サウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後
レポートID | 1006593 |
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作成日 | 2016-07-20 01:00:00 +0900 |
更新日 | 2018-02-16 10:50:18 +0900 |
公開フラグ | 1 |
媒体 | 石油・天然ガスレビュー 2 |
分野 | エネルギー一般基礎情報 |
著者 | 濱田 秀明 |
著者直接入力 | |
年度 | 2016 |
Vol | 50 |
No | 4 |
ページ数 | |
抽出データ | JOGMEC調査部濱田 秀明サウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後はじめに 昨(2015)年来、サウディアラビア王国が動きを活発化させている。2016年1月にサルマーン ビン・アブドルアジーズ国王の新政権がスタートし、4月には子息のムハンマド ビン・サルマーン殿下が副皇太子と国防相、経済改革評議会議長の要職に就き、指導力を発揮している。これに先立つ1月にはイランと断交、さらに3月にはイエメン内戦に加わった。一方、原油生産量は、1,000万b/dを超えて記録的な生産を続けている。同副皇太子はまた、英エコノミスト誌のインタビューに回答するなかで、国営Saudi Aramcoの株式上場(IPO)について言及し、大きな注目を集めた。 4月25日には、国家展望「ビジョン2030」(以下、ビジョン)を発表した。また、昨年12月に「Beyond Oil」と題した国家戦略提言がMcKinseyから出されている。これを基にして日本では「脱石油」と捉えた向きも多かった。同時にSaudi AramcoのIPOについても盛り込まれた。6月6日には、ビジョンを実現させていくための行政改革である「祖国変革プログラム」を閣議承認した。こうした一連の流れで目指す国家像としては、石油産業以外の産業を、民間部門を中心に大きく育成させていき、原油輸出から得られる以上の収益を得ていくことを狙っている。ビジョンの実現のためには、今後も「政府機関統治の強化」「PIF(Public Investment Fund:公的投資ファンド)」「人的資本」「民営化」「戦略パートナーシップ」などのプログラムが用意されており、次々に打ち出されてくると見られる。 こうした計画を実行することで、目指すべき国家像を実現することができるのか。あるいはなぜ、今このタイミングで国家ビジョンを出してきたのか。また、逆に、このタイミングでビジョンが出てこなかったらどうだったのかなどの面を含めて、同ビジョンと同国のエネルギー産業の今後について包括的に考えてみた。 なお、本稿は、2016年6月時点の情報に基づいている。1. 現サルマーン政権誕生からの動き 2015年1月23日に前アブドッラー国王の崩御により、サルマーン ビン・アブドルアジーズ新国王が就任した。同国王は2月1日に組閣と知事の異動を行った後、4月29日に、それまで副皇太子・内務相だったムハンマド ビン・ナーイフ殿下を皇太子にし、国防相だったムハンマド ビン・サルマーン殿下を副皇太子に就任させ同時に、内閣の大幅な改造を行った。 3月26日には「決意の嵐」作戦としてイエメンの反政府ホウシー派を対象に空爆を開始、地上軍も参加させた軍事作戦を開始した。4月21日からは「希望の回復」作戦と変更しながらも軍事作戦を展開してきた。 9月16日、ムハンマド副皇太子が議長を務めるSaudi Aramco最高会議は第1回会議を開き、アミーン ナーセルCEO代行をCEOに任命した。 2016年1月3日、シーア派サウディ国民の処刑に抗議したイラン人がテヘランのサウディ大使館とマシュハドの総領事館を焼き打ちしたことに抗議して、サウディアラビアはイランとの断交を発表、同時に直行便の往来な1石油・天然ガスレビューアナリシスヌも停止した。翌4日、ムハンマド ビン・サルマーン副皇太子は英エコノミスト誌の長時間インタビューに答えて自国の立場を説明し、Saudi Aramcoの株式上場(IPO)について言及。IPOは腐敗防止や透明性確保の面で有効であり、現段階は検討中で2~3カ月内には意思決定がなされると述べ、産業界からも大きな注目を集めた。4月4日にはBloombergのインタビューにも応じ、ビジョンやIPOについて考えを述べている。こうしたさなか、4月25日、ムハンマド ビン・サルマーン副皇太子がビジョンを閣議に上程してサルマーン国王兼首相の承認を得て、即日、アラビア語と英語の両版で発表した。果たして国営企業の株式上場により得た資金で世界最大のソブリン・ウェルス・ファンド(Sovereign Wealth Fund:政府系投資ファンド)を創設する構想が含まれ、Saudi AramcoのIPOは、現実味を帯びてきた。IPOについては、ビジョンでも方針が示されたが、今後、ビジョンを実現していくための「公的投資ファンド再編プログラム」が発表される予定で、さらなる詳細点が明らかになることが期待されている。2. ムハンマド副皇太子のBloombergによるインタビューについて 2016年4月4日、Bloomberg*1はムハンマド副皇太子に長時間にわたって行ったインタビューの内容を発表した。同副皇太子の発言要旨は、以下のとおりである。・わが国の長期ビジョンを1カ月以内に発表する予定。このビジョンには複数のプログラムがあり、「祖国変革計画」(NTP*2)はそのなかの一つ。・ 公的投資ファンド(PIF):わが国のビジョンの下で示されるプログラムの一つ。祖国変革計画を発表した後に実行に移す。ファンドの資産やファンド所有の企業資産などを再編しPIFの規模の拡大も狙っている。新しい資産を組み込むことで利益率を向上させる重要な機会となると確信している。特に重要になるのがSaudi Aramcoと一部の大型不動産である。・ Saudi AramcoのIPO:同社のIPOはわが国経済にとってメリットがある。同社の株を単純にPIFに移すだけでもPIFは世界最大のファンドになる。同社IPOの目的は、資金調達だとの見方が多いが、実際は違う。この目的は歳入の分散化である。20年以内に、われわれの国や経済は、石油に大きく依存しなくなるだろう。歳入は石油に代わってPIFの収益やその他の収入源からもたらされる。同社の上場利益もその一つであり、わが国の証券市場にメリットをもたらすだけでなく、国家経済や、同社の存続と発展にとってもメリットがある。上場はわが国の国内証券市場でなされるが、外国の投資家にも確実に開放する。Saudi Aramcoのダウンストリーム(製油所)の上場だけでなく、同社本体も上場するが、その規模は同社全体の5%以下とする見込み。上場時期は2017年を目標としているが、出所:サウディ国営通信社写1 サルマーン ビン・アブドルアジーズ アール・サウード国王出所:サウディ国営通信社写2ムハンマド ビン・ナーイフ ビン・アブドルアジーズ アール・サウード皇太子出所:サウディ国営通信社写3 ムハンマド ビン・サルマーンアール・サウード副皇太子22016.7 Vol.50 No.4アナリシス018年になるだろう。・ Saudi Aramcoの新戦略: 同社の新しい戦略を近く発表する予定で、石油・ガスの企業からエネルギーと多角経営の企業に変革する。さらに多くのプロジェクトの実施を計画している。ソーラー事業、石油化学の市場開拓、石油関連のサービス、建設業等その他の産業の創設も視野に入れている。・ 民営化の対象部門:ヘルスケアとサービス部門を最も重要な部門とする。ヘルスケア部門は、政府の所有する資産を全て取り去り、持ち株会社にそれらを移す計画。市民に健康保険の考えを理解してもらい、保険を通じてサービスを提供する。・ 原油価格:原油価格低下はわが国にとっての脅威ではない。歳出の効率化を検討している。われわれは2015年に多くのことを進めて、非石油収入を35%増やしており、それがなければ財政赤字は1,000億ドルではなく、2,500億ドルにも達していたであろう。石油価格の上昇はわれわれに(短期的)利益をもたらすが、石油の長期間の利用にとっては妨げとなる。石油価格の下落はわれわれの歳入を減らすが、われわれはどんな市場の状況にも適用しようとしている。・ ドーハ会議: 4月17日にドーハで開催予定の会議だが、イランが凍結に加わらなければ、われわれは参加しない。イラン、ロシア、ベネズエラ、OPEC諸国を含む全ての国と主要な生産者が増産を凍結することを決定すれば、われわれもそれに参加する。・ 対米関係:米国は世界の警察官であり、われわれは中東における米国の主要な同盟国である。われわれは米国の選挙にコメントしない。・ シリア情勢:非常に複雑で困難である。・ イエメン問題:自国が主導する有志国連合とイエメンのシーア派武装勢力フーシー派との和平交渉には、「重要な進展」が見られる。フーシー派の使節が現在、リヤードにおり、イエメン紛争の政治的解決にかつてないほど近付いている。・ 女性関連:米国でも女性が選挙権を獲得するまでには長い時間を要しており、われわれにも時間が必要である。サルマーン国王の治世下で女性が初めて投票し、初めて20人の女性が当選した。女性は今やどの部門でも働くことができる。ビジネス、弁護士、政治家などである。3. 国家展望「ビジョン2030」の発表 ムハンマド副皇太子は4月のBloombergのインタビューのなかでサウディの「ポスト・石油」の包括的経済計画の一角を成す国家改造プログラムを翌週の25日に発表すると語った。その25日、サルマーン国王は閣議を開き、経済改革評議会議長であるムハンマド副皇太子が上程したビジョンを承認した。アラビア語版と英語版があり、それぞれ80頁以上ある大部なものであるが、社会・経済・政府に分けて理念やイメージを中心に述べられている。また、国内軍需産業を育成して、そこからの調達比率を50%まで引き上げることや、外国人労働者の長期滞在を可能にするグリーンカード制度の導入なども記されている。同日、ムハンマド・サルマーン副皇太子はこのビジョンについて記者会見で発表し、さらに自国のアル・アラビーヤ衛星TVでインタビューに答え、その動画も48分版をインターネットで公開した。 内容としては、国民に雇用と事業参加の機会を増やし、投資収益によって成長する国造りを目指したものであり、政府機構もそれに適したものにするとしている。これらの目標を達成するための手段の一つとして、ムハンマド副皇太子はSaudi AramcoをIPOにかけ5%程度の株式を上場すると述べた。残りは、新たな国富ファンドとなる「総合投資基金」(GIF)に移される予定であるが、具体的な点は、さらに今後、数カ月のうちに発表するとしている。ビジョンの位置付け 経済開発会議議長名のムハンマド副皇太子による序文では「このビジョンは、未来のための現在からの見通しであり、明日のために、今日から仕事を始めるものだ。われわれの大望を全て表現したものであり、われわれの国の力を反映させている」と述べ、このビジョンの位置付けを明確にしている。さらにビジョンを支える基盤として、①自国がイスラーム世界で地理的に最重要性をもつこと、②世界的な投資活動の中心となる決意であること、③国土の地理的優位性として、アジア、欧州、アフリカの3大陸の結節点にあり、貿易・物流のハブ(hub)となることを挙げている。さらに自国は豊富な鉱物資源3石油・天然ガスレビューサウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後ノ恵まれているが、それよりも、若い国民の潜在力を発揮することで世界をリードするとの展望を示した。 また、「Saudi Aramcoを石油生産会社から世界市場を相手にした複合産業企業に転換する」「公的投資ファンドを世界最大のソブリン・ウェルス・ファンドに転換する」「自国の主要企業の海外進出奨励」「軍装備品の内製化」「国民に教育訓練、雇用、住宅、娯楽、高品質の行政業務を提供し、そのために行政府の効率化、透明性と説明責任を備えるように改革を迅速に進める」との決意を明確かつ力強いトーンで表明している。4. ビジョンの内容(2030年までのコミットメントおよび目標) 英語とアラビア語の両言語で発表したが、アラビア語版はそもそも1人称で述べられ、英語版とは微妙に異なる。ここでは主にアラビア語版を参照する。次のコミットメントや目標が盛り込まれている。(1)生き生きした社会(イスラームの価値観に生きる)①「深く根差した価値」:小巡礼の受け入れ許容者数を年間800万人(2015年)から3,000万人に増やす。ユネスコの世界遺産登録数を2倍以上にする(2016年現在4件)。②「その環境は活動的」:国内3都市を世界の都市トップ100にランクインさせる。王国内の文化・娯楽活動のために個人消費を2.9%から6%に引き上げる。少なくとも週に1回スポーツする人の割合を13%から40%に引き上げる。③「確固たる骨格」:社会関係資本指数(SCI)で26位から10位になる。平均寿命を74歳から80歳に延ばす。(2)繁栄する経済合を3.8%から5.7%に増やす。GDPに占める民間部門の割合を40%から65%に拡大する。④「利益のある位置」:物流効率指数で世界49位から25位に向上させ、地域では第1位となる。GDPに占める非石油製品の輸出の割合を16%から50%に引き上げる。(3)大望ある祖国①「実効性ある政府」:非石油政府歳入を1,630億リヤルから1兆リヤル(約2,700億ドル)に増やす。世界ガバナンス指標(WGI)で80位から20位になる。電子政府開発指数(EGDI)で第36位から5位以内に入る。②「国民が責任者」:世帯収入(フロー)からの貯蓄率を6%から10%へ増やす。GDPに占める非営利部門の割合を1%未満から5%に引き上げる。非営利部門で従事するボランティアを現在の1万1,000人/年から100万人/年に届かせる。①「実りある機会」:失業率を11.6%から7%引き下げる。GDPに占める中小企業の貢献の割合を20%から35%に引き上げる。労働市場における女性の参入比率を22%から30%へ引き上げる。②「効果的な投資」:経済規模を世界第19位から15位に引き上げる。石油・ガス産業の就業者を(外国人から)自国民化していき、現在の40%から70%へ増やす。公的投資基金(PIF)の資産を6,000億リヤルから7兆リヤル(約1兆9,000億ドル)に増やす。③「魅力的な競争」:国際競争力指数(GCI)で世界25位から10位に上がる。GDPに占める海外直接投資の割 目指す方向は抽象性を持った言葉で語られ、到達するゴールについてはより具体的な目標を掲げている。また、コミットはしないものの達成希望として挙げられた項目も記されている。本章「(1)①」では、「世界最大のイスラーム博物館を設立する」ことが挙げられ、「(2)②効果的な投資」のなかには、「国防費の国内産業からの調達比率を2%から50%まで引き上げる」「再生可能エネルギーでの発電を9.5GWに増やす」ということも含まれる。実現は極めて困難であり、大望として挙げられたと理解すべきものであろう。例えば国防費を現在の水準を維持しながら、その半分を国内産業から調達するとした場合には、計算上では年率3割で14年間成長させ続けることになるなどだ。42016.7 Vol.50 No.4アナリシス. ビジョンの達成方法、実現に向けた各種プログラム さらに、このビジョンの内容を画餅に帰させることなく、着実に実現していくためとして、今後、次の13の計画や手順を策定して発表することもビジョンに記されている。・ 政府機構再編プログラム:国家的優先事項に傾注するために政府機構を再編する。・ (戦略的)指針プログラム:政府機関が決定し、包括的業績評価に基づく指針であり、既に承認済み。・ 財政均衡プログラム:資本支出、その承認手続き、測定可能な経済影響を精査し始めた。・ 規制見直しプログラム:昨年来、多数の現行法規制を見直し、また新規の法規制を定めた。・ プロジェクト管理プログラム:経済開発評議会および他の政府機関内に専門家によるプロジェクト管理室(PMO)を設ける。・ 業績測定プログラム:われわれは業績測定の理論を採用し、全ての機関、プログラム、イニシアチブおよびエグゼクティブの評価において適切に使用されるか確認した。・ 祖国変革プログラム:行政府の機関を優先順位に従って、必要な提案を実行させていく。・ Saudi Aramco戦略的変革プログラム:Saudi Aramcoを石油以外の新部門でも世界を主導できる企業にする。・ 公的投資ファンド再編プログラム:公的投資基金(PIF)を世界最大のソブリン・ウェルス・ファンドに変換する。この目的を成功させるために包括的計画を発表する。・ 人的資本プログラム:人的資本は、いかなる事業を成功させる上においても重要なファクター。・ 戦略的協働プログラム:世界の経済主体が参画する戦略的パートナーシップを形成する。・ 民営化プログラム:民営化に適した追加部門を決定する過程にあり、包括的な民営化プログラムを策定する。・ 政府部門の統治強化プログラム:政府機関で、不必要な機能を廃し、手続きを簡素化し、責任を明確化するため、引き続き、弾力的に再編する。れた閣議で、「祖国変革プログラム2020」を承認した。6月1日にムハンマド ビン・サルマーン副皇太子が経済開発評議会を開催して承認し、閣議に上程したもの。 エネルギー関連では、原油生産能力は1,250万b/dのまま据え置くとしたが、ガス生産量は12Bcfdから17Bcfdに増大させる一方で、再生可能エネルギーは3.5GWとしている。ビジョンでは目標値を9.5GWとしており、当面はペースダウンさせる形となった。また原子力発電については、3億リヤル(8,000万ドル)で発電所の場所を絞り込んで建設の準備を進めるとしている。 NTPは、ビジョンの目標を実現していくために、行政機構を対象として、期間5年で変革していくためのより詳細かつ具体的な行政改革のプログラムである。したがって、16省と8機関の、合わせて24の行政機関について、ビジョンを実現させるための企画案とそれを具体化するために、数値化した目標も付けているが、軍や治安機関、また、Saudi AramcoのIPOについては含まれていない。 全体では543件の提案が示され、45万人の新規雇用を民間部門で創出し、非石油部門からの政府歳入を1,630億リヤルから5,300億リヤル(約1,400億ドル)まで約3倍に増加させる一方、行政府職員の給与を260億リヤル減らして4,580億リヤルとし、政府支出に占める割合も45%から40%まで減少させるとしている。成長をもくろむ分野では情報通信技術、旅行、非石油鉱業および製造業であり軍事装備品の内製化は大きな課題である。 実現化するための5段階のメカニズムについて以下に示す。 a.ビジョンの一つ一つを実現する方法について、個別ビジョンごとに関係機関を絞り込んでグループ化し、2020年までの目標を設定。 b.戦略目標実現を、自発的に実行させていくため企画を練り込んでいく。 c.執行させていくための詳細に企画を策定 d.目標の普及と結果の測定の上で透明性を確保・強化 e.実績を監査し、見直して改善していく これらのプログラムに加えて、実行過程で必要となれば、追加のプログラムも発表していくことがビジョンで述べられている。「祖国変革プログラム2020」(NTP)の発表 6月6日夜、ラマダーン月初日のために夜間に開催さ NTPでは、石油政策を担当するエネルギー産業鉱物資源省でも15の戦略目標が掲げられている。主なものは次のとおり。 原油生産能力は現行1,250万b/dを維持する。国内の天然ガス生産量を現在の12Bcfdから2020年までに17.8Bcfdへ増大させる。同省のハーリド アル・ファーリ5石油・天然ガスレビューサウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後n新大臣(2016年5月就任)によれば、国内の発電量の増大によるガス需要の増加は2100年までに23Bcfdに達する。 原油精製能力を現在の290万b/dから330万b/dまで拡充する。軽油の含有硫黄分は、現在の500ppmから10ppmまで、またガソリンは現在の1万ppmから10ppmまで低減させる。ただし、これらは2021年までの目標とする。 非石油製品の輸出増大のために物流プラットフォームを建設する。民間部門の生産、開発の促進や国内サービス(業務)の拡大促進。現在の輸出額1億8,500万リヤル(約5,000万ドル)を2020年までに3億3,000万リヤル(約8,900万ドル)に成長させる。輸出業者の手続きを簡素化し、現在1,190社の輸出業者を1,500社まで増加させる。また、15日かかる手続き日数を7日に短縮する。国内の産業後進地域における炭化水素エネルギーおよび鉱物資源の使用を拡大させる。発電部門での燃料使用能力も拡大。電力部門の業務の質向上と業務領域を拡大させる。電力網を延伸する上での安全と発電源の拡充。需要が増大する石油製品の生産を増やすために国内精・製油所の原油処理能力を現在の290万b/dから330万b/dへ増加させる。 全体では、5年間で2,684億リヤル(725億ドル)の資金を投じ、エネルギー産業鉱物資源省は、27億リヤル(7億3,000万ドル)の予算が割り当てられている。油・ガス田の探鉱開発や製油所の建設などはSaudi Aramcoの事業であり、この予算には含まれていない。 ハーリド アル・ファーリハ大臣は、原油価格が低下している現下においても、国内外でエネルギーと石油化学部門への投資は継続していくことを明らかにしている。6. Saudi AramcoのIPOについて まずSaudi Aramcoを持ち株会社に転換して、次に、その株式の5%未満を売却するという計画。さらに同社の子会社の上場は第2段階で実施する。株式の上場先はサウディ国内の証券取引所「Tadawul」で、上場の時期は2018年頃。主たる引き受け手は、国内の投資家とするが、外国の投資家にも開放される。 IPOで売却しない残りのSaudi Aramco株は、同国の政府系ファンドに移管する。政府系ファンドはSaudi Aramco株の保有以外に3,000億ドル相当の資産を持つことになる。ムハンマド副皇太子は国営テレビのアル・アラビーヤとのインタビューで、Saudi AramcoのIPOについて触れ、いまだ企業価値の評価は完了していないとしたが、2兆ドルを上回ることが見込まれている。Dogma Capitalのエネルギー専門ポートフォリオ・マネジャー、ダニロ・オノリノ氏は「石油埋蔵量だけ2,611億バレルと発表しており、1バレルあたり50ドルの石油価格で評価しても、2兆5,000億ドル程度の価値を持つと見込まれるだけに、Saudi Aramco全体で2兆ドルの評価はかなり安い」と見ている。また、同社の総資産を2兆5,000億ドルとする推計に基づけば、IPOによる資金調達額は最大1,250億ドルに達する可能性があるとBloombergは4月に報じた。 4月20日、大手各紙は業界筋としてSaudi AramcoのIPO業務のアドバイザーとしてJP Morganとマイケル・クライン氏の2者が選定された。クライン氏がサウディ政府に助言し、JP MorganがIPOの準備作業を行う。まだ最終決定していないがSaudi Aramco株の5%を2017年または2018年に公開、残りの株式はPIF(公的投資ファンド)が所有する予定であると報じた。 6月23日、ムハンマド ビン・サルマーン副皇太子は、外遊先の米国で開いた非公開の会合で、原油価格が期待する値を下回った場合、計画している5%を超えて株式を公開する可能性があり、7.5%まで高まることもあり得る、と聴衆に述べた。今後の発表に注目が集まっている。7. ビジョンに対する論評、反響 4月26日、Saudi Aramcoのアミーン ナーセルCEOは、「王国改革のビジョンでは、革新、テクノロジー、R&D(研究・開発)について、産業が成長する新時代に向けて拍車をかけるよう求めている。Saudi Aramcoは、上流部62016.7 Vol.50 No.4アナリシス蛯フ投資とダウンストリーム拡張における新規投資に、引き続きリーダーシップを発揮して、幅広くかつ急速な王国の発展をけん引していくことに寄与する」と全面的な協力姿勢を示した。また、サウディ通貨庁(SAMA)のチーフエコノミストであるジェームズ・リーブ氏は、「経済に占める民間部門の割合をどのようにして増やすのかという詳細な説明を政府に期待している」として、やや懐疑的な見方を示した。(1)FTの論調 一方、フィナンシャルタイムズ(FT)紙は、ジェッダにあるシンクタンクのGulf Research Centerのジョン・スファキアナキス氏のコメントを引用して「目標を定めることは重要だが、このビジョンは無理難題である」とした。また同氏は、米国Baker公共政策研究所研究員のジム・クレーン氏による「ムハンマド副皇太子は、ゆっくりと進むことに慣れた体制に火をつけたいのだ。彼の考え方は理にかなっているが、彼の時間的枠組みはそうでもない」との見解を引き、実現困難だとの見方を示した。のっとうたった生活を謳(2)サウディ国民からの声 このビジョンついて、研究者、外交官、ビジネスマンの声や、ニュースに対する投稿などを拾う限り、ビジョンに関して、すこぶる高い評価である。ただし、この具体的な内容に関する理解については限られている。冒頭はイスラームの価値観に則いながら、具体的な達成の目標や課題となると、イスラーム的価値観に則った議論より現代経営学の論理に基づく議論が展開されているというものだ。例えば世界ガバナンス指数(WGI)や世界物流指数(LPI)などの高い評価を得ている目標は、これまで王国内で、真剣に議論されたことも少なく、向上させたいという意識も広がっていなかった。あるいは世帯収入の貯蓄率を上げることも、国家目標になる理由やメリットの理解が深まらない。 それでも、若き指導者が登場して、これまでの保守的な舵取りから、次々と思い切った手を打ち出している姿勢は強く印象付けられている。「救世主」という言葉はライバル宗派のイデオロギーでもあるため、若いサウディ人は絶対に使わないが、心情的には、それに近い期待が高まっている。ムハンマド副皇太子の指導力が大いに強まったことで意見は一致している。かじ(3)IPOについての論調 そもそも、Saudi Aramcoに資産があるかどうか疑問がもたれていた。すなわち、地下の鉱物資源に主権を持7石油・天然ガスレビューつのは国王であり、Saudi Aramcoは油ガス田の探鉱開発を、国王から命じられて行っているに過ぎず、IPOが成立するのかということだ。 しかし、主権者たる国王が、炭化水素エネルギーの探鉱開発権限と生産物の処分権限をSaudi Aramcoに与えると宣言しさえすれば、成立する話である。そこで、今般のビジョンをサルマーン国王が承認し、実現に向けて推進しているのが、ムハンマド ビン・サルマーン副皇太子、その人であるということで価値が生まれてくる。現在では、経済改革評議会とSaudi Aramco最高評議会が開かれ、どちらも議長はムハンマド ビン・サルマーン副皇太子が務めている。Saudi Aramco社がエネルギー資源の所有権を持っていなくとも、開発権を委ねられているとするならば、「エネルギー資源採掘権」として資産評価され、財務諸表が成り立つという可能性も考えられる。 一方で、クラウディング・アウト(Crowding Out)の懸念が指摘されている。これは、一般的には、政府支出の増加が利子率を上昇させて、民間の投資を減少させてしまう現象を言う。例えば、政府支出によって国民所得を増やそうとした場合、政府支出のための財源として国債を発行、民間から資金を借り入れると、借り手が増えるために利子率が上昇する。利子率が上昇すれば、投資が減少する。その結果として、国民所得の増加を妨げてしまうというもの。政府支出には、民間投資を押しのけてしまうというマイナスの効果があるとする説である。 また、流動性リスクについての指摘も出ている。上場予定先のサウディ証券市場「Tadawul」はジョイント・ストック会社として2001年10月に設立されたばかりである。現在、139社が上場している。サウディは2003年7月、勅令第(M/30)号により、監督機関として資本市場庁(CMA)を設立した。それまではサウディ通貨庁が市場の監視と規制の役を務めていた。比較の上での話だが、ちなみに、世界第3位の東京証券取引所は、時価総額で517兆6,000億円(同所発表、2016年3月31日)であり、時価総額で日本最大の企業はトヨタ自動車28兆9,900億円(同上)である。 サウディ証券市場は時価総額5,600億ドル(FT、2014年)と言われるが、こうした規模の市場で1,000億ドルを超える株式上場を行った場合に買い手が付かなくなるリスクがある。サウディ国内の金融市場では、ほぼ毎月のように国債が発行され、商業銀行が引き受け手となってきた。銀行の預金と貸し出しの比率が今年1月時点で86.1%にまで上昇しており、預金残高は約4,300億ドルにとどまり、新たに株式を引き受ける余地はあまり残さサウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後黷トいない。したがって、株式の引き受け手は、国内のノンバンクや企業、個人となる見込み。株式上場により、財務諸表が公表されるため、透明性が高まり、歳出の内訳の可視化が進む。8. ビジョンの特徴ていくというのが政治手法の一つとなってきた。(2)サウディのビジョンの特徴 サウディのケースでの最大の特徴について4点ほど挙げたい。まず最初は、ビジョンを提示した主体が明確であること。言うまでもなくムハンマド副皇太子である。経済改革評議会でビジョンやプログラムを策定し、自ら閣議に提案して承認を得て国家計画として打ち出している。さらに、エコノミストやBloombergといった英米大手メディアに長時間割いて説明している。加えて傘下の衛星TV「アル・アラビーヤ」でも48分にわたってインタビューに応える形で、ビジョンの内容や実行方法などについて、穏やかな口調ながらも歯切れよく、分かりやすく説明している。 ビジョン策定の上で議論されたとする目標のいくつかに、リアリティの欠如が見られることも独特な点である。ムハンマド副皇太子も、「あまりに野心的過ぎることも含めて、希望する未来像を全て描き出した」と述べているとおり、論理的に計算すれば、実行することでデメリットのほうが大きくなる項目も含まれる。ビジョンの内容をどのように実行していくか、多くの項目にわたって具体的な方法や手順などを示した実行計画を出してきているのも特徴の一つと言えよう。 また、ビジョンが出てきた背景やサウディアラビアの状況よりも、西側世界の注目が、このビジョンのなかで謳われているSaudi AramcoのIPOに集中し、その実現性や制度的障害などに議論が集中していることも大きな特徴であろう。(1)近隣国でのビジョン例 2030年までの時間軸で達成すべき国家ビジョンを設定している国は複数ある。アフリカではザンビアが2006年12月に、またケニアも2008年6月に設定している。近隣諸国のなかではカタルが、2008年10月に国家ビジョンを定めているし、UAEのアブダビ首長国でも「経済ビジョン2030」が2008年11月に同首長国の執行評議会によって承認されている。2010年にはUAE副大統領兼首相でドバイ首長でもあるShムハンマド ビン・ラーシド殿下が、UAEビジョン2021を閣議で発表した。同年12月には季刊誌「ビジョン」をリーム ハーシミー国務大臣の下で刊行し始めた。同大臣はドバイで開催されるEXPO 2020の本部長(DG)を務めている。 これら「ビジョン」は言うまでもなく長期国家目標であるが、外的環境の変化が激しく、目標を設定した時点から諸々の経済条件や政治的環境が乖してしまい、達成度の検証が困難になっている。2000年代半ばからの大きな事象で言えば、2007年7月に原油価格が史上最高値をつけた。2011年2月から「アラブの春」と言われた一連の政変の波が中東に押し寄せ、エジプト、チュニジアでは政権が複数代わり、シリア、イエメン、リビアでは政変から内戦の泥沼に陥った。GCC(湾岸協力会議)のなかでも政治的要求を掲げて王家や首長家に対して抗議する動きが現れ、安定化のために多大な資源を費やしたし、近隣の戦乱のために戦費のほかに死傷者まで出している。2014年からは原油価格が下落し、今や最高値の半分以下にまで下がっている。 こうした国々では、将来展望を掲げて、それに向かってすべきことと時間割とを明確にして、一つ一つ達成し離りかい9. ビジョンが生まれた理由と背景の考察 これまで述べてきたビジョンと、その実現のための各種プログラムを段階的に打ち出し、これらを実行していくならば、サウディアラビアはこれから変革期に突入すると考えられる。82016.7 Vol.50 No.4アナリシス@世界最大の原油輸出国としてのサウディの今後を探る上でも、一体、なぜ、このタイミングでビジョンを出してきたのか、このビジョンの価値や実現可能性を考える上では、まず同王国について、国柄や人口動態といった特徴に加えて、現在、この国が置かれた状況を踏まえた上での考察が必要と考える。 逆に、これらビジョンや各種プログラムの提示がなされなかったら、どのようなリスクがあったのか。すなわち、サウディが国として抱える内外のリスクについても、次章から考えてみたい。10. 国家展望を打ち出したサウディの内的事情(1) 人口動態:サウディ国民の若さ まず、この王国では、25歳以下の人々が人口の過半数を占めており、日本に比べれば大変に若い国だということを思い出しておきたい。前述の「Beyond Oil」では、30歳以下の国民が7割を占めるとされている。そうした若い国民にとっては、2001年末からの原油価格高騰に伴う国民経済の富裕度の高まりは14年間に及び、物心ついて以来、ほとんどの経済問題は王家が解決してくれるのが常態化した人生を送ってきた。そうした若年層に対しては、いきなり職に就かせる前に、訓練教育が必要だという意識や、就労意欲の醸成から開始しなければならないのが現実だ。同様の君主制度を採り言語と社会慣習を共通にする近隣GCC諸国の外交官のなかには、自国と比較して、サウディ行政府の教育体制は、基礎段階はともかく、高等教育や職業訓練段階で立ち遅れていると指摘する見方がある。社会に出て活躍できるだけのスキルを身につけさせる教育訓練が重要だという指摘である。 特に若年層の希望や志に効果的に応えていくことは、「アラブの春」で起きた政変を未然に防ぐためにも必要なことと見られている。石油収入を分配しておけば、国民全員が満足するといった単純な手法では、変化に富み、不安定要素の多い中東地域で安定的な国家運営を続けていくことは容易でない。これから変動の大きい時代を切り拓こうという若年層に対しては将来の展望を示すことが特に重要となるのは、論を俟たないと考える。ひらまの盟約」を結んだことに発する。この盟約に則って国を統治するとの支持と信任を地元民から得ているということがサウード王家の統治の正統性の根拠となっている。ちなみにビジョンの最初の基本コンセプトもイスラームについて書かれている。 現在のサウード王朝は、第3次であり、第1次はエジプトから遠征してきたムハンマド・アリーの軍との戦いに敗北して主権を失い、第2次は跡目を争って弱体化して主権を喪失した。こうした苦い試練を乗り越えて現在のサウード王家は支配体制を確立している。(3)サルマーン国王の政権 1932年に初代アブドルアジーズ国王が現王国を建国して以来、2015年1月23日に即位した現サルマーン国王は第7代目となる。第2代サウード国王からは初代アブドルアジーズ国王の遺志により子の世代、いわゆる第2世代で王位を継承してきたが、高齢化が進み、やがては孫の第3世代の国王に引き継がれていく日が人々の意識に上るようになっている。サルマーン国王は就任直後に、主要王族で構成される「忠誠委員会」を召集して承認を得た上で、第2世代のムクリン ビン・アブドルアジーズ副皇太子を皇太子に昇格させ、ムハンマド ビン・ナーイフ内相を副皇太子に就任させた。この時は、ついに第3世代に王位が引き継がれることが現実のものとなり、大きな関心を集めた。(2)サウード王家とは 「サウディアラビア王国」は、アラビア語で「サウード家のアラビア王国」の意味であり、国名に家名を用いているとおり、サウード家が統治する王国である。現在のサウード家は、1744年に先祖のイブン・サウードが、政治思想家のイブン・アブドルワッハーブとの間で、イブン・アブドルワッハーブの理念(以下、ワッハーブ理念)の国をそれぞれ法的、武力で建国するとの「ダルイーヤa. 皇太子、副皇太子の異動 サルマーン国王は2015年4月29日に、第2世代のムクリン ビン・アブドルアジーズ皇太子を廃して、第3世代で副皇太子だったムハンマド ビン・ナーイフ内相を皇太子に昇格させた。代わりにムクリン殿下の子息であるマンスール殿下を国王顧問に就任させている。ムクリン殿下は、1945年9月生まれ(70歳)。アブドルアジーズ初代国王の35番目の実子でありサルマーン現国王の9石油・天然ガスレビューサウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後墲セ。英空軍クラウンウェル士官学校、米国軍参謀養成課程で学位を取得した後、1965年に空軍入隊。ハイル州知事、マディーナ州知事などを経て、2014年3月末に副皇太子・第1副首相に任命されており、2015年1月のサルマーン国王就任に伴って、皇太子に昇格していた。皇太子位の生前交代は、同王国の歴史上でも極めて異例のことだった。 代わって皇太子に就いたムハンマド ビン・ナーイフ王子は、1959年8月生まれ(56歳)。皇太子が14歳若返ったことになる。若返りよりも関心を集めたのは、次の国王は第3世代から出ることが決定付けられたことであった。さらに、副皇太子にはサルマーン国王自身の子息であるムハンマド ビン・サルマーン国防相を就任させた。新副皇太子は1985年8月生まれ(30歳)で、大幅な若返りをサルマーン政権が進めた。b. 再度の皇太子、副皇太子の異動と内部対立説は、ビジョンで霧消まいたと英ガーディアン紙が報じた。 一般論としても大きな改革に抵抗感が生じることがあるように、サルマーン国王の大幅な若返り政策にも、反対する動きがあると外国のメディアが報じた。2015年9月には、初代アブドルアジーズ王の孫にあたる王子たちの一部が、王家内にサルマーン国王らの交代を求める文書をばら撒 2016年1月に入りザ・インデペンデント紙が、ムハンマド ビン・サルマーン副皇太子について「副皇太子就任以来、ロシア、フランス、パキスタンを訪問して、国防のための交渉を重ねる姿や、経済改革面で展望を持ち、それを国民に開示する姿勢は、若年層の情熱的支持を得ている」と評した。その上、国内的な支持は、政治的ライバルのムハンマド ビン・ナーイフ皇太子を凌ぐとも評し、父親のサルマーン国王については加齢による衰えがあるとした。 さらに同月、今度は米NBCニュースが「皇太子と副皇太子とが、どちらが次の国王になるのか争いを始めている」と報じた。また、ザ・サンデー・タイムズは「サルマーン国王が、夏前にも再び、皇太子を廃して副皇太子を昇格させそうだ」と報じた。イランのFNA通信は「ムハンマド ビン・ナーイフ皇太子は、父親のナーイフ元皇太子以来、内相を務めており、治安工作機関を配下に置いている。こうしたことからその機関を使って、自分が元皇太子から廃位されないように、既に対策を講じている。これは、有力王族や部族長の動静を監視し、敵を排斥し味方を重用していくというものである」との記事を出した。 ビジョンが出されたのは、何か起きるのではないかとしの懸念されたまさに夏前のタイミングにおいてであった。しかし、こうした内紛についての見方は国家展望「ビジョン2030」が出てからは、雲散霧消してしまった。その裏事情を次項に示す。(4)スデイリー・グループへの権力集中 サウード王家の内部対立には、さらに別の構図もある。それはスデイリー・グループ*3にのみ権力が集中しているという意識が高まり、疎外された側で不満がうっ積しているということである。 2015年1月23日にサルマーン現国王が即位し、それから3カ月余りを経た4月29日に、サルマーン国王がムクリン殿下の皇太子兼副首相、国王顧問、国王特使といった役職を解任した。この結果、国王、皇太子兼内相、副皇太子兼国防相の全てのポストをスデイリー・グループが占めることとなった。 既述のように、そもそもサウディアラビア王国で存命中に皇太子がポストを外されるというのは、異例のことである。しかも、アブドッラー前国王が副皇太子に任命し、その際には「いかなる方法、形式、人物によっても、この任命を変更、修正してはならない」とも勅命を出している。しかも、ムクリン殿下の解任はアブドッラー前国王の遺志にも反する行為であった。これが、スデイリー・グループに対する非難として水面下に沈殿した。 こうした動きに対して、ビジョンでは、世界最大の国家ファンドをつくり上げ、投資事業を大きく展開していくことや、王国の地理的な優位点を活用して物流ハブ(hub)となる構想などを示している。これは、これまで石油の富の分配で国を経営してきたやり方はそのままに、新しいパイを増やそうとするものであり、疎外されたと受け止めていた側にとっては新たな活躍の場が提供されたことを意味する。しかも、この構想をスデイリー・グループが主導して実現するとしている。でん(5)若き副皇太子とサウディ社会における長幼の序 サウディ国内の特に若年層は、30歳の若いムハンマド ビン・サルマーン副皇太子兼国防相を強く支持している。 しかし、伝統的なアラビア半島の社会規範にも「年長者の尊重」や「長幼の序」はある。サウード王家内には、副皇太子よりも年長の有力王族は多くいる。例えば、2015年1月23日にサルマーン国王政権が誕生した折に、副皇太子として、現在のムハンマド ビン・ナーイフ皇太子を就任させたが、その際には、有力王族の諮問機関であ102016.7 Vol.50 No.4アナリシス驕u忠誠委員会」を召集し、同委員会の指名を得て就任を決定している。これは、故アブドッラー国王の子息*4で閣僚級でもあるムトイブ ビン・アブドッラー国家警備隊司令官など、同じく第3世代の次期後継者候補らが、王位継承の候補から外れていく上で、王家内部の合意と承認を確実に踏まえておくための措置と見られた。①サウード王家の王位継承のルール アラブ・イスラーム社会は父系制*5を採るが、1953年にアブドルアジーズ イブン・サウード初代国王が逝去して以来、親から子へという縦への相続ではなく、遺じゅん言に従って兄から弟へという横への相続を行うことを遵守してきた。ムクリン前皇太子で第2世代は最後となり、現皇太子が王位に就くとなれば、第3世代から初めて国王が誕生することとなる。 初代アブドルアジーズ国王の現在の王国建設に至るまでの歴史上では、度重なる内紛を起こして弱体化した教訓が強く生かされており、徹底して一家一族の結束を強化することを最優先して、兄弟間で王権を引き継いできた。1992年に、当時のファハド国王が定めた統治基本法のなかでは、王位の継承は初代アブドルアジーズ国王の子孫に限ることが規定されている。幸いなことに建国以来、サウード家の内紛が現れることはなく安定性を示しているが、兄弟間での相続を続けているために、代を経るごとに国王が高齢化してくるという弊害が現れてしまう。公式発表でも故アブドッラー前国王は崩御した時点で91歳、現サルマーン国王も80歳と言われている。②王家第2世代への未練 長寿を全うした先代の故アブドッラー国王は2005年8月1日に即位した時点で81歳になっていたし、その前のファハド国王も逝去した時には84歳であった。いわば、今世紀に入って以来、サウディではすべて国王の年齢が80歳を超えていたと言える。サウディ国民の大きな割合を占める年齢層にとってみれば、物心ついた頃からずっと、国王とは80歳を超えた老人であり、自分たちよりはるかに年上の存在であった。換言すれば「為政者とは老いているものだ」というのが彼らの“常識”となっていた。 2015年4月、30歳のムハンマド ビン・サルマーン副皇太子が就任、これまでの“常識”を覆して王国の経営らつに辣腕を奮い始めた。為政者の若返りは、サウディ国内でも長年、望まれていたことではあった。ムハンマド ビン・サルマーン副皇太子は、経済開発評議会に主要閣僚を入れて、新しい政策を次々と打ち出し、国の経営を主導し始めたことで、サウディ国民の側でも、自分の国の為政者が一気に約50歳若返ったことに気がついてはいる。しかし、そうした現実を、気持ちの上で受け入れるのは、容易なことではない。11. 宗派対立の高まりと国内地域間の分離状況について 2015年9月11日、メッカのハラム・モスクでクレーンが倒壊し、少なくとも107人が死亡、238人が負傷する惨事となった。同月24日には大巡礼(ハッジ)の石投げの儀式で過去最悪となる圧死事故が発生、少なくとも2,181人が死亡し、多数の重軽傷者が出た。いずれもサルマーン国王政権の権威に大きなダメージとなった。 現在は、イスラーム理念とサウード王家の統治下で国としての一体化と均質化を進めているが、アラビア半島は、地方ごとに気候風土の違いがあり、それに従って地方ごとで主となる産業が異なる。こうした特色は、その土地に暮らす人々の生活やメンタリティーにも多大な影響を及ぼしている。(1)東部シーア派宗教施設への攻撃 2015年5月22日、金曜の昼の集団礼拝時に、東部の)区のカディーフ(アル・カティーフ()市にあるシーア派*6フセイニーヤが爆弾攻撃され、21人が即死、負傷者数が80人以上となる大惨事となった。報道によれば、爆破当時、狭い場所に150人以上が集まっていた。この事件が及ぼした衝撃は大きく、サウディ治安当局はモスクやフセイニーヤの警備態勢を強化した。 しかし再度の攻撃が発生した。10月16日、サウディ東部州カティーフのシーハート(セイハート)地区のシーア派施設(ハイダリーヤ・フサイニーヤ)に武装した男が銃撃、これにより女性1人を含む5人が死亡、9人が負傷した。サウディ内務省は、犯人が自爆用爆弾を体に装着していたが、爆発させる前に警察が犯人を銃殺したと発表した。これに先立つ10月7日、東部州アワーミーヤで治安機関が自動小銃を含む大量の武器を発見・押収した事件があったばかりであった。11石油・天然ガスレビューサウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後シアラビア西アラビアサウディアラビアサウディアラビアジェッダマッカワッハービスタンワッハービスタン南アラビア南アラビアイエメンイエメン0500kmマディーナリヤード海紅 クルディ・スタンクルディ・スタンアラウィ・アラウィ・スタンスタンシリアシリアスンニ・スタンスンニ・スタンイラクイラクシーア・スタンシーア・スタンカフジ北アラビア北アラビアペルシャ湾ダンマーム東アラビア東アラビアホフーフバーハバーハアスィールアスィールナジュラーンナジュラーンジーザーンジーザーン出所:各種資料を基に作成イエメンイエメン0500km図1 地域分裂の可能性シリアシリアイラクイラクイランイランジャウフジャウフタブークタブークフドゥートフドゥートアッシャマリーヤアッシャマリーヤカフジペルシャ湾ハーイルハーイルオネイザカシームカシームダンマームダハラーンホフーフリヤードサウディアラビアサウディアラビアリヤードリヤードシャルキーヤシャルキーヤジェッダマッカマッカマッカマディーナマディーナマディーナ海紅 銃撃事件後、「イスラーム国のバハレーン県」名義でインターネット上に犯行声明が出された。ただし、この名義で犯行声明が出されたのは、今回が初めてであり組織の実在性について疑義が持たれている。それでも、厳戒態勢のなか襲撃が起きたことで、治安当局は大きなショックに見舞われた。2015年のシーア派行事であるアーシューラーが10月24日に当たり、この日に向けて、シーア派に反感を募らせる過激派の攻撃を警戒していた治安当局は、警備態勢を最高レベルに引き上げて警戒に当たっていた。(2)東部州の住民と宗派 サウディ政府は宗派別人口分布を公開していないが、東部州の住民には、建国以前からシーア派が多い。アル・カティーフ市の古くからの住民はアラブ民族であっても、大半がシーア派であり、その教義はイランと同様の十二イマーム派*7のコミュニティである。民族的には、むしろイラン西部のフーゼスタン地方の住民が民族的にアラブ民族と言われ、サウディ東部州と共通する。同じ民族であるため外見から明確な区別は困難である。シーア派は、サウディ政府が許可しない独自の集会所を設けており、これをフセイニーヤと呼ぶが、東部州には多数のフセイニーヤが設けられ、そこでの活動も活発である。 シーア派人口についての正確なデータは公表されていないが、少なくとも100万人は超えていると見られる。王国全体の人口については、2016年2月4日、政府統計情報局の発表によれば、2015年の人口総数は3,152万人で前年比2.4%増となっている。内訳はサウディ人2,110万人、外国人1,040万人。2004年に2,260万人だった人口は2009年には2,540万人となり、3,000万人に達したのは2013年としている。 2016年1月3日、サウディはイランとの断交を発表した。東部州の住民に対しては、当局からの監視が厳しくなり、住民にとって、これは圧力である。 Saudi Aramcoの本社は東部州のダハラーンにあるが、サウディ国籍の一般社員のなかにもシーア派は約30~40%含まれている。(3)国内地域間の分離について 図1は、米国の中東専門家で米国平和研究所とWoodrow Wilson国際学術センターの共同研究員であるロビン・ライト女史が2013年9月28日付で、ニューヨーク・タイムズに寄稿した地図を基に作成したものである。英仏の都合で引かれた国境線にはさまざまな矛盾が内包されているとしている。一つには、国境線を引いた当時から100年以上を経て、地域の人口動態や経済情勢が大きく変わったこと。また、地元の人々の民族や宗教コミュニティ面での共通性はもちろん、あるいは米国の立場から見ても現在の国境割りには修正すべき点は多々生じてきているとしている。 ロビン・ライト女史は、部族と宗派が複雑に混在するサウディアラビアは潜在的に次の5地域の地方権力に分122016.7 Vol.50 No.4アナリシスナ共通することから産業面でも共通点が多く、先祖を同ちゅうじくするという部族の紐にも強いものがある。こうしたことからイエメン攻撃に対する厭戦機運が高まっていた。北部は、ヨルダンに隣接し、部族などに共通性がある。帯たい裂する可能性を秘めていると指摘している。すなわち、東アラビア(シーア派地域)、中央部(ワッハービスタン)、北アラビア、西アラビア(マッカ、マディーナの二大聖地を擁する)、南アラビア(イエメンに隣接)の5地域である。①各地域の特性 東アラビアにはシーア派が多く、かつ油・ガス田も集中している。アラビア半島西側には、マッカとマディーナという二大聖地を擁しており、年間を通じて巡礼客を受け入れることで地元経済界が潤う、いわば観光産業の中心でもある。マディーナに近いジェッダ市は、人の往来により、中世から中継貿易の中心地でもあった。南部アスィール地方は、イエメン北部とは地形面や気象環境②地域間分割について こうした国内地域の分割に対してビジョンは、歯止めをかける作用を持っている。そこでは、自国をアフリカ、つなユーラシア、アジアが繋がる重要な地点に位置するとし、これは、経済発展に役立てるという観点を含んでいるからである。また、2030年に向けた国家展望を示すことでサウディ世界の一体感を打ち出そうとの意図も秘められているからだ。12. 内外からのゲリラ攻撃の状況(1) これまでのサウディ国内での反乱、反政府武力活動についてせんめつ 現在のサウード家の下でサウディアラビア王国が建国された過程では、政治理念に絡む対立から戦闘で殲滅されたイフワーン*8軍団を除けば、内乱と呼べる大規模な反乱は起きていない。近年での大きな事件としては、1979年11月20日(ヒジュラ暦1400年元日)に発生した、マッカ聖モスク占拠事件がある。翌日から陸軍、国家警備隊、治安部隊から5万人を出動させて鎮圧に当たったが、完全に鎮圧するまでにはパキスタン、仏の特殊部隊の応援を得て、12月4日までを要した。犯人側は、死者75人、逮捕者170人に上り、大半がサウディ人であり、同じワッハーブ派の者たちであったことから、サウード王家の支配の安定性について議論が起こされるきっかけとなった。①アラビア半島のアル・カーイダ 2009年1月にはイエメンとサウディの武装勢力が合流する形で「アラビア半島のアル・カーイダ」(AQAP)が結成され、その後、アラビア半島の内外で、イエメン、サウディの両政府および外国権益が狙われ、AQAPによると見られるテロ攻撃が続発した。2009年2月、サウディ政府は最重要指名手配犯85人を指定し、8月には「アル・カーイダ」関係者として44人を拘束した。しかし、同月にはジェッダ市で、当時は内務次官であったムハンマド ビン・ナーイフ皇太子の爆殺未遂事件も起きた。 最近では、イエメン国境付近で、2014年4月にサウディの国境警備隊が攻撃され、同隊員数人が犠牲となった。同年7月には、南部のナジュラーン州でも国境警備隊が攻撃された。また、11月には、東部州のアル・アハサー県でシーア派を標的とした攻撃が発生した。②義勇兵の帰還 シリア、イラク、リビアなどでは内乱が続いており、国際的過激派組織「イスラーム国」(IS)も戦線に加わっている。ISの戦闘員には外国からの義勇兵も多く参加しているが、サウディアラビアから参戦していった者も多数含まれると見られている。この先、中東の国々での内乱が収まった後、戦場を失ってサウディに帰還した義勇兵たちが、自国社会に適応しきれずに事件を起こしたり、あるいは反政府のグループに参加したりすることも懸念されている。(2)石油生産出荷施設への攻撃について①エジプト・シナイ半島でのパイプライン攻撃の例 サウディの石油生産・出荷ルートの集中化に対する攻撃を考える上では、2010年から2013年にかけてエジプトのシナイ半島で頻発した、ガス・パイプライン(PL)に対する爆破攻撃を参考に振り返ってみたい。 エジプトは地中海で生産された天然ガスを、シナイ半島北部を経由して、イスラエルに輸出していたが、口径13石油・天然ガスレビューサウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後6インチのパイプラインを使用して2.3Bcm/yのガスを送っていた。これは原油換算では約3万8,000boe/dに相当する。 2011年当初から起きたエジプトの「アラブの春」では、カイロのタハリール広場で20万人余りの群衆がムバーラク政権への抗議デモを行い、同年2月11日には大統領の辞任が発表された。その後、移行政権による統治と大統領選挙を経て、2012年6月30日にはムスリム同胞団を支持基盤としてムハンマド ムルシー大統領が誕生する。ムルシー政権自体は翌2013年7月3日にクーデターで崩壊したが、その間、エジプト国内のエネルギー事情は悪化の一途をたどり、国内のガス需要が生産量を上回り、イスラエルへの送ガスは消滅していく。この間、反シオニズム主義の過激派などが活動を活発化させてイスラエルとの関係も悪化し、イスラエルへの送ガスPLを数十回にわたって爆破した。 こうした武装過激派の活動は、現在に至るも完全に封じ込めることはできていない。ただし、シナイ半島で爆破されたPLは、場合によっては1~2週間といった比較的短期間で修復を終了させている。②サウディアラビア東部に集中する石油施設 一方、サウディアラビアでの原油生産量はこの半年で1,000万b/dを超えており、大半が輸出に回されている。しかも、同国の油ガス田はほとんどが東部地区に集中しており、生産原油も世界最大の原油出荷ターミナルであるラッス・タヌラを中心にして輸出されている。ラッス・タヌラは、アラビア語で「タヌラ岬」を意味するが、岬の根元部分は巨大な石油タンク群がひしめき、原油処理能力55万b/dの大型製油所も併設されている。原油の出荷能力も数百万b/dとなるため、その貯蔵容量も、これに比例して大型のものとなっている。 エジプトのシナイ半島を横切るPLと、サウディ国内のPL網とでは、内部を流れる石油とガスの数量に圧倒的な差がある。 サウディ国内最長となるPLは、東部のアブカイク処理施設から西部のヤンブーのターミナルまで伸びる1,200kmの東西原油PLである。1981年に口径48インチ、185万b/dの送油能力で開始され、1987年には56インチPLが増設され、ポンプやタービンの増強によって510万b/dまで送油能力を高めている。次いでシュアイバ油田からアブカイクの処理施設まで638kmを結ぶ口径46インチのPLが敷設されている。 各油田からの生産原油が最も集中するアブカイク処理施設からカティーフ分岐点までの70km、さらにそこからラッス・タヌラ出荷ターミナルまでの27kmは、22~48インチまでの多様なPLが敷設されている。③石油施設が攻撃を受けた場合の影響 したがって、仮にサウディ国内の基幹PLが攻撃された場合の爆発規模と、これを修復するためにかかる時間とコストは、エジプトのシナイ半島に比べれば送油・送拡大図アル・ジュアイマペルシャ湾ラッス・タヌラ空港ラッス・タヌラ空港アル・ジュアイマラッス・タヌラ空港ラッス・タヌラ空港タンク空港・基地市街地アル・カティーフタールート島ラッス・タヌラペルシャ湾Saudi Aramco航空部ダンマームファハド国王国際空港ラッス・タヌラアル・カティーフタールート島ダハラーンアブドルアジーズアブドルアジーズ国王空軍基地国王空軍基地アル・ホバルマナーマSaudi Aramco航空部ファハド国王国際空港ダンマーム出所:各種資料を基に作成Saudi Aramco本社本社0km5図2 ラッス・タヌラとその周辺バハレーン国際空港バハレーン国際空港バハレーン海軍基地バハレーン海軍基地英海軍基地(建設中)英海軍基地(建設中)米海軍基地米海軍基地Bepco本社Bepco本社サヒール航空基地サヒール航空基地バハレーンShイーサー航空基地Shイーサー航空基地0510km142016.7 Vol.50 No.4アナリシスKス量の大きさから推して、非常に大規模なものになろう。サウディ国内の石油生産出荷施設が攻撃された場合には、国内のみならず、サウディ原油を輸入している国の経済にも大きな影響を及ぼすこととなる。 これら石油産業施設については厳重な守秘義務が課されており、産業関係者以外は接近も許されない。もちろん警備態勢も非常に厳重で、最新技術の導入にも積極的であり、かつ幾重もの警備態勢が敷かれている。また、40km以内の近さで米国海軍第5艦隊の母港となるバハレーンの基地があり、ダハラーンの空軍基地、ファハド国王国際空港、ラッス・タヌラ空港が同地域を囲むように配置されている。④新しいテロ攻撃の脅威 それでも、攻撃する側の技術革新が、近年、目覚ましい発達を遂げていることも懸念材料だ。例えば、近年急激に技術を伸ばしているドローン(無人機)が普及しつつある。従来では考えられなかった空中から、こうした施設に爆弾を投下することも想定される。さらには、従来は使用が限られていた軍用高性能爆薬(C4型)が、“テロ事件”で使われるといったことも起きている。そもそも伝統器な軍事力と、ゲリラ攻撃は非対称的とも言われる。こうした新しい装備、機材を使用した新しい方法での攻撃を想定してみるならば、攻撃対象の内部に通じた武装反政府グループから、全てのPLネットワークを完璧に防御することには困難が伴うであろう。 2016年1月29日、イランの国営プレスTVは、イラン革命防衛隊の無人機が、ホルムズ海峡を航行する米国海軍空母に接近し、撮影に成功したと報じた。ただし諜報面で、米海軍に損害はなかったとしている。 原油処理、貯蔵、集荷および精製の各施設が1カ所に集中していることは、産業面では効率的であるとはいえ、破壊攻撃からの防御の困難さと被害の大きさの観点からは、これが逆に作用し弱点となっている点には留意しておくべきであろう。13. サルマーン政権を取り巻く国際環境 ビジョンを打ち出したサウディの国際的状況を整理しておきたい。(1) サウディアラビアの対米協調路線と、米国とイランの関係改善 サウディアラビア王国が対米関係を機軸としている背景は、1935年に建国を宣言した時点で、ヨルダン、クウェイト、UAE、カタル、オマーン、イエメンという、イギリスの影響が強い国に囲まれ、しかもこれら諸国には英軍も駐留していたため。すなわち、サウディが独立を守るためにイギリスと対抗できる米国との同盟を選択したことに始まる。 イランでは1978年1月よりイスラーム共和革命が起き、米国と強い関係を保っていた前政権に代わって、「イスラーム共和政治体制」が誕生し、シーア派政治思想を国外にも広め始めて以来、サウディは米国とともにイランに対抗するという共通の利益の下、ますます米国との関係を強めてきた。 ところが、オバマ政権が2期目に入り、イランへの各種制裁を解く方向に舵を切り、2016年1月16日には、同制裁の一部解除が具体化したことで、イランは米国に15石油・天然ガスレビューじさせられることとなった。対して1979年の革命直後のような敵意は示さなくなりつつある。半面、サウディにとっては、単独でイランと対峙 湾岸アラブ諸国には、イランが急激に勢力を伸張させている背景には、米国がこれまで厳しい制裁を課してきたのを急反転させたことが、最も大きく作用しているとの見方が強い。湾岸アラブ諸国は、これまで米国と協働してイランへの制裁を課してきたが、制裁解除に一方的に踏み切った米国に対しては、湾岸アラブ諸国の間から強い不信の声が聞こえている。 サウディ内部では、米国の中東政策に永続的に依存しているだけでは自国の存立が脅かされるという危機意識を抱く者も増えつつある。(2)イランとの関係 1月3日、サウディはイランにおける外交公館が焼き打ちにあったことから、イランとの国交断絶を発表している。自国民がイランに渡航するのを禁じつつも、イラン国民の入国を禁止することはなかった。マッカへの巡礼を禁じることができないからである。今年の大巡礼(ハッジ)が9月11日前後から始まるのを控え、サウディサウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後ヘイランとの間で、イラン人が巡礼に参加するための、ビザの発給方法などについて協議を続けていたが、6月初めに協議は決裂し、両国とも互いに相手の責任と断じた。サウディ側はイランが巡礼参加のための安全や衛生に関する条件を受け入れないためとし、イラン側はサウディが適切な安全を確保できないからとして巡礼団を派遣しないと発表した。(3)近隣国でのイラン影響力の増大 〈イラク〉2003年3月より開始した米軍主導の攻撃でサッダーム フセイン政権を倒したが、近年では、シーア派主導による政権が続き、イランの影響力が強まっている。 〈シリア〉イランとの関係を強めるアサド政権が、反政府側の国民を攻撃し、内戦の犠牲者が25万人を上回る事態に陥っている。米国は空爆にこそ参戦したが、地上軍を派遣してシリアのアサド政権を退陣させることはしない。サウディは、アサド政権の退陣を明確に主張しているが、アサド政権はロシアとイランに支えられて、崩壊する兆しは見えない。今後、内戦が終結に向かうとしても、アサド政権は存続する可能性が高く、イランの影響力も拡大したまま残ることが見込まれる。 〈レバノン〉イランはシーア派政治勢力ヒズブッラーを通じて徐々に影響力を拡大しており、サウディアラビアはかねて警戒の度を高めていた。2016年2月19日、サウディはレバノンへの40億ドルの支援停止を発表した。そのうち30億ドルがレバノン国軍の装備購入、10億ドルがテロ対策に充てられる予定だった。 サウディが主導したイラン非難に、レバノンが棄権したことが具体的な理由として挙げられた。1月2日~3日にかけてイランのサウディ外交施設が暴徒の侵入を受けたが、サウディはイラン政府が適切な防止処置を取らなかった、あるいはイラン政府が関与したと見なしている。これに沿って1月10日にカイロで開催したアラブ連盟緊急外相会合では、イランのサウディ大使館襲撃を非難する声明が採択されたが、レバノンはこれを棄権した。さらに、1月21日にはOIC (Organization of the Islamic Cooperation:イスラーム協力機構)緊急外相会合がリヤードで開かれ、同様の声明が採択されたが、これをもレバノンは棄権した。 レバノン国内では、援助停止を受けてサウディへの連帯を示す運動や政治家の発言があったが、2月23日には、サウディアラビア外務省は、自国民にレバノンへ渡航しないよう、また現在レバノンにいる自国民は安全のために、国外に出るよう警告すると同王国国営メディアが報じた。同日中に、UAEとバハレーンが、翌24日はクウェイトとカタルが自国民にレバノンへ渡航しないこと、レバノンに滞在する自国民に対しても速やかに出国するよう促した。これでオマーンを除く全GCC諸国がレバノンへの渡航を差し止めることとなった。〈イエメン〉ハーディー大統領は、燃料費値上げなどで 国民からの支持が低下するなか、2014年8月、反政府シーア派系ホウシー部族勢力が首都サヌアを実効支配した。ホウシー派には、アリー アブドッラー サーリハ前大統領とその支持者や国軍が合流して勢力が拡大し、ハーディー大統領以下、政権幹部はサウディへの一時亡命を余儀なくされた。 2015年3月から、サウディはUAE、バハレーン、モロッコなどを引き入れて空爆を実施し、かつ地上部隊を派遣してホウシー派を攻撃、ハーディー政権もアデンに帰還したが、いまだに首都サヌアを攻略するまでには至っていない。イランはホウシー派側に武器弾薬を提供し、あるいは政治的に擁護する発言などを続け、物心両面でホウシー派を支援している。戦闘が続けられる一方で、クウェイトでの和平協議には小刻みな前進が見られ、予断を許さない状況が続いている。 このようにイラク、シリア、レバノン、イエメンと次々にイランの影響が強まる国が増えていく動きは、サウディにとっては、近隣で自分たちに敵愾心を抱く政権が増えつつあると映る。がい(4)中国との関係 2016年1月19~20日には、中国の習近平国家主席がサウディを訪問した。中国の国家主席としては2009年1月以来、7年ぶりであった。リヤードの空港にはムハンマド ビン・サルマーン副皇太子が出迎え、サルマーン国王との首脳会談の後、「包括的戦略パートナーシップ設立」に関する共同声明を出し、さらにガス冷却型原子力発電所の建設に関する覚書を締結するなど、大きな外交舞台となった。こうした陰で、1月23日、イランのファールス通信は、中国側が、習国家主席をムハンマド ビン・ナーイフ皇太子と会談させようと努めたが、サウディ内部の都合で実現しなかったことに激怒したということを報じている。同皇太子は、米オレゴン州ポートランド市にあるルイス&クラーク・カレッジに1970年代後半に留学し、1985年から1988年までは米連邦捜査局(FBI)の研修のため留学している。こうした経歴を基にして、ムハンマド ビン・ナーイフ皇太子は、米国との関係強化に専念しているということだ。162016.7 Vol.50 No.4アナリシスi5)ロシアとの関係 ムハンマド ビン・サルマーン副皇太子は就任後間もない2015年6月18日に、ロシア・サンクトペテルブルクで開かれた国際経済フォーラム出席に合わせてプーチン大統領と会談した。サウディからは外相、石油鉱物資源相、国軍、公安機関幹部らが同行し、ロシア側と石油や宇宙分野の他、原子力エネルギーの平和利用についても覚書に調印している。またイエメン問題についても協議を重ねたとサウディ側メディアは報じた。 さらに同年10月11日、ソチで開催されたGPレースの場外で、同副皇太子はプーチン大統領と会談している。両国外相が付き添い、会談では経済投資や軍事技術協力などのテーマに加えて、シリア問題が協議され、両国で共通の目標を追求することで合意したことが発表された。(6)最近の対米外交 2015年5月、キャンプデービッドで、米国・GCCサミットが開催されたが、この折には、サルマーン国王は欠席し、代わって皇太子と副皇太子の2人がともに出席した。この時、最高レベルの首脳を出席させたのはクウェイトとカタルのみであった。2015年9月4日、サルマーン国王は、オバマ大統領の招待に応じる形でワシントンに赴き、会談を行った。翌5日には、随行した副皇太子がカーター米国務長官と会談し、フリゲート艦2隻や小型巡視艇の購入について10億ドルを超える案件をまとめたと報じられた。 2016年4月20日、米国・GCCサミットがサウディのリヤードで開催されたが、サルマーン国王は他のGCC首脳を空港で出迎えたにもかかわらず、オバマ大統領が到着した時には出迎えず、冷えた姿勢を示した。22日、元サウディ情報長官で元駐米大使であったトルキー ビン・ファイサル王子は、CNNのインタビューで「サウディと米国の関係は今後とも、以前のような蜜月時代には戻らない」として、「サウディとしては米との関係を新たなベースで再構築すべきである」と述べた。 一方、米国からも、2001年9月11日の米同時多発テロにサウディ政府の関与があったとする議会報告書の秘密指定の28頁分の解除や、米議会が、自国民がサウディ政府をテロ支援したとして提訴できる法案を策定している動きが表面化した。これに対してサウディのジュベイル外相は、この法案はサウディが米国への投資を引き上げることに繋がると警告した。 さらに5月16日、米国財務省はサウディによる米国債保有額を3月時点で1,168億ドルと、2年前の827億ドルから増加したと明らかにし、1974年以降、伏せていたサウディの保有額を公開した。4月、ニューヨーク・タイムズ紙は、9.11テロ事件にサウディ政府が関与したとされ、また米国の裁判所でサウディ政府の責任を追及することを認める法案を米議会が可決した場合、サウディ政府は米国債などのドル建て資産7,500億ドルを売却することもあり得ると報じている。 2016年は大統領選挙の年として選挙期間に突入しているため、今後4年間の新政権とその政策は不透明である。 こうしたなか、ムハンマド ビン・サルマーン副皇太子は、6月13日から約2週間、主要閣僚らを率いて米国を訪問し、米国との関係修復に努めた。14. 「ビジョン2030」によるリスク低減作用 これまで、サウディアラビア王国がこの時期に抱えていた内外のリスクについて、欧米メディアの報道を踏まえて、複数の角度から抽出してみたが、ムハンマド ビン・サルマーン副皇太子が打ち出した国家展望「ビジョン2030」は、こうしたリスクに対して強い抑止効果を発揮したと考えられる。本年、80歳を超えるサルマーン国王も、このビジョンについて、国民に対し「第1の目的は成功し、開拓する国として世界のモデルになること。これを実現するため、あなた方とともに私は働く」と協力を呼びかけており、ムハンマド副皇太子への求心力を支えている。 加えて、年初に英エコノミスト誌のインタビューでSaudi Aramco のIPOについて明らかにしてから、4月25日にビジョンを発表。5月7日の内閣改造を経て、6月6日に「祖国変革プログラム」を打ち出すという流れは非常にタイミングよく、若いサウディ国民に希望を抱かせるに十分なものである。サウディは6月6日より断食斎戒の月であるラマダーン月に入っている。例年、ラマダーン月は、家族や地域に注目がいく期間であるため、対外的な課題や、新体制の発表といったことは、できる限りラマダーン月前に片付けておくというビジネス慣習がある。年初からラマダーン月まで、国家展望と実現に17石油・天然ガスレビューサウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後?ッたプログラムや内閣改造をテンポよく打ち出してきたことは、実に時宜にかなったこととなった。かつ、ビジョンの内容についても平均年齢の若い国民にとっては王室への求心力を高めるだけのインパクトを持つものであることがうかがえる。 なお、ムハンマド副皇太子は「祖国変革プログラム」を打ち出した翌週となる6月12日には経済開発評議会を開催し、翌13日に米国入りし、16日にはワシントンでオバマ大統領と、22日にはニューヨークで国連事務総長とそれぞれ会談し、27日の週には、パリでオランド大統領と会談する。そして今回の外遊に同行した閣僚は、財務、外務、内閣公安顧問、商務投資、エネルギー・産業・鉱物資源、公安情報、情報文化、王宮府総局長、王宮府顧問(閣僚クラス)など、多くの主要閣僚が含まれている。 昨年4月に副皇太子に就任して以来、ロシアのプーチン大統領、中国の習国家主席らと会談を重ねてきた枠組みが、今回の訪米で、また大きく変わっていくことと考えられる。また、ラマダーン月に重要となる国内での王家内や有力部族の長老たちとの会合は、サルマーン国王とムハンマド ビン・ナーイフ皇太子が行っている。こうした動きに対して、サウディの国民の意見は「精力的に、よく働く王子だ」と好意的な見方が多い。15. 世界最大の産油国としてのサウディアラビア 2015年5月、それまで石油省の傘下に置かれていたSaudi Aramcoは、石油省から分離され、ムハンマド ビン・サルマーン副皇太子が議長を務めるAramco最高評議会が同社経営の最高決定権を握ることとされ2015年9月に第1回会合が開催された。 クウェイトとの旧中立地帯で操業する企業を除けば、Saudi Aramcoが1国内の石油・ガスの開発・生産を行っている。サウディアラビアの原油生産量は史上最高レベルを維持している。一方、JODI(Joint Oil Data Initiative)のデータによれば、サウディの石油輸出量は12月の749万b/dから1月は784万b/dに増加している。いずれにしろ、石油生産量でいえば世界最大の石油会社である。 KACST(アブドルアジーズ国王科学技術都市)と英Oxford大学による第6回石油化学フォーラムがリヤードで開催され、KACST総裁トルキー殿下は国内の石油化学製品生産量は2013年の7,900万トンから2016年は1億1,500万トンに増加するとの発言が4月13日に国営ア表サウディアラビアの原油生産量年月2015年12月2016年01月2月3月4月5月出所:OPEC、JODI万b/d原油生産量1,0141,0251,0201,0181,0261,027ラブ・ニュースで報じられた。 こうした記録的な増産状況の理由について、興味深い発言が2016年2月23日、ヌアイミー石油鉱物資源相(当時)により、ヒューストンでのCERA(Cambridge Energy Research Associates)ウィークでダニエル・ヤーギン氏との対談でなされている。ヤーギン氏が「いつ増産する決断をしたのだ?」とヌアイミー石油相に質問したのに答えて、「2014年11月に非OPECの業者とミーティングした際、“原油価格の下落について、一体、どうする気だ?”と質問したら、なにもしないという答えが返ってきたので、それなら、市場原理に任せて、とことん勝負する気になった。その場合、生産の“限界コスト”が安い者が最終的に生き残る」と語った。 一方、透明性の確保や説明責任という点では、Saudi Aramcoからの発信が多くなっており、大きな前進が見られる。例えば、ツイッターを使った会社情報の発信は、2009年6月から開始し、2016年6月2日までに、3,352件を発信しているが、最近、確実に発信量を増やし、6月だけでも74件を発信している。またユーチューブでの動画配信も複数言語で発表しており、リクルートを想定したと思われる従業員が語る会社説明は24本、一般的な会社説明は15本、韓国語や中国語の他日本語でも7本の動画を配信している。(1) Saudi Aramcoの役員人事異動 (東京で役員会開催) 2016年4月19日にSaudi Aramcoは、日本で役員会を開き、役員人事の異動を次のとおりに決めたことを4182016.7 Vol.50 No.4アナリシス?27日付の社内の週刊リポートで明らかにした。発令は5月1日付。・ アミーン ナーセル:社長兼CEO(再任)・ ナビールAアル・マンスーリー:General Counsel and Corporate Secretary.(サウディ国民として初の就任)・ デビッド コルゲン:上級副社長 ・ アブドルハーキム アル・ゴウヒー:産業事業担当副社長(昇任)・ サイード アル・ハドラミー:国際操業担当副社長(昇任)・ アハマド アッ・サブエイ:営業供給担当副社長(昇任)・ サラーハ アル・ハラキー:経理担当役員(以上、敬称略) 5月7日、サウディアラビアのヌアイミー石油鉱物資源大臣の後任にファーリハ Saudi Aramco会長が任命された。 同日、サルマーン国王は勅令を発して内閣改造を行い、石油に加えて水・商務・保健・運輸・社会事業・巡礼に関する閣僚人事の異動ならびに省庁の統廃合・新設を行った。1995年8月から職にあったアリー ヌアイミー石油大臣(1935年生まれ)は任務を解かれ王宮府顧問に任命された。後継は、ハーリド アル・ファーリハ保健大臣(コラム、写4)が横滑りし、併せて職名は「エネルギー・産業・鉱物資源大臣」に変更された。 翌8日、ハーリド アル・ファーリハ大臣は就任後の声明で、同国の石油政策に変更はなく、これまでの安定した政策を継続し、国際石油市場における同国の役割を維持し、エネルギー供給者として世界で最も信頼される立場を強めていくと述べた。サルマーン国王体制が2015年1月にスタートし、4月に皇太子・副皇太子の異動などを経て、今般の内閣改造に至った。かねてヌアイミー前大臣は高齢(80歳もしくは81歳)により交代が近いと見られており、今回の内閣改造で交代となった。 また、保健大臣にはDrタウフィーク アッ・ラビーア商務産業大臣が横滑りした。(2)アミーン ナーセル氏の方針Saudi Aramco新CEOが増産継続を発表 5月10日、Saudi Aramcoのアミーン ナーセルCEOは、東部州ダハラーンの本社で記者会見を開き、以下のように発言した。① 引き続き原油生産を拡大していく。世界の需要も2016年は120万b/d増加すると見ている。② 株式公開(IPO)につき、現在社内チームが準備作業中ハーリド ビン・アブドルアジーズ アル・ファーリハ新大臣()〈プロフィール〉・生年: 1960年 リヤード生まれ。ダンマン育ち。・学歴: 1982年 米テキサス州A&M(農工)大学卒業(機械工学) 1991年 ファハド国王大学修士号取得(石油鉱物資源工学)・職歴: 1979年~ Saudi Aramco入社 1992年~ 同社コンサルティング・サービス部門(CSD) 1995年~ ラッス・タヌラ製油所メンテナンス部門マネージャー 2004年10月~ Saudi Aramco取締役 2009年1月1日~ 同社CEO&社長 2015年5月1日~ 保健大臣兼Saudi Aramco会長 2016年5月7日~ エネルギー・産業・鉱物資源大臣兼Saudi Aramco会長・社会活動: ダンマン市評議会議長、スルターン ビン・アブドルアジーズ王子基金理事、アブドッラー国王科学技術大出所:サウディガゼット、2016年2月23日写4 ハーリド ビン・アブドルアジーズ アル・ファーリハ新大臣学理事、JP Morgan国際評議会メンバー19石油・天然ガスレビューサウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後ナ、間もなく同社最高協議会に諮る予定。③ 海外の米国、インド、インドネシア、ベトナムおよび中国で合弁事業の展開を検討中。 同社が記者会見を開くことは極めてまれなこと。即日、フィナンシャルタイムズ、ウォールストリート・ジャーナルなどが報じた。(3)力強いSaudi Aramcoの事業活動 この数カ月間で同社ウェブサイトの画面設計および内容が、日々、細かく更新されるようになってきた。これも透明性の向上の一つと言えよう。5月26日、Saudi Aramcoは2015年 年次報告書を発表 同社のウェブサイトで公開された年次報告書は全データ量で10.5MBに上り、詳細に事業活動を説明している。ただし、売り上げや利益、貸借関連は一切記載されていない。主なデータは次のとおり。・原油とコンデンセート埋蔵量:2,611億バレル。・ ガス埋蔵量:297.6Tcf。・ 原油生産量:37億バレル(1,014万b/d)・ 粗ガス生産量11.6Bcfd・ 販売ガスとエタン生産量:7,979Mcfd・ NGL(炭化ガスより):4億7,440万bbl(130万b/d) Saudi Aramcoはラッス・タヌラ製油所(原油処理能力55万b/d)の拡張プロジェクトを進めており、総額30億ドルのEPC(Engineering, Procurement, Construction)契約の入札を行っている。わが国のエンジニアリング企業に加え、韓国Hyundaiエンジニアリング、台湾CTCIなどが入札に参加していると見られている。 また、Hasbah沖合ガス田からの生産を開始した。生産能力は1.3Bcfdであり、隣接するArabiyahガス田(同1.2Bcf)と合わせ2011年に総額46億ドルのWasitプロジェクトとしてEPC契約が交わされている。なおHasbahガス田の拡張EPC工事の入札が行われている。 Kayan石油化学、Sadara化学の合弁事業Saudi Butanol(SABUCO)のプラントが商業運転を開始した。約20億リヤルを投じてジュベイルに建設されたプラントの能力はn-butanol年産33万トン、Iso-butanol同1万1,000トンとなる。 エタン、プロパンおよびNGL回収プラントのEPC入札が行われており、契約規模は総額8億~9億ドルと見込まれる。シャイバ油田の拡張プロジェクトが竣工間近 Saudi Aramcoは、アラビアン・ライト原油を生産するシャイバ油田の生産増大のため、2011年にSamsung Engineeringと4億1,000万ドルでEPC契約を結んでいる。6月中にも竣工が見込まれるが、竣工後には、原油の生産量が33%増加して100万b/dを超えることが期待されている。Saudi Aramcoは20億ドルの発注を近く行う サウディはハスバ・ガス事業を含む洋上施設についての大型契約を近く結ぶことが明らかにされている。今後、1~2カ月のうちに、契約金額が20億ドル以上になる最終契約が調印されると見られる。 Saudi Aramcoの海外事業展開も進められている。4月初め同社のアル・ファーリハ会長と会談したインドのPradhan石油相は、サウディ側がインドの石油精製、石油化学プロジェクトに参入することを検討中であると語った。この会談では、インド西海岸のBinaの120万b/d製油所とDahejの石油化学プラントへの資本参加について協議している。 また、同社はスーダンとも紅海の海底鉱物資源の開発を目指すことで5月初めに合意したことが発表された。紅海の地下2,000mには200億ドル相当の金、銀、銅などの鉱物資源が眠っているとされ、2020年までに開発に着手する予定とのこと。グループ企業の動き Saudi Aramcoは原油-製品直結型の合弁事業を立ち上げるためにSABIC(サウジ基礎産業公社)と覚書を締結すると5月11日に発表した。ナフサから石化製品を製造する従来方式ではなく、原油から直接、石化製品を製造する。建設費は300億ドルを見込んでいる。Saudi AramcoはこのほかRas Al-Khairで海上用リグ、船舶などの製造を手掛ける。ただし、SABICはSaudi Aramcoとの統合について、否定した。 再生可能エネルギーについては、2030年までに9.5GWを発電する目標を掲げたが、2020年までには3.5GWを発電させるとして、Saudi Electricity Co.が同国北部のアル・ジャウフとラファハの2カ所にそれぞれ50MW、計100MWの太陽光発電所を建設するための入札を開始し、6月20日を期限に国際的企業に参加を呼びかけた。同社はリヤードに上場している企業であるが、株式の大部分をサウディ政府が所有している。202016.7 Vol.50 No.4アナリシスワとめ ビジョンでは、希求する未来像を全て描き出しており、手が届く項目もある半面、あまりに野心的過ぎる項目も並列して掲げられている。2015年12月にMcKinseyが発表した「Beyond Oil」に引きずられた面はある。「Beyond Oil」が英語版で公表され、ビジョンは英語とアラビア語、その後に出された「祖国変革プログラム」は最初、アラビア語で公開された。当初は米系コンサルタントの提言だったのが、時間の経過とともにボトムアップの要素が高まったことがうかがえる。 この傍らでは閣僚をはじめ軍治安機関の人事や組織の改革も行われている。少なくとも一連の流れのなかで王国のあり方を大きく改革し変容させる過程に入っていると思量される。 一部には実現困難な目標も掲げられてはいるが、スタートしたばかりのサルマーン国王政権を安定させ、現在のサウディが抱えている内外政治・社会面の閉塞感を打ち破るには十分な国家提言となっている。 ビジョンで描く今後の国家像を全体で見るならば、国内在住外国籍の人物や女性の活動領域に設けていた柵(バリア)を撤廃し、経済面では新産業分野や民間部門を大きく育成させることと言える。その背景と理由については、国内の若年層へ夢と希望を与えて閉塞感を打破することと、国外のライバル国との競争に打ち勝つこと。 エネルギー業界については、原油生産能力は据え置き、ガス生産能力と再生可能エネルギーを拡大させ、精製部門と石油化学産業は国内外ともに拡大させていく方向が明確である。 また上場や融資によって資金を得て、それを事業投資に充て、流通や物流の支配力を拡大させていく面も現れてきた。特に、石油・ガスに代表される国家資本産業以外の領域拡大が実現していけば、国内エネルギー産業の活動が相対的に視界からかき消される時期が到来することが予想される。 このような転換期的状況を前提すると、Saudi AramcoのIPOも金融工学を駆使して実施されることが考えられる。 世界の原油輸入量が3,768万b/dとなり、湾岸産油国が占める輸出量は1,928万b/dと半分を超えた(BP統計2015)。とりわけサウディは713万b/d(Saudi Aramco 2015報告書)と大きなウェイトを占め、日本をはじめアジア圏での産業維持のためには当面極めて重要な供給元であることに変わりはない。<注・解説>*1: Bloomberg Limited Partners:1982年、ニューヨークでInnovative Market Systemsとして設立。1981年10月、Salomon Brothersを退職したマイケル・ブルームバーグ氏(第108代ニューヨーク市長)が退職金を元手に、Merrill Lynch向けに債券の取引情報業務を手掛けたのが最初。1986年、現社名に変更。現在は、通信社、TV/ラジオ、雑誌などのメディア事業を展開し、世界192カ所に拠点を設け、社員数は全世界で1万9,000人、東京支局にも約600人の社員を置いている。ライバル関係にあるのは、Reuters、Dow Jones、SPEEDA、Quickなど。現会長:Peter Grauer、社長:Daniel L. Doctoroff。(出典:http://about.bloomberg.co.jp/corporate-profile/) 4月4日、同社Editor-in-chief John Micklethwait他5名が前週に副皇太子に5時間にわたって独占的にインタビューし、その内容を報じた。*2: 英語版では「National Transformation Program」と記されており、「国家改革計画」と訳すのがふさわしいが、ここ(Pronamige al-thwiil al-watani)」に基づき「祖国変では、論旨の都合上、アラビア語版による「革プログラム」とした。*3: スデイリー・グループ:元々は、現在のサウディアラビア王国を建国した初代アブドルアジーズ国王の妃のうち、ヒッサ ビント・アハマド アッ・スデイリー妃から生まれたファハド、スルターン、アブドッラフマーン、ナーイフ、トルキー、サルマーン、アハマドの7人の王子の有力グループを指してスデイリー・セブンと称した。初代国王は広い版図に散らばる部族をまとめるために、政略結婚を繰り返し、数十人の王子を設けた。そのなかでもスデイリー妃から生まれた7人の王子から2人の国王が誕生した。7人のうち、ファハド第5代国王、スルターン元皇太子、ナーイフ元皇太子は亡くなったが、残りの4人は、存命している。さらに、現在ではスデイリー・セブンの子孫に当たる王子たちもスデイリー・グループの一員と見なされており、したがって、現在のムハンマ21石油・天然ガスレビューサウディアラビア:国家展望「ビジョン2030」のなかでのエネルギー産業の今後h ビン・ナーイフ皇太子もムハンマド ビン・サルマーン副皇太子も含まれる*4: サルマーン国王の子息たち:各種報道などにおいて2015年末までに確認されているところでは、サルマーン国王には少なくとも11人の王子が確認されている。スルターン ビント・トルキー アッ・スデイリー妃との間には、ファハド(故人)、スルターン(空軍パイロット・宇宙飛行士)、アハマド(故人)、アブドルアジーズ(エネルギー・産業・鉱物資源省次官)、フェイサル(マディーナ州知事)の5人の王子が確認されている。また、ファハダ ビント・ファラーハ ビン・スルターン アーリー・ヒツリーン アル・アジャミー妃との間には、ムハンマド(副皇太子)、トルキー(研究機関理事長)、ハーリド(空軍パイロット・宇宙飛行士)、ナーイフ、バンダル(写真家)、ラーカーンの6人の王子がいる。さらに、サーラ ビント・フェイサル ビン・ディダーン アブー・イツナイニ アッ・サビーイー妃との間にサウード王子がいる。すなわち、サルマーン国王自身、母親と同じくスめとデイリー家から妃を娶っているが、今のムハンマド ビン・サルマーン副皇太子は、別の妃との間に生まれた王子である*5: 父系制:アラブ・イスラーム世界では明確な父系制を採り、家系図でも先祖は父方をたどるのみである。個人の名前も、本人名+父親名+祖父名+と続けていく。一方、王家の女性については非公開を基本とし、例外的に部分的に情報開示されることがあるが、これは女性を社会的に庇護する目的である。政略的意図での結婚が行われ、複数の妃が存在するケースもあり得る。こうした妃たちは、一般的に自身の社会的安定や地位向上の点から子供を多く産む意思にかられるが、サルマーン国王の場合も例外ではなく、多数の王子が生まれている。*6: シーア派:預言者ムハンマドの後継者の問題を争点に、多数派と異なる見解を展開した集団およびその教説。イスラームの開祖ムハンマドの死後、共同体の長(イマーム)は、正統カリフ、ウマイヤ朝、アッバース朝へと引き継がれたが、これを、そのまま受け入れる多数派がスンナ派を形成した。これに対して、そうした現実を承認せず、預言者の権威は死後、直ちに徒弟であり女婿であるアリー、そしてその子孫に引き継がれると主張する人々がシーア派を形成した。“シーア”は“党派”を意味する普通名詞であり、当初は「シーア・アリー」(アリー党)と表明されたが、後に彼らを単に「シーア」と呼ぶようになった。現在、誰をどのような権威を持つ者としてイマームと考えるかで、いくつかの分派に分かれている。じょせい*7: 十二イマーム派:シーア派の最大派。イラン、イラク、レバノン、アラビア半島東岸などに分布している。イラクのナジャフとカルバラ(カルバラーッ)をはじめ、シリアやカイロにも神聖視する廟がある。思想面では、イマームの超人的属性をめぐる多様な思弁を整理しながら教義の基本を形成した。預言者ムハンマドと12人のイマームの残した言行に自己の責任で忠実に従うこと、または、現実の状況下でイマームの意を体現した学者の、理性に基づく裁量に従うことである。スンナ派とは異なる独自のハディース(ムハンマドの言行録)集を持ち、そこではイマームの超人的属性や精神的役割も論じられている。また、独自の神秘哲学(イルファーン)、遺産相続に異なる解釈を施すなどの独自法学を発展させた。スンナ派に比べてイマームの数が多いため、言行録の数も膨大であることも特徴の一つである。びょう*8: イフワーン:アラビア語で「同胞」を表し、サウディアラビア王国建国の理念としているワッハーブ派の思想に忠実に基づいた社会実現を目指した集団。アブドルアジーズ初代国王が版図を広げる際には軍団を結成して多大な戦績を挙げた。宗教的情熱に駆られて政治的妥協を許さなかったことから、武力鎮圧を受け、1930年には収束した。1953年に就任した第2代サウード国王は、地方に散らばっていた元イフワーン軍団の生き残りのなかから、王家への忠誠を誓う者を選抜して軍部隊を編成し、後にこの部隊は「国家警備隊」へと発展していった。執筆者紹介濱田 秀明(はまだ ひであき)職 歴: ジャパン石油開発株式会社アブダビ支店勤務を経て、国際石油開発帝石株式会社から2013年7月にJOGMEC調査部へ出向(アラビア半島諸国、エジプト、リビア、東地中海担当)。近 況:中東で出来事が多く、資料読み込みによる時間消失と視力減退をいかに克服するか、奮励模索中。222016.7 Vol.50 No.4アナリシス |
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