リビア・制憲議会選挙の評価と今後の見通し
レポートID | 1006484 |
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作成日 | 2012-09-20 01:00:00 +0900 |
更新日 | 2018-02-16 10:50:18 +0900 |
公開フラグ | 1 |
媒体 | 石油・天然ガスレビュー 2 |
分野 | 基礎情報探鉱開発 |
著者 | |
著者直接入力 | 畑中 美樹 |
年度 | 2012 |
Vol | 46 |
No | 5 |
ページ数 | |
抽出データ | 一般財団法人 国際開発センターエネルギー・環境室 研究顧問畑中 美樹リビア・制憲議会選挙の評価と今後の見通しはじめに リビアは2012年7月7日、憲法制定評議会選挙(定数200人)を実施し成功裏に終わらせた。政党別投票の結果を見る限り、国民は世俗派を支持している。当面の課題は新憲法下でのイスラムの取り扱いである。また、連邦制度に固執する東部地域との調整の行方も気になるところである。さらに、今後の治安の回復と大きく関わる各民兵組織が保有する武器類の回収とそれと並行する形での軍・治安組織の拡充も重要になってこよう。ほぼ1年後となる新憲法下での議会選挙を経た後の本格政権の誕生に向け、「地域・都市対立」「部族・民族抗争」がどのように展開し、さらに内政の安定や経済の復興・開発を図るなかで「カダフィ政権支持派」をどのように処遇するのか注目される。1. 成功裏に終わった憲法制定議会選挙 リビアは2012年7月7日、憲法制定評議会選挙(定数200人)を実施した。リビアの今回の制憲議会選挙では、議席定数200のうち80議席を政党別に選出される比例代表方式に、120議席を個人選出方式にそれぞれ割り当てる形で争われた。 リビアの最高選挙委員会は、選挙日から10日後の7月17日、最終結果を発表した。それによれば、政党配分比例代表枠の80議席ではマフムード・ジブリール元暫定国民評議会(NTC)首相率いる「国民勢力連合」が39議席(得票率48.8%)を獲得して第1党となり、ムスリム同胞団の政党「公正建設党」が17議席(同21.3%)で第2党となった。両党以外では世俗派政党「国民戦線党」の3議席(同3.8%)が最大で、以下は2議席以下にとどまった。 ただし、同日発表された小選挙区制の個人配分枠(120議席)の当選者については「世俗的な考えを持つのか、あるいは、イスラム的な思想を持つのか」や「元々、どのような政治信条やイデオロギーを持っているのか」、さらには「各種政党とのつながりがあるのか否か」などが不明のため、制憲議会の全体像を把握するためには多少の時間が必要である。 今回の制憲議会選挙については、次の3点の理由から成功裏に終わったと評価することができるだろう。 第1は、当初の予定日であった6月19日から3週間弱遅れはしたものの着実に実施されたことである。特に、一時は事前準備が終わらないので、実施日がイスラム世界でのラマダン(断食)の終了する8月末以降にずれ込むのではとの見方もあっただけに、ラマダンの約2週間前での実施は大成功と言えるだろう。 第2は、ごく一部の投票所での妨害行為は見られたとはいえ、全体的には大きな支障もなく終えたことである。制憲議会選挙の実施日を目前に控えた7月1日、東部のベンガジでは、選挙の予定どおりの実施を妨害するためなのか、約300人が(東部地域の)自治賛成を訴えるスローガンを叫びながら選挙事務所を襲撃し、投票箱を奪ったり投票用紙を燃やすなどの事件が発生していた。そうした混乱を抱えながらも全国レベルで無事選挙を行えたことは大いなる成果と言えよう。 第3は、投票率が約62%という高率に達したことである。リビアで最後に選挙が実施されてからほぼ半世紀を経ており、選挙の持つ意味や政党の役割などについて一部の国民がよく理解していなかったことに加えて、東部市民やカダフィ派の国民の一部が投票ボイコットを訴えていたなかでの6割強という投票率は褒めるに値しよう。選挙日までに有権者約320万人のうち約280万人が有権者登録の手続きを済ませた点からも国民の関心の高かったことがうかがえる。1石油・天然ガスレビューアナリシスQ. 「大連立」か「3集団並立」か? ジブリール元NTC首相率いる「国民勢力連合」が政党枠で勝利したのは、経済の再建とその後の経済開発の推進を望む国民が元NTC首相としての同氏の手腕や実績を評価したためと思われる。他方、イスラム派が予想外に振るわなかったのは、国民が、国民議会選挙でイスラム派が大勝利したエジプト、チュニジアでのその後の政治的混乱を目にして懸念を深めたこと、カダフィ政権時つぶ代に徹底的に潰されたリビアのイスラム組織がエジプトやチュニジアに比べて組織化の面で大きく遅れていたことなどのためと考えられる。 政党枠で2大政党となった「国民勢力連合」と「公正建設党」は、制憲議会での最大勢力となるべく個人枠での当選者や政党枠での少数政党議員を対象に自派と組むよう個別工作を開始している。「国民勢力連合」は、これまでに個人での当選者や政党枠での少数政党議員のうち約60人を取り込むことに成功したと見ている。他方、「公正建設党」のムハンマド・サワン党首は、個人当選者の多くがわが派に同調する見込みであるとの強気の発言を行っている。 他方、これら両党が大連立を組む可能性も検討されている。既に、ジブリール連合党首は政党枠での勝利を背景に「協力を図り合意を形成するために全集団・勢力に連合を呼びかける」と述べ、イスラム派を含む各政党に「大連立」を呼びかけている。首都トリポリで当選した独立派ながら親ムスリム同胞団のニザル・キワン氏も「ムスリム同胞団は分極化が誰の利益にもならないことを知っている」「今は移行期であるのだからコンセンサスと国民統合が最も重要な課題である」(AP通信 2012年7月19日)と語り、大連立の必要性に言及している。 ただし、問題は相互不信の強い両党がそれを克服できるのか否かである。特にムスリム同胞団をはじめとするイスラム派は、イデオロギー面からも、カダフィ政権とのつながりからも、国民勢力連合のジブリール代表を信頼していない。また選挙戦で革命に参加しなかった人たちからも支持を得ようとした同代表の手法を嫌ってもいる。 ちなみに、ジブリール「国民勢力連合」代表は、2011年2月15日に発生した反政府デモの発生直前まで国家経済開発理事会(NBAD)委員長として、多くの知識人とともに民主国家を目指す「リビア・ビジョン」と名付けられたプロジェクトに関与していた人物である。しかし、2010年の夏前に政権から離脱し、2011年2月の反政府運動の開始とともに新たに結成されたNTCの首相に就任のうえ、西側・湾岸協力会議(GCC)諸国の支持を得るべく各国を説得のために歴訪していた。 1952年生まれの同代表は、米国ピッツバーグ大学で政治学修士号を取得後、1984年には同大学から戦略計画・意思決定の学位で博士号も取得している。専門書を数冊物しているほか、アラブ諸国で指導者研修事業に携わった経験も持っている。 同代表は、その後リビアに戻り国家計画委員会(LNPC)委員長を経て、上述のNBAD委員長に就任していた。経歴が示すように改革を志向しており、多くの人たちとの意見交換による政策の立案を大事にする人物と言われる。なお、2010年5月には来日し、直嶋正行経済産業相(当時)ほかの日本政府関係者と意見交換したことでも知られている。3. 当面の争点は新憲法の内容 話を制憲議会選挙後の今後の政治動向の見通しに戻せば、両政党が個人枠での当選者や政党枠の独立派の当選者から不信の目で見られていることも課題として指摘できる。 ムスリム同胞団はあまりにイデオロギー志向が強く、権力意欲が旺盛すぎると見られているし、国民勢力連合のジブリール代表は経済面での実力は認められているとはいえ、カダフィ政権と関係があったことなどや日和見主義的な点が懸念されている。国民がイデオロギーやスローガンには飽き飽きしていることも、個人当選者の多くが両党との提携に二の足を踏む理由となっている。 こうしたなか注目されるのが、個人枠での当選者のなかから出てきた「第三の道」を模索する動きである。例えば、ベンガジから出馬し当選した著名な政治活動家にし22012.9 Vol.46 No.5アナリシスレされる。政党枠で「公正建設党」が勝てなかったことを考えれば、多くのアラブ諸国に見るように憲法前文での「イスラムは主要な法源の一つ」との記述が落とし所になるのであろうか。 また、連邦制度に固執する東部地域との調整の行方も気になるところである。さらに、今後の治安の回復と大きく関わる各民兵組織の保有する武器類の徴収とそれと並行する形での軍・治安組織の拡充も重要になってこよう。 最も忘れてならないのは、今後選出される議長が当面の国家元首代行となり、同じように選出される首相の任命する閣僚が暫定政府を形成するものの、どちらも2013年7月までの過渡期の役割を果たす存在に過ぎないことである。本当の意味での実権は、2013年6月頃に新憲法下で実施予定の国民議会選挙や大統領選挙を経て登場する本格政権と公式な大統領が握ることになる。 そうであるとすれば、それまでは真の権力の掌握を目指すさまざまな争いがむしろ激化すると見ておくべきだろう。て作家のサーレハ・ガウーダ氏は「われわれは第三の道を創出しようとしている」「第三の道という新しい連合はナショナリストの性格を持つ」(同上)と述べ、個人の当選者たちがどちらの政党にも属さず、独自に政治活動を展開する可能性を示唆している。 ところで憲法制定議会(定数200人)の任期は1年だが、当面の政治日程は、「選挙日から30日以内での首相任命・新憲法起草委員会設置(2012年8月6日)」「同上120日以内での新憲法の是非を問う国民投票(2012年12月4日)」「同上330日以内での新憲法下での国民議会選挙(2013年6月1日)」「同上360日以内での国民議会召集、本格政権発足と大統領選挙の実施(2013年7月1日)」となる。ただし、当初6月19日に予定されていた制憲議会選挙が7月7日に延期されたように、これらの日程が多少後ずれすることは大いに予想される。 とりわけ新生リビアの当面の課題は、新憲法をどのようなものにするのかである。具体的にはイスラム色をどこまで出すのかが争点となる。イスラム法を指導的な法する「国民勢力連合」が、イ律とする市民民主国家を標スラム派の主張をどこまで取り入れることになるのか注榜ぼひょうう4. 「地域・都市対立」「部族・民族抗争」「カダフィ派の処遇」 カダフィ政権の転覆以降のリビアで顕著となったのは「地域・都市対立」「部族・民族抗争」である。今後、内政の安定や経済の復興・開発を図るなかでは「カダフィ派の処遇」という新たな課題も加わってこよう。カダフィ時代のテクノクラートの参画を欠いては内政の安定や経済の復興・開発が容易には進展しないと考えられるからだ。この点は、イラク戦争後にサダム・フセイン時代のバース党員を追放したイラクのその後の内政・経済上の混乱ぶりからも明らかであろう。 以下では、リビアの今後の行方を見る上で肝要と思われるこれらの諸点について、過去を振り返りながら考えてみることにしたい。(1)「地域・都市対立」a)「ジンタン」「ミスラタ」への配慮 NTCは、2011年11月22日、アブドゥルラヒム・アル・キーブ暫定首相を首班とする内閣(閣僚数は暫定首相を含めて25人)を発表し暫定政府を発足させた。当時の閣僚の任命においては、 ①(開放)貢献度重視 ②地域性配慮 ③世俗派登用 ④女性尊重が特徴となっていた。 なかでも重視されたのが「(開放)貢献度」と「地域性」であったが、前者は後者と結びついたものであった。なぜならば、トリポリ開放に至る戦闘で大きな役割を果たし、またセーイフ・イスラム氏の拘束というお手柄を立てた「ジンタン」(トリポリ南西部の山岳地帯)の民兵組織の司令官オサマ・ジュワリ氏の国防相への任命や、内戦時にカダフィ軍の猛攻で多くの犠牲者を出した「ミスラタ」(中部沿岸都市)の民兵組織の司令官ファウジ・アブデラル氏の内相への起用は、両都市およびこれらの都市の位置する地域への配慮を如実に示すものであったからだ。地域バランスへの配慮は、大方が予想していたイブラヒム・ダッバーシ国連次席代表を避けてまで、東部デルナ出身のアシュール・ビン・ハヤル氏を外相に登用した点からも明らかであった。3石油・天然ガスレビューリビア・制憲議会選挙の評価と今後の見通しc長の公用車も壊している。 若者たちを中心とする抗議デモは、ベンガジだけで起きたのではなくミスラタなどでも発生している。自立意識の強いミスラタは、この時点でNTCの意向にかかわらず2012年2月に新たに市評議会選挙を行うことを決めている。この点についてミスラタ市評議会のムハンマド・ベンラサリ報道官は「透明性を欠き動きが遅く移行期の公正さなど多くの問題を抱えるNTCに抗議するデモや座り込みはあちこちで起きている」「われわれは、国家元首は替わったといっても、体制のその他の部分はそのままと感じている」(ニューヨークタイムズ紙 2012年1月22日)と語り、NTCへの不信を口にしていた。うたd)ベンガジの「キレナイカ分離宣言」 ベンガジのNTCや暫定国民政府に対する不信感は、その後も収まることはなかった。2012年3月6日にはウバイダ族やムガリバ族、アワジール族などの部族指導者、民兵組織の司令官、政治家など約3,000人が「ベンガジ会議」を開催し、中部シルトから東はエジプト国境まで、南はチャド、スーダン国境までで構成する東部地域キレナイカの分離を謳った8項目から成る宣言を発表している。 同宣言は、東部地域のキレナイカ(アラビア語では「バルカ」)が自治を行うために独自の議会、警察、裁判所、首都としてのベンガジを持つことや、かつてのイドリス国王の遠戚に当たるアフマド・ズベイル・アル・サヌーシ氏を長とするキレナイカ暫定評議会が設置されたことを明らかにした。 ただし、8項目宣言は「東部に対する数十年に及ぶ差別を終わらせるためには分離宣言が必要であったが、キレナイカは統一された国家リビアの一部である」として、要求しているのが広範囲にわたる自治権であることを確認している。ちなみに、ベンガジ会議の宣言は外交や国軍、石油資源はトリポリを首都とする中央政府に帰属するとしている。キレナイカ暫定評議会の議長に選出されたアフマド・ズベイル・アル・サヌーシ氏も、キレナイカの権益を守ることを約束する一方で国際舞台ではNTCが国家の代表となることを認めると発言している。さらに、同氏は、リビアは一つであるとも発言しキレナイカが独立国家を目指していない点を改めて強調している。 ただし、代表団はベンガジ会議では黒地に三日月と星をあしらったかつてのキレナイカ国旗を掲揚していた。周知のように、リビアは1951年、東部のキレナイカ、中西部のトリポリタニア、南西部のフェザーンの3州に4b)NTCによる「地方分権」の表明 しかし、こうした当時のNTCやその後の暫定国民政府の地域・都市への配慮にもかかわらず、「東部・南部地域や地方都市」と「西部や首都トリポリ」の対立、あるいは、「主要都市間の対立」は解けないまま今日を迎えている。 NTCは、2011年12月3日、カダフィ大佐後時代になって初の国民和解会議を開催した。同会議に出席したアブデル・ジャリール議長は「予算は人口および内戦での被害状況に応じて各都市と地域委員会に配分される。分権化努力の一環として、独自の予算を持つ約50の地方委員会と管理事務所が設置される」「国権を分散化することを目的に省庁も地方都市に再配置される」(AFP通信 2011年12月12日)と発言し、分権化に努める意向を表明した。 加えて、同会議では、アブデルラジク・アル・アルディNTCトリポリ代表が主要省庁の地方都市への配置について次のような具体案に言及していた。 ①NTCは、ベンガジをリビアの経済ハブとすることを決定したので、経済省と石油省がベンガジに置かれる。 ②ミスラタは、ビジネス・ハブとなるので財務省が置かれる。 ③東部デルナには文化省が置かれる。 ④その他省庁の大半はトリポリに置かれる。うなだc)抗議デモが発生したベンガジ 国民和解会議の開催から1カ月半後の2012年1月21日、東部の都市ベンガジで約2,000人の内戦参加者を中心とする若者たちが、統治方法への不満を表明するためNTCの建物を襲う事件が発生した。カダフィ政権の転覆につながる反政府デモを先導したベンガジでは、その数週間前から、新政権に残るカダフィ政権時代の要人の解雇や資金の拠出に関する透明性の確保を求めるデモが続いていた。2日前の1月19日には、アブドゥル・ハーフィズ・ゴーガNTC副議長兼報道官が、ベンガジのガル大学で抗議する学生たちに取り囲まれる騒ぎも起きていた。ちなみに、同日の騒動では、カダフィ政権時代には同政権に擦り寄っていたとされる同副議長が学生たちかばされる一幕もあった。ら日和見主義者であるとして罵 両事件で注目されるのは、デモ参加者たちを宥めようとして出てきたアブドゥル・ジャリール議長にも空のボトルが投げつけられ、「出て行け、出て行け」と叫ばれたことである。デモ参加者たちはアブドゥル・ジャリール倒と2012.9 Vol.46 No.5アナリシス謔驩、国としてイタリアから独立した経緯がある。 キレナイカの分離宣言前日の3月5日夜、ジャリールNTC議長は「リビア国民は統一された国家を目指して戦った」(ガルフ・タイムズ紙 2012年3月6日)と述べ、その時点ではベンガジでの分離を求める動きを気にしていないとの姿勢を示していた。ところが同議長は2日後の3月7日になるとテレビを通じて次のように演説しキレナイカの分離宣言を厳しく批判している。 ①われわれにはリビアを分割する用意はできていない。キレナイカの指導者たちは対話に加わるべきだ。 ②われわれは力を使ってでも彼らを阻止する。 それから2カ月後の5月上旬、キレナイカ評議会は「キレナイカ評議会はリビア国民、特にキレナイカ住民に対して、現在の形での政治プロセスを拒否し、制憲議会選挙をボイコットするよう呼びかける」との声明を発表し、憲法制定議会選挙を行う前にキレナイカ地方が公正な代表者数を得られる保証を中央政府に求めている。e)続発する「都市間抗争」 制憲議会選挙を2週間後に控えた6月4日、トリポリの国際空港が地方都市タルフーナの旅団に一時的に占拠される事件が発生した。同空港を一時占拠したのはトリポリ南東80kmの地方都市タルフーナの「アル・アウフィア旅団」の民兵数十人である。同旅団がトリポリ国際空港を占拠したのは、同旅団に所属する司令官1人が前夜から行方不明となったことに抗議してのものであった。 伝えられるところでは、「アル・アウフィア旅団」の指導者の1人(アブ・オエゲイラ・アル・ヘベイシ大佐)が、6月3日、戦車を率いてトリポリに向かおうとしていたところ検問所で止められ、通行に必要な書類を所持していなかったことから戦車と銃を捕獲され追い返されたという。 その後、どのような経緯によるものかは定かでないが、同大佐が行方不明となったことから、誘拐されトリポリ国際空港の地区で拘束されていると考えた同旅団が釈放を求めて同空港を占拠したというものである。同旅団はまた、トリポリ国際空港に着くや、装甲車で滑走路を占拠するとともに、同空港に駐機していた航空機6機の下に武器類の詰まった装甲車を配置していた。 事態の発生を受けリビア治安部隊と各地からの旅団が同空港に急行し「アル・アウフィア旅団」の民兵たちと交渉した結果、消えた司令官の行方を調査することを条件に占拠は解かれた。 実は暫定国民政府が発足した2011年11月下旬以降、都市の民兵同士による衝突事件が頻発している。大きいものだけでも次のような事件が発生している。 まず11月26日、トリポリ郊外のミティガ空港で、トリポリのスーク・アル・ジュマ地区からやってきた約100人がチュニジア航空の航空機の離陸を滑走路に車両を並べて阻止する事件が起きている。事件は、前の週にバニ・ワリッドで発生した衝突事件について暫定国民政府がしっかり調査することを求めるためのものであった。 抗議に参加したホスニ・ベルベシュ氏は戦闘服姿で「これは平和的な抗議である。飛行機は無傷だ。乗客も無事だ。われわれには誰をも傷つける意図はない」(ロイター通信 2011年11月27日)と語り、なかなか真相究明に乗り出さないNTCに圧力をかけるための抗議であったことを説明している。 それから約1週間後の12月2日、トリポリ西方約17kmのジャンズールで、ジャンズール軍事委員会副委員長が殺害される事件が発生した。事件が起きたのは同日早朝で、アシュラフ・アブデルサラーム・アル・マルニ・スウェイハ・ジャンズール軍事委員会副委員長が運転手と一緒に同市のチェック・ポイントに近づいた時に発生した。このチェック・ポイントは主としてジンタン出身者で構成する旅団の管理下にあった。 さらに、同事件発生から9日後の12月11日、リビア国軍のアブデル・ラジク・エル・シバヒ報道官は次のように語り、トリポリ国際空港の警備に当たるジンタン旅団がヘフタール軍司令官一行を攻撃する事件のあったことを明らかにした。 ①西部山岳地帯出身のジンタン旅団が、12月10日、2度にわたりヘフタール軍司令官一行の車列を攻撃した。 ②ジンタン旅団の戦闘員たちは、ヘフタール司令官を暗殺しようとし、2度目の攻撃時には1人が死亡し4人が負傷した。 ③ジンタン旅団は、空港を警備する彼らを攻撃するために国軍がやってきたと勘違いした。 他方、ジンタン旅団のハーリド・エル・ジンタニ報道官は、政府発表に対して次のように反論した。 ①われわれはヘフタール司令官の暗殺を試みたことはない。司令官一行がやってくることを事前に通知しなかった国軍に責任がある。5石油・天然ガスレビューリビア・制憲議会選挙の評価と今後の見通し@②ジンタン旅団は、ヘフタール司令官一行の車列が、チェック・ポイントで停止せず進行してきたので射撃を始めた。 また新年早々の2012年1月3日には、ミスラタ部隊とトリポリ部隊が、トリポリのアル・ザーウィヤ道路とアル・サイディ道路の間にあるカダフィ政権時代の諜報機関の本部ビルの近くで武力衝突している。一時は機関銃に加えて、対空砲や多段式ロケット発射砲も動員される激しい戦闘となった。 NTCに属するトリポリ軍事委員会のワリッド・シュアイブ大佐によれば、発端は、2011年12月31日に強盗の容疑でトリポリ戦闘部隊に逮捕された戦闘員を奪還しようとしたミスラタ戦闘部隊の動きであった。ムハンマド・エル・グレッサ・ミスラタ軍事委員会委員は「ミスラタ部隊の前司令官とトリポリ軍事委員会が本件で協議している。しかし、自分としては血が流れてしまったので先行きを楽観していない」「戦闘は内戦のようであった」(AP通信 2012年1月4日)と語り、事件が後を引くことを懸念していた。 トリポリ軍事委員会のワリッド・シュアイブ大佐は、事件が起きた模様を次のように説明する。「ミスラタ部隊の戦闘員たちが逮捕者の釈放を求めてきたが、釈放に失敗したばかりでなく一部の者がさらに拘束されてしまった」「その後、ミスラタ部隊の司令官が間に入り最初の逮捕者以外を釈放させた」「だが翌日の1月3日、別の戦闘部隊員たちがトリポリ軍事委員会の入っている建物に発砲したため、双方による数時間にわたる激しい銃撃戦の末、前者に3人、後者に2人の死者が出てしまった」(同上)と。 2012年1月中旬には、トリポリ南方約80kmのアッサバとガリヤンの中間にある野菜市場で両都市出身の民兵同士による戦闘が起きている。戦闘は、発生から3日後の1月16日になって人質の交換で合意が成立し、なんとか停戦にこぎ着けている。目撃者の話を総合すると、ガリヤン出身者がこの野菜市場で殴打された上に衣服をはがれたことが発端となった。「ガリヤン殉教者旅団」と呼ばれる旅団の戦闘員は、事件後、野菜市場の近くに検問所を設けようとしたところアッサバ民兵団から攻撃を受け、ロケット砲や機関銃を使った戦闘に発展したと証言している。なお、中央ガリヤン病院のイブラヒム・アル・カリム副委員長によれば、3日間にわたる一連の戦闘で4人が死亡し50人以上が負傷した。 さらに、それから半月後の2月1日、トリポリのタリーク・アル・シャット地区で、ミスラタ民兵とジンタン民兵による銃撃戦が発生している。銃撃戦のあった地区は、海岸近くの別名エル・サアディ・ビーチと呼ばれる所で、すぐ近くには日本人ビジネスマンを含む外国人がよく宿泊する「コリンシア・バブ・アル・アフリカ・ホテル」や、完成後も内戦によりそのままとなっている「マリオット・ホテル」がある。 ミスラタとジンタンの民兵による激しい銃撃戦は、同日の午後4時半頃から約2時間続いた。衝突の原因は人質をめぐってのものとも言われるが、真相は不明である。また、どちら側から銃撃を始めたのかもはっきりしていない。 唯一確かなのは、トリポリの中心地で、異なる都市出身の民兵同士による銃撃戦が起きたということである。内戦終了後、トリポリを含む各地で出身地の異なる民兵同士が衝突する事件が続いてきた。だがトリポリ中心地での激しい銃撃戦は初めてであるだけに、改めてリビアの治安に疑問を投げかける事件となった。目撃者の話を総合すると、車両に分乗した民兵が突然衝突現場となったタリーク・アル・シャット地区に現れ、建物に向かって銃撃を始めたようだ。 内務省のナジ・アワド氏は「警察学院の建物を管理していたミスラタからの民兵たちがジンタンからの民兵たちと戦闘を行った。両者がなぜ戦ったのかは分からない」(http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-16841848)と述べ、内務省としても衝突の原因をつかんでいないと釈明した。 なお、当時のリビアの状況について世界銀行のハーフェド・アル・グウェル顧問は、2012年2月上旬の最新報告書で「各民兵組織は手放したくない既得権益をつくり上げてきた」「各民兵組織は、それぞれの地域に関する詳しい情報の把握、地方でのつながり、強力な指導力、革命の担い手としての正統性といった諸点において、NTCに優越する立場にある」と記述している。f)狙われ始めた西側・国際機関 それまで西側諸国の施設や国際機関を対象とする事件の起きてこなかったリビアで、2012年4月以降、それらを対象とする襲撃事件が発生している。例えば、6月12日、ミスラタの国際赤十字委員会事務所が襲撃される事件が起きている。 同事務所のスマヤ・ベルタフィア報道官は同日、「事務所への攻撃が肩掛け式機動ロケット砲によるものなのか、あるいは建物の近くに仕掛けた爆弾によるものなのかは分からない」「爆発により国際赤十字委員会事務所の入っている建物が損傷したほか、事務所の隣に住むリ62012.9 Vol.46 No.5アナリシスrア人1人が負傷した」「30人いる国際赤十字委員会事務所のメンバーに負傷者はいなかった」「国際赤十字委員会の活動は純粋に人道的なものであり、宗教や政治とは関係がない」(AFP通信 2012年6月13日)と被害の状況などについて説明している。 国際赤十字委員会としては、ベンガジ事務所が5月22日にロケット式の爆弾による攻撃を受けているので2度目の襲撃事件となった。前回の攻撃後には「囚人オマル・アブドゥルラフマン集団」を名乗る組織がオンライン上で犯行声明を発表している。 聖戦主義者のウェブ上の言動を追っている米国のSITE社は、同組織による犯行声明について次のように分析する。 ①同集団は6月6日の駐ベンガジ・米領事館襲撃後にも犯行声明を出している。 ②同集団は、米無人偵察機により殺害されたアル・カイダの序列第2位のリビア国籍アブ・ヤヒヤ・アル・リビ氏の死に対する報復と言っている。 ③また同集団は、駐ベンガジ・米領事館の攻撃は、リビア上空での米無人偵察機の使用への回答でもあると言っている。 ④加えて、同集団は、米領事館の襲撃の証拠を近いうちに提示するとも言っている。 ちなみに、リビアでは2012年4月以降、表に掲げる外国施設ほかに対する攻撃事件が発生している。(2)「部族・民族抗争」a)部族会議の開催 NTCは、2011年11月26日、武力衝突が発生したトリポリ西方のザーウィヤで暫定国民政府への支持を集めるべく部族会議を開催した。 リビアでは、現在でも部族間の争いごとは部族長同士の話し合いで収められるという社会的慣習が色濃く残されている。NTCがわざわざ部族会議を開いたのは、そうした慣習・伝統を逆に活用することで今後の統治を円滑に進めようとの考えがあるためであった。 例えば、トリポリ近郊のムサラタ町から今回の部族会議にやってきたラミン・ムハンマド・アル・ファルジャニ氏は「リビアは部族社会である。私の部族には14の支族がある。しかし、私が一つの言葉を話せば、誰もが従う」「仮に年長者が命令すれば、全ての武器類は(当局に)手渡される。それにより(回収の)過程は加速化するだろう」(ロイター通信 2011年11月26日)と述べ、部族社会であるリビアでは武器類の回収も部族の年長者には絶対服従という慣習を使えばうまくいくと説明している。b)引き続く部族・民族争い だが部族会議の開催から約2カ月後の2012年2月12日には、かねてからいがみ合ってきたトウブ族とズワイ表リビアにおける最近の外国施設襲撃事件発生月日襲撃対象備 考4月10日国連車両(ベンガジで)イアン・マーチン国連特使、随行員たちともにけがはなかった。5月22日国際赤十字委員会ベンガジ事務所6月06日駐ベンガジ米領事館負傷者なし。近くの道路に小さな穴が開いたのみ。事件後、「囚人オマル・アブドゥルラフマン集団」を名乗る組織がオンライン上で犯行声明を発表。警備中の護衛1人が軽傷。領事館の門が損傷したのみ。事件後、「囚人オマル・アブドゥルラフマン集団」を名乗る組織がオンライン上で犯行声明を発表。6月11日ドモニク・アスキス駐リビア英国大使一行の車両(駐ベンガジ領事館近く)大使車とは別の車のフロント・ガラスが大破。運転手と警護官が軽傷。6月12日国際赤十字委員会ミスラタ事務所住民1人負傷。国際赤十字委員会ミスラタ事務所の入居ビルに損傷。出所:各種報道より筆者作成7石油・天然ガスレビューリビア・制憲議会選挙の評価と今後の見通しーの衝突事件が発生している。二つの部族の衝突では日を追うごとに犠牲者が拡大しており、2月20日時点で、双方合計430人もの犠牲者を出すに至っている。衝突が発生した2012年2月12日から2月20日までの、トウブ族とズワイ族の死傷者数は以下のとおりであった。部族名死者数負傷者死傷者数トウブ族113人(うち、6人は子供)241人354人ズワイ族23人53人76人 その後、3月27日になって南部のトウブ部族のイーサ・アブデル・マジド・マンスール部族長は次のように語り、部族民を「洗浄」から守るためには、かつて同部族の独立運動を主導した「リビア救国トウブ戦線」の活動再開も辞さないことを明らかにしている。 ①われわれはトウブ部族を部族洗浄から守るために「リビア救国トウブ戦線」の活動再開を通知する。 ②われわれは必要ならば国際的な介入を求め、南スーダンのように国家建設に向け動き出す。 ③NTCもカダフィ前政権も全く異ならないことが判明した。NTCにはわれわれを抹殺する計画がある。ウブ部族と南部セブハの民兵との衝突の調停のために現地入りした。ケーブ暫定政府首相はロイター通信(2012年4月1日)に「新生リビアは全ての部族や民族集団のいるべき場所がある」「われわれにとっては全リビア人が重要で、全てのリビア人を兄弟・姉妹のように取り扱っていく」「トウブ部族の問題には歴史的な背景がある。過去の政権はこの問題を乱用してきた」と語り、話し合い調停に自信を見せていた。 ケーブ暫定首相はトウブ部族の長老との会合で車座になって話を聞き、新生リビアが同部族を差別的に扱う意図のないことを説明した。ただし、地対空機関砲を含む重装備の一群がセブハ空港から市内に向かうケーブ暫定首相の車列を警護していたということのあたりに、依然地方の治安が完全に回復したわけではないことがうかがわれた。 実際、それから約3カ月後の7月初旬、南部のクフラを本拠地とするトウブ族の指導者イーサ・アブデル・マジッド氏がAP通信(2012年7月2日)に対して次のような不満を述べ、トウブ部族をめぐる問題が解決とはほど遠い状態にあることを明らかにしている。 ①仮に、ライバルであるアラブのズウィア族と戦うトウブ族の戦闘員に対して政府が戦車や地対空ミサイル、狙撃兵の配備をやめないならば、トウブ部族は制憲議会選挙で投票しない。 ④われわれは、今やわれわれ自身と国家を守らねば ②トウブ族の数十人の男女・子供が殺害され、家屋ならなくなった。も破壊された。 トウブ部族のイーサ・アブデル・マジド・マンスール部族長が、怒りもあらわに独自の国家建設も辞さないと発言したのには理由がある。この発言の2日前の3月25日午後、南部のセブハ(トリポリ南方650km)で、トウブ部族の民兵が自動車の所有をめぐる争いにより殺害されて以降、トウブ部族と他部族出身の民兵との衝突が拡大し少なくとも30人超が死亡する事件に発展していたからである。 両者の衝突は、当初こそセブハ空港に限られていたが、その後拡大しセブハの中心街で機関銃やロケット砲を使って撃ち合う騒ぎとなっている。セブハの民兵は、トウブ部族の狙撃兵が市内のあちこちに散らばり銃撃を繰り返したと証言している。また、元民兵のアリ・アル・ディブ氏は、衝突はトウブ部族がブシフ部族民を殺害した人物を地方当局に引き渡すのを断ったことから発生したとしている。 ケーブ暫定政府首相ほかの政府高官は、4月1日、ト ③トウブ族は国連平和維持軍(PKF)のクフラ駐在を求めたい。 ④また、トウブ族は閣内にもトウブ族の代表を送り込みたい。 ⑤われわれの要求が充足されなければ選挙をボイコットする。 ⑥最近の一連の事件は政治絡みである。トリポリのアラブ人指導者たちはアフリカの諸部族を差別している。 クフラの医療関係者は、6月30日、「部族衝突の再発から過去3日間で少なくとも47人が死亡し、100人超が負傷した」「負傷者のうちの半数以上は女性、子供である。多くは迫撃砲の犠牲となった」(ミドル・イースト・オンライン 2012年7月1日)と語り、クフラでは依然トウブ部族と政府軍とが武力衝突を繰り返していることを確認している。 アムネスティ・インターナショナルのリビア調査員ダ82012.9 Vol.46 No.5アナリシスCアナ・エル・タハウィ女史は「政府は2012年2月に起きた100人超が死亡する事件の事実究明団を派遣せず、攻撃の背後に何があるのかを明らかにしたり犠牲者の補償を検討するなどの対応を取ってこなかった」(AP通信 2012年7月2日)と述べ、事態を放置してきた暫定国民政府に非があると語っている。 ベンガジの治安を受け持つ民兵の指導者の1人で東部自治の推進者であるアブデル・バシット・ハルーン氏は「クフラに駐屯するリビア国軍の抑止軍が事態を一層悪くしている」「彼ら(抑止軍)は東部が一致団結しないよう騒動を起こしている。これらは全て計画された策略である」(同上)と分析し、東部の自治の成立を阻みたい暫定政府が意図的に戦闘状態を醸成しているとの見方を示した。 トリポリ西方約120kmにあるベルベル族の多く居住するズワラでも、4月1日、民族の違いによる新たな争いが発生し武力衝突に発展している。ズワラはトリポリからチュニジアに向かう地中海沿岸の重要な都市として知られる。ズワラからチュニジアとの国境であるラス・ジュディルまでは僅か60kmほどに過ぎない。 暫定政府の内務省高官の話では、ズワラのベルベル族の住民の一団が誤ってアラブ人の居住するアル・ジュマイルからの民兵を狙撃したことが発端となった。発砲者は同日中に拘束されたが、数時間後には釈放されている。しかし、その後、同人が拘束中に拷問を受けていたことからズワラの住民が激怒し衝突につながったという。 事態を重く見たリビア暫定政府は、4月2日、軍隊を派遣のうえ調停を試みたが成功せず、衝突は翌日まで3日間にわたって続いた。ズワラ側の兵士は、われわれは砲撃を中止したがアル・ジュマイルとレグダリンの民兵が砲撃をやめなかったので反撃するよう命令を受けた、と説明している。なお、アラブ人が居住する近郊のアル・ジュマイルとレグダリンからの激しい砲撃で、少なくともズワラの住民1人が死亡したほか5人が負傷している。 今回発生した国内少数派であるズワラ出身のベルベル族の民兵と近隣のアラブの町出身の民兵との武力衝突は、カダフィ政権崩壊後の同国で見られる典型的な民族・部族対立と言える。新生リビアにとって部族・民族対立の解消には時間のかかることを予感させる事件である。c)部族・宗教基盤を禁止した政党法 部族や民族対立の拡大を防ぎたいNTCのムスタファ・ランディ法務委員会委員は、2012年4月24日、次のように語り、憲法制定議会選挙に向けて政党の結成に関する新たな法律を制定したことを明らかにした。 ①政党や政治組織は、地域・部族・宗教を基礎として結成してはならない。 ②政党や政治組織は、海外の政党と関係を有していたり、あるいは、外国から資金を得たりしてはならない。 ③政党には最低250人の設立メンバーがいなければならず、政治組織には最低100人の設立メンバーがいなければならない。 だが新たに制定された政党法は、国内のイスラム主義者や連邦制度支持者から激しい非難を受ける結果となった。例えば、ムスリム同胞団の指導者の1人であるニザル・カワン氏は「われわれとしては、サラフィ主義者やその他のイスラム過激派集団が政治的な経験に参加する機会を与えられるべきであると考える」「そうすれば、こうひいてした勢力も民主主義や対話に向かうようになり、延は暴力を非難するようになるからだ」(AFP通信 2012年4月26日)と語り、宗教を基盤とする政治組織を禁じた政党法を厳しく批判している。 また分離を打ち出し連邦制度への移行を声高に訴え始めたキレナイカ最高評議会のアブ・バクル・バイラ報道官は「政党法は連邦主義の支持者たちを真正面から直接攻撃するものである」「この法律は政党の多様性を妨げる存在であり、国民が革命で勝ち得たものと相容れない」(同上)とコメントし、宗教や地域・部族などを基盤とする政党の結成を禁じた政党法に疑問を投げかけている。 結局、NTCは上述した3項目のうち、①を撤回している。(3)「カダフィ派の処遇」a)タワルガを破壊するミスラタ部隊 内戦終了後には、幾つかの集団的復讐劇が伝えられた。そのなかで、最も組織的かつ残忍と思われるのがミスラタの戦闘員たちによる近郊のタワルガ住民に対する暴力行為である。 消息筋によれば、カダフィ政権時代に移住させられた経緯からミスラタ市民から親カダフィと見られている近郊のタワルガの住民たちは、内戦終了後も自分たちの町に戻ることを許されなかった。加えて、ミスラタの戦闘員たちがタワルガの住民をリビア中で追いまわし逮捕したり、ミスラタの難民キャンプで逮捕したりしてその地で投獄した例も散見された。 2011年10月最終週には、誰も戻ってこられないようにと家屋に火をつけられたりもしている。こうしたことから、当時、消息筋はミスラタ戦闘員がタワルガで行っ9石油・天然ガスレビューリビア・制憲議会選挙の評価と今後の見通し@ワルファラ族の長老たちが反カダフィ派の包囲するなか、最終的には成功しなかったとはいえ、調停を図ろうとした時に頼ったのは西部山岳地帯の町ジャドゥの戦闘員たちであった。バニ・ワリッドがミスラタとは歴史的に不仲であり、ジンタンともライバル関係にあることを考えれば当然の選択であった。付け加えれば、そのジャドゥとジンタンは同じ西部山岳地帯のライバルであり、内戦終了後、トリポリの海岸地帯を分割警護しながら角を突き合わせていた。c)高かったカダフィ派容認発言への反発 2011年12月12日、約2,000人の男女が「NTCは立ち去れ!」「ジャリール議長は辞任せよ!」といったNTCやムスタファ・アブデル・ジャリール議長を批判するスローガンを叫びながらベンガジのシャジャラ広場を練り歩いた。 同日の抗議デモでベンガジ出身のタヒニ・アル・シャリフ弁護士は「アブデル・ジャリール議長は多くの疑問に答えねばならない」「旧体制と同じように抑圧し、地方都市を無視している」(AFP通信 2011年12月12日)と不満をぶつけるように話していた。 さらに同弁護士は「今日の抗議者たちは、NTCがカダフィ軍の兵士を許す用意があるとのジャリール議長の発言に怒りを覚えている」「ジャリール議長はカダフィ軍の兵士を許すようにと言っているが、仮に革命で息子が殺されたり負傷したりしても同じことを言えるのか」(同上)と語り、NTCによるカダフィ軍の兵士への恩赦措置にも怒りをぶつけていた。 ちなみに、アブデル・ジャリール議長はNTCが2011年12月3日に開いた国民和解会議で「カダフィ軍がわが国の諸都市や、村落、兄弟たちに何をしたにせよ、われわれは彼らを許す用意がある」(同上)と発言し、カダフィ軍の兵士を咎 抗議の動きはその他都市にも広がった。トリポリやカダフィ政権打倒に注力した勢力の多いベンガジ、ミスラタなどでは12月25日頃からNTCへの抗議デモが相次いだ。 彼らの怒りの一つは、11月22日に発足した暫定国民政府に、旧カダフィ政権下の閣僚や要人が加わっているのは納得できないというものであった。具体的には、ターヘル・テルゲブ経済相、フティシー工業相、アンワル・フェイトゥーリ通信運輸相の3閣僚と旧政権時代にも要職を占めていた官僚たちである。その後、NTCは、抗議内容を真剣に受け止め、それに対処する意向を表明せざるを得なくなっている。めない考えを披歴していた。とが10ていることは、新生リビアの時限爆弾となると見ているほどであった。人権ウオッチのサラ・リーフ中東北アフリカ局長も「どのような理由があれ、タワルガ住民に対する復讐はリビア革命の目標を台なしにするものだ」(http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-15517894)と論評していた。 ちなみに、ミスラタの戦闘員がタワルガの住民に残酷な仕打ちをしているのは、内戦中に残忍なミスラタ攻撃を行ったカダフィ軍がタワルガを拠点としていたことや、カダフィ軍の兵士によるミスラタ住民に対する暴行にカダフィ政権に忠実なタワルガ市民も加わっていたと見られているなどのためである。なお、タワルガ市民の大半はアラブ人ではないリビア国民で、先祖はアフリカから連れてこられた奴隷と言われる。b)怒り心頭のシルト市民と復讐に燃えるバニ・ワリッド市民 シルトの市民はミスラタに対する怒りに燃えている。ミスラタからの戦闘員が親カダフィと見られるシルト市の限りを尽くしたからだ。とりわけ、ミ内で乱暴・狼スラタからの戦闘員がカダフィ大佐の母親であるアイーシャ・ビン・ニラン女史の墓を荒らしたとの噂が広まったことがミスラタへの怒りを憎悪に変えてしまった。 一時、シルト市の郊外の村落では、家屋を壊され、行き場を失った数百もの家族が親戚を頼ったり、砂漠にテントを張りながら暮らしていた。彼らは、反カダフィ派の戦闘員が戦闘の終了後も家屋に火をつけたり、略奪したり、資産を奪ったりしたと証言している。シルトのハッジ・アブ・ムハンマド氏は「部族の長老がカダフィ大佐の遺体を引き取りに行ったところ、ミスラタの人々は引き渡しを拒否した」「その上、彼らはカダフィ大佐の遺体はイスラム教徒のところに埋葬してはならないと言った」「われわれはシルトに墓穴を用意していたのだが彼らは否と言った」(ロイター通信 2011年11月4日)と語り、ミスラタに対する怒りをあらわにしている。 同じようなことは、やはり親カダフィと見られてきたバニ・ワリッドでも起きている。ただし、ここで乱暴・狼藉を働いたのはザーウィヤからの戦闘員であった。バニ・ワリッドでも、制圧された10月17日以降、多くの略奪や暴行事件が起きている。バニ・ワリッドとザーウィヤの折り合いが悪いのには理由がある。2011年3月、ザーウィヤでも反カダフィを叫ぶ市民の抗議デモが発生したが、その時、反乱を押さえ込んだのはワルファラ族を中心とする部隊であった。周知のように、そのワルファラ族の多く居住するのがバニ・ワリッドである。藉ぜろうき2012.9 Vol.46 No.5アナリシスпj行方が注目されるカダフィ政権時代の支持者たちの裁判 カダフィ政権時代の支持者たちの裁判が、2012年2月5日、反政府運動の発端となったベンガジの軍事法廷で開始された。同日の裁判では大半が民間人である41人が対象となった。アリ・アル・ハミダ裁判長・大佐は「2月17日革命に関する最初の裁判となる」(AFP通信 2012年2月6日)と語り、同日の法廷がカダフィ支持者たちを裁く初の場となったことを明らかにした。 41人の罪状は、反政府運動を潰そうとしたカダフィ政権の支援、一般市民の殺害、国家統一への反対、囚人の逃亡支援、犯罪集団の結成などさまざまである。15人で構成する被告人たちの弁護団は、訴追された者の大半が民間人であるのに軍事法廷で裁かれるのはおかしいとして暫定移行政府当局を批判した。 例えば、5人の被告人の弁護を引き受けたフセイン・グネイワ弁護士は「軍事裁判所は本件を裁く権限を持っていない」「われわれとしては、次回の裁判では軍事裁判所に裁く権限があるのか否かを問いたい」「われわれは軍事法廷が裁く権限を持たないと結論付けるとの自信を持っている」(同上)と述べ、本件を民事裁判所に移すことから争う方針を明らかにした。 弁護団の主張を受け入れたためなのか、リビア国営通信のウェブサイトは、同日、軍事法廷は被告たちを裁く権限を持っておらず民事法廷で裁かれるべきであるとの弁護団の主張を聞き入れ、裁判自体を延期することを決定したと伝えた。この点についてNTCベンガジ代表のインティサール・アリ・アギリ氏は「延期は証拠類を見たいとの弁護団の要請、および自ら弁護士を選びたいとの被告人の要請に基づくものである」(ロイター通信 2012年2月6日)と語り、裁判が2月15日まで延期されたことを明らかにした。 だが、その2月15日の2回目の審理も再び延期されている。審理が延期されたのは、被告たちを拘束している民兵組織が治安上の理由から出廷させることを拒否したためである。暫定内閣の成立から約4カ月が経過しているにもかかわらず民兵組織の力が強大であることを示す動きであった。なお、この民兵組織筋は、当時、カダフィ派の残党が裁判所を襲撃するとの情報が寄せられたことが拘束者を出廷させなかった理由であると説明していた。e)波紋を広げたカダフィ派とのカイロ会議 エジプトの首都カイロで2012年5月27日に開かれたジャリール・リビアNTC議長特使とカダフィ大佐の従兄弟カダフダム氏らとの和解会合が、同議長の独断専行ではないかとの批判をリビア国内で浴びた。ジャリール議長の特使役となったアリ・サラビ氏は、カダフィ大佐の従兄弟であるアフメド・カダフダム氏やカダフィ政権時代にカダファ部族の代表者を務めるとともに、その他部族との調整役であったアリ・ラフワリ氏との和解に向けた会合がカイロであったことを認めている。 同氏はカイロでの会合について「ジャリール議長の命を受け、国民の苦しみをどのように和らげ、国民を正義・自由・平等・法の下にいかに結びつけるかについて協議するために前政権の人たちと話し合いを行った」「議論は国民和解、司法の回復、海外在住の前政権支持者の親族の領事サービスの利用や来たる選挙への参加の問題に集中した」(AFP通信 2012年6月7日)と語り、国民の和解を目的とする会合であったことを強調している。 ただし、NTCの委員たちの多くは、同会合の開催をジャリール議長による独断的な行動であると批判している。例えば、NTC委員のインティサール・アリ・アヤリ女史は「議長はNTCに諮ることなく行った会合の目的を説明する必要がある」「われわれはこのような交渉に強く反対する。仮に会合がNTCに承認されれば自分は直ちに辞任する」「NTCは本件で緊急会合を開いた」(同上)と、怒りもあらわに国内テレビで語っていた。アクラン・サレムNTC副議長はテレビで「こうした人たちとは和解も妥協もない」「彼らは帰国し裁かれねばならない」「(特使役となった)アリ・サラビ氏は個人として会合に出たに過ぎない」(同上)と釈明に努めていた。 こうしたなかジャーナリストや活動家を含む200人は「和解にはカイロ会合に出席した前政権の人々を加えるべきではない。なぜならば、彼らはカダフィ政権時代に殺害、腐敗、テロの先兵であったのだから」(同上)との趣旨の共同声明を発表している。一部の人たちの強い反発を受けたNTCのムハンマド・アル・ハリジ報道官は「アリ・サラビ氏の任務はエジプトに逃げているリビア人家族に対して祖国に戻ることを促すとともに、当局により指名手配となっている人たちに対して公正な裁判を受けられることを伝達することにあった」(同上)と改めて説明し理解を求めている。 消息筋は、今回の会合はカダフィ大佐の従兄弟であるアフメド・カダフダム氏からの打診を受けて行われたものであったと解説している。11石油・天然ガスレビューリビア・制憲議会選挙の評価と今後の見通し?限を強めようとの反カダフィ勢力にも責任の一端はある。 ⑥民兵組織の戦闘員を国軍等に編入する計画に遅れが出ている一方、反カダフィ諸勢力もNTCを信頼していない。双方ともに非難されるべきだと思う。 なお、ワシントン・ポスト紙(2012年7月10日)は「選挙を実施したリビアの支援を」と題した記事のなかで、「今後約1年半、リビアを統治する暫定政府を発足させる憲法制定議会は多くの課題に直面するだろう。それらは、中央政府に従わない民兵組織の存在や南部のアラブ系住民と非アラブ系住民の衝突、今も残る地域間対立、そして新憲法をめぐる争い等々である」「(中略)新たな暫定政府が全土での権威の確立に成功すれば民兵組織の武装解除等も容易になることを考えれば、米国とその同盟諸国は民主リビアの建設を支援せねばならない」と述べ、国際社会による制度構築面などでの支援を求めている。 新生リビアの行く手に課題が多いことは事実である。しかし、リビア国民が、自分たちの生活を改善し言論の自由などを保証してくれる民主的な国家を希求していることは今回の憲法制定議会選挙の結果からも明らかである。時間はかかるにせよ、新生民主国家の樹立に向けて動き出したリビアの今後に期待したい。つぼくで誠実な人柄であることから多くの国民の 当初は朴支持を得ていたリビアのムスタファ・アブドゥル・ジャリールNTC議長だが、時間の経過とともに指導者としての技量や決定的(に必要な)政策の実行力の両面を欠くとの見方が台頭し、批判されることも多くなった。そのジャリール氏が2012年2月21日、AP通信とのインタビューでリビアの現状について率直に話している。 リビアの行方を考える上で同議長の発言内容は有益と思われるので、要点を整理して紹介したい。訥と5. 時間を要する新生リビアの建設 ①暫定国民政府は武器類の引き渡しを拒む民兵組織を制御するには無力すぎる。 ②40年にわたるカダフィ政権は、重い重い遺産を残した。汚職や不信という政治や文化の払ふっ拭しょくおよび諸制度の構築や法の支配の確立は、1~2年では難しく、5年でも困難だろう。 ③カダフィ政権時代の親族や忠誠者などの残党は、彼らの活動を十分に制御できていない諸国にいるので依然脅威である。わが国は、これら諸国には厳しい姿勢で臨まねばならない。 ④カダフィ政権の忠誠者はリビア国内でも革命勢力に混入し、独自の武装組織すら形成している。われわれは彼らを「革命後の革命戦士」と呼んでいる。 ⑤NTCは過ちを犯したが、民兵組織や地方政府の執筆者紹介畑中美樹(はたなか よしき)1974年、慶応義塾大学卒業。富士銀行(当時)を経て、1983年、?中東経済研究所入所。その後も㈱国際経済研究所(1990年)、?国際開発センター(2000年~)において、一貫して中東・北アフリカの政治、経済動向の調査に従事。趣味は水泳・映画鑑賞・音楽(ポップス・ロック)・読書「アラブの春」以降、中東・北アフリカの情勢が大きく揺れており、情報量も多く、そのフォローに追われている。122012.9 Vol.46 No.5アナリシス |
地域1 | アフリカ |
国1 | リビア |
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