ページ番号1006227 更新日 平成30年2月16日

帰ってきたオイルシェール ~一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽~

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レポートID 1006227
作成日 2006-07-20 01:00:00 +0900
更新日 2018-02-16 10:50:18 +0900
公開フラグ 1
媒体 石油・天然ガスレビュー
分野 非在来型技術
著者
著者直接入力 桜井 紘一
年度 2006
Vol 40
No 4
ページ数
抽出データ アナリシス㈱日鉄技術情報センター 調査研究事業部 主席研究員sakurai@jatis.jp桜井 紘一帰ってきたオイルシェール? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?く迫ぱひっ感があるが、根 世界は70ドル/バレルの高油価が続いている。発展途上国の経済成長による需給の逼底には、「オイルピーク論」に代表される石油途絶危機感があると考えられる。数十年オーダーの中期的には、有限である在来型石油資源が生産減退に向かうことは、紛れもない事実である。しかし、オイルサンドやオイルシェールに代表される非在来型石油資源には、まだまだ開発の余地が残されている。 日本は、20世紀前半に中国の撫順で当時の満鉄がオイルシェールからの製油を企業化した経験を持つ。その経験を生かして、日本の1980年代の国家プロジェクトは成果を上げ、他にブラジル、オーストラリアの実績もあり、露天掘り?地上乾留法は確立された技術と言える。まい しかし、石油危機後、1980年代に各社がコロラド州など3州にまたがる鉱床でオイルシェール開発に邁んした、世界最大のオイルシェール資源を持つ米国でさえ、1990年代の油価低迷とともに本格商業化は見進し送った。 今、油価高騰の時代を迎え、米国政府は再度オイルシェール開発に向けて動き出した。なかでも、Royal Dutch Shell社は、地中で乾留するインシチュー(in situ)法を開発し、さらに中国吉林省への投資を決定した。オイルシェール開発は、本格的に加速される情勢である。1. オイルシェールとは?られた地層構造(背斜トラップなど)に移動・集積したものが、人類が利用できる石油鉱床である(図1)。 上記のケロジェンに対する続成作用け、ケロジェンが変化し(続成作用)、貯留岩(砂岩、石灰岩)に染み込んだ液状の有機成分が石油であり、かつ石のない岩石(帽岩)に遮油を通す隙間ますきオイルシェールは石油生成過程の②の段階で変化が停止したものであり、堆積岩(泥岩)中にケロジェンを含むものである。出所:石油情報センター『OIL NOW 2001 石油はいま』図1石油とオイルシェールの生成過程(1) オイルシェールとは? 古く、海や湖沼に生息していたプランクトンや藻類の死骸の一部は泥とともに水底に沈積し、長い年月のうちに地中バクテリアや地熱の作用を受けてケロジェン(kerogen;加熱などにより石油または石油ガスに変化し得る固体高分子有機物質)に変化した。オイルシェールは、堆積岩中にケロジェンが比較的高濃度(油分10%前後)で蓄えられた堆積岩(泥岩)を言う。通常は、4%以上のものをオイルシェール(oil shale)に分類する。約2億年前からの中生代(ジュラ紀、白亜紀)や約6,000万年前からの新生代第三紀、さらに約4億年前の古生代デボン紀に堆積したものが多く、油母頁岩、油頁岩とも言う。Shaleは頁岩を意味し、書籍の頁をめくるように剥する堆積岩(泥岩)を指している。 このケロジェンを含む堆積岩が、さらに長い年月、地中深く熱と圧力を受離りはく石油・天然ガスレビューAナリシス表1国別オイルシェール製油開始と中断時期国開始時期(西暦年)終息時期最大生産量(西暦年) (bbl/日)備考1945年までは主に満鉄1865188118601929192118381884190018601848193519221941191519861952Currrent1870CurrrentCurrrent195719631910Currrent196319621966196519301991オーストラリアブラジルカナダ中国エストニアフランスドイツニュージーランドロシアスコットランド南アフリカスペインスウェーデンスイス米国*製油に相当する天然ガス生産Currrent:下記レポート作成時期(1993年)において継続中の意。出所: 米国専門家 J.E.Sinor氏レポート "Oil Shale Resource Study" 2004,00010015,0008,0005002005011,000*4,4006002,4002,000少量6,000 (石油公団1994年4月)表2世界の国別オイルシェール資源量単位:百万bblⅢ2,200,000800,800115,000100,60035,00050,00027,90017,5002,500Ⅰ2,166,200802,000112,000100,00063,00044,03037,90028,00017,00010,00010,0007,0006,0005,0003,5003,1602,0002,000>1,5408007006904002802501301254821188Ⅱ2,018,000802,000112,000100,00063,000156,00095,000163,00017,00010,0001,3706,0001,6003,5004,0002,0002,0001,5405,5007004002802501301254820270719,000203,424,0003,584,7616,9003,358,200がさほど働かず、地表近くに残留した堆積岩(泥岩)がオイルシェールである(図1②)。したがって、オイルシェールは比較的浅い地層(深度1,000m以浅)に賦存するので、通常、地表に露頭が現れている鉱床を露天掘りで採掘する。 オイルシェールから粗油をつくる工程(製油)は、比較的簡単である。オイルシェールを地表または地中より採掘し、適当な大きさに破砕した後、乾留炉の中で無酸素状態で約500℃に昇温すると、ケロジェンが熱分解を起こし、その生成物が気体として蒸発して出てくる。それを集めて取り出し冷却(通常は水で直接冷却)したうえで、油水分離すると粗油が得られる。この粗油は、一般の石油と同等の沸点範囲を持つ有機成分から成るものである。 一方、オイルサンドは、いったん石油鉱床が形成された地層(貯留岩)が地殻変動で地表近くに現れて軽質油成分が蒸発し、残留した重質油成分が砂などといっしょに存在するものである。したがって、オイルサンドを採掘・処理して得られるビチューメンは高粘性の超重質油成分が主なものであり、この点では、オイルシェールから得られる粗油の方がはるかに軽質である。(2)  19世紀オイルシェール資源利用の始まり オイルシェールからの製油は、19世紀前半に、まず西欧先進国で始まった(1838年フランス、1848年スコットランド)。次いで19世紀後半に、西欧系の国々に広まった(1860年カナダ、同年ロシア、1865年オーストラリア、1881年ブラジル、1884年ドイツ)。オイルシェールの場合は、乾留という工業的な手法が必要なので、このような推移になったものと思われる(表1)。 かつては、教会・修道院などの公共施設で、また各家庭で夜間の照明に用いる灯油については、海でクジラを捕獲して得られる鯨油に頼っていた時期が長く続いた。しかし、産業革命後の工業の発達により、オイルシェールの乾留という工業的な手法で、安定して灯油を得られるようになったのである。 中国が1929年と記載されているが、これは旧満州の撫順炭砿で満鉄が始めたものである(後述)。 なお、この表には、各国でオイルシェール製油が中断した年も記載されているが、1950?60年代が多い。これは、第二次大戦後に石油を大量生産する技術が世界で普及した時期に相当する。報告例アメリカ合衆国ブラジル旧ソ連邦ザイールイタリア(シシリー)カナダモロッコ中国オーストラリアイタリアマダガスカルフランスタイイスラエルイギリススウェーデンドイツミャンマーユーゴスラビアヨルダンルクセンブルグベルギーアルゼンチンスペインニュージーランド南アフリカブルガリアポーランドチリトルコオーストリアエストニアタスマニアその他合計(3)  世界のオイルシェール資源量および分布 世界のオイルシェール資源量は、原油換算合計約3兆3,000億?3兆5,000億bblと見積もられている(表2)。なお、ここではオイルシェールの含油量を約40?/t以上のものに限っている(以下、重量を表す単位トンをtで、また油量バレルをbbl、リットルは?で表記する)。この3兆bblを超える巨大な資源量は、在来型石油資源6兆bbl強の約半分にとどこうとする世界のオイルシェール資源量は原油換算で3兆bblを超える。報告Ⅰ: 含油率40?/t以上;Smith, J.W.: Mineral & Energy Resources, 23 ?, pp.1-18 (1980)報告Ⅱ: 含油率42?/t以上;Hoiopaine, H.; Oil Shale, 8 ?, p.195 (1991)報告Ⅲ: 含油率38?/t以上;Sinor, J.E.: 平成5年度石油公団オイルシェー出所: 社団法人 日本エネルギー学会編『エネルギー便覧 ?資源編?』ル調査発表会資料コロナ社、2004年5月ものであり、今後は特に、無視できない存在になると思われる(図2)。 国別では、米国が約2兆bblと圧倒2006.7 Vol.40 No.4Aってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?的に大きい。2位はブラジルで約8,000億bbl、そしてロシアとザイールが約1,000億bblと続いている。 次いで、イタリアのシシリー島に約600億bbl、カナダに約400億bbl、モロッコに約300億bbl、中国に約280億bbl、オーストラリアに約170億bblが賦存している。他に、10億bbl以上が賦存している国として、イタリア本土、マダガスカル、フランス、タイ、イスラエル、イギリス、スウェーデン、ドイツ、ミャンマー、ユーゴスラビア等がある。 このように見てくると、いわゆる非産油国にも多く賦存していることが分かる。これは、オイルシェールの成因(地下の堆積でケロジェンは生成したが、石油に至る続成作用までは受けていない)に関連していると思われる。この傾向は、オイルシェール資源の世界国別分布図にも明らかである(図3)。この図は、1994年(平成6年)4月に当時の石油公団が米国の専門家J. E. Sinor氏に委託した調査の公開レポート“Oil Shale Resource Study”に拠っている。 ここで、オイルシェールの含油率に言及する。具体的な試験法として、Fischerアッセイ分析法がある(注:assayは試金、鉱石分析の意)。この分析法においては、試料100gを実験室で乾留し、得られる油分量の試料採取量に対する重量百分率をFischerアッセイ値(%)と称する。通常、Fischerアッセイ値4%以上のものをオイルシェールに分類する。なお、油分の比重は約0.9なので、上記Fischerアッセイ値4%は44?/t、すなわち、1tの鉱石から約44?の油分が採取できることを表す。 なお、米国地質調査所では、商業的見地から含油率42?/t(10ガロン/t)以上のものをオイルシェールとしている。Large Oil Resources ExistLarge Oil Resources ExistTrillions ofBarrelsOil in PlaceCountries with Major Frontier Deposits86420FrontierProducedConventionalOilEHO/OilSandsOil Shale3兆bblを超える巨大なオイルシェール資源量は在来型石油資源6兆bbl強の約半量にとどこうとするものである。出所: 2005年9月6日にアバディーンで行われた「Offshore Europe 2005Exhibition and Conference」において、エクソンモービル・インターナショナルのロバート・C・オールセン氏が行ったプレゼンテーション図2世界の石油代替資源埋蔵量と主要資源国2. 中国撫順で先頭を切った日本の技術(1) 満鉄のオイルシェール開発 今年は満鉄創業100周年と聞く。この機会に、満鉄が創始したオイルシェール事業の足跡を尋ねることも意味なしとはしないであろう。 ここで、語り部として、佐野初雄先生に登場頂こう。佐野初雄(以下、敬称略)は、昭和9年、東京帝国大学工学部鉱山学科を卒業する際、希望して満鉄に入社した。入社後は撫順炭砿に配属され、ほぼ一貫してオイルシェール開発および製油事業に携わり、戦後も昭和23年まで撫順炭砿に留用され、中国側へ技術移転をした後帰国した。現在は、東方科学技術協力会の会長を務め、96歳の高齢ながら元気に活躍しておられる。なお、撫順のオイルシェール製油は満鉄により、1930年(昭和5年)に商用炉が稼働し、現在も生産を続けている。 1904?05年の日露戦争の結果として、日本はロシアより当時の東清鉄道および撫順炭砿を譲り受けた。日本はそれらを基幹として満州経営に乗り出すべく、1906年(明治39年)半官半民の国策会社である南満洲鐵道株式會社(満鉄)を設立した。なお、旧満州国が成立するのは、後の1931年(昭和6年)満州事変後のことである(図4)。撫順炭砿のある撫順市は、当時の奉天(現在の瀋陽)の東北東約50kmに位置している。 佐野初雄が入社した時点では、満鉄は鉄道部門、製鉄部門、炭砿部門の三つの現業部門を抱え、他に研究機関として、調査部、中央試験所を有していた(図5)。これら研究機関と本社は大連にあった。オイルシェール事業には、中央試験所と撫順炭砿が関与した。(2)  20世紀前半旧満州でのオイルシェール製油開始 満鉄は、1909年撫順の地において“燃える石”を発見し、中央試験所で調査研究し、オイルシェールであると石油・天然ガスレビューAナリシススウェーデンエストニアイギリスポーランドルクセンブルクドイツフランススイスチェコスロバキアクロアチアルーマニアブルガリアスペインオーストリアイタリアボスニア・ヘルツェゴビナアルバニアギリシャセルビア・モンテネグロトルコシリアイラクヨルダンイランイスラエルエジプトモロッコモロッコチュニジアチュニジアアルジェリアアルジェリアエジプトエジプトエチオピアエチオピアマダガスカルマダガスカルザイールザイールアンゴラアンゴラ南アフリカ南アフリカモンゴルモンゴルパキスタンパキスタン中国中国インドインドミャンマーミャンマータイタイマレーシアマレーシアアラスカアラスカカナダカナダアメリカアメリカコスタリカコスタリカベネズエラベネズエラコロンビアコロンビアエクアドルエクアドルペルーペルーブラジルブラジルボリビアボリビアチリチリアルゼンチンアルゼンチンオイルシェール資源は世界に広く存在し、非産油国にも多く賦存している。これはオイルシェールの成因に関連している。出所:米国専門家 J.E.Sinor氏レポート "Oil Shale Resource Study" (石油公団1994年4月)図3世界のオイルシェール資源分布2006.7 Vol.40 No.4ェドイツ潜水艦隊の海上封鎖に遭い、海外石油の搬入に支障を来たした際、自国内のオイルシェール資源を活用した事実を教訓とした模様である。 撫順の炭田は、炭層の直ぐ上にオイルシェール層があり、石炭の露天掘りに伴い、必然的にオイルシェールを採掘する必要があり、オイルシェールは採炭に伴う副産物であった。そのオイルシェールから、戦前の最盛期には約50万t/年(約1万bbl/日)の粗油を生産し、戦後中国が引き継いだ後の最盛期(1960年頃)には約80万t/年(約17,000 bbl/日)の粗油を生産した実績を持つ。 戦前、オイルシェールからの粗油は、精製工程を経て、すべてガソリン、ディーゼル油、潤滑油等にアップグレードされ、日本海軍などに納入された。 このようにして、中国では、地下の石油を汲み上げ、生産する以前に油頁岩から人造石油を製造することになり、この撫順が石油産業発祥の地となり、撫順は石油精製の技術を蓄積してきた。今でもその地位は揺るがず、黒龍江省の大慶油田の原油は、パイプラインで撫順まで運ばれ、撫順で精製されている。撫順石油化工研究院など石油分野の研究所群も整備されている。 ここで、参考までに、2001年(平成13年)撫順砿務局の訪日団が来訪した折、撫順炭砿の古文書館より関係資料を収集して要約したものを持参してくれたので、興味ある読者は囲み部分を参照されたい。帰ってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?判断した。その後、当時オイルシェール製油が盛んであったスウェーデン、ドイツ、スコットランドの研究所にサンプルを送り、調査・試験を依頼した。その結果、商業的な製油に値するものと分かり、オイルシェール製油に向けて満鉄社内で19年間にわたり何段階かの試験研究を重ね、ついに1930年(昭和5年)実用化に成功した。この間、1914?18年の第一次世界大戦中に英国東支鉄道南満州鉄道南部線東 部 線撫順安奉線西 部 線奉天(瀋陽)南満線上は1930年頃の地図である。旧満州国が成立するのは後の1931年(昭和6年)満州事変後のことである。撫順炭砿のある撫順市は当時の奉天(現在の瀋陽)の東北東約50kmに位置している。出所: JOGMEC本誌「戦争と石油(1)」(2006年1月号)に掲載の地図に撫順市並びにアジア経済研究所図書館で収集した満鉄史付図に記載の鉄道路線名を加筆図4満鉄路線および撫順炭砿の位置安東南満洲鐵道株式會社調査部中央試験所(鉄道部門)南満州鐵道(製鉄部門)鞍山製鐵所(炭砿部門)撫順炭礦-採炭部門-頁岩製油部門佐野初雄が入社した時点で満鉄は鉄道部門、製鉄部門、炭砿部門の三つの現業部門を抱え、他に研究機関として調査部、中央試験所を有していた。オイルシェール事業には中央試験所と撫順炭砿が関与した。出所: アジア経済研究所図書館で収集した満鉄史資料に基づき著者が作成図5満鉄の組織概要(引用) 撫順が油母頁岩を利用して人造石油(注:当時、地下で自然に生成したものを汲み上げた石油に代わり、人為的または工業的に得られる石油相当品をこう呼んだ。オイルシェールからの粗油、石炭液化油等が含まれる)を精錬することは、1909年に遡る。その歴史は油母頁岩が発見されてから始まり、その後、試験研究、投資建設並びに規模拡大を経て、今日まで発展してきた。主として以下の三つの段階に区分することができる。 第1段階:発見と試験段階(1909年?1927年) 1909年に、日本は撫順において炭鉱を採掘した時に、石炭層に隣接している岩石を掘り出して捨てたところ岩石がさかのぼ石油・天然ガスレビュー006.7 Vol.40 No.4アナリシス燃焼することを発見した。不思議に思って満鉄中央試験所においてそれを検査した結果、岩石の中に油が含まれていることが明らかになった。含油率が低く、工業利用の価値が少なかったため、そのまま放置していた。 しかし、当時は燃料が極めて不足していて、油母頁岩に対する調査研究を間断することなく、その後も続けていた。か1年後、満鉄中央試験所により、石炭層から100?170m高いところまでの頁岩石の中に油が含まれていて、且つその品すなわ質と含油率が岩石と石炭層との距離によって異なっていることが判明した。即ち、石炭層から離れれば離れるほど、その岩石の含油率が高く、平均して5.5%に達している。1921年には、探査によって、撫順炭鉱には2億tの原油貯蔵量があり、その採掘価値は相当高いことが明らかにされた。 1920年?1927年は試験段階であった。 1921年に撫順炭鉱は10万日本円を投資して、100tのオイルシェールをスウェーデンとドイツに送り、試験を依頼した。1924年にまた、500tのオイルシェールをイギリスのスコットランドに送り、乾留試験を行ってもらった。いずれの試験でもよい結果を得た。1925年の5月には大連において、各界の専門家を集めて会議を開いた。乾留の生産方法を改善し、イギリス式の外熱式炉型から内熱式炉型に変えることになった。そして乾留炉と発生炉の二段に分けて、発生炉のガスで加熱したり、熱を循環供給したりする技術を採用することを決めた。その後、小規模の実験を行った。同年に、撫順炭鉱鉱長である梅野実らが撫順化学工業所ガス工場の一角で、オイルシェール処理10t/日の処理能力の内熱式炉を作ることを決めた。その試験結果は良好だった。翌年、同40t/日の処理能力の試験炉を設計したが、その効果も理想的だった。大量の理論研究と試験を基にして、一定規模の建設計画をたてて投資生産をする時期は熟してきた。 第2段階:炉を建設し、工業生産する段階(1927年?60年代初期) 1927年10月に、日本政府は炉の建設を批准し、投資して生産することを決定した。1941年までに前後して石油一工場(元西製油工場)と石油二工場(元東製油工場)を建設した。 1、石油一工場について この工場は1928年に建設が始まり、1930年に完成した。50t/日の油母頁岩を処理する能力を持つ炉を80基建設した。破砕、蒸留そして石製造などの職場があった。1933年に、撫順製油工場の工場長である大橋頼三は設備を改造することを決めた。すなわち、頁岩処理能力50t/日を100t/日に増加し、年間人造石油生産量を7万tから14.5万tに拡大した。これと同時に、撫順西露天掘りの油母頁岩の採掘深さを220mから350mまで深くした。また、日処理量150tの試験炉を作り、試験の結果、実際には日処理量170tに達していた。1936年4月に第二次設備拡張を実施し、この工場の人造石油の生産量は年間30万tに達した。当時の日本国内における年間石油生産量より5万tも多かった。 1945年8月以降、この工場の生産は大きな破壊を受けたため、1948年までに人造石油を2万tしか生産しなかった。 1948年に撫順が中国共産党により解放され、1952年までにこの工場は総計22.6万tの人造石油を生産した。それを全部ガソリン、ディーゼル油、石蝋及び潤滑油に加工した。 2、石油二工場について 1941年に日本海軍部が投資して石油二工場を建設した。ガソリンと海軍軍艦用ディーゼル油生産を主目的にし、副産物として硫安を作るためであった。計画した生産量は年間50万tであった。その後、潤滑油工場が新たに建設された。 1945年に日本が敗戦するまで、年間19.2万tを生産することができる乾留炉を1炉団20基ずつ3炉団建設し、局部において試験運転をした。第1炉団は試験運転を経て、生産に移った。第2炉団は試験運転までしたが、故障で生産停止した。第3炉団も問題が発生し、正常に稼動できなかった。それでも、常圧装置や再蒸留の管式加熱炉、コークス連続生産装置、ガス成分分析装置、潤滑油、硫酸および触媒工場などをほぼ完成した。 1945年8月以降、この工場は大きな損害を受けた。 1948年に撫順が解放されてから、1954年までに鉱石処理、変電所、水源地、ボイラなどの生産補助装置を建設し、1955年までに17.1万tの人造石油を生産した。 上記の二つの工場は1959年までに、合計年産72万tの人造石油、9万tのガソリン、18万tの硫安を生産し、世界の最高水準に達した。中国唯一の人造石油の生産基地となり、世界最大のオイルシェール工業基地の一つになった。 第三段階:砿区におけるオイルシェール煉油工場の建設以下、略(引用終り)蝋ろせきうAってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?撫順煤礦平面図撫順煤礦平面図北北002km2km東製油東製油鍋廠鍋廠林業処林業処局岸局岸河切替河切替夾海溝夾海溝洗煤廠洗煤廠西井西井東井東井竜鳳礦竜鳳礦渾河渾河車輌工廠車輌工廠北竜鳳北竜鳳竜鳳礦竜鳳礦電力機車工廠電力機車工廠二道房河二道房河撫順城站撫順城站儀器廠儀器廠将軍堡站将軍堡站礦灯廠礦灯廠大官屯站大官屯站石区一廠石区一廠拡張拡張撫順站撫順站礦務局礦務局供電部供電部発電廠発電廠医院医院運輸部運輸部屯薬廠屯薬廠工程処工程処煤校煤校電機廠電機廠老虎台礦老虎台礦拡張拡張東露天坑東露天坑西露天礦大坑西露天礦大坑ベベ搬搬ンンココ炭炭石石運運ベベトトルルヤヤ洗煤廠洗煤廠火薬廠火薬廠皮帯斜井皮帯斜井老虎台礦老虎台礦制材廠制材廠西露天礦東捨場西露天礦東捨場火薬廠、火薬庫火薬廠、火薬庫油油製製設設新新郎士河郎士河東露天捨場東露天捨場西露天礦汪良捨場西露天礦汪良捨場生利出口剣匯工業区生利出口剣匯工業区西露天礦西露天礦河河工工人人柏柏楊楊古城子河古城子河西露天礦西捨場西露天礦西捨場機械廠機械廠古城子井田古城子井田洗煤廠洗煤廠渾河渾河撫順分院撫順分院朴爾屯站朴爾屯站石油一工場はかつて西露天掘り坑の北側にあった。石油二工場は東露天掘り坑東側の「東製油」である。同坑南側の「新設製油」は戦後建設されたもので、今でも稼働している。縮尺は概略出所:佐野初雄氏提供資料図6撫順炭砿平面図シェールから製油できることは一石二鳥であった。 当時の撫順オイルシェール製油工場は、オイルシェール処理量200t/日前後の乾留炉を約100基備え、人造石油(粗油)を約30万t/年生産していた(図8)。この写真は、2001年(平成13年)1月にわれわれが撫順に出張した帰途、日露戦争当時の旅順戦跡を見学した際、激戦地二○三高地の次に訪れた水師営の会見場(日本側乃木希典大将とロシア側ステッセル将軍)において土産品として購入した「旅順戦跡」なるA5版横綴じ厚さ約1cmの写真帳のなか佐野初雄氏講演要旨抜萃満鉄撫順会大会(昭和53年)にてエキスカベーター表土旧撫順中学在現-400mオイルシェール炭層時戦終1.現在の撫順炭砿古城子露突掘選炭場28屯スキップ(撫順炭田埋蔵炭量)日本時代 概算 9億5千万屯現在 中国側で14億5千万屯と公表しております。120m終戦時の終掘予想点(その後中国側のボーリングで炭層は、歪曲して遥かに離れて、地表近くにまであることが判明した。)上図は昭和53年に満鉄撫順会で佐野初雄が講演した時の資料である。西露天掘りにおいてオイルシェール層は炭層の上数十メートルを隔てた位置に存在し、採炭時にはオイルシェールが副産した。出所:満鉄撫順会大会(昭和53年)佐野初雄氏講演資料図7撫順炭砿の炭層とオイルシェール層うた(3) 撫順での佐野初雄の活躍 1934年(昭和9年)撫順炭砿に赴任した佐野初雄は、鉱山技師として、まず採炭用露天掘りおよび坑内掘りの拡張計画作りに従事し、次いで1936年(昭和11年)より石炭およびオイルシェール露天掘りの拡張計画作成に携わった。その中で、中小河川の流れを変えて、古城子露天掘りと楊柏堡露天掘りを併合し、西露天掘りを形成した。これが後に「東洋一の露天掘り」と謳われるものになる(現在深さ約450m、東西約6km、南北約2km)。 またオイルシェール専用の東露天掘りを開発し、東製油工場を計画し、建設に従事した(図6)。 撫順炭田は、石炭埋蔵量約10億tと言われる。西露天掘りでは炭層の厚さが120mあり、選炭場付近から傾斜して深くなっているが、その上約30mを隔てた上層に約100m厚さのオイルシェール層が並行して堆積しており、採炭するにはオイルシェール層を剥離する必要があった(図7)。このようにして、必然的に副産するオイル石油・天然ガスレビューAナリシス180トン乾留炉頁岩-14℃出口ガス85℃ガス550℃頁岩350℃精油288℃乾油分解ガス636℃頁岩530℃頁岩1,000℃頁岩490℃ガス400℃熱ガス500℃頁岩灰75℃ブラスト87℃シャフト炉であり、上下2段に分かれている。油頁岩鉱石は炉頂部より装入され、炉底部より排出される。鉱石は炉上半部で乾留され、油分は冷却・油水分離されて粗油(製品)となる。乾留後の鉱石は下半部で残留炭素が燃焼して発熱し、高温ガスを形成するので外部燃料は不要。その高温ガスが炉上半部に上って乾留に必要な熱を供給するが、同時に、含まれる酸素が油分を燃焼消耗するので、油収率は低い。出所: 日本国家プロジェクト開始時に旧満鉄撫順炭砿頁岩製油関係者提供の資料図9満鉄法撫順炉の概要残留炭素を下部で燃やして高温の乾留ガスとして上部に送り、オイルシェールを乾留する方式であった(図9)。200t/日の円筒炉の操業では、オイルシェール処理230?250t/日、装入粒度12?125mm、油収率70?75%、乾留温度550?600℃、粗油生産40?45kg/t、乾留ガス量300?350?/tなどの実績がある。局の迎賓館である撫順賓館となっており、2001年(平成13年)3月にわれわれに同行して撫順賓館に宿泊した佐野は、感慨深いものがあったようである。く形け(4) 満鉄法(撫順炉)の内容い 撫順炉は、当初横断面が矩の炉であり、炉内のバーナーで外部燃料を燃焼して高温ガスを作りオイルシェールを乾留する形式であったが、これではオイルシェール中の残留炭素が利用されず、乾留温度の制御も難しかった。 次に、円筒形の炉が開発された。この炉では、炉内が上下2段に区分され、の1頁である。 なお、撫順人造石油工場の製品(ディーゼル油)は、1941年(昭和16年)12月8日に敢行された真珠湾攻撃の際、潜水艦の燃料に使われ、勝ち戦であったゆえか、海軍の担当将官がわざわざ礼を言いに現れたという。 ところで、佐野初雄の私事にわたることであるが、1937年(昭和12年)4月29日天長節の嘉日に炭砿倶楽部の2階大広間で佐野は華の典を迎えた。新婦は、東大鉱山学科および満鉄で数年先輩になる人物の妹であった。なお、上記炭砿倶楽部は現在、撫順砿務燭しょくか今でも現地でこの写真とほとんど同じ形の乾留炉群が稼働しているのを見ることができる。出所:2001年1月旅順観光地で著者が購入した写真帳「旅順戦跡」の1頁図8戦前の撫順炭砿オイルシェール乾留炉群(右上円内)3. オイルショック後の技術開発(1)  20世紀後半日本オイルシェール開発国家プロジェクト 日本は、1970年代に2度にわたるエネルギー危機を経験した。これを契機として、在来型石油代替エネルギー資源としてオイルシェールの利用が浮上し、1981年(昭和56年)、当時の通商産業省資源エネルギー庁、ならびに石油公団の主導のもと、民間企業36社(鉄鋼、重機、プラント・エンジニアリング、資源採掘、セメント、石油精製、商社等)が参集し、日本オイルシェールエンジニアリング㈱(Japan Oil Shale Engineering Co., Ltd.; 略称JOSECO)が設立された(図10)。このように、戦後日本におけるオイルシェール技術開発は、国家プロジェクト(国プロ)による研究として始まった。 1981年に開始された研究開発は、その後、ベンチプラント試験、パイロットプラント試験、さらにそれら成果の評価、データ蓄積等データベース化と、約10年間にわたり段階的に進められた(図11)。 オイルシェールが採り上げられた背景には、次のような見方があった。2006.7 Vol.40 No.4ハ商産業省資源エネルギー庁石油公団日本オイルシェールエンジニアリング(株)技術委員会-乾留部会 等(民間企業)36社注)その後、合併を経て34社にパイロットプラント(新日鐵八幡製鐵所構内)帰ってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?・ 石油資源への高い代替性がある・ 石油資源に匹敵する資源量がある・ 石油に比べて、探鉱段階におけるリスクが小さい・ 他の代替エネルギーに比べて、日本の各産業界が保有する技術力、技術開発力を生かしての技術開発が比較的容易に行える・ 一方、固体状態で存在し、かつ含油率が低いため、大量の鉱石の採掘・ハンドリング、また乾留炉の操業、さらに廃シェール処理、環境に及ぼす影響等を考え、広範囲な分野の技術を総合する必要があり、日本が得意とする開発分野である 第1期の基礎研究段階では、調査研究費約40億円はほぼ全額国庫負担(石油特別会計の委託費)で行われ、第2期のパイロットプラント研究段階は所要約115億円の75%は国庫負担(石油特別会計の石油開発技術振興費からの交付金)、残り25%は株主の負担により賄われた。 初期の構想段階では、当時の担当国研である工業技術院資源環境技術総合研究所の当該部門の研究者に加えて、旧満鉄撫順炭砿の頁岩製油関係者(当時日揮㈱副社長森川清や佐野初雄を含む)も顧問団として参画した。 なお、当時、本件は新エネルギー技術開発の重要テーマとして注目された大規模国家プロジェクトであっただけに、参画民間企業各社からそれぞれ多数の技術者が参集したが、その後プロジェクトの終了とともに四散した。 ただ、当社には当時のJOSECO技術者のうち2名、すなわち、片山力(当時、新日鐵勤務)、松江正人(同;JOSECO解散処理まで担当)が残り、(国研)工業技術院資源環境技術総合研究所(顧問団)旧満鉄撫順炭砿頁岩製油関係者出所:著者作成図10日本国家プロジェクト(国プロ)の組織概要後年二人は筆者とともに中国撫順鉱務局頁岩煉油廠拡張F/S業務に携わることになる。 ベンチプラント段階では企業3社が研究開発段階(S.56)19811982198319841985198619871988(H.1)19891990199119921993第1期基礎的研究調査基礎性状研究採掘・破砕技術研究システムの技術検討乾留基礎?ベンチスケールテスト環境保全技術研究第2期パイロット・プラント研究基本設計詳細設計建設要素運転連続運転解析評価情報収集・データ蓄積第3期情報収集・蓄積出所:オイルシェール開発について、日本オイルシェールエンジニアリング株式会社、平成5年3月図11国プロのオイルシェール開発研究経過石油・天然ガスレビューAナリシスそれぞれ独自の方式を提案したが、最終的にパイロットプラントの方式としては、新日本製鐵㈱(新日鐵)提案の製鉄における高炉(頂部より鉄鉱石とコークスを装入)に似た竪型のシャフト炉が採用された。そして、パイロットプラントは、新日鐵八幡製鐵所の構内にある若松地区石炭貯留ヤードに建設された(図12)。オイルシェール製油は、乾留炉にオイルシェールという固体の原料を装入する点において、鉄鋼業に類似の環境にあると言える。 乾留炉は横断面が矩形ではあるが、上下2段に区分されたものであり、基本的に満鉄の撫順乾留炉に類似していた。ここでは、国プロの成果を用いて設計した撫順砿務局向け(後述)頁岩製油乾留炉および付帯設備の図を示す(図13)。すなわち、オイルシェールは炉頂より装入され、上半部において高温乾留ガスにより約500℃まで加熱され、ケロジェンが変化・蒸発する。この油分蒸気は炉内から導出される乾留ガスにより搬送され、冷却塔へ導かれて回収・冷却され、油水分離を経て粗油となる。これがこの乾留プラントにおける製品である。 この油分を排出したオイルシェールは、未だ残留炭素を含んでいるので、炉の下半部において吹き込まれた空気で燃焼して約1,000℃の高温を形成するとともに、半量以上の残留炭素は吹き込み空気に添加されていた水蒸気と反応し、C+H2O → CO+H2(水性ガス反応)なる反応を経て燃料ガスとなり、炉外公称処理300t/日のパイロットプラント1基が日本オイルシェールエンジニアリング㈱(JOSECO)により新日本製鐵㈱八幡製鐵所の若松石炭貯留ヤードに建設され、1987年から2年間試験操業を行った。出所: オイルシェール開発について、日本オイルシェールエンジニアリング株式会社、平成5年3月図12国プロのパイロットプラントに導出される。この燃料ガスは専用の燃焼炉で燃焼し、次いでその燃焼ガスの熱は熱交換器を通じて冷却塔より戻った乾留ガスに与えられ、その高温(約500℃)の乾留ガスは再び炉上半部熱回収設備乾留ガス化炉油回収設備装入シェール排ガス副生ガス副生ガス乾留ガス乾留ガスガス化ガス冷却塔油水分離器熱交換器鉱石破砕設備鉱石ヤード破砕整粒空気燃焼炉ガス化供給ガス空気工業用水整粒シェールコンベア乾 留乾 留ゾーンゾーン500℃粗油タンクガス化ガス化ゾーンゾーン1,000℃C+H2O→CO+H2排水処理設備 排ガス処理設備環境対策設備若松パイロットプラントにはこれらの設備一式が建設された。出所:株式会社日鉄技術情報センター資料廃シェール図13JOSECO方式オイルシェール乾留炉および付帯設備一式2006.7 Vol.40 No.40Aってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?に導入され乾留に用いられる。この仕組みにより、この方式の乾留炉では外部から燃料を供給する必要がなく、操業を続けることができる。 満鉄法(撫順炉)では、乾留炉下半部の酸素を多く含む燃焼ガスを直接炉上半部に送り込んで、乾留で得た油分を燃焼消耗していたので、鉱石からの油収率は60%台と低かったが、JOSECO法では上下の炉内ガスを厳密に分離し、上半部は乾留、下半部は鉱石残留炭素のガス化(燃料ガス製造)に機能分離することにより、油収率を大幅に向上することができた(下記)。 パイロットプラントの乾留炉容量は、オイルシェール処理量公称300t/日であったが、実際には約250t/日レベルで操業した。1987?88年(昭和62?63年)の2年間試験操業を行い、うち100日間は連続操業を実施した。原料はオーストラリアのコンドル鉱石(油分約6%)、中国の茂名(マオミン)鉱石(同10%)を使用し、油収率約100%を達成した。省エネルギー、環境面でも良好な成績を上げた。1986?88年(昭和61?63年)にかけて、北南米、オーストラリア、中国およびモロッコ等から合わせて14の視察団が来訪したが、異臭が全くしないため、このプラントは本当に稼働しているのかとの質問が出る状況であった。 他に、鉱石破砕の過程で、ある程度の粉化は避けられないので、それら粉状鉱石を流動床炉で燃焼するシステムも検討され、実験炉操業の過程でボイラー加熱用などに十分使用できることが確認された。 この国家プロジェクト研究は、パイロットプラント試験までのデータを解析評価して、1990年(平成2年)に終了した。ただ、その時点では、国際原油価格が低迷しており、残念ながら開発した技術を商業的に活用しようとする企業が現れず、結局日本オイルシェールエンジニアリング㈱は解散、上記パイロットプラント設備も解体・撤去されるに至った。しかし、その技術は、約六十数件に達する出願特許として、また膨大な報告書および図面類として、またパイロットプラントの設計・操業に参画した技術者・オペレータが保有するノウハウとして残った。ただ、その後、関係者は四散し、また時間も経過したので、国プロで得られた知見を生かすには、再度の準備が必要と思われる。(2)  撫順砿務局頁岩煉油廠拡張案件の検討 2000年(平成12年)4月頃、当社は、若松パイロットプラント操業当時熱心に見にきていた中国撫順のオイルシェール事業拡張F/Sを、当時の国際協力銀行新制度「輸出案件発掘・形成調査業務」の中で行うことを考えた。 まず、松江正人が撫順へ飛んだ。その際、日本オイルシェールエンジニアリング㈱時代にご指導を頂き、また撫順側への連絡ルートを持つ佐野初雄に同行頂いた。 松江正人が撫順砿務局を訪れてみると、同砿務局が頁岩煉油廠の増設を真剣に考えていることが確認できた。現在稼働している「撫順炉」は油収率が約63%と低いこともあり、これを日本JOSECOプロセスで約100%に高めることを目標として、国際協力銀行への提案書を作成・提出したところ、2000年(平成12年)10月に採択の通知を頂いた。 この間、日本側の業務実行体制としては、つくば資源環境技術総合研究所(資環研)のご指導を頂きながら、プロセス設計と総合まとめ業務を当社が行うこととし、設備設計と見積もりを新日本製鐵㈱プラント事業部(実務は、日鐵プラント設計㈱が担当)と新日鐵化学㈱に依頼し、また資環研のFischerアッセイ分析装置を拝借して模擬乾留を行ったうえで、乾留油などの分析をする業務を㈱新日化環境エンジニアリングに実施してもらうことにした。また財務評価面などで三井物産㈱化学プラント部(後、プロジェクト第一部)に参画してもらうことにした。最終段階では石油資源開発㈱にもご参画を頂き、撫順のオイルシェールの現状を評価して頂いた。なお、当社業務では、若松パイロットプラント時代の経験者である新日本製鐵㈱および新日鐵化学㈱のOBに応援をお願いした。 撫順砿務局側には、日中共同研究として取り組んで頂いた。実務は主に同砿務局設計院の呂品院長以下が担当したが、全体を一貫して同砿務局の「転産」担当副局長である劉生強副局長が見ておられた。転産は産業転換を意味し、撫順の炭砿が約百年間石炭を採掘した結果、東洋一の露天掘りと言われた西砿の石炭埋蔵量が残り少なくなったので、石炭中心から脱皮して、今後は油頁岩を主軸とする事業で発展しようというものである。具体的には、油頁岩の豊富な東砿を坑内掘りから露天掘りに切り替えて、石炭とともに油頁岩を効率的に採掘する体制を整え、頁岩煉油廠を拡張するとともに、油頁岩を破砕する際に必ず発生する頁岩粉を燃焼して発電する発電所を建設し、廃頁岩を利用するセメント工場を増強するなどであった。煉油廠拡張は、粗油生産現状9万t/年(乾留プラントの年間操業日数を330日/年として、1,900bbl/日)に増設24万t/年(5,100bbl/日)を加えて拡張後33万t/年(7,000bbl/日)へというものであった。当時、頁岩油は作れば売れる状況であり、価格も国際原油価格並みであった。これは、中国政府の環境政策(2000年4月の大気汚染防止法改正で、「第三章 石炭燃焼による大気汚染の防止」が強化された)で、事実上大都市での石炭直焚きが禁止される方向となったゆえ、中小の工場を含めて燃料を石炭から油に切り替えるところが多かったためと石油・天然ガスレビューlえられる。 資源面では、撫順砿務局設計院より入手した同砿務局地測処の資料によれば、1999年末現在で撫順砿務局が保有する油頁岩の地質埋蔵量は全体で約35億tであり、うち西砿に約10億t、東砿に約25億tある。また、露天掘りを前提とした場合、地表より地下390mまでの可採埋蔵量は約7億tである。この露天掘り可採埋蔵量は、頁岩煉油廠の既設設備(粗油生産能力9万t/年)と新設予定設備(粗油生産能力24万t/年)を合わせた所要オイルシェール850万t/年を約82年間賄うことができる。 国際協力銀行への報告書提出期限である2001年(平成13年)3月までの約半年で、日本側が3回訪撫し、中国側が1回来日した。2000年12月と2001年1月の訪撫時は、氷点下10?20℃の雪のなかで現場見学を行った。昔の炭砿従業員倶楽部が現在砿務局賓館になっており、そこで宿泊し、会議も行った。昔の炭砿本事務所が現在も撫順砿務局(名称は局であるが、実態は公司である)の本社として使われていた。撫順砿務局側の名刺を見て佐野初雄は、「撫順砿務局のマークはその中央に軌条の断面が描かれており、満鉄のマークに酷似している」との感想であった。 砿務局側の2001年(平成13年)2月来日の際、劉副局長を団長とする訪日団は、日本JOSECOプロセスの技術基盤である新日本製鐵㈱八幡製鉄所の高炉(基本的にシャフト炉であり、炉頂部から鉄鉱石とコークスを装入し、炉底部から溶銑を得る)、新日鐵化学㈱九州製造所戸畑事業所の油回収塔(コークス製造時の副生軽油用)などを見学し、つくば資源環境技術総合研究所を訪ねて最近の研究状況の解説を聴き、本調査業務を主管する国際協力銀行を表敬訪問し、また三井物産㈱や石油資源開発㈱を訪問した。 撫順砿務局の頁岩煉油廠で現在稼働している乾留炉は、1991?95年に再建されたものであるが、基本的に満鉄法を踏襲している。その外観も、戦前の写真(図8)に酷似している(図14a)。頁岩処理100t/日の乾留炉を20基×3炉団計60基設置し、頁岩処理6,000t/日で約9万t/年の粗油を生産している(図14b)。ただ、環境面の配慮はやや足りないようで、現場では乾留炉上部から多量の煙が噴き出し、かなりの異臭(コールタールに似た匂い)を放っていた。 F/S最終段階の財務評価は、撫順砿務局設計院が中国流のやり方(化学工業での基準:内部収益率12%以上)で行い、その結果を三井物産㈱がレビューして完成した。その結果は、撫順砿務局が販売する人造石油の価格(注:ほぼ国際原油価格に類似の水準)が当時の最高水準約30$/bblをかなり上回って売れればはじめて成り立つというものであった。したがって、残念ながら、撫順砿務局としてはこのF/S結果を採用するには至らなかった。アナリシス戦前の満鉄法そのままに再建されており、環境配慮が足りず炉上部から多量の煙が噴き出し、かなりの異臭を放っていた。出所:筆者撮影、2001年1月図14a現在の撫順鉱務局頁岩煉油廠乾留炉群右側から人が指さす樋(とい)を赤黒い粗油が流れている。出所:筆者撮影、2001年1月図14b現在の撫順鉱務局頁岩煉油廠油水分離後の粗油全国的に散在するが、右下の①が同国南部Parana州を中心とするIrati鉱床。出所:Petrobras社オイルシェール資料図15ブラジルのオイルシェール鉱床2006.7 Vol.40 No.4驕Bそこで、ナフサ成分はFCC設備で処理される。上記分留時の底部成分もやはり精製プラントへ送られ、燃料油を希釈するために用いられ、産業各部門へ直接、特別な燃料油として販売される。 財務面では、Petrobras社がその40周年記念として1993年に発表した論文“Petrosix - An Update”によれば、「1993年6月に、オイルシェールからの粗油は22.5$/bblで生産され、目標値を達成した」との記載がある。 環境面では、Petrobras社は、本技術開発における工業的活動のすべてが環境面で受容可能な操業を確保するように計画し、実行しているとのことである。露天採掘に起因する環境面の影響は、植生破壊、肥土壌の喪失、地下水および表層水の変質であり、そして最終的には野生の生き物は移動していなくなるというものである。同社は、学術的かつ科学的な研究に基づいて採掘地域を修復する技術を開発しながら、また環境面のバランスを回復するように、良心的な努力をしてきた。これまでに、完全に再生された土地は200ヘクタールに達している(図19)と上記論文で述べている。この背景には、オイルシェールが乾留を通じて植栽面で無害化される事実が寄与していると考えられる。 国際協力銀行?当社の撫順砿務局頁岩煉油廠拡張F/Sの後、同砿務局は、ブラジル技術の導入を検討し、2001年夏頃Petrobras社と協議していたが、現在に至るまで実現していない。その状況は、2002年(平成14年)3月当社に立ち寄ったPetrobras社Oil Shale Industrialization Plantの研究開発マネジャー桜井敏雄エリオ氏より聞いたが、技術協力の対価が撫順鉱務局が負担できる限度を超えて高額であるように思われた。沃よひく帰ってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ? ブラジル国営石油公社Petrobras社では、Parana州Sao Mateus do Sul市に本拠を置くオイルシェール産業監理局(SIX)が1950年代初めより開発を開始し、65t/時原型炉プラント(UPI)を経て、1991年にオイルシェール処理約7,800t/日の工業モジュール(MI)を稼働させ(図16)、今日まで継続している。この方式をPetrosix法と称している。上記MIは横断面が円形であり、その直径は11m(36フィート)、高さ約50mの世界最大のシャフト炉型オイルシェール乾留炉である。そのプロセスは、露天掘りで採掘したオイルふるいシェールを破砕・篩分けし、握りこぶし大の塊状鉱石(最大粒3インチ(76mm)から最小1/4インチ(6mm)まで)をシャフト炉頂部より装入し、廃シェールは露天掘り跡に返すという流れである(図17)。その間、シャフト炉下部へは戻り乾留ガスが導入されて廃シェールの熱を回収して予熱され、シャフト炉中部へは戻り乾留ガスが外部加熱された上で導入される(図18)。すなわち、Petrosix法においては、乾留後シェールの残留炭素を利用することはしないので、外部加熱用燃料が必要である(オイルシェールを乾留して得た油分の一部を燃焼)。 シャフト炉上部から導出された乾留ガスは、除塵・水冷された後、コンデンサ(凝縮器)で軽質油が回収される。コンデンサから出るガスは、H2S除去、ならびに軽質ナフサおよびLPG回収のために処理される。コンデンサで捕集された幾つかの分留油より成る油は、混成油を形成する。シェール油の処理は遠心分離と濾を含み、固形物と水分を除去して、次段階の精製に向けて油質が調整される。次いで、油製品は2成分、すなわち、ナフサおよび重質油に分留される。 これらMIの製品である粗油4,000 bbl/日は、すべてParana州都Curitiba市にある石油精製プラントへ送られ過かろ ただ、後日、中国国務院の煤炭工業部(注:日本政府の省に相当)が、国際協力銀行に対して、「撫順側と他国企業との共同検討にも利用させてほしいので、今回F/S報告書の一部を開示してほしい」との要望を伝えてきたので、同銀行へ報告書の前半を開示可能範囲として提案した。 なお、撫順鉱務局は民営化の一環として、2001年頃改組し、本体は撫順砿業集団有限責任公司となった。 このへんで、他の世界オイルシェール拠点の2カ所を一覧する。(3)  ブラジルPetrobras社のIrati鉱床とPetrosix法 長い間石油が未発見であったブラジルでは、オイルシェール開発に注力した。幸い、同国では全国的にオイルシェールが賦存し(図15)、とくに南部Parana州のIrati地層は露天掘りで採掘できる鉱床の一つである(油分約8%)。同Petrobras社が1991年に操業開始したPetrosix法乾留炉の工業モジュール(MI)。オイルシェール処理約7,800t/日で、粗油約4,000 bbl/日を生産する。出所:Petrobras社オイルシェール資料図16ブラジル国営石油公社のシャフト炉石油・天然ガスレビューAナリシス露天掘りで採掘したオイルシェールを破砕・篩分けし、握りこぶし大の塊状鉱石をシャフト炉頂部より装入し、廃シェールは露天掘り跡に返す。油製品はナフサと重質油に分留される。出所:Petrobras社オイルシェール資料図17Petrosix法におけるオイルシェールの流れ(4)  オーストラリアSPP/CPM社のStuart鉱床とATP法 オーストラリアのQueensland州北東部の海岸線には優良なオイルシェール鉱床が存在する。北部にはBowen港に近いCondor鉱床(油分約6%)、中部にはGladstone港に近接したStuart鉱床(油分約12%)などである(図20)。なお、Stuart鉱床のオイルシェール資源は26億bblあり、さらにCondor鉱床などを含むQueensland州北東部8カ所の鉱床全体では約200億bblに達する。仮にこの資源が全量採掘できるとすれば、乾留プラントの年間操業日数を330日/年として、100万bbl/日規模の製油を約60年間継続できる。 1985年頃より同国の石油開発企業SPP社(Southern Pacific Petroleum N.L.)はStuart鉱床の開発および製油事業に乗り出した(注:後年SPP社は、子会社CPM社〈Central Pacific Minerals N.L.〉を吸収合併し、SPP/CPM社となった)。 乾留装置としては、ATPプロセスが採用された。同プロセスはカナダのAOSTRA(Alberta Oil Sands 2006.7 Vol.40 No.4Aってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?Technology Research Authority;アルバータオイルサンド技術研究公社)、UMAエンジニアリング会社のW. Taciukにより発明されたもので、“AOSTRA Taciuk Processor”を略してATP法と呼ばれる。1975年にカナダAlberta州のオイルサンドから油を回収するための技術開発が行われ、1978年5t/時のパイロットプラント試験が始められ、1985年にオイルサンドからの油回収技術開発に成功した。 オーストラリアStuartオイルシェール鉱床開発については、一時、カナダのオイルサンド企業Suncor社も加わり、1987年に米国で頁岩処理量80t/日のプラントが建設されて試験が行われ、良好な結果が得られた。その後、1999年に現地Stuart鉱床傍にデモプラントが建設された(図21)。敷地内に改質プラントまである。 まずオイルシェール鉱石は、8mm以下の粒状に破砕・粉砕される。 ATP法乾留炉は、内筒を持つ回転キルンであり、予熱部と乾留部に分かRAW OIL SHALES P PS P PCPMCPMPRODUCT + RECYCLE GAS(T-180℃)HOT RECYCLE GAS(T-590℃)COLD RECYCLE GAS(T-190℃)SPENT SHALEPetrosix法においては、乾留後シェールの残留炭素を利用することはしないので、外部加熱用燃料が必要である(オイルシェールを乾留して得た油分の一部を燃焼)。出所:Petrobras社オイルシェール資料図18Petrosix法乾留炉における乾留ガスの流れAustraliaMap AreaMap Area?Gladstone?Brisbane?SydneyDepositCondorYaamba GroupDuaringaStuartRundleNagoorinNagoorin SouthLowmeadTOTALOil ShaleResource*(Gross -billion bbls)SPP/CPMNet Interest4.8 4.02.52.62.62.40.40.720.2billion bbls100%100%100%100%**50%50%100%50%17.3billion bblsBased on a cutoff grade of 50 L/t at zero % moisture.*Excludes 9.8 billion barrels (gross and net) of other oil shale in-situ at depths below 500 meters and at high waste-to-ore ratios.Suncor Energy entitled to 5% royalty on production on Stage 1 only.**BowenProserpineCondorMackayDuaringaBoundary Flat LagoonsBlock CreekYaambaRockhamptonRundleStuartGladstoneLowmead090 milesNagoorinNagoorin SouthStuart鉱床、Condor鉱床などを含むQueensland州北東部8カ所の鉱床全体でオイルシェール資源は約200億 bblに達する。出所:Southern Pacific Petroleum N.L. "Stuart Oil Shale Project" 2002.11図20オーストラリア北東部のオイルシェール資源S P PS P PCPMCPM同社は環境面のバランスを回復するように良心的な努力をしてきた。これまでに完全に再生された土地は200ヘクタールに達している。オイルシェールは乾留を通じて植栽面で無害化される。出所:Petrobras社オイルシェール資料同社がStuart鉱床傍に建設した。敷地内に水素添加による改質プラントまである。出所:Southern Pacific Petroleum N.L. "Stuart Oil Shale Project" 2002.11図19露天採掘後の地域修復図21SPP/CPM社のStuart鉱床デモプラント石油・天然ガスレビューAナリシスん塵じ別に別々の部位で行われるように工夫されている。設備の動く部分は多くはないが、複雑な設備構成となっている。製品オイル(粗油)と排ガス中のダスじょトが多くなりがちなので、除および濾過が重要である。 デモプラントは、頁岩処理6,000t/日で、粗油4,500bbl/日を製造する仕様であった(図23)。設置場所が居住地域に近かったせいか、住民から異臭問題の提起があり、稼働開始が遅れた。その後、2001年頃より操業開始し、2種の油を生産した。2003年(平成15年)10月に当社に来訪したSPP/CPM社社長Mr. James D. McFarlandがサンプルを見せてくれたが、一つは水素添加を経た透明なナフサであり、オーストラリア国内のCaltex社に販売しているとのことであり、もう一つは褐色の軽油であり、こちらはシンガポール方面に燃料油として出荷しているとのことであった。同社は、乾留プラントの敷地内に改質プラントも持ち、粗油を水素添加によりナフサまでアップグレードして販売していた。 SPP/CPM社が2001年(平成13年)8月に講演した資料によれば、オイルシェール採掘-製油コストは25$/bbl程度であり、オフショアの原油とさほど変わらないと述べている(図24)。 ただ、同社は、現地の環境団体から、化石燃料製造を通して地球温暖化に加担しているという理由だけで、執拗に付け狙われていたようである。少なくとも、乾留後廃シェールを露天掘り坑に埋め戻して植栽するなどの環境対策を実施してPRすべきであったかもしれない。 2003年(平成15年)10月当時、SPP/CPM社は撫順鉱務局より技術支援を求められ、それを同社に代わって実行するエンジニアリング会社を日本で探していた。 その後、SPP/CPM社は、オイルシェール事業の拡張を目指して増資を2006.7 Vol.40 No.4れ、複雑なシェールとガスの流れになっている。キルンは水平に設置され、原料はキルンの回転と内部のスパイラル状のレーキにより送られる。水平コンベヤーで予熱部(予熱ゾーン)に導入された粒状鉱石は、キルン回転とレーキにより乾留部(反応ゾーン)へ送られる。乾留部の入口で高温の乾留後シェールと混合され、さらに内筒外部を流れる高温ガスと残留炭素の燃焼熱によって加熱乾留される。乾留後、シェール中の残留炭素の一部は外側のキルンにおいて導入空気で燃やされ(燃焼ゾーン)、高温加熱ガスを形成する。乾留部の外側のガスは予熱用内筒を外側から加熱し、自身は冷却される(冷却ゾーン)。廃シェールは、原料導入部付近の外筒から排出される。含油ガスは、乾留部内筒より系外へ導出される(図22)。 原料シェールとガスは内筒の内外を向流で流れ、加熱、乾留、燃焼が機能排ガス蒸気オイルシェールコンベヤー大塊除去冷却ゾーン燃焼ゾーン予熱ゾーン反応ゾーン補助バーナー含油ガス乾留後シェール燃焼用空気廃シェール内筒を持つ回転キルンであり、水平に設置される。原料はキルンの回転と内部のスパイラル状のレーキにより送られる。シェールとガスは複雑な流れを示す。出所: 社団法人 日本エネルギー学会編『エネルギー便覧 ?プロセス編?』 コロナ社、2004年5月図22ATP法キルン炉の概要S P PS P PCPMCPMオイルシェール処理約6,000 t/日で、粗油約4,500 bbl/日を製造する。出所:Southern Pacific Petroleum N.L. "Stuart Oil Shale Project" 2002.11図23デモプラントのATP法乾留炉@次いでブラジルPetrobras社のPetrosix法は、やはりシャフト炉形式の乾留炉であるが、乾留後頁岩の残留炭素を熱源に利用することはしていないので、系外から燃料を供給する必要がある。実際には、オイルシェールを乾留して得た油分の一部を燃焼している。したがって、油収率はそれだけ低い(約90%)。しかし、同社がParana州Sao Mateus do Sul市で1991年以来操業している工業モジュール(MI)は、現状世界最大のシャフト炉型オイルシェール乾留炉(頁岩処理約7,800t/日)である。粗油4,000bbl/日は全量州都Curitiba市の石油精製所に送られている。 最後に、オーストラリアSPP/CPM社のStuart鉱床傍に設置されたATP法横型キルン乾留炉デモプラント(オイルシェール処理量約6,000t/日;粗油量4,500bbl/日)は、2001年頃より操業開始し、構内に改質プラントも持って粗油を水素添加によりナフサまでアップグレードし、また粗油のまま(褐色軽油)の2種の油を生産・販売していた。その後数年で操業停止したのは残念である。 なお、撫順やブラジルIrati鉱床のように比較的硬い鉱石に対しては塊状鉱石を装入する竪型のシャフト炉が構造簡便で適しており、また経済的にも有利である。一方、オーストラリアStuart鉱床のように油分が高く砕けやすい鉱石については、複雑なプロセスではあるが、粉状にしてから装入するキルン炉が適していると言える。 これら4拠点以外には、東欧のエストニアで高油分のオイルシェールを乾留しているが、他方で岩石ごと燃料にか使用もしている。また、中国吉林省樺んでも、オイルシェールを市の集中暖房システムの燃料として用いている。甸で帰ってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?S P PCPMUS$/bbl30Illustrative Profit Margins at US$25/bbl WTI25.0026.003Robust profit marginsRobust profit margins-competitive with newcompetitive with new-non--OPEC oil supplyOPEC oil supplynon2011.7515.20Profit Margin (BTax)No exploration riskNo exploration risk3.153.606.501000.80Royalty 57.504Operating Costs2.50Capital Costs6NonNon--declining productiondeclining production-manufacturing modelmanufacturing model-High quality oil productsHigh quality oil productsultra--low sulphur-ultralow sulphur-Offshore Oil1 Oil Shale Mining2Notes::Notes1. Average cost structure of GOM, W.Africa, N. Sea, Brazil. CERAReport July, 1999.Report July, 1999.1. Average cost structure of GOM, W.Africa, N. Sea, Brazil. CERA2. Oil shale commercial development, internal estimates and2. Oil shale commercial development, internal estimates andanalyst reports.analyst reports. 3. Assumes US$1.00/bbl premium for low sulphur synthetic crude.3. Assumes US$1.00/bbl premium for low sulphur synthetic crude.4. Target for commercial oil shale development (comparable to range of costs ange of costs 4. Target for commercial oil shale development (comparable to rachieved bySuncor and Syncrude oil sands projects).achieved by Suncor and Syncrude oil sands projects).5. Assumes 3% for oil shale, 12.5% for conventional.5. Assumes 3% for oil shale, 12.5% for conventional.6. Oil Shale Mining: Midpoint of US$2--3/bbl range of initial and sustaining capital costs3/bbl range of initial and sustaining capital costs6. Oil Shale Mining: Midpoint of US$2amortised over project life. Offshore Oil: finding and development costs.lopment costs.amortised over project life. Offshore Oil: finding and deveオイルシェール採掘-製油コストは26$/bbl程度であり、オフショアの原油とさほど変わらない。出所:Southern Pacific Petroleum N.L. "Stuart Oil Shale Project" 2002.11図24オイルシェール粗油とオフショア原油のコスト比較図り、幹部がたびたび来日し、石油および重工業分野の日本大企業数社を訪ねていたが、2004年(平成16年)2月頃破産の上、米国Texas州の投資家Mr. Jeff Sandefer(注:従来よりSPP/CPM社の株主)が管財人となった。同氏は、その後、Stuart鉱床を継承所有する新会社QER社(Queensland Energy Resources)を設立したが、元来純粋の投資家であるせいか、技術的側面を伴うオイルシェール事業を積極的には進めていない模様である。(5)  オイルシェール製油4プロセスの特徴比較 ここで、オイルシェール製油における世界4拠点の特徴を概観する(表3)。 まず、中国撫順で現在も稼働し続けている満鉄法(撫順炉)は、1930年満鉄により始められた2段シャフト炉形式の乾留炉であり、途中何年かの休止はあったものの、70年近い長期の操業を続けている。途中の休止も、黒龍江省大慶油田の開発とまた枯渇傾向に連動しており、オイルシェールが石油代替資源であり得ることを如実に示している。なお、戦前の満鉄時代には、軍事目的とはいえ、オイルシェール乾留製品である粗油の全量がガソリンならびにディーゼル油に精製されていたことは特筆に値する。満鉄法は、外部からの燃料供給は不要であったが、乾留炉下半部で乾留後頁岩の残留炭素を空気で燃焼して高温ガスを作り、それをそのまま乾留炉上半部へ送っていたので、その中の酸素成分がせっかく乾留して得られた油分を燃やしてしまい、乾留炉としての油収率は60%台と低目であった。 次に満鉄法の影響を受けた戦後日本の国家プロジェクトJOSECO法は、やはり2段シャフト炉形式の乾留炉(横断面は矩形)であるが、満鉄法の低い油収率を改善するため、乾留炉下半部で乾留後頁岩の残留炭素を水性ガス反応により燃料ガスとし、いったん炉外に導出して専用の燃焼炉で燃やして得た熱を熱交換器で乾留ガスに与える方式を採り、外部燃料なしに高い油収率(最高100%)を確保した優れたプロセスである。加えて、環境への配慮もいきとどいており、海外からのプラント訪問者は全く異臭を感じないと賞賛していた。石油・天然ガスレビュー\3オイルシェール製油4プロセスの特徴比較拠点プロセス中国撫順満鉄法(撫順炉)日本国家プロジェクトJOSECO法ブラジルPetrobras社Petrosix法露天掘り-東坑(油分7%);石炭層の上位に賦存し、採掘が必然注)豪コンドル(油分6%)、中国茂名(油分8%)の鉱石を使用露天掘り-Irati鉱床(油分8%)1987~88年試験操業1991年操業開始~現在アナリシス豪州SPP/CPM社ATP法露天掘り-Stuart鉱床(油分12%)2000年操業開始~2004年に中断キルン炉(内筒有)シャフト炉(円断面)(7800t/日×1基)(6000t/日×1基)塊状(6-75mm)外部熱交換式実施せず要(乾留ガスの一部を燃焼)高目(90%)良好580t/日(4000bbl/日)(全量外部精製工程へ)石油精製品露天掘り坑に戻し、植栽良好粉状(8mm以下)熱媒体加熱方式(廃シェール)実施不要高目(90%)良好650t/日(4500bbl/日)ナフサ(水素添加後)→精製へ、褐色軽油→燃料油ガソリンなど露天掘り坑に戻し(未植栽)良好採掘乾留操業の歴史乾留炉(鉱石処理量)原料鉱石熱供給方式残留炭素燃焼熱利用外部燃料油収率環境粗油生産量粗油用途精整後製品廃シェール処理総合評価1930年操業開始(満鉄)~現在2段シャフト炉(円断面)(100t/日×60基)塊状(12-125mm)内燃式実施不要低目(60-70%)低水準270t/日[9万/年](1900bbl/日)2段シャフト炉(矩形断面)(250t/日×1基)塊状(6-70mm)外部熱交換式実施(水性ガス反応)不要極高(100%)優秀12t/日(84bbl/日)注)最盛期(1950年頃)80万t/年(戦後)燃料油(戦前)ガソリン~ディーゼル油、潤滑油露天掘り―西坑へ低水準---優秀満鉄法シャフト炉は油収率が低い。ブラジルPetrobras社のPetrosix法は現在、世界最大のシャフト炉を稼働させているが、外部燃料が必要である。オーストラリアSPP/CPM社のStuart鉱床傍に設置されたATP法横型キルン乾留炉デモプラントは鉱石を粒状にしてから装入する必要があり、構造が複雑である。乾留プロセスとしては、JOSECO法2段シャフト炉が油収率、エネルギー効率、環境の面から最も優れていると考えられる。ただし、砕けやすい鉱石にはATP法が適している。出所:著者作成4. 再び注目が集まるオイルシェール(1)  米国オイルシェール資源開発の胎動 米国には世界最大量のオイルシェール資源が賦存している。1980年の報告によれば、42?420?/tの含油量で28兆bblが、100?420?/tの含油量で2兆bblの資源が存在すると推定されている。 東部?中西部ではインディアナ州、ケンタッキー州など約10州にまたがる648,000km2の地域に古生界デボン系等のブラックシェールが賦存し、西部ではユタ、ワイオミング、コロラドの3州にまたがる42,700km2の地域に古生界二畳系等のオイルシェールが賦存している。前者は含油率が低目(約39?/t)で硫黄分が高目(約5%)であり、後者は含油率が高目(約113?/t)で硫黄分が低目(約0.5%)である。後者西部のオイルシェール資源は、Green River層に埋蔵されている(図25)。そのGreen River層は、厚さ約300mの表土の下に厚さ約700mのオイルシェール層として存在する(図26)。このような地下の深さ約1kmにわたるオイルシェール層ゆえに、後述のin situ法が試みられたとも言える。 同国では、1970年代の石油危機後に連邦政府の指導もあり、コロラド州でUnocal社、Royal Dutch Shell社、ExxonMobil社等多数の民間企業がオイルシェール開発プロジェクト(大半は採掘?地上乾留法、一部が地下乾留法)を推進した。1980年当時、カーター大統領の下で、議会が原油に相当する国産の新しい資源を開発すべく合成燃料公社(Synthetic Fuels Corporation)を設立するに至ったが、1980年代の油価下落とともに相次いで撤退し、後には多数のゴースト・タウンが取り残された。 しかし、近年の原油高騰を背景にして、2005年6月、米国政府の土地管理局(Bureau of Land Management; BLM)は、上記Green River層が賦存するコロラド、ユタ、ワイオミング3州におけるオイルシェールからの油回収技術の研究、開発、プロセス・デモンストレーションのための土地貸与先の募集を公示した。それに対し、同年9月に20社(または企業グループ)が提案書を提出し、BLMと州政府による審査が開始された。2006年1月には6社の提案書が上記審査を通過し、現2006.7 Vol.40 No.4Aってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?在環境影響評価のもとにあり、早ければ今年夏にも土地貸与先企業が決定されると伝えられている。 すなわち、米国政府は、再びオイルシェール開発に向けて民間企業を誘導すべく乗り出したと言える。(2)  Shell社のインシチュー(地中内回収)法あな ところで、1980年代の米国政府および各企業の一斉撤退の後も、オイルシェール開発に取り組み続けた企業がある。Royal Dutch Shell社である。同社はこの約20年間、オイルシェール開発に注力し、同社独自のIn -Situ Conversion Process (ICP)法を編み出した(図27)。同法では、地表から地下のオイルシェール層に向けて垂直の孔を複数本掘削し、そこに電熱ヒーター(風力発電による電力を用いるとの情報もある)を挿入し、3?4年間をかけて表土をカ氏650度(343℃)まで加熱する。その間で、極めて濃い油分とガスがケロジェンから生成し、一連の変化を経て、水素リッチな軽質油成分比率が増大する。この軽質油成分およびガスは、上記加熱井の間に複数本設置された従来型の石油生産井を通じて汲み上げられる。この方法では、地下の有機炭素資源の65?70%が回収される。地中に残る炭素分はチャー(木炭)に似ており、取り出しても、精製には多量の水素とエネルギーが必要であるので放置する。汲み上げられた生産物は、通常の原油よりはるかに軽質であり、また重質油成分を含まない。その品質は、加熱時間と温度により制御可能とのことである。 なお、上記の地下資源利用率が65?70%であることは、採掘?地上乾留法(日本の国プロ)が採掘?破砕途中の粉化を考慮しても100%にかなり近いものであることに比べれば、Shell社のICP法など地下乾留法は、石油系資源をだいぶむだ遣いする方法であると石油・天然ガスレビューGreen River鉱床はユタ、ワイオミング、コロラドの3州にまたがる。出所:Rand社ホームページ図25米国西部のオイルシェール地層コロラド州Piceanceベイスンは厚さ約300mの表土の下に厚さ約700mのオイルシェール層として存在し、地表下約1kmにわたる深さを持つ。出所:Rand社ホームページ図26コロラド州オイルシェール地層の断面言える。 コロラド州にあるShell社のパイロットプラントでの試験結果によれば、生産物は2/3が液体であり、1/3がプロパンおよびブタンのようなガスである。液体は、ナフサと呼ばれるガソリン前駆体、ジェット燃料、ディーゼル油がそれぞれ約30%ずつ含まれ、残Aナリシス5.2bblの用水を必要とすると推定される。ICP法では、このような用水を幾らか節約できるが、一方でかなりの量を必要とする。それは、石油およびガスの汲み上げ、汲み上げ後の冷却、製品の精製、環境制御システム、発電などのためである ここで、上記環境面負荷の見方について、日本の国プロで地上乾留法を開発した立場からは、とりあえず次のようなことが言えると思われる。 ①  露天掘りを仮定すれば、反論なし。 ②  少なくとも乾留プラントについては、ICP法と大差ないのではないか。 ③  上記②に伴い、大気質への影響は採掘?地上乾留法もICP法と大差ないのではないか。 ④  日本の国プロ当時、外国からの訪問者が「異臭がしない。このプラントは稼働していないのではないか」との発言があったくらいで、日本工業界の環境配慮技術をもってすれば、少なくとも乾留プラントについては問題ないと考えられる。 ⑤  撫順鉱務局頁岩煉油廠拡張F/Sの検討において、乾留プラントの用水使用量は粗油1bblあたり約1.2bblであった。上記Rand社レポートでは過大に見積もられていると言える。 上記Rand社レポートにおいては、米国旧来の、環境配慮が立ち遅れた重工業プラントを想定して検討しているようにも思われる。(3)  メジャーの中国オイルシェールへの投資 ?  用水消費量:採掘?地上乾留法においては、オイルシェールからの粗油1bbl当たり2.1? 中国において、吉林省はオイルシェールの確認埋蔵量が174億tに達し、全国トップである。2006.7 Vol.40 No.40Shell社のICP(In -Situ Conversion Process)法では、地表から地下のオイルシェール層に向けて垂直の孔を複数本掘削し、そこに電熱ヒーターを挿入し、3?4年間をかけて表土をカ氏650度(343℃)まで加熱する。ケロジェンから生成した水素リッチな軽質油成分およびガスを上記加熱井の間に複数本設置した従来型の石油生産井を通じて汲み上げる。出所:Green Car Congressホームページ図27Shell社のICP法り10%がわずかに重質の油分である。これらの成分は、従来の原油よりもはるかに軽い処理で最終製品まで精製することができる。 同社は、地下水(地下加熱に不利)を当該プロセスから、また副生物を地下水の流れから遠ざけるには、地下水を表土氷障壁(subsurface ice barrier)とすることを提案している。これは既に確立した採掘技術の一つであると述べている。同社の試験結果では、実際に、凍結した壁が加熱領域から汚染物質が漏れ出ることを防いだという。 米国のシンクタンクRand社(Rand Corporation)が米国エネルギー省(DOE)のエネルギー技術研究所(National Energy Technology Laboratory)向けに研究し、2005年に公開したレポート“Oil Shale Development in the United States: Prospects and Policy Issues”において、同社は次のように述べている。?  米国でオイルシェール開発を前進させるには、民間セクターが自己の技術面、経営面、財務面の資源を全面的に使うことができるまで、大部分の投資を政府が担うことが不可欠であろう?  コスト面では次のように考えられる ? Shell社のICP法は、約30$/bblの原油価格水準で成り立つ ? 他方、採掘?地上乾留法では、原油価格が少なくとも約70?95$/bblの水準に高止まりしなければ、成立しないであろう?  採掘?地上乾留法に比べて、次のような点でICP法は環境面の負荷を軽くする ? 土地の利用:露天掘りしないので、現状の土地利用を変える必要がない ?  インフラストラクチャー:道路、電力供給および配電システム、パイプライン、用水貯留および供給施設、建設準備領域、有害物質処理施設、建屋など ?  大気質(基準公害物質)、地球温暖化ガス排出の面 ?  水質:採掘?地上乾留法においては、潜在的な水質汚染が多数考えられる。これに対して、ICP法では、地下水流および水質に対する長期的な影響がほとんど考えられない。Shell社の凍結壁は、ほんの小さな第一歩であるソは砂に絡んだ高粘性超重質油であり、採掘後の処理が必要であり、また精製工程においては水素添加や熱分解を必要とし、採掘後処理および精製工程は石油ならびにオイルシェールよりむしろ難しいものと言える。 オイルシェールは、堆積岩(泥岩)にケロジェンが含まれたものであり、もともと続成作用を受けて石油になるものであるので、長期間地下深くで熱を受ける代わりに工業的に500℃程度で乾留すれば粗油が得られる。その沸点範囲はオイルサンドと異なり、石油に同様である。精製においては、粗油中に窒素分とオレフィンが多いので、ある程度の水素添加が必要である。 オイルシェールの乾留は、常圧で500℃程度である。石炭液化の数十気圧で数百℃よりははるかに負荷の小さいプロセスである(表4付表)。 なお、オイルシェールを乾留した後の廃シェールがむしろ無害化されており、埋め戻し後の植栽に適していることは特記されるべきことである。に出資することで合意したと伝えられていた。樺甸地区のオイルシェール確認埋蔵量は5億4,600万t、可採埋蔵量は3億1,700万tである。上記事業では、27億5,000万人民元の資金が投ぜられ、285万t/年のオイルシェール採掘、製油のための乾留工場設置に加えて、オイルシェールをそのまま燃料として用いる発電所(5万kW×2基)、セメントや陶粒(セラムライト)を製造する工場を建設するとのことである。(4)石油系3種資源の比較 ここで、石油、オイルサンド、オイルシェールの石油系3種資源の特徴を比較して見る(表4)。 まず、石油は採掘後の処理は原則不要であり、精製も分留をするだけと容易であるが、探査に大きなリスクを持ち、コストを押し上げる。 オイルサンドは、いったん生成した石油が地殻変動で地表に露出し、軽質であるゆえ、本油成分が蒸発した残渣さざん 2006年4月、オランダ・ハーグ市のRoyal Dutch Shell社の本社で、同社の中国法人Shell吉林能源公司およびShell中国公司は、中国東北地区吉林省の吉林光正鉱業開発公司と合弁企業の設立式を執り行った。これを受けて、Shell社と吉林光正は、吉林省でオイルシェール資源の共同探査と開発を進めることになった。 Shell側は設立した同合弁企業の株式の61%を保有し、第1期投資として1億5,000万$を投入する。中国側は吉林省が採掘権を提供し、吉林光正が株式の39%を保有する。中国の鉱物資源探査・開発事業において、海外企業の持ち株比率が50%を超えるのは今回が初めてのケースである。同合弁企業は、今後2年間のオイルシェール地質探査事業を計画している。採掘にあたっては、Shell社のICP法を用いるとも伝えられている。 また、2005年10月には、中国電力投資集団公司が吉林省吉林市と、吉林市樺甸地区でのオイルシェール開発事業帰ってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?表4石油系3種資源の特徴比較段階石油オイルサンドオイルシェール)比較的地表に近い地層(深度1,000m以浅)に賦存。露天掘り可の場合もある岩石+ケロジェン破砕+乾留(500℃)易注要-)比較的地表に近い地層(深度1,000m以浅)に賦存。露天掘り可の場合もある砂+超重質油熱水+遠心分離易注要--高圧蒸気注入によるinsitu法-電熱によるinsitu法注)insitu法では油収率が低い可能性あり)近年では深海底(深度約3,000m)での探査が多い。リスク大難注採掘後中間品原油不要探査・採掘採掘後処理精製後製品ガソリン~ディーゼル油、燃料油、石油化学原料ガソリン~軽油、発電用燃料油ガソリン~ディーゼル油、燃料油粗油注)沸点範囲は石油に同様注)insitu法では生成した油分が地層を伝って漏れ出る恐れもあり廃シェール;無害化により植栽可能要-中程度-水素添加(窒化物除去)+分留ビチューメン(高粘性超重質油)注)常温では固体水素添加分解+分留難--熱分解+分留砂要-処理後中間品(原油)不要分留易-廃棄処理精製(アップグレーディング)(参考)付表 採掘後処理反応条件プロセス圧力温度オイルシェール乾留常圧約500℃石炭液化(直接法)数十気圧数百℃石油は探査に大きなリスクを持つ。オイルサンドは砂に絡んだ高粘性超重質油であり(たとえin situ法であっても)採掘後の処理ならびに精製が難しい。オイルシェールは乾留後、石油に同様の沸点範囲を持つ留分が得られるが、窒化物を除くための水素添加が必要。in situ法では軽質油のみ入手可能。出所:著者作成石油・天然ガスレビューi5) オイルシェール製油の今後 最近は、原油価格が70$/bblを超える時もあり、オイルシェール製油の環境は整ってきていると言える。オイルシェールは、世界に原油埋蔵量の半量近く賦存しており(表1)、在来型石油生産2004年ピーク説すらあった今日、石油代替資源として検討に値する対象であると思われる。 Shell社のICP法も開発されつつあるが、現在実働している乾留法は地上乾留のシャフト炉(中国撫順砿業集団の満鉄法〈撫順炉〉、ブラジルPetrobras社のPetrosix法)であり、一昨年までキルン炉(オーストラリアSPP/CPM社のATP法)も実働していた。1980年代の日本国家プロジェクトで開発したJOSECO法も、シャフト炉による工業的な方法である。この日本独自のオイルシェール乾留プロセスを、ぜひ実現したいものである。 米国Rand社のレポートでは、地上乾留法を、あたかも公害をまき散らす旧式の重工業のように見ているが、オイルシェール分野においては、鉱業部門の技術者と工業部門の技術者がお互アナリシスい謙虚に対話する必要があるのかもしれない。 既存の採掘?地上乾留法に加えてShell社ICP法のようなin situ法(地下乾留法)が現れつつある現状であるが、今後、両者については、採掘?地上乾留法は、既に露頭が現れている地表に近いオイルシェール層に、in situ法は、米国西部Green River層のように地下深くまた厚いオイルシェール層に用いられるように棲み分けるものと考えられる。5. 終わりに オイルシェールは不思議なエネルギー資源である。1800年代初めに主に西欧の工業国で採掘・製油されていたが、1900年代の石油の大量生産開始に伴い、ほとんどが停止した。しかし、石油価格の高騰に伴い、その度に話題になり、開発検討の対象とされてきた。それは、本格的な開発には幾つかのハードルがあるものの、捨て置くにはもったいない資源であるからであろう。オイルシェールは、原始埋蔵量が石油に匹敵するほど膨大であり、また賦存の状況が石油資源に比べて探査の確度が高い上に、乾留に要する技術がさほど高度なものでないこと、さらに得られる粗油の成分が在来型の原油に近いことが挙げられる。 オイルシェール製油のこれまでの開発結果を要約すると、賦存状況にもよるが、粗油生産コストはおおむね30?35$/bblであり、石油資源が枯渇した後に用いるべき未利用石油資源とされてきた。しかし、本当にそうであろうか。在来型石油生産は2004年にピークを打つとの説すらあった最近の状況もあり、中国等の石油消費の急増から、石油の逼迫は現実味を帯びてきた。現に、石油価格は70$/bbl台をつけている。また、オイルシェールと並び称された代表的未利用石油資源のオイルサンドは、一足先に本格生産に入っている。 さらにオイルシェールには追い風となる要素がある。それは、オイルシェールが乾留によって無害化され、埋め戻し後の植栽に適した土壌になることが証明されつつあることである。あたかも、かつては環境汚染の元凶とも見はなされた製鉄所が、少なくとも日本においては、今では森の中の製鉄所になっているようにである。 米国では、世界最大のオイルシェール鉱床であるコロラド州、ユタ州、ワイオミング州にまたがるGreen River層において、1980年代後半にあらゆるプロセスの開発が行われ、1万bbl/日のUNOCAL社プラントも稼働していたが、1990年以降すべてのオイルシェール開発は中止された。しかし、昨年より、米国エネルギー省(DOE)の委託調査が開始されている。 このように見てくると、再度というべきか、今度こそというべきか、オイルシェール開発が本当に本格化するように思われる。謝辞 この記事を書くにあたり、様々な点でご教授・ご助言を頂いた東方科学技術協力会の会長佐野初雄先生、(独)産業技術総合研究所エネルギー技術研究部門新燃料グループの佐藤信也先生、当社調査研究事業部の片山力特別研究員、松江正人客員研究員に感謝の意を表します。2006.7 Vol.40 No.4Aってきたオイルシェール ? 一世紀にわたる技術開発に飛躍の芽 ?著者紹介桜井 紘一(さくらい こういち)1942年宮城県仙台市生まれ。1965年東京大学工学部物理工学科卒業。1967年同大大学院理学系研究科物理学専門課程修士課程修了。同年八幡製鐵㈱入社。八幡・君津両製鐵所、設備技術センター、プラント事業部に勤務し、主に薄鋼板用連続焼鈍分野の海外技術協力に従事。1997年新日本製鐵㈱を退社し、㈱日鉄技術情報センターに入社、調査研究事業部主席研究員。鋼材製造法・市場動向調査の傍ら、エネルギー貯蔵装置の調査研究を経て、2000年度下期国際協力銀行の案件発掘・形成調査で、1930年旧満鉄が始めた撫順砿務局頁岩煉油廠の拡張F/Sに従事。1997年技術士(金属部門)、(社)日本技術士会金属部会に所属。興味あること:歴史認識。とくに日中、日韓について。趣味:かつての松竹映画監督小津安二郎先生の足跡を尋ねるツアーを自ら企画し、家内とふたりで実行。石油・天然ガスレビュー
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2006/07/20 [ 2006年07月号 ] 桜井 紘一
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