ページ番号1000746 更新日 平成30年2月16日

コンサーベーションこんさーべーしょん
英語表記
conservation
同義語
資源保存 [ しげんほぞん ]
分野
その他

コンサーベーションとは、森林や河川などの天然資源の保存・維持を意味するが、石油・ガス・石炭などの地下資源は採取によって減少・枯渇していくという認識の下に乱掘を戒める意味でコンサーベーションが強調されてきた。特に石油資源の場合は急速な採取によって油層圧を急速に低下させると、溶存ガスの分離、産出ガス油比の急上昇などによって究極的な石油採収率が低下する弊害を惹起{じゃっき}するので、コンサーベーションのためには適正な採取が不可欠であるという特性がある。石油鉱業の歴史において、コンサーベーションが強く叫ばれた顕著な事例として以下に2例を記す。 
(1) 米国におけるコンサーベーション規制の確立: 地下資源の開発権は土地所有権に帰属するという法理に立つ米国では、鉱業法という鉱物採取を国が規制する法体系が元来なかった上に、石油という流体鉱物の採取について法廷は地下水のくみ揚げに準じた考え方、いわゆる「捕獲の法則」を適用したこともあって、1920年後半から30年代前半にかけてテキサス、オクラホマなどの西部でイースト・テキサス油田などの大油田が相次いで発見されるに及んで、同じ油層に対して小区分された隣接する土地からの採掘競争が過熱した。法廷は訴訟の海となり、市場には石油があふれて油価は暴落したが、それでも隣に吸い取られるよりはと、油をくみ揚げ川に流す者も出る始末で、イースト・テキサスとオクラホマでは戒厳令が発令され州兵が出動して一切の石油採掘を停止させる事態さえ起こった。このような中で連邦政府・州政府はもとより、産業界、社会一般からこの社会的浪費を防止すべきであるという世論が高まり、いろいろな努力が何年間にもわたって続けられた末に、1930年代になって連邦レベル・州レベルでコンサーベーション法が制定され、各州の委員会(テキサス州では鉄道委員会)による産油割当てがようやく実効的に実施されるようになって、その後数十年にわたって米国の石油産業はコンサーベーションの名のもとに公権力に基づく生産規制による需給調整が行われてきた。1972 年にようやく余剰生産力がなくなり、産油割当て(アロアブル)が生産能力に対して 100 %となって、事実上生産規制は終了した。
(2) OPEC におけるコンサーベーション:1928 年のアクナキャリー協定以来、世界の石油市場を寡占的に支配していた国際石油会社グループ(メジャーズ)はいわゆる国際石油カルテルを結成して、世界の石油生産を需要にあわせて調節してきたが、戦後の 1950 年代になって中東でみぞうの巨大な石油埋蔵量が発見されるに及んで、メジャーズは薄利多売に傾き、世界の石油消費は石炭を追い越して急拡大を続けた。メジャーズは 1958 年、60 年の 2 回にわたり原油公示価格を引き下げ、このことが主要石油輸出国による OPEC 結成のきっかけとなった。OPEC は結成以来、メジャーズによる石油資源支配の現状に対して共同して対抗する政策を追求し、1968 年の第 16 回総会で共通政策を 10 原則にまとめたが、そのなかにコンサーベーションがうたわれている。枯渇性資源である石油を命綱とする産油国として、メジャーズが気ままに生産を拡大するに任せてはおけないという不安感がこめられている。
第一次石油危機の前後にわたって、事業参加の名の下に既存石油利権の全面的または大部分の接収を果たした OPEC 加盟国は、その後それぞれコンサーベーションの考え方から産油量に上限を設けることを宣言したが、その後第二次石油危機といわれた油価の大幅引上げのとがめで世界の石油需要が下降をたどり、予期せざる大幅な生産規制に追い込まれ、現在ではそのコンサーベーション政策は影が薄くなっている。