している。米国・イラク間の軍事的睨み合いが起こる中,1998年12月に国連の武器調査団はイラクから引き上げ,それ以降,同調査団はイラクに入国していない。一方,イラクは同調査団(Unmovic)に対する協力を拒否している。従会米は避けられない」との発言を公けに繰り返すようになった。これは確かにイラク政権の見方を映すものであった。その様な発言をすることにより意図された短期的効果とは,世論の圧力を受けたアラブ諸政府を米国側との如何なる種類の共謀にも荷担させないとの観点から,米国によるイラク攻撃の脅威に対してアラブ諸国の反対意見を集結することであった。これはある程度の成功を収め,エジプト及びヨルダンはイラク攻撃を阻止するための動きを先導した。また,イラク攻撃の脅威を公けに指摘することにより国際社会の注目を9月11日の米国同時テロから米国の軍事主義及び米国が率先した経済制裁によりイラク国民が蒙っている苦難へとシフトさせることも狙いとしていた。イラク政府は,また,タリバンに対する攻撃も米国による新帝国主義的行為であり,イスラム教徒の流血を招く侵略的行為であるとして非難した。しかし,イラクはコソボ戦争でミロシェビッチ政権を公けに支持した結果,世界の大国である米国から猛攻撃を受けている政権を支持することに何の利もないということを学んだ様である。(2)イラクの戦略以上の様に,イラクが9月11日の米国同時テロに対して3段階に亘る反応を示したことから,その主要な戦略目標が浮き彫りにされた。新たな国際情勢に際して,イラクはそれらの戦略目標を更に追求していくと見られる。その戦略目標は以下のものである。① 米国勢力に対して萎縮することなく威厳を保つ(この様な態度はアラブ/第三世界において「受け」が良いと見なされている)② 不必要に米国の報復を誘発しない。特に反テロ戦争の拡大により大掛かりな外交・軍事資源が発動される様な場合に警戒。③ 国連安全保障理事会による経済制裁の全面解除を要求し続ける。④ イラクの政治・経済復興のための作業を続ける。これはアラブ世界の文化・政治範囲内で行う。(3)米国の反応石油/天然ガス レビュー ’02・5―66―?の時だけである。しかも,ブッシュ政権は任期開始から数日後の2001年1月に短期間であるが集中的な一連のイラク攻撃を開始している。② 国内要因の優先米国が対イラク政策を決定する上で,米国内の要因及び米国政府内の圧力団体の影響の方が地域的同盟や米国に協力的な英国を始めとした欧州諸国との連携よりも重要な要素となる。このことだけでもこれらの同盟諸国との協議が米国の対イラク政策決定に与える影響は限定的となる。③ 米国はイラクとの対決を急いでいない米国はイラクとの対決を急いでいない。これは,米国政府がイラクとの対決よりもテロ組織アルカイダ及びビンラディンの支持者を匿っていると見られる国々を追求することの方を優先していることが一因である。また,これは「圧倒的な軍事力を行使出来る迄は敵に対して軍事行為を開始しない」との米国のベトナム戦争以降の国防原則を反映している。④ 米国への協力を拒否できない米国がイラクとの対決を追及することを中東地域内諸国が好まないとしても,実際にはこれらの域内諸国が米国と行動を共にすることになるか,或いは少なくとも世界の超大国である米国と疎遠になることを恐れて米国に進んで反対することはしないであろう。アフガン戦争に際して地域の主要勢力であるパキスタンが政策を転換させたのはその好例である。また,同じことはトルコに関しても言える。同国は,公式的にはイラクとの対決を再開することには全面的に反対してはいるが,軍事・経済的理由から米国に対する協力を拒否することはまずない。クウェートやサウジアラビア等の親米湾岸諸国の場合も同様である。(6)今後12ケ月以内にイラクと軍事的対決の可能性以上を勘案すると,今後12ヶ月以内に米国とその支持国が何らかの形でイラクとの軍事的対決に踏み切る公算が大きい。3.アフガン危機とイランー戦略地政学って,既述の2つの重要な問題を一時的に棚上げしている米国が何時イラクとの紛争を開始することになっても不思議はない。国連安全保障理事会が次回イラク問題を検討する2002年5月を注視する必要がある。(4)全ては米国次第現況に関して明らかなことは,全ては米国次第であることである。反テロ戦争を進行させるべきか否かは米国が決定せねばならない。また,9月11日の米国同時テロにより実現した国際社会の積極行動主義,アフガニスタンでの軍事行為の成功,道徳的優位等を犠牲にしてイラクに対するより複雑な軍事行為を開始すべきか否かも判断せねばならない。イラク問題に関して明らかなことは,大きな犠牲を伴う可能性があることである。成功すれば,前ブッシュ政権がやり残した問題を解決して国際社会の「ならず者」を排除し,特に米国内でのブッシュ政権の信任を獲得することが出来,米国は世界の畏敬の的となる。しかし,失敗は(イラクは米国の完全勝利が達成されない限り失敗と見なす)コソボ紛争・アフガン戦争の場合と同様,想像することさえ避けたいくらい大きな打撃をもたらすであろう。フセイン大統領は再び国民の英雄となり,国連による経済制裁も強制が不可能となり,中東の親米諸国の情勢が不安定化し,米国がどの様な中東政策を計画するか,また,それをどの様に実行するかも予測困難な状態になる恐れがある。成功したとしても,好ましくない「副作用」がないとも限らない。(5)米国特有の政治と概念の理解が必要以上を勘案すると,米国がイラクを追求するか否かを予測するには,米国特有の政治及び概念を理解する必要がある。以下の4つの可能性がある。① ブッシュ政権の任期中に米国・イラクの対ッシュ政権の任期中に米国・イラクの対決が起こることは必至と思われる。米国の歴史を振りかえると,米国が湾岸地域の政治に軍事介入しなかったのは,1970年代中期のフォード政決ブ―67―石油/天然ガス レビュー ’02・5i1)イランの受けた恩恵戦略地政学的に言って,イランは2001年9月11日の米国同時テロにより恩恵を受ける結果となった。中でも,米国による空爆の結果,アフガニスタン政権が交代したことがその良い例である。しかも,イラン政府は外交的にも軍事的にも殆ど特別な元手をかけずに恩恵を受けることが出来た。この様にほぼ完全に「傍観者」でいたために恩恵を受けることが出来た点で,イランは1990/1991年の湾岸危機の際も同じ経験をしている。(2)欧米,アフガニスタンとの関係改善イランが今回,傍観者の立場を維持したことにより得た恩恵の好例は,欧米,アフガニスタンとの関係改善であろう。イラン政府は躊躇することなく9月11日の米国同時テロを非難したが,これは同テロにイランが全く関連していないことが直ちに明白となったからである。実際,イラン国民の大半はイスラム教シーア派信者であり,国民は一般的にビンラディンや過激なスンニー派の考え方に全く興味を持っていない。ビンラデンの様な過激なワッハーブ主義者は,シーア派が真のイスラム教徒ではなく異端者であると見なしており,サウジアラビアでもその人口の約5%足らずを占めるシーア派が差別待遇を受け易いのも,また,しばしばパキスタンのシーア派がサウジアラビアの支援を受けた過激スンニー派による暴力的攻撃の的となるのもそれが原因である。イラン国民は,また,自らもバグダードを本拠としてイラン国内で断続的な活動している亡命者団体「Mujahedin-e*(訳者注釈)2002年2月8日付の英紙TheTimes,Gurdian等は,「英国が駐イラン大使に内定した人物をイラン側が拒否」と報じた。両国の関係は英外相の同イラン訪問により急速に改善していたが,同大使拒否問題で後退は確実と見られる。英国はイラン革命以来,代理大使級だったイランとの関係を1999年に大使級への格上を決定。イラン駐在の経験が豊富(1977-1978,1990-1993イラン駐在)なMr.DavidReddaway(48歳)を新大使に内定したが,イランの保守系紙(JomhuriIslami)は,同氏がユダヤ系で情報機関(M-16)と繋がっている等と批判していた。此れに対し英国は現駐英イラン大使のMr.MortezaSarmadiを拒否する見込み。Khalq」によるテロ(例:1981年に行動主義者のリーダー数人を殺害)の犠牲者であると主張することが出来た。(3)イランのアプローチイランは,また,米国同時テロ発生後直ちに国際メディアを巧みに利用した。例えば,テヘラン市長は事件発生直後,世界中の新聞報道のタイミングを見込んだかの様にニューヨーク市長に対して悔みの言葉を送った。しかも,全く政治的な内容を含まないものあった。これは,サウジアラビアのWaleed bin Talal王子が同テロ事件発生に際してニューヨーク市での救援・復興作業のために多額の献金を行った上でパレスチナ人の苦境を訴えるという時宜を得ないプロパガンダ戦略に出たのとは対称的である。(4)最小限の譲歩で国際社会の反テロ同盟に参加アフガニスタンと長い国境を共有する中東の主要勢力であるイランの地政学的な重要性を欧米諸国は忘れていない。米国同時テロ発生直後には,イランのテロ経歴を根拠に同国を問い質したいとの衝動があった様だが,それは速やかに消滅した。英国政府は直ちにジャック・ストロー(JackSTRAW)外相をテヘランに送り込み,イランとの関係維持の政策を確認させた。ストロー外相が同任務のために選ばれたことは,未だに米国政府がイランと直接対話することに慎重な態度であることを示すものである。ストロー外相は,英国外相*としてイラン革命後初めて同国を訪問することになった。イラン政府が独立した外交政策を追求することを強く主張していることに留意したストロー外相はイランに対して多くの要求はしなかった。最終的に,イラン側は①イラン政府は米軍パイロットが消息不明となった場合に捜索・救助隊を出動させること,②アフガニスタンとの国境でアフガニスタン人に食糧等の供給を行うことに同意したが,それ以外に主だった要求は受け入れなかった。イランはアフガニスタンに対する軍事攻撃を非難する発言をしても許容された。こうして,イランは最小限の譲歩を払うことで国際石油/天然ガス レビュー ’02・5―68―ミ会の反テロ同盟に参加することになった。(5)イランとタリバン間は緊張状態アフガニスタンに絡んでイランが得た恩恵はそれ以上に明確なものである。イラン政府は,ワッハーブ派のイデオロギーに基づいてシーア派のハザラ族を迫害し続けてきたタリバン政権を嫌っていた。このイランの嫌悪感は,様々な麻薬の原材料であるケシの原産地としてのアフガニスタンの重要性が高まると共に,1990年代末期を通して強まっていった。イランの麻薬消費量は過去10年間に亘って急増し,青少年や都市住民の間でも麻薬常用者が増えて来ている。ニスタンの西部にあるHeartの街でイランの外交官9人が殺害される事件が起こり麻薬を手に入れるための犯罪も増加の一途を辿っている。1998年秋にはアフガ,イランとタリバンは戦争寸前の状態に迄行った。(6)アフガニスタン亡命王の存在イランにとり,タリバン政権の失脚は歓迎すべきことである。加えて,イラン政府はイスラム統一党(ハザラ人を主体にした親イランシーア派組織)を含めた幾つもの異なるグループや国民から成る北部同盟が勝利を得ることを望んでいた。イランはアフガニスタン・イスラム運動(ウズベク人を中心に結成,リーダーはRashid Dostum氏)と友好関係にある。同様に,イランはイスラム協会(ペルシア語を話すタジク人が中心)とも比較的良い関係にある。唯一,イランにとり気にかかることは,アフガニスタンのザヒル・シャー(Zahir Shah)元国王が再び台頭して来たため,小規模且つ弱体化したイラン国内の国王派を一時的ではあるが鼓舞する結果となったことである。現在迄のところ,これはあまり重大な問題には発展していない。アフガニスタンの亡命国王は当初予測されていたよりも遥かに小さな役割しか果さない結果となった。(7)パキスタンイランは,また,アフガニスタンでのパキスタンの影響力が限定的になることを望んでいる。パキスタンとの相互関係はイランが1998年にタリバンと睨らみ合いとなった際に悪化した。イラン政府は,また,パキスタンの軍諜報部がアフガニスタンのパシュットウ人との民族的関連を利用して北,西方へ自らの影響力を拡大しようとしたためにタリバン政権が生まれたことを忘れていない。一方,パキスタンとインドとの間の摩擦が高まったこともイランの利となろう。何故なら,パキスタンの焦点がアフガニスタンから全く別の方向にそれたことになり,アフガニスタン新政権の確立との重要な時期にパキスタンによる介入を心配しないで済むからである。この様なイランにとって有利な状況もやはり最低限の努力と支出により実現された。(8)最大の懸念は米国とロシアの影響力いずれにしても,南・中央・南西アジアの政情は極めて複雑である。前述の様にイランが様々な恩恵を受けることになったとは言え,今後の成り行きに関する懸念は残る。イランの最大の懸念は世界の圧倒的超大国である米国と以前の超大国であるロシアの影響力である。1979年にイラン国王が追放されて以来,革命後のイランは米国・ロシア政権に深い懐疑心を抱いて来た。過去20年間に亘り,イランは圧倒的な軍事力と支配的な規範を持って世界覇権主義を追及して来た米国に対して懐疑心を強めている。しかも,1993?1997年に米国は間接的な方法でイラン政権を交代させようとした。一方,ロシアに関しては,常にイランは領土拡大主義のロシアが北から責めて来ることを脅威に思っていた。第二次世界大戦後には,イラン北部が一時的に旧ソ連軍に占領されたこともあった。(9)イランがイラク政権交代を望まない理由イランが親米的な国々に囲まれていることに脅威を感じるのは単なる考え過ぎではない。イランの北西には北大西洋条約機構(NATO)の米国連合国があり,また,サウジアラビアを始めとした湾岸諸国は,米軍に対してペルシャ湾のイラン対岸でのあらゆる種類の空・海軍事施設を供給して来た。また,イラン東方には伝―69―石油/天然ガス レビュー ’02・5搏Iに親米的なパキスタンがいる(米国・パキスタンの友好は9月11日の米国同時テロ後に復活)。また,アフガニスタンでは,少なくとも米国に対して反感を持たない政権が確立される見込みである。この状況下で,仮に米国がイラクのフセイン大統領打倒を目指した行動に出て,イラクに親米的新政権の確立に成功した場合,イランは条件次第で米国の思う通りになる国々に完全包囲されてしまう。イランが巨額の資金を費やしてイラクと8年間も戦争を続けたにも拘らず,イラクの政権交代を好まないのは正にこれが理由である。(10)ロシアとの関係一方,イランは米国に対する程にロシアを牽制していないが,これは十分理解出来る。ロシアはもはや世界の超大国ではなく,旧ソ連の崩壊によりロシアの領土拡大主義は反転した。しかし,決してロシアがイランにとって完全に安心出来る存在になったわけではない。ロシアは今でも核保有国である。地域勢力として行動する能力は十分持っており,事実,1990年代には中央アジアで幾度となくそれを行使した。ロシアとイランの間で摩擦が生じたのは,カスピ海や炭化水素資源の分配に関してで,ロシア政府が,沿海諸国の間で同等に分配するとのこれ迄のイラン政府の提案を否定したためである。(11)米国,ロシア緊密化イラン政権は,また,9月11日以降にブッシュ米大統領とプーチン露大統領との関係が親密化したことに警戒心を感じている。過去において,イランにとってのロシアは米国からの圧力に対抗するために利用出来る存在であった。今後も米・露の友好関係が続くのであれば(少なくともプーチン大統領はそれを強く希望),イランは益々孤立した状態となろう。4.イランの国内政治(1)異なる派閥が外交政策を利用イラン革命以降,国内政治と外交政策との間には強い繋がりが見られる。しばしば,異なる派閥が外交政策を利用して自らの立場を有利に導こうとして来たし,国内の変革をもたらすためにも外交政策を利用して来た。また,一方では,国際的,地域的な主要な展開がイラン国内の政治に影響を及ぼし,様々な派閥・グループに望ましい機会を与えることもあった。この様な状態は1980,1990年代,そして新世紀に入ってからも継続している。(2)改革派,反改革派共に9月11日テロ事件に機会を見出すこの様なイラン政治の特質を考えた場合,9月11日の米国同時テロ後の展開がイランの国内政治に大きな影響を及ぼすことになるのは必至である。興味深いことに,イランの国内政治の主流である改革派,反改革派強硬論者はいずれも今回の危機とその後の成り行きの中にそれなりの機会を見出している。9月11日の米国同時テロに対する両派の見解は以下にまとめられる。(3)改革派の見解アフガン危機に対する米国の反応及びタリバン政権の没落とその勢力メカニズムの崩壊に焦点を当てた見解である。イラン国民の過半数を占める改革支持者の間では,タリバン政権の没落は宗教的保守主義の敗北として歓迎されている。改革支持者は「改革」,「社会的多元主義」,「透明性」を選択する世界的傾向が強まったと理解している。結果として,アフガニスタンとイランの政治体制に直接的な関連性を証拠する事象が他に殆ど見当たらないにも拘らず,アフガン危機の成り行きから,自国の宗教的保守主義政権の時代も終焉に近づいたとの結論を引き出した。(4)反改革派の見解イランの隣国で展開されている出来事に関してある程度の懸念を感じている。しかし,やはり現状を利用して反改革派は「少数派ではあっても重要な政策立案に関する限りは優位な立場を維持している。改革派のハタミ・イラン大統領とその支持者が国を思うままにすることは出石油/天然ガス レビュー ’02・5―70―?ネい」と公けに強調する機会を見出した。米国による軍事行動が展開されている最中でさえ,反改革派から以下の発言が聞かれた。・「11月11日に革命裁判所で自由主義の反体制派60人の裁判を開始する」(革命以来最大規模の裁判)・「下院にて自由主義改革派の指導者の起訴を可決する」(下院はハタミ大統領の改革案に最も好意的な政治機関と見なされている)。・「テヘランの英国大使として英国政府が決めているデイヴィド・レダウェイ氏の任命に抗議し,同問題を外交問題に発展させる」(前述注釈参考)・「(詳細及び詳細未確認)パレスチナ当局の手に渡る予定であった大量の武器の供給。」(同武器供給は2002年1月初めにイスラエル軍によって摘発*された。)(5)改革派の政治力は弱い?上記の各発言から判断すると,9月11日の米国同時テロの結果として国内の変革ペースが加速するとのイラン国民の期待感は余りに楽観的過ぎると思われる。反改革派強硬論者が軍事,経済,司法分野の勢力を握っている現実に変わりはない。ハタミ大統領は国内で大きな支持を受けているが,支持者の心理は組織立った焦点の定まったものとは言えない。しかも,最も改革志向の集中している政治機関は,地方政府の様に比較的勢力が弱いか,或いは議会の様に勢力バランスが均等しているかである。(6)改革への失望感か内乱の可能性いずれにしても,ハタミ大統領とその支持者は改革案を具体的且つ継続可能な政策に作り上げることが出来ずにいる。従って,今後,イランの国内情勢が容易に悪(訳者注釈)2002年1月3日,イスラエル陸軍コマンド部隊と空軍ヘリコプター部隊が紅海上を航行中のカリンA号(4,000t)を拿捕。同号にはパレスチナの反イスラエル武装勢力向けの大量の武器(約50t)を搭載していた。この強襲拿捕作戦はモファズ・イスラエル軍参謀長が直接ヘリコプターに搭乗,指揮をし,遠距離電子偵察システムを駆使して実施されたと言われている。この事件でパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長は窮境に立っている。化する恐れがある。9月11日の米国同時テロ後の改革派の期待が裏切られることになれば,失望と憎悪感が広がり,政治に対する侮蔑と政治からの離反のみならず,憤りに満ちた直接行動主義的な反応が起こる可能性も出てくる。改革派のこれ迄の組織間戦略及び非暴力主義的な戦略が適切であったかとの問題に関する論議が高まることになる。少なくとも改革派の一部が組織の枠を超えた,より直接的な対決の態度で臨む方がより効果的であるとの結論に達する可能性が高いと見るべきであろう。そうなれば,ハタミ政権が残る3年の任期を終了してその無能さに改革派の失望感が強まることになるか,或いは,結果の保証されていない流血の恐れのある内乱が起こるか,いずれかのシナリオしか考えられなくなる。いずれのシナリオが現実しても,1997年にハタミ大統領が初めて選任された頃に比べて改革派内に大きな亀裂が入る可能性が高まっている。(7)原油価格の動向と国内政治への影響他にも重要且つ考慮すべき要素がもう一つある。原油価格とイラン政府が得る外貨収入である。反改革派の勢力を消滅させるための政策を考える上で石油収入が非常に重要な要素であることは確かである。以下に,今後の原油価格の動向がイランの国内政治にどの様な影響を及ぼすか,3つのシナリオを挙げる。① 原油価格22?28$/B原油価格がOPECのバスケット価格帯で22?28$/B迄回復すれば,イラン国内の経済投資資金を十分賄う外貨を得ることが出来,耐久消費財やその他の奢侈品の輸入も可能となる。この場合は,国民過半数の政治的焦燥感が軽減され,余程,執拗な者以外は第二のイラン革命を起こそうとする者はいなくなる。② 原油価格16?22$/B原油価格が16?22$/Bで推移した場合は,イランの必須品,特に食糧の輸入代金の支払いは可能で,国内経済を下支えするのには十分である。勿論,失業率高止まり,不完全就業状態,2桁のインフレ率等の国内の経済問題に対処するには不十分である。散発的に示威運動が起こ―71―石油/天然ガス レビュー ’02・5驩ツ能性はあるが,不満の高りから国民が組織的行動に走る可能性は低い。③ 原油価格16$/B以下原油価格が16$/Bを大幅に下回った状態が長引いた場合は,重大な社会的激変が起こる可能性がある。原油価格が12$/B以下となれば,イランは必要品の輸入代金の支払いが出来なくなるからである。過去において,1997年11月,1999年3月に原油価格が暴落した局面でこれに近い状態となったことがある。当時はイランの中産階級にとってさえ経済的に苦しい状況となり,ハタミ大統領が初めて選任されたことで国民の期待感が高揚する迄苦悩の時が続いた。5.アフガン危機とサウジアラビア治問題と見なしている。これは,サウジアラビアが米国だけでなく欧米の非宗教,キリスト教国に服従していることの象徴となっているためと,国防面で政府には外交・政策能力が欠如していることを認めることになるからである。(2)サウジアラビア・米国関係上記のことが全て米国の目に明らかとなったため,サウジアラビアと米国の関係が急速に悪化した。これは9月11日の米国同時テロの大きな直接的結果である。9月11日を境として中東の見通しが不透明になっている中,サウジアラビア・米国関係はそれを探る重要な鍵となっており,両国関係がどの様な形でどの程度悪化したかを考察する必要がある。(1)サウジアラビアの実情(3)サウジアラビアに対する米国の懐疑2001年9月11日の米国同時テロの結果,中東内で最も大きな影響を受けたのはサウジアラビアに疑いの余地はない。しかし,同テロは,同国に直接的な影響を与えたと言うよりも,現在のサウジアラビアの実情を剥き出した点で非常に重要な出来事となった。サウジアラビアに関して以下のことが明らかになった。① スンニー派でも比較的厳格なユニテリアン主義(日常的にはワッハーブ主義と呼ばれる)の考え方が公式に認められた宗教的慣例として支配的であり,比較的若年の国民の多くがこれを信奉している。② Safar Huwali師やSalman al-Awda師等の比較的若い宗教者や,ビンラディンを含めた直接行動主義者が,首都リヤドの北にある宗教的急進主義の温床Qasimにおいてだけではなく,Asirや通常は国内の自由主義の中心とされるHijazでさえもかなり多くの若者から支持を受けている。③ 政府指導部は宗教的異端者に対処することを非常に避けている。ワッハーブ派組織に対しても,これ迄政府は同派,特にワッハーブ派創始者の末裔と提携関係にあったためと,イスラム教は国内の結束を守る重要な役割を持つと見なされているため野放しされている。④ 国内に米軍が駐屯していることを重大な政サウジに対する米国の懐疑心が一段と強まったことは以下の事象となって現われている。① 9月11日に至る数ヶ月間,パレスチナ問題解決の積極的な姿勢を示さない米国政府に対してサウジアラビア政府が公けの場で非難していたことに,米国の外交担当者が焦燥感をつのらせていた。② 9月11日の米国同時テロのために航空機をハイジャックした19人の犯人の内15人がサウジアラビア国籍であったこと,サウジアラビア国内で反米感情が強まっていることが判明し,米国民が衝撃を受けた。③ 米国報道機関が9月11日の米国同時テロ及びその副次的影響を報道するために大々的に乗り出し,サウジアラビアに関して,汚職,人権濫用,女性に対する差別,継承問題等,あらゆる問題を取り上げた。④ 親イスラエル圧力団体は,米国が中東でイスラエル以外の国と如何なる形であっても戦略的同盟を結ぶことに反対している。⑤ サウジアラビアがそれ迄考えられていた程に安定した状態にないという一般的な恐怖感が米国経済界を始めとして強まった。(4)長いサウジアラビア・米国の友好関係確かに,以上の様な公けの非難はサウジアラ石油/天然ガス レビュー ’02・5―72―rア・米国関係に亀裂を入れることになったが,この様な変化をより客観的に評価する必要がある。1930年代の石油発見以降はサウジアラビア・米国関係が少なくとも高官レベルでは緊密且つ友好的であったことを忘れてはならない。また,1976年にサウジアラビアの石油部門が国営化された後も,米国系石油会社は引続きサウジアラビアと緊密且つ有利なビジネス関係を保って来たのであり,石油収入から生じる経済的需要に対応してサービスを供給して来た他の分野の供給者達も同じことが言える。1970年代初頭に当時のニクソン大統領が中東地域の主要同盟国2ヶ国の1つとしてサウジアラビアを選んだ際に認識したことでもあるが,サウジアラビアが中東地域で幅広い影響力を持っていることに変わりはない。(5)米国からサウジアラビアへの要求この様に考えると次の結論に達する。米国内でのサウジアラビアに対する非難の声は全国的に広がり,消える様子はない。サウジアラビア・米国関係が9月11日以前の温和な漠然とした性質のものに容易に戻ることはないであろう。少なくとも,米国政府はサウジアラビアに2つの要求をすると思われる。その1つは,米国に対し暴力的抗議を説く異端者グループ・組織(中には慈善団体として機能しているものもある)を弾圧し,その資産を没収し,工作員を逮捕・処分すること。もう1つは,サウジアラビアの教育体制を根本的に見直し,米国とその国民に対する反感を増大させる可能性のあるものを全て排除することである。この2つの要求いずれかが受け入れられなかったとしても両国間の関係は悪化することになり,国民の非難が増大し,今後も微妙な性質の問題を起こしかねない。6.サウジアラビアの国内事情2001年にサウジアラビアの安定性に関する懸念が米国でこれ程迄急速に強まってしまったの*(訳者注釈)FAHD Ibn Abdul Aziz,1982年サウド王家5代国王に即位,親米派と言われる,サウド王家最有力閨閥スデイリ家に属す。は皮肉なことである。以下のことを勘案すると,過去10年間で同国の見通しは最も改善した状態にあるからである。(1)リーダーシップ1995年1月にファハド国王*は脳卒中で身体不能となった。同国王は無能な指導者との評価を受けており,アブドラ皇太子**が行政を引き継いでいた。しかし,1998年に皇太子が真のリーダーとしての力を示すようになり,原油価格の下落により国家収入が低下していく中,決断力を発揮した。以後,同皇太子は外交政策を通した経済改革を始めとしたあらゆる分野で偉大な指導者としての権威を示してきた。(2)能力主義へのシフト1995年迄,親族重用主義と怠慢さが原因でサウジアラビアは煮え切らない手応えのない国であった。思い切った政治改革(諮問評議会設置)と官僚制度改革で状況は一変し,現在,学識や能力に基づいた昇進の機会が拡大している。その後も能力主義的な方向へのシフトが加速,アブドラ皇太子側近の改革賛成派が入閣している(例:Ibrahim al-Assaf財務相)。(3)経済改革1980年代中期以降,サウジアラビアは石油収入の減少という新しい現実に対処する能力も気力も持ち合わせていなかった。結果として,国家財政,インフラ補充,公共サービス,政治的に微妙な雇用創出等の主要分野で状況が大幅に悪化していった。しかし,アブドラ皇太子が国の指導者となった1998年以降,サウジアラビア政府は上述の問題に対処し,政府に対する国民の信任を取り戻す統合戦略を開発していった。その主要なものは以下である。① 石油分野以外の分野への海外投資の誘致により石油依存の経済を多角化する。② ガス上流分野と下流公益事業分野の開発*(250億$)により海外直接投資を更に促進し,サウジアラビアの民間国際金融資本を強化する。効果的な資本市場を確立し,その関連法を2002年に成立させる。―73―石油/天然ガス レビュー ’02・5B 国に対する依存度を最小限にするため経済の主要分野を自由化する。通信分野を改革の最優先とする。(4)外交政策アブドラ皇太子の下,サウジの外交政策は以前よりも明確な姿勢と積極的に国益を考える態度を反映するものとなった。イランとの友好回復がその最も良い例である。最近の例としては,2001年9月11日の米国テロ事件後の米国に対する姿勢。同皇太子は米国に対して悔みの意を示し,タリバン政権との外交関係を断ち切ることでタリバン政権の孤立化に協力し,米国との連帯を約束したが,同時に,パレスチナ問題に関しては,不満の意を表すために,夏に予定されていた訪米を取り止めた。この様な率直な意思表示はアラブ世界では大いに賞賛されており,国内一般にも受け入れられている。これが同皇太子の権威を下支えする結果となっている。(5)サウジアラビアの脆弱性2001年9月11日以降,米国を中心としてサウジアラビアに対する非難が高まったために同国の姿勢に関して誤解が生じたとも言えるが,中期的な視点ではサウジアラビアにある程度の脆さがあることは否定し切れない。その理由は以下の4つである。① アブドラ(Abdullah)皇太子確固たる指導力,経済改革計画の促進,いずれを取っても,現在のサウジアラビアの強みはアブドラ皇太子**の人格と密接な繋がりがあるが,同皇太子は既に78歳の高齢で,しかもまだ君主の座に着いていない。従って,同皇太子の寿命があとどの位か,後,何年間サウジを統治するか等の点で見通しが不透明であり,ファハド国王が今も頑固に国王の座を退こうとしてい*これにより米国系石油会社特に「Exxon-Mobil」が最も恩恵を受ける。**(訳者注釈)皇太子・第1副首相兼国家警備隊司令官。域内重視,民族派的色彩濃厚。2000年6月王室評議会新設,議長に就任,ポスト・ファハド体制の準備,王室政治の開放度促進,同皇太子の属するラシッド家の力が相対的に強まる他,スデイリ家兄弟(サルタン第2副首相兼国防航空相,アブドルラーマン国防航空省次官,ナエフ内務相等)への権力集中を避ける傾向。ないため,同皇太子が永久に国王になれない可能性もある。② テロ事件の改革計画への影響9月11日の米国同時テロがアブドラ皇太子の改革計画に対してどの程度重大な影響を及ぼしたかを判断するのは早計と思われるが,確かなことは,それが良い影響をもたらさなかったということ。米国同時テロ後の経緯は主に次の2点でサウジアラビアの改革計画に波紋を投げかけた。A)改革は同皇太子が中心となって改革賛成派の大臣及びそのテクノクラート的顧問を率いて推進されてきたが,その政治的意志が崩れて来た。例えば,現在,財務省は明らかに財政改革よりもマネーローンダリング問題やテロ組織アルカイダの資産追跡の方に気を取られている。A)経済改革計画の促進戦略では,国内での経済の新分野開発及び良きガバナンスを目指した規制改革の推進のために海外直接投資を誘致することが条件となっているが,米国との相互関係が大幅に悪化し,その状態が長引いた場合,サウジアラビア国内の政情不安定への懸念や外資系企業の駐在員の安全に関する不安が増大し,投資家が対サウジアラビア投資を躊躇する可能性がある。③ サウジ王家の継承問題サウジ王家の継承問題がまだ解決されていない。アブドラ皇太子が王座を継承する場合は問題ないと思われる。同皇太子が国王となり,サルタン第2副首相兼国防航空相が皇太子となることは,継承上位の王子らの間で長期間に亘る論議が交わされた結果,合意されている。但し,この件に関して再び議論が引き起これば,サウジ王家が混乱状態に落ち入るのは必至である。サウジアラビアが将来の危機を回避するために予防計画を立てるのはよいが,問題は1つのシナリオしか想定しない傾向がある。既述の合意では,スダイリ派(ファハド国王とサルタン第2副首相兼国防航空相)と非スダイリ派(アブドラ皇太子:ラシッド家)間でバランスを考えて,交互に王家を継承するというものであるが,仮にアブドラ皇太子がファハド国王より先に死去した場合はどうなるか,石油/天然ガス レビュー ’02・5―74―ワた,最も能力あるスダイリ派の候補者は次世代になること等を考えると,サルタンの次の継承者は誰になるのか,後継者の決定には時間がかかる様であるが,継承上位の王子らが何人も相次いで死去した場合は決定が間に合うか等の問題が考慮されていない。④ 石油収入石油に関する問題がある。石油収入の水準(原油価格×輸出量)はサウジアラビアの国内政治の方向を大きく変え得る重要な問題である。1999?2000年のサウジアラビアの国内情勢が良好であったのは石油収入が高水準であったのが主因であった。必然的にこれが改革を推進する上で大いに役立った。しかし,2001年9月11日の時点の原油価格は,その直近の高値であった32$/Bに対して18?21$/B迄低下していた。後者の価格水準ではサウジアラビアの財政計画に殆ど悪影響はないと思われるが,原油価格が一段と不安定になり,供給過剰が原因で価格が更に大幅に下落する懸念は残っている。原油価格が18$/Bを遥かに下回った場合,特にサウジアラビアが再び「スイング・プロデューサー」としての責任を負わねばならなくなり,しかも,アブドラ皇太子が死去していた場合,サウジア*(訳者注釈)1960年旧英領(北部),旧伊領(南部)独立,同時に統合。1969年バーレ少将クーデター,実権掌握。1970年,社会主義国家宣言。1980年議会はバーレ大統領選出。1980年代初めから反政府武装闘争表面化。1991年統一ソマリア会議(USC)首都制圧,バーレ追放,アリ・マハデイ・モハメドを暫定大統領に指名。USC内部でモハメド暫定大統領派とアイデイード将軍派対立。武力衝突。首都を追われた暫定大統領派は国連平和維持軍派遣を求める。内戦激化。1992年12月国連平和執行部隊(主力米海兵隊)首都上陸。アイデイード派との戦闘多発(国連側=主として米軍計130名以上の犠牲)。国連撤退を決議。アイデイート派武装勢力4派でソマリア国民同盟(SNA)結成。1995年3月外国部隊完全撤退。アイデイ―ド派の財政を支えていた実業家アリ・アトが同派から離脱しSNA分裂,アト派は暫定大統領派と提携。1996年8月戦闘負傷が元でアイデイード将軍死亡。後継者の3男フセインが継承。2000年5月和平会議開催,8月暫定会議発足,ハッサン元内相を暫定政府大統領に選出。ガライド元工業相(バーレ政権)を首相に任命。1991年のバーレ政権崩壊後約10年振りに政府発足。アイデイート派,アト派,独立自治宣言のソマリランド,ブントランド等は暫定政権を認めていない。現状,各派武装勢力が割拠,事実上の無政府状態。(資料)World Year Book 2001年版ラビアにとり極めて好ましくない状況となる。7.アフガン危機と湾岸地域のダイナミズム(1)中東は10年毎に重大事件に直面過去を振り返ると,中東はほぼ10年毎に重大問題に直面し,地域・政治的情勢が変化する結果となっている。1980年にはイラクによるイラン侵攻(イラン・イラク戦争),1990年にはイラクによるクウェート侵攻(湾岸戦争),そして2001年にはテロ組織アルカイダによる米国同時テロ(→アフガン戦争)が起こった。これらの出来事はお互いに異なる性質ではあるが,いずれも中東地域に深い影響を及ぼし,地域全体のダイナミズム及び相互関係を変貌させる波及効果を持っていたと言える。これ迄もそして現在も,重要なことは最も影響を受けると見られる分野とほぼ現状維持となる分野とを見極めることである。本項では,域内各国が他国にどの様な変化を及ぼすかに焦点を当ててみたい。(2)米軍事力1980年代初期以降,2001年9月11日迄,米国はアラビア湾での圧倒的な勢力であった。湾岸危機の局面で軍事力を集中させ,1991年初頭にはその軍事力を使って致命的結果をもたらしたことで,1990年代に湾岸主要諸国に米国の勢力が増大していった。1990年代が進行すると共にソマリア*での米軍の失敗及び対イラク政策に関する焦燥から同地域内での米国の圧倒的軍事力はある程度目立たなくなっていったが,米国の軍事的優勢は基本的には変わらなかった。そして今回のアフガン戦争では,米国が通常兵器による圧倒的戦力を保持し,それを使用して破壊的効果を達成することを厭わないことを湾岸地域及び世界は再認識させられた。従って,通常戦力という意味で今回の危機は湾岸地域での米国の圧倒的地位が補強されたと言える。引き続き,この様に圧倒的勢力を持つ米国が,国と国との間,特に米国と緊密な関係にある湾岸諸国間での武力紛争を抑止する重要な役割を果している。―75―石油/天然ガス レビュー ’02・5i3)米国の干渉主義しかし,米国が湾岸地域の監視役として十分な役割を果していると言っても,内乱の脅威を一掃するだけの効力は持っていない。今回のアフガン戦争を見ても,米国は実質的には内乱状態にあったアフガニスタンの地上戦を支援するために空軍を出動することは厭わなかった一方で,陸上兵力を大々的に展開することに躊躇し続けたことを見ても,米国の干渉主義にも限界があることが判る。つまり,特殊部隊と海兵隊の出動により迅速且つスムーズにしかも最小限の流血により事が達成される見込みがない場合,米国は積極的な行動は取りたくないということである。これは湾岸地域にとり以下のことを意味する。① イラクにとって再びクルド人或いはシーア人による反乱が起これば米国はこれを支援するために空軍を出動する用意がある。② イランにとって革命派先導による一般庶民の反乱が起こった場合,革命防衛隊(Revolutionary Guards)その他の反改革派組織に対抗するために米国は空*(訳者注釈)1983年から南部で内戦継続。政府軍(約10万:バシル大統領:戦車230両,ミグ21,23,F-5等作戦機51機)と反政府のスーダン人民解放軍(SPLA:指導者ジョン・ガラン大佐,約2?3万人:T-54,T-55戦車,対空ミサイル・砲装備)は,度々,停戦合意をしたが戦闘は継続。内戦と飢餓による死者推定180万?200万人,難民約400万人(米国難民委員会:NGO)。2000年2月,「国境なき医師団」等NGOげげ8団体は南部でのSPLAによる活動制限,治安問題から撤退。エジプト/リビアによる仲介工作,政府間開発機構(IGAD;スーダン+隣国6ケ国)による和平交渉継続中。(資料)WorldYearBook2001年版**(訳者注釈)1990年南北イエメン統一,イエメン共和国成立。1993年統一後初の複数政党制総選挙実施。第1党国民全体会議(GPC,旧北イエメン系,サレハ大統領),第2党イエメン社会党(YSP,旧南イエメン系,ビード副大統領)第3党イスラム改革党(IIP,部族代表・イスラム原理主義者含)で連立内閣発足。1994年4月,経済政策等でGPCとYSPは武力衝突,内戦に突入。同年7月GPC勝利,内戦終了を宣言。同年10月,複数政党制,市場経済,イスラム法支柱の憲法公布。2000年10月,アデン港に停泊中の米海軍駆逐艦「コール」に爆弾満載した小型船が突入,米兵17名死亡。過激派組織「イスラム抑止軍」等2グループ(背景不明:ビン・ラデインの関与も指摘)が犯行声明。(資料)WorldYearBook2001年版軍を出動させる用意があるが,政治的結末が決定される重要な場所は首都テヘランであり,そこで米空軍が効果的に戦略を展開することは困難である。③ サウジアラビアにとってイスラム教徒による地域的反乱(例えばQassimにて)が起きた場合は,al-Saud家を支援するために米国は空軍を出動させる用意がある。親米的でない人物がリャドの政権を握った場合,米国はサウジアラビアにある油田を防衛するために空軍を出動する用意があり,陸上兵力展開の可能性もあるが,それでも地上戦のための大々的な軍事展開の見込みはない。(4)最強国米国に取り入ろうとする域内諸国世界勢力のバランスが完全に米国に傾いていることは,米国同時テロ発生後,湾岸地域内の規模と勢力が劣る湾岸諸国の中に進んで米国支持を表明する国が出たことにも現われている。つまり,勢力が劣り,しかも米国の攻撃を受ける脅威を感じている国々が,米国に取り入ることによりそれを避けようとしたのである。イエメン,ソマリア,スーダンがその例で,これ迄,米国政府はテロ組織アルカイダが最も繁殖・拡大し易いとしてこれらの国々を名指しで非難してきた。これらの国々でテロ組織が容易に繁殖して来たのは,これら各国の現政権とビンラデンを支持する過激イスラム教分子との間に同盟関係があったからではなく,テロ組織を退治するだけの力がなかったからでる。ソマリアはこの「落第国」の好例と言える。また,スーダンでは,現政権は国内南部で長期化している内乱*に忙殺されている。イエメンでは従来から部族勢力により中央政権の権威が限定されて来た。(5)イエメン,スーダン,ソマリア上記3ヶ国が米国に取り入ろうとしていることが,長期的に成果をもたらすことはないと思われる。①イエメン**の場合,現政権と米国政府との相互協力によって中央の権威が増大する見込みがある。②スーダンの場合は,政治的過激グループ一掃の努力を示すことにより,米国による内乱の仲裁工作を促すことが可能かもし石油/天然ガス レビュー ’02・5―76―黷ネい。これが成功すれば,過去30年間失われていた同国の国際社会での信用をある程度回復することも出来る。その場合,行政権の分散という対価を払うことになり,後に同国が地域内で中央集権制に対比した代替国家モデルの先例となる可能性もある。ハルツームの現政権が国内イスラム派との同盟撤回の姿勢を示したことは歓迎すべき兆候である。一方,③ソマリアの場合は上記3ヶ国の中で最も問題となろう。アフガニスタンが存続可能な政治的中心を再び確立し,国家再建により国内経済を確立することは困難であり,費用がかかると予測されるが,評価対象になる政治的中心も持たない「落第国」であるソマリアはアフガニスタンと類似している。(6)湾岸地域の統合湾岸地域内で危機が生じると,規模の小さい不安な国々は益々お互いに団結する傾向がある。例えば,1971年にアラブ首長国連邦(UAE)が誕生したのも,英国がスエズ西部から撤退する時点(1968年)で,それ迄英国と休戦協定を結んでいた小さな首長国諸国が非常に脅威を感じたことが原因であった。同様に,イラン・イラク戦争勃発(1980年),その結果,アラビア湾の航路に迄戦争が拡大していった。その直後の1981年に湾岸協力会議(GCC:GulfCooperation Council)*が設立された。従って,9月11日の米国同時テロとそれに次ぐアフガン戦争により誘発された湾岸地域内諸国の不安感が,例えば,イラク紛争の開始により更に強まり,再び統合の勢いが高まることになっても不思議ではない。特にGCC加盟諸国にはそれが言える。現在のところはまだ明確なことは言えないが,2001年12月にオマーンで開催されたGCC会議で地域統合の議論が交わされたこと*(訳者注釈)湾岸協力会議(GCC:Gulf CooperationCouncil):1981年湾岸6ケ国首脳会議で設立を決定。アラビア湾6ケ国:サウジアラビア,クウエート,オマーン,バーレン,カタール,UAEの緊密な協力と協調を前提とし,軍事,経済,文化,情報,社会,司法等で共通の制度を設置することを目的。イラン革命(1979年),ソ連のアフガン侵攻(1979年),イラン・イラク戦争(1980年)等に対する危機感が契機。は確かである。1990年と同様,9月11日以降の事態が比較的一般的性格のものであり,また,地域関連性が低いことを考えると,GCC加盟各国が様々な異なる利益を追求しながらも地域統合の見通しをこれ迄より真剣に考えていると思われる。過去3ヶ月間に以下の様な統合・団結の兆しが見られた。① GCC加盟諸国が共通対外関税率の採用を急いでいる兆候がある。② 特にサウジアラビアが域内諸国の一段の団結により当該諸国の保障を確保したいと強く願っている。③ アラブ首長国連邦の構成員であるアブダビが同構成員であるドバイに代わって10万B/Dの原油を販売しており,従来は敵対関係にあった両国がお互いの経済を下支えすることにより政治リスクを管理している。(7)地域内の脅威を管理する9月11日の米国同時テロに纏わる事象の様な新たな脅威が急速に台頭して来ると,域内諸国の指導者は予測される相互間摩擦の悪化を回避すべく,旧来の問題を解決或いは軽減させようとする傾向がある。アラブ団結を呼びかける声が再び高まってきたのもその表れと言えるかもしれない(但し,2002年3月開催予定のアラブ首脳会議の開催地選択に関する諍いがあることも事実である)。(8)サウジ,イエメン関係これがもっと鮮明に表れているのは,サウジアラビアとイエメンの間で友好関係が回復しつつあることであろう。既に,過去2年間に亘って両国の間には歩み寄りの姿勢が見られたが,それ迄,長期に亘って争われて来た国境未画定問題も意外な程速いペースで解決されるに至った。国境問題は2000年6月,急速に収拾に向かい,その後,サウジアラビアのアブドラ皇太子がイエメンの湾岸協力会議(GCC)加盟が実現する可能性があるとの声明を出すに至った。同皇太子の声明内容は大胆且つ斬新であった。イエメンはGCC加盟諸国に対して2つの問題を生じさせる恐れがある。その1つは人口問題で,―77―石油/天然ガス レビュー ’02・5Cエメンの人口*は恐らくGCC加盟諸国を合わせた人口を上回ると見られる(少なくとも,国民数で見た場合)。2つは,経済に関する問題で,イエメンはGCC加盟6ヶ国よりも遥かに貧しい。それにも拘らず,域内諸国は,例えばアラブ半島協力会議(Arabian PeninsulaCooperation Council)を設立しイエメンを加盟させず,1981年にGCCを創立させ,イエメンからの脅威を見込んだ対策を取ろうとしてこなかった。1990年にサウジアラビアはイエメンが密かにイラクと共謀してサウジアラビアを攻撃するとの見方から80万人のイエメン人長期居住者を国外追放している。(9)アラブ・イスラエル関係湾岸地域のダイナミズムを論議する場合,アラブ・イスラエル問題に触れずにいることは出来きない。9月11日の米国同時テロ発生以前の1年間,アラブ・イスラエル問題の外交手段による解決の見通しは断たれ,暴力と報復が繰り返されていた。2001年初頭時点で既にイスラエル・パレスチナ間ではその後2?3年間は暴力事件が散発的に起き,和平プロセスはほぼ行き詰まったままで,解決への道は閉ざされたと言うのが大勢予想となっていた。米国同時テロもアラブ・イスラエル問題に大きな影響をもたらさなかった。しかし,そう明確に言い切ることは出来ない。米国同時テロは,イスラエルに対する中東以外の国々の態度に変化をもたらした。つまり,米国以外にも国連や欧州諸国が「如何なる場合もテロ行為を許すことは出来ない」との考え方を受け入れるようになった。従来,パレスチナ人に対し同情的な国連事務総長とそのノルウエー人のアダバイザーが,パレスチナ難民キャンプ内の過激派をコントロール出来ないでいるアラファト議長を非難したことは思いもよらず同時に驚異的なことであった。その結果,暴力による抵抗はパレスチナ人にとりかえって不利になり,国際社会での非難も広が*(訳者注釈)イエメン人口1,768万人(1999年),サウジアラビア350万人,クウエート227万人,オマーン246万人,バーレン67万人,カタール59万人,UAE240万人(資料)World Year Book 2001年版ることになろう。イスラエルのアリエル・シャロン首相もこれを認識してはいるが,イスラエルがパレスチナ人によるテロの対象となっている限り,如何なる妥協の圧力にも屈しないであろう。(10)パレスチナ問題=サウジ・米国関係のアキレス健結果として,パレスチナ人が極めて不利な状況に陥る見通しがある。暴力行為により目的を達成しようとし続けた場合は,イスラエルが政治的妥協を全面的に拒否したとしても支持を得ることが出来きよう。また,例えパレスチナ人が暴力行為を停止したとしても,停戦及び占領・服従という政治的現実の継続を公式化するに過ぎない。そうなれば,中期的にパレスチナ人の間で焦燥感が募り,内部紛争が起こったり,或いはアラブ・イスラム世界に対して支援を求める声が増大することになる。更にはパレスチナ問題がアラブ諸国にとって取り扱い不可能なものに発展し,米国との外交関係が損なわれる結果にもなりかねない。既述の様に,これがサウジアラビア・米国関係のアキレス健となっている。8.アフガン危機と原油価格(1)原油価格と米国同時テロ2001年9月11日の米国同時テロは世界に大きな影響を与えたが,原油価格は一時的に小幅回復して間もなく,再び以前からの下落基調に戻ってしまった。この原油価格が下落基調にあることに9月11日の米国同時テロが全く関係ないとは言えない。同事件により一般的に悲観的ムードが広がった上,米国景気の後退がそれ迄予測されていた以上に速いペースで深刻化するとの予測が大勢となり世界の石油需要見通しは急激に悪化した。石油需要減少の予測から市場の弱気ムードが高まり,これが価格を押し下げる要因となった。(2)アフガニスタンと石油この様な石油トレーダーの直感は,アフガニ石油/天然ガス レビュー ’02・5―78―Xタンという国に関する情報が世界中に伝えられるにつれてより確かなものとなっていった。アフガニスタンの原油・ガス埋蔵量が零であることだけでなく,同国自体が油田やパイプライン網から遠く離れていることもすぐに判明した。確かに,1990年代には「Unocal」がカスピ海産原油をアジア市場に運ぶためにアフガニスタンを経由した石油パイプラインを建設するとの噂が広まったこともあった。しかし,後援者が提案ルート上地域の地政学的問題に業を煮やし同計画は1998年には取り止めとなった。(3)アフガン戦争は石油供給の障害にはならない?幾らか意外に思われるのは,その後の「反テロ戦争」に関した事象が,原油価格の変化をもたらす政治的要因となっていないことである。「アフガン戦争が石油供給の障害にはならない」とのトレーダーの当初の評価は正しかったが,以下の理由から原油価格が上昇してもおかしくなかったはずである。① 世界の超大国を巻き込んだ戦争の開始で市場の緊張感が増大。もし米国がアフガニスタンで優勢な戦況を展開出来なかった場合,その他の世界各国,特に湾岸地域諸国の情勢が不安定になっていたはずである。② アフガニスタンがイスラム教国であること,同国が過去20年間余りの間イスラム世界全体の政治的問題に迄なっていたという事実。同国内で何千人ものアラブ人が戦闘に参加してことは,アフガニスタンがイスラム世界での国を超えた政治問題になっていたことを意味する。③ 9月11日の米国同時テロにサウジアラビア国籍の人物が何人も荷担していたこと,ビンラディンがサウジアラビア出身であること,サウジアラビア国内には同氏とその大儀に共鳴する者が多くいたこと等が次々と判明,しかも,世界の原油生産量・埋蔵量の多くをサウジアラビアが占めていることを考えると,成り行きによってはサウジアラビア情勢及び同国の対米関係が不安定になる恐れがあった。(4)OPEC,非OPECの原油供給,アフガン,中東問題勿論,原油価格は2001年12月に入ってから下げ止まったが,その唯一の原因は,「OPECが2001年11月に減産を提案し,OPEC非加盟諸国から協調減産の同意を取り付ける交渉が行われたことを背景として,世界の石油供給が減るという市場予測が浮上したため」と言える。しかも,短期的な原油価格の動向は,アフガニスタンでの政治的展開や中東問題よりもOPECとOPEC非加盟諸国の原油供給(サウジアラビア・ロシア関係が注目材料)次第であるとの見方が市場の大勢となっている。(5)地域的政治変動要因は原油価格に影響を与える石油トレーダーは考え方が現実的であるため,当然のことながら足元での価格変動を懸念し,長期的な政治的要因を価格に織り込むことをしたがらない(特にそれが世界の需給見通し等の実体的でなく且つ確かではない要因の場合)。しかし,原油価格の水準を急激に変化させる恐れのある政治的要因は全く予期せぬ時に生じると常に不平を言っているのはエコノミスト,ビジネスマン,企業家全て同じことである。2002年初頭現在,ほぼ確かなことは,「2002年の原油価格の動向には地域的政治変動要素が少なくとも経済的変動要素と同程度に重要な影響を与えることになる」ことである。以下に2002年の原油価格のシナリオ3つを簡単に提示し,其々,どの様な政治的要因が原油価格に影響を及ぼす可能性があるかを考察してみたい。(6)原油価格急騰シナリオ単純に言うと,重大な出来事が発生し,それをトレーダーが価格に織り込んでいなかった時に原油価格が急激に暴騰する場合である。これが一時的現象に終わる時もあれば長期的に価格高止まりとなることもある。過去には,①1973?1974年にアラブ諸国が第4次中東戦争で敵国イスラエルを支援しているとして米国等に対し原油禁輸を行ったこと,②1979年にイランで国王追放を求めた大規模な国民デモが起こり,同―79―石油/天然ガス レビュー ’02・5曹フ原油生産量が大幅に落ち込んだこと,③1991年にイラクのクウェート侵攻による「湾岸戦争」で両国の原油輸出が減少した上,油田の炎上,アラビア湾の油汚染等も起こったこと等が有名な例として挙げられる。2002年中にこれらに匹敵する大規模な出来事が起こる公算は小さいものの,原油価格を28?40$/Bの幅迄急上昇させる様な出来事(決して予防不可能とは言い切れないが)が幾つか起こる可能性がある。それは以下の場合である。(A)イランにおいて改革派と反改革派の間で紛争が深刻化・長期化し,同国の原油生産量が減少した場合。(A)サウジアラビア王家の最上位権威者3人のいずれかが寿命以外の理由で死去し,王家の上位継承者の間で深刻な継承権争いが展開された場合。(!)ビンラディンがサウジアラビアに戻り,既に潜在的にある同氏に対する同情,共感が公然の事実となった場合。(?)イラクが原油輸出を停止し(恐らく,パレスチナ人との団結を表明するため),次いでサウジアラビア政府がOPECの原油生産量を補充することは政治的に不可能とした場合。(7)原油価格帯の中心値が目標となるシナリオ① バスケット価格18?21$/BOPECは自らのバスケット価格を22?28$/Bの価格帯に維持することが出来ないでいるため,これを「18?21$/Bに変更して防衛する」との新戦略が結果として採用されている。同価格帯は極めて妥当な水準であり,OPECが1980年代末期以降1990年代と長年に亘って目標として来た水準である。これはイランの様に高価格を望む国にとっても十分に受け入れられる水準であると共に,サウジアラビアの様に原油埋蔵量の多い国にとっても十分な水準であると見られ合意価格として適切な水準と思われる。この程度の価格を想定するためには長期的な需要の安定が必要である。従って,同価格帯を維持することはOPEC加盟諸国全体の利益を考慮した場合に最も望ましいと言えよう。② 価格維持の困難さしかし,もしOPEC加盟諸国が最も容易に同意出来る価格水準が同価格帯としたら,それを防衛することはそれ程容易ではなくなる。このことは,価格が30$/B近辺で高止まりしていた局面で明白となった。サウジアラビアは価格の緩やかな下落を目指していたが,余り供給を増やし過ぎて価格総崩れとなることも懸念していた。つまり,1997年11月にジャカルタで開催したOPEC会議にて増産を決定し,原油価格を大幅に押し下げることなく増産することを試みて失敗した苦い経験がまだOPECの記憶に焼き付いている。当時のOPECの誤算により1998年に原油価格は10$/B迄下落し,それによりOPEC加盟諸国全体が打撃を受けたのは勿論,特にイラン国内の安定が脅かされる結果となった。③ ロシアの協調減産受入れはサウジを救う上記の様な苦い経験を忘れてしまった産油国はないはずであるが,原油価格は目標価格帯内で推移しており,北海ブレント原油の先物は21$/Bに辛うじて達した状態であり少なくともOPECにとり2002年は幸先の良いスタートとなった。つまり,OPECは価格を動かす必要がなく,現在の水準を維持すれば良いだけとである。しかし,特に,既述シナリオにて言及した国々で懸念される様な政治的偶発事が起こった場合,価格水準を維持することは益々困難となる。2001年12月にサウジアラビアがOPEC非加盟諸国に協調減産を承諾させるためにロシアに対して威圧的な態度を取るとのサウジアラビアらしくない出方をしたことを考えると,「OPECが原油価格をミクロ水準で管理する能力があるかどうか」との疑問が沸いてくる。実際,ロシアが協調減産に同意しなかった場合はサウジアラビア政府も減産を見送る決意であったらしく,サウジアラビアが如何に絶望的であったかは明白である。望ましい価格水準を維持するためには価格暴落のリスクをも辞しないというのは,賭博師の態度であり,価格安定維持の責任を負う国が取るべき方策ではないと思われる。(8)原油価格暴落シナリオ① 暴落の可能性(10$/B?)石油/天然ガス レビュー ’02・5―80―r.PhilipROBINS1958年4月生,44歳・エクセター(Exeter)大学政治学部(BA)卒・オックスフォード(Oxford)大学政治学修士過程(MA)終了・エクセター(Exeter)大学博士課程(DR)修了・現在,オックスフォード大学セント・アントニーズカレッジのフェロー。同大学で過去6年間,現代中東の政治学,国際関係論の講座を持つ。・当初,BBC(放送),ザ・ガーデアン(新聞)の中東特派員として長く中東に滞在,その後,1987年,英国の代表的な国際問題・外交政策の研究機関である王立国際問題研究所(通称:ChathamHouse)に入所,中東部長。・1991年,英国下院外交委員会の顧問として英国議会のために「湾岸諸国の将来」に関する調査を担当,又,2000年にも同外交委員会のために「英国の対イラク外交政策」報告書を作成。・現アフガニスタン問題に関しても政府各委員会のアダバイザーとして活躍中。国際問題,現代中東問題の英国の専門家の1人である。本稿訳責:石油公団ロンドン事務所長 岩間 敏原油価格は過去4年間余りに変動が激しかったため,1つ目のシナリオで述べた様な価格急騰を引き起こす要因の何れがなくとも価格が10?30$B/の間で上下する可能性は十分ある。北半球諸国の景気がどの程度後退するか全く不明であり,しかも,9月11日の米国同時テロが起こったために世界経済の見通しが益々不透明になったため,価格の変動が更に激しくなっている。原油価格が18?21$/Bの間で推移すると安心し切ってはならない。仮に,ロシアが約束した原油生産枠を守らず,米国の経済指標が相次いで景気悪化を示し,北半球の冬が引き続き温暖となった場合は価格が急落する可能性が十分ある。その場合,価格はどこ迄下落するであろうか。恐らく10$/Bを下回る(或いは同水準を大幅に下回る)ことにはならないであろうが,これ迄に何回となく述べた様に,10$/Bの価格水準が既に議論されて来ている。② 1980年代とは異なるサウジアラビアの現状2001年12月にサウジアラビアが取った石油外交手段は「無謀な権威の誇示」と言える。価格下落の見通しに関して誰が何と言おうと,価格が大幅に下落する可能性をサウジアラビアは認識していたと思われる。サウジアラビアにとり是非とも避けたいシナリオは,原油価格の下落と共に石油収入が急減し,それに対してサウジアラビアが1980年代初期の様にスウィング・プロデューサーとして対処するとの期待が急激に高まることである。この様なシナリオが現実化することはサウジアラビア政府にとり好ましくないだけではない。サウジアラビアの現在の財政状態では1984?1985年時の様に十分な対処が不可能なだけでなく,国内の政治的圧力が現在より更に一段と増大する結果にもなりかねない。―81―石油/天然ガス レビュー ’02・5
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2002/05/30 [ 2002年05月号 ] Dr. Philip ROBINS
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