ページ番号1006576 更新日 平成30年2月16日

石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その1)

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レポートID 1006576
作成日 2015-11-20 01:00:00 +0900
更新日 2018-02-16 10:50:18 +0900
公開フラグ 1
媒体 石油・天然ガスレビュー
分野 技術基礎情報
著者
著者直接入力 本田 博巳
年度 2015
Vol 49
No 6
ページ数
抽出データ 京都大学大学院工学研究科本田 博巳石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その1)はじめにいま BP統計2015に基づく原油と天然ガスの世界総生産量の変遷を図1に示す。未だ世界総生産量は増加傾向を示しており、ピークオイル(Hubbert、1956、1974、1975)はこのグラフには表れていない。Marion King Hubbertは1990~2000年の間に世界ピークオイルが出現すると予測した。1980年代後期には、Colin Campbell(1987)は、「世界規模での原油などの生産量ピーク(いわゆるピークオイル)が近い」と警告した。その後、そのピーク出現予測の現実性に関する議論が賛否入り交じって続き、1990年代中葉までに、石油業界だけでなく社会の近未来問題として一般に広まった。この、いわゆる在来型石油資源の限界についての議論と並行して、1990年代から開発技術の進んできた非在来型石油資源(超重質油、CBM、シェール資源など)の商業開発・生産が、パイプライン網などの石油インフラの発達している北米において進み、天然ガス・原油の総生産量に顕著な寄与をしてきた(図2)。シェールガス商業生産国のアメリカ合衆国では、現在、石油液相(広義の原油)の40%がシェールガス生産に由来する。その結果、石油生産量は北米地域の増産傾向への転換だけではなく、世界生産量もプラトー傾向から上昇傾向を維持している。 この論考では、技術史に主眼を置く観点から、石油鉱業史のなかで「シェール革命」の技術的内実(先駆技術の存否、その応用にあたっての工夫など)に注目し、その将来展望を記したい。そのために、石油資源開発の変遷を次のような歴史的な事項に注目して記述する。すなわち、①Drake井(1859年)までの近代石油鉱業が形成される基礎となった産業背景と技術の進歩、②Drake井以後の石油鉱業と需要の増加と多様化による増産気運の時代、③石油探鉱における探査理念である背斜説の確立と、1901年のスピンドルトップ井の成功による石油の大量生産が可能であることの実証以後、④世界ピークオイル論争後、近未来(シェール革命期からそれ以後)である。産業構造の発展と技術革新の関係および需要形伝される「シェール革命」の技術的側面からの観察に成と供給可能性の確保について分析し、現時点で喧よって、変革期として位置付けることを主眼としたい。  以上のような本稿の目的から、全体を4章に分ける。第1章:近代石油鉱業の形成前史、第2章:石油輸送いた世界-Rockefellerの着眼と独善、第3章:石油地質学の誕生-White背斜説とそれ以前・以後、技術の拓第4章:炭化水素資源開発技術革新によるシェール資源開発の展開とし、各章を順次連載の形で解説する。けんでんひら第1章:近代石油鉱業の形成前史から 歴史的に過去の状況と現在の状況を比較すると、同一あるいはよく似た状況が認められる。その、よく似た状況を把握すると、異なる点も明瞭になる。この章では、最終的な目的である「21世紀中葉以降の石油資源供給消費の状況を描いてみる」という狙いの基礎として、18~19世紀半ばまでの第1次産業革命期での熱源・光源資源の変遷を見よう。薪などの生物燃料資源から石炭へ、あるいは灯心草・まき燭などからガス灯・アーク灯・灯油ランプへの変遷がテーマの一つである。うそく蝋ろ ピークオイルの到来の議論と並行して、1990年代から、特に、パイプライン網の発達している北米において、開発技術が進んできた非在来型石油資源(超重質油、CBM、シェール資源など)の開発が加速された。そのうち、在来型石油資源に最も近いシェール資源開発が進み、2004~2008年、2010~2014年の100US$/bblを超える高油価の煽りもあって、商業開発生産が北米に集中して進み、地域での天然ガス・原油の生産量の増加に寄与してきた。また2014年10月以来の油価の低迷状況にあって、あお1石油・天然ガスレビューアナリシスサの開発活動は若干沈静化し、対象地域の絞り込みも進んだ。しかし、一定量以上の生産実績を現在(2015年9月現在)でも維持している。その結果、コンデンセート類を含む液相石油生産量は、リーマンショックに伴う若干の減退があったが、2010年には回復し、現在はプラトー傾向から上昇傾向に転じている。 このような状況を「シェール革命」と呼んで、単純な技術革新以上の成果を誇っている。図2は、1980年から2014年までの、アメリカ合衆国の天然ガス生産量推移におけるシェールガスの増産傾向と総生産量に占める割合の増加傾向を示す。図1と図2での重要な要検討課題の一つは、いわゆる在来型油ガス田の生産量は少なくともプラトー段階に入ったと考えられるのか、あるいは減退期に入ったのかどうかということであり、また、液相石油生産量の推移は、ピークオイルに関連した石油資源開発の変遷における一つの区切りを示すと考えてよいのかという点であろう。 生産量が減退期に入ったと聞くと、石油探鉱開発への投資は回収効率の低下を見込んで、投資自体も減退することになる(Campbell-crushと呼ぶ)。このCampbell-crushが世界規模で起きると、石油鉱業はゲームセットである(コミックのスラムダンクで、安西先生が「あきらめたら、そこで試合終了だよ」と桜木君に言ったことそのものである)。ピークオイルの到来が議論されなくなった今日、現在の石油が支える世界の将来の石油代替資源の選択、開発への計画のために、むしろ石油自体に関して、資源論的な評価を試みることは意義があろう。どのような要因が、この「シェール革命」の機縁となっているのか、将来にどのような展望を持つべきか考え、その展望を現実化する道を構築する上で、18~19世紀における熱資源・光源資源開発の歴史を概観することは、歴史の繰り返す同一性と時代的進歩を見ることに有意義であろう。Bcf/d600500400300200OPEC AGE World Peak OilTurmoil PeriodSHALE GAS AGEIn USALehman ShockPetroleum LiquidsPeak OilIndonesiaNatural Gas2nd Oil Shock1st Oil ShockUS Peak Oil197019751980198519901995200020052010US$/bbl1000年90807060504030201096501MMcf/m100出所:BP statistics 2015から作成図1世界の石油・天然ガス生産量の推移図2アメリカ合衆国の天然ガス生産量におけるシェールガスの増産傾向と総生産量に占める割合の増加2.90.80.70.60.50.40.30.20.10.010RatioMcf/d3,500,0003,000,0002,500,0002,000,0001,500,0001,000,000500,0000 2014年11月2013年12月2013年1月2012年2月2011年3月2010年4月2009年5月2008年6月2007年7月2006年8月2005年9月2004年10月2003年11月2002年12月2002年1月2001年2月2000年3月1999年4月1998年5月1997年6月1996年7月1995年8月1994年9月1993年10月1992年11月1991年12月1991年1月1990年2月1989年3月1988年4月1987年5月1986年6月1985年7月1984年8月1983年9月1982年10月1981年11月1980年12月1980年1月出所:DOE/eia(米国エネルギー省エネルギー情報局)2015から作成2015.11 Vol.49 No.6アナリシスエん滓ししての明るさ、燃料としての発熱量の小ささから、木炭に変換して発熱量を大きくして利用されたが、規模の大きな炉の溶鉱炉用燃料としては適さないため、より長時間安定した発熱量を求め、石炭に代替されていった。石炭、さらに石油は循環時間が動植物燃料に比して極めて長く(107~8年)、いったん消費すると消滅する資源(非再生資源)である。その消費による廃棄物(CO2など)も残も地球表層に滞留することになる。CO2の一部は、光合成により動植物燃料の循環に戻る。一部は海洋などの水界に溶け込んで、固定される。世界人口の増加傾向と燃料資源の変遷は並行した増加傾向を示す。燃料種の選択も、より高熱源燃料へと代替され、消費量も増加する。 英国での人口の増加が明瞭になる18世紀中葉から(図4)、ルネサンスルネサンス産業革命産業革命石油の世紀107?8年規模107?8年規模の循環にかかの循環にかかわる燃料わる燃料石油石油石炭石炭??????醸造生物源燃料(エタノール)醸造生物源燃料(エタノール)生物源燃料(薪、枯草、蝋燭、植物油、動物油)生物源燃料(薪、枯草、蝋燭、植物油、動物油)水力水力20030040050060070080090010001100120013001400150016001700180019002000年世界人口世界人口3,0002,0004,0005,0006,0007,000矢し 石炭開発とその背景の歴史を見る。石油資源の開発を促進した石油需要形成の過程と、その産業構造への組み込みの基礎となった産業環境を概観することが、その目的となる。近代石油鉱業の糸口となった19世紀半ばまでが時代的な対象であり、第2次産業革命までがここでのカバー範囲となる。 Daniel Yerginの“The Prize”(1991)(『石油の世紀-支配者たちの興亡-〈上〉』日高義樹・持田直武訳〈1991〉)もDrake 井の直前から書き始めて、それ以前の18世紀中後半からの第1次産業革命期の社会背景については触れていない。第1次産業革命期から、この論こうを始めることは、近代石油鉱業の嚆としてのDrake井掘削の準備・推進の背景とその成功後の石油鉱業の急速な発展を支えた背景を考えるのに有用であろう。また、試掘位置の選定における技術背景と、試掘の準備の内容を調べることにもなる。需要と供給の呼応関係のなかで、石油が登場する状況、その価値の増加の過程も考えることともなる。さらに、資源種の転換点での代替資源の出現過程について、代替される資源の側の視点での観察をすることにもなる。1?103年規1?103年規模の循環にか模の循環にかかわる燃料かわる燃料百万人1,0000-400-300-200-100AD1100出所:松岡・本田(2014)図3世界人口の推移とエネルギー種の変遷MM252015105015501600165017001750180018501900年出所:Javons, 1865図4England とWalesの人口推移(1)石炭の資源価値の増加 図3は人口の増加傾向と燃料資源種の変遷の歴史的な関係を示したものである(松岡・本田、2014)。人口は、14~15世紀のルネサンス期から徐々にではあるが増加し、さらに第1次産業革命が始まる18世紀中葉から顕著に増加する。この間、同様な顕著な熱資源の変化は認められない。まず、自然界のなかで燃料として形成されるのに要する時間(ここでは循環時間と呼ぶ)を考えたい。この循環時間が短い燃料種は、動植物燃料(油脂、薪、灯心草、蝋燭など)であり、人が採集しやすいものが利用されていた。照明と3石油・天然ガスレビュー1. 産業革命と燃料資源:高熱量燃料資源への移行期石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その1)i2)蒸気機関 英国内の安価な石炭に対する需要は増加の一途をたどった。機械工業の進歩には鉄の質の改善、鉄製器具の改良による工作精度の向上もあった。蒸気機関は、1769年のワットによる蒸気機関の特許取得と1774年のワットとボールトンによる実用化によって本格的に実用化された。蒸気機関の実用化は石炭燃料の消費量増加に直結した。蒸気機関の応用の第一は鉱山(石炭・鉄鉱石)での排水、換気に使用された。 1787年には、カートライトの力織機の発明があり、綿製糸機・綿布織機の大量生産の動力のために蒸気機関が導入され、鉄需要と動力源としての蒸気機関燃料需要の増加を促した。機械の運動効率向上には、より硬4期には、英国で石炭の液化による燃料製造の手法が特許となった。19世紀前半のアメリカ合衆国東部では、この石炭の液化に関して詐欺まがいの事件も起きた(Coal Oil Johnny事件)。 この時期は英国植民地から本国への綿花の輸入量が増加した(図6)ことも蒸気機関動力燃料のための石炭需要増加の重要な起因となった。例えば、インド、エジプト、アメリカ合衆国南部からの綿花輸入の増加があった。アークライトの水力織機の発明が1771年にあった。その時期までに必要とした動力は、水車・風車による動力(脱穀・製粉、羊毛の洗浄)、役畜による動力(輸送など)、人力が主体であった。ここに原材料の輸入、原料・燃料資源の開発が進むと、動力源などが不足することとなる。 アメリカ合衆国では、第1次産業革命期(18世紀中葉から)より第2次産業革命(19世紀前期~中期から)のほうが鉄鋼の製造量の伸びは顕著である。アメリカ合衆国での製鉄業には、カナダ楯状周辺の層状鉄鉱石、アパラチア山脈西部の無煙炭炭鉱からの原材料、燃料の供給が可能であるという地理的利点があった。Dummy data12(Pig Iron in England)MMtons1614024681燃料種が薪・動植物脂肪などの生物源燃料から石炭という高熱量・持続性燃料へ転換し、鉄鋼の生産量は石炭の消費量の増加と並行する。この石炭利用の熱源用途は、暖房、調理などの日常生活での利用よりも製鉄業、窯業などでの工業利用が増加した時期である。製鉄業では、炉の改良もあり、木炭から石炭へと熱源燃料が移行し、鉄需要の増加に伴い大量の石炭需要が生じた。英国でのんてつ鉄生産量は、18世紀を通して徐々に増加し、19世紀に入って顕著な伸びを示した(図5)。銑鉄の生産の伸びには、石炭による長時間安定した炉温の管理が可能になったことに加え、高炉の発明など、炉自体の形状・操作方式の改良の進展が寄与している。石炭の産出量(図5の長破線:New Castleでの産出量)と日常消費(図5での点線:Londonへの輸送量)の比較から、工業用消費量の産業革命による増大傾向が明瞭に示される。18世紀最後銑せ(Coal)MMtons454035302520151015001550出所:Javons, 18650516001650170017501800185001900年図5英国の18・19世紀における石炭生産量推移。日常消費地での消費量推移と銑鉄生産量推移の比較Pounds1,6001,4001,2001,0008006004002000178017901800181018201830184018501860年出所:Javons, 1865図6第1次産業革命期の綿花の輸入量推移2015.11 Vol.49 No.6アナリシスHばが石炭への燃料種の転換を促進した。燃料としての利便性、発熱量を考えると、木炭の発熱量は無煙炭の半分、褐炭と同じ程度であるが、入手可能な量は、坑道採掘が可能になると石炭が圧倒的に大きい。 他方、石炭の採掘コストは木炭を焼成するコストよりはるかに高い。石炭の坑道掘による生産コストは、坑道の長さ、地下深度に左右され、特に地下深度の増加は、きり地温の上昇、湿度の上昇を伴い、それによって、切での採掘人の労働環境が劣化していく。その改善には、換気装置が必要となる。地下深度と坑道の規模により、必要な送風量が決まり、深度が増すにつれ、坑道支持躯体の強度も、換気のための送風量・排気量も大きくなる。利潤を生むための石炭採掘コストの上限が、坑道の地下深度限界を決めることとなる。石炭開発での炭層の知識の集積によって、地質学的知見の集積も進んだ。 熱と機械運動変換機構である蒸気機関についての効率を考察する研究が、永久運動の夢とも関連して進められ、熱学・熱力学の端緒が形成された時期でもある(例えば、カルノー〈1826〉)。また、石炭の液化技術も18世紀最後期には、原理的な確立を見ている。く摩擦耐性のある鉄鋼材料の創出と工作精度技量の向上によって、工作精度が向上したことが寄与した。機械の運動での摩擦の低減が促進された。このような機械工作技能・技術の向上は、掘削機や掘削リグの性能を向上させるのに有用であった。 動植物燃料から石炭への転換は、まず、石炭消費量の増加と石炭の利用法の工夫によって促進されたと考えられる。18世紀前半の工業での主要燃料は、木炭、薪など、生物源燃料であったが、熱量の需要を満たすだけの量を供給できなかった。また、織機の動力源としての水力(水車など)は、多数の機器を同時に動かす機械的装置が必要であり、大出力の機関であることが要請されるが、水車に供給する水量が1年を通して安定しない。また、水量が一定以上の河川等の水源が近傍にない場所では、利用での制約が大きい。蒸気機関の発達によって水力機械は順次取って替わられることとなる。 蒸気機関では燃料の発する熱量を炉での燃焼を制御することで、必要な機械的動力を安定して長時間供給できるため、多くの工場で大型の石炭ボイラー需要が増加した。ある用途の必要とする熱量特性と、燃料の熱量特性2. Drake井以前(1)鯨油産業の盛衰 灯油ランプは、蝋燭や油浸灯芯による明かりよりはるかに明るい照明器具であり、18世紀を通して、灯油を購入できる社会階層に浸透していった。大きな工場ではアーク灯も利用されるようになっていった。18世紀後期になると、屋内のガス灯施設の普及が進むまで、扱いやすい照明器具として普及した。当時の灯油は、主に鯨油が使われた。灯油ランプの普及に伴い、鯨油需要が増加し、捕鯨産業が隆盛を見せることになった。 北米のニューハンプシャー州ナンチャゲット島を基地とした捕鯨産業は、鯨油を欧州に輸出することで栄えた。Herman Melville の小説『白鯨』(1851年発表)もこの基地からの捕鯨として描かれた。この北米を基地とする捕鯨では、捕鯨船の数が1840年代まで指数関数的に増加したが、1840年代後半に入って頭打ちとなり、1860年代に入って急激に減退していく(図7)。図7については、本稿末の<図についての解説>に詳述したので参照願いたい。 江戸幕府に対する開港・開国要求を突きつけたPerry 率いる黒船の浦賀到来は1853年のことであった。捕鯨め どの減退時期は、黒船の目的が、大西洋北部の基地から出港した捕鯨船の西太平洋海域での飲料水・食料の補給基地を確保することであったことと符合する。大西洋の鯨類を捕獲し尽くして西太平洋まで捕鯨船を出した結果であった。捕鯨船数は1859年以後、急減する。Drake井(1859年)により、灯油を地下から坑井によって産出させる石油を精製することで大量に得られる見通しがついたことによる急減であった。商業性のある代替資源供給の目途が付いたことで、地球を1周するような捕鯨活動によって捕鯨船団の運営コストが高くなり、経済性が失われたことが第一の原因である。 捕鯨船数の増加・減少が富士山型の形状を示すのに比較して、約100年後の原油の生産に関わる掘削リグ数は二つのピークを持つ連山型を呈する。この対照的な形状の違いは、背景となった社会事情の違いと、捕鯨船と掘削リグの運用方法の違いによって生じたものであろう。捕鯨船の場合は、鯨油を得るための捕鯨活動に使用する特殊船であり、需要がいったん減少すれば、改装され別用途に使うか、廃船となる。また鯨油の代替燃料として5石油・天然ガスレビュー石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その1)゚鯨船数8006004002000稼働リグ数稼働リグ数4,0004,000〈図8が示す範囲〉〈図8が示す範囲〉19701970US Peak OilUS Peak Oil1980-19861980-1986Oil Price SlumpOil Price Slump3,0003,0002,0002,0001,0001,00000number of active whaling shipsnumber of active whaling ships17001800number of active drilling rigsnumber of active drilling rigs18791879Edison light bulbEdison light bulb1956San AntonioPresentation197919792nd Oil Shock2nd Oil Shock195018591859Drake WellDrake Well20001900年出所:Coleman, 1995図7アメリカ合衆国における捕鯨船数の増減の推移と稼働リグ数の増減の推移の比較鯨油bbl550500450400350300250200150100500年(Hubbert、1956)、原油生産量は1965~1970年の間にピークに達するであろうとした。その発表後、継続して活発な議論が展開されたが、掘削リグの稼働数は減少傾向を示した。将来性の見えた資源に対してはコスト回収が不利であることから、投資を控えた結果であった。 Hubbertの予測は1970年に現実化した。特に石油の最も安定した生産州であったテキサス州の原油生産量も1971年にピークに達したことが客観的に判明した。その後、堆積学の進歩による貯留層分布の解析精度の向上、地震探査技術の地下イメージング技法の進歩、政策的な石油鉱業振興策の採用(インセンティブの付与、メキシコ湾北岸海域の開放など)、アラスカ北岸海域での発見の連鎖があり、掘削リグの稼働率が急激に増加し、1980~1983年にピークに達した。しかし、そのような探鉱機会の進展の後、再び減少傾向に戻った。原油bbl4,000,0003,500,0003,000,0002,500,0002,000,0001,500,0001,000,000500,0001859年1859年Drake井Drake井019201930194019501960197019801990原油鯨油1800出所:Coleman, 19951810182018301840185018601870図8アメリカ合衆国の鯨油(破線)と原油生産量の推移(実線)石油灯油が流通するようになれば、枯渇危機にある鯨資源をさらに追求することはない。 他方、アメリカ合衆国の石油資源に関しては、1956年5月にSan AntonioでのAPI(American Petroleum Institute:アメリカ石油協会)生産部門の春季会合において、石油資源の生産量推移の予測の発表があり(2)鯨油資源の枯渇と石油灯油の台頭 図8は、アメリカ合衆国の鯨油生産量の推移(1800~1870年)に、同国の原油生産量推移(1920~1990年)を、鯨油曲線の1861年と原油曲線の1986年を重ね、両者のスケールを調整し、両者の生産量ピーク年が重なるように示したグラフである(Coleman、1995)。増加・減少の傾向が相似することが明瞭に看取され、資源の開発・生産・枯渇による盛衰の好例とされている。アメリカ合衆国の原油生産量の推移は、1859~2004年くらいまで、この開発・生産・62015.11 Vol.49 No.6アナリシスhale LiquidsShale LiquidsContribution of Alaskan oilContribution of Alaskan oil19101920193019401950196019701980199020002010年3.02.01.00.01900(注)2004年以降、原油にはシェールオイルが含まれる。出所:DOE/eia http://www.eia.gov/dnav/pet/hist/LeafHandler.ashx?n=pet&s=mcrfpus1&f=a図9アメリカ合衆国の原油生産量推移百万米トン100804.0十億bbl/年1970 : US Hubbert Peak1970 : US Hubbert Peak枯渇の過程にあったと考えられ、生産量増減がいわゆるベル状曲線を描いていた(図9)。2004年以降、反転し顕著な増加傾向を示すが、この点については第4回に詳述する。 図10は、アメリカ合衆国での無煙炭生産量推移を示したものである(McCabe、1998)。典型的なベル状曲線を成す。Drake 井が登場した1859年の前後、商業石油供給可能性の立証があっても、無煙炭の生産には影響がなかったことが分かる。また、1861~1865年の南北戦争も影響がない。北部での製鉄業が順調に成長し、無煙炭に対する需要が安定していたことを示すと考える。無煙炭が、主に製鉄との関係で使用されることも理由の一つであろう。う。T. S. Huntは、後にカナダの資源調査に従事し、地表観察から石油の地表兆候と背斜構造の直接的関係を認めた初期の地質家の1人であり、Drake井掘削以前に、既にこの関係を記録し、報告していた人であった。新聞記事、報告書の形で、その観察が公表されたのはDrake井の後、1861年、1863年であった。しかし、複数の地質家がこの関係に気付いていたことは確からしい。H. Rogers、E. B. Andrewsらの名前が挙がる。Drake井も背斜軸の上に掘削された。この背斜説の確立に関わる事項は第3回の記述に回したい。 地表に漏出していた油ガス兆、石油池などから採集し188019001920194019601980年アメリカ合衆国の無煙炭生産量推移WW-IIWW-IIEast Texas DiscoveryEast Texas DiscoveryDepressionDepressionWW-IWW-ICushing DiscoveryCushing DiscoverySpindletop DiscoverySpindletop Discovery18401860図1060400Drake WellDrake Wellだま20(注)米トン=907.185㎏出所:McCabe, 1998(3)灯油資源の代替と需要形成 鯨油は冬季でも固化せず、灯油として扱いやすいものである。この鯨油を代替できる安定性、管理の容易さ(輸送しやすく、貯留しやすい)、鯨油と似た性状の燃料が鯨油の枯渇によって求められることになった。ラード(豚は油脂が多く、陸鯨ともいう)、テレピン油、これらの混淆油が代替品として候補に挙がり、試用されたが、不都合が多く採用されなかった。従前から少量の精製石油がペンシルベニア州北西部で使われている事情を知っりからた東部の銀行家たちは、地表徴候としての石油溜んだ石油の試料の組成分析をYale大学のBenjamin Silliman Jr.教授に依頼した。その結果、試料は灯油分画を含み、原油を精製することで大量の灯油を生産できることが分かった(ここで、Silliman 教授と銀行家たちの間に、この情報をめぐっての争いが生じたが、ここでは触れない)。 実際に、分析を行った者は教授の当時助手であったT. S. Huntであったことは、記憶するに値することであろ汲く7石油・天然ガスレビュー石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その1)ス石油は、原住民たちの薬用に使われており、Kierによって瓶詰め(薬用セネカ油)で販売されていたことも、消費者に石油が受け入れやすい環境を醸成したと言えるであろう。(4)塩水井掘削技術 Drake井の掘削に先立っては、掘削技術として塩水井戸の掘削技術が確立されていた。アメリカ合衆国の内陸部は沿岸域から遠く、また、欧州のように、岩塩の産地もまれであったため、日常生活の必需品である食塩の供給は、地下塩水を汲み上げ、蒸散により食塩を製造していた。 塩水坑井のために、①綱掘り技術と、②ケーシング技術が開発され、常用化されていた。作井技術が整備され、容易に専門職人を雇用する環境ができていたことは、Drake井の掘削にとって好都合であった。綱掘り機の利用が容易にでき、水井戸の掘削技術は、そのまま石油井の掘削技術として利用された。また、塩水井を掘削する場合、坑壁保護もさることながら、飲料水・家畜用水・農業用水に利用する淡水の地下水を包有する透水層を塩水から遮断するために坑壁をケーシングしていた。Drake井の掘削では、このケーシングが施されていた(余談になるが、掘削技術上、安全に手早く作業を進めるためにケーシングは極めて有効な方法であり、仮に、Drakeが石油井でのケーシング技術特許を取得していれば、その後の坑井数を考えると、晩年まで貧困にあえぐような暮らしに苦しむことはなかったであろう)。(5)鉄道 18世紀半ばでの輸送、交通手段は川沿いの船によるもの、陸路を馬車で行くものであった。多量の貨物輸送は、川沿いを船で行くことが普通であった。川沿いの輸送はペンシルベニア州に端を発するAllegheny川沿いが主体で、ルートを自由に取るわけにはいかなかった。 表に現在のアメリカ合衆国の地域別での鉄道の敷設状況の進展を示す(Wikipedia、2015年9月1日;Adams、表年代・地域別の鉄道延長距離*注マイル地域1830年1840年1850年1860年1870年1880年1890年1 ニューイングランド2 大西洋岸北部3 五大湖周辺東部4 大西洋岸中部5 中西部南部および大西洋岸南部6 五大湖周辺中部7 西部北部8 五大湖周辺西部9 テキサス周辺10 太平洋岸0300100000005131,2801986512,5962,7221,0189583,6445,9935,9342,6504,3265,8666,8789,97314,24518,5968,31914,30721,7193,0134,6919,032811,1245,2577,5968,56818,6240002101074,3809,70522,47537,46300460065638222352,5428,8873,9607,60020,3496613,0419,8541,5784,38812,160アメリカ合衆国合計402,7558,57128,92049,16887,724163,562*1: 地域名は参考のために付したもので、原資料(Adams、1895)にはない。州の一部が異なる地方に区切られているのは、時代によって統計区分が異なるために厳密に区分できないところがあるからである。当時準州であったところも含む。ワシントンD.C.は原資料に明記されておらず、どの地域に含まれるのか不明。四捨五入等のため表に示されている合計値はその上の各欄の合計と必ずしも一致しない。   1. メイン州・ニューハンプシャー州・バーモント州・マサチューセッツ州・ロードアイランド州・コネティカッ   2. ニューヨーク州(一部)・ニュージャージー州・ペンシルベニア州(一部)・デラウェア州・メリーランド州・ト州ウェストバージニア州(一部)   3. ニューヨーク州(一部)・ペンシルベニア州(一部)・オハイオ州・インディアナ州・ミシガン州(一部)   4. バージニア州・ウェストバージニア州(一部)・ノースカロライナ州・サウスカロライナ州   5. ケンタッキー州・テネシー州・ミシシッピ州・アラバマ州・ジョージア州・フロリダ州   6. イリノイ州・ウィスコンシン州・ミシガン州(一部)・ミネソタ州・アイオワ州・ノースダコタ州(一部)・サウスダコタ州(一部)・ミズーリ州(一部)   7. ノースダコタ州(一部)・サウスダコタ州(一部)・ネブラスカ州・コロラド州(一部)・ワイオミング州・モ   8. ミズーリ州(一部)・カンザス州・コロラド州(一部)・ニューメキシコ州*2:1マイル=1.619㎞で換算。出所: Wikipedia ;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E5%8F%B2、2015/09/1、Adams (1895)から編集ンタナ州82015.11 Vol.49 No.6アナリシス895)。1850年までは、鉄道は、東部の北部・中部に集中しており、その他の地域での陸路は専ら馬車での輸送手段しかなかったことが分かる。アメリカ合衆国は、この時期まで、国土の1/2が全くの未開状態にあった。Drake井前後での、人口の集中も東部にあったことが、灯油需要形成において鍵になったと考えられる。西部の鉄道敷設は、1848年に始まるカリフォルニア州でのゴールドラッシュ以後のことである。カリフォルニア州の人口はゴールドラッシュによって、1852年以前には20万人以上に膨れ上がり、州での労働力などの基礎となった。産業を推進するための条件に、一定の人口・居住・運輸-交通のためのインフラが整備されていることが重要な要素となることの好事例であろう。まとめ ここまで、第1次産業革命を英国とアメリカ合衆国について概観し、近代石油鉱業の嚆矢であるDrake井掘削前後までにおける、熱源・光源資源開発とその結果の生産量を中心に見た。石炭鉱業の推進力は、繊維業での蒸気機関動力の需要、製鉄業などの多量の安定した熱源に対する需要であった。蒸気機関の常時の稼働は石炭鉱業での坑道換気、出水の排水のポンプ動力を提供し、製綿産業に対しては、機能的な効率のよい機械動力を整備した。 安定した蒸気機関を求めて、機械工作技術の向上、製鉄技術の向上がもたらされた。また逆も事実であろう。このような技術向上の連鎖・循環は、生産効率を向上させ、社会が維持できる人口規模を増大させ、逆に人口の増加によって、労働力の提供が容易になった。 石炭供給は、高熱源資源の供給となり、長時間稼働させる蒸気機関の運転や、製鉄での溶鉱炉の稼働における炉温度保持のような、長時間の安定した温度環境を提供する熱源燃料として適したものであった。1850年代までは英国・アメリカ合衆国(特に北部)はともに、産業規模を定常的に拡大していった。灯油ランプによる照明の普及に伴い、灯油への需要が欧州を中心に拡大した。他方、この時期での石油需要は、灯油供給での鯨油の枯渇に伴うものであって、需要量には限界があったことも事実である。石油需要が増大するためには、新たな石油の利用方法の出現が必要であった。 欧州では、ルーマニアでの近代的な製油所の建設、稼働が進み、1857年には精製した灯油の出荷が始まった。しかし、需要を充足するだけの生産量を確保し得なかったため、灯油需要の充足が求められる状態であった。ここにDrake井による地下からの多量の石油の生産・精製による石油鉱業が、アメリカ合衆国アパラチア地方(油ガス徴候が豊富に認められていた)に発達する機縁があった。石油の地表への漏出を薬などの用途で販売することが既に行われていたことも誘導要因になったであろう。 新たな技術的発展によって、石油を利用するランプ灯油需要は減退したが、ランプを置換して新たな照明器具である電球の普及の基礎となった電力供給のために石油の需要が開拓された。また、蒸気機関と全く別種の動力機関として内燃機関が発明、実用化された。石油はこの内燃機関の燃料としての需要が増大することになる。このような第2次産業革命期の石油の輸送販売網の発展については、第2回での記述に譲る。 近代石油鉱業黎明期においては、石油需要は産業の中心需要から生じたものではなく、既存資源(鯨油・石炭など)と機能的な類似性があっても、日常生活でのランプ灯油需要に集中して生じたものであった。人口の増加による需要の増加や、熱源燃料としての需要の拡大が起きるまで、初めから大量の供給は必要とせず、大量生産が可能になるまでの技術、インフラ(輸送機関など)の準備期間を確保できた点がピークオイルの議論において前提が異なる点、注意を要する。 黎明期には、未開の需要、未開の供給源があふれており、その一つ一つを発見し、展開していく努力を必要とする。温故知新の具現として、教訓的であろう。黎明期での探査技術は、自然観察の徹底から始まる。新たな技術を再現性、かつ信頼性の高い技術にまで洗練するには、試行と成功体験の積み重ねを必要とする。 次回では、19世紀後半での、現代的な石油鉱業を確立する需要の形成過程を見る。そのなかで、その需要を充足するための石油鉱床探査法としての背斜説の意義を考えたい。背斜説の成立史については、第3回に説明する。(次号に続く)9石油・天然ガスレビュー石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その1)y参考文献】1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. Adams,H.C.,1895; Report on Transportation Business in the United States at the Eleventh Census 1890,Part 1,Transportation by Land,Bureau of Census Library,52pp..BP Statistical Review of World Energy 2015; (http://www.bp.com/en/global/corporate/about-bp/energy-economics/statistical-review-of-world-energy/statistical-review-downloads.html Campbell,C. J.,1988; The Coming Oil Crisis,Multi-Science Publishing Co. Essex,England. Revised version,2004. Hubbert,M. K.,1956; Nuclear Energy and the Fossil Fuels: New York,Am. Petroleum Inst.,Drilling and Production Practice; 7~25. Hubbert,M. K.,1974; U. S. Energy Resources: A Review as of 1972,Part I,Committee on Interior and Insular Affairs,U. S. Senate,Serial No. 93~40(92~75),U. S. Government Printing Office,267pp..Hubbert,M. K.,1975; World Energy Resources,in Symposium on Energy Sources for the Future,7~27 July 1975. Oak Ridge,Tennessee. 303pp.. Javons,W.S.,1865; The Coal Question; An Inquiry Concerning the Progress of the Nation,and the Probable Exhaustion of Our Coal Mines,MacMillan and Co.,London,(republished by Cornell University Library,534pp.,2009)Livi-Bacci,M.(速水融・斎藤修(訳)),2014;人口の世界史,東洋経済新聞社,301pp.8. 9. 松岡俊文・本田博巳,2014;非在来型化石燃料の将来性 (特集 非在来型化石燃料を取り巻く状況).エネルギー・資源, 35(6); 4~12.10. McCabe,P.J.,1998; Energy Resources-Cornucopia or Empty Barrel?,AAPG Bulletin, 82(11); 2110~2134. 11. U.S. Energy Information Agency,2015; Independent Statistics & Analyses,(http://www.eia.gov/).12. Yergin,D.,2008; The Prize,The Epic Quest for Oil,Money and Power. New York. Free Press,928pp..<図についての解説>図1: 図5: 図6: 図7: 図2: 図3: 図4: 世界の石油生産量推移(1965~2014年)。スポット原油価格を参考のために付したほか石油関係事項を盛り込んだ。ピークオイルは未確認である。非在来型の寄与もあり、生産量は増加傾向を維持している。在来型の生産量はプラトーにあるのかについては別途統計の分析が必要である。アメリカ合衆国の天然ガス生産量における推移(1980年6月から2014年11月)とシェールガスの増産傾向(2006 年8月以降)とその総生産量に占める割合の定常的増加傾向。 世界人口の推移とエネルギー種の変遷。人口の増加とエネルギー資源種の転換が顕著な対応関係を示す(世界人口はMassimo Livi-Bacci著『人口の世界史』〈速水融訳:東洋経済新報社、2014〉による)。 EnglandとWalesの人口推移。第1次産業革命の始まる1750年頃から人口の増加が著しい。グラフ内に記した式は、データ点に基づく人口推移曲線の近似を6次多項式によって求めた場合の近似式である。誤差の分散が0.9994となって、推移をよく近似できている式である。この近似曲線から、18世紀以前では、人口の増加はあってもゆったりとした揺らぎがあり、顕著な増加は認められない。18世紀に入って以降は、急速に人口が増加したことが明瞭に認められる。 英国における18世紀・19世紀の石炭生産量推移(New Castle)、日常消費地(London)での消費量(持ち込み量)の推移と銑鉄生産量の推移の比較。第1次産業革命の始まる1750年頃以降、石炭の生産地(New Castle)と消費地(London)の間の差異が拡大する。石炭の工業目的での消費量増大の傾向を示す(dummy dataは曲線の形状を整えるために入力された)。第1次産業革命における綿花の英国への輸入量の推移。蒸気機関を用いる綿繊維工業のエネルギー需要と石炭生 産の相関を見るための参考資料となる。 アメリカ合衆国における捕鯨船数の増減と捕鯨船数の増減の推移および稼働リグ数の増減の推移の比較。鯨油産102015.11 Vol.49 No.6アナリシスニの活動の盛衰を捕鯨船数で、また石油探鉱開発活動を稼働リグ数で示したグラフである。時代的に本来重ならない両者を、それぞれの時間軸をずらして、ほぼ、鯨油生産量と原油生産量のピーク年が重なるようにした。すなわち、捕鯨船数での1850年と稼働リグ数での1970年を重ね、両者の曲線の形を直接比較できるようにしたものである。捕鯨船数に対する時間軸は50年区切りで目盛りを打ち、100年ごとに当該年を大きめの数字で示した。稼働掘削リグ数については、10年ごとに目盛りを打ち、50年ごとに当該年を小さめの数字で示した。捕鯨船数はDrake井掘削を境に激減する。赤枠は、鯨油の生産量と原油の生産量の推移を比較するための、図8でいただきが平坦化傾向を示す。Drake井の成功の表示期間を示す。捕鯨船数はピークが、1840~1859年代であり、頂した1859年以後は急減し、1860年代以降漸減して、1930年頃、消滅した。他方、稼働掘削リグ数は1950年代にピークを迎え、アメリカ合衆国のピークオイル年である1970年まで減少する。このピーク年以後、増加に転じ第2次オイルショックのあった1979年まで増加した。その後急減し、それは両者の形状に差異が明瞭である。これは捕鯨船が装置としての数であり、消滅しないが、稼働リグ数は、活動状態により、随時変化し得るものであるためであろう。アメリカ合衆国の、鯨油産業の盛衰を示す鯨油生産量曲線と原油生産量曲線の比較。時間軸をそれぞれの曲線の 示すピーク近傍の区間を過ぎた年(1861年と1986年)で重ねた。鯨油生産量(∝捕鯨量)はDrake井掘削(1859年)の10年ほど前までは、指数関数的に増加し、飽和状態に入ってプラトー状態を10年ほど示し、Drake井掘削を境に激減する。Drake井の意義は石油の供給能力の証明となったことである。生産地(アパラチア西部)と需要地(ペンシルベニア東部、ピッツバーグ〈製鉄・窯業の工業地〉)の位置関係が効率的であった。輸送のための鉄道敷設・道路の開削などの国土開発と需要の増大は石炭を含め、石油需要を促した。背斜説前夜でのルーマニアの石油産業の成立は欧州での灯油需要と関係するが、供給能力において限界があったと思われる。近代石油産業の発祥の地がアメリカ合衆国であった理由がここにあると考える。アメリカ合衆国の原油生産量推移。アメリカ合衆国の原油生産量はDrake井の成功後、1970年まで、増加の一 途をたどった。その原油生産量は1970年にピークを迎え、以後、2007年まで、減少する。その生産量推移のグラフは、2007年まで全体としてベル状の形状を示すが、2007年以後は、生産量の減少傾向が反転し、増加傾向を示すようになった。これは、シェールオイル生産量の寄与による。図8: 図9: 図10: アメリカ合衆国の無煙炭生産量推移(McCabe、 1998)。典型的なベル状曲線を呈する。多量の商業石油供給可能性の、Drake井による原油供給の可能性の立証があっても、無煙炭の生産量には影響がなかったことが分かる。無煙炭の用途が熱源だけではなく、製鉄での還元剤など機能材料でもあったためであろう。また、 南北戦争(1861~1865年)も無煙炭生産量に影響がない。北部での製鉄業が、戦時下でも極めて順調に成長したことを示す。執筆者紹介本田 博巳(ほんだ ひろみ)1975~2012年まで、石油資源開発(株)、インドネシア石油(現・国際石油開発帝石〈株〉)などで、主に探鉱プロジェクトに従事。現在、京都大学大学院工学研究科で、シェール資源を中心に非在来型資源に関し勉強中。古都京都の歴史の重層性のなかで、横道に迷いつつ、思わぬ出会いを楽しんでいる。その多くは美味を伴うのが、幸せなこと。野外調査では、時に川で泳いだりし(川中での足の不如意で)、還暦を疾うに過ぎた年寄りの冷や水かと思いつつ、未だに地表調査に出かける。趣味は将棋、詰め将棋、読書など。博士(工学)。と11石油・天然ガスレビュー石油探鉱開発における技術革新と石油鉱業(その1)
地域1 北米
国1 米国
地域2 欧州
国2 英国
地域3
国3
地域4
国4
地域5
国5
地域6
国6
地域7
国7
地域8
国8
地域9
国9
地域10
国10
国・地域 北米,米国欧州,英国
2015/11/20 [ 2015年11月号 ] 本田 博巳
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