ページ番号1006400 更新日 平成30年2月16日

国際政治・経済情勢の読み取り方(2) ― 石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として ―

レポート属性
レポートID 1006400
作成日 2010-03-19 01:00:00 +0900
更新日 2018-02-16 10:50:18 +0900
公開フラグ 1
媒体 石油・天然ガスレビュー
分野 エネルギー一般基礎情報
著者
著者直接入力 小松 啓一郎
年度 2010
Vol 44
No 2
ページ数
抽出データ ニジェールニジェールベナンベナンアブジャカメルーンカメルーンん綻たはラゴス大西洋中央アフリカ中央アフリカナイジェリアナイジェリア出所:JOGMECナイジェリアの位置 本稿は3回にわたるシリーズの第2回目として、2010年1月末時点で執筆したものである。前稿と同じく、本稿でも構造的に資源不足に直面している日本産業界の立場から、激変する昨今の国際情勢の読み取り方について考察していくことが狙いである。 英国に拠点を置く筆者の立場からは、国際情勢認識等に関してかなり厳しい見通しにも触れざるを得ないが、それはむやみに「悲観論」や「ネガティブ」な言辞に終始するのが目的ではない。むしろ、一般的に見落としがちな事実についても正確な把握を試み、産業界の先行きに横たわる課題について問題提起に努め、それらの「厳しい見通し」が現実のものとならないよう、効果的な対策・対応方法について広く議論を起こしていきたいというのが趣旨である。 紙数に限りがあるため、前稿で詳述した事項に関しては、是非とも前稿をご参照いただきたい。前稿では、2008年9月15日の米証券大手リーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)の倒産とそれに続くメリル・リンチ(Merrill Lynch)、AIG等の主要金融機関の連続破で始まった世界的な金融危機(以下、「リーマン・ショック」と表示)以降の大規模な世界同時不況の深刻さについて触れるとともに、政治面でも日米両国をはじめとする各国で大きな政策転換が進められつつあることについて触れた。 他方、中東は豊富な地下資源地帯ではあるが、イラク情勢やアフガニスタン情勢の今後の見通しとして、近未来の安定化はあり得ないという冷厳な事実があるため、そのネガティブな余波も考慮しておかなければならない。この意味で中東での政治面のカントリー・リスクについても触れた。そのような状況下、日本産業界も中東への極端なエネルギー依存を改善していく必要があり、中南米やアフリカの大資源地帯にも注目すべき時期が来ている事実について指摘した。 また、前稿同様、本稿でも特にナイジェリアを主要事例の一つとして取り上げた。前稿では、アフリカでも最大級の石油・天然ガス産出国の一つである同国の石油・天然ガス埋蔵量見通しや農業分野での潜在的な可能性等について、2カ月前(2009年11月末)の調査時点でまとめてみた。この国では、石油産業構造の本格的改革に向けて現政権側が議会に提出しているPIB(Petroleum Industry Bill)法案の可否が将来の国家的方向性を決めるものとして多くの論議を呼んでいる事情について触れ、また、天然ガス資源をめぐる「ガス・マスター・プラン」も注目の的になっていること等について具体的に説明した。 さらに、現政権の安定性に関しては、大統領の健康不安や治安の不安定さ等の問題について概観した。目下、関係各方面から注目されているテロ・海賊行為の多発地帯ナイジャー・デルタ(「ニジェール・デルタ」ともいう)の「60日間アムネスティ・プログラム」についてまとめ、今後の現地動向についても注目していくこととした。本稿では、その後のナイジェリア情勢についても見てみたい。 他方、日本産業界を取り巻く国際情勢がさらに激動しつつある事実も踏まえ、本稿でもまずは経済と政治の両面からグローバルな視点で観察してみたい。経済面ではリーマン・ショックに続いて昨年(2009年)11月下旬から注目の的となったドバイ金融危機の意味と、国際市場で拡大するソブリン債、サブ・アナリシスKomatsu Research & Advisory小松 啓一郎国際政治・経済情勢の読み取り方(2)― 石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として ―はじめに33石油・天然ガスレビューAナリシスる海賊問題をめぐってインド洋方面にも目を向けた。ソブリン債への信用不安の日本へのインパクトにも目を向けてみることとした。また、政治面では深刻たど化の一途を辿 さらに、米国のバラク・オバマ(Barack Obama)政権にとっては国内政策面で医療制度改革や失業対策が最重要課題になっているが、対外政策面ではアフガン問題やイラン問題が焦点となっている。このため、最新のアフガン情勢についても、不安定な途上国事情を知る一助として治安問題、腐敗問題という側面から触れてみた。アフガン問題については、日本国内でほとんど知られていない情報も紹介しつつ、その後の分析課題であるナイジェリア情勢を見る準備としたい。 ただし、本稿においても、筆者によるインタビューの受け手の一部については、その個人名または組織名の報告許可を得ていない。これは、いわゆる「チャタム・ハウス・ルール」(Chatham House Rule)により、情報・見解の提供者の個人名または組織名を明らかにしてはならない条件が含まれていたからである。本稿でも、あえてそれらの記述を避けざるを得なかった点に御留意頂きたい*1。 なお、本稿中の統計表やグラフ等の出所欄に表記されているKomatsu Research & Advisory (KRA)は筆者が代表を務める政治・経済研究オフィス(在英)である。1. 国際経済情勢のその後 前稿ではリーマン・ショック発生(2008年9月)直後から約1年後までの経済情勢についてまとめたが、その後の状況については、既に「底」を打ったのか、さらに悪化するのか、あるいは回復に向かっているのか、さまざまな見方が出ている。まず、本稿執筆時点(2010年1月末)でそれらの見方を概観してみたい。 本年(2010年)元日に出された英国産業連盟(CBI=Confederation of British Industry)のリチャード・ランバート(Richard Lambert)事務局長のメッセージ(New Year's message)の中には、次のような見通しが示されている。 「過去12カ月間の恐るべき困難(a terrible 12 months)を経たビジネス環境も、将来は安定化に向かっていくことであろう。しかし、多くの企業は依然、『二番底』(a double dip recession)の到来を懸念しており、そうなった場合の雇用情勢への影響も憂慮している。今のところ、そのような[新レベルの]経済的打撃が到来する可能性も否定できない。しかし、もっと可能性の高いシナリオは、弱含みながらも回復基調(a fragile recovery)に入るまでの当分の間、[現在見ている]景気の底を繰り返し打つ(bump along the bottom for a little)ということであろう」*2。 米国ではオバマ大統領が同1月9日にラジオ演説を行い、2008年9月のリーマン・ショック以降の経済悪化は「1929年の大恐慌以来、最悪の状況」だとし、「将来はよりよい日も来るだろう」(there would be better days ahead)としつつも、今後の「回復への道は長く、時々はデコボコ(the road to recovery would be long, and sometimes bumpy)になることも確実」(promised)との見通しを示した*3。  他方、中国では新年明けから経済危機の「克服」宣言が出たとの報道もあり、国営新華社通信が1月11日までに「金融危機に対する胡錦濤指導部の対処と成果を総括し、『中国経済は成長回復を実現した』と評価する異例の記事を配信」とも報道された*4。 日本国内では、依然、厳しい経済環境が続いていることもあり、「もはや日本を経済大国だと思わないほうがいい」(元経済財政政策担当大臣のコメント、2008年時点)との悲観論も引き続き聞かれる。言うまでもなく、日本が「経済大国ではない」というのは事実に反しており、極端な表現でいたずらに国民的危機感を煽るのは誤りである。 他方、リーマン・ショック後に欧米先進国よりも早く上昇の勢いを見せ始めた主要輸出先の一つ、中国経済への期待感等から、日本でも2010年秋以降には「晴れ間」も見えるだろう、との声も聞かれ始めた。確かに、途上国の中でも台頭著しいエマージング・マーケットとして、数年前から中国を含む4カ国が特に注目を浴び、それらの国名の頭文字を取ってBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)という新語も生まれたほどである。しかも、BRICs市場における株価水準は、特に国際市場で2007年後半から2008年前半にかけてエネルギー、あお2010.3 Vol.44 No.234トナスダック総合指数米国SP500英FTSE100指数日経平均株価指数(2007年11月 =100)12011010090807060504/14/13/33/32/12/11/11/112/112/111/111/110/110/19/159/29/28/18/17/17/16/26/25/15/14/14/13/33/32/12/11/21/212/312/311/111/140200720082009出所: 通商白書 2009年版に基づいてKRAが作成図1主要先進国の英国、米国、日本における株価指数の推移(2007年11月 =100)ブラジル・ボベスパ指数ロシアRTS指数インド・センセックス30指数上海総合指数12011010090807060504030204/14/13/13/12/12/11/11/112/112/111/111/110/110/19/159/29/28/18/17/17/16/26/25/15/14/14/13/33/32/12/11/21/212/312/311/111/1200720082009出所: 通商白書 2009年版に基づいてKRAが作成図2BRICsの株価指数の推移金属、食料等の価格が急騰したのと軌を一にして急上昇した。 しかし、BRICsで株価急落が起きたのは、いずれの場合も「リーマン・ショック後」のことではない。 図1では、主要先進国の英国、米国、日本における株価指数の推移(期間:2007年11月1日~2009年4月23日)を茶色で示し、図2では、BRICs各国での株価指数の推移(同期間)を緑色で示したものである*5。これらのグラフで明らかなように、先進国での株価急落に3カ月~4カ月も先立つ5月~6月にはBRICs各国の株価が見事に揃う形で同時急落曲線を描いている。 ブラジル、ロシア、インドではちょうど株価急落プロセスの半ば、またはそれ以降の段階でリーマン・ショックを迎えている。また、中国にいたっては株価急落後のほぼ「底」に近い段階で同ショックを迎えている(図3参照)。リーマン・ショック後の中国の立ち直りが他の市場よりも「一足早い」との印象を受ける向きも増えているが、実際には「早い」と言うよりも、BRICsにおける金融危機の最悪期の「始まり」と「当面の出口」がともに先進国より数カ月ほど早めにズレて起こっているに過ぎない可能性もある。 もちろん、長期的に見れば、BRICsの一部は大きな潜在的成長力を持っていると考えられる。しかし、そのBRICsがリーマン・ショックより数カ月も早い時期にこのような形で崩れた事実があるということは、少なくとも現時点で見れ性の高い経済であるば、未ことを示しており、その将来の需要の伸びに過度の期待を寄せることもできない。 これに対し、先進国の中でリーマン・ショック発生後に既に利上だ脆いまゃく弱じぜい国際政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-35石油・天然ガスレビューAナリシス上海総合指数(2007年11月 =100)12011010090807060504030204/14/13/13/12/12/11/11/112/112/111/111/110/110/19/159/29/28/18/17/17/16/26/25/15/14/14/13/33/32/12/11/21/212/312/311/111/1200720082009出所: 通商白書 2009年版に基づいてKRAが作成図3中国(上海)の株価指数の推移げに踏み切っているのは、イスラエル(2009年8月から実施)、オーストラリア(同年10月から実施)、ノルウェー(同年10月から実施)の3カ国となっている(2010年1月末現在)。 このようにさまざまな見方と政策が錯綜する状況下、景気の実態はいったい、どうなっているのであろうか。 先進国の中でも、特に周辺地域の経済再生の牽引車的な役割を期待されてきた国々として、リーマン・ショック以前のEU圏内で実に1992年から16年間も長期安定成長を持続してきた英国、東アジア・東南アジア経済圏で最も進んだ経済を持つ日本、唯一の基軸通貨を有する米国の現状について、以下にまとめてみたい。1930Q2-33Q4(1)英国の場合 図4*6は、英国における1970年代からの景気後退時(recessionの定義とされる「2四半期以上連続」の対前期比マイナス成長)の「実質GDPの低下率」を示したものである(2009年・第4四半期は2010年1月26日発表の速報値)。この期間中の大きな景気後退期は、第一次石油危機前後(1973年・第3四半期~1976年・第3四半期)、第二次石油危機前後(1979年・第3四半期~1983年・第2四半期)、「バブル」経済の崩壊後(1990年・第3四半期~1993年・第2四半期)の3回であった。リーマン・ショック動向に関しては、その直前にあたるBRICsの株価同時急落以降の期間(2008年・第2四半期~2009年・第4四半期現在)を抽出(赤線)してみたが、同ショック後の低下率推移(赤線)はこれまでのところ、最も回復の遅れた第二次石油危機当時と類似している。 因みに、1929年の世界大恐慌当時の落ち込み推移も水色で示してみた。今回のリーマン・ショック後の落ち込みの激しさは、1929年当時基準Q-2%8%6%-4%4%2%0%-6%-8%の落ち込みにも似た推移を辿る等、非常に深刻なことが分かる。1929年からの世界恐慌当時の英国では、危機発生後の第8四半期以降に「二番底」がはっきりと見てとれる。その原因としては、英国政府がドイツのアウトバーン建設事業のような大量雇用を生む国家的経済活性化事業(高速道路網の全国的建設による大規模建設事業計画)や米国のニュー・ディール政策に象徴されるような強力73Q3-76Q379Q3-83Q290Q3-93Q22008 Q2-1929年世界恐慌1Q 2Q 3Q 4Q 5Q 6Q 7Q 8Q 9Q10Q11Q12Q13Q14Q15Q16Q17Q18Q出所: 英国民統計局(ONS)とNIESRのデータに基づいて、KRAが作成図4英国の景気後退時(2四半期連続)の実質GDPの低下率(四半期ベース、対前期比)2010.3 Vol.44 No.236キ期に入ることになったため、日本産業界へのインパクトは非常に大きかったと言える。 しかし、四半期ベースで見れば、この時期には「リセッション」(recession)の定義である「2四半期以上連続のマイナス成長」が起こっていない。そのため、あえて過去3回の「リセッション」と言えば、1990年代初頭からの「バブル」経済崩壊後(1993年・第2四半期~1994年・第2四半期)、消費税率引上げ(3%から5%に改定)とアジア太平洋通貨危機の影響を同時に受けた1990年代後半(1997年・第2四半期~2000年・第3四半期)、米国でのITブーム崩壊後の国際的不況の影響を受けた2000年春以降(2001年・第2四半期~2003年・第1四半期)がリスト・アップされることになる。 これは、第一次石油危機当時と第二次石油危機当時の日本経済が景気低迷に直面しても2四半期連続でマイナス成長に至ることがなく、各期のマイナス成長とプラス成長が交互に繰り返された結果である(図8参照)。言うまでもなく、年間ベースで見ても、その後の1990年代初頭からの「バブル」経済崩壊は、日本経済が安定成長期から低成長期に入るきっかけになったという意味で重要である。 図6*9は日本での景気後退時の低下率とリーマン・ショック後の低下率(赤線)を比較したものである。ただし、2009年・第4四半期の速報値は2月15日に発表される予定のため、本稿執筆時点では含まれていない。当然ながら、2009年初頭にかけての極端な落ち込みの結果として、同年・第4四半期の実質GDP成長率は対前期比で目立って上向くと予測される。しかし、それを低下率で見ればショック前の水準にはなお遠く、その後の成長率推移もかなり長期間にわたって伸び悩むと予測される。 いずれにせよ、リーマン・ショック後の落ち込み(赤線)の厳しさは、過去3回の景気後退時と比較しても、群を抜いて深刻である。2008Q2-13Q14Q15Q8%6%4%2%0%-2%-4%-6%-8%-10%1993Q2-94Q297Q2-00Q301Q2-03Q1基準Q1Q2Q3Q4Q5Q6Q7Q8Q9Q10Q11Q12Q出所: 内閣府のデータに基づいて、KRAが作成日本の景気後退時(2四半期連続)の実質GDPの低下率(四半期ベース、対前期比)図637石油・天然ガスレビューな経済刺激策を打ち出すことなく、「小出し」の政策に終わった結果だとの見方もある*7。 もしも、現下の英国の不況がこのままのペースで推移していくのであれば、リーマン・ショック直前の水準に回復するのは第17四半期目前後となるため、危機の発生時点から4年以上も後の2012年末~2013年前半の時期になると予想される。(2)日本の場合 図5*8に見る通り、日本の実質GDP推移(1956年~2008年)を年間ベースで見た場合には、英国と同様、第一次石油危機直後の1974年にマイナス成長を記録しているほか、第二次石油危機当時も成長率のペース・ダウンがはっきりと見られる。特に、第一次石油危機を境に第二次世界大戦後の高度成長期が終わりを告げ、安定成第一次石油危機第二次石油危機「バブル」経済崩壊14%12%10%8%6%4%2%0%-2%-4%200820062004200220001998199619941992199019881986198419821980197819761974197219701968196619641962196019581956出所: 内閣府のデータに基づいて、KRAが作成図5日本の実質GDP成長率推移(年間ベース)国際政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-Aナリシス74 Q3-75 Q380 Q2-82 Q490 Q3-91 Q32008 Q3-3Q4Q5Q6Q7Q8Q9Q10Q 11Q12Q 13Q14Q出所: Bureau of Economic Analysisのデータに基づいて、KRAが作成図7米国の景気後退時(2四半期連続)の実質GDPの低下率(四半期ベース、対前期比)や、既述のように欧州圏内で16年間(1992年~2008年)もの連続成長(四半期ベースおよび年間ベースとも)を続車たる英国という主要3カ国のいずれを見けてきた牽ても、今後数年間の見通しは予断を許さない状況というほかない。引いけんん(4) リーマン・ショック後の景気見通しは回復に向かうか悪化するかまが ところで、見方が割れると思われるのは、リーマン・ショックで本格化した世界同時不況の原因と推移を過去3回の実例と同列に並べられるか否かという点であろう。 前稿でも触れたように、今回の大不況到来の原因にはますます進展する市場グローバル化の中でいわゆる「サブ・プライム・ローン」問題に象徴される金融機関側の経営姿勢の基本的な誤りが含まれている。つまり、欧米いの「サブ・プライム・系の金融機関の一部による詐欺紛ローン」取引やHELOC(Home Equity Line of Credit)が何の問題も無いはずのセキュリタイゼーション(証券化)等と間違った形で組み合わされたことで、新たなタイプのネガティブ要因が付加される結果になり、しかも、それが全世界に拡散してしまったということである。 前稿では、低所得者層を対象に借り手の実力を超えた不動産購入を促進するサブ・プライム・ローン取引のブームが崩壊したことで発生する被害規模について「最大で65兆米ドル」(当時の相場で約6,500兆円相当)にもなり得るとの説も紹介した。この数字の意味をさらに正確に言えば、CDS(credit default swap)残高の総額が最大で65兆米ドルにも達するとの計算結果も見られるということである。2010.3 Vol.44 No.2381969 Q4-70 Q41Q2Q4%3%2%1%0%-4%-3%-2%-1%基準Q(3)米国の場合 図7*10は米国における過去3回の景気後退時の実質GDPの低下率推移とリーマン・ショック後のそれを(赤線)比較したものである(2009年・第4四半期は2010年1月29日発表の速報値)。米国の場合、実質GDPの四半期ベースの成長率統計は「年間ベースへの換算値」しか入手できなかったため、一応、逆算して四半期ごとの数値を求め、その結果を図7に示した。米国の各後退期の推移は日英両国よりも比較的早い段階でのプラス成長復帰傾向を示すようであり、かなり特徴のある動きとなっている。その背景には、米国の産業構造の特性や唯一の国際基軸通貨を持つ特殊事情も含まれていると考えられる。 ただし、第二次石油危機当時のケースでは、1981年に1.6%のプラス成長に回復しかけたものの、翌1982年に向けて「二番底」に突入する結果となった。1981年に見られた一時的回復傾向には、同年1月に誕生したばかりのロナルド・レーガン(Ronald W. Reagan)新政権下での矢継ぎ早な経済改革路線が好感された面もあったと思われる。しかし、改革の効果が現われるのに時間がかかる一方、第二次石油危機の影響が長期化し、その厳しさが「二番底」を生じさせる結果になった面がある。いずれにせよ、これらの経緯を見ても、今回のリーマン・ショック後に一部で懸念されている「二番底」への可能性をことさらに打ち消せるような根拠も未だ見つからない。 他方、リーマン・ショック後の米国GDP成長率の低下率推移(赤線)を過去3回の景気後退時(2四半期連続マイナス成長)と比較してみれば、一応、危機発生後の第4四半期目に取り敢えず「底」を打ったようにも見える。しかし、それでも過去3回と比べて明らかに群を抜く深刻な状態に留まっている。 実際、急上昇した失業率も高水準のまま留まっており、就任2年目に入ったオバマ政権はこの2010年中に中間選挙も控えているため、失業率の低下を図ることが最重要政策課題の一つになっている。 このように、GDP規模で世界最大の米国とそれに次ぐ日本(2010年中に中国に抜かれて第3位になると見られるにせよ経済大国であることに変わりはない)の両国イ整を終えかけている製造業分野にとっても充分なマーケットが回復しておらず、利益率の低い低価格競争がなおも継続していく可能性の高いことを示している。 もう一つ、リーマン・ショック後の経済低迷ファクターには歴史的に特異な面がある。既に照会した図8は、過去40年間(1970年・第1四半期~2009年・第4四半期)の英国、米国、日本の実質GDP低下率の推移(対前期比)を図示したものである。各国とも上段は対前期比でマイナス成長となった四半期をグレー・網掛けで示し、2期以上連続でマイナス成長となった四半期を黒・網掛けで示したものである。また、下段は年間で対前年比マイナスとなった年を水色・網掛けで示した(ただし日本の2009年・第4四半期統計は本稿執筆時点で未発表)。 この図8で見てとれる特徴は二点ある。 第一点は、日本の場合、既に少し触れたように2四半期以上連続で対前期比マイナス成長を記録したことは1990年初頭の「バブル」崩壊時に至るまで20年間以上にわたって起こらなかったということである。第一次石油危機および第二次石油危機の最中でも結局、定義通りの「リセッション」には該当することが無いまま終わってしまったが、もちろん景気悪化が無かったということにはならない。 第二点は、定義通りの「リセッション」に英国、米国、日本が同時に突入するという事態はリーマン・ショック後の景気後退期に初めて起こったということである。その意味で今回の景気後退は特異なものだと言っていい。 なお、英国では既述のように2009年・第4四半期の対前期比実質GDP成長率の速報値が翌2010年1月26日に発表され、かろうじて、0.1%のプラス成長とされた。このことから、とりあえず「リセッションから抜け出した」(UK economy emerges from recession)と報道された(英国BBC放送)*11。ただし、この数字は0.4%レベルの成長という「市場の予想値を大きく下回っている」との指摘も聞かれる。 米国の2009年・第4四半期の実質GDP速報値は本年はら CDSとは、企業の債務不履行(デフォルト)を対象としたリスクの保証を金融商品化したものと言える。換言すれば、貸出対象となる企業や個人の倒産による回収不能化の危険性が高い債権の信用リスクを売買するというものである。今回は市場参加者の間でその売買を繰り返す取引行為の急拡大でプレミアム幅が「バブル」的な「水くれ」を生み出したとされる。この水脹れ部分が第二次世界大戦後の米国では初めてという不動産価格低下にはじよって「弾けた」ことで関係金融機関が直撃を受け、たちまち世界的同時不況につながってしまったということになる。 その元になったサブ・プライム・ローン等が詐欺紛いの行為だとすれば、景気に回復の兆しが現れても、詐欺的な被害残高までが「健全化」するとは考えられない。前稿で触れた通り、この点は1990年代初頭の「バブル」経済崩壊後の日本産業界が経験した不良債権問題とは異なる。仮に、今後の景況が一時的に回復の兆しを見せたとしても、サブ・プライム・ローンが引き起こした問題が「解決」するのではなく、一時的にカバーされて見えなくなるだけに終わってしまう懸念がある。その場合、これが次なる不況発生時にさらに事態を悪化させる危険を孕むことになる。 リーマン・ショック直後の大打撃で公的資金の注入を受けたはずの欧米系金融機関がこのショックからわずか1年後の2009年後半には急激な回復を見せたとされるが、その極端な急回復傾向が主に金融分野に集中していることも懸念事項である。2008年からの金融危機の悪影響もあって深刻なダメージを受けた製造業等、他の産業分野の多くで厳しい経済状況が続いていることは、金融分野に片寄った回復傾向が新たな「バブル」の兆候である可能性も意味している。 実際、米国のみならず、英国、欧州大陸諸国、日本でも過去最高水準に近い失業率は低下していない。これは消費者側の購買力が回復していないことを意味する。せっかく生産ラインの大幅縮小等、リストラ努力で在庫脹ぶ国際政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-出所: 図4、6、7の根拠資料からKRAが作成図8過去40年間(1970年・第1四半期~2009年・第4四半期)のリセッション:英国、米国、日本の実質GDP低下率の推移(対前期比)39石油・天然ガスレビュー010.3 Vol.44 No.240アナリシスければならないだけに、あくまでも対象マーケットの絶対規模の見通しに基づいて設備投資の可否判断に至るという立場の違いがある。次のようなアナリストのコメントは身に染みる。 「自戒の念を込めて言うならば、エコノミストは『変化率』で物事を考える癖があるので、少しでもいいデータが出ると、『景気は回復』という判断を下してしまう。ところが経営者はむしろ『水準』を重視して投資を判断する。リーマン・ショック後の景気の落ち込みがあまりにも深かったために、少しくらいの改善では企業行動を積極化できないのである」*13。 金融機関側から見た中・長期設備資金の需要が伸び悩うかがんでいることからもこの事実を窺い知ることができるが、これはあくまでも商業銀行分野での事情であり、急速な「回復」を見せている投資銀行分野での事情とは異なる。同じ「金融業務」とは言っても、商業銀行分野と投資かい銀行分野の乖も目立ってきている。特に1980年代後半から頻繁に繰り返されるようになっている経済の「バブル」化は、この乖離の拡大の中で深刻化していることにも注意を要する。 繰り返しになるが、英米両国でも一時的にプラス成長に転じた後で再びマイナス成長に陥ってしまった「二番底」のケースも過去に見られることから楽観を許す状況ではない。離り(5)ドバイ金融危機の影響は アラブ首長国連邦(UAE=United Arab Emirates)の構成国の一つ、ドバイ首長国の国営企業ドバイ・ワールド(Dubai World)の債務問題をめぐり、2009年11月25日に突然、「6カ月間の債務返済延期を要請」との発表があったことで新たな国際的信用不安が広がった。これは、何と言っても、同社が「ドバイ政府100%出資」であるだけにデフォルト(債務不履行)を懸念する見方など全く無かったからなおさらである。それだけに、この発表は国際市場に大きな波紋を広げ、ドバイ政府自体への信用不安がさらに「ドバイ」という国を越えた大波紋となり、各国の国有企業等の債務全般に対する信用不安を引き起こした。 2009年11月下旬時点で信用不安のきっかけとなった「2010年5月までの債務返済延期」の対象とされたのは、合計57億米ドルの債務とされ、その内訳としてはドバイ・ワールドの12億米ドル(2010年3月期限到来)のほか、同社系列の不動産開発会社ナキール(Nakheel)(日本語では「ナヒール」とも表記)の35億米ドル(2009年12月(2010年)1月29日に発表され、対前期比で実に5.7%もの「高成長率」(年換算ベース)とされた。これは前期(2009年・第3四半期)の2.2%(同ベース)と比較してみても一気に跳ね上がった印象であり、「市場の予想を上回った」とも評価されている。また、「雇用の減少にもかかわらず、オフィスに残っている人員だけでもこれだけの結果が出た」と評価され、「2003年・第3四半期の6.9%以来の最高値」とも報道された。 もちろん、前年(2009年)の年間ベースの落ち込みが「第二次世界大戦終了直後にあたる1946年以来の深刻さだった」とされているほどであるから、同年最後の四半期の結果がその直前までの統計値と比べて相対的に高い数字になった面もある。実際、今回の世界同時不況が本格化する前のレベルを基準とする低下率で見れば、やはり、未だ元の水準には遥かに及ばず、マイナス2%前後に留まっている(図7参照)。 また、この急上昇は「年換算ベース」という計算値に過ぎず、実際には直近の過去3カ月間(第4四半期)の短期的実績に過ぎない。そのため、「このペースがどこまで持続するかは分からない」(but it's not clear how sustainable this pace of growth is)とのコメントも出ている*12。 これに対し、日本での第4四半期の実質GDP速報値は2月半ばに発表されるため、本稿執筆時点では未だ結果待ちの状態である。 英米両国に共通しているのは、製造業分野の一部で、生産ライン縮小による在庫調整や人員カット等のリストラ努力で財務諸表上のバランス回復に成功しつつある上場企業群が株式市場で好感され、平均株価の上昇傾向を見せているということである。また、両国の市場ではその上昇傾向に乗った投資銀行系金融機関等、産業界の一部の業績も回復している。しかし、リストラ本格化の結果として失業率が高水準に留まっている事実ひとつを見ても、財務諸表上の「バランス回復」が実際には縮小均衡的な傾向も含んでいる可能性が濃厚であり、多くの分野で「回復」というには程遠い脆弱性が残っている。 もちろん、製造業の業績にも受注ベースでの「回復への兆し」が見え始めたとの報告も散見されるようになった。しかし、この分野では、未だ多くの企業が中・長期的な設備投資に踏み切れるような自信を回復する状況には遠い。実際、アナリストやトレーダー等がとかく「対前期比」や「対前年同期比」の伸び率といった指標の推移で「回復の兆し」と早急に考えがちであるのに対し、製造業分野の経営陣は自ら中・長期的な投資リスクを取らな総ロ政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-中旬に期限到来)等が含まれるとされた(ただし詳細は不明ともされた)。世界的に有名な「パーム・アイランド」(ヤシの木の形を模した地形で知られる人工島)等の開発会社として大々的に投資家を集めてきたナキールは、これまでに開発した不動産やレジャー施設のほとんどを売却したが、それでも資金繰りに行き詰まり、多くの開発計画が途絶えているという。 2008年9月のリーマン・ショック発生後、ドバイ国内にも目に見える悪影響が出始めたのは翌2009年1月頃だったともいうが、その後、同年12月上旬までの半年間におけるドバイの不動産価格は約50%も下落したとされる(不動産バブルの崩壊)。 このような状況下、各国の政府・政府関係機関が発行または保証しているソブリン債やサブ・ソブリン債への信用格付けの「見直し」という動きも出始め、米国の格付け会社によって、一部のソブリン債等の格付け引き下げが始まった。 ソブリン債やサブ・ソブリン債と言えば、ドバイ金融ショックに先立つリーマン・ショック発生直後にそれまで「金融立国」を目標として高い政策金利で海外マネーを集めていたアイスランドが早々と「国家破産」に陥っていた。それ以前のアイスランドでは、国内銀行の総資産がGDPの10倍にまで達していたともされ、一人あたりGDPでも「世界第3位」(2006年)に浮上していたが、この経済破綻後には国内で公共施設の破壊に至るような激しいデモが繰り返され、「成長の立役者」とまで評価されていたゲイル・H・ホルテ(Geir Hilmar Haarde)首相下の連立政権が結果的に崩壊に追い込まれてしまったほどである。 それだけに留まらず、アイスランドの国内市場に大きなエクスポージャーを抱えていた英国各地の地方公共団体等(被害の詳細は不明ながらも数十億ポンド規模とされている)や、欧州大陸の機関投資家等(数十億ユーロの被害ともされている)もたちまち危機に陥り、各国で政治問題化懸念に発展し始めた。アイスランド側ではホルテ(ハーデ)首相の決断による前倒し選挙で成立した新政権も解決策を見出せず、2010年に入ってからは英国やオランダへの返済履行の可否をめぐって「国民投票」云々という騒ぎにまで発展してきた。 これに続いて、ギリシャの国家財政悪化が国際的懸念事項として注目されるようになった。しかも、アイスランドとは異なり、ギリシャはEU圏内であるため、その信用不安は「EU市場全体の信用不安」につながりかねないと憂慮する声も欧州市場に広がり始めた。11月25日のドバイ危機発生から間もない12月上旬には、ギリシャ政府高官が「デフォルトの心配など無い」と繰り返し発言したものの、国際格付け会社フィッチ・レーティングス(Fitch Ratings)は12月8日になって「財政悪化」を理由にギリシャ国債の格付けを10年ぶりに「A」以下の「BBBプラス」(見通し「ネガティブ」)に引き下げると発表するに至った。これでギリシャ国債の格付けはユーロ圏で最低に転落したが、フィッチはギリシャの銀行5行の格付けも「政府の支援能力懸念」を理由に引き下げた。他の複数の格付け会社も「ギリシャの格付けを引き下げる可能性あり」として、「ネガティブ・ウォッチ」に指定する等の動きが出たため、これを受けてギリシャの銀行株や債券の他、ユーロ通貨価値そのものまでが下落することになった。 さらに、12月22日には米格付け会社ムーディーズ(Moody's)がギリシャを「A1(ネガティブ)」から「A2(ネガティブ)」に引き下げた。そうなると、これはもはや欧州を越える問題だと懸念する声が国際市場で広がり、ギリシャに限らず、ソブリン債やサブ・ソブリン債全体への信用不安の声が出始めた。各国の政府・政府関連機関の保証能力まで不安視する見解が聞かれる中、世界各地で目立つようになった中国系国有企業やその傘下企業等の大規模なバラ撒き資金の根拠に対する信用不安にも言及するアナリストさえ現れるようになった。 ロシアの政府系企業についても懐疑的な見方が現れ始めた。もちろん、これらの企業体に実際に不安材料があるか否かという問題も重要ではあるが、それより先に心理的な市場パニックを心配しなければならないような緊張感も高まった。(6)ソブリン債等への信用不安拡大の影響は かつて、ニューヨーク市ウォール街のオフィスで為替トレーディングに従事した経験を持つ筆者自身も、先輩のベテラン・トレーダーから、「市場動向とはある意味で参加者全員の心理的パニックの連続によって生まれる総体的な動きだ」と聞かされたことがある。各国の通貨価値や株価、債券価格等々の金融商品の値動きの中でも、特に分単位や秒単位という細かい刻みで激しい売り買いが飛び交う超短期的な値動きについては、エコノミストやアナリスト等がマクロ的、長期的な観点から説明できるような論理的現象というよりも、市場参加者個々人の一瞬一瞬のパニック状態に近い心理的判断が集約されたものとして市場動向をとらえたほうが実態に近い側面もあると言いたかったのであろう。良きにつけ、悪しきに41石油・天然ガスレビューAナリシス取ってPIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイひとン)という新造語で一りに呼ばれるようになった。これは欧州の中でも比較的出遅れた市場とされる「南欧の4カ国」として認識されるものであった。 ところが、それに加えて政府の財政赤字や高失業率等を問題視する観点から、今度はアイルランド(Ireland)の「I」がPIGSに加えられ、PIIGSとも呼ばれるようになった。こうなると、もはや「南欧」とも言えなくなり、市場で問題視される国・地域の範囲が拡大してくる。国際市場から、弱みを抱える政権下の国家と見なされれば、ソブリン債であっても容赦なくネガティブなレッテルを貼られてしまうことになり、信用の回復が非常に難しくなる傾向が強まっている。括くく(7)英国や日本の国債は大丈夫か 英国のロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS=The Royal Bank of Scotland)等の大手金融機関によるドバイ・ワールドへのエクスポージャーの大きさも懸念材料となった。実際、英国ではリーマン・ショック以来の金融危機下で、RBS等にも既に多額の公的資金注入が繰り返されている状況であり、ドバイ金融ショックという新たな問題が英国金融界の問題に飛び火し始めた。 ドバイには英系のほか、欧州大陸系、米系等の巨額資金が入っていることから、それらの国々の通貨であるポンド、ユーロ、米ドルの交換レートも軒並み低下し、円の急激な独歩高が生じたほどである。 一方、ドバイ政府高官は金融問題発生直後の2009年12月の第一週目以降に「国際メディアは危機を大袈裟に報道している」と反論した。しかし、そのような努力にもかかわらず、格付け会社S&Pはドバイの4銀行の格付けを引き下げると発表した。また、同12月10日にはムーディーズがドバイの主要3行の格付けを引き下げ、その理由については「これら3行が弱まるドバイ経済の影響下で資産内容の悪化と収益力の低下に直面しているため」とした。 ドバイの債券相場と株式相場はともに下落し、債務保証コストのほうは当然ながら高騰した。その後は同じUAE内の産油国アブダビがドバイへの大規模追加支援方針を発表したため、少し落ち着いてきているように見る向きもある。しかし、たとえばドバイ・ワールドと経営上、密接につながっているドバイ・ホールディングスは既に中東各国や欧州、米国、カナダ、中南米の他、日本や中国を含む東アジア市場、インドネシアやシンガ2010.3 Vol.44 No.242つけ、「パニック性はつきもの」と言えるかもしれない。 そのようなパニック性についてはともかく、懸念を深めるEU側は、公式経済統計の大幅な変更を繰り返すギリシャ政府に対し、「国家財政のコントロール」を要請する等、圧力を掛け始めた。新年(2010年)に入ってからもEU高官筋等から不信の声が絶えない。 同1月25日までには遂にギリシャのギオルゴス・パパコンスタンティヌ(Giorgos Papakonstantinou)財務相が「ユーロ圏からは絶対に離脱しない」と発言する事態に至った。同財務相は同様の発言を繰り返しているが、問題はEU加盟国の財政赤字規模を対GDP比3%以内に抑制するよう求めるルールにギリシャが全く適合しない状況に陥っているということである。他方、その同じ25日に起債された新発5年物のギリシャ国債は高利回りの価格設定で強い引き合いを受け、「過去数週間高まっていた同国の経済危機に対する不安が一部緩和された」(ロイター電)*14とも報道された。 しかし、アイスランドの事例でも、2008年のリーマン・ショック発生直前まで10%を遥かに超える高利回りのアイスランド・クローナ国債で海外資金をかき集めていたことは周知の事実である。既述の通り、一人あたりGDPで「第3位」にまで駆け上がった同国ではあったものの、その後は政権自体が崩壊するほどの危機を迎えた経緯も忘れてはならない。 実際、ギリシャ国債の起債の翌26日、市場には「ギリシャ側が中国に支援を求めた」との未確認情報が流れ、ギリシャ財務相がそれを否定するという騒ぎになった。にもかかわらず、市場では売りが殺到する結果になった。同28日以降にはギリシャ国債の問題が再び大々的に報道される事態に陥り、到底「不安が緩和」したとは言えない情勢が続いている。 米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S &P=Standard & Poor's)は、ドバイ金融ショックから間もない2009年12月8日、さらにポルトガルの信用格付けを「安定的」から「ネガティブ」に引き下げた。そして、翌2010年1月28日には同年以降の財政再建面での成果を見てから格下げの可否を判断するとした。このように、財政赤字拡大問題を抱える各国の政府が厳しい市場展開に直面する傾向が強まり、格付け会社等から財政再建への成果を問われる事態が相次いでいる。このため、政権側による国債乱発もますます通用し難くなっている。 リーマン・ショック発生の2008年には、欧州域内で経済・金融問題を抱える4カ国がユーロ通貨の信用に悪影響を与えかねないとされ、それぞれの国名の頭文字を総ロ政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-ポールを含む東南アジア圏、オーストラリアも含むオセアニア圏、アフリカ諸国の多くでも大掛かりに資金を動かしている。それだけに、いったん事が起これば国際市場に非常に大きな衝撃が走ると見ざるを得ない。 このような状況下、英国の財政赤字問題も問題視される事態になっており、2009年5月にはS&Pが英国債の格付けを「AAA」で維持しつつも、そのアウトルックを「安定的」から「ネガティブ・ウォッチ」に切り替えた。同年12月には、さらにムーディーズやフィッチも英国債の格付けをめぐって警告的な立場を示すまでになったが、「ネガティブ・ウォッチ」となると、その3割前後が将来は格付け引き下げに至るともされているため、これは容易な事態ではない。 筆者は本稿執筆中に日本の財政赤字も新発国債分を加えていけば、対GDP比でPIIGSの一部と並ぶ高レベルに達してしまうことから好まざる注目を浴びかねない事実について指摘しようと考えていた。その矢先の2010年1月26日、S&Pが日本の長期ソブリン格付け(外貨・自国通貨建)のアウトルックをやはり「安定的」から「ネガティブ」に切り替えた。このままでは日本でも「いよいよ始まる」と覚悟しなければならないところに追い込まれていくことになる。 もちろん、日本の場合には、国債と言っても諸外国のように外国投資家に買われているというよりも自国民に買われている部分が大きい等の特別な事情もあるとされる。しかし、必ずしも国際金融市場がそれを考慮してくれるとは限らない。日本のソブリン債への信用不安が声高に騒がれるようになれば、もはや国債そのものが売れなくなり、未曾有とも言うべき大幅な増税以外に選択肢がなくなる。そうなれば、既発債を保有する一般国民の資産も目減りすることになる。 いずれにせよ、PIIGS問題に端を発する欧州の「財政不安」と呼ばれるものがさらに英国や日本等にも拡大したり、中国やロシアにまで本格的に拡大したりすることのないように祈りたい。 不必要に危機感を煽り立てることは害にしかならないが、このような厳しい状況下で偏った楽観論を広めて対策を怠るべきではない。 「クリスマス・テロ未遂事件」後は旅客機の着陸1時間前から機内トイレの使用を禁止する動きや、欧米諸国の空港の手荷物検査時に乗客の服装を透視する新型監視カメラ付き検査機「フル・ボディ・スキャナー」の設置拡大計画も明らかにされる等、国境を越えるビジネス関係者や観光客にも目に見える形で影響が出始めた。英国においては、透視検査機設置案が乗客の体型まで係官の目にすとの理由から、かつて強い反発を受けて廃案になった経緯もあった。それだけに、これが設置されれば「クリスマス・テロ未遂事件」の影響による社会的変化の大きさを如実に物語る出来事となる。 他方、前稿でも指摘したように、ナイジェリア北部では「ナイジェリアのタリバン」(the Taliban of Nigeria)とも呼ばれるイスラム過激派武装組織等と政府軍の武力衝突の激化で治安が悪化している。「クリスマス・テロ未遂事件」の容疑者は、ナイジェリア北部でも特に反政府勢力の活動が活発な地方の出身者だとされるが、このこととテロ未遂事件との関連性については未だ明確ではない。晒さら2. その後の国際政治・安全保障情勢 前稿の脱稿後に発生した国際政治・安全保障面で目立つ展開の一つは、「クリスマス・テロ未遂事件」(2009年12月25日)である。これは、最近までロンドンで工学を学んでいたナイジェリア人青年がナイジェリアで最大の都市ラゴスを出発し、オランダの首都アムステルダムから米国ミシガン州デトロイトに向かうノース・ウェスト航空253便(運航主体はデルタ航空)の機上における爆破テロ未遂容疑で逮捕された事件である。起訴されたウマル・ファルーク・アブドルムタラブ(Umar Farouk Abdulmutallab)容疑者は、そのイスラム過激思想をイエメン国内のアル・カイーダ(al-Qaeda)系組織の影響下で強めたとされ、イエメン国内に拠点を置く過激派の動向に欧米側の関心が集中するようになった。 その2日後には同じ便に搭乗中の別のナイジェリア人乗客がトイレに長時間こもっていたとの理由で、同機の着陸直前の空港に警察車両や救急車等が急行するという事件も発生した。この乗客の場合には単に体調が悪かっただけと判明したが、これもテロ不安がいかに広がっているかを象徴するような出来事であった。43石油・天然ガスレビューAナリシス いずれにせよ、米国のオバマ政権と英国のゴードン・ブラウン(Gordon Brown)政権は、これを受けて直ちに「団結」の意思を確認(united)し、イエメン政府に対しては「アル・カイーダ系組織」への武力制圧作戦の強化を要請することとなった。また、米英両国はイエメン政府軍への武器・資金面での支援方針も発表した。 他方、イエメンの対岸に位置するソマリア国内では、1970年代から軍事クーデター、対エチオピア戦争、内戦等々が続き、国家崩壊状態に陥って久しい。目下、米国側が「アル・カイーダとも関係がある」としてきたソマリア系過激派組織「イスラム法廷」(the Islamic Court)出身の元指導部等から成る中央政府が同じく旧「イスラム法廷」内のさらなる過激派「アル・シャバブ」(Al-Shabaab)から攻撃を受け、内戦激化の様相を呈している。同国北部のソマリランドやプントランドが事実上「分離独立」している中、統治不在の同国領内ではその海岸地方の元「普通の漁師」等が生活に窮して海賊化し、武装した高速小型ボートでイエメンやソマリアの海域でタンカーや貨物船等を頻繁に襲撃している。このため、欧米各国や中国の海軍が派遣されている他、日本の海上自衛隊まで派遣されている。(1)セーシェル共和国で考えさせられたこと しかし、各国の艦船がイエメンやソマリアの海域でパトロールを強化し、2009年からはフランス海軍や米海軍の発砲でソマリア系海賊メンバーに死傷者が出る中、同海域から押し出された海賊集団がその南東海域にあたるセーシェル共和国の周辺で襲撃事件を一段と増加させ、さらに遠方のマダガスカル海域近辺にまで襲来するようになった。セーシェルという国家は大小116もの島々から成り、その領海と排他的経済水域(EEZ=Exclusive Economic Zone)の総面積は実に約140万km2にも及ぶ。これは日本の主要四島(北海道、本州、四国、九州)を含む地表総面積(約37万7,835km2)の3.7倍もの広大な海域である。 その全域をセーシェル沿岸警備隊がわずか2隻の旧式小型監視ボートでパトロールしているに過ぎないため、広海域の波間に散らばる十数人乗りのソマリア系海賊ボートの発見・逮捕は容易でない。筆者が同国を訪問した2009年11月時点でも、過去2カ月間に十数件の海賊襲撃事件(未遂を含む)が発生していて驚かされた。これは、2日~3日に1回の割合で襲撃されている計算になる。 セーシェル沿岸警備隊の基地内には、逮捕した海賊グループから押収した小型海賊ボート(エンジン付き)が保管されており、最大7~8人乗りと思われるような小型ボートに15人前後もの海賊メンバーが乗り込んでいたという。海上での風雨を防ぐための小さなビニール・シートも乗せてあったが、海賊側もかなり無理な襲撃作戦を敢行しているように思われた。 1隻の捕獲ボートの上には燃料用のドラム缶が所狭し出所: セーシェル沿岸警備隊本部(首都ビクトリア)にて筆者撮影、2009年11月5日写1捕獲されたソマリア系海賊グループの小型ボート2隻2010.3 Vol.44 No.244oマ政権も放棄してしまった。軍事的手段で安定化を目指すこと自体が非現実的だとの結論しか得られなかったことになる。把ぱ(2)アフガン情勢に見る「テロとの戦い」の行方は そもそも、ブッシュ・ジュニア(George W. Bush)前ざっ政権による「対テロ戦争」ではあまりにも大雑に「タリバン」と「アル・カイーダ」を同一視してきたことに大きな戦略的ミスがあった。アフガニスタンのタリバンとは「郷土防衛」を目的とするパシュトゥーン族(「アフガン族」とも呼ばれる)の勢力であるが、アル・カイーダとはアフガン人から見れば「外国人」であり、「郷土防衛」とは対照的に世界中のターゲットを狙う「国際テロ組織」である。この二つの勢力は民族、文化、歴史、思想のすべての面で非常に異なっている。 また、同じ「イスラム系過激派」とは言っても、非常に現実的な戦術を採用しているタリバンに対し、アル・カイーダ側は原理原則を押し通そうとするため、両勢力間の対立は一時激化していたとされる。たとえば、タリバン軍は昼間に「反タリバン勢力」に化けて米軍側と協力し、夜間になれば「タリバン軍」に戻って米軍を攻撃するという作戦を頻繁に採用しているが、アル・カイーダ側はたとえ昼間だけであっても「親米勢力に化ける」こと自」だとして拒否することが多かったとい体が「神への冒う。 これでは両組織間の共同作戦は成り立たず、2002年~2004年頃にはタリバン側がアル・カイーダを「戦闘の邪魔だ」としてアフガン国内からの退去を要請していた時期もあったとされる。 「対テロ戦争」の主力たる米軍や北大西洋条約機構(NATO=North Atlantic Treaty Organisation)指揮下の駐アフガン国際治安支援部隊(ISAF=International Security Assistance Force)側のこの時期の4年間余り(2001年10月~2005年12月)に出た死者数は、未だ「計329人」(公式報告ベース)とされていた*16。 しかし、米軍等の軍事作戦がアフガン全土で継続されたため、この両組織が再び「反米」という共通目的で結びついてしまったともされる。駐アフガンISAF部隊の高官によれば、2001年10月の米英軍による侵攻で同年12月までに政権の座から降りたタリバン勢力は、2006年に入る頃までヒンズー・クシ山脈(the Hindu Kush mountains)の南側のパシュトゥーン族居住地域に留まっているように見えた。実際、2006年1月の公式統計では、アフガン国内での外国部隊の月間死者数は「米ぼうく?とと13個も積まれたままであった(写1参照)が、それでもセーシェル沖まで単独航行するには距離が遠過ぎる。したがって、海賊側も大型母船とともに侵入して来るようになり、海洋上に散らばる無人島に基地を設営しているという。それらの海賊が多数の小型ボートと大型母船に分乗して洋上に出ており、輸送船等の標的を発見すれば、まず高速の小型ボートで追跡・襲撃し、標的船が停船した時点で海賊側の大型母船も呼び寄せられて本格的なハイジャック作戦の展開になるという。ナイジェリアと同様、ソマリアでも「海賊育成訓練校」が多数存在し、年間で実に3,000人も巣立っているという。 セーシェル外務省の元高官は次のように強調した。 「わが国としては、米国の言う『対テロ戦争』に参加するつもりは全く無い。しかし、わが国の産業は観光業と漁業を中心に拡大しており、テロリストであれ、海賊であれ、その他の誰であれ、生活基盤を違法に脅かす相手に対してはあくまでも抵抗する」*15。  この問題を放置すれば、中国や日本、東南アジア、インド等からサブ・サハラ(サハラ砂漠以南の地域)経済圏の中心である南アフリカ共和国への航路にも無視しがたい危険が拡大する。 アフリカ西海岸のナイジェリアやガーナでも海賊による治安悪化が深刻になっており、地下資源採掘やエネルギー事業の分野のみならず、地元の漁業活動にも被害が拡大して社会問題化している。実際のところ、海賊側が大型母船の使用や無人島の基地化という手法を採用する以上、世界中のどの海域にも出現し得るという米国人専門家の見解もある。 他方、イエメンのアリ・アブドラ・サレハ(Ali Abdullah Saleh)大統領は過激派の拠点とされる同国南東部への数千人規模の部隊派遣で軍事作戦を拡大したと報告する一方、テロ組織側の「武器、暴力、テロの放棄」等を条件に「アル・カイーダ系組織との対話」も示唆する立場を表明したという(2010年1月10日、時事通信)。実際、イエメン東部からサウジアラビア等の隣国にまたがって住む現地民族・部族は非常に団結力が強いとされる。このため、政府軍が「対テロ戦争」の名の下に軍事攻勢を仕掛けて住民側に被害が及ぶような戦闘が発生すれば、大規模な内戦に発展する懸念があり、各国とも国家存亡にかかわる危険を覚悟しなければならないとされる。 このような情勢下、米国のオバマ政権側も、「イエメンやソマリアに米軍の地上部隊を派遣する計画はない」と表明している。「対テロ戦争」という言葉自体も、英国のブラウン政権が既に放棄しているのに続き、米国のオ45石油・天然ガスレビュー国際政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-R兵士1人」のみとなっている。しかし、タリバンはその後の2年間にアフガン国内の西部、北部、東部および北東部にも連絡網と補給線を確立して全国的な作戦能力を回復した*17。 結局、タリバン側の勢力回復後の4年間(2006年1月~2010年1月末現在)の米軍を主力とする国際部隊の公式死者数は、それ以前の4年間余りの329人を4倍近くも上回る1,280人以上(うち、2010年1月の月間死者数だけでも45人)に達するという悲惨な状況となっている。 もっとも、ブッシュ・ジュニア前政権の場合にはタリバンとアル・カイーダの区別どころか、イラクの反イスラム社会主義勢力だったバース(Ba'ath)党政権まで同一視し、「対テロ戦争」(War on Terrorism)の名の下にイラクでも開戦してしまったため、収拾がつかなくなっている。 図9は、「対テロ戦争」で開始されたアフガン戦線(2001年10月開戦)およびイラク戦線(2003年3月開戦)での米軍中心の国際部隊が直面している死者数の累計推移(2001年~2009年)を示したものである。ブッシュ・ジュニア前政権末期の2008年半ば頃から「イラク情勢は落ち着いてきている」とされることも多いが、一般的にあまり認識されていない事実は、この両戦線で出ている国際部隊の死者数を合計した累計では増加ペースが目立っ累計死者数アナリシスて落ちていないことである。 内訳では、イラク戦線での死者数が減少するのに反比例してアフガン戦線での死者数が急増しつつあるが、これはそもそも対イラク開戦以降の数年間にわたって、イラクでの死者数激増中にアフガン戦線での死者数があまり増えなかった現象の裏返しに見える。つまり、国際部隊がアフガン戦線よりもイラク戦線にシフトしている期間はイラクでの被害が急増し、その後にイラクからの撤収とアフガンへの増派が進むにつれ、アフガン戦線での被害が急増しつつある。国際部隊のプレゼンスが大きいほうで被害が増える傾向が明確に見えるとともに、両戦線の合計では国際部隊の軍事的成果が出ているとは俄かに言い難い。(3)その後のタリバン 筆者が2008年4月7日にISAF部隊の高級将校から聞かされたアフガン領内の武装勢力の実態は、次の通り*18。1. タリバンという過激派組織の創始者ともされるムハンマド・オマル(Muhammad Umar)師率いる「旧タリバン」は、カブール陥落後の数年間にわたって根気よく組織再編成(regrouping)を続け、ここにきて勢力を盛り返している(これとは異なる「新タリバン」については後述)。2. それは既にアフガン南部のかなりの地域を完全支配下に置いている。3. タリバンとは、本来、パシュトゥーン族(the Pashtuns)を中心とする原理主義的勢力であり、パキスタン北西部で事実上の独立国に近い自治を行使してきた同じパシュトゥーン系の「部族地域」の中にも拠点を置いている。4. また、アフガン南部でも、タリバンはパシュトゥーン系の複数の有力部族とほぼ一体化するようになってきており、米軍支援下にあるハーミド・カルザイ(Hamid Karzai)政権の統治の及ばない事実上のアフガン版「部族地域」(the tribal areas of Afghanistan)を形成している。 一方、ISAF部隊の兵力不足問題がNATO内の米国と欧州諸国の間で摩擦の原因になっているが、その実態は、次の通り。図9「対テロ戦争」(アフガン戦線およびイラク戦線)における米軍と駐アフガン国際治安支援部隊(ISAF)の累計死者数1. アフガン南部の激戦地、ヘルマンド州(Helmand Province)では、ISAFの兵力が1,000km2あたり2010.3 Vol.44 No.246年出所: Iraq Coalition Casualty Countのデータに基づいてKRAが作成2005200420032002200920082007200620016,0005,0004,0003,0002,0001,0000ノいる他部族」との戦闘能力維持の必要性も常に意識しているため、ISAF部隊との戦闘で過度な兵力消耗につながることを嫌っている。7. このため、「新タリバン」勢力の一部とISAF部隊の間では、双方の兵力分離への合意が実現した例もある。8. しかし、多様な部族間の複雑な力関係は、治安回復をさらに難しくしている。9. われわれの知る限り、効果的な停戦が実現した唯一の事例は武装勢力同士の対話によるものだったが、これも実際のところは「新タリバン」の一部に加わっていた2つの部族間の仲裁に成功したということに過ぎない。 その上、急拡大する麻薬の密造・密売ビジネスに関連する犯罪組織も「新タリバン」に加わっている。1. 旧タリバン政権下では、その厳しい宗教的戒律のため、麻薬ビジネスも「歴史的」と言っていいほど効果的に抑えられていた。2. しかし、それにもかかわらず、当時のブッシュ・ジュニア政権が「麻薬撲滅」まで戦争目的の一つに加えて開戦した結果、かえって麻薬ビジネスが復活・急拡大してしまった。3. アフガン国内の北東部では麻薬の取り締まりも行われているが、南西部ではヘロイン(heroin)製造のためのアヘン(opium)の原料となるポピーの「自由生産特区」と呼んでいいような状況も生まれている。4. 目下、世界のヘロイン生産量の実に93%がアフガン産となっている。(5)アフガン国内の腐敗の実態 このような事態に陥っている最大原因は、アフガン社会全体が極端に腐敗しており、上層部から下層部まで贈だらけになっているからともされる。世界銀行による「贈収賄の浄化度」についての最新調査(2008年時点)では、新カルザイ政権下のアフガニスタンは「184カ国の加盟国の中で実に179番目という低いランク」に位置付けられている。賄わ収しゅうい125人平均で配置されている。2. また、ヘルマンド州の東側に隣接する地域ではその兵力がもっと少なく、1,000km2あたり47人平均となっている。3. これに対し、そのまた東隣のパキスタン国内において同レベルの兵力配備を目指す場合、アフガン国内との地理的要因の差や地政学的要因の差異等、軍事的な観点から計算し直してみると、大体、1,000km2あたり120人程度と換算される。4. ところが、そのパキスタン領内の紛争多発地域で実際に配置されているパキスタン国軍の兵力は、1,000km2あたり2万人平均にも達している。5. それでも、パキスタン国内では北西部の対アフガン国境沿いに位置する「部族地域」(FATA=Federally Administered Tribal Areas)内に依拠する各種の武装勢力を掃討し切れないでいる。(4)新タリバンの勢力拡大 しかも、「敵対勢力」とされるのは「タリバン」と言うよりも、今ではあえて複数形で「タリバン諸勢力」(the Taliban insurgencies)とでも呼ぶべき多様な勢力の連合体となっており、「新タリバン」(the neo-Taliban)とも呼ばれる。1. この「新タリバン」には、旧タリバン軍の残党や旧体制の支持派だけでなく、新カルザイ政権に失望・幻滅した広範な地域のパシュトゥーン系諸部族やイスラム教スンニ派の保守派等も含まれている。2. 特に、南部の有力諸部族は首都カブールの新カルザイ政権とは異なる「並行政府システム」(parallel system of government in the South)を構築したりしており、「南タリバン」(southern Taliban)とも呼ばれるようになった。3. パキスタン国内のマドラサ(madrasa)と呼ばれる学校群のうち、対アフガン国境沿いの「部族地域」を中心とする学校でイスラム原理主義的なワハビー派(Wahhabis)の教育を受けた新世代がタリバン諸勢力の戦闘員の約4割を占める。4. ただし、このことはそれらの戦闘員の国籍が「パキスタン人」だという意味ではない。国際政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-5. 他方、タリバン諸勢力の残りの6割近い戦闘員の大半は、アフガン国内の複数の有力部族の中でリクルートされた兵力である。6. とはいえ、それら諸部族は昔から互いに勢力範囲を争って衝突を繰り返してきた経緯があり、「隣の谷1. ほんの一例としては、アフガン東部の国境地帯であるカイバル峠(Khyber Pass)でパキスタン側から陸路で入国した場合、首都カブールに到着するまでの途上で実に47種類もの書類(papers)が必要とされ、それぞれの書類には8人~9人もの「役人」の署名を47石油・天然ガスレビューAナリシスていない。 他方、贈収賄問題の根深さはほとんどの途上国で共通していることも忘れてはならない。もちろん、程度の差こそあれ、これは先進国でもしばしば見出される問題である。東南アジア諸国や中南米諸国、中国、アフリカにおいても同様というほかなく、欧米諸国や日本でも常に「クリーン」とは言えない。 各国のカントリー・リスクを考える際、贈収賄問題についても情報収集・分析の努力が必要なことについては疑問の余地がないが、それを理由に当該市場への進出が不可能と結論するわけにもいかない。(6)その後のイラク情勢は 著しく悪化するアフガン情勢が以前よりも注目されている中、イラク情勢のほうは目に見えて安定化してきているようなイメージも広がってきた。その実態はどうなのであろうか。 表1は前稿執筆後に発生したイラク国内での主だった大規模テロ事件のみを抽出して掲げたものである。これを見るだけでも、わずか1カ月半あまりの間に少なくとも死者数219人、負傷者数654人、計870人以上もの死傷者が出たことになる。しかも、ここに掲げたのはイラク国内でほぼ連日にわたって報道されている事件のうち、日本でも報道された記事の中から特に大規模な事件だけを選んだに過ぎない。 当然ながら、現地報道の量に比べれば、日本で報道されるイラク関連記事の量は非常に限られている。しかも、現地でさえ報道されていない事件も多数発生している。その上、戦場の常として「公式報告」の死傷者数は実際より遥かに過少となっている事実も見落とすべきではない。 前稿でも指摘した通り、英軍を含む大半の外国軍戦闘部隊は完全撤退し、残留する米軍自体も2009年7月1日までに都市部での街頭パトロールから引き揚げて郊外の基地にこもるようになった。このため、いわゆる「国際部隊」の将兵の死傷者数こそ目立って減少しているものの、イラク市民の犠牲者数は依然、非常に多い。 この厳しい現実を充分に認識しておくことは大切であるが、それでも日本産業界の置かれている立場は「待った無し」になりつつあり、治安の悪さを理由に動かないでいられる状況ではなくなってきている。特に、中東の資源地帯ではイラン情勢が懸念の度合いを深めつつあることから、事態はさらに複雑かつ流動的になってくるものと予想される。そのような状況下、BRICsを含む途上国側の経済成長に伴い、エネルギー獲得競争のほうはさ2010.3 Vol.44 No.248要し、それらの署名者全員に賄らないというのが現状である。わいろ賂を渡さなければな2. また、これらの検問所で賄賂を受け取っている「役人」等も、その職を獲得・維持するためには、それぞれ上位の「役人」に定期的に賄賂を渡し続けなければならない。3. さらに、収賄した上位の「役人」等もまたその上の「高位の役人」に対し、贈賄しなければ職を失う。4. しかも、その「高位の役人」もまた自ら移動する際には、各地の検問現場で下級の「役人」に賄賂を渡さざるを得ない。5. テロや暗殺の横行する現状では、「高位の役人」といえども検問所で贈賄を拒否すれば、生命の保証も無い。し、社会の各層ん延えまん6. このように賄賂は至るところに蔓にまたがって「周回」していると言っていい。 ISAF部隊のこの将校*19は自らのアフガン駐留経験に基づいて「軍事力の強化だけでは治安改善は不可能」と断定している。これは正確な結論であるが、だからといって「社会的腐敗問題さえ解決すればアフガン安定化は可能」との楽観論も現実的ではない。 現地の治安状況を前稿執筆後の状況のみに限ってみても、2009年の暮れも押し詰まった12月30日、アフガン東部のコースト(Khost)州で発生した米CIA基地内での自爆攻撃でCIA要員および民間軍事会社メンバーの計8人が死亡し、数人~十数人が負傷したと発表されている。さらに、その約1週間後には同じコーストの州知事代行(Acting Governor of the Province)も攻撃されて負傷している。 本稿執筆中の新年(2010年)1月18日には首都カブール市内でも厳重な警戒網の中で大統領府や各省庁、商業施設等へのタリバン武装勢力らしき戦闘員による同時攻撃があって激戦となった。この日は「再選後」のカルザイ大統領下の新閣僚の「一部」を招いての就任式の日であった。しかし、カルザイ大統領の再選プロセスそのものにも大がかりな不正や詐欺行為があったため、米国をはじめとする各国からの非難を浴びている。国内でも、閣僚リストに載せられているメンバーの半数前後が議会側に繰り返し拒否されて決まらない状況でもあった。しかも、この日は新閣僚側も就任式に出席する行為そのものに身の危険を感じるほどであったため、参加者を揃えることさえさえ、ままならない中で起こった内戦さながらの戦闘であった。 結論として、アフガン安定化への見通しは依然、立っ総ロ政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-表1イラク国内での主な大規模テロ事件:日本で報道された記事のみから抽出(2009年12月8日~2010年1月26日)日付事件発生地域犠牲者数報道内容要旨2009年12月8日首都バグダッド市内ドーラ地区(Dora district)死亡:少なくとも127人負傷:少なくとも448人2009年12月30日イラク西部(アンバル県の県都ラマディ)死亡:少なくとも23人負傷:県知事ら約30人2010年1月14日イラク中部(イスラム教シーア派の聖地ナジャフ)死亡:15人負傷:25人2010年1月25日首都バグダッド市内死亡:少なくとも36人負傷:71人2010年1月26日首都バグダッド中心部死亡:18人負傷:80人出所: 日系の各メディア記事からKRAが作成朝、政府機関など中枢部を標的にしたと見られる連続5件の爆弾テロが発生(内務省付近、労働省付近、南部ドーラ地区の工業大学付近、西部マンスール地区の裁判所、中心部ショルジャ地区の市場)。最初の爆発はバグダッド市内ドーラ地区のパトロール警察を狙って爆発。続く4回の爆発は数分以内に複数の政府庁舎等をターゲットに車爆弾が爆発。首都での大規模テロは8月と10月に発生したばかりで4カ月弱で3度目。県幹部が標的と見られる連続自爆テロ。午前9時半頃、県庁付近の交差点検問所周辺で車を使った自爆テロが発生。約30分後、県知事等が現場を視察に来たところ、陸軍の軍服を着た別の自爆テロ犯が駆け寄って爆発。死者には県の治安幹部も含まれていたという。複数の爆弾テロ事件が連続発生。爆発場所は市内中心部のアリ聖廟付近や市場等で3回発生。自動車爆弾事件が3件連続発生。標的は市内中心部のホテル3軒。このうち、有名なパレスチナ・ホテルとアルハムラ・ホテルの2軒には、外国報道機関も含むメディア関係事務所が置かれていることでも知られる。2日間連続のテロ。検視部門も置かれている内務省ビル付近で自動車自爆テロが発生。検問所の突破を図った自動車が爆弾を炸裂させ、内務省ビルも損壊。こらに激化している。 日本の石油資源開発(JAPEX)は多数のイラク人技術者の研修受け入れ等の活動を通して現地側との信頼関係を築きつつ、イラク南部のガラフ(Garraf)油田の開発権受注に漕ぎ着けたが、このように現場事情に詳しい現地人や危険地帯での事業経験豊富な専門企業等も含むコンソーシアムを組んでいく手法もある。前稿でもナイジェリアにおける農業投資に関連して触れたように、日本人ビジネスマンは通常、安全保障面も含むリスクの高い国の現地事情に精通しておらず、現場でのネットワークも弱いため、現地人ディストリビューターとの提携等、難しい市場でのビジネス活動には工夫が必要となる。 さらに、本稿の冒頭でも述べた通り、日本産業界のエネルギー分野での極端な中東依存を改善するため、中南米やアフリカにもさらに目を向けてみることが必要との問題意識から、特にナイジェリアを事例として取り上げてみたい。3. ナイジェリアでの腐敗との闘い 前稿の脱稿後にナイジェリアで起こっている主要な展開の一つとして挙げなければならないのは、同国内でのガソリン価格急騰問題である。これは同国内で昨年(2009年)12月末に向けてガソリン代等が急騰したことから生じた問題であり、ウマル・ムサ・ヤラドゥア(Umaru Musa Yar'Adua)大統領の療養長期化(後述)の結果として、グッドラック・ジョナサン(Goodluck Jonathan)副大統領側が国家元首レベルの執政の一部を代行し始めてから最初の「チャレンジ(試練)」になったとされる。 前稿では、ナイジェリアの実質発電電力の目標として2009年12月末までに6,000MWの達成が掲げられていることについて触れ、既存設備(installed capacity)の稼働率を上げれば達成可能との見通しについても述べたが、結果的にはその後のガソリン代等の価格急騰や大統領の長期不在による意思決定の遅れ等が災いして未達成となってしまった。 ガソリン代等急騰問題の発生は政府にとって予想外であったため、大きな困難も生じているが、その契機となったのは2009年6月4日にヤラドゥア大統領の指名で新たに就任したサヌシ・ラミド=サヌシ(Sanusi Lamido 49石油・天然ガスレビューanusi)中央銀行総裁によるドラマチックな贈収賄対策にあるとされる。 新総裁は「金融戦士」('financial warrior')とも呼ばれる人物であり、その勇敢な方針で知られているが、今回のドラマチックな政策はまず8月14日にナイジェリア国内の主要商業銀行のうち、5行の最高経営メンバー等を一夜にして解任したところから始まった。 ナイジェリアの国内法では、中央銀行側が特定の商業銀行の活動内容に関し国民経済の発展プロセスの障害になっていると判断すれば、当該商業銀行の経営権を一時的にコントロール下に置くことができると規定されており、この解任劇もその規定を適用した措置だとされている。しかし、実際問題として、社会的影響力の大きい主要銀行の経営陣に対し、不正取引関連容疑で大規模にメスを入れるなどという決断はよほど勇気がなければ不可能と考えられていた。それだけに、ラミド=サヌシ新総裁がこれほどドラマチックな政策を断行するとは誰も想像しておらず、ナイジェリア産業界に衝撃が走る結果になった。 さらに、10月2日と同14日にも新総裁の浄化策が発表された。2日の発表では複数の銀行の役員計3人とともに代表権のない部長級(non-executive director)の一部までが解任された。14日には新たな5行の最高経営陣等も一斉に解任となった。このため、中央銀行側が経営権を一時的なコントロール下に置いたのは計10行にも拡大した。しかも、14日にはこれら大手商業銀行への大口不良債権を抱える600前後もの取引先までがリスト・アップされた。このような動きはその後も厳しさを増している。 それどころか、解任された経営陣の多くがオバサンジョ前政権時代に設立された経済金融犯罪委員会(EFCC=Economic Financial Criminal Commission)によって逮捕されるに至った。ナイジェリア政府は目下、不良債権化している債務の返済が完了するまで逮捕者をアナリシス釈放しないとの厳しい立場をとっている。 実際、主要銀行が抱えている不良債権総額の実に半分近くが経営陣の親族や友人等、親しい関係者に融資されているという。しかも、それらの資金の多くは石油製品(精製後の石油)の輸入に向けられることになっているものの、実際には使途不明部分も大きいという。 ナイジェリアはアフリカ最大級の産油国の一つではあるが、燃料のような精製後の石油の供給は国内需要に追いつけず、輸入せざるを得ない状況にある。問題は、これら親族や友人等に融資されている資金の多くがそのまま海外に開設されている個人口座に送られている疑いがあるとされ、事実なら詐欺行為(fraud)にあたるという深刻な事態になっている。 このような状況下、新総裁による激しい斬り込み作戦が開始されてからは、ナイジェリア国内への燃料輸入事業から手を引く動きが一気に広がった。輸入代金の支払いや新規発注等のビジネス活動が大きく滞り始めた上、国内輸送業者までがストライキに入った。ナイジェリア国内には、ラゴス→カノ(Kano)間の約1,000kmや、ラゴス→マイドゥグリ(Maiduguri)間の約2,000kmのような長距離輸送ルートもあるが、スト参加中の運転手等によれば、治安関係者(security officials)に賄賂を支払わなければ輸送許可が得られないことへの抗議だともいう。しかし、このストの背後には金融詐欺の浄化策に乗り出した政権を追い詰めようとする金融関係者が関わっているとの噂もあり、「治安関係者」云々というクレームがスト参加者の真の動機か否かは未だに不明ともされる。 いずれにせよ、新中央銀行総裁はヤラドゥア大統領によって指名され、同大統領の入院長期化で業務を引き継いでいるジョナサン副大統領の支持を受けて行動しているとのことである。新総裁の強行姿勢を政権側の「独裁」と批判する声も出始める一方、これはヤラドゥア政権全体の本格的な「腐敗との戦い」と評価する見方も聞かれる*20。4. 「ヤラドゥア降ろし」の動き ヤラドゥア大統領の健康不安はその後も続いている。筆者が昨年(2009年)11月にナイジェリアを訪問した際は同大統領がサウジアラビアに渡航し、定期的な持病の治療と検診を受けている最中であった。しかし、その後に入院期間が長期化することになり、2010年1月の本稿執筆時点でもなお、入院が続いて50日間以上に及ぶことになった。このため、ナイジェリア本国ではジョナサン副大統領が大統領執務の一部を代行せざるを得なくなっている。 同国では、大統領が不在の場合、憲法に規定される一2010.3 Vol.44 No.250総ロ政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-部の大統領執務(国家予算署名等)を除くすべての大統領権限を副大統領が自動的に代行する規定となっている。また、大統領側に病気療養の必要が生じた場合には、大統領自身が副大統領に権限を委譲し、快気後に副大統領から権限を回復するよう規定されている。しかし、今回は入院の長期化にもかかわらず、大統領が未だこの手続きを実行していない。 そのため、本国では「ヤラドゥア降ろし」の動きも強まり始めた。まず、反ヤラドゥア派のプレッシャー・グループが「大統領は権限を放棄すべきだ」と主張して首都アブジャの高等裁判所に訴え出る動きとなった。その後の動きは表2に示した通りである(2010年1月末現在)。 因みに、連邦制を採用している同国では、都市ごとに地方裁判所と高等裁判所が存在するほか、州ごとにも地裁と高裁が存在する。連邦レベルでは連邦高等裁判所、控訴院(Court of Appeal)、最高裁判所が存在する。 表2に掲げている1月22日の判断を下したのは、アブジャ市内に複数存在する高裁の一つである。したがって、連邦レベルには達していないため、ヤラドゥア大統領側に不利な判断が示されれば、大統領自身としても控訴することができる。いずれにせよ、現段階での法的判断は最高裁による最終判断ではない。他方、アブジャ市内の高裁の判断に従う形で内閣が公式に「ヤラドゥア大統領の権限委譲の必要なし」と決定した以上、法的には大統領側の立場が通ったことになる。 これに対し、国家元首や最高裁長官等の経験者が構成する長老グループが内閣の判断とは異なるアドバイスを示し、上院の決議でも2010年1月28日2010年1月31日現在2010年1月22日2010年1月27日2010年1月28日表2日付出所:ナイジェリア外務省(KRAで表2を作成)「権限を委譲すべき」とされたことは非常に大きな社会的影響力を持つと考えられるため、大統領側がそれに抵抗するのはかなり難しいと見られている。本稿執筆時点(1月31日)では同大統領の次の行動は未だ見えていない。 入院中の大統領側は「間もなく退院して通常業務に復帰する」と繰り返しているとされ、まずは近いうちに帰国するか否かが注目されている。帰国した場合には、職務に復する限り、この問題は取り敢えず解消となる。しかし、帰国しても、療養が続いて登庁しない場合には、権限委譲問題が続くことになる。大統領側が権限を副大統領に公式に委譲することになった場合、副大統領は大統領代行(Acting President)に昇格し、すべての大統領権限を行使できることになる。 国家統治の維持という現実的な要請と、民主的法治国家としての憲法の尊守という原則の折り合いをどうつけるのか、新たな試練になりつつある。 なお、このような状況下、政権内のヤラドゥア大統領とジョナサン副大統領の関係についても取り沙汰されるが、この両者を個人的に知る高官によれば、「大統領と副大統領の個人的関係は非常に良く、常に協力し合ってきた」とのことである*21。 2010年1月中のヤラドゥア大統領権限委譲問題をめぐる動向報道内容要旨訴えを受けた高等裁判所(アブジャ)は内閣(Executive Council)に対し、「2週間以内にヤラドゥア大統領がジョナサン副大統領に権限を委譲すべきかどうか決定すべき」との判断を発表。内閣は「ヤラドゥア大統領による権限委譲の必要なし」と判断国家元首経験者および最高裁長官経験者等による長老グループ(Elders)が「大統領は権限を委譲すべき」とアドバイス。上院で「大統領による権限委譲は必要」との決議(resolution)が通過。ヤラドゥア大統領自身の判断待ち。5. 石油産業の改革を目指すPIB法案のその後 前稿でも述べた通り、本年(2010年)は2011年に実施予定の次期大統領選に向けて選挙ムードに入らざるを得ない。そのような状況の中、現行の石油法(Petroleum Law)下の石油関連産業の抜本的構造改革を目指すPIB(Petroleum Industry Bill)法案の行方に関しても、せめぎ合いが激しくなっている。ナイジェリア外務省の在英高官によれば、ナイジェリア国内の外資系石油企業の最高幹部の一人との間で2010年1月上旬に次のような対51石油・天然ガスレビューbがあったという*22。 この法案に強く反対する外資系石油企業側の立場は、大体、次の通り。1. 現行法を改革する必要はない。2. 特に、今回のPIB法案の内容は、外資系企業側に対して一定のナイジェリア人の雇用義務付けやそれら被雇用者への研修コース創設・運営義務付け、事業利益の一部の地元コミュニティーに対する還元義務付け等々、一方的な負担増大を課すものであり、このままでは受け入れ難い。3. PIB法案の価値そのものを「あえて全面否定しない」としても、法案内容の修正が必要である。4. PIB法案では、20本以上に分かれている現行の石油関連法を一本化することになっているが、実際には上流から下流までの複雑な石油産業の活動を法体制的に一本化することには無理がある。5. これを無理に実施するためには、膨大な資金を動かさざるを得なくなる上、複雑なプロセスとなるため、計り知れない混乱が生じることになる。6. したがって、政権側は充分な時間をかけて現実的なアナリシス立たなくなっている。このことからゲリラや海賊、テロリストも生まれている。6. ナイジェリア側は既に長期間にわたってこれらの問題に直面しているため、さらなる「充分な時間」をとる余地は残されていない。  (1) 外資系石油企業側がPIB法案そのものの全面否定を目指すのであれば、既に「時遅し」(too late)と理解すべきである。  (2) というのも、同法案は既に議会に提出されており、多くの議論の結果として通過への最終段階に近づいているからだ。7. 外資系企業側もひたすら「充分な時間が必要」と主張するだけでなく、法案内容のどの部分をどのように修正すべきか、明確かつ建設的に提案すべきである。 これに対し、外資系企業側の反論としては、それらの社会問題を引き起こしているのが外資系石油企業だとの批判は誤りであり、贈収賄行為で腐敗しているナイジェリア人自身が問題の原因を作っていると主張する。その主旨は、次の通り。法案内容づくりに努力すべきである。1. 外資系企業は既にナイジェリア国内での雇用創出や7. 政権へのアドバイスとしては、「急ぎ過ぎないこと」福祉事業等の努力をしてきた。である。2. それにもかかわらず、地域住民によるサボタージュ これに対し、同外務省高官は政権側の立場について、次のような理由からPIB法案は必要だと説明した。3. それなのに、一方的に負担を課せられるPIB法案の内容は理不尽である。が続いている。1. もちろん、現行の石油法下でもナイジェリア石油産業は機能しているため、現行法を全面的に否定するわけではない。2. しかしながら、現行法下では依然、贈収賄問題や詐欺行為の横行等の深刻な社会・経済問題が解決していない。3. 原油採掘事業で生み出される利益の大半がナイジェリア国外に送り出されているため、その分配を受けられない現場周辺の極貧地域住民との紛争が絶えない。4. それどころか、現行法下では原油採掘施設周辺を中心に地域住民の健康を害するような環境汚染問題が一方的に拡大しており、解決への見通しが立っていない。5. 原油採掘周辺地域では水辺での漁業を生業とする人々もいたが、激しい汚染の結果として生活が成り これに対し、ナイジェリア外務省高官は、その「腐敗」したナイジェリア人の一部に贈賄行為を続けてきたのは外資系企業ではないのか、と反論した上で、「いずれにしても、現在の深刻な社会問題が継続するのは明らかなのに、このまま何もしなくていいのか」、あるいは「今後もなお『充分な時間』をかけて悲劇を継続していいのか」と問い掛けたという。 ところが、議会内でPIB法案を通過させる動きが進むにつれ、今度は同国内の既存大手外資系石油企業に雇用されているナイジェリア人労働者側も同法案に反対し始めた。これは、PIB法案が通過すれば外資系企業も同法への対応策として大幅なリストラを実施することになり、そのしわ寄せが不当な労働者待遇(unfair labour practices)につながりかねないとの懸念が広がっているためとされる。 被雇用者側が心配するリストラとは、外資系企業が2010.3 Vol.44 No.252総ロ政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-4. 準備の障害の一つになっているガソリン等の燃料価格急騰問題に関しては、ガソリンを求める消費者の行列がかつてより縮小している。 メディアに見られる論調では、今回の日程の遅れが出ている原因として、石油製品の主要輸入関係者等に支払うべき政府側の債務問題や、銀行が国内需要向け燃料輸入に金融をつけていない問題、輸送関係者によるストライキ、パイプラインへの損壊行為等々、PIB法案をめぐる議会手続きとは「別の問題だ」(as a result of other problems)ともされている*24。 したがって、これは次回の執筆時点でも注目していきたい重要課題の一つである。いずれにしても、本稿でここまで見てきた通り、現政権は非常に大きな困難に直面しつつも、それらの困難に挑戦する決意の堅固さも見せている。現在の臨時工を解雇し、正規社員を臨時工に切り替える動き、つまり、社員の臨時工化(casualisation of workers)に動くことである。このため、石油・天然ガス労働組合(NUPENG=National Union of Petroleum and Natural Gas Workers)と上級石油・天然ガス労働者組合(PENGASSAN=Petroleum and Natural Gas Senior Staff Association of Nigeria)による強い抵抗が外資系企業のマネジメント側に対してだけでなく、政権側に対しても開始された。両組合の主張の一つは、PIB法案通過に向けての議会の動きが労働者側の懸念を顧慮していないことにあるという。 他方、外資系石油企業側にしてみれば、正規社員との現行雇用契約下では全く働いていない社員に対しても規定の給料を支払っているが、それにもかかわらず、さらなる重負担を強いるPIB法案が通過した場合には、ビジネスを正当に守るためにも「働かない労働者」へのリストラはやむを得ない、ということになる。 基本的に、外資系企業側が「働かないナイジェリア人まで雇用している」等の不満を主張する一方、政権側は「外資系企業が地域住民の貴重な富である原油を一方的に取り上げている」とし、この両者が対立するという構図が見えてくる。外資側が「当然のビジネス努力」と主張するリストラ構想は、抜本的改革を進めようとする政権側から見れば「脅し」となる。この点はナイジェリアに限らず、地下資源に恵まれた途上国に共通する対立の構図というほかない。 このような中でPIB法案の行方がどのように展開するかについては、前稿執筆時点に続いて本稿執筆時点でも明確ではない。 2010年1月11日、オデイン・アジュモゴビア(Odein Ajumogobia)石油管轄閣外大臣(ナイジェリアでは「国務大臣」と呼んでいる)が次のように発言した*23。 1. 国民は政府が石油産業構造改革実施への具体的な日程を明確化するよう、望んでいる。2. しかし、それを実現するために必要な諸計画が整っていないため、政府側は未だ時期を明示できる状況にない。3. とは言え、準備が整えば、石油分野での規制緩和を始めることになる。出所: アブジャ市内の大臣執務室にて筆者撮影、2009年11月20日写2オデイン・アジュモゴビア(Odein Ajumogobia)石油管轄閣外大臣(国務大臣)53石油・天然ガスレビューIバサンジョ前政権(1999年?2007年)ヤラドゥア政権新中央銀行総裁指名主要銀行5行の頭取・役員解任ヤラドゥア新大統領就任(2007年5月29日)米リーマン・ブラザーズ破綻(2008年9月15日)2010年1月29日2009年6月18日2008年11月5日2008年4月2日2007年8月17日2006年12月18日2006年5月12日2005年9月21日2005年2月15日出所: ナイジェリア中央銀行(The Central Bank of Nigeria)の資料に基づき、KRAが作成ナイジェリア通貨ナイラ(NGN)の対米ドル交換レート推移(仲値ベース):2004年初~2010年1月末(29日)、US$/NGN6. 通貨ナイラの為替変動推移に見るナイジェリア経済事情アナリシスという観点から簡単にまとめておきたい。 図10*25は、ナイラの対米ドル換算価値変動推移を直近6年間余りの期間(2004年初~2010年1月)で示したものであるが、既述の諸事情の影響が分かりやすい形0.0070.00650.0060.0090.00850.0080.00752004年7月8日 オルシェグン・オバサンジョ(Olusegun Obasanjo)前政権末期の2006年12月時点で筆者が調査した際には、同政権下の金融改革の成果として、銀行の健全化、中産階級の拡大、同国通貨ナイラ(Naira=NGN)の高め水準での安定化等が評価されていた。それから3年余りが経過した現在、既述のように金融機関は大きな困難に直面しており、中産階級のほうも縮小している。 しかし、中産階級の弱体化という現象は、程度の差こそあれ、必ずしもナイジェリアのみに見られる特異な社会・経済現象とは言えない。特にリーマン・ショックを直接的契機とする世界同時不況発生直後からは先進国、途上国を問わず、各国に見られる共通現象の一つだという見方もある。 このような国際環境下、最近のナイジェリア経済情勢について、同国通貨ナイラの変動推移図10出所:筆者撮影、2006年3月30日写3ロンドンで開催されたナイジェリア経済産業振興セミナー2010.3 Vol.44 No.254総ロ政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-で現れている。 図10を具体的に見てみれば、オバサンジョ前政権時代の後半に高め水準で安定化していた資源大国ナイジェリアの通貨としての価値は、ヤラドゥア新政権発足直後に祝儀相場のような形で若干の上昇に転じ、さらに国際市場での石油・天然ガス価格高騰の本格化に伴って急騰した様子が伺える。 その後、リーマン・ショック発生から2カ月近くはアフリカ大陸への影響があまり及んでいなかったとされ、ナイラの通貨価値への影響もほとんど見られなかった。しかし、そのナイラも2009年11月から翌2010年1月にかけて急落している。これを受け、大統領自身が「金融戦士」たるラミド=サヌシ新中央銀行総裁を指名することとなったが、同総裁によるドラマチックな改革の開始により、ナイラの価値もさらに乱高下している。出所:ロンドンにて筆者撮影、2008年7月17日写4講演準備中のヤラドゥア大統領7. 「60日間アムネスティ・プログラム」開始後のナイジャー・デルタの治安 ラゴス港の周辺では昨年(2009年)12月後半だけでもタンカーや貨物船等への海賊による武装襲撃や銃器使用が急増している。しかし、ナイジェリア南東部の紛争多発地域であるナイジャー・デルタの治安状況については、これまでのところ若干明るいニュースも伝わっている。 前稿で報告した昨年8月6日開始の「60日間アムネスティ・プログラム」(60-day amnesty programme)と呼ばれる合意も、それなりの成果を見せている。海賊による襲撃事件や銃器使用を伴う危険な衝突事件も依然、発生しているが、襲撃件数のほうは同年9月以降に減少している。ただし、過去の経緯から判断すれば、武装勢力側がこの合意の結果に満足できなければ、再び襲撃が激化する恐れも残っている。 特に、身代金の要求で容易に大金を稼ぐ拉致ビジネスに関わってきた武装グループの中には、この合意事項に基づく社会復帰への訓練プログラムに馴染まない人々がいる。たとえば、靴の製造技術コースのように地道なビジネス・スキルの学習を不満として拒否し、暴れるグループもいる。 この問題も、必ずしもナイジェリアに特有とは言えない。たとえば、アフガン領内で麻薬生産ビジネスが縮小しないのと共通のメンタリティが見える。「対テロ戦争」の開戦後に麻薬原料のケシの栽培に走ったアフガン人農村地域に英国から派遣された技術者の一人は筆者に対し、「いくら優れた新種の穀物の栽培方法を指導してみたところで、住民に対して、この新技術で来年の稼ぎは10分の1に減収するが、麻薬の生産からは脱却できるはずだ、などと説明してみても、説得力がない」とつくづく語った*26。 ナイジェリア政府高官はこの靴コースの問題に関し、次のように語った。 「こちらが求めているのは治安の改善であり、そのためにこそ、武装勢力のメンバーに対し、職業訓練コースを提供している。しかし、短時日間で『身代金』という名の大金を稼ぎたいと考えているグループに対しては、彼らの求めるものを提供することができない。だからこそ、治安改善にはデリケートな戦略が必要となる」*27。 55石油・天然ガスレビューAナリシス教徒中心)という概念は使用されている。2. ただし、その南部と北部の境界線はシンボリックな概念であり、行政区画として規定(線引き)されているわけではない。  (1) ナイジェリアが英国から1960年10月1日に独立した後、現在までの政治史では、北部側が大半の期間にわたって国家権力を握ってきた。  (2) 南部が権力を握っていたのは、次の限られた期間のみである。    ①1963年(数週間)    ②1976年~1979年    ③1993年(数カ月)    ④ 1999~2007年(2期にわたるオバサンジョ政権)  (3) 北部の諸勢力は、北部側に権力があることを当然の権利のように感じてきたが、南部側にも「北部と同じ権利がある」との主張がある。  (4) 北部では、軍事力を握っていることが重要だと認識されていた。3. 実際、歴史的に見れば、軍事力は政権を握る「最も簡単な方法」であった。4. ナイジェリア史では、これまで16回にも及ぶクーデターが起きている。5. そのうち、6回は成功し、7回は失敗し、3回は部分的に成功したが、後に逆転されている(reversed)。6. しかし、オバサンジョ政権になってからは、北部のコントロール下にあったはずの海・陸・空軍が連邦政府下に置かれるようになった。7. 一般市民の間には、多かれ少なかれ、大統領が北部出身であれば北部を支援してくれるという先入観があり、南部出身であれば南部を支援してくれるという先入観がある。ほ故ご  (1) 選挙では、候補の出身地よりも、その人物の人格、能力、知識等で判断すべきであるが、政治というものは往々にして、その判断基準を反にする。  (2) 大統領になれば、北部出身であろうが、南部出身であろうが、連邦国家を代表するため、北部のため、南部のため、というように偏るとは限らない(not necessarily lean)。  (3) しかし、多くの候補者は大統領職に就くことで特権を得られる(access privileges)と考えている。2010.3 Vol.44 No.2568. ジョスで宗教紛争発生 前稿執筆後のナイジェリア情勢で見落としてはならない、もう一つの展開は、本年(2010年)1月17日にプラトー(Plateau)州の州都ジョス(Jos)の郊外で発生したいざこざを契機に急拡大したキリスト教徒系住民とイスラム教徒系住民の衝突事件である。これはたちまち「死者100人以上」とも報道されるような悲惨な紛争に発展してしまった。同地域ではそもそも2008年11月にも大規模な紛争が発生しており、今回の衝突事件はその余波的なトラブルから始まったという。 ジョス周辺での対立問題は「誰にも解決方法が分からない」(nobody knows the solution)とも言われるような難しい社会問題であり、数年に1回ぐらいの割合で繰り返される悲劇と見なされている*28。この地域ではイスラム系住民が産業・経済活動のほぼ100%を握っているとされる反面、土地の多くは原住のキリスト教系住民(original Christians)が所有していることから、社会構造的な紛争要因が存在しているとされる。 ジョス周辺はかつてキリスト教徒系住民の土地であったという。しかし、19世紀初頭に北方で勃興したイスラム系のソコト帝国が聖戦(ジハード)を起こして南進した結果、100年余り後の現在では多数のイスラム系住民も混住する社会構造の元になったとされる。 そのように理解してみると、これは中東で「誰も解決方法を知らない」(nobody knows the solution)*29とさえ言われるイスラエル・パレスチナ間の民族・宗教対立問題と酷似している事実に気づく。第二次世界大戦前まで圧倒的にパレスチナ系市民が居住していた地域に戦後になってからイスラエル系住民が大規模に移住してきた結果、同じ土地をめぐって絶え間のない紛争が続くという悲劇の構図である。 そもそも、ナイジェリア国内には政治、宗教、文化、社会、経済のさまざまな側面で北部と南部の区分があり、さらに南部の中でも、西部と東部の区分があるという事情にも触れておく必要がある。同国内には過去の経緯のみならず、今後の動向も左右する重大な要因として、武装勢力の動きのほか、地下資源争いを含む歴史的な南北覇権争いの存在も認められる。次の諸点は筆者が各方面のナイジェリア関係者等から聴取した内容をまとめたものである。1. 外国人がナイジェリア国内情勢を北部と南部に分けて見る傾向があるのと同様、ナイジェリア国内でも一般的に北部(イスラム教徒中心)と南部(キリスト総ロ政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-9. 過去と今後のこと しかし、オバサンジョ前政権の最大の成果と貢献は、同政権時代に大きな社会的価値観の変化をもたらし、もはや「クーデター・ビジネス」の時代ではなくなったとの認識を広げたことであろう。後継のヤラドゥア大統領選出プロセスにもトラブルがあり、一時は国際社会から非難を浴びたこともあったが、これまでのところ、既述のような政治、経済両面での困難があっても直ちにクーデターにつながる状況にはなっていない。とは言え、同国の社会基盤が依然として脆いことにも変わりがない。 アフリカ大陸の中でも最大級の人口と資源を持つ国家の一つ、ナイジェリアの安定維持という課題は、同国にとってのみならず、アフリカ全体や世界全体にとって極めて重要である。資源エネルギー外交を進めつつある日本の官民にとっても、この国との相互利益獲得につながるビジネスをどのように構築していくかを考えることは、非常に有意義だと言っていい。 本年(2010年)1月23日にロンドンに着任したばかりのナイジェリア人外交官は、次のように語った。 「まずは祖国の経済開発を一刻も早く成功させ、一般生活水準の向上を図ることが最重要課題だと思っている。国民がそれなりに豊かになり、日常生活のやりくりに必要以上に苦労しないで済むようになれば、周囲の人々の出身地が北部であろうが、南部であろうが、お互いにスケープゴートを見つけて争う気にはならなくなる。ジョスやナイジャー・デルタでの紛争も、日常生活があまりにも苦しいという問題が緩和されていけば、状況改善への試みにも現実性が出てくる。」 *30。<註・解説>*1:「チャタム・ハウス・ルール」とは、日本国内で馴染みの「オフレコ」(off the record)とは異なり、発言者名等の情報ソースを明らかにしない限り、その発言者や情報提供者から得た内容を引用・紹介することが許され、または、あえて情報ソースを明らかにする場合には内容を明らかにしてはならない、とするルールである。これは世界的に知られているルールであり、英国王立国際問題研究所(RIIA=The Royal Institute of International Affairs)の現所在地チャタム・ハウス(ロンドン市内)に因んで名付けられたものだとされている。*2:The Telegraph, 'New year message from CBI director-general Richard Lambert', 1 January 2010. *3:The White House Office of the Press Secretary, 'Weekly Address: President Obama Outlines Benefits of Health Reform to Take Effect This Year', 9 January, 2010. *4:産経新聞、「『金融危機克服』を宣言、中国が胡指導部の成果を強調」、2009年1月11日。*5:図1~図3のいずれも、次の資料に基づいてKRAが作成:通商白書 2009年版 「第1-1-2-2図 各国・地域の株価指数の推移」:   http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2009/2009honbun/html/i1120000.html(アクセス日:2010年1月29日)。*6:ONS(Office for National Statistics), 'GDP Growth', 26 January 2010:   http://www.statistics.gov.uk/cci/nugget.asp?id=192 (Accessed 29 January 2010)   1920年代~1930年代のデータはNIESR(National Institute of Economic and Social Research)推計値に基づく。NIESR, 'Monthly and Quarterly GDP Estimates for Interwar Britain', November 2009.*7:Ibid.    なお、1929年当時の実質GDP成長率に関しては、四半期ベースの公式統計はない。しかし、上記資料'Monthly and Quarterly GDP Estimates for Interwar Britain'の中では、当時の年間成長率および月間成長率のデータに基57石油・天然ガスレビューAナリシスづく四半期ベースの数字が示されているため、本稿ではそれらをグラフ化して示した。このような事情から、リーマン・ショック発生後の公式統計値と単純に比較することはできない。しかし、本稿で掲載した目的は、大局的な流れとして、リーマン・ショック後の経済危機の深刻さを再確認することである。*8 : 内閣府経済社会総合研究所・国民経済計算部(ESRI=Economic and Social Research Institute, Cabinet Office, Government of Japan)、 「国民経済計算(SNA=System of National Accounts) 関連統計 2 . 統計表一覧」:   http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/toukei.html (アクセス日:2010年1月29日)。1980年までのデータ:1990年基準。1981年以降のデータ:2000年基準・連鎖方式。*9: 前掲。*10:Bureau of Economic Analysis, 'National Economic Accounts':   http://www.bea.gov/national/index.htm#gdp (Accessed 26 January 2010).*11:BBC, 'UK economy emerges from recession', 26 January 2010:   http://news.bbc.co.uk/1/hi/business/8479639.stm(Accessed 26 January 2010).*12:The New York Times, 'U.S. Economy Grew at Vigorous Pace in Last Quarter', 29 January 2010:   http://www.nytimes.com/2010/0130/business/economy/30econ.html (Accessed 30 January 2010).*13:吉崎達彦(双日総合研究所)「溜池通信vol.434 Biweekly Newsletter January 8, 2010」:   http://tameike.net/pdfs8/tame434.PDF(アクセス日:2010年1月8日)*14:ロイター、「ギリシャの新発5年債におう盛な需要、市場の懸念和らぐ」、2010年1月26日:   http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-13514720100126(アクセス日:2010年1月26日)。*15:ピーター・シノン(Peter Sinon)元大使(現在アフリカ開発銀行理事)へのインタビュー、2010年1月13日。*16:「対テロ戦争」の開始以降のイラク、アフガン両戦線における米軍中心の国際部隊の死者数は、各公的機関等による公式報告に基づいて Iraq Coalition Casualty Count が集計したもの。*17:駐アフガン国際治安支援部隊(ISAF)参加国の司令官(中将クラス)へのインタビュー、2008年4月7日。*18:前掲。*19: 前掲。*20:ナイジェリア外務省高官へのインタビュー、2010年1月21日。*21: 前掲。*22:前掲。*23:Daily Champion, “Nigeria: FG Yet to Decide on Commencement of Deregulation-Ajumogobia”, 11 January 2010.   http://allafrica.com/stories/201001110536.html (Accessed: 20 January 2010). *24: Ibid.*25:ナイジェリア中央銀行の資料に基づいてKRAが作成:   http://www.cenbank.org/Functions/export.asp?tablename=exchange(Accessed 30 January 2010)*26:対アフガン国境沿いの「部族地区」(Tribal Areas)及びアフガニスタン領内で長年にわたり支援活動に従事してきた英国人研究者(穀物専攻)へのインタビュー、2002年1月23日。*27:既掲、ナイジェリア外務省高官へのインタビュー、2010年1月21日。*28:前掲。*29:ウィルフリッド・ナップ(Wilfrid Knapp)英国オックスフォード大学名誉教授(国際関係論)へのインタビュー、2009年9月24日。*30:在英ナイジェリア高等弁務官事務所(大使館に相当)高官(総領事級)へのインタビュー、2010年1月29日。2010.3 Vol.44 No.258総ロ政治・経済情勢の読み取り方(2) -石油・天然ガス大国ナイジェリアを事例として-執筆者紹介小松 啓一郎(こまつ けいいちろう)〈学 歴〉 1990年、英国オックスフォード大学・政治経済学部に学士入学。1991年、同大学大学院進級。同大学東洋学研究所にて「日本経済」担当非常勤講師。1994年12月、同大学大学院にてD.Phil.(博士号)取得(政治学・国際関係論)。〈職 歴〉 1979年、商工中金に入行。中小企業向け金融業務(東京)および為替トレーダー(ニューヨーク)等。1995年、世界銀行・海外民間投資促進コンサルタント(サブ・サハラ・アフリカ地域開発局)としてマダガスカルおよびモーリシャスの開発に従事。1996年、英国通商産業省・上級貿易アドバイザー(初代)に就任(ジェトロ長期専門家)。新設官庁・英国海外貿易総省(現UKTI)設立業務等にも従事。1999年、英国海外貿易総省・上級貿易アドバイザー(初代)。2001年、エジプト政府支援のため産業振興調査に従事(ジェトロ短期専門家)。以降、業務委託ベースで全世界を対象とする調査・報告(新規ビジネス機会およびカントリー・リスクの情報収集・分析)に従事。2005年、在英Komatsu Research & Advisory設立(日系、欧米系、途上国企業等へのアドバイザリー業務)。NGO「地球環境平和財団」(本部・東京)の欧州代表(ボランティア・ベース)も務め、2003年以降はUNEP(国連環境計画、本部・ナイロビ)との共同プロジェクト「地球の森プロジェクト」の立ち上げから参加。米国カータス社(旧センダント・インターカルチュアル社)、プルーデンシャル社、ベルリッツ社、英国IOR社にて異文化間ビジネス研修教官等を兼務。2008年、マダガスカル共和国大統領・特別顧問に就任。〈その他〉 英国王立国際問題研究所会員、英国国際戦略研究所会員、成城大学経済研究所研究員、オックスフォード大学国際問題研究センター会員、ケンブリッジ大学日英協会会員。〈近 況〉在英ポリティカル・アナリスト兼エコノミストとしてBBCニュースに頻繁出演。 59石油・天然ガスレビュー
地域1 アフリカ
国1 ナイジェリア
地域2 グローバル
国2
地域3
国3
地域4
国4
地域5
国5
地域6
国6
地域7
国7
地域8
国8
地域9
国9
地域10
国10
国・地域 アフリカ,ナイジェリアグローバル
2010/03/19 [ 2010年03月号 ] 小松 啓一郎
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