ページ番号1000526 更新日 平成30年2月16日

基準地点方式きじゅんちてんほうしき
英語表記
basing point system
分野
その他

実際の積出地とはかかわりなく、すべての積出しが特定の地点から行われたと仮定して、引渡し地点での石油価格を決定する方式で、1928 年のアクナキャリー協定(Achnacarry Agreement、現状維持協定ともいわれる)締結の際、最初に取り決められた。
この最初の取り決めは、ガルフ・プラス方式といわれる単一基準地点方式であった。すなわち、単一の支配的基準地点として、アメリカのガルフ・コーストを共通に認容し、他の地域、例えば、ベネズエラ、中東の石油引き渡し価格(CIF 価格)は、あたかもそれがガルフ・コーストから輸出されたかのごとく仮定して、ガルフ FOB 価格に、ガルフから引き渡し地点までの運賃をプラスして決定した。これによって、ある産地の原油の実際の積出し地における FOB 価格は、同等の品質の原油のガルフ FOB 価格にガルフから引き渡し地点までの運賃 (A) を加算した価格から実際の積出し地から引き渡し地点までの運賃 (B) を差し引いた価格とされた。この方式によって中東における石油の価格は、米国産原油のガルフ FOB 価格にメキシコ湾から中東までの運賃を加えたものとされてきたのだが、その不当性は、第二次世界大戦中、イギリス海軍がペルシア湾からインド洋までのバンカー重油の供給を受けた際に多額の架空運賃(phantom freight)が付加されていたとの報告を受けたイギリス会計検査院により指摘された。第二次大戦後、中東原油の本格的生産が始まり、中東原油の価格決定はガルフ・プラス方式から離脱し、新たにペルシア湾地域に第二の基準地点が置かれ、二重基準地点方式に移行した。すなわち、1945 年には、メキシコ湾岸価格がそのままペルシア湾価格として用いられ、両者とも 1.05 ドル/バーレルとなった。その結果、スエズ以東の全市場とスエズ以西ではメキシコ湾とペルシア湾の中間地点であるイタリアまで、中東原油はアメリカ原油と同一価格で入手できることになった。1947 年にメキシコ湾岸価格が 2.75 ドルとなり、一方、1948 年初めに中東原油が 2.22 ドルになった結果、均等地点は北西ヨーロッパへ移った。1948 年にアメリカが石油純輸入国になった結果、ついに均等地点はニューヨークになり、さらにその後米国が石油輸入を規制するようになって中東原油価格は米国原油価格とのリンクを離れて変動するようになった。