米国の対中東政策を左右するシンクタンク事情 ~影の主役の興亡~
| レポートID | 1006183 |
|---|---|
| 作成日 | 2005-09-20 01:00:00 +0900 |
| 更新日 | 2018-02-16 10:50:18 +0900 |
| 公開フラグ | 1 |
| 媒体 | 石油・天然ガスレビュー 2 |
| 分野 | エネルギー一般 |
| 著者 | |
| 著者直接入力 | 菅原 出 |
| 年度 | 2005 |
| Vol | 39 |
| No | 5 |
| ページ数 | |
| 抽出データ | アナリシス東京財団リサーチ・フェローsugawara@tktd.or.jp菅原 出米国の対中東政策を左右するシンクタンク事情?影の主役の興亡?1.はじめに総合研究開発機構(NIRA)の調査によると、現在世界には3,500以上のシンクタンクが存在するが、その実に半数以上がアメリカにあるという。このシンクタンク王国アメリカでは、膨大な量の政策研究、政策提言が日々生み出されている。この情報の洪水の中で我々は、ブッシュ政権の中東政策を読み解く上でどのようなシンクタンクに注目するべきなのだろうか。本稿では、アメリカにおけるシンクタンクの役割やその歴史的経緯を概観した上で、競争の激しい「アイデア市場」におけるメジャー・プレーヤーたる大手シンクタンクの横顔やブッシュ政権との関係を紹介することで、今後の米中東政策の方向を探る手がかりを提示したい。2.アメリカ・シンクタンクの役割「シンクタンク」とは元来、第二次世界大戦時のアメリカで、国防関係の科学者や軍の作戦担当者たちが、「戦略を討議するために集うことのできる安全な場所や環境」を指して呼んだのがその始まりである。それがやがて、「世論や公共政策に影響を与えることを主な目的とした独立の公共政策研究機関」全般を指すようになった。リチャード・ハース氏提供:ロイター・サン61石油・天然ガスレビューシンクタンクは、政府や大学からの資金援助を受けている場合もあるが、原則として独立した非営利機関であり、公共政策に関する調査研究を行い、政策提言や政策研究をメディアやシンポジウム、セミナーまたは議会証言などを通じて発表し、政策担当者や世論に影響を与えることを目的とした機関である。アメリカの名門シンクタンク、外交関係評議会(CFR)のリチャード・ハース会長は、国務省政策企画室長時代に、今日のシンクタンクの役割として、主に以下の5つを挙げている(文献1)。漓新鮮なアイデアや意見の提供シンクタンクは、政策立案者が世界に対して抱いている認識や思考を一変させてしまうような、「斬新なアイデアや新鮮な意見」を生み出す機能を持っているし、そうした役割を期待されている。「真に独創的な洞察は、アメリカの国益に対する概念を変え、政策の優先順位に影響を与え、行動のための指針をも与えることがある」とハースは述べている。例えばCFRは、第二次世界大戦の勃発と同時に、戦後世界の国際秩序の礎を築くことを目的に、戦争と平和に関する研究を大規模に進め、大戦中だけで、国際連合(UN)の創設からドイツ占領政策まで、実に682本もの政策提言や覚書を国務省に提出したという。最近のイラク戦争やその後のイラク占領政策についても、CFRを始めとするアメリカのシンクタンクは、毎週数え切れないほどの政策提言や覚書を発表していた。滷優秀な人材の提供シンクタンクの重要な役割の2つ目は、「アイデア」に加えて「人」も提供できる点である。アメリカでは政権交代の度に、各省庁の中級レxルまで人員の入れ替えが行われ、全体で5,000人くらいの人が入れ替わるといわれている。このアメリカ独特の政治システムの中で、シンクタンクは新政権のメンバーとなる人材を供給するだけでなく、旧政権のメンバーたち、つまり政府のポストを離れて野に下る人たちの受け皿としても機能する。政府を離れた人たちは、現場でしか得られない情報や洞察力を身につけて、今度はシンクタンクでそれにさらに学問的な研究を加えて、将来の政府への復帰を待ちながら、自身の政策に磨きをかけるのである。澆メディア・専門家への告知3つ目の役割は、政策立案者たちが検討している政策オプションに関して、シンクタンクの研究員や評論家、ジャーナリストを含めたいわゆる「外交政策コミュニティ」で、コンセンサスとまではいかないまでも、一定の認識を広めることができる点である。政策立案者たちは、シンクタンクが主催する数々の会合やシンポジウムに参加し、そこで現在の政策や新たな試みに関する説明を行う。また検討中の政策案に関して、ちょっとしたアドバルーンを打ち上げて聴衆の反応を伺うこともできる。こうして政策立案者たちは、実際の政策を発表する前に評論家たちの反応を知ることができるし、逆に評論家やシンクタンクの研究員たちも、政府が考えている方向性を知ることができるというわけだ。潺一般国民の啓蒙4つ目の役割は、広く一般の啓蒙に貢献しているという点である。外交政策や現在世界で起きている出来事に関するシンクタンクの報告は、広く一般にも向けられている。『フォーリン・アフェアーズ』『ワシントン・クォータリー』など、シンクタンクの発行する出版物は一般アナリシスの書店でも購入ができるし、さらにインターネットを通じて多くの情報に誰でもアクセスできるようになっている。各シンクタンクのウェブサイトに行けば、そこが出している発行物や研究員の論文はたいてい入手できるようになっており、その時々の国際情勢分析や研究員の政策提言が読めるようになっている。潸民間外交の展開5つ目の役割は、シンクタンク自身が政治的緊張状態にある国との対話を進め、紛争を調停するというような民間外交を展開することができる点である。例えば1980年代中盤に、カーネギー平和財団は、南アフリカの指導的な立場にあった政治家、聖職者、財界人、労働組合の代表、学者や亡命中の解放指導者などをワシントンに集め、米議会や国務省のスタッフも交えた会合を定期的に行った。この会合は実に8年間にもわたって根気強く続けられ、南アフリカの政治解放に向けた道筋をつくったと言われている。シンクタンク <理論>と<実践> の橋渡し 大 学 <理論> 学術研究を目的とするため、現場とは無縁の理論や方法論に没頭 政策現場 <実践> 目前の政策課題に没頭。広い視野で客観的評価が困難 漓 新鮮なアイデアや意見の提供滷 優秀な人材の提供澆 メディア・専門家への告知潺 一般国民の啓蒙潸 民間外交の展開図1図2シンクタンクの5つの役割3.アメリカにおけるシンクタンク発展の歴史アメリカにおける外交政策シンクタンクの登場は、1900年代の初頭に、裕福な慈善事業家たちが、公共の利益に仕えることを目的に私財を投じて政策研究所をつくったことに始まる。初期のシンクタンクは、「学生のいない大学」と呼ばれ、学者たちが授業や事務的な責任から逃れて学術研究に集中できる環境を提供することが、その主たる目的だった。「大学」と呼ばれたことからも明らかなように、この頃のシンクタンクは、政策に影響を与えるということよりもむしろ、経済や政治問題など、社会が直面している重要な問題に対する理解を深めることと、質の高い学術的な研究をすることを第一の使命としていた。ただし、通常の大学と異なり、シ2005.9. Vol.39 No.562ト国の対中東政策を左右するシンクタンク事情 ?影の主役の興亡?ンクタンクの学者たちが提供する研究報告は、学者向けではなく政策立案者を対象としていた。た。また、ハドソン研究所やアーバン研究所もこうしたタイプのシンクタンクに分類されている。このタイプのシンクタンクでは、研究者はまれに政策立案者に直接政策アドバイスを行うこともあったが、彼らの第一の目的は、直接的に政策決定に影響を与えることではなく、あくまで政策立案者や国民一般に対して、特定の外交政策によって生じるであろう結果や潜在的なリスクを詳らかにし、より正確な知識を広めることにあった。当時のシンクタンクは、政策決定過程に直接かかわってしまうと、知的独立やシンクタンクとしての独立を保てなくなるのではないか、と危惧をしていた(文献2)。このシンクタンク草創期から存在し、「学生のいない大学」としての伝統をいまだに有しているシンクタンクとしては、カーネギー平和財団、ブルッキングス研究所、外交関係評議会(CFR)が挙げられるだろう。さらに1970年代に入ると、第三世代の「政策宣伝」のシンクタンクと呼ばれるタイプが登場する。これは政策研究と積極的なマーケティングの手法を組み合わせ、ロビー団体とも共通の機能を兼ね備えた新しいシンクタンクである。この政策宣伝を基本とするシンクタンクは、従来のシンクタンクの性格や役割に根本的な変化を与えた。カーネギー平和財団やブルッキングス研究所が、「学生のいない大学」としてあくまで社会科学研究に努め、政策立案者に対する政策の売り込みにはあまり興味を示さなかったのとは対照的に、政策宣伝のシンクタンクは、「アイデアブローカー」として積極的に政策を売り込み、政策の方向性や内容に直接的に影響を与えることを目的としたからである。1970年代前半から始まったこの「政したのである。各シンクタンクは、長期的で学術的な研究に従事するよりも、むしろ直接政策と関係のある助言をタイムリーにすることに神経を使うようになり、分厚い学術書を書くよりも、短くてコンパクトな政策提言書を書くというように、そのプロダクトの形態にも変化が見られるようになった(文献3)。アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)やヘリテージ財団などはこのような第三世代の新しいタイプのシンクタンクの代表格である。このような歴史的経緯を経て、今日のシンタンク業界が出来上がっている。もちろん今日においてはカーネギーやブルッキングスなどの第一世代のシンクタンクも、政府に直接的に政策を売り込むためにアイデア市場で積極的なマーケティングを行っているが、前述したような伝統をどこかに持ち続けながら現在に至っている。20世紀初頭につくられたシンクタンクが、「学生のいない大学」と呼ばれるタイプのものだったのに対し、第二次世界大戦後になると、「政府の契約者」と呼ばれる新しいタイプが登場することになる。これは特に軍事分野の研究で顕著に見られたのだが、戦争中に軍が民間部門の技術者や科学者との協力関係を強めたので、戦後もそのような関係を永続的に継続していきたいという軍や政府の意向の下でシンクタンクが設立されたのである。こうしたシンクタンクは、主に財源を政府に依存し、政府からの大口の委託研究を目的とした新しいタイプの政策研究所である。1948年5月にアメリカの安全保障を確保するために創設されたランド研究所は、その代表といえるだろう。ランド研究所は、それまでの研究者と政策形成過程の関係を根本から変化させ、新世代のシンクタンクの見本となっ策宣伝」シンクタンクの大量発生は、政策・専門知識の政治化を引き起こし、シンクタンクと政府の関係を大きく変えることになった。多くのシンクタンクが直接政策へ影響を及ぼそうと競争を始め、そのためのマーケティングに力を入れだしたことから、アイデア市場における競争が激化63石油・天然ガスレビュー●初期のシンクタンク(1900年初めに登場)「学生のいない大学」質の高い学術的な研究が第一。例)ブルッキングス研究所、カーネギー平和財団、外交関係評議会(CFR)●第2世代シンクタンク(第二次大戦直後に登場)「政府の契約者」戦時下の官民協力体制を戦後も継続。政府からの大口委託研究などに従事。例)ランド研究所、ハドソン研究所●第3世代シンクタンク(1970年代に登場)「政策宣伝」政策研究とマーケティングやロビー活動の機能を併せ持ち、積極的にアイデアを売り込む。例)アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)、ヘリテージ財団図3アメリカ・シンクタンク発展の歴史.アメリカ外交政策の3つの潮流とイスラエル問題アメリカにおける外交政策の基本的な考え方には、大きく分けて3つの潮流がある。リベラル・インターナショナリズムとリアリズムとネオコンサーバティズムである。リベラル・インターナショナリズムは、国際機関などを重視して国際的な相互信頼と共存によって国際社会を運営していくという理想主義的な考え方である。これに対してリアリズムは国際機関や条約・協定といったものをあまり信用せず、軍事力の均衡やパワー・ポリティクスで国際社会の安定を図るという現実主義的な考え方である。最後のネオコンサーバティズム(ネオコン)は、自由や民主主義といった理想的な価値観を世界に広めるために積極的に軍事力を行使し、それによってアメリカの強固な覇権を築こうというものである(文献4)。アメリカの中東政策を見る場合には、これにイスラエルという要素が加わる。建国以来同国はアメリカの重要な同盟国だが、イスラエルは国連を含めて国際社会ではむしろ批判を受けることが多い。そこでアメリカが中東政策を「国際主義」的に行おうとするとイスラエルを犠牲にしてしまう恐れがある。著名なネオコン論者のチャールズ・クラウトハマーはかつて、「イスラエルの安全を守るという点において、アメリカは孤立無援である。EUが、ロシアが、国連がイスラエルを守ってくれるか。彼らはいつでも圧力をかけてばかりだ。イスラエルを守るためには、アメリカは単独行動主義にならざるを得ない」と述べていた。またイスラエルはアラブ諸国に囲まれており、脆弱な基盤であるため、勢力均衡的なリアリズムの考え方もベストではない。そこでネオコンは、中東の秩序を根底から覆して新たな秩序を築くことを望むようになり、イラクのフセイン体制を崩壊させて、中東に民主主義を打ち立てるという壮大な計画をぶち上げたブッシュ大統領を支持したのである。少なくともこれまでのところは。こうしたアメリカ外交の潮流やイスラエル問題を考慮しながら、以下、アメリカの中東政策にかかわる主要なシンクタンクを分析していこう。ブルッキングス研究所(The Brookings Institution)同研究所は1916年に、財界指導者と著名な学者の一群が、「政府活動研究所」という民間の研究所を設立したことに始まる。同研究所の設立者たちは、連邦政府の効率化を図るために、民間の専門知識と効率化のノウハウが必要だと考えた。そこで同研究所の初期の活動は、政リベラル・インターナショナリズムリアリズムネオコンサーバティズム主義特徴理想主義国際機関重視、国際的な相互信頼・共存現実主義国際機関不信、力の均衡・パワーポリティクス信奉目標行動原則アラブ・イスラエル問題現状変革国際協調主義国際世論を受けてアラブ寄り現状維持同盟重視アラブ・イスラエル均衡維持理想主義自由・民主主義を世界に広めるという使命感、軍事力の行使を厭わない現状変革単独行動主義イスラエル寄り図4アメリカ外交の3つの潮流アナリシス府の各省庁に近代的な会計システムを導入させることであり、研究所のメンバーたちは政府に協力しながら、近代的なビジネスの手法を政府の日常業務に採用させるよう働きかけた。1927年になると、この政府活動研究所と「経済研究所」という別の民間研究所が統合され、ブルッキングス研究所が誕生した。この統合をまとめたのはロバート・ブルッキングスという木製品の製造販売会社の社長で、同氏は46歳で早くも実業界を引退して慈善事業に余生を捧げていた。ブルッキングス研究所は、連邦政府機関を効率化することに主眼を置き、予算・税政策、国際貿易・経済問題、国際協力機関、連邦政府職員の状況に目を光らせ、政府の効率と経済について問題提起をし続けた。ところが1950年代にケインズ学説を支持する経済学者の一群が入ってきたあたりから、同研究所の方向性に変化が現れる。1968年の大統領選挙で共和党が勝利して、職を失った民主党のリベラル派が引っ越してきたことから、同研究所はあたかも「民主党の亡命政府」のようになってしまった。しかしその後は、紆余曲折を経て党派色が薄まり、中道路線に至って、民主党、共和党政権を問わず一定の影響力を有している。同研究所はもともと国内経済や社会政策を中心に研究していたが、第二次世界大戦以降は国際問題の研究にも力を入れ、現在は外交政策研究、経済研究、行政研究の3分野を柱にしている。中東研究に関しては「中東政策サバンセンター」が中心となって精力的に政策研究を行っている。同センターの所長は、クリントン政権で駐イスラエル大使や近東問題担当国務次官といった要職を務めたマーティン・インディク。また同センターの研究部長は、CIA(中央情報局)でイラン・イラクの軍事情勢を分析し、NSC(国家安全2005.9. Vol.39 No.564ト国の対中東政策を左右するシンクタンク事情 ?影の主役の興亡?保障会議)で近東・南アジア問題やペルシャ湾岸問題担当の部長を務めた軍事アナリストのケネス・ポーラックである。ポーラックはイラク戦争以前にフセイン政権の大量破壊兵器(WMD)に関する本を出しており、同書はブッシュ政権のイラク戦争の根拠の1つのように言われたこともあるが、彼は後に、彼自身を含めた専門家がなぜイラクのWMD開発状況に関する分析を誤ったのかを反省を込めて分析した論文も発表している(文献5)。同研究所の客観的な分析は、現在のブッシュ政権の中東政策の問題点や今後の課題を知る上で極めて有益である。外交関係評議会(CFR)セオドア・ルーズベルト政権で国務長官を務め、ノーベル平和賞受賞者でもあったエリヒュー・ルートが中心になって、1918年11月に外交関係評議会と呼ばれるインフォーマルな集まりが発足した。金融界、製造業界、貿易・商業界、そして法曹界の著名人100名以上が、毎月ディナーミーティングに集い、外交問題について討議をしたり、マーティン・インディク氏提供:ロイター・サン65石油・天然ガスレビュー国際情勢について意見交換をする会ができていた。1921年7月には、ウィルソン大統領に助言をした学界や政界の著名人たちがこれに加わり、新生CFRが発足。アメリカに関係する国際問題に関して、より広範で多角的な議論のできる場となっていった。CFRの目的は「世界情勢に関する理解を深め、アメリカの外交政策に新しい思考をもたらし、次世代の外交政策リーダーや理論家を発見し、育てること」とされた。民主党員、共和党員を問わず超党派で構成され、当時は多くのエリートクラブがユダヤ人の入会に制限を加えていたのに対し、CFRは発足当時から著名なユダヤ人をメンバーに加えていた。また1922年以来発行している外交評論誌『フォーリン・アフェアーズ』は、対立する大胆でさまざまな議論を掲載し、現在に至るまで国際関係の議論を引っ張る牽引車としての役割を果たしている。ジョージ・F・ケナンの有名な「X論文」を『フォーリン・アフェアーズ』が発表してソ連封じ込め理論を世界に広め、ニクソン訪中の理論的土台としての「二つの中国」政策もCFRが提唱した。CFRは第二次大戦から今日に至るまで、国際政治の重要局面で指導的な役割を果たしてきている(文献6)。アメリカのエリート中のエリートが集まるCFRは、もちろんブッシュ政権に対しても一定の影響力を持っているが、CFRの中道的スタンスと現実主義的な政策アプローチは、これまでのブッシュ政権の路線とは異なっていた。最近ではブッシュ第一期政権の国務省政策企画室長を務めたリチャード・ハースがCFR会長に就任し、イラク戦争などで悪化してしまった米欧関係の修復や、アラブ世界との関係を改善させることに力を入れているようである。CFRの政策提言からは、米ビッグビジネスや国際的なエリート・エスタブリッシュメントの意向が見られるし、政権が行き詰まっているときなどに斬新なアイデアが飛び出してくることがあるので、要チェックといえよう。カーネギー平和財団(Carnegie Endowment for InternationalPeace)カーネギー平和財団は1910年11月に、アメリカの鉄鋼王であり、気前のよい慈善事業家としても知られていたアンドリュー・カーネギーが、「戦争の廃止を実現する」という目的のために設立したシンクタンクである。「強力な国際法と国際組織の存在が戦争を防ぐ上で有効だ」と考えていたカーネギーは、それまでにもオランダ・デンハーグ市に設立されることになった国際平和宮殿の建設に多大な寄付を行うなど、数多くの慈善活動を行っていたが、その延長線上で政策研究所を設立したのである。初期のカーネギー財団は、国際紛争解決のために国際法の発展や戦争の原因や結果に関する研究、それに国際協力と理解を深めるための事業を中心に活動を展開した。第二次世界大戦後には、新たに設立された国際連合に関する研究や、戦後の国際的な法律制度に関する調査研究に力を入れ、諸外国の政府高官に対する外交研修プログラムや学術誌『国際調停』を発行するなど、主に国際協調を推し進める活動を精力的に行った。同財団の国際協調主義は現在まで引き継がれており、最近では国境を超えたグローバルな問題やロシア・ユーラシア問題の分野で優れた研究を発表している。特に大量破壊兵器の不拡散問題に力を入れており、イラク戦争前にヘフセイン政権に対する国連の大量破壊兵器(WMD)の査察に際して、従来の査察とは異なる「強制査察」という方法を提案しておおむねその案が国連に採用されるなど、力を発揮した。カーネギー平和財団は国際協調主義的傾向が強く、単独主義の強いブッシュ政権の中東政策には概して批判的である。ブッシュ政権のイラク戦争には終始批判的な評価を発表し、イラクのWMD開発に関してもいち早く「イラクにWMDはない」と結論付ける論文を発表した。また、ブッシュ政権が脅威評価を誤った原因についての分析やWMDのテロリストへの拡散を抑止する方法や国連の兵器査察システムを強化する策、インテリジェンスを政治的に悪用することを避けるための方法など、イラク戦争の反省を踏まえた数多くの提言を行っている(文献7)。同財団の研究や提言、それに機関紙『フォーリン・ポリシー』は、クオリティが高いことで定評があるが、国連など国際機関の力を強化することによる国際システムの構築に主眼を置いており、現在のブッシュ政権のアプローチとはかなり異なっている。また、中東問題ではイスラエル・パレスチナ等距離路線であり、イスラエル寄りではないが、ブッシュ共和党路線のオルターナティブとしてどんなアプローチがあるのかを知る上で、貴重な情報を与えてくれよう。ランド研究所ランド研究所は1948年に、核時代におけるアメリカの安全保障を確保するために、ダグラス航空機会社と米空軍の共同研究プロジェクトの延長線上として設立された。同研究所は「政府の契約者」としての新しいシンクタンク第1号であり、それまでの研究者と政策形成過程の関係を根本から変化させた。また、それまでの文献調査、構造分析や統計調査といった定番の分析手法に加え、「システム分析」という新たな技術を開発して合理的分析の新しいスタイルを切り開くなど、新しい分析法の開発でも業績をあげた。世界中の政策研究の戦略的思考に大きな影響を与えた「ゲーム理論」も、ランド研究所の業績の1つである。同研究所は伝統的に米国防総省と関係が深く、核戦略や防衛政策に関する研究で強みを発揮してきたが、最近では国際テロ問題や本土防衛問題、エネルギーや環境と経済開発の問題など幅広い政策研究を行っている。最近の例でいえば、アフガニスタンやイラクにおけるアメリカの国家建設がうまくいっていないことから、コソボや東ティモールなど過去の紛争後の国家建設プロセスの例との比較を行った上で、「警察、裁判所や司法制度など国内治安システムを紛争後にいかに構築するかが国家建設を進める上で最重要である」と指摘し、紛争後の国内治安システム構築のための研究にもっと力を入れるべきだとする提言を行っている(文献8)。ブッシュ政権との関係でいえば、チェイニー副大統領の首席補佐官を務めるルイス・リビーはランド研究所の諮問委員会のメンバーであり、駐アフガニスタン大使から最近は駐イラク大使に任命されたザルメイ・ハリルザドもランド研究所の要職に就いていた。アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)当初「アメリカン・エンタープライズ・アソシエーション(AEA)」と呼ばれていたAEIは、1943年にある実業界の大物が、「自由企業活動の思想を促進する目的」で設立したものである。強まるケインズ主義の波から自由経済の価値を守り、ブルッキングス研究所に対抗しようとしたのである。1962年になると、新たな経営陣の下で名称を「アソシエーション」からアナリシス「公共政策研究所」に改め、政策研究センターとしてのイメージアップを図った。さらに、ミルトン・フリードマン、ジーン・カークパトリック、ハバート・スタインといったアメリカで最も著名な経済学者、政治学者、旧政府高官たちを研究員として雇い入れ、保守の信条を売り出すための強力なチームをつくった。新生AEIは、アイデア市場での競争に勝つことこそ生き残るカギであると考え、保守メッセージを売り込むために様々なプロジェクトに取り組む。例えば時間のない研究員のためにゴーストライターを雇い、新聞への寄稿をどんどん書かせ、公共政策に関するテレビ番組の制作を請け負ったり、ラジオのトーク番組を制作したりした。AEIのメディアにおける露出度を高め、さらに各財団から多くの寄付を募り、その活動を広げたのである。こうしてAEIは政策宣伝に成功し、政策形成に対する影響力を増大させ、保守派研究者のネットワークの中心的地位を占めることに成功した。そしてこの頃からAEIは、共和党員の「亡命政府」とか「保守派のブルッキングス」と呼ばれるようになったのである(文献9)。ブッシュ政権に最も近いといわれたのがこのAEIで、第1期政権では十数名が政権入りを果たした。その筆頭は、理事を務めたディック・チェイニー副大統領であり、AEIのヴァイス・プレジデントだったジョン・ボルトンは国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)に任命され、彼のアドバイザーとなったデヴィッド・ヴァームザーや国防長官のアドバイザーを務めた国防政策委員長リチャード・パールもAEIの常駐研究員だった。AEIはしばしば「ネオコンの牙城」と呼ばれるほどネオコン論客のたまり場で、中東政策においては親イスラエル、中東民主化路線を明確にしており、2005.9. Vol.39 No.566ト国の対中東政策を左右するシンクタンク事情 ?影の主役の興亡?ブッシュ政権の中東政策の重要なサポーターである。イラク戦争の直前にあたる2003年2月26日に、ブッシュ大統領がAEIで講演を行い、イラク攻撃の延長線上に「アラブ世界全体の民主化」を掲げ、ネオコンの論理を代弁したのは象徴的であった。ヘリテージ財団1973年にコロラドのビール醸造業者ジョゼフ・クアーズなどの資金援助を受けて誕生したヘリテージ財団は、極めてユニークな存在だ。ブルッキングスやカーネギーなどの学術系シンクタンクとは対照的に、ヘリテージ財団は始めから政策に直接影響を与えることを目的につくられたからである。同財団は、「民主主義的原則の促進」、「市場経済原理の促進」、「日常生活における政府の役割の低下」、「個人の自由の促進」、そして「強力な国防」という草の根保守的な目的を明確に掲げており、発足初期の頃から年間予算の40%、現在では60%がそうした草の根保守の個人寄付で成り立っているという(文献10)。ヘリテージはまた「政策立案者に影響を与える」ことに徹頭徹尾こだわっている。国内・国際情勢に関してすべての議会メンバーに1ページか2ページのコンパクトな分析レポートを送るなど、議会メンバーが時間がないことを念頭に置いて、なるべく短く、タイムリーにレポートを発行することを心がけるなど、政策を売り込むための工夫に力を入れ、特に議会に対する政策提言で実績をつくった。共和党政権におけるヘリテージ財団の影響力は強く、レーガン政権時はその絶頂を誇ったが、現在のブッシュ政権にもAEIに次いで多くの人材を送り込んでいる。ブッシュ政権を支える全米の熱心なキリスト教徒の草の根保守派の意見を代弁しているのがこのヘリテージだが、強力な軍事力を背景にアメリカの価値観を世界に広げようとしているブッシュ政権の外交政策を強く後押ししており、同政権の中東政策もほぼ全面的にバックアップしている感がある。イラクの戦後統治では、米国防総省の要請を受けて、連合国暫定当局(CPA)のスタッフのリクルートに協力するなど、政策面以外においても保守政権を支えている実態が明らかになっている。戦略国際問題研究所(CSIS)戦略国際問題研究所は、1962年にワシントンにあるジョージタウン大学の付属機関としてスタートした。元国務次官と元海軍司令官が設立し、海軍や陸軍出身者が多いのが特徴だった。空軍と近いランド研究所が、数量計算やシステム分析で核戦略や兵器技術の研究を進めたのに対し、CSISはもっとオーソドックスな地政学的な戦略分析アプローチを好んだ。こうした背景からCSISは戦略上重要なあらゆる地域の専門家を集め、歴史学者、政治学者、地域専門家らに活躍の場を与えてきた。党派的なイデオロギー色は薄く、国際政治のリアリズムに基づいた現実主義的アプローチで外交・安全保障分野の分析において確固たる地位を築いている。ヘンリー・キッシンジャー、ズビグニュー・ブレジンスキー、それにブレント・スコウクロフトといった現実主義外交の重鎮たちが顧問に就いているのも特徴である。共和党、民主党政権を問わず緊密な関係を持ってきたCSISは、ブッシュ政権には北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議などで活躍したジェームズ・ケリー国務次官補を送り込んだ。ケリー氏は第2期ブッシュ政権では政権を離れて再びCSISに戻っている(文献11)。中東研究においては、イラク戦争前から戦後計画の必要性を訴えて、計画の青写真を示していたほか、イラク治安機関の育成が急務であることもいち早く指摘して、数多くの提言を行ってきた。またCSISは、米国の大手石油会社やアラブの産油国との関係もよく、エネルギー問題で精力的に研究やシンポジウムの開催などを行っている。アメリカの中東政策やエネルギー政策を見る上で、同研究所のレポートは不可欠といえよう。ワシントン近東政策研究所(Washington Institute for Near EastPolicy:WINEP)WINEPは、1985年にアメリカ最大の親イスラエル・ロビー団体「アメリカ・イスラエル広報委員会(AIPAC)」の研究部長だったマーティン・インディク(現ブルッキングス研究所中東サバンセンター所長)が中心になって設立した研究所である。AIPACは米議会に対するロビイングを行い、WINEPはイスラエルや中東政策に関して政権との関わりを深めるという役割分担を行ったのだという。この誕生からして明確だが、WINEPは親イスラエル色が強く、テルアビブ大学の戦略研究Jaffeeセンターとも緊密な関係を有している。イスラエルの安全保障を確保することを米中東政策の最重要課題と位置づけており、政策研究にとどまらず、米軍の高官たちがイスラエルやトルコ、ヨルダンの軍高官たちと交流を持てるような機会を提供する活動も行っている。WINEPは若い団体ではあるが、役員に『USニューズ&ワールド・レポート』や『New Republic』の発行人が入っていることから、メディアにおける露出度は高い。1998年にWINEPが発行した『平和の構築:アメリカの中東戦略』は、ブッシュ父政権が進めた中東和平の下敷きとなったとも言われており、実際に同レポートの6人の執筆者が政権入りした。またその続編である1992年に出された『永続的なパートナーシップ』67石油・天然ガスレビューヘ、イランとイラクの両国を封じ込めるいわゆる「ダブル・コンテイメント」戦略を提唱し、クリントン政権に採用されたという。このレポートの賛同人のうち11人がクリントン政権入りをして、マーティン・インディク自身もクリントン大統領特別アシスタント、NSC近東および南アジア問題担当の上級部長に抜擢された。ブッシュ第1期政権では、その影響力はAEIなど他のネオコン・シンクタンクに譲ることになったが、国防副長官と国防政策委員長に任命されたポール・ウォルフォウィッツとリチャード・パールは、ともにWINEPの顧問を務めていた。また、イラク占領期にはマイケル・ルービン研究員を連合軍暫定当局(CPA)の政治顧問として送っていた(文献12)。現在、WINEPの顔としてしばしばマスコミに登場するのは、ブッシュ父政権とクリントン政権下で長期にわたり中東和平の実務に携わったデニス・ロスである。民主・共和両党の中東政策エリートに太いパイプを持つこの辣腕元外交官の言動には、常に目を光らせる必要があるだろう。新アメリカの世紀プロジェクト(PNAC)/安全保障政策センター(CSP)/国家安全保障に関するユダヤ系研究所(JINSA)ここではネオコン系の新興シンクタンクを3つ紹介する。PNACは1997年6月に、保守系雑誌『ウィークリー・スタンダード』の編集・発行人であるウィリアム・クリストルが設立した団体である。「イラク戦争でブッシュ政権を後押しした」ネオコン系シンクタンクの代表として既に日本でも有名になっている。PNACは、レーガン政権を手本に、アメリカがソ連崩壊後の世界で唯一の超大国としてその覇権を維持・発展させるために、圧倒的な軍事力を背景とした国際的なリーダーシップを発揮すべきことを提唱している。ブッシュ政権入りしたメンバーの中で、PNACと関係が深かったのは、エリオット・アブラムス(大統領特別補佐官)、ディック・チェイニー(副大統領)、ポーラ・ドブリアンスキー(国務次官)、ルイス・リビー(副大統領首席補佐官)、ピーター・ロドマンデニス・ロス氏(左)とアラファト氏(右)提供:ロイター・サンアナリシス(国防次官補)、ドナルド・ラムズフェルド(国防長官)、ザルメイ・ハリルザド(現駐イラク大使)、リチャード・パール(元国防政策委員長)、ポール・ウォルフォウィッツ(元国防副長官)。この内、パールとウォルフォウィッツは、第2期ブッシュ政権には加わっていない。JINSAはアメリカ・イスラエルの軍事関係では最も重要な団体の1つである。JINSAはもともと1974年にイスラエル兵器のロビー団体として組織されたが、79年に「国防教育団体」として再組織され、アメリカとイスラエルの戦略協力分野に絞った研究活動などを続けている。米国防エリートとイスラエルの国防エリートや軍事産業とを結びつけるのがJINSAの活動の柱であり、シンクタンクというよりはむしろ、イスラエルの軍事産業のロビイストに近い存在といえる。JINSAは米軍の退役将校に対する教育・啓蒙活動や、安全保障問題に関するニューズレターや雑誌『Journal ofInternational Security Affairs』の出版を手がけている。諮問委員会のメンバーにはディック・チェイニー、リチャード・パール、それにダグラス・ファイス(政策担当国防次官)がいた。また、ウォルフォウィッツに代わって国防副長官に指名されているゴードン・イングランドもJINSAと近い。CSPは、レーガン政権で国防次官補だったリチャード・パールの下で次官補代理を務めていたフランク・ギャフニーが1988年に設立した。ギャフニーはネオコン論客の中でももっともタカ派の主張を繰り返しており、CSPのウェブ上ではタカ派の論説を毎日掲載している(文献13)。この3つのシンクタンクにかかわっている顧問や研究員のメンバーは大きくオーバーラップしており、同じ名はAEIやWINEPの名簿にも見られる。この辺のネオコン系シンクタンクはその2005.9. Vol.39 No.568ト国の対中東政策を左右するシンクタンク事情 ?影の主役の興亡?主張も似通っており、相互に協力し合いながら、ネオコン派全体の影響力拡大を狙っているようである。中東研究所(Middle East Institute)1946年に中東研究者だったジョージ・ケンプ・カイザーとクリスチャン・ハーター元国務長官が設立し、以来MEIは中東とアメリカの政策当局者や学者をつなぐ重要な情報拠点として機能してきた。この年には既にジョージ・ケンプ・カイザー図書館が建てられた。ここは、議会図書館を除けば、ワシントンDCでもっとも包括的な中東研究のための書物がそろっている図書館である。1947年にはMiddle East Journalが創刊された。同誌は、アメリカではもっとも古い中東に関する学術雑誌の1つとして、今もそのクオリティの高さには定評がある。60年代後半から70年代前半には、ペルシャ語、アラビア語、ヘブライ語やトルコ語など中東地域の言語の各講座も開設し、以来、中東研究を志す研究者や外交官などの育成に地道に務めている(文献14)。同研究所の日々の運営は、駐イスラエルやエジプト大使を務め、クリントン政権下では近東問題担当国務次官を務めたエドワード・ウォーカー会長と、元国務次官補および駐UAE大使のディビッド・マック副会長が担っている。共に国務省の「アラビスト」と呼ばれたアラブ専門の外交官出身者で民主党支持者であり、共和党系親イスラエル派のネオコンからは徹底的に嫌われている。特にMEIがアメリカの石油メジャーだけでなく、サウジアラビアやクウェートの石油会社からも企業献金を受けていることから、「テロリスト宥和派」などとひどい陰口も叩かれている。MEIは、現代のシンクタンクのように政策の売り込みや「アイデアブローカー」としての競争には興味を示さず、昔ながらの学術的な研究と地味な専門家の育成を続けており、勢いのあるネオコン系シンクタンクと比較すると旧態依然といった感が否めない。当然、メディアなどへの露出も少なく、共和党政権に対する影響力は非常に低い。中東政策評議会(Middle East Policy Council: MEPC)1981年に、拡大中東地域の政治情勢分析を提供する目的で設立された。この地域におけるアメリカの国益を最大限確保するために、幅広いパースペクティブを政策当局者に示すのが、同評議会の出版物やウェブサイトの目的である。MEPCは季刊雑誌『Middle EastPolicy』を発行するとともに、議会のメンバーやスタッフ、連邦政府職員や外交専門家を対象にした「キャピトル・ヒル・コンファレンス」シリーズも開講している。また、アメリカの子どもたちがアラブ世界やイスラムについて正しく理解できるように、高校の先生向けの研修も行っている。会長は、ブッシュ父政権下で駐サウジアラビア大使、クリントン政権下で国防次官(国際安全保障問題担当)を務めたチャス・フリーマンである。MEPCの役員には、ボーイング社のヴァイス・プレジデント、エクソンモービル・サウジアラビア社の会長、カーライル・グループの会長、サウジアラビアの投資グループ重役などが名を連ねており、米・サウジのビジネス・グループがこのシンクタンクにかかわっていることがわかる(文献15)。MEIが民主党系の親アラブ・シンクタンクだったのに対し、MEPCはどちらかというと共和党の親アラブ派、とりわけブッシュ父政権時代にアメリカとサウジアラビアとの関係をつないでいた人脈に連なる、シンクタンクである。ブッシュ父時代の勢力は、現在のブッシュ政権ではネオコン派などに押されて影響力は強くはない。しかし、ネオコン派と対抗する共和党内の勢力の拠点の1つとして、今後とも注目しておく必要があるだろう。シンクタンクがメディアに引用された回数イデオロギー別に見たシンクタンクのメディア引用回数順位12345678910シンクタンク名イデオロギーブルッキングス研究所中道外交関係評議会(CFR) 中道ヘリテージ財団保守AEI保守CSIS保守保守ケイトー研究所左派経済政策研究所ランド研究所中道右派カーネギー平和財団中道アーバン研究所中道左派2003年4,7843,3933,1412,6452,3861,8731,0911,0669108922002年4,3232,7382,3561,8591,8301,8368501,413779658引用回数保守および中道右派中道進歩派および左派2003年13,989(47%)11,605(39%)3,896(13%)2002年12,249(47%)10,599(41%)3,217(12%)合計29,490(100%)26,055(100%)出典:Michael Dolny. FAIR(Fairness & Accuracy In Reporting). May/June 2004出典:Michael Dolny. FAIR(Fairness & Accuracy In Reporting). May/June 2004図5シンクタンクのメディア登場ランキング69石油・天然ガスレビュー.終わりにこのようにブッシュ第1期政権下ではAEI、WINEP、PNAC、JINSAといったネオコン系や、ヘリテージ財団のような保守系シンクタンクの影響力が強かった。ところが第2期政権ではこうしたネオコン系シンクタンク出身者がだいぶ要職から外れており(ウォルフォウィッツ、ファイス、ボルトン、パール)、またイラク情勢がなかなか安定しないこともあって、ブッシュ政権の政策オプションにも限界が見えてきている。しかもイスラエルがガザ撤退計画を進め、ブッシュ政権もイスラエル・パレスチナの和平を進めることを外交の最優先事項に掲げていることから、ネオコンの中にもブッシュ政権に対する不満が出てきている。今後は、CFRやCSISといった中道派のシンクタンクの提言がより重要な意味を持つことになるかもしれない。どこか特定のシンクタンクの論文だけ読んでおけば十分、などということは決してあり得ない。少なくともここで取り上げたメジャーなシンクタンクの論文を幅広く丹念に追って行くしか、ブッシュ政権の「次の一手」を予測する方法はないのであろう。アナリシスホワイトハウス ディック・チェイニー副大統領(AEI、JINSA、PNAC)、エリオット・エイブラムス大統領特別補佐官(PNAC、CSP)、J.D.クローチ国家安全保障問題大統領次席補佐官(CSP)、ルイス・リビー副大統領首席補佐官(ランド研究所、PNAC)、ディヴィッド・ヴァームザー副大統領室中東部長(AEI) 国防総省 ドナルド・ラムズフェルド国防長官(PNAC)、ゴードン・イングランド国防副長官(JINSA)、スティーブン・カンボーン情報担当国防次官(PNAC)、ピーターロドマン国防次官補(PNAC)、ドヴ・ザクハイム検査官(CSP、PNAC、ヘリテージ)、アブラム・シュルスキー特別計画室長(PNAC) 国務省 コンドリーザ・ライス国務長官(フーバー研究所、外交関係評議会)、ザルメイ・ハリルザド駐イラク大使(ランド研究所、PNAC)、ジョン・ボルトン次期国連大使(AEI、PNAC) 図6ブッシュ政権の保守系シンクタンク・コネクション親イスラエル ブッシュ政権 ●CSP/JINSA●PNAC/WINEP●AEI●ヘリテージ財団 リベラル 左派 ●ランド研究所 ブルッキングス ● ●CSIS●外交関係評議会 保守 タカ派 ●カ ーネギー 中東研究所 (MEI) ● ●中東政策評議会(MEPC) 親アラブ 図7シンクタンクの政治地図2005.9. Vol.39 No.570ト国の対中東政策を左右するシンクタンク事情 ?影の主役の興亡?参考文献1. The Role of Think Tanks In US Foreign Policy.(Volume 7, An electronic Journal of the US Department of States Number 3,November 2002)2. Donald E. Abelson. Do Think Tanks Matter? Assessing the Impact of Public Policy Institutes.(McGill?Queen's UniversityPress, London, 2002)3. ジェームズ・A・スミス著『アメリカのシンクタンク大統領と政策エリートの世界』(ダイヤモンド社、1994年)4. 中岡望『アメリカ保守革命』(中央公論新社、2004年)、拙著『日本人が知らないホワイトハウスの内戦』(ビジネス社、2003年)5. The Brookings Institution. www.brookings.edu/6. Peter Grose. Continuing the Inquiry. The Council on Foreign Relations from 1921 to 1996. A Council on Foreign Relations Books.www.cfr.org/about/grosse00a.php 7. The Carnegie Endowment for International Peace. www.ceip.org/files/about_endowment.asp8. Rand Corporation. www.rand.org/ 9. スミス、1994年10. Lee Edwards. The Power of Ideas The Heritage Foundation at 25 years. (Jameson Books, Inc. Ottawa, 1997)11. CSIS. www.csis.org/expers/4kelly.htm 12. Right Web. http://rightweb.irc-online.org/org/winep.php http://www.washingtoninstitute.org/ 13. http://rightweb.irc-online.org/org/jinsa.phphttp://rightweb.irc-online.org/org/pnac.php横江公美著『第五の権力アメリカのシンクタンク』(文春新書、2004年)14. http://www.mideasti.org/about/about_main.html 15. http://www.mepc.org/public_asp/about/about.asp 著者紹介1969年生まれ。中央大学法学部政治学科卒業後、オランダに留学。97年アムステルダム大学政治社会学部国際関係学修士課程修了。在蘭日系企業勤務を経て、フリーの国際ジャーナリスト。現在、東京財団リサーチ・フェロー。著書に『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』(草思社刊)、『日本人が知らない「ホワイトハウスの内戦」』(ビジネス社刊)、『新しい日本の安全保障を考える』(共著、自由国民社刊)がある。71石油・天然ガスレビュー |
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