ページ番号1006486 更新日 平成30年2月16日

オイルメジャーと産油国国営会社ー ShellとSaudi Aramcoで働いて ー

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レポートID 1006486
作成日 2012-11-20 01:00:00 +0900
更新日 2018-02-16 10:50:18 +0900
公開フラグ 1
媒体 石油・天然ガスレビュー
分野 企業基礎情報
著者
著者直接入力 藤澤 治
年度 2012
Vol 46
No 6
ページ数
抽出データ FE アソシエイツ代表オイルエコノミスト藤澤 治オイルメジャーと産油国国営会社ー ShellとSaudi Aramcoで働いて ーはじめに 筆者は、日本のシェル石油に1965年に入社し、米国の経営大学院への留学、Royal Dutch Shell(以下、Shell)のロンドン本社の勤務を経て、1985年の日本の昭和石油とシェル石油の合併会社である昭和シェル石油に勤務し、その後個人的な事情により同社を退社。1990年にSaudi Aramcoの子会社として設立されたSaudi Petroleum Overseas Limited.に入社し、( そ の 後Saudi Petroleum Limited.と改称された)、17年間をAramcoの東京支社で勤務し、2008年に退社、エネルギー・エコノミストとして独立した。今回、石油天然ガス・金属鉱物資源機構からの依頼により、日本の外資系(Shell石油)、シェル本社(Shell International Petroleum Co.)、昭和シェル石油、Saudi Petroleumというメジャーと、産油国の国営会社の支社で働いた経験から感じたところを執筆してほしいとのことで、本稿を認 したがって、本誌、石油天然ガス・レビューに常時掲載されている石油、ガスの技術的な考察や石油、ガス市場の洞察等とは異なり、企業文化の違い、戦略的思考の差異等に言及し、日本企業や個人としての学ぶものは何かをテーマに論ずるものであり、極めて感覚的な考察になっている。管見ではあるが、過去に学んだ経営学、経済学の側面から言及するもので、難しい学術論文に挑戦するものではなく、また、分かりやすくするために数々の体験をめたものである。したた73石油・天然ガスレビュー挿話として披露しているので、ご容赦願いたい。ただし、企業は事業環境に対応して常に変化しており、筆者の感じたことは旧聞に属する懸念もあるので、最近の事情に関しては関係者の取材に基づくものであることを付言する。1. メジャー本社(Shell)と日本のシェル石油(1)日本での外資系企業 1965年の4月に、大学を卒業してすぐシェル石油に入社した。当時は、外資系企業に就職する学卒は少なく、また現在の大学生には申し訳ないが日本経済が成長軌道に乗っていたので、学卒の就職も学生から見て売り手市場で、商事会社、メーカー、銀行等が試験もなく面接や、先輩後輩のコネで入社できたのは幸運であった。筆者も商事会社やメーカーから誘われたが、生来のアマノジャクでこちらから外資系企業のシェル石油を訪問し試験を受けて入社した。その当時入社試験では、ペーパーテストを実施して入社の内定を決めるような企業はなく、筆者の同期生でもペーパーテストを受けて入社した仲間は誰もいなかったと記憶している。 それ程、売り手写1市場だったのだが、なぜ外資系かと問われれば、確たる信念があったわけではない。なんとなく、外資系に入れば、あまりウェットな雰囲気はなく、海外でも仕事ができるだろうといった漠然とした動機である。実際には、後で分かったことだが海外で働く期間が長いのは、商社や金融機関の友人のほうが多かった。本音を明かせば、その頃は日本企業も元気よく、外国企業に追い付け追い越せといった精神で、週5日(土曜日は半日)の勤務態勢であったが、シェル石油は、土、日が休みの週休2日制であった。これが魅力的であり、また他の日本企業より初任給が少し高かったのも入社理由であった。 実兄が当時、大蔵省(現在の財務省)のいわゆるキャリアであったので、外資系企業への就職には反対したがあまり気にせず入社したものである。入社して分かったことは、その頃の石油産業は、生産すれば需要があるといった出所:ShellホームページよりRoyal Dutch Shell(ハーグ本社) エッセー驕B外国人の多い多国籍企業であり、筆者のような、ロンドンの本部から見れば外国人社員も多数働いているのでこの職務記述書で、組織内の一定のポジションの業務範囲を決めているのだ。仕事を始めてみると、マトリックス組織の故に社内で同じような仕事を別の部門でやっていることに気が付いたことも面白い経験であった。日本企業の製品事業部と機能部門でも同じような傾向が見られるが、これが大会社の余裕なのかもしれない。 オイル・メジャーとしてのShellの特徴は、分権管理である。しばしば当時のExxonと対比されていたが、Shellグループの操業会社は、たとえ100%の子会社であったとしても、経営判断にはかなりの裁量が許されて、現地主義に徹していることである。すなわち、オペレーティング・カンパニー(操業会社)に大幅な権限委譲をしている。本稿では、Shell本部と称しているが、Shellでは本社とか本部と言わずにセントラル・オフィスと呼んでいた。当時のExxonは、本社主導の経営管理方式であったのでよく比較されたものである。目的が何かによって、どちらの経営方式が望ましいかは一概には言えないであろう*2。 Shellのロンドン本部では、上司ともよく仕事上の議論をしたり、プライベートな話もしたりしたが、むしろ毎日昼食をともにした英国人や時折、会う米国人などから仕事や無駄話を通して、自然と教わったメジャーの仕事のやり方が興味深かった。実感したのは、当時のメジャーは、余裕をもって莫な利益を計上していたことである。本社の社員は、ほとんど残業をしないのが特徴で、本社では別に労働組合のような組織はなく、Staff Councilで労使の問題を話し合い解決することになっていた。同僚の英国人とよく議論したが、その頃の日本は経済成長の真っただ中で、労働時間も長く、彼らに言わ大だばくい74帰国し、主に企画、需給関係の仕事に従事し1980年から2年3カ月余、Shellのロンドンの本部であるShell International Petroleum Co.に勤務した。当時のShellは、いわゆる、セブン・シスターズと呼ばれたオイル・メジャーの企業で、Royal DutchとShell Transport & Tradingのオランダ・英国の合弁企業で、ロンドンのShellは、主に通常のビジネス展開を行い、オランダでは主に技術的な側面を担当していた。 筆者は、テムズ川沿いのShell Centreの16階のアジアおよび大洋州部門のSupply Planningの業務を担当した。Shellはその頃、本部では、いわゆる3面マトリックス組織と呼ばれる形態で運営されていた。この組織形態は、通常の営業や経理といった機能部門、事業分野と地域別部門とに分かれていて、この3部門が牽したり、チェックしたりする方式であった*1。地域部門のなかにも経理や企画部があり、事業分野を担当する部もあるので、仕事の内容が重複する可能性があるが、これがチェック機能を果たしていた。業務は、主に世界のShell関係の子会社、関連会社(これを操業会社と呼んでいる)の経営計画等を本社サイドの観点から審査したり、評価したりすることが中心であった。 米国留学後であったので、ビジネス上の英語のコミュニケーションにはさほど苦労はしなかったが、最初の日に渡されたのが職務記述書(Job Description)で、自分が行う仕事の範囲を事細かに記述してあるものであった。日本のシェル石油では、入社以来細かい職務記述書などを渡された記憶はない。読んでみると、業務範囲が詳細に記載されている。Shellでは、ある職務のポジションには全て細かい職務記述書があるとのことである。一般スタッフやマネジャーの仕事は、このJob Descriptionによって決まってい制せけんい感じであったが、社内の部長、取締役、社長も含めて、外国人(主に英国人、オランダ人)が多く、社内の種々の回章も英文であった。配属された部署は、経済企画部という所で主に石油製品の需要予測を担当させられた。大学で習得した計量経済学の多重相関分析がすぐ役に立つとは思わなかったので驚いた。外国人社員が社内に多くいたお陰で、英語はしゃべれなくても特に外国人を意識することはなくなった。 確かに、大学の仲間が勤務していた日本企業とは雰囲気が異なるようで、残業もあまりなかった。休暇も基本的には、年内の資格取得日数を消化することが要請され、病気で休んだ日数を有給休暇に振り替えようとしたら、直属上司のオーストラリア人に休暇は休暇で病欠とは違うと叱されたものである。別に大した日数を病欠にしたわけではないので、給与には全く影響がなかったが、外国人の上司の考え方には驚かされた。 日本企業では、病欠を有給休暇で振り替えることが当然のようにされていた時代であり、今でもその余韻は残っている。それ以後は、外国人社員も減ってシェル石油は、外資系の雰囲気を保ちながらも、収益状況や市場における競争の激化で他の民族系の石油会社とそれ程変わりない企業になっていった。残業時間も多くなり、残業手当は支払われるものの特にオペレーションズ・リサーチ部で、当時の大容量のメインフレームのコンピューターにより、製油所の生産計画のリニアプログラミング作業等をやっていた時は、深夜になり朝帰りの日々が続いたこともある。夜間は、コンピューターのレンタル料が安かったためである。責せしっき(2)ロンドンのShell本部  ― 職務記述書 ― その後、社内留学生制度を利用し、米国の経営大学院でMBAを取得して2012.11 Vol.46 No.6エッセーケれば、長時間労働で賃金も安い日本製品を米国や欧州に輸出するのは、労働条件が異なるので公平でないという意見であった。 確かに、同僚の仕事ぶりを見ていると、期限内に特定の仕事をこなしながらも極めて優雅な生活をエンジョイしているようであった。ある日、仕事に夢中になり、午後7時ごろに退社しようとしたが、ビルの通常の出口が閉じられていたので、遅くまで仕事をしているスタッフ用の出口を探すのに偶然出会った外国人社員(英国人ではない)と一緒になって20分ぐらいかけてやっとビルから脱出できた経験がある。警備員に尋ねたところ、残業をする社員は非常出口を知っているべきで、1カ所を除いては全ての出口は閉鎖されるとのことであった。この話を同僚にすると、幹部社員は、会社での時間が足らないと家に持ち帰って仕事をするとのことであった。 もちろん、通常のスタッフの残業は考えられないのだ。今から考えれば古きよき時代で、ランチタイムも約1時間半で、まずは社内のパブに行って1パイントのビールを飲み、それからカフェテリア・スタイルのランチとなる。ちなみにランチは無料で月末にもらう翌月のランチ券を提示すればよい。英国では、社員に通勤手当を支払うことで、その分は所得と見なされてしは稀まう。ただし、ランチはいくら食べようが会社が提供するもので無料であった。 有給休暇の取り方も日本企業とは大きく異なる。毎年1月になると、1人1人のその年の休暇計画書の提出が求められる。日本企業では、社員の休暇計画等は、ほとんどなくせいぜい夏休みをどうするかといった程度で、計画書を1月に提出することなど、通常は考えられない。Shell本部では、英国での祝日は他国に比べて少ないので、年間25日が有給休暇として与えられてまれいた。同僚の話では、年間の休暇計画は家族と話し合って夏はスイスに行こうとか2~3月頃は、スペインやポルトガルに滞在型の休暇を取るとか、予定を立てるとのことであった。これには理由があって、多くの旅行会社が、パッケージ・ツアーで冬休みや夏休みの旅行計画を宣伝していて、早く申し込むと安いとのことであった。ランチを取りながら同僚の休暇の計画話等を聞いていると、なんだか休暇のために会社で働いているかのように感じた。メジャーは、優雅に莫大な利益を計上していることを痛感させられた。(3)戦略と戦術の違い Shell本社で上司や幹部と話す機会のなかでよく分かったことは、Shellグループの世界中の子会社、関連会社(これをOperating Companies:操業会社と呼ぶ)の将来の経営計画を審査したりする時に、戦略と戦術を区別することであった。上司によれば、多くの操業会社は、経営計画のなかで戦術を前面に出して本社の出資を要請したりする傾向があるという。 戦略とは、操業会社の理念のようなもので将来の会社の目的、事業製品構成(プロダクト・ポートフォリオ)をどうするかといった問題で、戦術は戦略を実行する手段であり、更にその下にその実行を制御するOperational Controlがあると言われている。この概念は、筆者が米国でMBAを取得した時に教わった概念で、米国の有名な経営学者であるアンゾフ*3は、企業戦略論のなかで計画を、Strategic Planning, Administrative, Operatingと意思決定の階層に従って分けている。また、アンソニーも“Planning and Control Systems”*4のなかで、Strategic Planning, Management Control,Operational Controlと明確に分けている。ガソリン増販のための特約店に対する補助金政策などを、操業各社が本部に来てプレゼンすることがあるが、これは戦術であって戦略ではないのだ。Shell本部では、ガソリンは、将来他の製品との競合で将来の地位がどうなるのかといったことや、全体のプロダクト・ポートフォリオをどうするのかといったことが、戦略になるのである。 Shellでは、操業会社に将来の5カ年事業計画を作成させ、その内容を年に1回、操業会社のトップをロンドンやハーグの本部に呼んで説明させ、徹底的に審査し、また議論を行っていた。筆者もこの会議には時々出席したが、東南アジアの操業会社のトップのプレゼンテーションなどは、実に見事で明確で感心した。その頃はパソコンもなく、今のようなプロジェクターもなかったので、旧式の撮影機を使って要点を書いたものを掲げて説明するのだが、実に立て板に水のごとくのプレゼンには感心した。ただし、内容に関しては多くの質問が本社のマネジャーや同じくトップから発せられていた。見事なプレゼンをするというのは、総じて日本人には欠けている要素であり、多国籍企業で働くには、必要な能力であると痛感したものである。(4)シナリオ・プランニング Shellと言えば経営計画の作成手法として、その独特なシナリオ・プランニングが有名である。この技法は、元来米国のRAND Corporationが開発し、軍事用に転用されたが、ビジネス用に採用したのはShellグループが最初と言われている。シナリオ・プランニングの詳細は、インターネットや種々の本*5に解説されているのでここでは省くが、要は中長期的な将来に「起こり得る」事象を複数のシナリオとして叙述的に描き出す手法である。「なんだ!そんなことか」と思われる向きもあるだろうが、一種の未来学で将来起こり得ることを想定するのは、容易で75石油・天然ガスレビューオイルメジャーと産油国国営会社 -ShellとSaudi Aramcoで働いて-迴o向き、2~3年働く社員も多いので、多国籍な社員で構成されている。マレーシア、フィリピン人等の東南アジアのShell社員や中南米のブラジル、アルゼンチン等の国からの社員もいて、何カ国の人々が働いていたのかは記憶にない。 Shellの人材採用は、大学や大学院の新卒を採用する点で日本企業と似ているが、やはり本部での採用は、英国人とオランダ人が主であった。特徴的なのは、国際スタッフと呼ばれる自国を離れて勤務することを容認する社員の存在である。入社して何年かたつと、将来の個人個人のキャリア・ディベロプメントとして、社内でどうするかに関して個人の希望が問われるとのことであった。 英国やオランダを離れて、Shellの世界各地の操業会社で働くことを条件に国際スタッフが決められるが、Shellグループのエリートはこの国際スタッフによって構成される。当時は約5,000人の国際スタッフがいたが、人事部のキャリア・ディベロプメント・プランによって、種々の部署、あるいは研修が行われる。国際スタッフのなかでは競争もあり、徐々に振るい落とされて生き残った者がトップ・マネジメントへ昇進するシステムである。 社内でよく言われるのがハイ・フライヤー(High Flyers)と呼ばれるエリート層である。米国では、Top GunとかRising Starと言われるであろう。彼らは、ブルネイやアフリカ諸国、中東などの石油探鉱、掘削事業や下流部門での操業会社に勤務するが、その待遇は破格である。Shellでは文化的差異(Cultural Difference)として通常の給与に加算される額が赴任する国によって決められていて、現地で十分な生活ができるようになっている。住宅や子供の教育費も会社負担である。よく考えてみれば、アフリカの奥地で原油生産や探鉱に携わる社員には、それ76は、筆者も参加したが、個人の価値観の変化、政治情勢等を英語で議論するのは容易ではなかったことを覚えている。先述した職務記述書との関連では、Shellでは企画部門が複数の将来のシナリオをトップ・マネジメントに提示して、トップの思考を柔軟にさせることである。シナリオの理論的な帰結としては、シナリオごとに生起確率を想定することが要求されているが、これについてピーター・シュワルツ氏は、「将来に起こり得る変化を提示するのが企画部門の仕事であって、シナリオをどのように投資計画に利用するかはトップの仕事だ」と言っていた。したがって、どこに新しい製油所を建設するかとか、どこの油田の利権を得るかといった決断は、プロジェクトの評価の問題であるが、その時に世界がどのように変わる可能性があるのかを提供するのがシナリオである。 最悪のシナリオでも投資利益率が一定基準を超えて魅力的であれば、プロジェクトは是認される。したがって、業界ではShellが決断する事業にはリスクが少なく、同じく投資計画は、石橋をたたいてもすぐには渡らないと言われるほどである。シナリオ・プランニングが脚光を浴びたのは、1973(昭和48)年の第1次石油危機の発生とその後の原油価格の暴落の可能性を見事に予測したことである。シナリオ作成のためには、Shellは、外部からの専門家を4~5年契約で高給で迎え入れることも辞さない。先述したピーター・シュワルツ氏もその例で、その後任にはオックスフォード大学の教授を企画している。このよう部門長として招な外部からの一時的な人材補給を含めて、人材の活用には極めて柔軟である。聘へしょうい(5)人材の育成、多国籍な社員 Shellのロンドン・オフィスでは、英国人、米国人、オランダ人はもとより、筆者のようにShellの操業会社かはない。Shellのような多国籍企業では、世界がどう変わっていくかを想定するには、過去の歴史を調べ、特に人々の考え方、ライフスタイルの変化等も考察の対象とする。筆者もプランナーであったので、シナリオ・プランニングを導入したピエール・ワック氏(Shellの企画部門長)やその後任としてスタンフォード研究所からShellの企画部門長になったピーター・シュワルツ氏等と話をする機会が多く、Shell本社の勤務を終えてから、日本のシェル興産で5~6年にわたり日本のシナリオ作成の責任者となって、毎年シナリオ・ライティングの基本となる要素についてリサーチをした。 通常の会社では、将来はこうなるだろうという一直線の予測を行い、そのなかでの中長期事業計画を立てるのだが、Shellの場合には、ビジネスに好適な変化とともに最悪のシナリオを描くことも要求される。したがって、最悪の企業として対処できる戦略や戦術を考えることができ、主に将来の投資計画、撤退計画に利用されている。日本のシナリオについては、「日本の自動車燃料の動向」や「ライフスタイルの変化とエネルギー需要」等のテーマで長いレポートを作成したことを記憶している。 ピエール・ワック氏は、何度も来日したが、彼の定点観測は興味深く、銀座4丁目の角に立って数時間も観察を続け、3年前とは違う点等を指摘し、日本の経済力、個人消費の動向等を分析していた。シナリオ・プランナーあるいはシナリオ・ライターに要求される資質は、広範な知識と柔軟な発想である。特に、あるシナリオと他のシナリオを区別する環境変化要因(scenario determinant)が将来どうなるかに関しては、外部の専門家も含めてプランナー同士で徹底的に議論する過程がある。 アジアや中国のシナリオ作成時に2012.11 Vol.46 No.6エッセー驍謔、な米国式の経営方式になった。 現在では、ランチにアルコール飲料を飲むことも禁止され、ランチ代も有料になった。またロンドンのテムズ川沿いにあったShell本部の二つのビルは、一つは売却されアパートになり、高層のShell Towerと呼ばれるビルも売却しリース料を払って使用しているとのことであった。利益優先の米国式経営方式が導入され、投資家の評価を気にするようになったとも言われている。ただし、利益も上向いてきたので、やや欧州型に戻そうとする動きもあるようである。 人材育成方式に関しても、研修のコースは、種々用意されているものの、組織内のポジションには大体4年間の在籍が課され、新しく空きができた地位やポジションの充足には原則として、社内公募制度が設けられているようである。個人ごとにキャリア・プランニングを考慮する余地はあまりないとのことである。これは極めて大きな変化である。しかし現在でも、ShellはExxonMobil、BPと並び称される3大スーパーメジャーの会社として知られてはいる。2011年の純利益も312億ドルとExxonMobil、Chevronに次いで高い。これが企業風土の変化によるものであるか否かは筆者には不明である。2. Saudi Petroleum、Saudi Aramco(1)中東のIBM 中東のIBMという言葉をご存じだろうか?中東で勤務したことのある人ならおなじみだが、筆者が1990年6月に昭和シェルを私的な理由で退職し、新しくSaudi Aramcoの子会社として日本に設立されたSaudi Petroleum Overseas社(後にSaudi Petroleum Limitedに改称)に転職する時に、いろいろな友人から言われた言葉である。 特に機械メーカーでサウジアラビアワーク養成のためにグループごとに分かれて、オリエンテーリングや野外での共同作業等を行うユニークな研修であった。同じ宿舎で3週間も毎日顔を付き合わせていると、終わる頃には何か一体感が醸成されてきて、それぞれのShellの操業会社に帰っても人的つながりは将来の業務を遂行する上で大きな力となる。これがShell流の連帯感養成法であろう。研修計画は、外部での研修も含めて、職種、職階ごとに多岐にわたって用意されている。(6)スーパーメジャーの最近の動き これまで述べたのは、いわば古きよき時代のことであった。しかしその後、1986年には原油価格が崩壊し、メジャーの原油生産の権益も中東産油国では国有化が進み、一方、利益低下により、メジャーの合併、買収が相次ぎ、1999年のExxonMobil、AmocoとArcoを買収したBP、Unocalを買収したChevron、Petro Fina、ELFを買収したTotal等が誕生した。Shellはその間、主な吸収や合併は行っていない。メジャー同士の競争の激化が合併や買収をもたらした。Shellに関しては、2004年に独自の基準により埋蔵量の過大申告をしていたことが判明し投資家から非難を浴びた。その後、Shellの経営形態が英国とオランダに分かれていて分かりにくいことが指摘され、Royal Dutch とShell Transport and Tradingを一体化し、Royal Dutch Shellとして2007年7月5日に新しい本社が、オランダのハーグに誕生した。 最近の動きを知るために、Shellグループの在日代表である会社に取材したが、様変わりで筆者が体験したことは、全く古きよき時代のことであったと指摘された。Shellは、今では筆者が1980年から1982年に体験したような優雅な会社ではなくなり、経営の合理化や人員整理も進み企業風土も、ボトムライン・シンドロームと言われなりの待遇をしないとインセンティブが働かない。もちろん、全ての社員がトップになるために海外での勤務を望むわけではなく、本国あるいはせいぜいヨーロッパで仕事をしたいと希望する者もいる。原則は、個人の能力に合ったコースを本人の納得づくでできるだけ早期に決める方式である。 Shellで経営者の要件として求められているのは、分析力(Power of Analysis)、想像力(Imagination)、現ふ実感覚(Sense of Reality)、および俯ん能力(Helicopter View)という4大能力であると当時の人事部門のコーディネーターであったペキオリ氏は語っていた*6。このうち、特に要求される資質は俯瞰能力で、これは問題が生じた時に全体を上から俯瞰し、何が原因であるかを迅速に究明し、解決策を指示したり実行したりする能力のことである。国際スタッフというエリートは、この4大能力を事業分野、赴任地域などで試され、そのなかから昇進していく人材が決定される。 非常に興味深かったのは、上記の能力のなかに「リーダーシップ」が含まれていないことである。人事部門のマネジャーと話してみても、当時Shellではリーダーシップ能力がどのように育成できるのかは種々の研究をしてみたが不明であったということである。恐らく4大能力の高い者がリーダーシップを自然と身に付けているようになるであろうと語っていた。またShell本部では、トップ・マネジメントおよび中間管理職には、地球市民的感覚を持つように養成しており、研修計画もそれをベースにして策定されている。 筆者も管理職研修の一つであるマネジメント・ディベロプメント・コースに参加したが、世界11カ国から44人の操業会社の管理職を集めて、ロンドン郊外の研修施設で3週間にわたって最新の経営学や実務知識を詰め込まれるが、そのうちの第2週目は、チーム瞰か77石油・天然ガスレビューオイルメジャーと産油国国営会社 -ShellとSaudi Aramcoで働いて-ノ勤務していたことのある友人からは、IBMに気を付けろと助言された。Iは、インシャー・アッラーで、「神の思し召しがあれば」という意味で、仕事が遅れた時によく使われる言葉である。Bはブクラで、「明日」を意味する言葉。これも期限を守らない言いわけに使われていると言われる。Mは、マレーシュの略で、英語で言えば、No Problem、 問題ないとか心配するなという意味で、何かができなくても、あるいは失敗しても、マレーシュで済ますと言われている。このIBMは、中東の人々の考え方や行動を皮肉った表現である。どんなものかなと思って、仕事を始めたが17年間勤務して、このIBMが当てはまるサウジ人の行動や考え方に遭遇した覚えはない。時々、時間にルーズなボスはいたものの、仕事上で大した問題にはならなかったのだ。これは、Saudi Aramcoという歴史的に米国の会社を国有化して引き継いだ会社のせいかもしれない。 サウジ人の友人とも、仕事帰りにいろんな話もしたが、別にIBMを強烈に感じたことはなかったというのが真実である。サウジ人の友人に言わせれば、インシャー・アッラーは、神のご加護を――といった意味で、やるべきことをやった後は神頼みだといった、日本で言う人事を尽くして天命を待つといった表現で、物事をいい加減にするということではないと言う。(2) Saudi Aramcoの成り立ちと企業風土 ここでSaudi Aramcoの歴史を述べるつもりはないが、概観してみると1933年5月に米国のCalifornia Standard石油(Socal、現在のChevron)がサウジアラビアの初代国王であるイブン・サウドから東部の海岸地帯の油田の探鉱、開発、生産等に関する利権を取得したことに始まる。その後油田探鉱、開発に成功し、1944年に社名を、出所:Saudi Aramcoホームページより写2Saudi Aramco本社(ダーラン)Arabian American石油会社(Aramco)に改称し、1948年にはStandard New Jersey(後のExxon)とSocony Vacume(後のMobil)が資本参加し、米国の石油メジャーの4社の共同経営となった。その後、メジャーに支配されていた産油国の経営参加意識が高まり、1960年のOPEC(石油輸出国機構)の設立、1972年の「リヤド協定」を経て、1976年にAramcoの国有化が決定され、1988年、サウジアラビア政府が100%保有する国営石油会社としてSaudi Arabian石油会社(今でもSaudi Aramco)が正式に設立された*7。 考えてみると、Saudi Aramcoとして純粋に国有化されてから、24年を経ている。それ以前の1933年から1976年の間の43年間は、米国企業であった。したがって、経営方式は米国流で、極めて合理的にできている。そのために、先述した中東のIBMのような雰囲気は感じなかったのであろう。筆者の主な仕事は、初めの頃は営業もやり、市場分析、価格付け等を行っていたが、その後営業関係のマネジャーが入社したので、主に原油市場、特にアジア市場の分析とAramcoが毎月発表するオマーン、ドバイの月間平均価格を指標とした油種ごとのプレミアム、ディスカウント(日本では調整金と呼んでいる)のアドバイスを本社にすることであった。Aramcoでは、英語が公用語なので、仕事には苦労しない。アラビア語は少しは覚えたものの、正式に習っていないので筆者もほとんど話せないし読めない。必要がないので結局、アラビア語は、ものにできなかった。 1990年の6月に入社して、8月に本社のあるサウジアラビアの東海岸にあるダーランに、本社の原油販売部との打ち合わせに出張した。筆者は、シェル石油、シェル本部、昭和シェル石油時代には、仕事の関係から中東出張は皆無だったので、ダーラン空港に到着した時は、正直に言えば、それまで訪問した国々とはやはり違った印象を持った。後でよく考えてみると、欧州や米国、東南アジアのシンガポール、マレーシア、タイの空港に降り立った時との感覚の差は、やはり人々の服装であった。男性は白いトーベ、女性はアバヤという黒い服を着ているのでそう感じたのであろう。現在では、中東に対する知識も豊富になっているので、当たり前と言ってしまえばそれまでだが。 Aramcoの本社を訪問してみて驚い782012.11 Vol.46 No.6エッセーO資との合弁製油所が国内に3カ所ある。したがって、日本のサウジ・ペトロリアムに本社から派遣されて勤務するサウジ人は、石油の採掘等の上流部門には詳しいが、原油を精製業者に販売するという下流部門に関しては、それ程詳しくない。それ故、筆者は東京支社のサウジ人に原油市場の詳細、原油の取引、精製等に関して教えることが多かった。 Aramcoの原油販売の方針として特徴的だったのは、原油の販売先は、最終消費者(精製業者)に限定していることである。一番嫌うのは、トレーダーや日本の商社に販売して、トレーダーなどが精製業者に別の価格で販売することである。こうなると最終価格が分からなくなり、二重価格となる。Aramcoに言わせれば、国家収入の源泉となっている原油を誰が使用しているか分からないことが問題なのだ。これが、Aramcoがスポット市場に原油を販売せず、販売契約にも仕向け地制約条項が記されている理由である。日本向けにも、この原則は貫かれていて、日本の顧客のなかでは唯一、三菱商事が長期契約を結んでいるが、これは三菱商事が、昭和四日市石油に対して原油供給権を有しているためである。これは、イランが商社向けに販売しているのとは対照的である。この現物主義のために、原油が金融商品として取引されていることは、理解されにくい。Aramcoのスタッフやマネジャーも、最近は理解しているようであるが、原油価格は本来的に需給で決まるものと信じている(これは真理であるが、時には実需を離れて、コモディティとして高騰したり下落したりすることがある)。 米国のある投資銀行が、Aramcoの幹部に金融商品としての原油取引の詳細を説明したことがあったが、Aramco側はあまり関心を示さなかったようである。職務上、原油価格の上動となる。在留日本人が、時々やる失敗は、1~2週間の旅行で家を空ける時に冷房装置を切ってしまうことだ。1週間も冷房がないと、冷蔵庫が稼動していても食物が腐ってしまう。また帰ってから2~3日は、冷房をかけても暑さが引かないとのことで、冷房装置はとにかく24時間運転なのだ。 イスラム教のラマダン期間(約1カ月)が、夏季と重なるとつらいことになる。東京へ赴任してきたアラビア人けいも、ほとんどの人は敬で、ラマダン期間には日の出から日没までは水も飲まなかった。日本では、飲食店が開店しているのでラマダンの断食をするのは難しいが、サウジではラマダン期間は飲食店は昼間には開いていないし、Aramco本社の飲料水用の水道は元栓が止められる。友人の米国人は、サンドイッチと飲み物を家から持参し自分のオフィスでランチを取るとのことであった。これは、人前で堂々とランチを取ることは、避けるように言われているからだそうである。ただし、日没になれば飲食が許されるので、ラマダン期間中にはとにかく夜、あるいは日の出前に起床して食べる。ラマダン期間中の食物の消費量は、通常の2割増しというから夜に大量に食べることになる。 さて仕事の話に戻るが、Aramcoは周知のように、石油事業から見れば上流部門に特化してきた会社である。採取可能な確認原油埋蔵量は、Aramcoの2011年の年次報告書によると、2012年1月時点で、推定で約2,600億バレルで、ベネズエラを抜いて世界一である(BP統計の2012年版では、ベネズエラが第1位で約3,000億バレル、サウジは、2,650億バレルとなっている)。2011年の原油生産量は、日量910万バレルとされている。油田の権益は全てサウジが保有していて、外資には開放していない。下流部門、特に石油精製は本来不得手であったので、虔けんたのは、本社はAramco Compoundと呼ばれる広大な敷地の中にあり、その中に入るには検問所があり、セキュリティが厳しく、自分のID番号をあらかじめ取得していないと入れない。このコンパウンドの広さは、よく分からないが本社機能のあるビル、住居、モスク、野球場、ゴルフコース、アメフト競技場、スーパーマーケット、テニスコート、プール、映画館、図書館、銀行、郵便局などの施設があり、車で移動しなければならないほど広大であそ地風の町である。現在、る。一種の租約1万1,000人が住める住居があるが、これは米国の会社であったので、中にいる限り米国のカリフォルニアに似た感じである。通常は、メジャーの本社といっても通常のビルであるが、ここでは部門が違うとビルが違ってくる。一般管理棟に原油販売部があり、トップ・マネジメントのビルとつながっているが、所用があって資材部に行きたいと言ったところ、車で別のビルに連れて行かれたことを記憶している。 コンパウンド内で通常の生活は事足りる。またこの内部では、外国人女性等も多く勤務しているので、ミニスしている。女カートの女性たちが闊性も車の運転は、内部では許されている。米国の石油会社であった時代に、米国人を本国と同じような環境で勤務させるためにそうされたとのことである。外来者の宿舎も用意されていて、顧客(Aramcoとの原油、製品などの契約締結企業)や子会社は無料である。このコンパウンドの広大さには、つくづく感じ入ったものである。 中東といえば日本人には暑い地域という印象だろう。ただし、暑いのは4月から11月初旬位までで、12月、1月はやはり寒い。1月終わりに出張した時は、東京と同じ冬の服装が必要で、暖房も入っている。確かに6月頃から9月頃までは暑い。45℃を超す日も多い。だから、近くであっても車での移界かい歩ぽかっ79石油・天然ガスレビューオイルメジャーと産油国国営会社 -ShellとSaudi Aramcoで働いて-fィンが米国を非難する演説のなかに、広島は原爆を投下された都市として登場する*8。中東では、広島は有名な都市になっている。(3)Aramcoの人材教育 現在、Saudi Aramcoには、海外にいる子会社の駐在員も含めて、合計約5万6,000人が働いている。その国籍は、77カ国に及ぶ。そのうち約90%は、既にサウジ人となっている。多国籍の人々が働いているが、主に原油の採掘現場のワーカー、エンジニア等が多く、インド、パキスタン、フィリピン等のアジア系の労働者も多い。また米国企業から引き継いだ技術でAramcoは、高い技術と専門性を持っているが、現在でも本社や上流部門の技術者には、米国人、英国人が専門家として働いている。Aramcoの人材開発は、メジャーとは異なり、Aramcoでのサウジ人化政策(Saudization)もあり、Aramcoに入社してくるサウジ人の人材開発、教育に主眼が置かれている。そういった意味では、メジャーのような多国籍企業ではなく、あくまでもサウジの国営企業である。 Aramcoでの人材開発、教育に関しては、2011年1月26日に東京で行われた国際石油交流センター主催のセミナーで、Huda M. Al-Ghosen女史がSaudi Aramcoにおけるリーダーシッの開発に関して発表しているので、ここで簡単に紹介してみよう。ちなみに、Huda M. Al-Ghosen女史はAramco内でのトップの女性幹部で、人材開発計画に携わっている。 女史によれば、Aramcoでは下記のプロセスでリーダーシップの養成を行っている。①リーダーシップの資質発見プロセス(Identification) リーダーシップ能力を持った人員を80Conference Callをするのだが、本社のアナリストとは何時間もかけて、んの議論をしたものである。まるで、ああ言えばこう言うといった状態で、2時間以上にわたったこともある。粘り強いのが特徴であるが、市場が悪い時は一変して弱気になることもあった。 サウジ人と仕事上や私事でよく話したが、Aramcoの人事異動は複雑でよく分からないということであった。これは、上司との関係や出身部族との兼ね合いなどが複雑に絡んでいるようであり、時々彼らにとってのサプライズがあるらしい。数年前までは、Aramcoは上流部門に特化した会社であったので、以前は原油の探鉱、生産部門で働いた人がトップに上り詰めるのが普通であったが、下流部門への進出を始めたので、国際的なビジネス分野に精通した人がマネジメントを構成する割合が多くなってきたとのことである。 サウジアラビアは、日本に対しては極めてよい印象を持っていることも感じた。これは、古くは日露戦争に勝利した国として称賛され、日本に対するイメージは今や技術レベルの高い製造業を擁する工業国家である。ただし、面白いのは、東京は首都として知られているが、大阪や神戸等の都市はあまり知られていない。阪神淡路大震災は、国際的に報じられ、本社から日本を心配して、いろいろなスタッフやマネジャーから電話がかかってきたが、彼らは、東京と大阪は近いと思っているのだ。これは仕方のないことで、中東の詳しい地図を書けるのは日本では、石油会社かプラント・メーカーに勤務している人だけであろう。ちなみに、サウジでは日本の都市としては、広島と長崎がよく知られている、とあるサウジ人が言っていた。これは、米国から原爆の被害を被った都市として学校で教わるそうである。かのビン・ラー々が諤が々か侃かんくく玉だげ下げに関して、説明することが多またてかったのであるが、経済状況で建(Open Interest)が増えたとか利益確定の売りのためだと説明してもよく理解されないようである。 Aramcoの子会社で働き始めて、すぐ感じたことは確かに米国流の組織と論理で経営をしているにもかかわらず、企業風土はメジャーのShellとはかなり異なることであった。言葉で表現するのは難しいが、なぜか日本企業と似たような側面があって、Aramcoファミリーというかなんとなく家族的な雰囲気がある。合理的に経営をしていることは分かるが、職務記述書はあっても別にこだわって仕事をしているわけではない。これは、サウジアラビアという国が、もともと部族を統合した形態で、部族においては家父長制が尊ばれていることに起因しているのではないだろうか?長幼の序があり、まずは年長者を敬う気風がある。その意味では、日本企業に似ている面がある。知り合って仲よくなると、仕事が極めてやりやすい。欧米式の組織で動くと言うより、「人治的」である。家父長制では、一家の父が全ての決定権を握っているので、仕事面でも上司の命令には、絶対的な重みがある。日本企業や欧米企業では、上司の意見と異なっていれば議論になるが、ここではトップが決めた事項にはあまり異を唱えない傾向がある。 初めのうちは、支社長であるアラビア人と、時々議論をして執拗に続けていると、「You are fired. 首だ!」とよく言われたものだが、当時の支社長がやや短気であったことにもよるが、後ですぐ発言を撤回するのだ。この風土については、サウジの別の同僚に尋ねてみたが、部族の家父長制が根本にあるようである。同僚間での仕事上の議論となると、サウジ人も意外と手ごわい。原油価格の調整金をどう決めるのかに関して、月末に必ず電話で、2012.11 Vol.46 No.6エッセー♀冾ノ発見する。②評価プロセス(Assessment) 仕事を通しての評価、選別。創造的考え方、戦略的思考等。③リーダーシップ・プログラムによる養成(Enablement) 海外の大学、経営者コース等に参加させる。 Aramcoがいかに人材開発、教育に力を入れているかを示す指標を、女史は発表している。・ 1日平均、約7,000名以上の社員がフルタイムでの研修を受けている。 そのうち、2,000人以上は、世界中の海外の大学で研修を受けている。 Aramco内の研修所では、年間1,000万時間の研修を行っている。・・ Aramcoが社員教育に費やしているコストは巨額になるであろう。なかでも、筆者が勤務していた時に、AramcoからAsia Business Cultural Programという研修で、Aramcoからの幹部候補生が来日したことがある。彼らは、東京で一流ホテルに宿泊し、われわれも参加するが日本の産業界のトップの講演を聴いたり、先進工業技術の工場見学をしたりして、日本のビジネスに対する理解を深める。同じようなプログラムが中国、韓国、シンガポール等でも組まれていて、3週間はアジア地域に滞在する。このプログラムのコストは相当に高い。Aramcoが社内で、サウジ人のプロビジネスマンの育成に極めて熱心であることが分かる。 Aramcoの企業戦略に関しては、シンクタンクなどが研究しているが、2007年に米国のJames Baker InstituteがSWOT技法(Strength, Weakness, Opportunity and Threat Analysis)等を用いて分析しているが、効率的な経営をすればより利益は上げられるとしている。しかし、Aramcoは、オイル・メジャーと異なり国営会社であり、輸出収入の約86%を占めるのが石油であるサウジアラビアにとっては、最も重要な企業なので、米国流の合理化によって利潤拡大を図ることだけが本意ではない。失業率の高さに悩む政府にとっても、労働力を吸収する企業として重要である。 サウジは、今後も、世界最大の石油生産国として君臨すると思われるが、長期的には懸念があると言われている。最近、米国のCiti-groupは、サウジアラビアは今のままのペースでエネルギー需要が伸びれば、2030年には石油輸入国になるとの予測を発表している。2012年の電力のピーク需要は、対前年比8%増で石油消費量が電力需要増並みに増加すると2030年には輸出余力はなくなると予測している。確かに人口1人あたりの石油消費量は、米国を含む先進諸国より多い。輸送用燃料の増加に加えて、発電用に石油が多く消費されている。また現在は、原油価格は高いが米国でのシェールガス革命により、タイトオイルの増産が見込まれているので、OPECとしても将来の原油生産を考え直さなくてはならないと思われる。もちろん、サウジアラビアもこの点は懸念していて、太陽光発電や原発などにこれからの電源構表ShellとSaudi Aramcoの業績比較(2010年)Shell世界ランキング14423171324213実績値10,0078,171264,500283,1002,9622,423402,600NANA54,798Saudi Aramco世界ランキング1625791NANA25原油生産量(千バレル/日)ガス生産量(百万立方フィー卜/日)原油埋蔵量(百万バレル)ガス埋蔵量(10億立方フィー卜)石油製品販売量(千バレル/日)石油精製能力(千バレル/日)収入(百万ドル)純利益(百万ドル)総資産(百万ドル)従業員数(人)実績値1,7099,3056,14647,1356,4603,594371,33220,127322,56097,000NA=データなし出所:PIW(Petroleum Intelligence Weekly)誌等の資料より筆者作成81石油・天然ガスレビューオイルメジャーと産油国国営会社 -ShellとSaudi Aramcoで働いて-l0日本企業AramcoShellPP=目標成果業績指向  M=人間関係維持指向出所:筆者作成図PMグラフ(Shell、Aramco、日本企業)成を変えていくであろうが、Citi-groupは国内の発電用石油価格に多額の補助金を出しているのが問題だと指摘している。資源国としての優位性をこれまでは享受してきたが、将来のエネルギー計画を真剣に考え直す必要はありそうである。3. 結語:日本企業が学ぶもの(1)AramcoとShellの比較 石油専門誌によれば、2010年の世界の石油企業のランキングが掲載されているが、このなかからShellとSaudi Aramcoの実績を比較してみよう(表)。 企業別のランキングで、原油生産量のトップは、やはりSaudi Aramcoとなっている。一方Shellは、石油製品販売量でトップになっている。国営会社のAramcoは、原油輸出が多いので、原油価格の高値もあって年間収入では4,000億ドルと、2位のShellを引き離してトップとなっている。Aramcoは、上流部門、Shellは石油精製、販売部門に強いことが分かる。ただし、Shellの場合は、ガス生産量が第4位でこれが収入に大きく寄与していることは間違いない。なおAramcoの年報では、国営会社なので純利益、総資産は明らかにされていない。従業員数は、石油精製と販売を行っているShellのほうが多いことが分かる。(2)企業風土 PM理論 企業風土は、文化的な差異を反映しているが、風土の違いを数量的に測る手立てはない。筆者は、日本の心理学者、三隅二不二氏によってリーダーシップの類型を分ける理論として提唱されたPM理論が、企業の風土を測る点でも有用と考えている。このPM理論とは、P機能(目標成果達成機能:Performance)とM機能(人間関係、集団維持機能:Maintenance)によって、リーダーシップの類型化をしたものである。外資系企業と日本企業では、おおよそ外資系はP機能が優先的で、日本企業はM機能が高いことが言われてきた。最近では、日本企業もP機能優先の会社も多くなってきていると言われている。この観点から、Shell、Aramco、日本の伝統的企業を比べてみた概念図は、図のグラフに表されると筆者は考えている。 日本の企業は、最近ではP機能が強くなったが、外資系企業に比べればいまだにM機能が相対的に強いと思われる。例えば、日本の大企業は、子会社の業績に対して利益は少額でも親会社を退職した人員が就職できればよいとする集団維持機能が強い。社内の人間関係に関しても、ウェットな面が残存しているが、これはいまだに終身雇用制と家族主義的な考え方があるからであろう。利益志向、特に株主に対する配当、株価の値上がりなどを優先する外資系企業では、とにかく短期的なボトムライン(純利益)の上昇に腐心する。Shellは、日本企業やAramcoと比較すればP機能が強いほうであろう。Aramcoは、国営会社で政府からは、利益以外の要請もあるが日本的企業とShellとの中間にあるであろう。 このグラフはあくまでも概念的な構図であり、相対的な位置づけを表しているにすぎないが、現時点ではあてはまるものと考えられる。厳しい経営環境から日本企業も業績主義、利益至上主義になってきているので、P機能が強くなり、その分M機能が弱くなっていると言われている。企業の業績が右肩上がりの時には、M機能が強くてもなんとかなるが、業績不振の期間が長くなるとP機能へとシフトすることはやむを得ないであろう。P機能もM機能も双方が高い企業風土になれば最高だが、実際にはどちらかに偏っているのが通常であろう。 筆者が、外資系2社と日本企業(日本のシエル石油、昭和シェル石油)で働いた印象では、日本企業の経営は、相対的に情緒的であると言える。米国社会のように多民族が集まっている国では、一定のルールに準じて意思決定のメカニズムを組織化することが求められる。一方、社員構成がほとんど日本人であるホモジニアスな企業では、日本独特の言わなくてもなんとなく分かり合える腹芸的な要素が入ってく822012.11 Vol.46 No.6エッセー日本企業AramcoShell驕B日本企業でも、外国人社員がこれから多くなってくれば、細かいことであっても伝達することは明確に伝えなければならない。これからは、スムーズなコミュニーケーションが企業内外で必要となるであろう。 企業風土の面から考えると、Aramcoは国営会社であるので、Shellのような多国籍企業と明確に異なっている。サウジ人化政策がこれからも進むと思われるので、組織内での幹部は、サウジアラビア人となるであろう。国内での若年層の失業率が高いのが問題化しているので、組織内でのアラビア人化がこれからの重要な課題である。一方で、アジア的な風土が散見される。Shellのような多国籍企業ともなると、組織のトップは、優秀な人材であれば国籍は問わない。現に、現在のCEOのPeter Voserはスイス人である。 日本企業でも、日産のゴーン氏やソニーのストリンガー氏がトップであったが、極めて稀な例である。まれ(3)グローバルな人材育成 日本企業でも、最近は海外進出が多く、グローバルな人材を求め、あるいはどう育成するかが問題となっている。企業内での人材育成には、Aramcoの現在の教育、訓練計画は参考になるであろう。ただし、コストがかかるのは否めないので、悠長な研修や教育をやっているより、即戦力が欲しいという日本企業も多いであろう。しかし、新入社員(中途採用を含めて)が将来も同じ企業で働くことを前提に、教育、研修プログラムを作成し、個人のキャリア・プランニングを考えることは、現在でも必要であると筆者は信じている。 人材といえば、優秀な人間を指すような言葉だが、資源としての人間、労働力、すなわちHuman Resourcesとして捉えれば、教育や研修は人的資源に対する投資である。企業経営は、結83石油・天然ガスレビュー局は人間が行うものなので、長期的な投資として考えることが重要である。 現在、叫ばれているグローバルな人材とは、どのような人々を意味するのだろうか? 国内市場は、少子高齢化で個人需要の成長は停滞し、デフレからの脱却もできず、規制も多くまた最近では電力の使用制約まで予想されるので、日本の産業、特に製造業は生産拠点を海外にシフトし、その結果、いわゆる空洞化が進行している。こうなると海外市場でも、日本にいた時と同じように仕事ができ、同時にグローバルな視野を持った人材を育成することが急務であろう。最近では、グローバルな人材とは、英語あるいは外国語のできる人という風潮があるが、これは全くの間違いであろう。もちろん、語学の勉強を通して、海外の文化の理解には役に立つので、英語やその他の外国語を学ぶことも大切ではあるが、まずは、自分のやっている仕事に対して、プロフェッシナルになることである。 企業内で専門的な知識や卓見を持つことがまずは大事なことである。次は、海外に対する興味、関心を持ち、自分を取り巻く環境に適応力のあることが求められる。根本的には、日本の教育やメディアがあまりにも国内の問題を取り扱っているので、教育から変えていく必要があるのではないだろうか。中学生以降は、常に世界では何が起きているのだろうか、自分と同じような中学生は何を勉強しているのだろうか、といった知的好奇心を起こさせるような教育やメディアのアプローチが必要であろう。 ロンドンでテレビを見れば、まずは欧州や中東で何が起きているか、そのことがトップニュースになることが多い。欧州大陸は地理的に近く、欧州で起きたことはすぐ英国で影響が出るからという理由もあるだろう。子供に海外への知的好奇心を教えるには、親の役目も大切であろう。平和で明日の生活に困らない日本の子供たちには、国によっては難民として食料もなく生活している子供もいることを少しは教えたほうがよいだろう。日本では、自動車は左側通行となっているが、世界では英国、シンガポール、オーストラリア等を除いてはほとんどの国が右側通行である。新しい環境に適応力のある人材を育てるには、物の見方を変えなければならない。 次に必要なのは、コミュニケーション能力で、ここで英語や外国語の重要性が問われる。 これは、思ったこと、考えたことを的確に相手に伝え同時に相手の言っていることを理解することである。先述したように、英語力の向上をテクニックとして習得したとしても、言語を通して異文化に対する理解は必要である。筆者は、マスコミでよくバイリンガルという言い方をするが、本当の意味でのバイリンガルな人は存在しないのではないだろうか。やはり自分の生まれた国や長く居住している国の国民としてのアイデンティティがあった上で、コミュニケーションができると信じている。医学用語や専門用語は、日本語ではなんとか理解はできるが、英語で表すには難しい。ビジネスや通常の生活に必要な英語力の習得で十分であろう。外国語を学ぶには、筆者は習うより慣れるほうが、早道であると経験上感じている。現代では、英語を学ぼうと思えば教材やテレビ番組もあふれている。CNNやBBC放送を聴き流したり、映画を見たりといったこともできるだろう。 以上、まとめてみると、グローバルな人材になるには、まずは、自分の仕事の専門性を高めて、プロフェッショナルになること。オイルメジャーと産油国国営会社 -ShellとSaudi Aramcoで働いて-海外に対する知的好奇心を持ち、環境適応能力を高める。コミュニケーション能力、これを、語学を通して異文化を理解すること。 の3要素が重要で、あとは、応用力が必要となる。 取りとめもなく、雑文で失礼したが、以上が筆者のオイル・メジャーと産油国政府の国営石油会社で働いた感想である。なんらかの点で読者の参考になれば望外の喜びである。<注・解説>*1:「シェルの国際経営戦略」宮崎 義一著、実業之日本社、1989年5月*2:同上*3:「Corporate Strategy」Ansoff, H.I. McGraw-Hill, 1965*4:「Planning and Control Systems: A Framework for Analysis」Anthony, R.N. Harvard University, 1965*5:「未来ビジネスを読む」浜田 和幸著、光文社ペーパーバックス、2005年1月   「驚異の先読み術」藤澤 治著、東洋経済新報社、1992年5月*6:前揚「シェルの国際経営戦略」*7:「台頭する国営石油会社」石油天然ガス・金属鉱物資源機構編、エネルギーフォーラム、2008年3月*8:「日本はどう報道されているか?」石澤 靖治編、新潮選書、2004年1月執筆者紹介藤澤 治(ふじさわ おさむ)学歴:1965年、一橋大学経済学部卒業。   1972年、マサチューセッツ工科大学(MIT)経営学修士号取得。職歴: シェル石油、Shell本社(Shell International Petroleum Co.)、シェル興産で主にプランナー。   昭和シェル石油経営企画副部長。   1990年、昭和シェル石油退社。同年Saudi Petroleum社副支社長。 2008年、退職。   FEアソシエイツ(個人事業)を設立し代表。エネルギー・エコノミストとして独立。趣味:テニス、音楽(ハワイアン)、野球、山歩き、ドライブ、読書。近況:テニスで走るのが遅くなったこと。仕事も多忙で、あまり旅行に行けないのが悩み。842012.11 Vol.46 No.6エッセー
地域1 欧州
国1 英国
地域2 中東
国2 サウジアラビア
地域3
国3
地域4
国4
地域5
国5
地域6
国6
地域7
国7
地域8
国8
地域9
国9
地域10
国10
国・地域 欧州,英国中東,サウジアラビア
2012/11/20 [ 2012年11月号 ] 藤澤 治
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